『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳(韓国語→日本語)  静かな事件3

2021-07-03 09:09:56 | 翻訳

☆☆ 趣 味で勉強している韓国語サークルで取り上げた作品を翻訳しました。営利的な目的はありません。☆☆

2017第8回 若い作家賞 受賞作品集から「静かな事件」

著者  : ペク・スリン

著者略歴: 1982年 仁川生まれ。2011年 京郷新聞新春文藝に短編小説「嘘の演習」が当選し登壇。

      2015年 若い作家賞を受賞。

「静かな事件」3

ヘジには私がただ生活を構成する一部分にすぎないかも知れないという思いは当時私を時々悲しませた。ヘジは町の友達が多かったし、特に男の間で人気があった。ヘジと一緒に街を歩いてみると私たちより2,3歳年上の高校生たちがヘジに近づき、つまらないいたずらをしたり、色素がたくさん入っているアイスクリームのようなものを買ってくれることが多かった。お母さんは私がヘジの後を追っかけている男の子たちと付き合いはしないかといつも戦々恐々だった。しかしお母さんの心配が杞憂だということはその頃の幼い私にもわかった。私は彼らの眼中に全くなかったから。男たちのまえに立つと、おずおずして警戒していた私と違って、彼らに対するヘジの態度はざっくばらんとしたものだった。他の男たちといる時と違って、ムホの前では全く物おじしない私を見て、ヘジが「あんた、ムホが好きなの?」とちくちく言ったのもそんな理由だった。

 他の男の子を連れてくる時もあったけれど、ムホはほとんど一人で私たちのところに来た。ヘジの家にムホが訪ねてくるとお金がなくて適当に行く所がなかったので、私たちは時々坂道を下って新道を渡り立体交差の下の道まで歩いて行った。薔薇、白鳥といったたぐいの看板だけがかかっている窓の一つもない古びた売春宿の前をはしゃぎながら通り過ぎると交差する地点が出てきた。交差する地点まで来てみると私たちがすることは別になかった。交差する地点の向こうには町バスの車庫地として使われていて放棄された敷地があった。適当な大きさに育った草が生い茂ったそこには巨大なアカシアの木が茂って、腰のあたりまで育ったヒメジオンと丈の高い向日葵が順番に花を咲かせていた低い丘があった。私たちはもう無用とされたそこに辿り着くと、どこにでも座り込んで普通の話を交わした。大体は家族についての話だっただろうか、将来についての話だっただろうか、そんなことだっただろう。そこで私は何に使われていたのかはわからないけれど、その時すでに崩れてしまった塀や壁を平均台にして歩くのが好きだった。それほど高くない塀だったけれど、平衡をとるために両足を広げて私は住民のいない国でだけ停車する汽車を想像したりした。狭い塀の上をよろよろ行ったり来たりしながら主に私がすることは子供たちの話を聞くことだった。たまたま子供たちが私の家族について問えば、時々私の話をする時もあった。私は父が貧しい田舎の出身で5人兄弟の長男なので兄弟の面倒を見るためにどんな犠牲を払ってきたか、そんな話を楽しくしていたようだ。お父さんは音楽が好きで、それでギター演奏者になりたかったけれども、家を興すために喜んで夢を放棄した。私はそんな父が自慢だった。父について話す時だけはいつも得意になり普段と違ってかなり大きい声で騒いだのだろう。父さんをどれぐらい好きだったかについて。聞き取った音のとおりに記してくれた歌詞を見ながら、ジム・リーブス、ジョン・デンバーの歌を一緒に辿って歌った思い出や、音楽実技試験を受ける時にソソミファソ、リコーダーを吹く方法を父に習った思い出のようなことについて、私は父がひどく腹を立てることも、ののしることも見たことがなかった。お父さんは雨が降っても雪が降っても毎月最終土曜日ごとに祖父母の家を訪ねて、足をもんだり、豚カルビでもご馳走したりする時は食べやすくはさみで切ってあげる、そんな人だった。

「日が沈みそうだから、もうちょっと下り来て。」 

 子供たちが危なっかしく歩く私に叫ぶと私はやむを得ないふりで、草地に座っている彼らの前に行って座った。草地に座るとお尻がずっと湿っぽくなった。子供たちは卒業するとそれぞれ技術を学ぶ学校に入学する予定だった。ヘジは美容を学ぶつもりで、ムホは整備工になるつもりだと語った。いつかは海外のファションショーに出るモデルだけ担当するヘアデザイナーになるつもりだとか、有名なドイツの会社の自動車を設計してみせるとか、夕日が差し込んで紅潮した顔で子供たちが描いてみせる未来は一様に根拠がなかった。彼らが描く未来がシャボン玉のように大きく膨れ上がるほど、私は不思議なことにだんだん不愉快になったが、その原因が何かその時は自覚できなかった。人文系高校、それも名門大学合格率が高い私立高校入試を準備していたのは私一人で、私は子供たちが騒いでいる間、無言で周囲の猫じゃらしを手でちぎった。私がたばこを始めて覚えたのはそんなある日だった。「ふっ、吸い込む時に一緒に飲んで。」子供たちが催促して私はたばこを口にくわえたままふっ、息を吸い込んだ。たばこの煙が通っていくにつれて、気道が、肺が熱くなった。私がごほごほ咳をする姿に子供たちが手をたたいて笑った。もし成績が落ちていたら両親はなんとかして引っ越ししようと努力しただろう。しかし、私は素晴らしい人にならなければならないという両親の懇願を忘れなかったし、運よく成績も落ちなかった。学校でヘジが机にうつぶせになって寝ている間、私は着実に勉強をして校則をやぶることもなかった。いろいろな理由にもかかわらず、アパートに暮らす子供たちが私をおおっぴらに無視しなかったわけは成績のためだった。私はその子供たちが私たちの町の子供たちをどうみているか知っていた。私がその対象ではないということは幸いだったけれども、そう思うたびに裏切り者になったような感情が私をとらえた。そして、ヘジが勉強を少しでもしていたら、私がこんな感情を感じなくてもいいはずだがという思いで腹が立った。父は与えられた環境を克服しないで安住しようというのは間違いだといつも私に言った。

 再開発になるだろうという噂が町に流れ始めたのは翌年春ぐらいだった。噂が具体化するほど町の雰囲気が少しずつ変わっていった。両親は一日も早く町が崩れてしまうことを望んで、それが道理だと考えた。それなのに両親は路地を掃除して誰かに出会うと目礼をした。私は私たちの中学卒業生の中の少数だけ進学できた、川向こうの私立高校に入学してから口数が少し減った。私の町まではスクールバスが来ないので、他の子供たちより早目に起きてスクールバスが通る所まで一般バスに乗って行かなければならなかったが、それで私は何倍も疲れた。夜間自律学習を終えてからバスに乗り換えて夜遅く家に帰る日々が多かったために、ヘジと会える時間も自然に減ってきた。時々具合が悪いという口実で早退することもあったけれども、そんな時はヘジが家にいないことが多かった。そのように早めに帰宅して一人になる日には初めて引っ越ししてきた日父が私にアパート団地を見せてくれた屋上にしゃがみこみ、沈んでいく太陽の光線が寂れた路地とぼろぼろの壁を柔らかくなでる光景を眺めた。

まるで染みが出た老人の顔をなでるように。そうすればその手をとって、町はうとうとしようとするだるい老人のように、しわが深く刻まれた瞼をゆっくりと閉じた。太陽が沈んでしまうと大気に残っていた暖かさも老人の最後の息遣いのようにのろく散らばっていった。体に寒さがこもってこれ以上座っていることがつらいけれども、ようやく私はしゃがんでいた足を広げて立ち上がった。みすぼらしい路地がどうして日が沈む直前のしばらくの間、恍惚とするほど美しくなるのか、その時私はその理由がわからなかった。ただその光景を無言で眺めている間、私の中に宿る寂しさが、訳が分からず甘美で苦しく泣きたかっただけ。

 再開発推進委員会が設立され、町の人々は各自再開発が得か損かを調べ始めた。町は再開発に賛成する人と反対する人に分かれた。再開発に反対する住民は非常対策会議場と決められたムホの家で毎週火曜日夕方に対策会議を開いた。法外に高い追加分担金を出すのが不可能な人たちは再開発に反対した。「同意率が低ければ組合設立が霧散することもあるそうだ。」久しぶりに会ったムホが言った。「うん。」暗い路地の片隅で、猫小父さんが置いていった飼料をあたふたと食べる猫たちを見ながら、私とヘジはうなずいた。ヘジの家族は借家人だったので同意しない権利がなかった。

 時間が速く流れた。

 ムホは今では背が私よりはるかに高く、肩も昔より2倍ぐらい広くなった。しかしムホには相変わらず笑う時赤ちゃんのような点があった。ムホが町の放棄された廃屋からある女の子と一緒に乱れた服のまま出てきたという噂を誰かが私に伝えたこともあって、実際に、そんなことが起こった可能性が高いということも知っていたけれど、私は心配しなかった。ムホは少なくとも私の前では以前のように純真な顔で、それで十分だったからだ。私たち3人には共通点がなかったけれど、時折、相変わらず捨てられた車庫地に座って、つまらない話をしながら煙草を吸った。

 いつか一度ヘジだったかムホだったか2人のうちの1人があんたはいい大学に行って金持ちになるだろう、ということを私に言った。そんな話を私の前で切り出したのは初めてだった。ヘジは会うたびに学校で習った美容技術について、マネキンのかつらを切るときの苦しさのようなものについて話した。ムホは私たちの所にいるときもあったし、いない時が多かった。

 年がもう一度変わり、私が18歳になると引っ越しをする人々がひとつ、ふたつ出てきた。ヘジの一家はその町を一番先に離れた一群に属した。「いきなり家主が入ってきて暮らすつもりだと延長をしてくれなかったそうだ。」ヘジは平然としたふりをして唇にリップクリームをつけながら伝えた。「再開発するので私たちが出ないで持ちこたえるかと怖がって、そんなことだろうよね。」ムホが夜遅い時間に下校した私をバス停で出迎えていたのは、ヘジたちが引っ越しを決めてからいくらも経たない9月だった。ムホが私を出迎えるのはその時が初めてだった。それでだったのだろうか。人通りもほとんどないバス停に一人で立っているムホを見た時、私はいつもと違って少し胸騒ぎした。私たちはとても久しぶりにたった二人で坂を上った。「かばんにこんなにたくさん何がはいっているんだい。 背が伸びないよ。」ムホが私のかばんを軽々と持ち上げ代わりに担いだ。ムホが今では私よりもはるかに大きいということを急に実感した。ジムでペンチプレスを熱心にしているとか、ムホの腕は以前よりもはるかに太くなっていた。私は、ムホが男の体になっているという事実に今さらのように驚いた。そして、なぜかわからないけれど噂の中でムホと乱れた服のまま廃屋から出てきたという女の子の顔が気になった。私たちは学校であったことやその当時話題になっていたハリウッド映画について会話したけれど、共通の話題の種が別になかった。私もムホも路地のあちこちにかかっている赤い旗を見たけれど、二人とも努めて知らないふりをしていた。その頃、再開発に賛成する人々と反対する人々の間の葛藤は徐々に深まっていった。急な階段を無言で上ると夜が下りた空き地が出てきた。「そういえば、猫小父さんを見かけなくなって少し経ったね。」ムホは小父さんを数日前に見たと言った。小父さんは猫たちを置き去りにすることはできず、再開発に反対だと言った。「少し前にはある人達が小父さんに猫たちを殺してしまおうと脅迫までしたんだって。」ムホが怒った声で言った。「小父さんが一番くみしやすいからやたらにあたりちらすんだよ。」再開発に賛成する人々が反対する住民たちの店や家を訪ねて脅して狼藉を働くという噂は私も聞いたことがあった。私たちは再び無言で歩いた。ムホの息をする音が近くに聞こえた。「ここまででよかった。もう行って。」「いや、家の前まで見送ってやる。」家のほうへ曲がる路地に入ると子猫2匹が驚いたように奥のほうに逃げた。そしてついに家に到着したときに、街灯の下でムホが言いにくそうに切り出した。ヘジが去る前に告白したいので手伝ってくれたらと。

 そして、その週の土曜日の晩に私はムホの頼みどおりにヘジを昔の町バスの車庫地に連れて行った。ヘジは寒く真っ暗な所に突然なぜ行くのかとブツブツ文句を言い続けた。記憶に間違いがなければ、ヘジはその日オレンジ色のセーターを着ていた。毛が飛ばされたオレンジ色のアンゴラのセーターに膝が飛び出したトレーニング服を着て、何が待っているかもわからずに私に連れられて斜面を下って行ったヘジ。葉の落ちたアカシアの木の後ろからムホがろうそくの代わりに爆竹を挿し込んだケーキを持って現れると、ヘジは何をするのかという仕草で叫んでいたが、まもなく赤くなった顔で笑いを爆発させた。私はその時初めてムホが好きだったかもしれないということに気づいた。あるいは、好きなのではなかったのか、ひょっとすると私たち3人の関係の軸が一方に傾いてしまったことを悟った瞬間感じた空虚さが私を錯覚させただけだったのだろうか。しかし、とにかくその瞬間には、クリームたっぷりのケーキの上にきらめいた花火とその向こうにちらつくムホの明るい顔を見ながら、実は私がムホをしばらく好きだったようだと思った。しかし、また同時にそうであっても、私とムホの人生が交差できる瞬間はあまりにも短く、私たちは既に何年もしないうちに、完全に別の道を歩むようになるので、これ以上私たちの人生は重ならないという事実を、私はずっと以前から分かつていたという思いも。「私と付き合う?」今は男の体になったムホがはにかんだ表情で尋ねた。「そうね。」ヘジが上気した表情でうなずいた。私は観客の役に慣れた俳優のように拍手した。私の拍手の音に恥ずかしそうに子供たちは私を眺めて笑った。私たちは一緒に笑った。爆竹の炎が紺色の闇の中で騒々しい音を出しながら燃えて、地面に落ちると瞬く間に消えた。

(つづく)


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1 コメント

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静かな事件2 (nishinayuu)
2021-07-03 10:36:56
漢字かな交じりの日本語の文はやはりハングルだけの文より読みやすいですね。

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