『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々713  津久井湖城山公園 水の苑地2

2016-05-30 08:26:50 | まち歩き

水の苑地は大きい道路にも面しておらず、静かなたたずまい。

壁面にルピナス。

横から見た壁面のルピナス。

木陰のルピナス。

赤いモミジ。

津久井湖。

「湖の水啼きこぼす蛙かな」(暁台1732年~1792年) 

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四季折々712  津久井湖城山公園 水の苑地1

2016-05-29 20:03:09 | まち歩き

津久井湖の北側にある水の苑地に行く。ちょうどルピナスが真っ盛り。

ブルーサルビアのお出迎え。

1500本のルピナスの一部。

色とりどり。

赤いバラ。

階段状の噴水と滝。

津久井湖を臨む。

気持ちのいい公園!! 

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読書感想197  失われた九州王朝

2016-05-24 22:37:39 | 時事・歴史書

読書感想197  失われた九州王朝

著者      古田武彦

生没年     1926年~2015年

初出版年    1973年

出版社     朝日新聞社

 

☆感想☆☆☆

 本書は43年前に出版された労作だ。主に中国の古代史書の分析を通して、古代日本列島には万世一系の大和朝廷が君臨していたのではなく、多元的な王朝がいくつもあり、その中でも博多湾を中心にした九州王朝こそ、漢の時代から唐の時代まで日本列島を代表する王朝として中国側から認められていたということを証明しようとしたものである。

古代の中国の史書である『後漢書』(1,2世紀)、『三国志』(3世紀)、『旧唐書』(7,8世紀)の『倭国伝』の分析から、中国側が倭国側の中心王朝を一貫した連続王朝で、それが九州の博多を中心にした筑紫の王朝だと見なしていると著者は推論する。卑弥呼も朝鮮半島で好太王と戦った倭の五王も白村江で百済を救援し唐と戦った倭国もこの九州王朝であると。

日本列島の中心王朝の交代を告げる記事がある。『旧唐書』の中で「日本国は倭国の別種なり。其の国日辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。或いは日う、倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為すと、或は云う、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと」。天智天皇期に唐から4回郭務悰という使者が派遣され、阿倍仲麻呂も50年以上高官として唐に留まっていたことから、著者は『旧唐書』を同時代文書として高く評価している。

唐側の則天武后により701年(大宝元年)に日本列島の代表王朝として九州王朝は否認され大和朝廷が公認された。これが「倭国から日本国へ」の国名変更であり、国内的には179年続いた九州年号は終わり、近畿天皇家は「大宝」の年号を公布したのだという。この九州年号は継体天皇から文武天皇までの期間に当たるが、その中には「白鳳」の年号がある。大和朝廷の年号にはない。しかし飛鳥・奈良時代の文化の隆盛を称して「白鳳時代」と言われるが、それが九州王朝の年号だったというのは驚きだ。

国際的に近畿天皇家が承認されてから古事記・日本書紀が作成され、日本列島の支配者である万世一系の天皇家という虚が大義名分となり、九州王朝の存在という実が消し去られた。そして九州王朝の実を日本書紀の中に混入させ大和朝廷の実としたことで論理破綻をきたしているのだという。

九州王朝と近畿天皇家の関係で大きい事件は二つある。一つは「磐井の反乱」である。日本書記には継体天皇が「社禝の存亡、是に在り」と述べたほどの国家の存亡を賭けた戦いだった。日本書紀では国造として扱われた磐井君が、近畿天皇家に従わず独立しているというのが戦争の口実であった。この戦争は磐井君も殺され、磐井側の大敗北で終わったが、磐井君の子である筑紫君の葛子が糟谷屯倉を献上することで戦争を終結させた。もう一つの事件は白村江での敗戦である。663年百済を救援するために朝鮮半島に出兵した倭船千艘のうち、4百艘が焼かれ、その様子は「煙は天を灼き、海水が真赤になる」(『三国史記』1143年高麗時代の編纂された正史)ほどの凄惨な敗北を帰した。そして百済の王子とともに倭人も唐に下った。その中に筑紫君の薩夜麻がいた。倭軍を率いていたのは九州王朝の君主だったのだ。この敗戦によっても近畿天皇家側は大きな痛手を被っていない。しかし、この筑紫君の薩夜麻の捕囚の事実は白村江の戦いの核心部分にも関わらず、日本書紀には記載がないという。そして670年に倭国から日本国への国号の改変(『三国史記』)がおこり、その翌年671年に筑紫君の薩夜麻は帰ってくる。かつての敵国である唐の使節の先触れとしての役目を与えられて帰国する。この惨めな姿が日本書紀に記載されているという。そしてさらに、その19年後に主君の薩夜麻の生還のために自身を奴隷に売ったという部下の帰国の話が続くという。白村江の敗戦と筑紫君の薩夜麻の長期にわたる捕囚が九州王朝の消滅を招いたと著者は結論づけている。

古事記・日本書紀の万世一系の天皇制というイデオロギーから離れて、東アジアの同時代文献を分析することで、九州王朝の存在を証明しようとした著者の試みは大枠で成功していると思う。昔のことなので細部まで詰めるのは難しいが、江戸時代の学者から始まる恣意的な漢字の改変で卑弥呼の国を邪馬国、つまりヤマトと読ませようとしたことや、朝鮮民主主義共和国の金錫亨の恣意的な分国論(朝鮮半島内の本国の植民地が日本列島にある)のでたらめさを論破し、漢委奴国王の金印の読み方、天皇の言葉の根拠など納得のいく展開になっている。しかしその後の九州王朝のことが気になる。筑紫君の系譜を引く一族とか残っていないのだろうか。奈良、平安時代を通じて、大和朝廷と九州の関係はどうなっていたのだろうか。中国の宋の時代に大宰府から日本国の上表文を持たずに朝貢に来たので断ったという記事があるという。文化的な蓄積は大きいものがあったはずだし、仏教寺院とか残っていないのであろうか。興味は尽きない。 

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四季折々711  五月の小山内裏公園3

2016-05-20 13:37:54 | まち歩き

小山内裏公園の尾根道の樹木いろいろ。

紅花梅花空木?

ヤマボウシ。

桜の根元。

「芽ぐむなる 大樹の幹に耳を寄せ」(高浜虚子1874年~1959年) 

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四季折々710  五月の小山内裏公園2

2016-05-15 19:50:16 | まち歩き

野草園を見て尾根道に上がる。

野草園に咲く可憐なチョウジソウ。

朴(ほお)の花。

ヤマツツジ。

尾根道のそこここにヘビイチゴ。

 名前がわからない、可憐な花。

芝桜。あまり広がっていない。

シャガの群生。見事!

コデマリ。もうそろそろおしまい。

「朴散華即ちしれぬ行方かな」(川端茅舎1897年~1941年) 

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