東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業49年を迎えました不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

多分・・・そうだと思う

2011年09月30日 09時30分43秒 | スポーツの話

著名人たちが利用することで有名な病院へ休日にお見舞いに行った。お見舞いを終え、大きなロビーから地下駐車場へと向かう途中、右足を包帯で巻かれた車椅子の女性がポツリと座ってた。どこかで見た事がある人だな~と考えながらエレベーターに乗り込み、指定の階を押した時にハッと気が付いた。

なでしこの丸山選手だ。

でも本当にそうなのか?自信がないので、ニュースを調べて見た。・・・なでしこジャパンのFW丸山桂里奈(28=千葉)が26日、右膝前十字靱帯(じんたい)損傷の手術を受け、無事成功した。午後3時から2時間にわたって、所属する千葉のチームドクターの執刀を受けた・・・本当に彼女であるならば、術後二日目になる。チームドクターの所属を確認しようとするが、まあ~「あの子はそうだった」ってことにしよう。

頑張れ丸山

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映画:「インシディアス」

2011年09月29日 09時29分45秒 | 映画の話

「インシディアス」を映画館に観に行った。

【解説】「ソウ」シリーズのジェームズ・ワンが監督、「パラノーマル・アクティビティ」シリーズのオーレン・ペリが製作を担当したホラー映画。新居に引っ越してきた一家が奇怪な現象に遭遇する。出演は「恋とニュースのつくり方」のパトリック・ウィルソン、「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」のローズ・バーン。

数日前に息子が友人と観に行ったのだが、ラストが少し意味がよく解らなかったので是非観に行って教えて欲しいとのこと。少しプレッシャーを感じつつ、ちゃんと説明出来るように冒頭から真剣にスクリーンを見つる。ちなみにインシディアス(insidious)とは病気が知らない間に進行するとの意味。夜上映の館内はまばらながら、何故か制服姿の高校生のグループがちらほらといて、私の座った席の前には女子高生の三人連れが喋りながら座っていた。嫌~な予感を感じつつ、館内が暗くなると「普通」のボリュームで彼女たちの会話が続いていた・・・ホラー映画なので、ギョッとするシーンや大きな音響シーンが満載で、スクリーンで驚かさせ、前列の彼女たちの悲鳴でも驚かされると言う「時間差サラウンドシステム」がさらに恐怖を増す。

途中で霊がチラッと映るシーンがある。これまで心霊番組で隅から隅まで神経を尖らせて観る習慣がある私はすぐに発見したが、周りの観客は誰も気が付居ていない様子・・・すると後列のカップルの女性が「今、何か映ってなかった?」と彼氏に小声で話すのが聞こえた。つい振り返って「そうだよね~今、隅に居たよね~よく見つけたね~」と語りかけたい気持ちをグッとこらえる。(ちなみに息子はそのシーンに気が付いていた。さすが息子だ

最後の最後までハラハラドキドキさせる映画だった。今回息子の要望で観に行ったものの、それが無ければ出会う事はなかった作品だろうな。それにしてもホラー映画で出てくる外国の家はいつだってでかい。4畳半ひと間だったら話は怖さも半減なのに・・・と思った。

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すべては用意のいかんにかかっている

2011年09月28日 09時00分00秒 | 野球の話

【本日は定休日。予約投稿にて】

23日に行われたドラゴンズvsスワローズとの首位攻防戦。同点に追い付かれた後の8回裏2死ドラゴンズの攻撃で、井端の打球は前進守備のセンター青木のやや左で弾んだ。二塁走者の荒木は捕球した時点で三塁ベース手前。三塁辻コーチはアウトを覚悟で手を回し、荒木は「(三塁コーチに)止められるまではいってやろう」と迷うことなく本塁に向かい、捕手のタッチをかいくぐって生還。これが結局決勝点となり、ドラゴンズがゲーム差2.5へと縮めた。

翌日の報知新聞・太田記者の記事が非常に興味深かった。記事の冒頭で小説の一部を取り上げ、プロとしての心得を極めて短い言葉で表した一節があると紹介した。

「すべては用意のいかんにかかっている」

今回のシーンではセンター青木のプレーについて言及していた。前進守備の青木が二塁の頭を越えた打球に猛然と突っ込んだまでは良かったが、打球をほぼ正面でさばいた。両手捕球は基本であるが、失点が許されない場面では勢いよく片手ですくい上げた方が早い。ついでに送球も一塁方向にそれた。試合後、青木が悔やんだのは送球の方で、「刺せなかったのが悔やまれます。準備は出来ていたけど、結果的にそれてしまった。あれが勝敗を分けてしまった」とのこと。しかし飯田守備走塁コーチは「送球までのプロセスを厳しく指摘した。「ダメでしょう。両手で捕りにいってんだもん。走者は(足の速い)荒木で、ギャンブルで走ってんだから。捕ってから、アッ、走った、投げた、としか見えない。油断だよ。走らないと決めつけているからああなる。準備していたのなら技術不足。」と現役時代7年連続ゴールデングラブに輝いた名手は辛らつそのものだった。

両手捕球の画像は無かったが、昨夜見たスポーツニュースでは確かに大事に捕りに行った映像が流れていた。1993年スワローズvsライオンズとの日本シリーズ第4戦でセンターの飯田は70m近いダイレクトのバックホームで二塁走者の笘篠誠治の生還を阻止したシーンを神宮球場で実際に目の当たりにしたことがある。彼が言うのであれば説得力がある。

これはスポーツだけではなく何事にも当てはまる言葉なのだろう。でもなかなか難しい・・・

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対策本部

2011年09月27日 09時43分26秒 | 二代目のつぶやき

長崎~熊本シリーズが延々と一週間以上も続いていたので今更の話ではあるが・・・

先週21日、東京に上陸した台風15号。台風が東京に直撃する時は、何故だか私の定休日と重なる事が多い。朝から小雨が続いていたが、夕方からの本格的な上陸に備えて、テレビでは特別番組を組んでいる。時間を追う毎に自宅の窓を叩く雨と風が強くなる。「このままガラスを磨いたら綺麗になるだろうな~」とガラス窓を見つめている間にも、運転を見合わせている交通機関がどんどん増えて行く。出掛けている家族に最新の台風情報をメールで発信する。そしてメールの最後には「あとは自己判断で対応せよ」と付け加える。まるで台風対策室のようだ。その後も「助手」と一緒に情報収集を続ける。

すると妻からは「帰れって意味?こっち(仕事場)は雨降っていないよ?」と能天気な返信。改めて「自己判断で対応せよ」と再返信。子供たちが次々と帰宅する。なかなか好判断だ。しばらくして「電車がすべて止まってる」と妻からの連絡。だから早く対応すりゃいいのにと複数の路線を乗り継ぎ、どうにか辿り着いた最寄り駅まで車で迎えに行くことにする。とりあえずタオルと大渋滞に備えて水分を購入して車を走り出す。

雨に煙って前方や車線がよく見えない。上りの道は空いているものの、橋の上は強風にかなりあおられるので徐行で進む。ちょっと怖い・・・次第に道が混み始めるが、予想よりも早く待ち合わせ場所に到着した。しかし今度は帰りが大渋滞である。ナビの渋滞を示す赤い線が見る度に長くなって行く。道路の照明や街路樹は今にも折れそうな程に揺れている。道を歩く人の大半は傘を持つ事を諦め、ずぶ濡れのまま家路を急いでいる・・・いや急ぐ事さえも諦めて歩いている。渋滞している幹線道路を避け、裏道を進む。それでも普段なら往復で30分程度の距離にも関わらず、自宅に戻ったのは出発してから1時間半後だった。

帰宅と同時に「対策本部」は解散となり、「彼」も安心したかのように毛布にくるまれていた。いやいやお疲れ様でした。

それにしても震災以来、みんながとても逞しくなったような気がするのは私だけだろうか?

【明日28日(水)は定休日です】

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・一期一会

2011年09月26日 09時31分22秒 | 二代目のつぶやき

今回合計8日間に渡り、書き綴って来たがさすがに長かったな~と振り返る。でも昨年の徳島も7日間だったのね・・・

改めて本当に楽しい三日間だったな~と振り返る。充実した旅にはまずは「美味しい食べ物」が不可欠である。どんなに素晴らしい街でも食べ物が合わないとその感動も半減である。残念ながら長崎では余りの強行軍でじっくりと食べる機会は無く、地元の人に教えて貰った数々の食べ物にあり付けなかったが、聞くだけでよだれがタラタラと出て来そうである。

「長崎蝦吐司(はとし)・・・エビ(蝦)のすり身などをパン(吐司)に挟んで揚げたもの」

「一口香(いっこっこう)・・・黒砂糖あんをショウガの香りを加えた皮で包み、ゴマをふりかけて天火で焼くと中身が空洞になったちょっと焼き菓子

和泉屋のしょこらあと・・・長崎伝統のカステラを上品な甘さのチョコレートで包んだ」や「あごだし・・・みそ汁や料理のダシをとるために使うアゴ干し」は次回是非試したいと思っている。

そして忘れてはならないのは地元の人たち。早朝の丸山で笑顔で挨拶を交わしたおば様も、おススメのラーメン店や食べ物を親切に教えてくれた地元の方も、長崎港ターミナルから軍艦島へ行くと告げただけなのに、気を利かせてターミナルから離れた全然違うツアー船の前まで連れて行ってくれたタクシードライバーさんも、軍艦島ツアーの優しいおじ様ガイドさん・・・ほんの一瞬の交流ではあったがみんな温かくて素敵な出会いだったな~と思う。また熊本での友人の知り合いの私を歓待してくれる気持ちが心の底から有難いな~と思った。ひとり旅は自由気ままに散策出来る事ももちろん楽しいのだが、やはり人との交流や関わり合いが楽しい。みなさんまた逢える日までくれぐれも元気で。

そしていつものように祭りの終わりの寂しさを紛らわすかのように次はどこへ行こうか?とすでに考え始めている。もう大体は決まっているのだが・・・

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・水前寺公園~さらば熊本

2011年09月25日 09時58分41秒 | 美味しい話

足元がジリジリして目が覚める。寝坊予防に開けておいたカーテンから熊本の朝日がはみ出した足に容赦なく突き刺さる。今回も三日間すべて晴天である。ワッハッハ睡眠時間3時間でもう最終日。友人との待ち合わせ時間までに上通りで軽めの朝食を食べる。広げた新聞は昨夜のジャイアンツの敗戦を伝えていた。もう今シーズンは(も)終わったな・・・

朝から気温がジリジリと上がっているのが分かる。汗をかかないように熊本城を眺めながらゆっくりとホテルに戻り、身支度を整えてチェックアウト。友人の車に乗り込み、私の希望だった水前寺公園に連れて行って貰う。東京から持参したCDを勝手に挿入する。今回のCDは「ザ・ベストテン1978-79」で一曲目のUFOのメロディーに乗せて車は進む。

正式名称「水前寺成趣園」は細川家三代忠利公が1636年から約80年かけて完成させた回遊式庭園で東海道五十三次を模したと言われる。私が17歳の時に熊本へひとり旅した際に、寝台列車で隣り合わせたおば様に連れて行って貰った場所である。もう28年前の話である。その時に水前寺公園で撮影した写真がまだ手元にあり、それと同じアングルで撮影するのが目的だった。しかし通ったであろう参道に全く身覚えが無く、中に入っても思い出すきっかけすら無い。記憶の糸を一生懸命たぐい寄せても糸がぷっつりと切れているようだが、園内を進んで行くと、ようやく同じアングルを発見した。そうそうここだと友人に撮影を頼み、目的を達成した。当時17歳の私を28年の歳月はすっかり二日酔いの親父へと変えていた・・・

公園をプラプラと老人のように散策した後、友人おススメの熊本で超有名店である「かつ美食堂」に連れて行って貰った。大通りに面していない地元の人のみが知るって感じが期待感を膨らませる。

ここは「馬」ホルモン煮込みが有名とのことでもちろん注文する。ここは注文の仕方がちょっと変わっていてホルモンとごはんの大きさがそれぞれ「大・中・小」から選べるので、「ホルモン大・ごはん中」のような組み合わせが色々可能である。ちなみに画像は「中・中」である。いや~美味しい。さらさらさら~と食器が空になる。満腹だ。ついビールを飲みたくなるが、運転手の手前、ぐっと我慢する。

その後、熊本美人の友人の奥様が経営されているプラチナ温熱サロンにお邪魔した。ここは「自力」+「他力」で「健康」+「美しさ」+「幸せ」を育む事をコンセプトにしたサロンで、サーマルカプセル(プラチナ温熱カプセル)に20~30分入ると汗でダラダラになる。それから施術ベッドでマッサージを受け、この三日間の疲労を落として貰う。ちなみにお婿さん募集中の美人三姉妹の妹さんも手伝われている。また逢う日まで家族全員元気でね。

極楽の時間を経て友人と一緒に店を出て、空港近くの俵山の温泉にゆっくりと浸かった。

「馬づくし」の締めくくりとして最後の最後に「馬肉ハンバーグ」を食べた。これがまた美味しい。

ただ搭乗時間まで30分を切った状態でようやくハンバーグが運ばれて来たので、熱々のハンバーグを次々に口へ放り込み、慌ただしく空港前で別れる。別れはこんなあっさりとした感じが一番だ。本当に楽しかったな~色々有難う。地元の友人たちも素敵な人ばかりでした。またあなたの熊本での活躍が垣間見れて良かったです。私も東京で負けないように頑張ります。11月の上京楽しみにしてます。今度は東京で遊びましょう。

いつものように離陸と同時に「蒸気でアイマスク」を装着して、この二日間の寝不足を補う離陸から約1時間余り過ぎた20時過ぎ、羽田への着陸準備が始まり、真下に打ち上がったディズニーシーの花火を見下ろす。定刻より10分遅れて羽田空港に到着である。東京も暑かった・・・体重も増えていた・・・さあ遊びモードもこれで一旦終了である。

熊本では売っていないとの事だったので空輸したドクターペッパーを車の後部座席に置いておいたので忘れないように

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・熊ナイト

2011年09月24日 09時37分45秒 | 美味しい話

熊本へ移動したが、タイトルはそのままで行こう。このシリーズも本日を含め残りあと三回。もうしばらくお付き合いを・・・

昨年の二月の時はまだ工事中だった熊本駅がかなり綺麗になっていた。駅前から市電に乗って市街地へと向かう。長崎よりはシンプルな路線なので「健軍町行き」を確認して乗り込む。この日三回目の市電乗車である。ちなみに熊本の乗車料金は150円。熊本の方が長崎よりも頻繁に電車が行き交っている気がする。

10分程乗車し、多分ここが一番ホテルに近いと思われる停留所で下り、熊本城を横目にホテルへと向かう。もうかれこれ三度目の訪熊なので大抵の市街地の道は把握しているので頭のナビを使うまでも無く、スラスラとチェックインを済ませる。荷物を部屋に放り投げ、浴槽にぬるめのお湯を張り、ほぼ全裸に近い状態でベッドに横たわる。顔が長崎焼けでチリチリと痛い。すると集合時間まであと30分の時点で友人からの電話が鳴る。嘘ぉ~んもうホテルのロビー?部屋番号を伝えて部屋に招き入れる。ドアを開けると以前よりすべてにおいてさらに濃くなった気がする友人が笑っている。熊本のキャラクター「くまモン」のモデルはきっと彼なんだろう・・・街を歩けば子供達が彼に寄って来るかも知れないな。実写版・くまモン・・・

(余談だが東京に帰った翌日からロンドン五輪出場権を目指し、U-22日本代表の合宿が熊本県内で始まった。新聞を開くと見慣れたくまモンが永井と一緒に映っていて、つい「おぉ~くまモンだ」と叫びそうになった)

突然の時間繰り上げに、慌てて準備を始めて街へと出る。長崎も暑かったが、熊本はもっと暑い。私にとって熊本のイメージはやはり「いつも暑かぁ~」である。友人が予約してくれた店には少しアクシデントがあって行けなかったものの、代わりに連れて行って貰ったお店の刺身がまあ~美味しいこと・・・

【きびなごの刺身】

【真鯛の刺身】

乾杯ビールが美味い、刺身も美味い。いつものように会話が止まらない。時間を惜しむかのように高速トークが続き、笑顔ばかりでしわくちゃになりそうだ。この夜は友人にすべてお任せなので、熊本の知人が経営している店を始めいろいろと連れて行ってくれた。ただ方向感覚が少し苦手な友人なので何度か途方に暮れていたが・・・

移動途中で飲み屋さんが「中一階」「中二階」に分かれてびっちり入っているビルを横目に、彼の背中を追い掛ける。あれ?もしかしてまた迷ってる?

途中でタレント・スザンヌの母親が経営するキャサリン's BARを教えて貰い、窓越しに次女マーガリンに手を振ると笑顔で返してくれた。あの子はええ子や・・・

もう何軒目なのか覚えていないが、最後に連れて行って貰ったお洒落な居酒屋さんでヨーグルト風味?のほのかに甘い嶺岡豆腐をつまむ。日本酒を飲まない私に友人おススメの「れいざん・麗酒爽快」を頼んでくれた。これがねぇ~物凄く飲み易くて美味しかったついつい追加注文してしまうが、気が付けばもう時計は午前3時を過ぎいてお店の閉店時間を過ぎていた・・・ごめんなさい・・・こうしてあっという間の9時間宴会は夢のように終わった。楽しくて美味しい夜は不思議と酔わないんだな~とホテルに帰る道すがら照明も消えた熊本城に向かってポツリと呟いた。

部屋に戻るともう4時・・・もう最終日になっていた。

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・東山手~さらば長崎

2011年09月23日 09時54分45秒 | ひとり旅の話

クラバー園から先程下車した石橋電停を通り過ぎ、東山手方面へと北上する。残りの体力がかなり減っていたので孔子廟は残念ながら横目でちらっとチェックして、そのままオランダ坂へと入る。私の計算だとグラバー園から下ってずっとそのままオランダ坂も下って、中華街へと抜ける「下り一直線」だと思っていたが、オランダ坂はどちらから行っても上って下ることになっていた。「げぇ・・・ずるいぜオランダ坂」と勝手な思い込みながら恨めしそうに坂を見上げる。

登り口のすぐ横に市指定有形文化財である東山手洋風住宅群がある。明治20年代後半頃に造られた外国人向けの賃貸住宅群である。

ただ・・・もうこの頃にはかなり干からびていた・・・ゲームならばパワーがすっかりレッドゾーンで警告音がビービーと鳴っているだろう。ライフの取り方が分からない・・・道を訊ねても唇が乾燥し切っていて、上手に喋れない。そのうち蜃気楼が見えてくるんじゃないか?と思うほど疲労困憊していて、景色もどこかうわの空で、新地中華街もパスして、預けた荷物を取りにホテルへテクテクと向かう。

朝に来た丸山公園の日陰のベンチ腰掛け、龍馬像に長崎の感想を語りかけながらしばし小休止。公園近くの寛永元年(1624)三代将軍家光の時代に創業した老舗店・福砂屋本店でカステラを購入する。天皇陛下にも献上している名店で店先で出された冷たい緑茶をごくりと一気に飲み干す。体中に染み渡るがおかわりは出て来なかった・・・。この時点で14時過ぎ。特急の出発時間までもう1時間しかない。少し早歩きでホテルに預けた荷物を取り、午前中は乗れなかった市電で長崎駅へと向かう。駅ビル内で遅めのランチを食べる。出発時間まで30分を切っているがビールを追加注文しちゃおう。

汗だくのシャツは冷房ですっかり乾いているが、ベタつく皮膚はそのままなので恐らく周囲にはかなり迷惑を掛けていただろう。でも持参した汗拭きシートで体を拭く気力も無く、重くなった荷物を肩にぶら下げ、発車直前の特急かもめ30号に倒れこむように乗り込む。楽しみにしていた車窓の景色を眺めること無く、約1時間半の新鳥栖駅までただただ夢の中

到着時間が遅れ、新鳥栖駅からダッシュで新幹線のりばへと移動する。もう汗が滴り落ちても気にしない。「汗臭かろぉ?」と下手な九州弁を呟きながら九州新幹線さくらに乗車する。わずか30分で熊本なので乗り過ごしたらめでたく鹿児島入りして、西郷どんと会う事になるので、目を強く見開いた状態のまま熊本駅へと到着した。気温は長崎と余り変わらないのだが、熊本の方が暑く感じる。

さあ間もなく楽しい宴会が始まるぜぇ~

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・大浦天主堂~グラバー園

2011年09月22日 09時30分15秒 | ひとり旅の話

軍艦島上陸ツアー終了後、すぐにターミナルビルの自動販売機へ駆け込み、ゴクゴクと水分補給。あぁ~うまか~ほんの少し元気が出た。

ターミナルから歩いて「市民病院前」市電停留所まで向かい市電に乗る。ちなみに市電の停留所の事は「電停」と呼ぶらしく、表記は「市民病院前電停」である。また乗車料はどこで乗って降りても120円である。

わずか3駅で終点の石橋電停で下り、坂道を上り日本初の「斜めに動く」斜行エレベーター「グラバースカイロード(無料)」に乗り数分で到着。次に垂直エレベーターに乗るとグラバー園第二ゲートが目の前である。

ただ第二グラバー園から入場してしまうと、園の脇にある作家遠藤周作が散策したと言われる祈念坂が見れないので、ここからは入場せず祈念坂を下る。ここは映画「解夏」の主人公の実家が画像右側がある設定で何度もここを右折するシーンが登場する。長崎らしいいい感じの坂であるが、地元の人たちの生活は本当に大変だろうな~と思う。

祈念坂から大浦天主堂へ入る。本日三つ目の「国宝」で1864年に建てられた現存する日本最古のキリスト教木造教会。堂内は荘厳な雰囲気でステンドグラスはやはり美しかったが、堂内は撮影禁止の為、外観のみを撮影すると、不思議な事にステンドグラスと思われる光が映り込み何とも神秘的な画像となったちなみに実際にここで結婚式を行えるそうで、それを見た観光客が「これは何かの撮影ですか?」と訊ねられる事があるそうだ。

このあたりでかなりぐったりして来たが、頑張ってすぐ隣のグラバー園第一ゲートから入場する。野外エスカレーターが心から嬉しく感じる。トーマス・ブレイク・グラバーとは炭坑・造船・鉄道など日本の近代化に多大な功績を残し、明治維新を推進した薩摩・長州・土佐などの各藩を支援した人物である。ちなみに軍艦島の隣の高島にはグラバー別邸があり、その裕福さは当時にしてもかなり桁違いであることがわかる。

グラバー邸の中には、倒幕派の志士たちをかくまう為の隠し部屋がある。龍馬もここに隠れたとされている。

ビール会社も発足させたグラバーは、自宅にあったこま犬を麒麟の初代ラベルに使用されたと言われており、麒麟の髭はグラバーの口ひげを元にしたとのこと。今ビールを飲んだらもう動けないだろうな~と唾をごくりと飲もうとするが、唾さえ出てきやしない・・・ この時点で13時過ぎ。長崎駅発の特急乗車時間まで2時間しかない。少し急がねばでも足が重いッス・・・

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今季三大会目

2011年09月21日 09時00分00秒 | バレーボールの話

【本日は連休最終日。予告投稿にて】

そう言えば長崎ツアーの前日に秋季大会が開催されたんだっけ・・・

また負けた・・・

今年6戦全敗、得セットわずかたったの2セット(失セット12)。

昨年から続く連敗も7まで伸びた。

連敗記録の9まであともう少しで肩を並べる。

体育館改修工事の都合で、来月の大会で年内の大会は終了する。

果たして今年未勝利のままで終わるのか・・・

勝つって何?ねえねえ誰か教えてよ・・・

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五件目・・・

2011年09月20日 09時00分00秒 | ニュースの話

【本日は連休初日。予約投稿にて】

 

七月以降、五件目・・・う~ん・・・

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・軍艦島

2011年09月19日 09時45分23秒 | ひとり旅の話

ホテルをチェックアウトし、市電に乗って今回のメインイベントである「軍艦島上陸ツアー」へと出掛ける。しかしなかなか市電が来ず、時間が迫って来たのでタクシーを拾い、乗り込んだところで市電がやって来た・・・  

では軍艦島をもう一度おさらい・・・「軍艦島」とは、長崎港から南西約19kmの海上に浮かぶ孤島「端島」の通称。1890年(明治23年)から三菱の経営によって主として八幡製鉄所に向け製鉄用原料炭を供給し、日本の近代化を支えてきた海底炭坑の島である。当初、この島は、草木のない水成岩の瀬にすぎなかったが、採掘技術の発達とともに、島の周辺を埋め立てながら護岸堤防の拡張を繰り返し、今日の島の形状となった。炭坑の開発と並んで従業員のための住宅の建設が盛んに行われ、1916年(大正5年)以降高層鉄筋アパートが、次々に建設された。最盛期5,000人を超える人口を擁した高層鉄筋アパートが島内に林立して、さながら海の要塞の観を呈し、軍艦の「土佐」に似ているところから「軍艦島」として知られるようになった。昭和30年代後半から、エネルギー改革の嵐を受け合理化が進み、1974年(昭和49年)1月15日閉山、同年4月20日に無人島となった。(今回乗船した「やまさ海運㈱」ホームページより。ちなみ1997年に上陸ツアーを初めて行ったのがこの会社である。)

午前9時、長崎港ターミナルから片道約60分、上陸約60分の約3時間の「軍艦島上陸ツアー」の始まりである。天候や波の具合によって上陸出来る確率は2/3とのことだが、私は最初から1/3になることは考えてもみなかった。出港してから女神大橋、三菱重工100万トンドック、伊王島大橋を通り過ぎ、しばらく景色を眺めているとすると遥かかなたに軍艦島が見えてくる。文字通り「軍艦」である。その昔、実際に軍艦と見間違えられて魚雷を打ち込まれた事があるそうだが、これには納得の形状である。

船が岸壁に少しずつ近づく。開店前のおば様のように胸を躍られて船の出口付近で上陸の準備に入る。島内には日陰が一切無いとの事なので、船で無料貸し出しの麦わら帽子を借り、小学生以来の麦わら帽子着帽姿で百名近い乗船客の中で一番上陸をした。島の入口の門には施錠がされていて、まるで監獄島に入れられるかのように島内へと進む。

見物客は3班に分かれ、3つある見学広場へとそれぞれ分かれる。私たちは第一見学広場からのスタートである。画像上の右奥に見えるのが端島小中学校で、1~4階までが小学校、5~7階までが中学校、6階には講堂、図書館、音楽室が設けられていたそうだ。また隣接している左の建物は体育館や給食施設で、給食を運ぶ島で唯一のエレベーターがあったとのこと。

高台にそびえ立つ3号棟アパート。この建物だけ「内風呂」が付いており、「高級マンション」と呼ばれていた幹部クラスのみが使用出来るアパート。一般の鉱員さんたちは様々な気持ちでこの建物を見上げたのだろう。

第二見学広場へと移動。総合事務所と竪抗坑口桟橋跡。ここが島の中枢部である。画像中央の穴の部分に共同浴場があり、海面下1000m以上で採掘し、気温30℃湿度95%の悪条件の中、8時間3交代の24時間フル作業で採掘した白い部分が白目と歯だけの真っ黒に汚れた海底炭鉱員たちが第一の海水浴槽に着衣と靴を履いたまま入り、順番に汚れを落としながら合計3つの浴槽に入浴して行ったそうだ。それにしても日差しが辛い・・・本当に日陰が無い。麦わら帽子が無かったら大変な事になっていただろう

第三見学広場へ移動。右が1916年(大正5年)に建てられた日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートで別名グラバーハウスと呼ばれる鉱員社宅の30号棟。内庭には明かり取り用の吹き抜けの廊下と階段があった為、台風時にはかなりの雨が入りこんだそうだ。左も鉱員社宅の31号棟で、地階には一般用の共同浴場や郵便局、理髪店も設置されていたが、岸壁に面しており、島の中央にある炭坑設備を守る為の防波堤としての役割も担っていたとのこと。この島では「人<炭坑」だったようだ。約100年前の建物なのにまだしっかりしている事に感動する。

1958年(昭和33年)に完成したプール。閉山1~2年前まで海水を使用しており、小魚と一緒に泳ぐ事があったそうだ。当時の軍艦島はそれはそれはかなり裕福で、まだ高価だった家電の普及率が100%になったほどで、家賃や水道代は無料だったそうだ。島内には病院は勿論の事、映画館やパチンコホールや飲み屋などの娯楽施設もあり、この島だけ十分生活が出来たが、火葬場だけが無かったそうだ。子供たちが元気に駆け抜ける足音や、好景気の鉱員たちの笑い声が聞こえて来そうである。 

小さい頃、近所には必ずと言っていいほど廃墟があり、そこを秘密基地にしたり、かくれんぼをしたものだ。軍艦島にはそのワクワク感がたくさん詰まっているのだが、栄華を極めた島民たちが閉山と共に島を離れる時に見たであろう帰りの景色を眺めながら、少しだけ複雑な気分のまま船はターミナルへと到着した。何だか悲喜こもごもである。

【おまけ①】もし軍艦島ツアーに参加するのであれば、船の進行方向右側の窓側がおススメである。遠くから軍艦島が一番に見えるし、島をぐるりと回る時もずっと見ていられる。

【おまけ②】船内には自動販売機がないので、夏に行くのであれば水分確保は欠かせない。私は1/3残ったペットボトルを持って乗船し、行きの途中で飲み切ってしまい、帰りはもうカラカラ状態だった・・・ 船内に自販機があれば1本500円でも購入するだろうに・・・

【おまけ③】B’Zのシングル「MY LONELY TOWN」のPVは軍艦島で撮影されている。これはなかなかいい感じである。 

【明日20日(火)~21日(水)は連休となります】

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・国宝・崇福寺~興福寺

2011年09月18日 09時37分45秒 | ひとり旅の話

大通りを横切ると曲がり角にひっそりと「崇福寺(そうふくじ)」があった。

九州には国宝が5つあり、そのうち3つが長崎にあり、そのうちこの崇福寺だけで2つ(大雄宝殿・第一峰門)もある。「国宝の宝石箱だぁ~」と心の中で叫びながら門をくぐる。

階段を上ると最初の門である「第一峰門」がいきなり国宝である。 特徴は門上部にある複雑な組み方の軒裏でこれが国内はおろか中国でも珍しいらしく国宝のポイントとなっているそうだ。

そしてさらに階段を上ると二つ目の国宝である本殿「大雄宝殿」(だいゆうほうでん)が見えてくる。こちらは長崎に現存する最古の建物だそうで、特徴は軒回りの「擬宝珠付き垂花柱(ギボシツキスイカチュウ)」とのこと。歴史の重厚感に圧倒される。その他にも 国指定重要文化財、県や市指定の有形文化財らを10以上も持つ文化財の宝庫だそうだ。(ちなみにひとつは大浦天主堂で、この日の午後に見学したので一日で3箇所も国宝見物が出来た)

その後、崇福寺通りから寺町通りへ向かうと、大光寺、発心寺、大音寺・・・とお寺が商店街のように並んでいて、その先にある映画「解夏」でも登場した「興福寺」を参拝する。通称南京寺と呼ばれる雄大な朱色の山門により「あか寺」としても親しまれている。

 

劇中に登場する「百日紅(さるすべり)」の花を「こ、これだっけな~?」と自信なさげに確認するが、後で調べると劇中の百日紅は美術スタッフが用意したものとのこと・・・(今回参拝したふたつのお寺はまだ参拝時間前だったようで拝観料を支払う術が無く、その分多めにお賽銭を投げ入れた。) 

それから朝の眼鏡橋を再確認する。ちゃんと「眼鏡」になっている。何とも美しい橋である。

開店準備を始めている商店街を抜け、1600年代に長崎奉行所により火事対策として作られた人工の川・ししとき川を横目に、ホテルに戻り朝食を食べ、いよいよ今回のメインイベントである「軍艦島ツアー」へ出発である。 

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・花街丸山界隈

2011年09月17日 09時55分40秒 | ひとり旅の話

目ざましをセットするがその前に目が覚めてしまった。午前5時・・・気合の入れ方が違うぜ。

街をぶらぶら歩き回ることを長崎弁で「さるき=さるく」と言うそうだ。長崎の歴史は1571年ポルトガル船が来航して以来、長崎港を中心にすべてが始まった異文化との調和と海と山と坂に囲まれた街である。まずは日本三大花街のひとつであるホテル界隈の丸山から「早朝さるく」を開始する。

 花街丸山へ入口である門前橋「思案橋跡」を「行こか戻ろか思案橋~」と口ずさみながら、丸山公園の坂本龍馬像と対面する。  

それから丸山本通りを進む。「長崎ぶらぶら節」でも登場する名妓・愛八が所属していた長崎検番や坂本竜馬伊藤博文、高杉晋作、勝海舟、シーボルトなどの多くの著名人が愛し、龍馬の刃傷が残る史跡料亭・花月が並んでいる。花月は現在も営業中である。数々の偉人たちが歩いた道を自分が歩いているのは何だか不思議な感覚である。耳を澄ませば愛八姐さんの三味線や遊興のさんざめきが聞こえて来そうだ。ちなみに花月は現在も営業しており、大事な接待ではよく利用するそうだ。

「長崎に丸山といふ処なくば 上方の金銀無事に帰宅すべし(長崎に丸山という場所さえ無ければ、おエライさん方も金を使わないで無事家に帰れただろうに)」と井原西鶴に詠まれるほど当時の丸山がかなり賑わっていたことを物語っている。

 

検番の横から緩やかな坂道の梅園通りを上ると小さな「梅園身代り天満宮」を参拝する。

 

小説「長崎ぶらぶら節」で愛八姐さんが丸二年間お百度を踏んだ天満宮で、重要なキーワードとして登場する為、入口横に文学碑が建てられている。

車が通れないような細い道が迷路のように続く。朝刊を配達するバイク以外、殆ど人が歩いていない貸切状態の丸山に少しずつ陽が昇って行く。気持ちの良い朝が、道を掃くおば様との挨拶を自然にさせてしまう。

次は国宝・崇福寺(そうふくじ)へ向かう。

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長崎「ひとり」ぶらぶら節・長崎到着

2011年09月16日 09時32分23秒 | ひとり旅の話

羽田から距離にして983kmを新幹線の3倍、時速800kmで飛行機は21時過ぎに定刻通り長崎空港へと到着した。空港の外へ出るとムァーとした湿気が出迎えてくれた。バスに乗り込み、約40分で市街地へと移動する。高校生だろうか?野球グラウンドのナイター照明が暗闇でまばゆい。

長崎駅から市電またはタクシーでホテルへ行く予定だったが、どうも遠回りのような気がして、「ここだ」と思った停留所でバスを降りると見事に駅とホテルの中間点。フフフ不動産屋の勘ってやつだな。長崎初日はちょうど『第七回 中華街 中秋節』の最終日だった。中秋節とは中国の三大節句(他は春節、端午節)の1つで、日本では「お月見」として親しまれているお祭りとのこと。到着した時刻はすでに祭りは終わっていて、街には祭りの余韻はどこにも残っていなかった。

頭に叩き込んだ地図を参考に、チェックイン前に夜の眼鏡橋を見学しに行く。国指定重要文化財である眼鏡橋は(翌日参拝する)興福寺の住職が1634年に架設した日本最古のアーチ型石橋である。暗くてよく見えなかったが歴史の長さを物語るにはいい感じで闇夜に映えていた。ちなみに橋下まで降りられる。

市電が行き交う夜の長崎市街をホテルに向けてぶらぶらと歩く。頭の中のカーナビが「コノサキヒダリデス」と正確にホテルまで誘導する。福山雅治が通うことで有名な「思案橋ラーメン」を横目に汗ダラダラのまま、ようやく22時過ぎにチェックイン。シャワーを浴び、一服した後、遅くなった夕食を食べに街へと出掛ける。

地元で調査した結果、「あおさラーメン」がおススメとの事で、早速暖簾をくぐる。人の良さそうな若い店主が出迎えてくれて、色々と会話が弾む。あおさ(石蓴)とは海藻の一種で器の中に磯の香りが広がり、店主の複雑な人生とは真逆のあっさりとした味わいだった。

さて明日は早朝から行動するぞぉ~っと

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