東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業49年を迎えました不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

選手権大会

2006年10月31日 09時25分15秒 | バレーボールの話
先日の日曜日に今年最後の大会があった。この大会は年に一度、一部二部に関わらず区内で一番を決める大会である。

今年は本当に不本意な一年であった。ここまでわずか一勝のみで、過去最悪の戦績であった。原因は色々あるだろう。私を筆頭に高齢化が進み、体力低下はもちろん、粘り弱くなりあっさりと諦めてしまう事が多くなった気がする。

そして臨んだ大会。最後位は少しは来季に繋がる戦いをと思って臨んだが・・・
完敗だった・・・
自滅だった・・・

これから来春までシーズンオフに入る。
この四ヶ月でどこまで建て直せるか?
まだまだ進化中だと信じつつ・・・

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ハロウィーン

2006年10月30日 09時32分25秒 | 不動産屋の話
当社で管理させて頂いている店舗物件が先日成約となり、この度開店することとなったので、お祝いの花を注文しに行った。

私はお花と言えば花久生花店さんをいつも利用している。お花もさることながらこちらの装飾はいつも素敵で独身時代から公私共々利用させて貰っている。

店頭にはハロウィーン仕様の鉢が飾られていた。今や日本にもすっかり定着したイベントであるが、当初は「花屋さんがなんでかぼちゃを売っているの?」と聞かれたそうだ。そして現在ではひとりで数鉢購入して飾る方も少なくなく、飛ぶように売れているとの事。
結構意外だ

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衛星放送

2006年10月29日 13時34分31秒 | 二代目のつぶやき

パラボラアンテナを設置してから二年が経過した。しかしテレビに内蔵されたチューナーの具合が悪く、映ったり映らなかったりを繰り返している。修理に出すよりは次回テレビを買い換えるまでは我慢しようと考えていたが、テレビの調子は良いので何となくそのまま二年が経過した。

この「チューナー君」は長時間見ていると疲れるようでメジャーリーグ中継もゲームセットまで見れることはほとんどなく、録画した映画も完全に録画出来る確立は非常に低く、途中から砂嵐になったりするので、最近では録画し終わるとまず早送りで最後まですべて確認して、駄目ならばそのまま消去し、撮れていたなら再生するようにしている。それでも途中で音声が途切れていたりする。



しかし慣れとは怖いもので、最近では録画されていなくても大して腹も立たなくなった。「今日はチューナー君の機嫌はどうかな?」と撮れたらラッキー、撮れなくても当たり前と今日もまた録画を試みるのである。

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狭っ!

2006年10月28日 10時15分58秒 | 不動産屋の話
オーナーさん宅の階段は何とも可愛らしい幅である。私はいつもここを少し斜めの体制でトントントンと登って行く。

ちょっとしたガリバー気分が何ともいい感じ

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秋葉原は変わった

2006年10月27日 09時17分35秒 | 街の話
仕事で秋葉原へ行った。新小岩駅からは6つ、12分の距離である。
昨年つくばエキスプレスが開通し、駅前にはヨドバシカメラが出来、東京の情報技術の発進地として、劇的に変貌を遂げた。

中学生の頃は、わざわざレコードを買いに石丸電気まで来たものだ。買うと必ず何かオマケが付くのでそれが嬉しく、またポイントを貯めると景品にも交換して貰えた。また裏路地には大小様々な店があり、買いもしないが無料で試聴したり、品切れのウォークマンを探し歩いたり、色々と歩いて回ったものだ。

そして現在世界に誇る電気街・秋葉原はご存知の通りの街となり、メイドの格好をした女の子たちが至る所に出没しており、どうも私には歩き難い街となってしまった・・・

(画像はT氏提供)

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漢字書き取り

2006年10月26日 09時22分26秒 | 二代目のつぶやき

先日の『漢字検定』の掲示を読んだ現在地元神戸で小学校の先生をしている元バレーボールチームメイト(K先生)からメールが届いた。メールでは簡単にどのような方法で書き取りしていたのかを説明したが、当時の担任の人となりや詳細を併せて説明しよう。

小学校5~6年の時の担任「サダコ」先生はとにかく厳しくそして怖い先生で、生徒が悪さをすると緑色のプラスチック製の細い棒を鞭のようにしならせて、空気をするどく切りながら男女問わず生徒の裏太腿を叩いたものだ。今の体罰禁止の「お優しい」時代では考えられないことだが、ほぼ毎日のように友人が餌食になっていた。でも叩かれても仕方がないようなことをしていたので、それが問題になるようなことはなく先生と生徒のルールが確立されていたのだろう。親に知られるとさらに怒られるので足にアザがあっても隠していた時代だった。(今もその当時の友人に会うと、その鞭の話となるのだが、私はあまり叩かれた記憶がないいい生徒だったのか?要領の良い生徒だったのか?)

宿題は毎日漢字の書き取りと自由課題の2点セットだった。自由課題はあまり記憶がないのだが、漢字は確か200マスのノートを2ページ計400マスがノルマだったと思う。国語の教科書の後ろに小学校で習う漢字一覧が低学年から順番に掲載されており、それを一文字ずつ順番に熟語にして一行を埋める。埋めたらまた次の漢字を書いて行く。この繰り返し・・・(例:漢字が『田』の場合、田園・田園・田園・・・で一行。そして次の漢字)

つまり一日で20行なので20個の漢字の熟語を毎日毎日20種類書いて行く。低学年の漢字は一とか二と画数の少ない簡単なものなので、サインを書くようにサラサラ~と早く終わるのだが、学年が上がるほど画数が増え非常に時間が掛かった。だから六年生の漢字を「卒業」してまた低学年に戻る時は、本当に嬉しく、帰り道もどこか軽やかだった記憶がある。
また同じ熟語を毎回やっていると飽きるので熟語を色々変えてみたりもした。(『明』の時に、当時流行していた漫画ドカベンの高校名『明訓高校』と書いたりした)この熟語が結構重要で、ただ漢字一文字だけならばそれほど頭に入らなかったかも知れない。

そして途中から「土曜日の宿題を全員忘れなかったら、日曜日の宿題はなし」と有り難い制度が導入された。だから土曜日の朝、登校すると先生が来るまでにクラス全員で宿題のチェックをした。忘れた生徒が居た場合は、それはそれはクラス中からブーイングの嵐となり、忘れた生徒は一時間目終了までにせっせと隠れて宿題をしていたものだ。(一時間目が体育の時はどうしていたのだろうか?)

それにしてもそのクラス全員の宿題を先生は朝預かり、帰宅時間までにすべて添削して生徒に返してくれた。その労力たるもの本当に大変だったと今になって改めて思う。そのおかげで今もそれなりに漢字については自信がある。



私にとってあの先生は数少ない恩師のひとりかも知れない。先生あなたは本当に素晴らしい先生でした

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山形初上陸・その5

2006年10月25日 09時21分51秒 | 街の話
ホテルの朝食バイキングにも「いも煮」が並んでいた!さすが山形!私はこの牛肉と里芋の素晴らしき組合わせである「いも煮」がとても好きで昨夜も含め数杯頂いてしまった。

朝食後、米沢まで車で移動した。かのジョン・F・ケネディが「最も尊敬する日本人」と言わしめた江戸時代の名君・米沢藩九代藩主上杉鷹山公が築き上げた城下町、上杉謙信公を祀る上杉神社や上杉家廟所などをを見学し、昼の米沢牛と共に「上杉家」を堪能した。

そして米沢駅15時発の新幹線に乗る前に、お土産を探す。前夜妻からの要望で「ニッポン旅×旅ショー」で登場した「峠の力餅」なるものを探すが、売店には販売しておらず駅近くの店へ直接買いに行った。そして娘からのリクエストのあったご当地キティーちゃんを探し、「だだちゃ豆キティー」を発見した!枝豆の房の中の豆が三つキティーちゃんである珍しい物だったが、首だけが三つ並ぶ少し不気味なキティーちゃんより無難に花笠キティーを購入した。しかし画像で見せただだちゃ豆バージョンの方が反響は良かった・・・

駆け足の二日間であったが、なかなか「美味しい山形」だった。

最後に今回は山形入りはあくまでも「仕事」である。そう言わないと自分でも忘れてしまいそうだから・・・

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山形初上陸・その4

2006年10月24日 09時24分40秒 | 街の話
会議出席後、時間があったので「山寺」へ行くことになった。

山寺とは貞観二年(西暦860年)に開山した正式名称「宝珠山立石寺」のことで、みちのくを代表する霊場として広く信仰を集めてきた。

また松尾芭蕉がここを訪れた際にあの「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」と詠んだ場所で、約1000段もの石段を登りながら山の中腹・山頂に点在している寺院や奇岩、樹齢を重ねる杉小立を見て回ると言う拷問のような立地条件であった。

軽い気持ちで登ろうと思ったものの、これがキツイのなんの・・・同行していた同業者さんも次第に無口になって行く。一段一段煩悩を無くしていくらしいが、登っても登っても上が見えず、階段だけが無機質に連なっている。
しかし木々を吹き抜ける風が気持ち良く、重い足取りながらあの芭蕉が登ったであろう階段を一段一段確実にゴールを目指した。

そして約30分後に山頂から見た景色は何とも清々しいもので、私の煩悩はすっかり消去されたようだ。多分・・・

そして帰りは帰りでキツく、転げ落ちそうな恐怖と戦いながらゆっくりと降りた。途中で登って行く参拝者に「あと三時間は掛りますよ~」などとエールを送りながら、再び戻ったスタート地点ではもう足がガタガタだった。

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山形初上陸・その3

2006年10月23日 09時23分58秒 | 街の話
山形は初上陸なので山形新幹線も当然初めて乗車した。
狭い!遅い!と噂では聞いていたが、実際車内は二列・二列で通常よりも一列狭く、対面座席にすると前の人と膝がぶつかる程だ。山形駅までは約三時間。途中で切り離しや踏み切りもあり、少し遅く感じた。

お昼前に初めて山形県に足を踏み入れた。北の地というだけで寒さを予想していたが、この日は快晴でうっすら汗をかくような気候であった。昼食に名物山形そばを食べた。山形の食べ物と言えば「さくらんぼ・ラフランス・山形牛・いも煮」などが有名だが、さて今回はどれだけ実食出来るだろうか?

でも今回はあくまでも仕事で行っている私である。本当だってば・・・

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山形初上陸・その2

2006年10月22日 10時00分35秒 | 街の話
一服終え、集合場所へ向かう。その喫煙スペースのあるホームには車止めがある。

その昔、上野駅が終着駅だったことがうかがい知れる光景である。

すべてはここから始まったのだろう。

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山形初上陸・その1

2006年10月22日 09時55分55秒 | 街の話
仕事で山形まで行った。朝八時発の新幹線つばさに乗る為、上野駅へ向かう。

昔は新幹線により上野駅発着のものがあったので、スキーへ行く時などはよく利用したものだったが、最近はほとんどの新幹線(全部?)が東京駅まで乗り入れているので上野駅の新幹線ホームへ行くのはもう十何年ぶりである。(もちろん今回の新幹線も東京まで乗り入れているが、都合により上野駅から乗車)

新幹線のりばの入口が集合場所であったが、時間があったので一服しようと喫煙所へ行った。人込みを抜け指定されたホーム中ほどにある喫煙所は、周りのラッシュアワーの喧騒がまるで嘘のように静まり返っており、人が全く居ない。見上げるとこのホームはかなり年季が入っているようだ。

でも何だか好きさあ一服したら出発だ

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漢字検定

2006年10月21日 09時39分19秒 | 二代目のつぶやき
ニンテンドーDSのソフト『漢字検定』を買った。
漢字は小学校5~6年の時の担任がとても厳しく二年間毎日書き取り宿題を出されたおかげで今もそこそこ自信はある
検定と謳っているだけあり、毎日一回検定テストを受けることが出来、現在順調に合格を積み重ねている(一日一回しか検定が出来ないので現在5級)。しかし最近のパソコン使用で漢字の「細部」が非常に自信がなく、ついゴニョゴニョっと続け字で誤魔化してしまい、無理やり判別させてしまう。

年齢を重ねると達筆になるのは、こんな所にも原因があるのだろうか?

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街の風景~宅建編

2006年10月20日 06時28分14秒 | 街の話
宅建試験会場へ向かった朝。上野駅から上野動物園の脇を抜け、芸大を通り過ぎ、池之端近辺を歩いた。なかなか風情のある街並みに一際目立つ芸術的な建造物。

お~なかなか奇抜だ。

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黒板の掲示~宅建編

2006年10月19日 06時30分15秒 | 不動産屋の話
宅建試験会場の高校の教室は、昨年はほうきで教室内を掃いたものだったが、今年私の担当した教室
はとても綺麗で掃除は不要であった。黒板にはちゃんと本日のことを予告してあったおかげだろう。

ふと横の掲示を見ると・・・担任は少しご立腹のようだ。早く行きなさい!

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宅建試験監督員

2006年10月18日 09時56分51秒 | 不動産屋の話
先日昨年に引き続き宅地建物取引主任者資格試験の監督員のお手伝いをした。担当教室の設営、注意事項の説明、試験問題や解答用紙を配布、質問事項への応対等仕事は多岐に渡り、かなり忙しい。また年に一回のこの日のために勉強して来た受験生たちが快適に受験出来るように配慮しなければならないので、それはそれはかなり神経を使う。
今回の担当は40名のクラスである。開始30分前に問題用紙等を抱え教室に入る。教壇へ立つと80個の視線が一斉に私に注がれる中、少し緊張で声が上ずりながら説明を開始する。昨年は手際が良過ぎて、全くやることが無いまま視線を浴び続けた辛い反省を活かし、極力ゆっくり丁寧に進行したせいか、比較的タイミング良く開始のチャイムが鳴った。
試験は110分。その間に出欠席を確認する。替え玉受験を防ぐ為、受験票の写真と本人を見比べるのだが、かなり古い写真を使用している方も居たり、女性は髪型が変わっている方も居たりとなかなか判断が難しい。そして試験終了を告げるチャイムが鳴った。ようやく緊張から開放される。その後、学校内に設けられた本部室へ解答用紙を提出し、出欠席者の照合、後始末をした。

それから慰労会で軽く飲んだが、その夜は12時間も眠ってしまった。あ~疲れた。

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