今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

風邪のため完全オフ

2018年04月28日 | 健康

あろうことか今週また風邪をぶり返してしまった。
”風邪”とは、”風寒の邪気”の侵入を受けてしまうこと。
欠勤するほど重症ではないが、微熱気味で、節々が痛く、鼻水が溜まり、
時に汗だくになってしまい(これらは、肺を中心とした”肺経”がやられている症状)、授業をやるのがつらかった。

なので、 GW初日である今日土曜は、完全オフにする。
すなわち、不要な外出を控え、家に篭って療養する。
本当はこの週末、名古屋に居るので、近場の山に行こうと思っていたのだが、取りやめ。
天気がいいので布団を干し、シーツを洗濯し、
たまった本を読むことにする。 

結局、3月下旬から1ヶ月間ずっと風の邪気が抜けなかった。
これほど風邪が長引いたのは初めて。
といっても身体の健康レベルが下ったためというわけではない。
以前のように熱を出して寝込むような重症化には至らないから。 

ひとえに油断だ。
私が風邪を引くパターンは、明け方の一番冷える(風寒の邪気が最も活発な)時に、
それを受け入れるかのように布団をはだけてしまって、肩あたりを冷やしてしまうため。

これを今週もやってしまった。


高水三山をクリア

2018年04月22日 | 山歩き

大学時代山岳部だった私が、こともあろうに腸脛靱帯を痛めて”下山”ができない脚になってしまった。
誠に低レベルで恥ずかしいことに、山歩きのスタートラインに戻って、都民が小学校の遠足で行く高尾山(599m)を無事に下山できた。
次なる目標は、登山に目覚めた都民が登る奥多摩入門の山、高水三山である。
もちろん中学の時に登山に目覚めた私は、中学生の時にすでに三山巡りよりハイグレードの岩茸石山から棒の折山まで遠路縦走している。
だが、2014年の三山巡りの下山路で腸脛靱帯炎を発症させてしまった→記事。 
それゆえ現在の私にとって、高水三山は登山限界を超えている。 

実は高尾山の下りをクリアできたのは、 ZAMSTの腸脛靱帯専用のサポーターのおかげ。
このサポーターを装着すれば、現在の登山限界を超えられるのではないか。

高水三山は、奥多摩の入口の青梅寄りに鎮座し、しかも登りも下りも駅に直結しているので、気楽に行ける。

まず、運賃節約のため、 JRを通しで使わず、高田馬場で西武新宿線に乗り換えて拝島に行き、そこからJR青梅線に乗る。
高尾以遠に行く時は京王線で高尾まで行き、拝島以遠に行く時は西武線を使う方が運賃が安く、時間もたいしたロスにならない。
運賃については昔からだが、Suica導入によって違う会社線の乗り継ぎが楽になったのが大きい。 

青梅線は、奥多摩に行くにはたいてい青梅で乗り換える必要がある。
ただ青梅駅はホームにトイレがあるので、乗換え待ちの間にトイレを済ませれるのがありがたい(私は確信的ら抜き主義者)。

軍畑(イクサバタ)の無人駅に、電車の降車ボタンを押して降りる(山手線のつもりでじっと待っていてもドアは開いてくれない)。
駅前に1件だけある店には昼食用のおにぎりや菓子パンも売っている。
さて、他の降車客もみな高水三山を目ざすようだ。

新緑がまぶしい、というより夏のような日射がまぶしい(東京の私設本駒気象台では30℃を超えた)。
珍しい不動三尊(二童子)の石仏を右に見て(写真)、
高源寺の脇から、高水山の登りに入る。
樹林帯の下で、時折沢を横切る(ここで水を確保できる)。
涼しい風が通り抜ける稜線に出て、すらりと伸びた桧の植林の中を進む。
やがて右手に常福院の屋根が見えてくる。
高水山上にある寺だ。

高水山頂(759m)は樹林の中で展望は利かないが、その手前の開けた所から大岳・御前の奥多摩の主峰を仰げる(「仰げられる」という必要なし)
眺めのない高水山頂は素通りし、急坂を下って、のんびりした巻き道を歩き、岩茸石山へのつづら折りの登りを耐えれば、展望が北〜西に開けた山頂に達する。
真西の川苔山がボリュームたっぷりで、その左奥に東京都の最高峰雲取山(2018m)が顔を出している。
北にある棒の折山とその奥の武甲山を眺めながら、コンビニで買ってきた菓子パンとおにぎりを口に入れる。
周囲の団体さんはコンロに火をつけ、暖かい昼食を楽しんでいる。
実は今回、コンロを持参しようかと思ったが、セットするのに手が汚れるし、またどうせ火をつけても湯をわかすだけなので止めにした(朝夕はともかく昼は行動食なので火はいらない。身体が火照っているので、熱いコーヒーもいらないし)。

岩茸石山(793m)は三山の最高峰なので、ここからは基本的に下りに入る。
岩茸石山直下も急坂だが、その後は平坦な尾根歩きとなる。
三山最後の惣岳山の登りにさしかかる所に、家族連れらしいパーティがいて、その中の年配の女性が地面に横たわっていた(意識はある)。
両靴を脱いでおり、一人がその女性の下腿をマッサージしている。
また同行の男性が携帯電話で救助を要請していた。
一応声をかけてみたが、救助要請がスムースにいっているらしく、大丈夫だという。
最初は熱中症かと思ったが(それなら頭を扇ぐ)、脚の具合が悪そうなので滑って痛めたのだろうか。

惣岳山には山頂を迂回する巻き道があるので、怪我人を背負って登る必要はない。

さて、惣岳山の登りは急斜面の露岩帯で、両手も動員。
木に囲まれた平らな山頂(756m)には青渭神社があり、きれいに整地されて神社境内的な雰囲気(参拝する)。

いよいよ、ここから勝負の山下り。
標高差にして500m。

 左膝のZAMSTを締め直し、足が靴の中で動かないように靴紐もきつく結び直す。
前回はこの下りで腸脛靱帯が痛んでしまったのだ。

今回は、足の運びや着地に特に気を遣わず、あえて以前のように足の向くままスタスタ降りる。
若い消防隊員がフル装備で10人ほど急坂を登ってきた。
さきほどの女性の救助に向うのだ。
山中で倒れると、人力で下ろすしかない。
交替要員も必要で、屈強な男一人というわけにもいかない。

道はいちど平坦になり、駅に向っての最後の下り坂を降りる。
長い下りの後半になって、左膝あたりがややうずいてきた。
ただ痛みは潜在化されているので、普通に歩ける。 

山道を下りきり、とうとう下界に降り立った。
前回は、この先の青梅線の踏み切りを渡って御嶽駅に下るゆるい石段を、膝が痛くて降りれなかった。
今回は、うずきはあるものの、まったく普通に降りれる。

ゴールの御嶽駅に到着。
結局、痛みを感じることは一度もなかった。
あのサポーター1枚でこれほど違うとは…。 

前回私を泣かせた高水三山にリベンジをなしとげた。 
0からスタートした私は、超初心者段階を終え、登山限界であった入門段階(700m台の山)も今回クリアした。 
次は、900m台あたりか。 


ど忘れを思い出すまで

2018年04月19日 | 心理学

記憶現象の不可解さを体験した。

よく知っているはずのものをど忘れして、そしてそれを自然に思い出した。

そもそも私は鉱石の中ではアメジストが一番好きで、昔から原石などを持っており、今日は授業でスピリチュアルの話しを少しするためにパワーストーンであるアメジストのネックレスをして出校した。

その途中、学生にこの石の名を聞かれた時に答えようと、この石の名を思い出そうとしたが、全然出てこない。

思い掛けない「ど忘れ」に遭遇して焦った。
なんとか着く前に思い出さないと。

そもそもなんでこんな身近なものの名前をど忘れするんだろう。
しばらく縁遠かったとか、あるいは内心嫌いになっているとかだったら、説明がつく。
ど忘れというのは、忘却ではなく(なぜなら覚えていること(=保持)は確かだから)、それを意識の俎上に上らせる想起の最後の通路がなぜだか途切れてしまった状態だ。
記憶を成立させているニューロンの回路と意識の俎上との通路(ニューロンのつながり)が滞って、前に進まない感じだ。

だから、なんとかすれば思い出せる自信はある。
ただ、どうすれば思い出せるかが分らない。

記憶というのは、頭の中にどう貯蔵されているのかというと、互いの部分的共通点すなわち連想による順で並んでいると思う。

なのでまずは、石の名を思い出すため、その視覚像を表象する(持っている原石を思い浮かべる)。
そもそも首元に実物があるので、それを眺め、触ってみる。
だめだ、名が出てこない。

次は言語連想。
表象している視覚像から頭に浮かんでくる音韻を待つ。
ラ行が浮かんだ。
これを頼りにカタカナで連想されたのは「ラピスラズリ(瑠璃)」。
あとは「ラベンダー」。
ど忘れしている場合は、不正解はちゃんとわかる。 

リ、ル、レ、ロからはなにも出てこない。

とうとう大学に着いてしまった。
そしてすぐに授業。
幸い、私のネックレスを尋ねてくる学生はいなかった。

昼休み。
近所の店に買物に行こうと、校内の階段を降りて、玄関に向った。
目の前には薄茶の服を来た女性が立っていた。
その瞬間「アメジスト」であることを思い出した。
「ラ行」は無関係だったじゃないか。 

どうやら、ど忘れした原因は、アメジストに色が近いラピスラズリが意識上に陣取って、邪魔していたためのようだ。
実際、ここ最近はアメジストよりラピスラズリが気に入っていた。
でも邪魔するものかなぁ。

そして、思い出したきっかけもわからない。
連想法は、そもそもラ行が出て来た時点で失敗だった。
アメジストの”紫色”に色が近い”青い”ラピスラズリを誤連想させてしまったのは、ラピスラズリによる干渉の結果だ。

薄茶の女性とアメジストとの接点は思い浮かばない。
とにかく思い出そうと努力して、その努力の作業から抜けた時に、ふとなんの努力もきっかけもなく思い出すということがある。

もともと思い出すのに苦労するはずのものでないのだから、努力無く思い出してもおかしくない。

それにしても、何で忘れ、そして何で思い出したのか、自分で説明できない。
これらはシステム1領域の現象なので、意識(システム2)はあずかり知らないのだ。
かくも記憶って不思議だ。


”絵画史上最強の美少女”を観に行く

2018年04月16日 | 作品・作家評

表題の絵を観たいと、「至上の印象派展:ビュールレ・コレクション」は前売り券で買っていた。
会場の国立新美術館はうれしいことに月曜も開館なので、混雑を避けて行ってきた。

絵画史上最強の美少女とは、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」(画像は主催サイトの画面)。
あの横向きに座っている髪の豊かな美少女である。 
モデルとなった彼女は、なんと8歳。
小学校2,3年だから、少女というには幼なすぎる。
丁寧に描かれた髪の毛の質感がリアル。

観たい絵って、ずっと観ていたいので、立ち去るのに思い切りを要する。
そして、後ろ髪引かれているので、一巡した後、引き返して、今生の見納めとして、もう一度眺める。

この絵、本展一の目玉とあって、ミュージアムショップでは、彼女のお菓子や、 Tシャツ、リカちゃん人形、眼鏡拭き、アン・クリアファイル(中が見えないクリアファイル)など揃っているが、8歳の女の子の大々的な横顔が描かれたグッズをこの私が持ち歩くには、ロリコンだと思われそうな抵抗感に勝てず、部屋に飾る小さな絵はがきで我慢した。
ホントは持ち歩き用のチケットを入れるファイルを購入したかったのだが、人目をはばかって、ロートレックが描いたモンマルトルのスレた年増女性の絵にした(こちらなら私が持っていても違和感ないだろう)。

この個人コレクション、すごい充実ぶりで、印象派の前と後を含んで、西洋絵画が近代化・現代化していく過程がよくわかる。
すなわち、写真のようなリアルさが追究された印象派以前の絵(カナールの風景画、アングルの肖像画)から始まって、印象派(モネ、ドガ、ルノワールなど)を経由して、さらにセザンヌ・ゴッホを経て、ピカソに到る過程、すなわち写実画が解体していく過程が通覧できる。
形に閉じこめられていた色彩がまずは爆発して、光による視覚体験を再現しようとし、次に色彩によって解体された具体的形態が今度は形態そのものであることを主張して 、固定的視覚体験を解体していく。
その橋渡し的存在であったセザンヌの絵を見ていると、もう具象画である必要ないんじゃないの、言いたくなってくる。 
そして、キュービズムのブラックの絵「ヴァイオリニスト」は、完全にゲシュタルト崩壊※を示している。
この絵の絵葉書がなかったのが残念だった。

館外初出展=本邦初公開のモネの睡蓮の大作も見ごたえがある(この絵だけ、写真撮影OK)。 
東京での展示は5月7日まで。
その後”美少女”たちは福岡、名古屋を巡るらしい。 

※:構成要素は同じでも要素間の関係がくずれ、秩序立った意味のある形態に見えなくなる事。現代芸術(音楽を含む)の”わからなさ”の心理的理由。


比企の小倉城・青山城巡り

2018年04月14日 | 城巡り

新年度になって初の帰京。
今週から幼稚園に通い出した3歳の姪が、私の帰省を待ちわびていた。
私に「高い高い」をせがむので、重くなった姪を高だかと持ち上げる(そろそろ限界)。
それはいいのだが、女の子の人形遊びの相手をさせられるのはいささか閉口。

さて本題。
帰省したらゆっくり休みたい一方、なまった体を絞りたい。
日曜は雨らしいので、土曜に寝坊をしないで、比企(埼玉県の中西部)の山城巡り第二弾を敢行。

前回は菅谷城跡と杉山城だったので、今回は残りの小倉(オグラ)城跡と青山城跡だ(以後、〜城)。
どちらも駅から遠く、真に山の中の城でしかもその間は長い尾根歩き。
なので城巡りとハイキングの併用となる。 

小倉城に最寄のバス停(田黒)を通るバスの便は週末・休日は本数が少なく、
その便に合せるため、池袋9:30の小川町行きの東武東上線に乗る。

武蔵嵐山駅付近には店がなくバスの待ち時間もないので、東上線が川越を過ぎて、田園風景になり、
また車内の客がまばらになったのを見計らって、コンビニで買ってきた朝食用のおにぎりを頬張る
(京王線で高尾山に行く時もこんな感じ)。

武蔵嵐山駅前から予定していたコミュニティ・バスに乗り、「田黒」で降りて、のどかな風景の中、小倉城に向う。
城の東麓にある大福寺(城見学用の駐車場がある)付近は、新緑に覆われた周囲の大平山(179m)、正山(169m)がいい感じで眺められ、この地に「武蔵嵐山」の名称が与えられたのもうなずける(写真は大平山)。

さて、大福寺の右裏手から山に入る(登り口に城の案内パンフがある)。
小倉城のある山は郭(くるわ)1(本郭)のある最高点で136mなので、ほどなく郭が並ぶ尾根筋に出るが、その手前左の踏跡に入ると、郭の側壁を構成するこの城特有の緑泥片岩を板状に重ねた石垣をずっと眺められる。

この石(鉱物)は中世の武蔵一帯に拡がった板碑の材料で、まさに板状に剝がれるので、それを積み重ねたこの地固有の石積み法だ。
その特徴もあり、杉山城などともに国指定史跡になっている。

升形の虎口(こぐち)を登ると平らな頂上の郭1 に達する。
土塁上の木が伐採されて、城があった頃の遠望が得られる 。

山城巡りの醍醐味はここから始まる。
すなわち、正規の道を外れて、かすなか踏跡をみつけて、
縄張り全体、すなわち他の郭、堀切、切岸(この城はここが石積みになっている)見て回る。
山城の縄張りにまで興味ない頃は、本郭に達した(たいていそこに記念碑がある)だけで、その城を訪れた事にしていた。
小倉城では、郭1の南東に延びる郭3の切岸を構成している石積みが 間近に見れていい(写真。ただし正に人を寄せ付けないための石垣なので、滑落に注意。と経験者は語る)。

さて、小倉城だけなら、もっと遅い出発でもよかった。
これから尾根伝いに青山城に行き、さらにその先の小川町まで歩かねばならない。

尾根伝いといっても標高300m未満なので、距離があってもスタスタ歩ける(念のため左膝はZAMSTで保護)。

物見山(286m)を経て、大日山から北に方向転換し、やがて尾根上の平地である青山城に達する。
ここの本郭手前に小倉城と同じ石積みがある。
ただし石垣の規模に雲泥の差があるためか、この城は小川町指定史跡に留まっている。
青山城の郭1で右折して、郭3の堀切を抜けて、またUターンする感じで尾根を進むと、
尾根上の最高地点である仙元山(299m)に達する。
私の腹あたりが標高300mだ。 
眼下に小川町の町並みが見える。 

ここから小川町に下り、あとは街中を抜けて小川町駅に達する。
到着は14時45分。
田黒のバス停からおよそ4時間。
歩数計では歩行距離15kmに達した。 

小川町は埼玉の小京都といわれ、街中に古い木造建築が点在して、いい風情。
それに複数の地酒の蔵元がある。
なので、小川町駅から帰る時は、駅前のスーパーで地酒を買って帰る
(棚に300mlの小瓶が並んでいるので持帰り用に複数買えるのが嬉しい)。 


土砂災害こそ怖い

2018年04月12日 | 防災・安全

防災について講演などをしていると、自然災害について関心が偏っていて、
つまりトラフ型地震ばかりに関心がいって、他の災害については興味を示さない傾向がよくわかる。

自治体のハザードマップは全国を網羅しているが、自治体のサイトでも震度情報ばかりが目立ち、
他の災害に目を向けたくてもその情報が見当たらないのも確かだ。

さて、地震と大雨の両方で起きる災害があることをご存知か。
つまりその分、発生確率が高い災害があることを。
それは土砂災害(土石流、地滑り、がけ崩れ)である。 

土砂災害に巻込まれたら、水(津波)や雪(雪崩)以上の密度・重量であるため、致死率が高い。 

しかも、土砂災害が起きそうな危険場所がすこぶる多い。
なにしろ、国土の75%が山地の日本なので、人が住める場所は残り25%未満の平野部だけでは足りないため、
たとえば山地と台地、台地と平野の境目あたりにも居を構えざるをえないのだ。
それらの境目こそ、急傾斜地であり土砂災害(地滑り、がけ崩れ)が起こる所。
とりわけ川沿いの谷地形が怖い(土石流も発生する)。

たとえば都市部であっても、台地と平野が入りくんでいる横浜市内はもちろんのこと、東京区部にも危険箇所がある。
ちなみに、ほとんど報道されていないが、東日本大震災でも福島県の内陸部で土砂災害による死者が出ている。 

なので、防災の授業を担当している私は、受講者に最初に居住地の災害危険度を評価させるため、
地震・津波・洪水のハザードマップのチェックはもちろんだが、
それに続いて土砂災害危険箇所が近所にあるかどうかを必ずチェックさせる(国交省のサイト↓に県別の地図がある)。
現実には、警戒区域内に居住している人たちが大勢いる。
今回の耶馬渓しかり、広島市の安佐北区しかり。

そして今回、震撼したのは、地震や大雨がなくても発生したことだ(定常的な風化による崩壊は山岳地帯ではよくある)。
地面内の変化を把握できないので、危機が迫っていることがなかなか分らない(予兆はあった)。
はっきり言えることは、そこが危険箇所であるかどうかだ。 

日本では、津波・洪水の危険(被害想定)区域だけでなく、土砂災害の危険区域にも人が大勢住んでいというのが現実。
災害の死者が減らない根本原因がここにある。 

読者の皆さんは、まずはご自宅の付近に土砂災害危険箇所があるかどうかをチェックしてみよう→国交省のまとめサイト


忙中閑の湯の山温泉

2018年04月08日 | 温泉

新年度(4月)に入った先週は、月曜の新入生オリエンテーションから始まり、火曜は入学式、水曜は公認心理師のガイダンス(私が担当)、木曜からさっそく前期授業が始まり、金曜も授業、そして昨日の土曜は新入生の遠足(明治村)と、新年度第一週から、休みなしの連続。

新入生がかように忙しいということは、その世話をする教員も同等かそれ以上に忙しいということ。
新入生のような緊張感こそないが、緊張している新入生に気を回す立場なので、はやり疲れる。 

さて、やっと来た休みの日曜。
土曜が出勤だったため帰京向きでないことから、日曜は名古屋から近い湯の山温泉(三重県四日市の奥)に一泊の宿をとった。

湯の山温泉は、鈴鹿山脈の核心部である御在所岳と鎌ヶ岳に抱かれた麓にあるので、もちろん登山の食指が動いたのだが(月曜は仕事がないので時間はたっぷりある)、ここは慰労に徹しようと、入浴と食事以外の用事は作らないことにした(登山は曲がりなりにも大自然の中にたった一人で入りこむ営為なので、身体的に疲れるだけでなく固有の緊張感を要する)。

車だと高速(名古屋第二環状・東名阪自動車道)を使えば名古屋宅から1時間ほどで着いてしまう(かといって東濃のように下の道が楽しいわけでもないので高速1択)。
山脈の麓で(街中と違って)転地効果もある温泉がかような近場にあるのは嬉しい。

さらに私が毎年泊っている宿「ウェルネス鈴鹿路」は、ビジホ(ビジネスホテル)にちょいたし程度の料金でちゃんとした夕食・朝食がつくので、財布的にも嬉しい。 

この宿の温泉は厳密には”新”湯の山温泉で、泉種でいえば、いちばん面白くない「アルカリ単純泉」なのだが、私が好きなラドンが出ているし、さらにはなんとストロンチウムまで検出されている(初代ゴジラの足跡から検出されたという放射性同位体ストロンチウム90ではないのでご安心を)。
つまり含有物質がそれなりに個性がある。
ところで、ラドン浴をするには、内風呂の湯口のそばに居るべし(露天風呂はラドンガスが四散するので無意味)。 

一人客用のシングルルームは、ビジホのそれより広く、横長の机と長いソファもある。
ちなみに、トイレが洗浄器付きであることは私の宿選択の第一基準であるから、本ブログでは自明なこととしてあえて言及しない。

最近のサービス傾向に洩れず、無線LANが使える(パスワードなしであることに注意)。
惜しむらくは、ヒゲそりが有料(100円)な点。 
まぁ余分なコストを減らして宿代を安く維持する結果と解釈しよう(食事サービスには満足している)。

今日の東海地方は気温が1桁台なので、エアコンの”暖房”を入れた(木曜は大学で冷房を入れたのに)。

とにかく今晩は”慰労”に徹するので、持参したパソコンは暇つぶしのネット閲覧と就寝前のビデオ鑑賞用とし、授業準備などの仕事には使わないことにする。


女人禁制の理屈と心理

2018年04月05日 | 時事

私の意見が世間のそれとほぼ同じ場合、あえて開陳する情報的価値はないのだが、
相撲の土俵に女性が救命措置のためにかけ上がった出来事に”あわてふためいた”相撲協会側の対応について、
「女性への不浄観」という区別ではない差別思想を”伝統”の名のもとに堂々と温存(思考停止)しつづける愚かさに、今更ながらあきれかえるばかりである。

そもそも、鎌倉時代を代表する知性の持ち主である道元(日本曹洞宗の祖。私にとっては”作法の祖”でありハイデガー的存在論の先駆者)が、主著『正法眼蔵』において、
旧仏教が堅持している(今でも!)女人禁制を鋭く批判しているのだ。

女人禁制などバカらしいという時代を超えた意見は鎌倉時代からあった(こちらも立派な伝統)ことを強調しておきたい。

まぁあえて視点を変えて、男同士のガチンコ勝負の場に女を入れたくないという、
差別ではなく区別に基づく発想なら心情的に理解できなくはない。
ただ、プロ野球(ここもある意味女人禁制)の開幕戦の始球式は、
今では、アイドル女性が太腿もあらわに(神聖な?)マウンドに立って(神聖な?)白球を投げるし、
侍の武術に由来する弓道や剣道、柔道はとっくの昔に女性がプレイヤーとして参加している。

やはり、相撲は裸である所にポイントがありそうだ。
ついでに、女人禁制を堅持している歌舞伎役者の世界も、ご存知のとおりその起源は女性であった。
それが若衆歌舞伎を経て野郎歌舞伎に落ち着いたのは、エロスの問題が根底にあったからだ
(歌舞伎役者の女人禁制は差別でなく区別といえる。その逆の宝塚もしかり)。
裸といえば、各地の祭りで褌一張の男たちが或る神聖な一物を求めてぎゅうぎゅうに凝集するのも、エロスのにおいがする。
肌を寄せ合う男・男の間のエロスと女(観客)→男(演者)のエロスだ。 

つまり性差別思想ではなく、固有のエロス状況の維持として、
その場にいてほしくない存在があるというのは心情的にわからないでもない。
以前に女性が土俵に上がれない問題が議論になった時は、
女性の中にも現状維持派がいたが、それはこの心情によるのだろう。

でもそのエロス性を表だった第一義にもっていけないのなら、
そして件の女性が上がった土俵では大量の塩がまかれて”浄化”されたというように、
名目的にも不浄観で押し通されているのであれば、
その理屈は社会正義の上で正当化できるものではない。
21世紀のわれわれ日本人が、13世紀の道元にやっと追いつける時が来たようだ。

以下追加:
江戸時代を通じて、女性が祭礼(神事)からも排除されていったが、
近年はその祭礼を維持するのに女性の力を借りる必要に迫られ、女性の参加が復活している。
日本は、女性が活躍する社会の実現を目ざしているのではなかったか。


入学式に初めて出席

2018年04月03日 | お仕事

職場の大学の入学式に初めて出席した。
普通の教員は用がなく席もないので出席する理由がなかったから。

私は今年度から役付きになったので、舞台上の来賓席に座ることになる。
しかも最前列の真ん中の椅子が宛てられた。

この事態に備えて、実家から礼服を持ってきていた。
礼服自体、亡父の数年前の法事に着て以来で、更に白いネクタイを締めるのははるか昔、たぶん教え子の結婚式以来か。
今後は、入学式と卒業式の年2回礼服を着て、壇上の最前列に座ることになる。

あいにく風邪がまだ完治せず、一定時間ごとに粘度の高い鼻水を勢いよく出す必要があることが心配になる。
壇上で勢いよく鼻をかむわけにはいかないが、とりあえずティッシュをポケットに忍び入れる。

会場は、卒業式と同じく名古屋国際会議場のセンチュリーホール。 

緞帳が上ると、目の前に拡がる客席すべてに新入生が座っている。
女子大では定員が全国最大だけある。
新入生のほとんどが黒のスーツだ(3年後の就活にも使えそう)。 
もっとも場面としては、こちらが見られている側なので、壇上であまりキョロキョロできない。

単なる来賓の一人なので、やることといっても、学長や新入生代表あるいは在学生代表などが祝辞・答辞の前後にこちらの列に向ってしてくるお辞儀に応えて頭を下げるのを繰り返すだけ。
式の最初と最後は会場の全員が立ってお辞儀をする。
要するにお辞儀要員だ。 

式典は30分ほどで終了したので、鼻水の対応に困ることもなかった。

数時間後、大学本部で辞令をもらった。
役職は大学院の研究科長。
大学での役職は、任期つきの持ち回りなので、昇級ではない。 
任期が終れば平の教員に戻る。 

明日は、学内で私が大学院生の入学祝いの挨拶をする。 
いつもの平服で。 


夢の警告

2018年04月01日 | 心理学

夢を”分析(解釈)”するに値するかは、議論のあるところで、夢の中身は睡眠中の記憶の整理カスにすぎないという視点もあるが、私は「夢は無意識からのメッセージ」というユングの視点が気に入っている。

一晩に夢は複数回見るが、ユングによれば、それぞれ内容が違っていても一貫したテーマがあるという。
昨晩の数回の夢では、夢ごとに場面やストーリー、登場人物は異なっていたが、確かに海沿いを旅するというテーマが一貫していた。

ユング的な象徴解釈では、は無意識そのものを意味し、
は心の探究を意味する。
夢の中の私は、陸地(意識)に沿って海(無意識)と接しようとしていたわけだ。

実際、スピリチュアルな方向への関心が高まっており、システム3※の高次元の自己だけでなく、システム1の潜在意識のパワーにも関心を向けている最中だ(毎日そのトレーニングをしている)。
※システム1〜3は「心の多重過程モデル」の用語。 

そして目覚める直前の最後の夢は、私の今晩の夢シリーズの最終回(クライマックス)である。
その夢の中で私は、車を運転しており、海沿いの高架のハイウェイを快走している。
だが、目的地に向う分岐を見過ごし、しかもスピードを出したままだったので、沖に向かう急カーブを曲がりきれず、海の上の道路から空中に飛び出して、海に向って転落する。
落下中、絶望的な状況でなすすべもなく、死を覚悟した(この時の気分は現実では絶対味わいたくない)。
自分の声ではなく車外から女性の叫び声があがったところで目が覚めた(落下が夢だとわかってホッとした)。

海が無意識なら、自分が運転しているは自我(システム2)を意味する。

この夢は、私が自我のコントロールを誤り、その自我が無意識の海にはまり込んでしまう危険を示している。
すなわち、潜在意識への安易なかかわりに対する、潜在意識側からの警告夢とみなせる。

この警告を肯定的に解釈すれば、きちんと心の地図を見定めて、急がずに慎重に自我をコントロールしながら進みなさい、と読み取れる。

潜在意識に関心をもつと、潜在意識の方からコミュニケーションをとってくれる。
そのコミュニケーションツールが夢なのだ。
記憶の整理カスではない、メッセージ性のある夢を見させてくれる。 
そのメッセージをきちんと受け取るのが意識側の任務だ。