今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

五頭連山の親子遭難に思う

2018年05月29日 | 山歩き

こどもの日に五頭連山に入って、行方不明になった親子とみられる遺体が、山中の沢で発見された(31日に当該の親子であることが確認された)。
道迷い遭難による最悪の結果。
まずは合掌。 

稜線上で道に迷い(たぶん縦走路が急カープしている地点)、街の灯が見え、また登山口の方向に惹かれるように道無き道をがむしゃらに下って、最後は沢で進退窮まって力尽きたようだ(死因は低体温症らしい←初歩的な装備不足!)。
親子がバラバラではなく、重なるようにしていたのが、せめてもの救い(31日の情報では、子が父に覆いかぶさっていたという)。  

「道に迷ったら、沢には絶対降りてはいけない」というのが山での鉄則なのだが、あえて鉄則と言われるゆえんは、素人ほど上の理由で沢に降りてしまうから。
素人は、山の中の沢とはどういうものかまったく知らないから。
そういえば、同じ頃に東京の御岳山ではぐれた男児が発見されたのも、やはり道からはずれた沢の中だった。 

沢とはどういうものかは、実際に沢に身を浸して登って行く「沢登り」をしたものでないと知るよしもない。
なぜなら、地形図には沢は線で画かれているだけで、中身の情報がないから。
ヘタすると、下界(下流)ののどかな流れが上流の山の中でも続いていると思われてしまう(ネットでは沢を知らずして沢を語る無意味なレスが多い)。

山の中の沢(=傾斜が急)は、岩盤の間に水流がある状態(水流で削られて岩盤が露出しているため)。
水は急傾斜で岩盤上を流れているから、たいていは滝状になっている。
人里近い所だったら、名所にでもなっていそうな滝が、山の中の沢だったら、至るところにある。

滝がなくても、流れの両側に垂直な岩壁が続き、そこは流れが速く、水深も深い。

こういう沢をあえて好んで登るのが「沢登り」なのだが(私も好きだった)、当然固有の装備に身を固めて(滝の岩壁を登るため岩登りに近いが、水中に入ることも前提にする)、また先人の情報によって作成された沢固有の地図(遡行図)を持参して、意を決して沢に入る。
当然一般ルートではないので、指導標はおろかそもそも道なるものがない。
自分たちのパーティ以外の他人とは出会わないし、電波も届かない。
山中の沢とは、ハイキング気分の素人(子ども連れ)が足を踏み入れる所ではないのだ。

道に迷った素人は、そのような禁断の地に迷い降りてきて、現在地もわからず、たとえ地図をもっていても沢の状態などわからず、岩場と水流に進路を阻まれ、進路を探してうろうろするうちに斜面で滑落して頭か脚を打ち、動けなくなる(普通の山靴では沢は滑って歩けない)。 
助けを求める声も、沢の流れの音に消されてしまう。 
もとより、山奥の沢には誰も来ない。
だから、経験者でも沢登りで沢に入る時には”意を決する”のだ。 

同じ迷っても、稜線上なら、こういう危険箇所はほとんどない(絶壁には注意)。 
一番高い稜線を目ざせば、日本の山ならたいてい道に出会える。 

すなわち、道に迷ったら、沢に下るくらいなら、逆に上に進んだ方がましなのだ。
水を補給したければ、沢まで降りずに源流部の小さな流れで事足りる。 

この父親は、そのような鉄則すら知らなかっただろう。
鉄則を理解できない者は,むきだしの自然である山に入ってはいけない。 

ついでに、私自身は確信犯的に沢を下ることがある。
それは上から沢相を俯瞰して、通常歩行で降りれると判断できる場合で、いうなれば、”沢リテラシー”が必要なのだ。 
くれぐれも沢登り未経験者(経験者でも単独行で)はやらないように。 


成田山で鰻

2018年05月27日 | 東京周辺

寺号ではなく山号で親しまれている「成田山新勝寺」(日常会話ではここを寺号で呼んだ例がない)。

都心から京成一本で行ける気楽さがあるのだが、寺好きな私としたことが、
小学校の時に母親に連れていってもらって以来、とんとご無沙汰していた。
大きくなってからは、”成田”といえば成田空港に行くことがメインになり、
また文化財的価値が乏しいものと思い込んでいたため(写真は重要文化財の三重塔)、
あえて寺巡りの選択肢には入らなかった。

いわゆる通常拝観できる仏像はだいぶ観たので、最近はたまにしか拝めない秘仏が開帳される時を選んで寺に行くようにしている。

そしたら成田山もその例に漏れず、今年の5月は、「開基1080年祭記念大開帳」だという。
すなわち10年に一度の大開帳なのだ。
これは見逃せない。 

というわけで期間中に帰省した時に成田山に行こうと思っていた
(GWの3連休中はその期間中のみ開帳の春日部の観音院を優先した)。

前回母と行った時は、参道で鰻を捌いている映像の記憶だけが残ってる(寺の記憶がない)。
その思い出を再現したくなり、母を誘ったら行くという。
それなら参道の店で鰻を食べよう。 

とうわけで、昼前に店に着く時刻を見計らって、東京を出発。
11時に成田に着いて、まずは目当てにした鰻屋をめざす。
めざした「川豊」本店に着いたら、木造三階建ての店内はすでに満席で、整理券が配られている。
この店だけが別格の混みよう。
待ち時間は1時間だという。
整理券をもらう以外に選択肢がない。
これをもらったら店の前で待っている必要はなく、インターネットで順番がわかるという。 
さっそくiPadで接続すると待つ順番は90と出た。

参拝前に鰻を食べるという目論見は潰えたが、 それなら先に寺の参拝をすませてしまおうと、
このために朝食を抜いた空(カラ)の腹を押さえながら、参道をさらに下って寺の門前に達する。
さすがに人が多い。
オレンジの衣をまとった南アジア系の仏僧たちの姿が目につく(カメラで持っているから修行ではなく観光なのだろう)。

堂宇は高台に配置されているが、従来の石段の他にエレベータも配置されているので、足腰が弱っている老人や車椅子でも境内を廻れる。
大きな本堂内は人がぎっしり詰っていて、丁度法会が始まる所。
身動きができないこの状態では、残念ながら本堂の不動明王は拝められない。

本堂は参拝だけにし、あとは太子堂に行って太子像を拝み、母は休憩。
私はさらに奥の高台に行き、光明堂の仏像(大日如来、不動明王、愛染明王)を拝み、
奥の院の洞窟内の大日如来、そして醫王殿で薬師如来と十二神将を拝む。
一番奥の平和大塔の真新しい不動明王も拝んだ。
戻って、釈迦堂に参拝し、母と合流して、川豊に向うと、丁度待ち順は0になった。
店い行くと、さっきよりも待ち時間が30分増え、店の向側の休憩所に人があふれている。
 人をかき分けて店に入り、整理券を渡し、店内の数名の待ち行列に加わる。
その間にうな重を注文し、昨日この店のサイトから印刷したクーポンを渡し、肝吸いを無料にしてもらう(ついでに瓶ビールも注文)。
超混雑しているものの、2人連れでも4人掛け1卓割当てられるので、相席にはならない。
注文してから調理されるので少々待つ(鰻は店頭で捌かれている)。 

うな重は「並み」なのでちょっと鰻の量が少なめだが(上からごはんが見える)、
他店と比べても値段が安く、それにこの店が参道の鰻の元祖なので、他店なら昼前にすぐ食べれたものの、
こうしてまでもこの店で食べてみたかったのだ。

かくして、久々の参拝と鰻に満足して、駅に向って参道を戻り、
途中で母は漬物や乾物、折畳みの晴雨兼用傘などを買って、
全部私のトートリュックに詰めて帰宅の途についた(トートリュックは便利)。

ちなみにこの大開帳は明日で終る。 
見逃した人は10年後に。 


心理学史を学ぶ楽しさ

2018年05月26日 | 心理学

高校の時、国語の授業の中に「文学史」があり、その部分の授業がとても楽しかったのを覚えている。
自分が実際に読んでもいない膨大な文学作品について、あたかもそれらすべて読んで理解したかのように、それぞれの作品・作家の歴史的価値を論評できる(超越的)視点を一挙に獲得できることが爽快だったからだ。

ところが、大学に入って、実際の学問をやっていく立場になると、科学史なるものにはまったく興味を覚えなくなる。
なぜなら、科学は直線的に”進歩”するものだから、最新なものほど価値があり、
過去の研究ほど批判され・乗り越えられた古くさいものとなるため、
少なくともその分野の最先端に立ちたい者にとっては情報的価値はまったくない、と思っていたから。

逆にいえば、科学史に関心をもつのは、第一線から退いた、先端を切り開く推進力がなくなった者が、 知的引退後の手すさびとして手をつけるものと勝手に思っていた。

そういう自分が、大学1年生対象の「心理学概論」を担当して、どうしても心理学史に触れなくてはならなくなった(公認心理師対応科目として教える内容が指定されているし)。
そこで心理学史の知識を集めるため、たとえば”心理学の父”こと実験心理学の開祖・ヴント(Wundt)の著作の翻訳を古書で入手して、面白くないのを我慢して読んだりした。
といっても心理学史の専門家になるつもりはないので、これら古典を読みあさって自分の手で学史を構築しようとは思わない。

そこで他人の褌を借りようと読んだのが、高橋澪子氏の 『心の科学史:西洋心理学の背景と実験心理学の誕生』 講談社 2016(学術文庫の電子書籍版)。

読んでいて、文学史を学んだ時の楽しさ以上の、歴史を学ぶ意味がわかった。
大切なのは、事実の列挙としての学史ではなく、それらに対する超越的視点すなわち学史”論”にある。

氏は学史(論)の意義をこう論じている。
 「現代を含めたすべての時代を相対化することによって、現代を限っていたものの特質を知り、その歴史的制約から現代を未来に向けて解き放つための手がかりの一端を提供することにある」(p120-121)と。
すなわち、現代(最先端)の心理学が準拠しているパラダイムを暗黙視・絶対視せず、明示化し相対化して、そのパラダイムを束縛している制約・限界を自覚することによって(また過去に排除された他のパラダイムを再評価することによって)、学としての在り方をもっと自由に問題化する視点を獲得することにある。
これって、私が準拠している現象学の視点(目的)そのものだ。

具体的には、氏は心理学をいまだに束縛している2つの二元論すなわち身心二元論と主客二元論の根深さを問題にしている(ついでながら、私の最新論文も、この2つの二元論を乗り越える心理学の構築を宣言している)。 

この本が面白かったのはそれだけではない。
二元論問題以外にも、前々から気になっていた心理学に通底している問題にもちゃんと言及されている。
たとえば、「精神」(spirit)と「心」(mind)の違い(現代心理学では「精神」は、個我を超えたトランスパーソナル=spiritualな含意があるためか、死語になっている)。
そして「心的エネルギー 」って何か(エネルギー保存の法則に従う科学的概念なのかそれとも単なる文学的比喩なのか。リビドーを実体視すれば”気”に接近する)。 

文学史(論)がそうであったように、心理学史”論”は、超越した視点で心理学を眺めることができる。

実際の文学作品を読む前に文学史を学ぶ価値があるように、現代心理学を学ぶ前に心理学史論を読んで、現代心理学が準拠しているパラダイムを絶対視しない態度を身に付けてもよいのかもしれない。
残念ながら、私の「心理学概論」の授業は、そのような視点を提供していない(既存の学派を紹介するのに精いっぱい)。
一方、大学院の授業では、現象学の視点から現代心理学のパラダイムを批判している。 
心理学を一通り学んで、その限界を肌で感じてからの方が学び甲斐があるかもしれない。


部下に不法行為をさせる時

2018年05月22日 | 時事

日大アメフト部の、監督と当該選手との状況が、その選手自らの記者会見で明らかになった。
というより、それを明らかに示すための会見。
当事者が会見をしなければならない事態こそ、この組織が機能不全に陥っている証拠。

組織の利益は必ずしも社会利益とは一致せず、時には不一致事態にもなる。
私個人は、時の権力機構によって制定された法を絶対視せず、絶対的価値は法でないものに託している人間なので、不法行為を”絶対悪”とは見なさない。

それはいいとして(上の言明は今回の傷害事件とは無関係)、
組織的利益を優先するために、不法行為を命じれらた者は、当然ながら倫理的ジレンマに陥る。

その時、それを命じた上司が必ず確約しなければならないことがある。
不法行為の文脈下なので、法より上位の人間としての倫理ともいえる。

それは、「責任は俺が取る」という確約。
もっとも本人に対して単に言っただけではダメで、約束は世間に対して実行されなくてはならない。 

逆に絶対してはならないこと(法律ではなくそれより上位の倫理違反)は、責任を実行者におしつけること。

これをやってしまう輩は、将たる器ではないのは当然ながら(監督辞任)、人間として最低の烙印を押されても致し方ない。


900m台の山をクリア

2018年05月20日 | 山歩き

左脚の腸脛靱帯が山の下りで炎症を起こすので、ZAMSTの専用サポーター(RK-1)を付けたら、痛みが出ないで下れるようになった。
といってもすぐには安心せず、下りの距離(高度差)を慎重に伸して、その限界(の無いこと)を確認したい。

まずは高尾山(599m)、次に高水三山(700m台)をクリアしたので、今回は900m台に挑戦。
どうせなら自分にとって未踏の山にしようと、奥武蔵の丸山(960m)を選定。
この山は展望が売りで、西武線の芦ケ久保駅からじか(バスを使わず)に周回できるのがいい。
ついでに下りが急らしいので、挑戦しがいがある。

晴天の登山日和の中、芦ケ久保駅に降り立つ。
日曜だが降りた客は数名(さほど人気のある山ではない)。

駅前の情報によると、経由地である大野峠にクマの親子が目撃されたとのこと。
ある程度深い山に一人で入る時のために熊除けの鈴を持ってきてよかった。
駅前で登山届けを出し、出発。 

車道を30分ほど歩いて、大野峠に向う山道に入る。
クマ除けの鈴をONにしてしばらく一人で歩いていると、後から男女の若者のグループが登ってきた。
元気そうなので、先に行かせ(以前だったら追いつかれるようなことはなかった)、あえて歩幅を小さくして、脚に負荷をかけないで登る。
ZAMST以前は、すでに登りの段階で左脚の腸脛靱帯に違和感を覚えたものだが、装着している今回は何も感じない。
狭い歩幅ながら調子がいいので歩速は軽快で、どんどん登れる。
中高年のグループを追い越し、さらに先にゆずった若者グループに追いつく所で大野峠に着いた。
ここで標高850mほどに達したので、あとは楽。
若者グループは眺めのいい草原で大休止。
私は休まずにすぐ先の丸山を目指す。 

丸山自体は樹木に覆われているが、3階建ての展望台が設置されて、そこからの眺めの広さに定評があり、埼玉県文化財になっているほど。
幸い晴天なので、その展望を満喫できた。
展望の良さは、単に周囲が開けているだけではダメで、地理上の位置が重要。
たとえば、奥多摩の山は地理上の位置が悪くて周囲の奥多摩の山(と富士・丹沢)しか見えない(すなわち東京都心と同じ範囲)が、奥武蔵のしかも北に開けたここ丸山だと、浅間山から日光連山、そして筑波山まで北関東の山が一望。
残雪の谷川岳連峰が北の地平線を画し、一番遠くは奥志賀の岩菅山まで見える。
丸山は秩父市の東隣りに位置しているので、武甲山が目の前で(写真左)、秩父盆地(写真右)が眼下に拡がり、秩父の水源に当る甲武信岳(写真中央)から両神山までの奥秩父の山々が拡がる。
そしてその間に顔を出している白く高い山は八ヶ岳(赤岳〜天狗岳)だ。
以前、八ヶ岳の硫黄岳から武甲山が見えたから、こちらから八ヶ岳が見えておかしくない。

南には丹沢が見え、本当は富士の山頂部も蕎麦粒山の肩に顔を出しているらしい(今日は富士だけは見えなかった)。
東側にはスカイツリーも見える。

かように八ヶ岳も富士の頂もギリ見えるという所が地理上の位置の賜物。

ここの展望台は、Nikon製の双眼鏡が複数台設置されていてしかも無料なのがうれしい。
はるか彼方の残雪の八ヶ岳や谷川岳を間近な大きさで見れた。

次から次に、家族連れがやってくる。
実はこの山、自動車道路が通っていて、車で上がってこれるのだ(だから、わざわざ駅から登る人はそう多くない)、

幸い、大人数が坐るスペースがなく(2人程度なら坐れる)、また日陰もなく、私以外の人たちは展望を満喫すると足早に帰っていくので、単独行でツバの広い帽子の私だけ展望台に残ってのんびり昼食(出がけにコンビニで買った食パンとおにぎり)をとる。

さて、いよいよ芦ケ久保駅への”下り”にとり掛かるので、靴ひもとZAMSTを締め直す。
一部あまりに急な箇所があったので、ストックを出したものの、あとは腸脛靱帯を格別いたわることもせず、普通ににスタスタ下る。
そしてそのまま芦ケ久保に着いた。

900m台の山を下っても(比高600m)、腸脛靱帯はなんともない。
ZAMST一枚着けただけでこれほどの変化とは…。
駅前の道の駅(車利用者で混雑)で、缶チューハイを買って軽い祝杯(ビールは家で)。
次はいよいよ、4桁、1000m台だ。 


私が図書館で読書でない作業をする理由

2018年05月19日 | 生活

大学への受験勉強以来、私は公立図書館で勉強する習慣が身につき、今でもその習慣を続けている。
今は、大学教員として研究室(個室)を与えられ、また東京の自宅には書斎があるにもかかわらず、東京に居る週末期間は図書館に通って、そこで持参したノートパソコンを開いて、講義ノートや論文の作成作業をする。

図書館でのこのような行為に違和感をもつ人たちがいる。
「図書館は館内の蔵書を読む所だろう」と。
”区立”レベルの公立図書館もこの姿勢なので、行く図書館は区立ではなく、都立か国立になる。

実際、(都立・国立)図書館通いをするわれわれ作業派は図書館の蔵書が目当てではない。
そこの閲覧室が目当てなのだ。
すなわち、作業する以外にすることないストイックな空間。
そういう空間が無料で長時間使えるのは公立図書館のみなのだ。
もちろん、規模の大きい図書館は、資料を閲覧したくなった場合も便利。 

自分の研究室も書斎も、残念ながらその作業以外の事物が密集していて、雑多な行為が次々に誘発されてしまう。
すなわち集中がしにくい(贅沢な悩みで申し訳ない)。

といっても、研究室や書斎ならモニターの画面が大きくしかも2台使えるが、図書館ではノートパソコンの画面のみ。
コーヒーを飲むにも、図書館だと自販機で有料。
すなわち図書館が完全に優位なわけではない。
実際、書斎持ちの私が、公立図書館にあえてノートパソコンを持参して通うには、”集中できる”だけでは理由として説得力(自分に対しても)が足りない。

私が未だに図書館通いを続けている理由は、作業だけが問題でなく、
それが「外出」を兼ねているからだ。
東京での外出は、車を使わないので、駅までの歩行運動を伴う。

長時間座り続けることが健康に良くないと近年指摘されている。
でも私の作業はそれから逃れられない。
ならばその作業の前後に半強制的に、歩行運動を追加すればいい。 
すなわち歩行運動+集中作業+歩行運動という組み合わせ。 
家にいてはこれはほとんど不可能(強い自発的意志が必要)。 
となると外出するのが一番。 

図書館での作業は遅くとも夕方前に終わる(それが集中作業の限度だから)。
すなわち限度まで集中できる。
その後は、自宅に直帰せず、地下鉄で繁華街に立ちよって、街の気分を味わい、買物をする。

外出は、歩行運動のほかに気分転換と買物まで兼ねる(他にもいろいろ加えてよい)。
かように”図書館通い”は、作業だけでなく生活の質をも高める、実に効率的な行為なのだ。


茶臼山のパワースポット巡り

2018年05月14日 | 茶臼山カエル館計測

毎年初夏と秋の2回、愛知と長野の県境にある茶臼山高原に泊りに行く。
茶臼山高原自体が好きなのも確かだが(愛知の観光スポットで一番のお気に入り!)、
ここ数年は、高原の長野県根羽村側にあるカエル館に計測に訪れることが義務化しているためでもある。

カエル館は、全国に数ある(根拠があやふやな)パワースポットの中で、物理的計測によってそのパワーが確認できる貴重な地である。
その計測できるパワー(力)は磁(直流磁気)。
※:永久磁石と同じ性質の非波動的な磁力(磁界)で地磁気も含む。一方、交流磁気(磁界)は交流電気に付随して”電磁波”を構成するもの。

館内最強のスポットは、250μT にも達する(ベースの値となる地磁気は40台)。
そしてそのスポット上に座ると、多くの人がぽかぽか温かくなり、
実際に表皮の温度が上がることが、サーモグラフィによって確認された。
ただし、磁気の値と皮膚温上昇との因果関係は説明できない
(医療効果を示すほどの磁力ではないため)。 

また、館内のその場所の磁力がなぜ強いのかも説明できない。
鉄分を含む玄武岩からなっている茶臼山の山体に接地された金属(鉄分)が磁化することは、
山中に設置されている人工物の計測で確認できたが、
カエル館の床下は、コンクリートと木材で、金属はそれらの留め具として使われているのみで、
スポット床のトタン板には接していない。
第一、床下の留め具の磁力は確かに強いが100μTほどで、床上より低い。
館内に2本ある鉄柱は、床下よりも2階に達する上部の方が磁力が強い(しかも極性が逆転している)。 
つまり、カエル館は建物の下部より上部の方が磁力が強い傾向にある。
館長によるとトタン屋根の一部は(スマホのアプリだが)1000μTに達するという。

以上の傾向は、磁力が地面からではなく、上から降ってきたと考える方が説明できる
(もちろん実際にはあり得ないし、空気中の磁力は平常値)。

ところで、カエル館の周辺にもいくつものパワースポットが分布している。
最近、地元根羽村がそのマップを作った(長野最南端の村がいよいよ動き出した)。
今回は、そこに記されているスポットの幾つかを訪れた。

まず道沿いにあるブナ(広葉樹)とサワラ(針葉樹)が抱き合っているような「ラブラブサワラ」(写真右)。
見た目に面白いが、ブナの幹が空洞化し、だいぶ危うい。
実際、ダウンジングすると、サワラの方は反応するがブナには反応しない。
こういう木に対しては、気をもらう(奪う)のではなく、
むしろ与えるようにしたい。
むしろ、この木の後ろにある独り立ちした木の方(写真左)が気のパワーを感じた(ダウジングと手かざしによる)。

次はちょっと奥に入った所にある樹齢300年の「長寿のブナ」(下写真)。
このブナはいまだ健康で、ダウジングでもパワーを確認できた。
樹齢300年というだけで、生命パワーの証明となるので物理的計測は不要(パワースポット認定)。 
ちなみにこの木の少し東(南アルプス)側に下った所にも、
樹齢は少々若いようだが立派にパワーを発散している巨樹がある(ブナという名札がある木)。 

これらの木を巡る入口部分(道路脇)に、「ビリビリ丸石」と名づけられた一抱えほどの岩がある。
カエル館南奥の最初に発見されたビリビリ岩(私が勝手に名づけた)と同じく手をかざすと、
気を感じる時のようなビリビリ感がある。
そのビリビリ岩も今では「ビリビリ苔石」と名づけられている。 
ただしこれらの木・岩は物理的計測(磁気、静電位)ではパワー(電磁気力)は示されない。 
その点がカエル館とは異なり、また生体反応性もカエル館の足下にも及ばない。 
カエル館内の最強スポットの床上に半年前に鉄の棒をおいてもらい(冬期は閉館)、
今回計測したら、見事に磁化して棒磁石になっていた。 

かようにここは確かに磁力が強いが、生体反応を起こすのは磁力以外の何ものかであり、
それは物理的計測ができない”気”のエネルギーではないかと思う。

実際、気功家や波動医学の人たちもカエル館のスポットに太鼓判を押している。 
私がスピリチュアルな方向に関心を示す理由のひとつに、
ここのパワーが物理学的力(パワー)だけでは説明できない点がある。 


登山をはじめる前に必要なこと

2018年05月13日 | 山歩き

GWの東京の御岳山の行方不明騒ぎ(解決)についてブログの記事を書いたあと、新潟県の五頭連峰での親子遭難の方は、どうなることやらとかたずを呑んで見守っているうちに早一週間が過ぎた(コースも装備も確認できない状況のでコメントできないが、一般論としてまだ絶望的ではない)。

その間、同じ新潟で女の子が殺された事件もあったりして、この遭難の報道そのものがフェードアウト気味である。

ネット(5ch:昔の2ch)では、この事件のスレッド(掲示板)が続いているが、そこで交されるレス(応答)を読むと、もちろん5chは無責任な軽口の場であることは重々承知しているが、山に関する無知、脳内妄想による思い込み、硬直した経験主義(偶然の一般化)の書き込みが繰り返されていて、これでは素人のハイキング気分での遭難が絶えないことが納得できる。

真夏に夜行日帰りで日本の最高峰・富士山に登れば、富士より低い日本中の山は、もっと楽に登れると思い込むようなもの。

私が中学1年の夏に山を好きになって、半年我慢して山に行こうとし始めた時、それまで山とは無縁だった父が、地元の登山教室に毎週通い、そこでのプロの登山家による講習内容を帰宅後毎回私に伝授してくれた。
つまり私は中学生の段階で、成人用の登山教室の講習内容を父を通して頭に入れることができたのだ。
たとえば、山・海のサバイバルで必須の「もやい結び」を身体で覚える方法(一回覚えれば絶対忘れない)や、方位磁石なしでアナログ時計で方位を知る方法(また夜に北=北極星を見つける方法)、世界共通の救難信号の方法なども学んだ。
そして実際に登山に行く時(もちろん日帰り)は、コースや装備を細かく書いた登山計画書を作成して家においていくことが求められた。
これらを身につけてはじめて山に行くことが許されたのだ。 

ついでに、当時山をやるには天気図を読めるだけでなく、自分で描けなくてはならなかった。
そこでNHKラジオの気象通報を聞きながら天気図を描くようになったのがきっかけで、気象に興味をもち、後の「気象予報士」への道が開けた(現在ではスマホの天気アプリで情報を利用すれば自分で描く必要なし)。 

高校になってワンゲル部に入り、今度はテント山行を前提としたグループでの登山を学んだ。
大学では山岳部に入り、冬山と岩登りを経験した(個人的には沢登りが好きだった)。  

今、大学教員として大学のワンゲル部の顧問をして感じることは、誰かの後について行くのではない自発的な登山をやるには、きちんとした登山計画(エスケープルートを含んだルート選定と装備の選択)を立てる訓練がまずは(山に行く前に)必要だということ。
高校や大学のクラブでそれを学ぶことができる。 
社会人なら、私の父がやったように地元の社会人グループに加入すればよい。
もちろん本で独習することも不可能ではない(私も登山技術の本は読んできた)。
いずれにせよ、基本を学ばない自己流では、命取りになるのが、山をはじめとする自然だ。 


道迷い遭難を防ぐ

2018年05月07日 | 山歩き

GW期間中、東京の御岳山と新潟・阿賀野市の山で遭難騒ぎがあった。
前者は翌日無事に発見され、後者は2日たった現在も捜索中。

どちらも登山というよりハイキングレベルの浅い山なのだが(最新情報だと後者は違う山に入ったらしい)、それでも山なので、いったん道を外れると、むき出しの自然の力に接してしまう。

山の事故で一番多いのは、道迷い遭難。
つまり自分の現在位置を見失って、山から降りれなくなってしまうこと。
へたに道なき道をさまよって滑落でもすれば、歩行困難になってあとは命を天にまかせるだけとなる。

昔は地図(地形図)とコンパスが必携だった(それでも道迷い遭難が頻発していたわけだから、この装備では不充分)。
今では、スマホやタブレットに地形図アプリを入れ、GPSを使える状態にする(ガーミンなどの専用機でもいいけど、私はiPadmini+有料の地形図アプリ+GPS受信器+ドコモのガラケーのセット。山ではドコモが最強。他の地図アプリで街歩きにもカーナビにも使うから)。
そうすれば現在地をリアルタイムに把握できる。
タブレットをひも付きの専用ケースに入れて、たすき掛けにして、いつでも見れる状態で歩く(ケースには蓋がついているから、タブレットはスリープ状態)。
これがベスト。
こうして現在地を常に把握しながら歩けば(これが肝、紙の地図だとこれをやらない)、たとえ道を間違えたとしても、すぐそれに気付いて、引き返すことが容易になる。
そのためには地形図が読めるのはデフォで、念のための予備電源も必須。 

道迷いに陥ったら、正しいルートを確認できる所まで”引き返す”のが鉄則(来た道は記憶に新しいので迷わない)。
ところが、まちがった道を進み過ぎてしまうと、それだけ戻る事のロスが惜しくなって、前進によって打開しようとするのが人情。
これが事態をさらに悪化させる(「引き返す勇気」と強調されるのは、引き返すのに強い決心ががいるから)。
なので、まちがった道を進み過ぎないように(引き返すロスが発生する以前に)、しょっちゅう現在地を把握すること(紙の地図とコンパスだけだと現在地のピンポイント的把握が面倒で困難。せめて正確な高度計が必要)。 

地形図とGPSで現在地を把握し続けてこそ、道迷い遭難は回避できる(アウトドアでのスマホのバッテリ管理は自分で工夫してね。もちろん地図はオフラインモード。私はタブレット+ガラケーなのでスマホのバッテリの持ち具合は知らない。現在地の把握にタブレットを使っているから、ガラケーは満充電のまま)。

それでも下山できない事態に陥った時のために、日帰り山行でも”保険”代わりに懐中電灯と非常食と防寒具は持参する(レスキューシートはザックに入れっ放し)。

あと御岳山ではぐれた男の子がそうであったように、沢沿いに降りるのは一番危険。
より低い方へという気持ちがあり、また沢の源流部は樹木や薮がない分、山の斜面よりは歩きやすいが(日本の低山では道がない尾根に登るのは樹木と薮に阻まれて無理)、突然断崖絶壁の滝が足下に出現する(水を補給するためだけなら、不必要に降りず、小さい流れの沢に留めておく)。
男の子が発見された越沢(御岳山の北西を流れる沢)は、私も高校時代に沢登りで下から遡行したことがあるが、途中の滝の側壁登攀で滝つぼに落下し、その時の傷が左手に残っている(沢はその後リベンジした)。

私は高尾山に毛が生えたレベルの山でも、上の装備を欠かさない。


オフモードのGWに”気”を考える

2018年05月05日 | パワー・スピリチュアル

3月末以来の鼻風邪が一向に完治しないのは、少し良くなった段階で山に行ったりして、体力を使ったせいのようだ。
先日の3日も春日部に行って、入浴までしたので、風邪は治らず、4日は一日中家にいた。
夕方、一時外出したら寒風が身にしみた。
まだ寒の邪気が優勢だ。
なので5日も、本当は山に行くつもりだったが、外の邪気に触れぬよう大事をとって家に篭る。
その分、読書も進み、600ページもある『バイブレーション・メディスン—いのちを癒す<エネルギー医学>の全体像—』(リチャード・ガーバー、日本教文社)というサイキックなホリスティック医学(ヒーリング)の本を読み終えた。

本書を含む内外のこの種の本によると、サイキックの世界では、神智学的なエーテル体・アストラル体・コーザル体などの人体をとりまくエネルギーの多重構造と人体内の7つのチャクラは共通の前提となっている。
システム2(論理的知性)による文化圏を越えた理論の統合が進んでいるわけだ(ただし、私のシステム2では受け入れていない)。
その中で(私が存在を認めている)、オーラと同一視される”気”は物質的身体側に近い扱いになっている。
実際、代替医療としてホリスティック医療よりも認められている中国医学(私にとっては”臓腑経絡学”)の書を読んでも、”気”は血液などの体液や神経系とほとんど同じくらいに実体視されている。 

私個人はこれら”内気”(体内の気:生命エネルギー)と易が扱う”外気”(体外の気:宇宙エネルギー)との関連を探りたいのだが、内気を扱う臓腑経絡学にとっては外気は大気や栄養素と同じ物質的な外因にすぎないし、易学においても内気はほとんど無視されている(使われるのは疾病の易占だけ)。

易の有意味性を理論化しようとしたのは「共時性」をキーワードにしたユングくらいで、陰陽思想が本来もっているはずの、内気(ミクロコスモス)と外気(マクロコスモス)との交流モデルは、宋学以降ほとんど進展していない(小野沢精一他編『気の思想—中国における自然観と人間観の展開—』東京大学出版会)。
陰陽思想は、途中から混じってきた通俗的五行思想を排除すれば、宇宙にあまねく作用している4つの力の1つである電磁気力(現代物理学でも認められている宇宙エネルギー)に対応させたデジタル(bit)モデルとして再生できるのに…。


春日部を訪れる

2018年05月03日 | 東京周辺

帰省して翌日の天気が悪そうな五月三日。
長引いている鼻風邪もあることだし、無理をしないで休日を楽しみたい。

休日用の満足するまで眠っての寝覚めでも充分間に合うのは、春日部(埼玉県)の観音院。

この寺で連休中に限って、所蔵の円空仏7躰が公開されるのだ。

春日部は義妹の実家があるという以外に縁がなく、有名な観光・史跡の地ではないため、いまだ降り立ったことがない。

北千住から東武線の急行に乗り、さらに”各駅”に乗り換えて1駅先の北春日部で降りる。
ここから古利根川を渡って、国道4号に出れば観音院に着く。

丁度、山伏たちによる護摩行が始まった所だ。
この寺、宗旨は修験宗で、関東の修験道場の1つだという。
護摩なので、本堂内の本尊の前で、火柱が高く上がる(火災が心配になるほど)。
その手前に3躰の円空仏が立っている(写真の火柱はまだ小さい方)。
一番大きい聖観音(写真左)は高さが2m近い。 
護摩が50分ほどで終ると、やっとわれわれ見学者も堂内に入ることができ、
七躰の円空仏を間近で対面(しかも撮影可)。
小振りながら片足立ちの蔵王権現立像は円空仏として唯一の作。

円空仏は全国に分布するものの、出身は美濃なので、濃尾地方が最も多い。
名古屋宅からも円空仏を尋ねたい。

さて、次に向うは同じ「小渕」(観音院の山号は小淵山)の地に湧き出た春日部温泉「湯楽の里」。
平成16年に掘削に成功したというニュースは知っていた。
なので、春日部に行く機会があればぜひ入りたいと思っていた
(過去、岩槻を訪れた時、同じ東武野田線沿いのここに立ち寄ろうとしたが叶わなかった)。
奇しくも、今回、同じ小淵の地に足を踏み入れたわけだ。
さて、まずは高濃度炭酸泉に入る。
これは温泉ではないが、肌に泡がびっしり着く炭酸泉そのものが大好きだから。
次に、露天の温泉に入る。
日帰り温泉というと、温泉というに値しない薄さの「アルカリ単純泉」がデフォだが、ここは違う。
泉質は「ナトリウム塩化物泉」でれっきとした療養泉。
しかも、珍しくも有り難い”高張性”!。
すなわち成分の濃さが半端なく、どんどん肌から浸透する。 
その濃さを薄めることなく、かけ流してある。

鼻風邪の身でありながら、いやそれだからこそ、じっくり温泉の浸透圧に浸る。

充分温まったところで、湯上がりに冷えたビールと熱い揚げ餃子。

ここから、古利根川を渡り返して、春日部駅前まで歩き、ついでに最勝院にまわって、
この地の主だった南朝の武将・春日部重行の墳墓に詣で、
踏み切りを渡って駅の西口に出て、名物とかいう藤を見ようと思ったらもう花はなかった。

のんびり出発して、円空仏と湯に満足した半日旅だった。