今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

カエル館内のパワーの正体に悩む

2018年10月29日 | 茶臼山カエル館計測

茶臼山の長野県根羽村側にある「カエル館」内の”パワースポット”は、
来館者の反応がきっかけで発見されたのだが、その場所の磁気が異常に高いことがわかり、
多くの人がその場所に座るとビリビリ感や温感を感じるという。
だが実際には、静電位は検出されず、また温度も高くないので、
これら感覚を物理的原因に帰すことはできない。
そもそも、なぜそここの磁気が異常に高いのか、その原因を探るのに苦労している。

このスポットだけでなく、館内のあちこちに打込んだネジが、ことごとく磁化しているのだが、
これはネジを打込む時に使った電動ドライバ(磁石でネジを吸着し、モーターの回転でドライバを回転させる)のしわざと判った。

問題は、ネジを打込む前から磁気が高い床と壁面。
床下は空洞で、幾つかの柱は磁化元とされる地面(=茶臼山)とはコンクリの土台で隔てられている。 

それと多くの人がここでなぜビリビリ感や温感を感じるのか(磁気が高いだけのネジでは感じない)。
温感を訴える人のサーモグラフィを取ると、実際に表皮の温度が上がっているので、気のせいではない。

また感じる有無と感じ方に個人差があるのは、感受性の違いなのか。
かくいう私は、この場では何も感じない。
ところが、館外の「ビリビリ苔石」ではビリビリ感も温感も得られる。 

ビリビリ感は”気”が出ている時の感覚だし、温感は毛細血管の拡張によるものだ。
いずれにしろ血気を含めた体内の”気”が体内で活発に流れている状態といえる。

中国では”気”の物理的計測として磁気が使われることもあるという。
ということは、ここのパワースポットのパワーの本体は、単なる磁気ではなく、磁気でも測定可能な”気”なのかもしれない。

ではここの”気”が高い理由は?
はやり説明がつかない(風水には流れたくない)。


茶臼山高原に泊る

2018年10月28日 | 茶臼山カエル館計測

私が愛知県で一番好きな場所は、愛知で一番高所にある茶臼山高原(豊根村。長野県との県境。周囲は天竜奥三河国定公園)。
山上の草原に牛が放牧され、 愛知側は奥三河の山々を見下ろし、信州側に目を転じれば、連々たる南アルプスを見上げる。

嬉しいことに、この山上の高原に休暇村の宿が建ち、客室からこの風景を楽しめる。
冬はスキー場にもなるこの高原に、私は春と秋の2回、それぞれ2泊することにしている。
休暇村の大浴場は温泉ではなく、段戸鉱石を入れたいわば人工鉱泉だが、愛知側にも長野側にも麓に降りれば日帰り温泉がある。
2泊の2日目の昼はどちらかの温泉に入る。 

山上の長野側に「カエル館」という「ワン」と鳴くネバタゴガエルなどのカエルを展示してある所があるのだが、
この館内が磁気異常によるパワースポットになっている(館外にもパワースポットはあるが館内が最強)。

私は、ここのパワースポットを科学的に計測する担当になっていて、それで定期的に通っているのだ。

さて、今回は、麓の長野県根羽村側にある、浅間(センゲン)神社に立ち寄り、そこのパワーを計測した(新たなパワースポットになるかの検証)。
誰も来ない山の谷あいにぽつんと建つ神社は、高い木々に囲まれ、それなりに雰囲気はある(写真)。

残念ながら、地磁気は正常で、静電位も正常。
唯一、放射線が社殿前の両側の石灯籠で高めに出た(花崗岩製のため)。 

次に心霊パワーの計測。
私の新兵器”BAKETAN霊石”の探知によると、青い光が反応したので、
「良い霊に守られている」と解釈できる。
ダウジングによっても、反応が出る。
なので、「暫定パワースポット」といえるか。 

さて、休暇村で夕食を済ませた後、近くの矢筈池がライトアップされているというので、
持参した懐中電灯を頼りに、暗い中(街灯がないので)池に向った。

確かに池の周囲はライトアップされているが、標高1200m以上のここは、もう葉が落ちていて、
照らされているのは枯れ枝ばかり。
まぁ、それでも色のついた照明のせいで演色効果はある(写真)。

夜空を見上げれば、頭上に天の川がくっきり。
こうまで星がはっきり見えると、にわかに星座や星の名が気になり出し、
iPadに入れてある星座アプリで確認する(このアプリ、都会では使う機会がない)。 

愛知一番の高所で満天の星を見るだけでも、来た甲斐があるというもの。
県内=日帰り圏内という発想もわからなくはないが、茶臼山高原は昼夜問わず愛知の別天地。
日帰りではもったいない。
山上の休暇村以外に、愛知側の麓には個性的な民宿(清水館、設楽山荘)、
長野側の麓には温泉宿(ささゆり荘、森の宿遊星館)があり、いずれも利用した。


横瀬二子山に炊(かし)き登山

2018年10月21日 | 山歩き

秋晴れが約束された10月21日の日曜。
こんな絶好日に山に行かないわけにはいかない。

ただ、まさにこの表現に見るように、最近の私の山行は、なんか義務的になってしまって、楽しんでいない。
それもそのはず、今年の山行はすべて左脚の腸脛靱帯炎のチェックが目的となってしまっている。
腸脛靱帯が痛まなくても、健康増進(筋肉運動とカロリー消費)のためになっていた。
これではスポーツジムに行くのと変わりがない。 

もっとも一応カメラを持参し、景色は楽しんではいる。
ただ、山での昼食はその日の朝コンビニでおにぎりか調理パンを調達し、それを山頂で30分以内に平らげる。
つまり山での食事をまったく楽しんでいない。
時間が惜しいのと、余分なカロリーを摂取しないためだ。
いつからこんなストイックな山行になってしまったんだろう。 

もっとも、山をやっていない人からみると、登山自体がストイックな行為で、そこに楽しさがあるとはまったく思えないようだが。

登山の楽しさとえいば、雄大な景色の他に、山頂に着いた時の達成感、おいしい空気、おいしい水、そして一汗かいた後の達成感と眺めの中で摂る食事もおいしい。
というわけで、今回は、山で火を炊いてゆったり食事をすることを目的とする、いわば”炊(かし)き登山”。 

その行き先に選んだのは、迷った揚げ句、奥武蔵の横瀬二子山(883m)。
選択基準は、山上で煮炊きをするため、行程に余裕があること。
すなわち歩程だけでなく、バスなど余計な時間がかからないこと。
ということは駅から直接登り降りできる山がいい。
そうなるとかなり限られ、今まで一度も行っていない山の中から、西武秩父線の芦ケ久保駅から往復できる二子山に決った。
もともとこの山は中学時代から武川岳と併せて縦走するつもりで”取っておいた”のだが、長距離の縦走がほぼ不可能になった今では、その必要がなくなった。 

山頂での”炊き”は正午頃でよいので、ゆっくり8時に家を出て、芦ケ久保には10時すぎに着いた。
降りた乗客(いずれもハイカー)は数人で、奥多摩や丹沢に比べて格段に空いている。
前回(5月)の丸山山行(→900m台の山をクリア)でも利用した駅に隣接する道の駅で水を補給し、沢に沿った登山道に入る。
晴天だが、沢沿いの植林の中なので、日射が遮られ、沢の瀬音が耳に心地よい。
沢にかかる最後の橋で前を行くカップルを追い抜くと、山中でたった一人になったので、ザックに付けたクマ除けの鈴をONにする。
山腹の登りになると、山道の左右に白い可憐なヨメナ(嫁菜)の花が出迎えてくれる(写真:正しくはカントウヨメナだと思う)。
自生している(人の手で植えられたものでない)山の花々に逢うのも山の楽しさの一つだ。

登るにつれて傾斜がどんどんきつくなり、道も破壊されるほどの急斜面になって、両側に張られたロープにつかまりながら斜面を直登する(奥多摩や丹沢だったら人工的な階段が設置される)。

稜線に出て一旦平坦になり、最後の直登をこなして、まず雌岳の頂きに達する。
だが展望はまったくないので、休まずに奥の雄岳に向う。
この両峰仲がいいのか悪いのか、雌岳と雄岳の間は深く切れ込んでいて、岩場を下りて、岩場を登る。

雄岳は、山上が平坦になって樹林帯ながら広場状になっている。
だが眺めがいいのは一ヶ所だけなので、二子山からの展望の写真はどれも同じになる。
そこからは、奥武蔵の第一の顔である武甲山が目の前で(石灰岩の採掘現場が痛々しい)、その右に二番目の顔である両神山がこれも全貌を表している(写真)。
その足下には秩父市街が拡がっている。

その展望の一等地には、夫婦の先客がいたので、その奥の木陰で段ボール製の携帯腰掛けに坐って、炊(カシ)きを始める。

持参したのはソロ・ストーブ。
これは、ガスや石油などの燃料を用いず、山中に限りなくある枯れ枝を燃料にし、枝の燃焼と燃えた後の炭の燃焼の二段階で煮炊きする仕組み。
すなわちコンロではなく竃(かまど)だ。
ただ、火力は燃料を用いたコンロに負けるので、沸騰するまでの時間はかかる(着火に手間取ったせいでもある)。
なんとか湯を沸かして、カップ麺に注ぐ。

そう、山での食事は、カップ麺。
ふだんはバカにして食べないのだが、湯を注いで3分待つだけで済むので、アウトドアではとても重宝。
まずカップがついているので別の器がいらない。
使用後のカップを洗う必要もない。
具も一緒に入っているし、味は一定水準で失敗がない(冷たい水でも食用可だから)。

今までなら、おにぎりか調理パンを冷たいまま齧るだけだったが、
暖かい湯で食べるカップ麺はやはり充実感を得る。
下界だったら残す汁も、汗をかいたので塩分補給として飲み干せる(残すとゴミになる)。

そして、残った湯でインスタントコーヒーを飲む。

ストーブ内で枝を燃やすのに手こずったこともあり、昼食にたっぶり1時間を使った。
燃焼した枯れ枝は最後は炭の燃えかすの白い粉になるので、念のため水で消火して、草木の養分(炭素)として付近にばらまく。
実にエコなストーブなのだ(今では安い中国製も出回っている。雨の中ではこのような使い方はできないので、アルコール燃料も併用できる)。 

さぁ、あとは、下山するだけ。
雌岳に戻り、下りは尾根コースを選び、どんどん急坂を下っていく。 
急坂の連続でだんだん左脚の腸脛靱帯が疼(ウズ)いてきた。
実は、標高800m台ということもあって、今回はいつものZAMSTではなく、もっとシンプルなサポータ(一応腸脛靱帯炎対応を謳っている)を試しに装着してきた。
ところが、標高の割りにきつい急斜面の下りのためか、もうお手上げ状態。
念のため持参していたZAMSTを装着したが、時既に遅し。
腸脛靱帯炎は一度痛むともう後には引かないのだ。
下りの中、ほとんど歩行困難になりながら、なんとか誤魔化して降り、麓の車道に下り立った。
山道や階段ではない普通の道になれば、多少の下り坂もウソのように問題なく歩ける。 

駅前の道の駅に寄って、地元土産の「しゃくし菜」(秩父地方特産の漬物で大のお気に入り)を買い、缶ビール代わりにペプシを自販機で買って、駅のホームのベンチで味わった(学生時代からペプシはビール代わり)。

次回は、腸脛靱帯炎を気にしないですむレベルの山で、ソロ・ストーブを使い慣れるようにしよう。 


新幹線全面ストップに遭う

2018年10月19日 | 失敗・災難

いつもなら16時頃の名古屋発のぞみで帰京する金曜。
19日の今回だけは、大学院の入試業務のため、名古屋駅に着いたのが18時半近くになってしまった。

自由席特急券を買って、改札に向うと、そこは人・人であふれかえっている。
1時間ほど前に山陽新幹線の姫路で人が走行車両と接触する”接車”事故が起きたため、山陽・東海道新幹線は全線ストップで、ホームへも入場規制で入れないのだった。

この事故は、すでにネットで知っていたが、それは山陽新幹線の事故だから、大阪以東の東海道新幹線は影響こそ受けるものの、まさかこちらまで全面ストップとは思わなかった。

復旧にはあと1時間はかかるとの案内なので、まずは車内用に買った巻き鮨と発泡酒を駅外の広場のベンチに坐って平らげた。

1時間程度の遅れなら、立ってでも乗って今夜帰ろう。
ということで、改札前の人だかりに加わる。
といっても、整然とした行列にはなっておらず、私の乗車券は回数券の組み合わせなので、ほとんどの人が居並ぶ自動改札ではなく、端っこの駅員が入札する出入口の前に陣取る。 
東京方面の自由席なので、入場できないか確認したかったが、前の人が同じ事を尋ねて、入場規制中なので改札外で待っていろとのことだった。
駅員が対応する改札の内側では、出札する乗客が払戻しの処理を受けるために行列になっている。

ときたま、拡声器で状況報告がされる。
そして、なんと復旧予定が30分繰り上げられ、20時頃になるという。
復旧しても、この混雑が名古屋だけでなくすべての駅で発生しているのだから、そして名古屋は始発駅でないのだから、来る便はすでに満杯だろう。
デッキに立ったままで帰ることは覚悟するが、そもそも乗車できるまでに幾便見送らねばならないか。

この混雑下で無理に帰るのではなく、いっそのこと明日朝に帰ろうかとも思うが、20時くらいに乗れるなら、名古屋宅に戻るには早すぎると、もうすこし粘ることにする。

こうして1時間半じっと立って待ち、さらに車内で2時間立ったまま帰るのも、足腰のトレーニングになると思えばいい。

そうこうしているうちに、まずは下りの次駅である岐阜羽島に行く乗客だけの改札が始まる(今ホームに止っている列車がそこまでは走ることになったという)。

そして、いよいよ入場規制が全面的に解除になった。
あふれかえってたまっている人たちが、実に整然と改札を通り抜ける。
行列はなかったのに混乱はまったく起きず、声を発する人もいない。
私もいつもどおり、駅員に計5枚のきっぷの改札を受け、ホームに向う。
ホームまでの空間には、改札を受けたものの乗車できずにいた乗客たちが、疲れたように坐り込んでいる。
彼らよりは待ち時間が少なかった私は、彼らをすり抜け、上り(東京行き)用のホームに上ると、左右両側に車両が停まっていて、ホームはその次の便を待つ客の列が各乗車口ごとにうねうねと伸びている。
14番線にはのぞみが停まっていて、しかも次発ののぞみがこちら側に来るため、列が長い。
それに対し15番線はこだまが停まっていて、並んでいる客は次の次ののぞみを待っている。
こちらの列の方が短い。
次に来る14番線で待っても、あの列の長さでは乗れそうもないので、15番線側の1号車の最後尾の乗車口の列(列の中で一番短い)に並ぶ。 

まず14番線ののぞみがデッキまで客を乗せてゆっくり走り出す。
そして名古屋駅の手前(岐阜羽島寄り)で停車していた次発の列車が入ってくる。
14番線側に並んでいた列がどんどん車内に吸収されるが、やはり列の途中で動きが止った。

一方15番線のこだまは、普段もガラガラな各駅停車だけに、立ってまで乗る乗客はおらず、座席が埋っただけの状態で発車。
そしてやはり、駅の手前で停車していた次ののぞみが入ってくる(後で確認したら博多発の便)。
この便、けっこう自由席が空いている。
おかげで私も席を確保できた。
ただ、私より後ろに並んでいた人たちは、車内で立ったまま帰ることに(指定席は完売)。

ということで、待つ事1時間半、列車のダイヤとしては2時間の遅れで、帰途につく事ができた。
しかも坐って。

三河安城までは徐行状態だったが、それ以降は普通の速度で走り、新横浜の手前で幾度か停車し、品川の前でも幾度か停車した(前が詰っているため)。
なので空腹をかかえていたので品川で降りて、駅そばを食べて、ここからは山の手線で帰った。
駅からの帰途、買物に寄ったりしたので、帰宅したのは23時。
今日は風呂に入って、寝るだけ。 

この遅れのため、特急券は払戻しされる(1年以内にみどりの窓口で)。

それにしても、山陽新幹線での事故で、大動脈である東海道新幹線までが全面的にストップするのは大迷惑。
これシステム的になんとか改善してほしい。


今頃iPodtouchを買う

2018年10月14日 | パソコン・メディア

今更ながらiPodtouch6(以下touch)を買った。

実は、先日の丹沢大山での帰り、参道の石段でiPadmini(以下、iPad)をコンクリの路面に落としてしまい、画面にひびを入れてしまった。
なぜ落としたかというと、iPadの地図アプリで現在位置を表示させて紐つきケースでぶら下げていて、階段を降りる振動でケースから抜け落ちたから。
幸い、画面閲覧には支障がないが、今後iPadを地図代わりに持ち歩くことは遠慮した方がいい。

そもそも現在位置を確認するだけなら、あんな大きな画面でなくてよい。
実際、車のナビとしても使ってみるのだが、デカすぎて重すぎて、車内での固定に苦労している。

ちなみにGPSは専用の受信機、そして地図の画面更新は無線wifiを使っている。
つまり、これらを使うなら、 小さく軽量なtouchでいいのではないか。
touchは、いわば電話機能なしのiPhoneで、アプリは大抵使え、2万円ちょいで買える。

というわけで、最安値ではないがその場で買えるヨドバシでtouchの黒モデル(32GB)を買った。

パソコンのiTunesにバックアップしていたiPad(64GB)のアプリなどをインストールし、余計なアプリは削除し、iPadと使い分けることにする。

当然だが、携帯するにはtouchの方がはるかに楽(何しろポケットに入る)。
ただし、画面が小さく(現行のiPhone類では最小) 、ネットや電子書籍の閲覧には向かない(私の読書の半分は電子書籍)。
なので、音楽やラジオなどの聴取と地図での現在位置確認に特化する。
ついでに天気予報やメール受信にも使う。

今までiPadを持ち歩いていたが、touchをポケットから片手で出して操作する手軽さに改めて便利さを感じ、少なくともiPadだけを携帯することは今後はなくなるだろう。
ただ、バッテリの減りが速いので、一日中出歩く場合は、充電用バッテリも必須(バッグの中にいつも入っている)。
その代わり充電速度も速い。

実は、私が最初に手にしたタブレットはtouchの方で、忘れもしない2011年3月11日。
数年後、そのtouchにひびが入ったので、iPadminiに替えたら、画面の大きさが閲覧に丁度よく、それ以来ずっとiPadを携帯していたのだ。
つまり今回、互いの立場が逆転したことになる。

ということは、客観的には、touchは小さすぎる欠点があり、iPadminiには(携帯には)大きすぎる欠点があるということになる。
その中間の大きさである最新のiPhoneXSMAXが最適なのかも。 
いや、今の2つを使い分けた方がそれぞれの便利さを充分に堪能できる(小さいtouchを余分に携帯してもまったく負担にならない)。
何しろ安上がりだ。


荒川を歩く2:北千住から赤羽

2018年10月08日 | 川歩き

連休最後の体育の日。
昨日と打って変わって気温が低く曇天。
これって絶好のウォーキング日和。

実はスクワットのやり過ぎでか、階段の昇降時に両膝が痛むので、山には行けない。
となると次善の選択肢は平坦な”川歩き”となる。

そして選択肢として頭に浮かぶのは、以前に河口から歩いて足立区の千住まで歩いた荒川(→荒川を歩く1)と隅田川(→隅田川を歩く1)。
この両河川、(河口から見て)千住から赤羽まではほぼ隣接して流れている。 
しかも赤羽にある岩淵水門は荒川と隅田川の分流点。 
なので両者をひとまとめに歩くつもりで、荒川の前回の終了点・北千住から歩くことにする。
隅田川は不必要に湾曲してしかも河川敷がないので、荒川の方を選んだ。


さて、前回の終点千住大橋から歩くため、JR北千住駅に降り立つ。
東京東北部一の繁華街なので、まずは地元の店で腹ごしらえのつもりでいたが、手ごろな蕎麦屋が見当たらず(飯やラーメンでなく、軽く蕎麦でいい)、旧・日光街道の宿場通り(都内でも珍しく宿場の風情が残っている)を進んでいくうち、由緒ある名倉医院(各地に支院があり、母も世話になった)の本拠地を過ぎると、荒川の堤防(前回の終了点)に達してしまった。
しかたないので、空腹をかかえて歩き始める。
この先、川沿いにコンビニなどないだろう。 

荒川は、都内を流れる川では一番の大河川で、河川敷が広く、(少年)野球のグラウンドが続いている。
河川敷の道は、川には近いが、川べりとの間には潅木林が続いているため川はほとんど見えない。
むしろ堤防上の道の方が川を見下ろせ、対岸も上流も見渡せて、見晴らしがいい。
といっても、川も河川敷もそしてその周囲の景色もいくら歩いても変わり映えしないのが辛い。

歩きはじめて1つめの橋である千住新橋(現・日光街道)に、足立区立中央図書館がある立派なビルが堤防上の道から入れるので、レストランがあるのを期待して行くと、最上階にあった。
川沿いで地元の店で蕎麦(たぬきそば)を食べれて満足。


トイレもすませて再び歩き出す。
この付近は、下流と同じく、川面よりも堤防外側の住宅地の方が低い(写真:左が堤防下の住宅地、右の白っぽい線が荒川水面)。
なので荒川が氾濫したら、流域一帯、すなわち足立区南部から隅田・江東区に到るまで水没する。
しかも海抜0m以下なので、その水は海に流れず溜まる一方。
かくも荒川の治水は東京の防災の最重要問題なのだ。

ほどなく、左側に隅田川が近寄ってくる。
堤防下の道路一つ隔てて、両河川が並び、左手に隅田川、右手に荒川と視野で180°離れて並行する(両方を同時には見れない)。

無人モノレールの舎人ライナーが走る扇大橋をくぐると、隅田川が離れていく。
堤防上の道は眺めがいいが(たとえば隅田川を見れる)、川を横断する道路にさしかかると信号待ちになる。
一方、河川敷の道は、眺めは悪いが、横断する道路の下をくぐり、また川の屈曲に対して円周の無駄がない。
なので、基本は堤防上を歩くが、横断道路とカーブでは河川敷を歩く。
いずれにせよ、川歩きは日差しを遮るものがないので、今日のような曇天日に歩きたい。


江北橋を過ぎると再び隅田川が左から接近してきて、今度は歩いている堤防が隅田川の堤防も兼ね、すなわち両河川の間の堤防を歩く状態になる。
丁度堤防上が拡がって「宮城ゆうゆう公園」になって一帯が芝生状になっているので、隅田川にも行ってみる。
隅田川は河川敷がなく、人工のコンクリ板状の堤防で囲われている。
川沿いに遊歩道こそあるが、広い眺めでゆったり歩くなら荒川の方がよい。

左手の隅田川は、半島状に突き出た北区の豊島五丁目団地を左カーブして、左手奥に遠のいていく。

荒川の河川敷もここからは、今までのようなグラウンドではなく、池などがある公園状になっていて、川べりまで近づける。
せっかくなので川べりに行き、川の流れを目の前で見る。
川は濁っているが、釣り糸を垂れる人もいることから、死んだ川ではない。

行く手の対岸に見える高層ビルは、川口(埼玉県)にあるエルザタワーという55階建ての高層マンションだ。

昔は、東京と川向こうの県とでは、東京側の都市的風景が勝っていたが、最近は、川向こうの川崎(武蔵小杉)や川口の方が東京側より都会的。


鹿浜橋を過ぎると、三たび左から隅田川が近寄ってくる。
右手の荒川対岸に新芝川が直角に合流してくると、対岸は足立区から埼玉県川口市となり、ここから荒川も県境の川となる。
左の隅田川の上流に岩淵水門が見えてくる。
左手に隅田川、右手に荒川、そして正面に荒川と隅田川の分流点である水門という雄大な風景の中を歩く(写真:左が隅田川、その奥が岩淵水門、中央のビルが川口のエルザタワー、その右が荒川河川敷)。

河口から千住までの荒川・隅田両河川の川歩きは、はっきり言って単調でしかなかったが、今回の千住からの上流部は、両河川が3たび並んで視野いっぱいに川の風景が拡がるので、変化があってそれなりに楽しめた。


いよいよ岩淵水門(新と旧の2つある)に達する。
隅田川はこの水門で荒川とつながっている。
実は隅田川は元は荒川の下流だったのだ。
ところが荒川の治水のため、隅田川とは別に放水路を造り、それが今の荒川下流となった。
新水門は、荒川が増水時に、余った水を隅田川に流すための役割を担っている(ただ隅田川は河川敷がないため、あまり余裕はないと思う)。
ということで荒川と隅田川は元は、そして今でも一体なのだ。
今回の川歩きでその一体性を確認できた。

旧水門奥の島状になっている緑地で一休みし、堤防向こうの「荒川知水資料館」に入って、トイレを借りてペット飲料を買う(ここは数年前に見学済み)。
河川敷は有料のバーベキュー会場になっていて、道具などは貸してくれるようだ。


ここを今日の終点とし、赤羽(東京東北部で北千住に次ぐ繁華街)に向うため、荒川から離れる。
すぐに渡った橋に流れる先ほどまでの隅田川は、水門の上流ですでに「新河岸(シンガシ)川」と名を変えている。
新河岸川は隅田川の(荒川に代わる)新しい上流になっているのだ。 

新河岸川を渡ってすぐの小山酒造(都区内唯一の地酒醸造所)の店で、「丸真正宗」ではなく「どぶろく」を買った。

この先の荒川も新河岸川も川歩きの対象にしたら埼玉県に入り込んでたいへんな長丁場になるので、とりあえず東京の川歩きとしては、これで完歩としたい。

荒川を歩く3:赤羽から彩湖


10月に30℃超え

2018年10月07日 | お天気

台風が北日本に進んだため(すでに温帯低気圧になった)、それが呼び込む南からの暖かい空気が関東を覆っている。
東京(「本駒込」)は、午前10時で32℃(最高気温は35.1℃)。
当然、エアコンの冷房をONにした。
夏服がまだしまえない。 

関東は、日本の中で南東に出っ張った場所で、しかも東と南側が海で、北と西側は山に囲まれているため、中部や東北とは異なった独特の天気になることがある。
たとえば関東は太平洋高気圧に一番近い。
実際、同時刻の名古屋(「星が丘」)は25℃。 

「体育の日」前日なのだが、暑過ぎるので、外出する気にならない。

これは異常気象かと、我が「本駒込」の過去の観測記録を見たら、昨年も10月に32℃を記録していた。
一方、愛知県の「日進」・「星が丘」ともに、10月に30℃を超えたのは2008年以降の記録では2013年だけ。 
ということは、やはり関東に特異な現象とみるべきか。

日本の3箇所で気象観測を続けている結果を見ると、月間で気温が急降下するのは、10月〜11月、逆に急上昇するのは3月〜4月の間。

10日の今日は冷房を入れても、きっと月末には暖房を入れたくなるだろう。


老母の誕生祝賀松茸パーティ

2018年10月06日 | 身内

10月生まれで今年89歳になる老母の誕生パーティを、例年どおり松茸の鉄板焼き食べ放題で祝った。

母は数年前に脳梗塞を患ったが、ほとんど後遺症もなく回復し、毎週のリハビリジム通いが奏効してか、骨密度は却って増えているほど。
毎週、トレーナーが指導するジムと町内会のカラオケとボランティア事務に通い、そして家には4歳を最年少とする孫たちと散歩が大好きなイヌがいるという、老人にとって最適な生活環境にあるため、すこぶる元気である。

その母の健勝を祝い、長寿を願う意味もあって、年に一度だけ、この季節の最高の味覚である松茸を家族でふんだんに食べることにしている。

購入担当は私で、松茸販売が居並ぶアメ横での決った店で買っている。
アメ横での表示価格は、もちろん交渉前提の値。
祝い事でもあるので、交渉を粘ることはしないが、最初の言い値よりは負けてもらう。

デパートの国産の売り値は、アメ横の表示価格並みなので(正しくは、アメ横の表示価格の方がデパートの価格を参照している)、デパートでは松茸以外の一緒に食べられるキノコ類を探してみるのだが、今までの経験では、風味・食感で松茸と同席できるものはない。

なので、アメ横隣の御徒町の吉池で、形が日本産とそっくりな中国産の松茸を買ってみた(3本で1700円程度。これでも国産に比べるとバカ安)。
中国産よりやや高めのカナダ産もあったが、見た目が松茸と同定しがたいので選択肢から外した。
ところが、形だけは松茸の中国産は、ラップを開けた段階から、あの固有の香りがなく、また食べてみて風味・食感もまったく無きに等しい(いうなれば松茸の形をしたエリンギ。それだったらいっそ2本100円のエリンギで充分)。
つまり日本産の松茸が”松茸”といえる唯一のものであることが、食べ比べてみてわかる。 

その松茸の風味を一番味わえる食べ方は、経験上、縦に4分割して、平らにしたのを、鉄板焼きにして、しんなりしたところをカボス・塩胡椒をつけて食べること(炭火焼きよりも風味が出る)。

せっかくなので、永谷園の「松茸のお吸い物」(松茸の風味エキス入り)にも本物を加え、また飯も市販の”松茸ご飯”を炊き込む(もち米をまぜて炊くととてもおいしい)。 
この組み合わせにすれば、あえて手間をかけて天ぷらや土瓶蒸しにする必要はない。 

残念なことは、4歳になったばかりの姪が、食べつけない松茸に手をつけないこと。
むしょうにありがたがっている大人たちに加わってくれるのはいつになることか。

ちなみに(これ、私の口癖だが、最近4歳の姪もこの言葉を覚えた)、今時分に信州の宿をとると、松茸づくしの特別料理を味わえる(もちろん、特別料金)。
ただ一人で賞味した経験では、分かち合える相手がいない感動の寂しさを味わってしまった。


休肝日が年1日の肝臓

2018年10月05日 | 健康

9月の健康診断結果が出た。
おおむね、ここ数年の結果とたいして変わらず、要受診・要精検となる項目はなかった(高血圧治療は実施中)。
その中で毎年我ながら感心するのは、毎日飲酒を習慣とし、酒を断つのは健康診断前日だけなのに、
アルコール性肝障害の指標であるγGTPがいつも基準値におさまっていること。
前日も飲酒した場合は、値が基準値を越えたことから、逆にいえば、酒の処理で一時的に値があがっても、すぐ基準値に戻れる状態なのだ。

これには仕掛けがある。
実は、毎晩、L-システインのサプリを1錠飲んでいるのだ。 
私の肝臓がアルコールの毒素にへたらないのは、この成分のおかげだと思っている。

それなくして、年に1日しか休肝日をもうけず、それ以外は毎日、夕食時に発泡酒かワイン
寝酒に焼酎の炭酸割りを嗜んでいるのに肝臓が平気なのが理解できない。

アルコールの他の影響として、尿酸がちょっと高め。
LDL(悪玉)コレステロールも基準値より高めだが、HDL (善玉)コレステロールも負けずに高いので、
悪影響は相殺されている(ただし総コレステロールは昔から基準値を超えたまま)。

ついでにL-システインは肝臓機能を強化する結果、肌もきれいにするという。
当然、シワ・シミは無い。
副作用として白髪が増えるとも言われているが、私の白髪は年相応かそれ以下レベル。

私にとって酒は日々のパートナーなので、これとの関係が絶たれる事は絶対に避けたい。
なので肝障害とアルコール依存にならないよう注意を払っている。 
前者にL-システイン摂取、後者には時間と量の節度を守って、決して酩酊しない。 


私設「星が丘気象台」が2年ぶりに復活

2018年10月01日 | お天気

強風を伴う台風24号が本州を縦断するので、温泉宿をキャンセルして、日曜は名古屋宅にいて月末締切りの書類を完成させ、台風一過の月曜は、大学に設置してある気象観測器の整備をした。

大学には2ヶ所のキャンバスにそれぞれ気象観測器を設置して(それを物干し用の金属の垂直ポールに取り付け、足元はそのポールとセットになっているコンクリの台座にポールを挿し込んでいる)、本部の星が丘は、新品を買ったばかりで、セッティングを済ませぬまま台風を迎えるので、設置場所の屋上に横たえて、台風21号時の旧機のように強風で壊されないようにした。
なにしろ風速30m/hを越えると、コンクリブロックの重しも効かず吹き飛ばれされてしまう。

一方、日進キャンバス屋上に設置してある観測器は、台風21号時にやはり飛ばされたが、壊れはしなかったので、今回も頑張ってもらおうと、重しを倍増して、台風24号の通過を実況してもらうことにした。

そして、昨晩、21時前、その観測器は瞬間風速33m/hを記録した後、風速と雨量が0になった。
より強い風に耐えられず、観測器が倒れて、地面に横たわったのだ。

台風一過の翌日、まず日進キャンパスの屋上に向った。
案の定、観測器は、コンクリの台座ごと北に向って倒れていた。 
台座にはコンクリブロックを乗せて重しにしていたのだが、風速35m/hを越えた風には勝てなかったのだ。 
「しっかりせよ」と抱き上げると、幸い、倒れたていた観測器は破損はしておらず、立て直して、再設置。
実は、垂直ポールの中ほどに水平ポールをかまして補助ポールとつなげて、特定方向の力には耐えるようにしてあった。
その方向は定常風の北西にしていたのだが、風速30m/hを越えるのは台風だけなので、台風からの方向である南東に向け直した。
たぶんこれなら、風速40m/hも耐えられると思う(かくも気象観測器って過酷な環境で働かされる)。

そして、本部のある星が丘キャンパスの屋上に行き、寝かしてあった新品の観測器を立て、こちらも補助ポールを台風の方向(周囲の地形の影響で東)に向けて設置した。
そして、観測データを無線で受けてネット配信するためのパソコン(室内にある)を設定しなおし、2016年6月を最後に停止していた星が丘での気象観測が復活した。 

これで久々、星が丘、日進、そして東京の本駒込の3ヶ所の同時観測体制が復活した→一覧画面
オリジナルな気象観測をしたい気象予報士として、実に嬉しい。
今年一番の慶事なので、今夜は祝杯!