今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

年度末の桜

2015年03月31日 | 歳時

3月31日は年度末で、いわば第二の大晦日。
冬物を着なくなり桜が咲くこの時期こそ、真の”新春”を実感できる。

「春休み」が終わる私も、桜の便りに誘われて、例年通りの「谷中から上野の桜見物1人ツアー」にカメラ持参で出かけた。

谷中霊園は桜も人もまばらなので、桜の樹一本一本を丹念に見、また撮影できる。
せっかくなら桜の花に近づいて撮ろう(右下写真)。 

谷中から東京芸大を抜ければ、そこは上野公園。

こちらは人も桜の木もぐっと密度を増すので、全体の壮観を味わうのみ。 

谷中は墓地なので、樹下での飲食は禁止されているが、上野は花見の宴が名所なため、宴会をしない人はただ通りすぎるだけとなる。
桜を撮ろうとしても、ここは木の背が低いため、道行く人の顔ばかり写ってしまう。 

歩きついでに秋葉原まで足を伸ばす。

ここに来ると、一軒づつ覗いて、思わずサイフの紐もゆるむ。

そういえば、先日、飲み会のため南青山から表参道を歩いたが、あちらは入りたい(入れる)店がない(アップルストアくらい)。

秋葉ではせっかくなので、気象観測用の壊れたPCの買い替えに中古のノートを買った(それといろいろ小物)。
ここでの買物は生活を便利にしてくれるから楽しい。 

そういえば今日は平日なのに、上野も秋葉原も人でごった返していた。
どうみても定年後の高齢者・春休みの学生・専業主婦ばかりではない。
私もそれに該当しない一人だが…


八王子城を歩く

2015年03月28日 | 城巡り

戦国の関東をほぼ掌中にした小田原北条氏が誇る名城とえいば、本拠地小田原城に次ぐのが、都下八王子市にある八王子城。
ここは四代当主氏政の弟氏照の居城で、(前回訪れた)滝山城を捨て、新たに築城したものだ。

標高460mの深沢山の麓に広い御守殿を構え、山全体、いや山をかこむ周囲一帯が山城を形成している(小田原城に匹敵する広さ)。

戦国末期というか、戦国が終了する時の城でもあったので、かなりの豪勢な造りだったようだが、いかんせん豊臣軍(前田利家・上杉景勝)の攻撃で落城炎上したため、しばらくは自然の開析にまかせられていたが、最近になって復元が進んでいるらしい。

標高的に山歩きにもなるので、リュックにストックという登山装備で出かけた
(カメラを入れ忘れてしまったので、撮影はiPadminiで代用)。

高尾駅でバスに乗り、「霊園前」で降り、ありし日の城下町の一本道を歩く。
家臣が居住していた根古屋地区からは目ざす城山が見える(上写真)。
途中氏照の墓(実際には元禄時代に建てられた慰霊塔)に立寄り、最近できたガイダンス施設でトイレを借りる。

まずは山麓の川沿いの御守殿跡を見る。
ここは城主氏照の居館跡で、会所や庭園も発掘され、会所の平面が復元されている。
また石段や腰石垣も復元され(右写真)、 復元にもうひと頑張りすれば立派な観光名所になりそう。

いよいよ山に登る。
馬蹄段という段々になっている曲輪に沿って登り、やがて八王子神社(八王子の地名の元) が現れる。
このあたりは広い曲輪が連なっている。
そして裏の山頂が本丸(実はこの山頂に立つのは2回目)。
少し下った所に「坎井」(かんせい)という井戸があり、手押しポンプがついているので、ありがたくいただく(やはりここも山上に枯れない井戸がある)。

本丸背後の本丸より標高が高い詰の城まで行き、引き返す。
といっても往路を戻るのはつまらない。
登城路はガイダンスの地図では1本しか記されていないが、持ってきた冊子『八王子城』(峰岸純夫他編 揺籃社)によれば、あと3本ある。 

そのうちの1つ、心源院ルート(北東尾根)は分岐に指導標があったので、それを下ることにする。
踏跡は細いが、標識は完璧で迷うことはない。
途中、氏照墓への分岐を見送り(そちらに下ってもよい)、大六天という小ピークで一休み。
この道の所々に材木を切って腰かけが作られているが、ここは夫婦桜のうちの一本が勝手に切られ、ベンチの材料にされようとしているらしく、切られた桜に十字架が、そして手書きによる怒りと悲しみが吐露された看板が立て掛けてあった(切る木に関して行き違いがあったようだ)。

さらに下ると、麓がよく見える向山北砦に出る。
北からの侵入に対しての頼もしい砦(のはずが…)。
秋葉神社を抜けて終点の心源院の広い境内に下り立つ。
心源院は、大石氏が開基した曹洞宗の寺で八王子城より古い。山号は「深澤山」。

ここからは平地でバス停に向う。

トンネルを抜けた所にバス停があるが、バスの便が多いのを確認して、バスに乗らずトンネルの上に上る。
そこは段差のある山になっているが、山城巡りに慣れた目には、腰曲輪であることがわかる。
そう、ここは小田野城跡という八王子城の出城なのだ。
小田野という家臣の屋敷跡という言い伝えがあるが、空堀や曲輪があり”城”といえる。
ただしここの解説版は城跡を出た向かい側の公園にある(地元の人に教わった)。 

という具合に、このルートは出城巡りができるのが利点。
往路を戻るより山城歩きとしてはずっと充実。
山の下りでいつも痛む左膝靭帯もなんともなかった。 


北伊豆を歩く

2015年03月25日 | 

畑毛温泉(伊豆の国市)に泊った翌朝、
入浴三昧の昨日とは打ってかわって、今日はひらすら歩く。

まず泊った大仙家の正面に聳える畑毛温泉のシンボル・大仙山(167.2m)に登る。
ごらんの通り標高は低いが、タンコブのような岩山は、一度覚えれば遠くからでも見つけられる(右写真)。

宿から少し高みに上がるだけで、宝永火口を正面にした雪の富士が(山腹の宝永火口が中央に収まっているだけに)きれいな文字通り”富士型”をなしている(右下写真)。
左の背後には南アルプス南部の三千メートル峰が連なっている。
この風景を拝めただけでも来た甲斐があった。

逆にこの(銭湯の)絵のような風景を毎日見ている地元の人にとっては富士の存在感てどうなんだろう(普通の山に比べて存在感が有りすぎる)。

磨崖仏のある鉄製の朽ち果てた歩道の下の道に入ろうとしたら、鉄歩道の下にある鉄ポールの角に頭をぶつけて、自分がタンコブを作ってしまった。

それでもめげずに山頂に達し、祠のある石壇に上って大展望を満喫。

宿に戻って、ひとっぷろ浴びて汗を流し、チェックアウト。

一本道を南下して、国清寺に行く。

ここは、関東管領・上杉憲顕が再興した所で墓もある(この寺を訪れるのも今回の旅の目的の1つ)。

この付近は奈古谷(なごや)といい、北野武の映画「菊次郎の夏」に出て来たような(同じ静岡県内)バスの来ない”バス待合所”がある(右写真)。

北伊豆は、海こそないが、あえて山に登らずとも居ながらにして富士と南アルプス南部、箱根が一望なのがいい。
退屈そうな一本道(学校のある時だけバスの便がある)をひたすら歩くも、かように眼福の道行きだった。

やがて原木(バラキ)駅に着き、そこから三島に出て、熱海から東海道、いや上野東京ライン(小金井行き)で帰った。


伊豆畑毛温泉大仙家

2015年03月24日 | 温泉

学校が春休みになる直前のタイミングを見計らって、東京の実家から二度目の温泉旅に出た。
今回は、南に向かって伊豆へ。
伊豆といってもそこは東伊豆でも西伊豆でもない北伊豆(伊豆の国市)なので、
海とは無縁の山の麓(富士には近い)。
伊豆半島中央の付け根にある畑毛温泉は一応温泉街を形成しているが、伊豆には珍しく観光地ではなく、湯治向き。
しかも加熱しない「ぬる湯」なのでゆっくり長湯が前提。

泊った宿「大仙家」の部屋はツインの洋室で、ベッドはセミダブルなのでゆったり。
小さなベランダに椅子があり、座ると木立の間から宝永火口を正面にした雪の富士が大きい。

この宿、源泉が2つあり、1つはナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩泉(溶存量1018mg/Kg,33℃)の「大仙湯」(浴槽は36℃)。
もう1つはアルカリ単純泉(溶存量213mg/Kg,29℃)の「韮山湯」(浴槽は27℃と冷たい)。
泉質と濃さと泉温から迷うことなく「大仙湯」がいい(実際にみんなこの浴槽に集る)。
浴槽の温度は長湯に向いており、実際、30分から60分は浸かっていろという。
退屈しのぎ用に防水の文庫本が脱衣場に置いてあるが、
私はiPadminiをジップロックに入れて電子書籍を読む。
確かに読書をしていると長湯も退屈しない。 

大仙湯の湯口からとったサンプルを測ると、電気伝導率は1141μS(27.6℃)と、それなりに濃い。
pHも8.2あり、アルカリ泉としても味わえる。
一方韮山湯は、電気伝導率が227μS(24.8℃)と低い(pHは同じ)。
アルカリ単純泉なので温泉というには薄いのだ。
やはり大仙湯に限る。
ちなみにこれら温泉の他に浴室には「主浴槽」という40℃の浴槽もあるが、電気伝導率は韮山湯よりさらに低く宿の水道水と同じだったので、たぶん白湯だろう。

そもそもこの宿にしたのは、中伊豆(伊豆長岡温泉など)は温泉といっても薄いアルカリ単純泉が多く、 ありがたみに欠けていたから。

宿のロビーはシックなウッディで、湯治湯なのに伊豆ブランドに恥じない雰囲気。
書架には井上靖の本が並んでいる。
無線LANが使えるソファに身を沈めて私はこうしてパソコンを打つ。


佐野:唐沢山城

2015年03月22日 | 城巡り

戦国関東において、争奪戦となった山城といえば、佐野氏が守る唐沢山城(栃木県佐野市)。
関東管領として関東を治めたい上杉謙信が幾度も攻略したが、結局は北条方に落ちた。
関東に織豊系の高石垣が残る珍しい山城でもあり(上写真)、昨年国指定史跡になった。

城のある佐野市は、同じ両毛線沿いの足利や栃木に比べるとマイナーだったが、売り出しに成功して、むしろ最近では一番耳にするようになった。どうせなら町も楽しみたい。

東京からだと東武鉄道で、館林で乗り換えて佐野市街を越えて「田沼」で降りる(北千住から1000円未満)。

ここが城の正面口で、麓には屋敷跡がある。
登り口にある「県立田沼高校」は、今年3月で廃校となり、同窓会による感謝の幕が張ってある。
我が高校と同じか。
卒業生の親子らしき2人が閉じられた校門から中を見ていた。

車道から登山道に入り、深い竪堀を右に見ながら登る。

山上に出ると石垣の升形虎口があり、ここから曲輪が続く。
山の上なのに枯れない井戸があるのも、優れた山城の証拠。

二の丸・本丸には関東では珍しい織豊系の高石垣がしっかり積まれている(上写真)。
本丸には唐沢山神社の社殿(明治になってからの創建)があり、最初にここに城を築いたと伝説のある藤原秀郷を祀ってある(後の城主佐野氏は秀郷末裔)。

山の上で気分が良く、もっとゆっくりしたいのだが、電車が1時間に1本なので、時間を見計らって急いで下山する。

田沼駅に戻って駅付近を歩いたら、「日本列島中心」の石碑があった。
ここは北海道~九州と本州の両側からの中央部に位置するのだという。

電車で佐野に戻り、駅北側の佐野城跡を見る。
ここは戦国時代の唐沢山城を廃城にして平和な江戸時代に街中に移った城。
城の目的が異なるわけだ。

佐野市郷土博物館まで20分歩く(バスの便がない)。 
ちょうど唐沢山城跡国指定史跡記念として「上杉謙信がやってきた」展をやっている。
それと郷土の英雄・田中正造の展示も。

 ただ唐沢山城については、神社の社務所で買った『戦国唐沢山城』(出居 博)が分かりやすい。

ここまで来たからついでに、佐野厄除け大師(関東三大師の1つとして売出しに成功)に立寄り、
電車の時刻に間に合わせるため、地元名物「佐野ラーメン」も「イモフライ」も食べずに「佐野市」駅に急いだ。

メインの山城は堪能したが、佐野市内は足早に通りすぎ、”味わえなかった”のが心残り。
でも、もう行く機会がないかな…。 


心理学の拡大再編成

2015年03月21日 | 心理学

これからの心理学は新たなステージ、統合された段階に進むかもしれない。
従来の成果の統合だけではなく、新たな視点を加えることで、心理学そのものが広がり・深まる可能性を感じている。

まずはそのキーワードを列挙する(ワードの説明は省く)。
二重過程理論(システム1,システム2)、ヒューリスティック(行動経済学)、現象学(フッサール、メルロ=ポンティ)、エナクティブアプローチ(竜樹)、マインドフルネス(初期仏教、認知行動療法)、精神神経免疫学(ストレス)、存在論(ハイデガー)。

特徴として
①理論(原理)的であり、また実践(実用)的である。
②認知心理学、社会心理学、臨床心理学が理論的に統合(構造化)される→心理学がやっと1つの「学」になる。
③仏教哲学がベースの1つになっている:ただし仏教を宗教とは見なさず、学的理論として扱う(信仰を求めない)。
④心理学の限界を超えて、心と身体が統合された生身の人間が対象となる。

もう少し具体的に述べると(まだ構想を構造化していない)
●システム1(認知の歪み)の理解:自明視された心理現象(バイアス)への気づき。感情の現象学的理解(⇔神経科学、進化心理学的理解)。自己認識過程。

●システム2の高次化:現象学・エナクティブとマインドフルネスの統合。すなわち、自明性に曇った自然的・自然主義的態度でのシステム2ではなく、視界(意識水準)を最高度に明晰(クリアー)にする努力(行)を実践する。覚-行過程。

●心理学の限界の突破:システム2からシステム1への働きかけの試み。心身一如の理解と実践。自律神経を制御する呼吸-瞑想法から出発し、心的健康と身体的健康(免疫力)の増進。「在ること」への直視。

言い換えれば、仏教から現象学までを取込んだ認知行動療法の理論的・実践的深化をも意味する(私個人は臨床を目的としない)。

むしろ、最終的には、仏教哲学とハイデガー哲学が統合された究極の「存在論(有とは何か)」にまで達し、その原理を日々の生き方・行動に結びつけたい(ハイデガーを誤読してでも”本来的”に生きたい)。

正直言って、自分が興味あるあちこちのものをくっつけ合わせただけなのだが、それらが見事にくっつくことに気がついて、 ならばその作業をやっていこうと思ったのだ(なんと”作法”までもが関連する)。

ちなみに、私は大学時代、心理学に移る前は、仏教を専攻するつもりでいた(サンスクリット語も少々かじり、その時のテキストは因明学派の「刹那滅の論証」)。
そして仏教を去って心理学に向ったのだが、今になって両者が融合できるとは…。

構想がある程度具体化された


磯部温泉を測ってみたら

2015年03月18日 | 温泉

群馬といえば、県の知名度としては全国レベルではマイナーらしいが、
温泉の宝庫としては、”温泉県”を名乗ろうとした大分に待ったをかけたくらい、
その自負では負けない。
東の横綱・草津温泉を筆頭に、伊香保、万座、四万、法師、水上、
有名ではないが私が行った所では、鹿沢、上牧、赤城、榛名湖。
こうみると、高崎から北上する上越線・吾妻線沿線に名湯が分布している。

だが群馬を通る幹線路といえば、むしろ高崎から西に向う中山道・信越本線だ。
といっても、前者は「上信越自動車道」に、後者は「北陸新幹線」にとって代わられてしまい、
在来線としては、越後はおろか信州にも達しない碓氷峠の麓の横川が終点となってしまった。

信越本線が健在であったとしても、首都圏の人たちは碓氷峠の向こうの軽井沢に目がいってしまい、途中の磯部駅にいくら温泉があっても素通りしてしまう。
私もその一人であった。

ただ磯部という名は意外に流布している。
「磯部せんべい」として。
この磯部せんべいの産地が磯部温泉なのだ。
いわゆる温泉土産としての温泉煎餅の走りであった。
そしてあの有名な温泉記号「」は、江戸時代の磯部温泉が発祥という(右写真:磯部公園内)。
そういうこともあり、 今まで素通りしていた磯部温泉に1泊してみることにした。

高崎から、信濃・越後には行かない信越線に乗り、磯部で下車。
あえて早めに来て、温泉街とは逆方向の磯部城趾に向う。
そう、せっかくなら山城巡りと温泉巡りを一緒にしたい。 

私が泊った1泊朝食付きの宿の源泉は、浴室の掲示によると川の向こう側(ちょっと遠い)。
成分表によれば、泉質は「ナトリウム−塩化物・炭酸水素塩泉」。pH7.8の弱アルカリ。
溶存物質量は、1280mg/kgとある(1000mg以上あれば療養泉)。

浴室に掲示してある成分表はあくまで源泉のデータであって、実際の浴槽の湯の値ではない。
浴槽の湯について、ここは「成分が濃いため加水している」と記されている。
源泉の濃度(溶存物質量)はちっとも濃くはないけど…

内湯の湯口で採取した湯を測ったら、pHは6.5、電気伝導率はたった117μS(35.6℃)。
はっきり言って伝導率(成分濃度の指標)が低すぎる(3回測って同じ結果)。pHも水道水と同じ。
対照として測った客室内の水道水の値は、pH6.5,電気伝導率99(20.5℃)。
すなわち、内湯の湯はほとんど水道水と同じだ。

これだけだったらフロントに文句を言う所だったが、
「源泉30%で加水している」と書いてある露天風呂の湯口を測ったら、なんと2042μS(33.3℃)!
pHも8.0あり、明らかに温泉にふさわしい値。
なもので、以降はもっぱら露天に浸かった。

ただ、あの値で成分30%だと、源泉の溶存量にしては逆に高すぎる。
いったい本当の磯部温泉の値はいくつか。
気になって、チェックアウト後、温泉街にある足湯の湯口(湯が薄緑色)を測ったら、2036μS(34.1℃)、pH9.0。
さらに日帰り湯の「恵みの湯」に500円払って入り、浴槽の湯口(湯が薄緑色)を測ったら2101μS(34.3℃)、pHも8.0。
いずれも宿の湯とは源泉は異なるが、露天の値とほとんど同じ。
どうやら磯部温泉の”濃さ”としては2000μSちょい上あたりが標準なようだ(温泉として充分濃い)。

やはり源泉の分析表だけではダメで、浴槽の湯を測らないと、自分が浸かっている湯がまっとうな温泉かどうかわからない。 


本を読む楽しみ

2015年03月17日 | 雑感

本を読む目的は大きく2種類ある。
1つは情報を得るため(目的1)。
新聞や学術書を読むのはこのためで、私にとっての読書も大半はこれに当てはまる。
この場合の読書は手段であるから、それ自体は苦痛でもある。
ただ、これが読書のすべてではないことも確か。

もう一つは、悪く言えば”暇つぶし”。
良く言えば、読むことそのものを楽しむため(目的2)。
すなわち目的としての、快としての読書。

以前の記事で「読むに値しない本」に言及したが、
目的1では、情報量(=新しい知識)の無い本がそれに当たる。
なら、情報量の無い本はすべて読むに値しないかというとそうではない。
目的2を満たせばそれは読むに値するから。
すなわち書いてあることがことごとく嘘(情報的価値無し)であっても、
それを読んでいる時間が楽しければそれは立派な”暇つぶし”になる。
嘘なのに読むに値する本、それはズバリ小説(創作話)だ。

人はなぜ小説を読むのか。
それは厳密な意味で”事実”ではなく、しかもそう(うそ)だと分って読む。
リアルでないリアリティ(仮想現実)に、あえて騙されるために読む
(創作の存在意義は、「事実=真実+ノイズ → 真実=事実ーノイズ」という移項式で正当化できる)。

これは学術書を読む時の「騙されないぞ」という批判的態度とは正反対(←小保方論文の扱い)。
その学術書は、仕事として、苦行として読んでいる。
だからこそ、効率化を求めたくなる。

一方、小説は楽しみとして読むのだから、すなわち読んでいる時間を楽しんでいるのだから、楽しみの”効率化”なんかしたくない。
実際、あまりに読んで楽しい小説は、読み終わってしまうと寂しくなる。

学術論文は面倒な時は要約(Abstruct)から先に読んだりするが、
小説の要約なんか読みたくない。
トルストイの『戦争と平和』をひと夏かけて読んだウディ・アレン(アメリカの映画作家)によれば、その作品は要するに「ロシア人の話だった」という。
山岡荘八の『徳川家康』(全26巻)を要約しても、「家康は幼少時から苦労してやっと天下を取って盤石な体制を作った」で終わってしまうはず(読んでない)。

言い換えれば、読んでいるのが楽しくない小説は読むに値しない
(聴くに堪えない音楽は聴くに値しないのと同じ)。

小説はなんで読むのが楽しいのか(苦しくないのか)。
それは、文字を読んでいることを忘れさせ、あたかも映画を見ているか、自分がその世界に入り込んでいる状態になるからだ。
本を読むのは苦しくても、映画や夢を見るのは苦しくない。
映画や夢は現実を忘れさせて、別の感情的世界を体験させてくれる(退屈な生活の者にもスリルとサスペンスを)。

この過程を小難しく言うなら、文字記号の視覚処理の、その処理過程を自覚させないまま、
すなわちタイムラグがほとんどないまま、生々しいイメージ(映像、音声)に脳内変換されている。
これはすごいことだ。
だって明晰な意識状態でテキストを読んでいるのに、
それを意識しないなんて普通ありえない
(眠くなって、文字を読んでいるのを忘れるのはしばしば)。

実際、古文書の解読や難解な哲学書を読むのは、テキストとの格闘以外の何ものでもない。
たとえば、読み下し文でない白文の漢詩を目の当たりにして、
テキストと格闘せずに、表現されている情景がありありと浮かんでくるだろうか。
 歌心のない私は、和歌1つ理解するのに、その31文字と格闘させられる。

文字を読んでいるのを忘れさせる小説には、もちろん読書特有の不自然さ・辛さがない。
やはりこれはすごいことだ。
読書習慣をつけるには、小説から入るといいのは確かで、私自身がそうだった。

なぜ、文字を読んでいるのに、文字を読んでいるのを忘れることができるのか。
文字という記号情報が本来的にもっている力によるのは確かだが
(私が準拠しているメディア論ではこの力の解明が必要だが、ここでは深入りしない)、
最終的には、作家のプロとしての力量の賜物だろう。

一般的な語の組合せで具体的な情景を描写する。
これこそ文字による表現技法の魔力なんだろう。
たとえば、椅子に「座る」という一般的動作を、素人ならそのまま「椅子に座った」と書いてしまうところでも、
表現にこだわるなら、「カウンターの椅子に軽く腰を乗せた」、「ベンチに崩れるように腰を下ろした」、「ソファにゆっくり身を沈めた」と映像化できる動作表現に書き分けることができる。

テキスト表現の可能性と格闘する作家だからこそ、
読者の記号処理を生き生きとした所記(シニフィエ)へ直接変換させる最適な能記(シニフィアン)を選択できるのだろう。

本来なら苦痛となる読書行動を、楽しいと感じさせてくれる著者(作家)こそ、
読者にとってはありがたいし、その技法は学ぶ価値がある。

ここから先は読書行動論から外れるが、
実は私も、そういう表現力を身につけたいと思って、ブログを書いている一人だ。
内容はどうってことない日常の些事でも、表現によって、読むに値する(読んで楽しい)テキストに洗練できるのではないか。
もちろん、それは上っ面の表現技法だけで済むものではない(それも大事だが)。
着眼点や掘り下げ方に価値がなければ、読むに値しないだろう。
誰もが訪れている旅先でも、自分が旅するとこのような表現になる、
そういう人(素人)の旅行記のサイトに魅せられたことがある。
そういう表現者に私もなりたい。


速読用のレイアウト

2015年03月16日 | 雑感

速読するには、目の無駄な動きをなくす必要がある。
それを助けるためにレイアウトも工夫する必要があり、速読用のレイアウトがあっていい。
①と②は同じ文章だが、どちらがより速く、楽に読めるだろうか。ためしてほしい。


この文を読む人
は、1行を一度に見
るだけで、
1つ1つの文字を
追わずに、
どんどん行を見進
めてほしい。

どうだろうか。
どんどん見進めて
文が理解できただ
ろうか。

読むのではなく、
見るためには、見
やすいレイアウト
である必要がある。

1行を7文字にし
たのだが、読みや
すいだろうか。

7文字にしたのは
ワーキングメモリ
の記憶単位である
chunkによる。

1行を瞬時に見れ
るようなったら、
次は、2行以上を
瞬時に見進めて
みよう。

たとえば、1つ
の段落(行の塊)を
一度に見て、次の
段落に見進める。

これができたら1
行の文字を増やし
て、一度に見れる文
字数を増やしてみる。

 


この文を読む人は、1行を一度に見るだけで、1つ1つの文字を追わずに、どんどん行を見進めてほしい。どうだろうか。どんどん見進めて文が理解できただろうか。

読むのではなく、見るためには、見やすいレイアウトである必要がある。1行を7文字にしたのだが、読みやすいだろうか。

7文字にしたのはワーキングメモリーの記憶単位であるchunkによる。1行を瞬時に見れるようなったら、次は、2行以上を瞬時に見進めてみよう。

たとえば、1つの段落(行の塊)を一度に見て、次の段落に見進める。これができたら1行の文字を増やして、1度に見れる文字数を増やしてみる。

 

いかがだったか。
①は目の動きを下に進めるだけで読めるから楽だったろう。
かように、見るだけで分る平易な文は速読に向いている。
個人的には①は縦書きにした方が、スクロールの手間が省けるのでさらにいいと思う。 


読書の情報効率

2015年03月15日 | 雑感

またまた私の読書行動論(理論化されてはないけど)。

さて、あなたの手もとにある読み終わった本を、どれでもいいから手に取ってみて、
パラパラめくって、後ろの参考文献欄を眺めながら、
その本を書き上げるまでに執筆者が要した時間と労力を想像してみてほしい。
そして、その時間とあなたがその本を読むのに要した時間とを比べてほしい。 

執筆者の立場からすれば、著作に盛られた情報は最大限の圧縮効率の結果なのだ。
つまり執筆にかかるまでの膨大な情報収集とその執筆・編集作業、
たとえばその本を書くために読んだ膨大な資料や、あちこちの取材記録を、
あれこれ試行錯誤しながら削りに削ってなんとか数百ページに凝縮したわけで、
それがわずか2,3時間の読書行動にあっけなく置き換わってしまうのだ。

読者はものすごく効率良く情報を入手していることになる。

さらに読者の読書行動自体も効率化されてきた(これは前の記事で述べた)。

昔の人の読書は音読だった。
”読む”速度は口で”読み上げる”速度と等しかった。
そのため、読み上げやすく、耳に残りやすい韻文の比率が高かった。 

それが、印刷技術の発達にともない(これはマクルーハンの受け売り)、
近代人は黙読できるようになり、”読む”速度は倍速化され、”見る”速度に近づいた。
そのため、感覚的な韻文より、論理的な散文が主流となった。 

すなわち、人類の読書行動そのものが数百年前に革命的進化をとげたのだ
(「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの法則どおり、
個人の発達過程でも音読→黙読の進化を繰り返す)。
なので現代人の読書行動は、すでに能力(脳力)の限界にまで効率化されているといっていい。
だからこそ、その行動の不自然さ=読書の辛さが露呈されているともいえる。
読書行動をこれ以上効率化しようとするのは無理かもしれない。

もちろん、速読術という”読む”速度を可能な限り高速化し、
”見る”速度に到達させるための技術が存在する。

速読術を少々トレーニングした個人的印象だが、
実は速読しやすい本ほど、文章を味わうに値しない駄文の小説か、
常識の範囲内の自己啓発書のような本であり、
結局それらはあえて読むに値しない、元来読書時間0でも済むものだったりする
(これは次の話題につながる)。

もっとも、完全な黙読ができていない人、
すなわち心の中で無自覚に音読しながら読んでいる(読む時自分の舌が動いている)人には、速読のトレーニングは意味がある。

ただし学術書など読むに値する=きちんと理解するに値する本は、
解釈作業を並行する必要があるので、見るのではなく読まざるをえない。
また、文章の巧みさ、美しさに酔いたい本も速読はもったいない。

 さて、次の話題。
本をどう読むかの前に、どの本を選ぶかが重要だ。

読書の効率化の第一歩は、読むに値しない本は読まないこと
せっかく買ったから読まないと損だと思うなかれ。
金銭的損失より時間的損失の方が損失として深刻だから。
なにしろ(本代ていどの)失った金額を回復することはたやすいが、
失った時間は決して取り戻せない。
そもそも読書を効率化したいのは、時間を有効に使いたいからのはず。

こういってもいい。
読んで面白くなければ(読む意味を感じなければ)、
我慢せずに即座に他の本に移るべきだ。
読むに値する本は、読むに値しない本よりもずっと多い。

学術書に限っていえば、できるだけオリジナル(原書)に近い本をよむべきで、
その解説書を3冊読むより絶対効率的。
たとえばフロイトの精神分析を知りたければ、
まずは彼自身による『精神分析学入門』を読むべき。
もっとも、精神分析そのものがもはや知るに値しないかもしれないが。

もちろん他の人によるすぐれた解説書というのは確かにあり、
それに当たればすこぶる効率的だが(数十冊の本が一冊に凝縮されている)、
あまたの類書からそれを選ぶのが実に難しい(図書館に行ってみなされ)。
章立てがきちんと構造化されているかどうかがポイントか。
今ではネットの読者コメントが参考になろう。

逆に「マンガで分かる」シリーズなど、一見バカにされそうだが、
解説部分は結構優れている。
しきいを低くするためのマンガ部分に非効率性(本筋とは関係ないストーリー展開)
があるのは致し方ないが、むしろ文字テキストの情報効率の良さが実感できるというもの。

ついでに関心をもった特定領域について、
解説書→専門書→学術論文の順で合わせて10冊(編)ほど
読書ノートを取りながら(以前紹介したワードのアウトラインモード推奨)
続けて読んでみなされ。
2冊目から情報がダブりはじめ、
冊数が進むと、やがてほとんど新しい情報が得られなくなる(=飽和する)はず。

そうなった段階で、あなたはその領域について人に解説できるほどの知識を得たことになる(読書ノートがあなたの知的財産)。 

その域に達すれば、その領域の新しい本は、全部を読む必要はなくなり、
新たな知識の所だけを読めば済む(もちろん、読書ノートに追加)。
こういう読み方(拾い読み)も効率化に貢献する。

ちなみに、ネットで情報を検索すると、ヒットしたサイトのほとんどが同一の情報源に頼っている場合がある(すぐに飽和する)。
情報の探求が浅いのだ。
やはり専門書の方が情報源として信頼性がある。


卒業式

2015年03月14日 | お仕事

本日は、勤務先の大学の卒業式(+大学院の修了式)。

儀式なので中身は例年通りなのだが、当然ながら卒業する顔ぶれは毎年異なる。
だが年齢は一定。
それに対して、送る側は顔ぶれは変化ないのに年々歳をとっていく。 

学科生に対する祝辞として、学生たちとは今日で別れてしまうのに「おめでとう」と言わなければならない感情的矛盾 からはじまる話をひとくさり。

学生からの記念撮影のリクエストに応えたら、別れの挨拶くらいしか話がないので、
会場を後にする(別れをじっくり堪能するのは苦手)。

夜は院の修了生たちとのパーティ。
久々に指導学生が出たので、出席。

こちらはうってかわって学生とじっくり話しができる。

いずれにせよ、入ってきた学生を鍛えて(変化させて)送りだすのが我々の仕事だ。

送りだす最後の時に、儀礼的でない、本当の言葉で感謝してもらえたのは、
教師冥利につきる。

先日のブログで自分の高校時代に感謝して、今日は大学の学生から感謝された。
どうやら”学校”っていい所らしい。

 


テレビ局からの接触

2015年03月13日 | お仕事

ここ最近、テレビ局からの接触が続いている。

番組企画についての意見・コメントを求められるのだが、
なぜ私に来たかというと、自分の論文などをネットで公開しているため、検索にヒットするからで、分野的に武家礼法感情についてが多い(感情については他にもたくさん該当者がいるが、私のはアプローチがちと違う)。

相手がマスコミだろうと個人だろうと、研究分野に関する質問には真摯に答えるのがわれわれの社会的責務だ。

先方は電話で簡単に質疑を済ませたいようだが、当方としては不確か・思いつきでの発言は控えたいので、できるだけメールで時間をかけて返答している(時には資料に当たったり)。

今回の企画の事では必ずしもないが、発想が常識の枠内で、面白み・情報量に欠ける感じがする事が多いのは、現在流れている多くの番組と同じかもしれない。

しかも求められている答えも落とし所がすでに決まっている感じで、ただその権威づけが欲しいだけのよう。

残念ながら、私の回答は、先方の期待する落とし所と一致しないことが多い(すなわち結果的に番組の企画には役立たない)。
今回もそのようだ。 

ちなみに、私は自分でネットに情報発信しているので、自分からマスコミに売り出したいとは思わない。

教育的なまじめな番組以外は出演は避けることにしている。

私の恩師が昔フジテレビの「笑ってる場合ですよ」(「笑っていいとも」の前身番組)に出演した映像を見て以来、心に決めている。


震災から4年目

2015年03月11日 | 東日本大震災関連

昨日、東日本大震災関連の記事を久々に書いた。
ブログのカテゴリーをチェックしてみると、その前の記事は昨年の3月11日だった。

つまり、この1年間、関連記事を全く書かなかった。
私の中でも風化しているのだ。
ただ、風化は自然の理であり、致し方ない。
逆に言えば、「記念日」が、年に1度でも思い出させるための手段になっている。

昨晩は、パソコンで映画『遺体』を見た。

この映画は2013年3月のロードショーで観たが、その時より昨晩の方が心に染みた。
1万8千人余の死者がいたということは、その数倍の数万人の遺族の悲しみがあったのだ。

われわれにとって経験できる死は、まずは「他者の死」だ。
この映画は、遺体安置所においてなされる、災害死という突然の他者の死の体験を描いたもの(原作:石井光太)で、このブログで記事にした「死の直視」の観点からも見直した。

このようにせめて年に一度は東日本大震災に思いをはせたい。

3.11の今日は、郵便局に義援金を送りにいった。
復興の遅さにやきもきしているので、今回は赤十字ではなく、県の災害対策本部でもなく、特定の市町村宛に現金書留で送った(振込用紙では不可)。

郵便局に行って、義援金の対象リストのファイルを見せてもらい、その中から(他の災害もリストにある)送りたい先の自治体を選んで、住所などを書留に記入する。
現金書留なので封筒代が1通あたり21円かかる。
かように手間と費用がかかるが、 どうせなら(些少だが)広く薄くよりもピンポイント的に使ってほしい。

他の被災地には申し訳ないが、被害が甚大で財力の乏しい、かつ個人的に訪問した所を東北3県から各1つの自治体を選んだ。

新たな震災関連本も読みたかったので、『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』(竜田一人)のキンドル版をダウンロードした。
私が一番知りたい人(真に日本を救っているヒーロー)たちの当事者として実態を描いたマンガだ。

そして2時46分、テレビでの慰霊の式典に合わせて、黙祷をした。 


放射能汚染の予測に消極的な理由

2015年03月10日 | 東日本大震災関連

3.11が近づいたので、久々に震災関連の記事を書きたい。

次に原発事故が起きた場合(福1でも起こりうる)、政府(政権党が違っていても)はまたもや住民避難を誤りそうだ。
なぜなら、避難判断にモニタリングポストの実測値だけを使い、SPEEDIなどの数値シミュレーションを採用しないという決定をしているから。

これに対して日本気象学会は、数値モデル予測値を活用すべきと学会誌上で提言している(『天気』2015年2月号)。

日々の天気予報は、アメダスの実測値だけでは無理で(単純な線型予測しかできない)、地形などの複雑なパラメータも使った数値シミュレーションを使って実績をあげている。

福島第1原発事故の時、当時の政府は原発からの”距離”で同心円状に避難措置を講じた。
情報が何も無い場合は、そうするしかない。
だが実は、SPEEDIで風向風速を考慮した拡散シミュレーションが、放射能汚染は同心円状ではなく、北西部に集中することを予測していた(事後になってそれが公表された)。

ところが当時の政府はその結果を公表しないどころか、まったく活用もせず、同心円状の措置を続けた。

その結果、浪江町の海沿いの住民を、もっとも汚染が濃い北西部にあえて避難させ(不必要な被曝をさせ)、
その北西先の飯舘村にも汚染が拡がっているにもかかわらず、30km圏外のため住民をそのままにした。
一方ほとんど汚染がなかった南相馬市の漁港では、津波被害が甚大で、救助を待っている被災者がいるにもかかわらず、距離的に近いがために無理やり住民を避難させたため、救助されない死者を増やした。 

関東への汚染は、放射性プルームが風向や降水によって帯状のエリアを移動した結果だ。
この動きは雨雲の移動予測と同じ技術で可能。
だから大雨警報と同じく、「放射性プルームがあと2時間後に上空に達するから、外出を控えるよう」警告を出せる(出せた)。
4年前の3月15日と21日に関東でも不必要に放射能を浴びたした人たちが大勢いる(健康被害の量ではない)。 

たぶん、政府は放射能汚染の”予測”情報が出ることそのものに怖れを抱いているのだろう。
そりゃ予測だから実測値のように正確無比ではなく、外れることもある。
正しくない情報を出した場合(=空振り)の”責任”をこそ、何をおいても回避したいのか。
へたに情報を出すとパニックになるという誤った「パニック神話」にとらわれているのかもしれない。
情報は正しい対処を導き、情報の隠蔽がパニックあるいは逃げ遅れによる実害を助長するのに…。


小牧城の温泉宿

2015年03月08日 | 温泉

土曜に業務があるので名古屋に帰った。
翌・日曜は暇なので、近場の小牧の温泉ビジネスホテル「キャッスルイン小牧」に一泊した。

一応、”慰労”のつもり。
幸いビジホなので、直前でも予約がとれ、しかも安い。
温泉に入りたいだけなので、豪華な食事や旅情はいらない。 

最近はビジホでも大浴場つきが増えてきたが、天然温泉つき※はめずらしい。

※残念ながら、2016年6月で温泉でなく沸かし湯になったという。

しかもベッドはセミダブルで朝食バイキングつき。 
ビジホに泊まると夕食に苦労するのだが、ここは2階が大衆居酒屋になっており、しかもそこの「中ジョッキ」一杯無料 。
1人では入りにくい大衆居酒屋(カウンタ席)で食事できるのも新鮮でいい。

今回ここに泊まった理由はもう1つある。
それはここが宿名が示す通り小牧山城に隣接しているから。
そう、にわかに山城好きとなった私は、改めて小牧山城の”縄張り”を見学したくなったのだ(この宿、年に一度は利用しているので城には観光的に幾度か訪れた)。

なにしろ先日清州城に行ったら、信長は清洲城から小牧城に移ったというではないか。
小牧城と同時にこの宿を思い出し、どうせ行くならここに泊まろうと思った。 

さて、チェックインして、さっそく温泉に入浴。
出てから体が落ち着いたところで持参した機器で唾液アミラーゼを測ったら9kIU/L(値が低いほどリラックス)。
昨晩の名古屋宅では44だったし、3桁に達することもしばしば。
やはり温泉はリラックス効果があるようだ。