今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2018年を振り返る

2018年12月31日 | 歳時

今日大晦日、私の担当である実家浴室の大掃除を済ませ、早めに(体調の悪い子どもがいるので)菩提寺に亡父のお参り(霊廟の正月準備)を済ませ、あとは実家のメンバーそろって夜に年越し蕎麦を食べるだけとなったので、年末恒例、”今年の振り返り”をしたい。

今年の漢字は「災」とされたように、確かに自然災害が目についた。
今年の1月から大雪の被害が北陸を中心に発生し、 6月に大阪北部地震、7月に西日本豪雨(それに猛暑)、9月には胆振東部地震と台風21号と24号。
とりわけ気象災害の恐ろしさ(豪雨と強風)を痛感した。

実際、気象災害は毎年死者を出している。 
人々の防災意識が地震に偏っている現状を憂いていたが、これで気象災害にも対処する意識が熟成されることを期待する。
何しろ、気象災害は、実況と予測の詳細な情報を得られるのだから、人的被害を防ぐことが可能だ。

自分の話題に移すと、私設「星が丘気象台」(名古屋市千種区)が2年ぶりに復活できたのが嬉しい。
台風21号による風速35m/sで既設の「日進」の観測器が倒壊したため、 補強をより頑丈にした(たぶん風速40m/sまではもつ)。

4月から職場で役職付きになったため、会議と書類作成の業務が増えた。
そのせいにするわけにはいかないが、毎年2本をノルマにしていた論文執筆が1本だけとなったのは、わが研究人生で初めて。

さらに個人的な問題として、左脚の腸脛靱帯の故障で、私の登山先が最低ラインの高尾山(599m)まで後退した(3月)が、ZASMTの専用サポーターを得て、毎月リハビリ登山を開始し、4月の高水三山、5月の芦ケ久保丸山と徐々に標高を上げ、6月は茅の丸で標高1000mを超えることに成功。 
ただ9月の丹沢大山(1252m)で残念ながら痛みに見舞われたためもあり(これが限界か)、ストイックなリハビリ登山だけではなく、山上でのんびり煮炊きをする”炊(カシ)き登山”を始めて、あえて低山を楽しむようにした。
山のほかに毎月行くようにしている温泉旅は、固定した宿ばかりで、新しい宿は開拓していない(仕事のストレス解消が目的だから、気に入った宿に泊りたい)。

年に2回訪れている茶臼山高原のカエル館(長野県根羽村)でのパワーの計測については、長野朝日放送から電話インタビューを受け、長野県内で放映された(今年のマスコミ露出はこれだけ)。

川歩きは東京東部を流れる荒川を河口から赤羽まで2回に分けて歩き、あと渋谷川を渋谷から晴海埠頭まで歩いた。

研究としてはまだ未成熟だが、生活に取り入れているのが”気”の訓練。
もともと外気(ガイキ)を感じたいために始めたのだが、あちこち不調があることもあって内気(ナイキ)にも関心が行き、体内の気の流れもコントロールしたくなった。
そのために追加した装備は、オーラが見やすいオーラグラス(海外から購入)、自分の経穴がわかる良導点測定器、それに電子鍼。
さらに耳鳴り治療を期待して漢方にも接近。
まさに「中医学」に浸かる。

このように自分の関心領域が大きく方向転換しつつあることも、論文が書けなかった理由の1つ。
来年は、スピリチュアルな領域での論文、しかも実証研究を目論んでいる。

でもその前に、気功と経絡刺激と漢方で自分の内気(ナイキ)を調整できるようになりたい。 


年末の緊張感を味わう

2018年12月30日 | 歳時

クリスマスを過ぎて、いよいよ正月を迎えるための年末モードに入ると、心の中でカウントダウンが始まり、にわかに”時”に対する緊張感が出てくる。

この時期特有のこの緊張感が、残された数日間、特別な充実感を与える。
この時期だけ、日々・刻々を噛みしめるように生きるから。

ハイデガーに言わせれば、この在り方が時間存在たるわれわれ”現存在(存在を了解できる存在者)”の本来の姿なのだ。

言い換えれば、年末以外の、時間をやりすごして生きている日常は現存在のくせに「存在忘却」している状態。

自分が存在していることを実感しながら年末をすごし、いよいよ大晦日の深夜、新年に切り替わる瞬間を迎える。
その瞬間をはさんだ数日間、われわれは、これまでの一年間自分が存在してこれたことを感謝し、新たな一年を存在の延長として迎える覚悟をする。
まさに、現在・過去・未来という時間性を味わう意味のある期間なのだ。

正直いって、年に一度の限られた時期だからこそ、あえてそれを実感しようとする気になれる。
これを一年365日続けられないのが、”日常の忙しさ”に頽落して存在忘却してしまうわれわれ現存在の悲しい性(さが)。
だからこそ、新年=歳神(時の神)様を迎えるというオンオフの切替え儀式に意味があるのだ。 
諸外国と違って、この歳時の儀式をきちんと味わえる日本にいて良かったと、存在論の立場からもつくづく思う(西洋はカウントダウンでおしまい。東洋では旧正月の方が盛ん)。


ポチ袋に代わるお年玉包み

2018年12月27日 | 作法

日本は、珍しいことに、現金を贈答品として送る。
送る側も送られる側も実はこれが一番ありがたい。 
ただ、贈答品として渡すので、裸のままではなく、それなりに包んで渡す。
それが祝儀包みや香典包みなどの「金子(きんす)包み」だ。

当然、お年玉も金子包みに入れて渡したもので、
小笠原流礼法にも、お年玉包みの折形(包みの折り方の作法。これが娯楽化されて折紙となった)が伝わっている。
今ではポチ袋に入れられて渡されるが、
折形を使った方が、伝統的で、インパクトがあり、しかも安上がり。

正式のお年玉包みの折形は、鶴の折り方の複雑な変形なのでここで伝えにくいため、
ここでは簡単でしかも汎用(たとえば「お車代」や心付けなど)で使える「当座金子包み」の折形を紹介する
(下画像(私の著書からコピー))。 

紙はB5判が丁度よく、封筒代わりの汎用ならばB5プリンタ用紙でもOK。
でも正月のお年玉用には、私はきれいな模様の千代紙を使っている。
たとえば東急ハンズで1枚140円足らずで売っている千代紙なら、1枚を半分に切って丁度いい(包み1つ当り70円)。
以前は、100円ショップのキャンドゥで長方形の千代紙が複数枚セットで売られていたが、今は正方形のものしかおいていない。 

用途としては、ポチ袋と同じく、紙幣を四つ折りで入れるので(貨幣でも可)、
儀礼的な用途ではなく、上位者から渡す略式な包みとして使う。 

折る順は、図の右上①から右下の②、そして左側の③から下へ⑤まで続く(図中の「…」は谷折りで、図中の番号順に折る)。


賀状を書いて思うこと

2018年12月26日 | 歳時

クリスマスが過ぎ、いよいよ今年最後の一週間の”年末モード”に入る。
私も学生と同じく冬休みなので、昼から賀状書きに専念。
といっても、ご時世にもれず、裏面と自分の住所氏名はプリンタで印刷。

裏面は、儀礼的挨拶よりも、自分の近況報告と今年の写真を添えることにしている。
儀礼的挨拶のみ(あけおめ、ことよろ)の賀状って、情報量が0に近く、ほとんど意味ないと思うから。
なにせ実際には、昨年はまったく「お世話」していないし、「今年も」会わないだろうから。

年に一度だけの挨拶なのだから、むしろ近況報告を載せてほしい。
家族写真ももらって楽しいので(お子さんの年々の成長がよくわかる)、私は歓迎。

表の宛名は印刷にせず、手書きにこだわる。
印刷でも失礼とは思わないが、手書きにする理由の1つは、印刷してから出す相手を決めるから。
それから、裏面に一言書き添えるようにしており、
それとともに相手の氏名を手書きで書くことで、年に一回だけ、出す相手をしっかり想い出し、はがきを通して語りかけることになるから。
両面印刷でそのまま自動的に投函だと、この語りかけがないだろう。

ただ正直、上の作業そのもの(はがきを通しての語りかけ)自体が苦痛になりかけている。
実際、賀状の交換だけの相手が多い。
もちろん旧友やかつての職場仲間が多いが、中には一度名刺交換をしただけの相手もいる。
こういう相手は、語りかける言葉も浮かばず、第一顔が思い出せない。
たった一度の接点だけで、その後延々と賀状交換が続くのもへんな関係だが、交換自体は安定してしまって、止めるきっかけがつかめない。

賀状交換の意味がなくなった相手と交換をやめるいい機会になるのが、相手の定年と喪中。
これは当事者にとっても出す相手を整理する機会になっていよう。

年末忙しい人の中には、年明けに賀状が来た相手に出すパターンがあるようだが、できたら私もそれに倣いたい。
ただ、全員がいっせいにそのパターンを採用すると、賀状の流通がピタリと途絶する。
情報量のない儀礼だけの賀状なら、それでもいいか。


仕事納めの名古屋日帰り往復

2018年12月25日 | 生活

今日は職場の仕事納めで、私が議長の会議を一本だけこなしに名古屋に日帰り往復する。
予定はそれだけだったが、いろいろ思い通りに行かなかった。 

昨晩は15歳になる甥の誕生会(本当は25日が誕生日) の後、深夜に鳴が肺炎を起こして救急車で運ばれるアクシデント。
私は、ちょっと早めに家を出て、まずは新幹線内で朝食として買う料理パンを買おうとしたら、めずらしく行列になっていて、先頭の地元民らしいおばさん(この店通勤客ご用達なのだが)がやたら大量に買っている。
その店は店内で作って売っているので、それで時間がかかっているのか。 

やっと山手線に乗り、東京駅に向うが、その東京駅で線路立入りトラブルが発生し、電車が上野でストップ。
やっと発車したのもつかぬま、今度は秋葉原で、急病人が発生。
車内の乗客はなすすべもなく、この事態を甘受するしかない。
かようなトラブル続きなので、ちょっと早めに出てよかった。

新幹線と名鉄東山線は順調で、名古屋宅から車で大学に向おうとしたら、車のリモコンキーが見当たらない。
あちこち探したが見つからず、予備のキーがあるので、とりあえずそれで大学に向う。

会議は問題なくこなし、メールチェックをしたら提出書類が開かないというメールをもらったので、印刷して学内便で送る。

名古屋宅に戻り、再び車のキーを探す。
もしかしたら、道に落としたかもしれないので、交番に訪ねにいこうと思った矢先、
東京から持ってきたバッグの中に入っていた。
いつもと違って、先週末の帰京の時に持ち帰ったようだ(その自分の行動が理解できない)。

安心して、名古屋宅を後にして帰途につく。
途中、御徒町で下車して、多慶屋で正月用の日本酒を買いに行ったら、レジでおばさんに割り込まれた。
店内の待ち行列の位置を知らなかったようで、低姿勢なので、怒りはわかなかった。

夜7時前に帰宅して、姪の様子をきくと、順調に回復しているという。
その妹の4歳の姪が、人形遊びに誘うので、しかたなく4歳児になったつもりで人形遊びをする。
それから解放されて、やっと仕事納めからの解放感を味わった。


冬至の年筮:2018

2018年12月22日 | パワー・スピリチュアル

帰京翌日の22日は、昨年と同じく冬至にあたる。
今年は帰京しているので、高尾山に行って、この日に富士山頂に沈む日没を見ようと思っていたのだが、あいにくの雨天のため中止。
あと冬至の行事といえば、世間ではユズ湯に入ることくらいしかないが、昨年から易学を嗜むようになった私には「冬至の年筮」という行事が加わった。
すなわち、冬至の一陽来復の日に、来年(来春)を占うのだ。 

ちなみに昨年末の年筮結果は本卦「沢火革」、之卦「水沢節」だった。
それを今年の自分に当てはめれば、年の前半は4月からの研究科長就任という職場での立場の大変化(革)(といっても年筮の時点で確定していたことだが) 、後半はそれに振り回されずに(節)自重した。

昨年の占筮は大学の研究室でやったが、今年は東京宅の書斎でおこなう(どちらにも筮竹と算木を置いてある)。

日没時に合せて、卓上を清め、中筮法で来年の卦を出した。
出た本卦は「艮為山」で、五爻と上爻が変爻だったので之卦は「水山蹇」 。

艮の山は、「動かざること山の如し」の山で、泰然と構えていろということ。
だが結局、動くべき時が訪れず、後半は動きたくとも動けない状態に陥るということ。

自分に置き換えれば、今年以上の自重の年ということか。
来年の賀状には「今年こそは”飛躍の年”にしたい」という常套句が使えない。

このの卦を今年からリハビリを始めたまさに”登り”に当てはめると、
前半は山に在ってもふさわしいが、後半の 「蹇」は足萎えを意味することから、「山に在って足が動けなくなる」ことを意味する。
本卦が前半の”登り”なら、之卦は後半の”下り”に対応するから、
これってまさに私の(山の下りで発症する)腸脛靱帯炎を言い当ている!
かくも易占はおそろしい。

来年こそは、腸脛靱帯炎を克服して、中級山岳に足を延ばしたいと秘かに目論んでいたのだが、見事に見透かされて、それは危険でダメ!という厳しいご託宣。
「東北」の方位が悪いということなので、登山リストに入れていた福島県の安達太良山や吾妻連峰の中級山岳はリストから外そう。
来年もあいかわらずの東京近郊(奥多摩、丹沢、奥武蔵)の低山に留まっていた方がいいようだ。
腸脛靱帯に障るハードな登山ではなく、のんびりと山での煮炊きを楽しむ”炊き登山”に専念するか。 

かように易は、自分の振る舞いをあるべき様に変えるための指針であって、未来の出来事の卜占ではない。
易学が迷信的な俗占と一線を画し、君子の学とされる所以もここにある。


卒論指導から解放

2018年12月21日 | お仕事

本日で今年の担当授業が終り、また卒論の締日でもあり、私が指導する学生も全員無事に提出できた。

わが心理学科は、本気で卒論を書かせるので(もちろんほとんどが実証研究)、4年生になって一番苦労する。
指導教員としての私は、1文字分でもいい論文にするため、心を鬼にして妥協無しのダメ出しを繰り返す。 
勿論、どこをどう直せばいいかアドバイスするので、学生は一晩かけてきっちり直してくる。
すると私は別の問題箇所を指摘し、 また直させる。
これを繰り返すことで、原稿の論理も表現もレイアウトもどんどん良くなる。
最後は、表題の表現についてもあーだこーだと議論をして、ベストな表題を絞り出す。

かような試練を乗り越えてやっと提出にこぎつける(私が印鑑を押す)。
学生は一挙に解放感を得るが、私は最後の指導学生の提出(締切2時間前)を見守ってやっと解放感を得る。

というわけで、私も指導学生全員分の解放感を得て帰京の途についた。
私自身、業務書類の提出を終え、授業準備からも解放されて、実質的な冬休みに入る。  


師走の恵那峡温泉に泊る

2018年12月16日 | 温泉

本来なら、名古屋宅の大掃除をすべき煤払い時節の日曜。
卒論指導の大詰めの週を迎えるにあたり、月曜の午後から仕上げの指導にかかりきりになるため、英気を養おうと、恵那峡の温泉宿(恵那峡国際ホテル)に泊ることにした。

この宿は今秋の台風襲来時にキャンセルしたので、未遂行のままゆえ頭の片隅にくすぶっている心的緊張(これを心理学で「ゼイガルニク効果」という)を解除する意味もある。

この宿は安宿チェーン「湯快リゾート 」が経営しており、宿代が安く、バイキング料理で、何より温泉が”高張性”なのがお気に入り。
唯一の欠点は、古くて狭い客室(ツイン)で、それがために利用を躊躇していたが、新しくて広い和洋室の部屋ができ、メール会員だとそれが1000円の増額で使えるので、最近はもっぱらその和洋室を利用している。

車検を終えたばかりの愛車で東濃高原を快走して2時間。
白くなった中央アルプスを遠望する恵那峡に到着。

ここの和洋室の唯一の欠点は、10畳の和室に座椅子がないことなので、アウトドア用の折畳み座椅子を持参。 
それ以外は、ベッドも室内テレビも大きく、窓から恵那峡が正面に望めていうことなし。
もちろん温泉も自慢してよいほど質が高いので、連泊してもいいのだが、
バイキングが宿代相応で、ワクワク感がないので、一泊専用にしている。

ワクワク感がないのは、私との相性のせいでもある。
ここ恵那市は、地元の食材として「恵那鶏」を推しているのだが、私は鶏肉がダメ。
なので、バイキングのうちこれが使われている数品が最初から選択肢外となる。

恵那鶏無しでも、地元各務原のキムチ鍋を堪能できた。
食い意地が増すバイキングでは糖質も摂らないようにしている(カロリーオーバーの回避のため)。
鍋は肉と野菜が豊富で、糖質なしでも満腹になれるのがいい。 

ここのバイキングには1500円追加で飲み放題にもできるのだが、いつも夕食後もひと仕事するので、ビール中瓶1本に抑えている。

といっても今回は”お篭り”ではなく、リラックス・リフレッシュが目的。
頑張るのは明日からでよい。
書き上げるべき書類の下書きができればそれでよしとする。 


中国から来た隣人

2018年12月13日 | 生活

私の名古屋の棲み家は、集合住宅の一室(実際、ワンルーム)。
なので、本来は若い一人暮らし向き。

今朝、インターホンが鳴った。
たいていなんかの勧誘なので、居留守を使おうかと思って、カメラ画像を見ると、普段着姿の若い男が映っている。
もちろん知り合いではない。
とにかく勧誘ではないようだが、
いぶかしく思いながらドアを開けてみる。
すると、慣れない日本語で、隣室に引っ越してきた者だという。
中国から来たといい、あちらの缶詰めをくれた(何が入っている缶詰めか、よくわからない)。

隣室なので、もし騒音でうるさかったら言ってくださいという。
幸い、ここは鉄筋なので、もともと隣室の音は響かない。
留学生なようで、今から学校に行くという。

私は、このアパートが出来た初年度からいる最古参なのだが、引越の挨拶を受けたのは初めて。
今までの隣室の住人はDQN系が続いたので、不快に感じることもあったが、こんどの隣人は、中国人ながら、そこらの日本人以上に礼儀正しい。
日本語がまだつたなく、はるか年上の私に向って「キミ」と呼んだが、「オマエ」と呼ばれるよりはましだ。


大仁田山でファイヤー!

2018年12月09日 | 山歩き

12月の炊(カシ)き登山は、埼玉県は飯能の奥、名栗川沿いにある大仁田山(505m) 

この山、飯能市に属しながらも、山頂は東京都との県界尾根からほんの少しだけ入ったという微妙な位置にあるため、奥多摩(東京)を歩き通そうとする者には気になって仕方ない。
そしてどうしてもあのプロレスラーの顔を思い浮かべ、まさにこの山があの風貌で聳えているように思えてしまうことも、気になる度合いを増してしまう。

勿論、一番の理由は、標高からして、家を自然の起床で遅めに出て、山頂でゆっくり炊きができるため。

というわけで、9時前に家を出て、西武線の飯能に10時過ぎに降り立つ。
名栗川を遡上するバスはこの時間帯は1時間に1本だが、15分の待ちで済んだ。
この時間だと、山に行く客は私一人。 

車内の案内にはこの地が舞台のマンガ(アニメ)「ヤマノススメ」のキャラ(声優)が加わる。
このマンガ(アニメ)により、街中にこのキャラがあふれ、飯能は今や”登山の聖地”になりつつあるといっても過言でない。
高尾山などの観光地的山を除くと、最近の山は中高ばかりで、中高は絶無。
中学1年の春休みから山に通い出した私としては、このマンガによって登山の平均年齢がぐっと下るのを期待したい。 

上赤沢でバスを降り、名栗川にかかる橋を渡ると登り口の道標。
道は細く、踏跡も少ない。
といってもほとんど一本道で、木につけられた赤いテープを頼りに歩けば迷う事はない。

実際、山頂まで誰とも会わず、山頂で計二人会っただけで、下り口までずっと一人だった。
ほんと山って人気の落差が激しい。

尾根を直登しながら、山の神の祠そして2つ並んだ大岩を過ぎ、標高500mの頂稜部を斜めに登り、下から1時間弱で三角点とベンチのある山頂に着いた。
 山頂には先客が1名いたが、入れ替わりに私が来た道を下っていった。
山頂は東側が開け、スカイツリーまで見渡せる(写真)。
そういえばこの山、あのスカイツリーより低いのだ。 

さて、この展望の前で、炊きに入る。
一つしかないベンチは次に来る人に譲って、 自分は地面にマットを敷いて坐り、ソロ・ストーブ(製品名)を地面に置いて平らに保つよう調整。

枯れ葉・枯れ枝という燃料は充分あるのだが、まずはちぎった新聞紙に点火。
するとストーブ内の枯れ葉から枯れ枝へと燃え、小さなストーブから炎が立ち上がる。
大仁田山で「ファイヤー!」なのだ。

あとはどんどん周囲の燃料を追加し、火が安定したら、水を入れたコッヘル(山用の鍋)を載せる。
沸騰したら、カップ麺に湯を入れて3分待つ。
入れた湯が少なすぎたようで麺が固めだったが、山で食べるとそれでもおいしい。

湯が残っているコッヘルにインスタントコーヒーを入れ、コッヘルの把手をつかんで、コーヒーを直飲み。
もう火はいらないのだが、このストーブだと”たき火”をしている気分になるので、しかも燃料は周囲に無数にあるので、ずっと火を焚いていたくなる(ガスストーブだと節約せざるをえない)。
実際、暖が取れるし。 

燃料の木が炭化してほとんど白い灰になったところで、地面に落として、上から水をかける。
完全に消火したら、靴で地面をならして跡が残らないようにする(灰は土に還る)。
もちろん、ストーブ本体を冷ましてからしまう。
このストーブの場合、一連の後始末が必須。 

ふと、ベンチを見ると2人目の客がいたので、軽い会釈をする(前述したように、この後下山するまで人とは逢わない)。
目的を達したので、あとは降りるだけ。

この標高なら、腸脛靱帯も痛まないだろうが、念のため左膝上に新しいサポーターを巻いてきた。
分岐点には道標があるので迷う事なく(もちろんGPSマップ作動)、山上にある細田を抜け(誰とも逢わず)、いぼとり地蔵を通り、愛宕山のトイレを拝借し、あとはスタスタと名栗川まで降りた(腸脛靱帯も無言)。

バスの便まで時間があったので、近在で一番賑わいのある集落である原市場(ハライチバ)まで歩き、集落を一望する高台にある原市場神社に詣でた。
帰りのバスはさらに奥地から乗ってきた登山客で満杯。
つまり、大仁田山より人気のある山が奥にあるのだ。
そういえば、大仁田山の山容を確認することはついぞなかった。
なので頭の中では、この山はあのレスラーの風貌のまま。  


色覚補助メガネを通して見た世界

2018年12月08日 | 生活

前記事の続き。

JP Flyerなるところの色覚補正メガネ(色弱メガネ)をアマゾンで購入した。
このメガネは、メガネスーパーの7万円の色覚補助メガネと同じく、赤いレンズがミラーコートされている(値段は1/10)。
また、つけていると色覚が改善するようなことも書いてある(完治はできないとも書いてある)。

赤い色は、メガネスーパーで合せてもらったものより濃く、 まさに赤い色メガネをつけたという思い。
ただ、フレームが大きめなので、視力補正のために日常つけているメガネの上に装着が可能な点が嬉しい(メガネ使用者にはこれ重要)。

さっそく、パソコンに保存してある石原式検査表をチェックすると、難なく全問正解。
実は全問正解するには、赤いプラスチックシートを通して見ても可能。 

では、このメガネをつけて街に出てみる。 
ちなみに、以下の体験は、私固有の色覚状態によるものであり、同じ色弱でも人によって異なりうることを前提とする。

黄葉のイチョウの葉は黄色ではなくむしろ白になる。
青空は濃いグレーで青でなくなる。
つまり空はいつでも雲に覆われた無彩色状態となる。

赤信号は目立つが、これは裸眼でも目立つので大差ない。
驚いたことに、 LEDの青信号(青緑)が見えない! 
同じ色の右折可の矢印も見えない。
いずれも消灯しているようにしか見えない。
運転には使えないな。

街中の看板では、明るい赤が白っぽく(薄く)なって目立たなくなる。
黄色は色相を失ってほとんど白になるので、赤と黄色で組み合わされたあちこちの派手な広告が一挙に目立たなくなる。
青は黒っぽくなるので、車内広告の渋い青が入ったウイスキーのラベルが、味わいをなくす。
緑は濃いものは黒っぽく、黄緑は白っぽくなる。
電光掲示板の緑は見えなくなる(赤はよく見える)。
地下鉄の路線図を見ると、千代田線(濃い緑)と東西線(水色)がともに濃紺になり、区別がつかない。

鮮やかになるのは、暗い赤や暗い紫。
そのせいで紅葉はより派手に見える。
花屋の店先に並べてあるポインセチアは、赤い花がより明るく、緑の葉がより暗くなるので、明暗対比が強くなって、見た目に映えるが、色相対比自体は逆に弱まる感じ。 

結局、色彩世界が赤と暗い青(青黒)に2極化され、鮮やかな黄も緑も青もなくなる貧しい世界になってしまった。
まさかこれが”正常”な色彩体験ではあるまい(石原式検査の中だけの”正常”のはず)。
見えていた色が見えなくなった代わりに、見えなかった景色が見えるようになったということでもない。 

メガネをはずして、世界がこんなに多彩だったと改めて痛感するにはいい体験。
せっかく買ったので、装着していることで色覚に改善効果があるのか、ほとんど期待しないがそれも試してみたい。 


色覚補助メガネを体験

2018年12月08日 | 生活

実は私は、色弱である。
小学校以来の石原式テストで赤・緑系の識別力が弱いことがわかっている(現在では学校での色覚検査は実施されないという)。

もっとも、実生活で不便をきたしたことはなく、色には興味もあることから、「色彩検定2級」を持っている。

この検定、試験には色の微妙な識別が問われる実技もあるので、自分の識別能力が実生活で支障がないことの証明にもなる。 

とはいっても、色覚が”正常”な人たちの色彩世界を体験してみたい。
私の色彩世界とどこがどう違うのか。 

最近、”色覚補助メガネ”なるものがあることを知った。
これを発売しているメガネスーパーで、まずは色覚の検査を有料で受けてみる(ネットで予約)。
石原式検査の結果、昔と同じく正解率50%。
中度の色弱といえる。

次に低彩度の色のチップを色相の微妙な変化順に並べる検査を受ける(これは初めて)。
色彩検定合格者として色相環が頭に入っているせいもあってか、こちらは迷う事なくすらすら並べて、難なく全問正解。

つまり、低彩度の赤と緑が混在していると識別ができなくなるが、単独だと隣り合う相違は判るのだ。

そこで、製品である補助メガネを紹介された。
まず驚いたのは、表面がミラーグラスになっていること。
職場で使いたかったのに…
かけてみたら、グラス全体が赤色になっていて(ミラー塗装は、このカモフラージュのためか)、白い壁が赤みがかって見える。
さすが石原式テストは全問正解。
それはありがたいのだが、見える世界のすべてが赤側に移動しているのは、”正常”色覚の再現とはいえないはず。
このメガネ7万円もするし、職場につけていけないデザインだし(既存のメガネに装着するタイプもあるがやはりミラーグラス)、そもそも日常生活には支障ないので、購入には至らなかった。

色覚補助といっても、視野を強引に赤側に移動するだけなら、単なる色つきグラスでいいのではないかと思った。
そこで、ネットで探してみると、なんと6000円代で、赤い色の色覚補助グラスなるものが販売されていた。
見た目は赤い色眼鏡でやはりミラーが入っている。

1/10の値段ならこれでいいやと、購入ボタンを押した。

このメガネをかけて街中に出た結果は次の記事へ。


12月に夏日

2018年12月04日 | 東京周辺

東京にある我が私設本駒気象台(文京区)が、本日25.3℃(14時47分)を記録した。
北の丸公園の森の中にある「東京」観測点は、一貫して気温が低めに出るので、ここの最高気温23.4℃は無視して、都心ではないが”東京”区部の公式気温とみなせる「練馬」でも 25.0℃(14:54)を記録したのだから、より都心に近い本駒で 0.3℃高くてもおかしくない。
12月に夏日である。
いや珍しい。 

テレビではさっそく地球温暖化にからめているが、(温暖化は否定しないが)温暖化というトレンド現象は平均値によって表現されるもので、細かい変動の極値である最高気温がそれを示しているものではない(日経平均の一時的突出で景気を判断しないでしょ)。

実際、わが私設気象台の過去の記録を見ると、2011年の12月も24.7℃を記録している。
だからといって2012年から2017年までは地球が寒冷化していたわけではない。 
つまり変動の確率から10年に一度くらいは12月に25℃近くになるということ。

なので、今回の高温は、気圧配置で見るべきで、実際、北海道にある低気圧から南方に延びる温暖前線と寒冷前線の間のまさに”暖域”が日本を覆ったから。
この領域がなんで”暖域”なる名かというと、低気圧のこの領域内にかぎって南からの暖かく湿った空気が地上に流れ込むから。
なので東海から近畿は、大気が不安定になり、悪天になった。 
今の時季は、西高東低の冬型が典型で、温帯低気圧が北海道を通過するのは珍しい。
でも10年に一度くらいならあって不思議ではない。 

ただ、一年で一番寒い1月(来月)に東京で20℃の大台を越えたら、私でも「温暖化キター!」って言いたくなるだろうな(2010年1月に 19.2℃を記録)。 


松戸の名所巡り:本土寺から戸定邸まで

2018年12月02日 | 東京周辺

帰京している日曜、平地ではやっと紅葉が見頃になった。
先週は(低いなりにも)山に行ったので、今週は早起きしないですむ紅葉見物に出よう。
といっても都内の近場ではなく、それなりに歩きたい。 
    →過去の紅葉見物先:六義園神宮外苑昭和記念公園

ネット検索でひっかかったのは千葉は北小金(松戸市)にある本土寺
この寺はアジサイで有名らしいが、紅葉もいいらしい。
寺としても由緒あるらしく、駅から参道が伸びている。
恥ずかしながら、このような名刹が常磐線沿線にあるとは知らなかった。 
そして付近の地図をみると、「小金城趾」なる駅がある。
中世の城跡があるとは、これも知らなかった。

正直、千葉県の中では、総武線沿線と違って、常磐線沿線は訪問先としてまったく候補にならなかった。
たとえば東京に隣接する町の中で、総武線の市川は文化の香りが漂い、
その先の中山には法華経寺という日蓮宗の本山がある。
さらに奥に進めば、歴史の町・佐倉があり、その先が成田山(さらに香取と続き、最後は銚子に到る)。
それに対して、おなじく東京に隣接しながら、常磐線沿線の松戸は何もなく、柏・我孫子も同様だと思っていた。

その認識が誤りであったことが今回わかった。
松戸市内の北小金に日蓮宗の本山格の本土寺があり、その近くに下総最大級の中世城郭である小金城趾があり、
やはり松戸市内の馬橋(マバシ)には運慶作といわれる仁王像(国重文)を擁する萬満寺があり、
松戸駅の南には将軍慶喜の弟・徳川昭武邸跡がある。

すなわち、紅葉見物に山城巡り、文化財級の仏像拝観、将軍家級の史跡巡りを松戸市内だけで済ませられるのだ。

さっそく、常磐線に乗り、松戸で各駅停車に乗り換えて北小金で下車。
駅そばで腹ごしらえするつもりだったが、見当たらないので、本土寺への一本道を進む。
大通りを越えた所から道は本土寺への参道の並木となり
(埼玉の一の宮・大宮氷川神社の参道を思い出す)、 寺格の高さが伺い知れる。
実際、ここは日蓮に次ぐ宗門の聖人といわれる日朗・日像・日輪の3兄弟の生誕地として宗門の聖地に相当。

あいにくの正午前で、食べログに載っていた蕎麦店(店頭で蕎麦打ちを実演)は満席のため、
空腹をかかえて素通りするしかない。
寺の山門が近づくと、参詣者相手に土産の漬物を売る店があり、蕎麦などの食事も提供している。
しかも、まったく混んでいない。
私は、”蕎麦通”を自認しないことを座右の銘にしているので、こういう店の蕎麦でOK。 
門前の庶民相手の店の方が参詣気分が盛り上がるもんだ。
実際、自家製の漬物付きの山菜蕎麦が500円と庶民価格(さっきの店は950円するらしい)。 

さて、本土寺の山門に達すると、門の向こうの空間が紅と黄で混じって橙に染まっていて、いやがうえにも期待が高まる。
山門をくぐり、紅葉のトンネルをくぐると気分がハイになるが、ここはまだ実質的な境内でない。
この先に参拝料500円を払う入口がある。
境内に入り、本堂前の広場は期待したほどの紅葉の規模ではないが、本堂の奥、武田氏家臣の秋山氏夫人の墓がある道はふたたび紅葉のトンネルとなり、
乳出霊泉(日像の誕生水)へ廻る道に出ると見事な銀杏の木が黄色に染まっている。
さらに弁天池をめぐる道に入れば、モミジの赤とイチョウの黄、そして常緑樹の緑がきれいに混在する(写真)。
これに青空が加われば最高だったのに… 

周囲の客とともに私も負けじとカメラのシャッターを押しまくるが、
いかんせん互いに”人間”が構図の邪魔となる(あの人が邪魔だが、あの人からすれば私が邪魔)。

せめてものお願いは、こういう時は真っ赤なダウンジャケットは着てこないでほしい
(かくいう色彩検定2級の私は、薄緑のジャケットで紅葉を映えさせる)。 
苦肉の策として、ファインダーを上に向けて、人が入らないようにする。

境内を一周したので山門から出て、さきほど蕎麦を食べた店で家の土産に自家製の白菜漬け(200円)を買う。

さて、つぎは小金城趾
iPadのGPSナビを頼りに、「大谷口歴史公園」に達する。
この公園の入口に公園内の放射線量測定値が平成23年11月と30年3月の2回分掲示されている。
そういえば柏から松戸にかけては、福島原発事故によるホットスポット地帯だった。
測定値は、23年11月に0.603μSv/h(地表5cm)だったのが、
30年3月では0.061μSv/hに、すなわち1/10に下っている。 
ちなみに地表5cmというのは、空気中のγ線(防御不能)の測定基準(地上1m)ではなく、
むしろ地表のβ線(防御可能)測定を志向した高さで、放射性セシウムがこびりついた地面の汚染の方を測っている。
園内汚染土の埋穴上5cmでも0.079μSv/hなので、
東海以西の空気中の平常値(もちろん福島由来でなく地元の自然値)より低く心配ない。

公園内には、虎口や土塁、空堀、畝堀跡が発掘復元されている。
公園内にある写真による縄張り図によれば、城域は北小金の住宅地全域に及んでいる。
その小金城は、戦国時代の千葉氏の流れをくむ高城氏の居城という。
戦国末期は後北条氏に属したため、秀吉の小田原の役でこの城も滅ぶ。

大谷口馬場敷緑地を抜けて(ここも放射線測定値が掲示)、流山電鉄の「小金城趾駅」に着く。
流山電鉄はSuicaはもとよりPasmoにも対応しておらず、紙の切符を購入するしかない。
2両編成の電車に乗って、終点の馬橋で切符を改札口の駅員に渡す。
地方のローカル私鉄ならわかるが、都内通勤者も多い首都圏の私鉄でもこうなんだ(短い路線1つの小規模経営だからな)。 

馬橋では、駅からほど近い萬満寺に行く。
萬満寺は本土寺より20年ほど古い同じく鎌倉時代の創建で、当初は真言宗の別名の寺だったが、
臨済宗となったのは室町時代で、関東公方の足利氏満の一字をとったという。
重要文化財の仁王像が仁王門内にあるのだが、空間の奥に無造作に置かれている感じで、近くで見れないのが残念。
境内の案内によると、3月下旬に「股くぐり」なる行事があって、その時は拝めるどころか股をくぐれるらしい。
くぐりに来るか。

また向いの王子神社(スマホを片手にした人が集まる)には、江戸時代の庚申塔があり、青面金剛の顔が歌舞伎役者のような隈取りなのが珍しい(写真)。 

馬橋から常磐線各停に乗って松戸駅で降りる。
大学時代、飽きるほど通過した駅だが、降りるのは初めて。 
目の前にヨーカドーのビルがあり、それなりに繁盛している町並み。
そこを抜けて、一路南に進み、ほどなく高台に上って、茶室の門のような「戸定(トジョウ)が丘歴史公園」の門をくぐる。
まずは園内の戸定歴史館で、徳川昭武に関する展示を見る。

さて、これまでの中世の史跡から、時代は一挙にくだって幕末維新。
昭武は幕府代表としてフランスにあってナポレオン三世に謁見していた頃に幕府瓦解を迎えた。
その昭武が維新後に住んだという戸定邸は国の重要文化財(今日2つめ)となっており、
邸内に入って各部屋(風呂もトイレも)見学できる。 
高台に面した側からは富士山が望めるらしい。
邸の周囲も公園になっていて、色づいた木々があるが、本土寺を見てきた者にはカメラに手が伸びない。 
ここで師走の日没を迎えた。 
あとは常磐線快速で帰るだけ。 
自宅の最寄り駅まで30分300円の近さだった。
かくして近くて遠かった松戸の名所を堪能した。 


USB3.0でWiFiが切れる:その解決

2018年12月01日 | パソコン・メディア

新型MacBookProを使い始めているのだが、それに対応した使用環境の変化(USB3.1)が大きく、ケーブル類の買い替えを始めとして、まだいろいろ戸惑っている(新型iPhoneを見てもUSB3.1への移行トレンドは全面的なので、対応せざるをえない)。

このパソコンを室内で使っている時は、外付けハードディスク(HDD)を接続している(システムの定期バックアップの他、容量の大きい動画データなどを保存しているため)。
旧機(Air)の時はUSB2をつなげていたが、新機ではUSB3.0(HDDはもともと対応)にして、高速にした。

ところが、なぜかネット(WiFi)がよく切れ、Bluetooth(トラックパッドとキーボードをつなげている)もよく切れる。
旧機から自動で移行したので設定は合っているし、実際旧機では今でも正常に作動する。

昨日は、2台のHDDをそれぞれUSB3.0でつないで、一方から他方へデータの全面移行をした(片方のHDDを初期化しなおすため)→こうせざるをえないミスをしたから※

※TimeMachineでバックアップしたデータを削除するためゴミ箱に入れて消去しようとしたら、いくつかのディレクトリ階層が削除不能で、それ以来ゴミ箱に残ったままになった。こういう消去の仕方はまずいらしい。なのでこのHDDをディスクレベルから初期化しなおす(ディスクユーティリティではボリュームレベルの初期化ができない。ターミナルを使えばできるけど)。

もちろん全面移行作業は順調で、実際USB2にくらべて、理論値の10倍とはいかないが、2倍以上の高速は確かで頼もしい。

ところが、その作業中、とうとう自宅のネットにまったく繋がらなくなった。
携帯WiFiをONにしても同じ。
移行作業中にネットでメールチェックやネット閲覧をしたかったが、それができない。
なので同じ環境設定の旧機で代行。

処置なしなので、明日Appleのサービスを申し込もうと思った。
一応その前に、ネットにつながる旧機で、ググってみた。

すると、なんとあろうことか、
USB3.0ケーブル自体が妨害電波を発しているらしい。

私はUSB3の新参者なので初耳だったが、すでに使っているユーザー間では大問題になっているのだろうか(パソコン雑誌を読まなくなって久しい私は、もはや最新情報から離れた後進組)。 

移行作業が終ったので、新機からUSBを外して、ベッドに持っていって新機を開くと、ちゃんとネットに繋がっている。
やはり元凶はUSB3.0だった!

ネットによる解決策として、
①妨害電波を出さない安物でない透明なUSB3.0ケーブルを使う:HDDに付属していたケーブルで妨害電波を発するのだから。標準レベルでダメということ。
②ネットの方を5GBにする:ネット設置側の事情によっては無理。またBluetoothの問題が残る。
③HDDを90cm以上本体から離せば、電波が本体に届かなくなる。

幸い1個のHDDの付属ケーブルが1mだったので離してみたら、なんとネットが繋がった。
もう1個のHDDの付属ケーブルは短いので、本体の近くに置かざるをえないのだが、こちらの影響はない。
ということは、HDDまたはケーブルによって妨害電波の出方が違うのかもしれない。
言い換えれば、組み合わせを試行錯誤してなんとかなるようだ。