今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

母が脳梗塞に

2016年02月28日 | 身内

東京の実家での朝、部屋のドアを強くたたく音で目が覚めた。
何事かと思って飛び起き、ドアを開けると、そこには外出着をまとった母が立っていた。
「脳梗塞になったので、今から病院に行く」という。

母は携帯を持って、医療機関と話を続ける。
歩いて行ける近くの病院が脳梗塞の救急外来は受付ていないので、他の医療機関を当たっている最中だった。
私も急いで外出着に着替えて、母の通話を一緒に聞いた。

なんでも母は昨晩から右腕が重く感じ、動作の失敗などあり、
また缶ビールを半分ほど飲んだのだが、いつもと違って酔ったような感じが抜けず、
そして、夜中、トイレに行く時、右足がうまく動かず家具にぶつかったという。

さらに、電話で指示されたことを右手で筆記しようとしたら、思い通りに書けなくなっていた。
電話の向こうでは看護師が母の状態を確認するために、両腕を前に伸ばしたまま10秒静止できるかなど指示をする。
私が声を出して数えている間、両腕・両足ともに前に出して静止はできた。

自ら電話をかけ、指示を仰ぎ、外出の準備までしているのだから、頭脳は明晰で、運動能力もさほど損害がない。
でもテレビでさんざん観た脳梗塞の兆候に自分がぴったり当てはまっているというのだ。
脳梗塞になりながら、自分が脳梗塞だと判断し、あちこち医療機関に電話をかけ、外出する用意をし、私を起こし、私にあれこれ指示をする。
わが母ながら感心した。
もし自分が脳梗塞になったらここまで落ち着いてできるだろうか…。

やがて救急車が来て、母は自分の足で乗り込んだ。
搬送先は、幸い近くの日本医大。
脳血管障害の拠点病院だという
母の付き添いで救急車に乗って日医大に行くのはこれで2度目。
前回は鼻血が止まらなかっただけなので(一応”手術”をした)、今回はもちろんそれより深刻。

救急車内のベッドがそのままストレッチャーとなって、ICUに運ばれる。
応急検査の間、私はICUの椅子で待つ。
医師が来て、いろいろな承諾書への署名と、できたばかりの母の頭部MRI画像を見せる。
左脳の中央部の深い所にある小さな白い円が梗塞の跡だという。
病名は「ラクナ梗塞」
直径が15mm以下の梗塞の名だという。
小さくても俗名は「脳卒中」。

脳梗塞は進行する場合が2割あるという。
つまりまだ軽い症状だからといって安心はできない。
逆に言えば8割は進行しない。
母の友人も私の同僚も脳梗塞をやったが、その後は後遺症もなく普通に生活している。

ただ悔しいのは、あれほど健康に気を使ってきたのになぜ…という点。
降圧剤と血液をさらさらにする薬も常用していた。 
今回の血液検査で血糖値も問題ない。
生活習慣に思い当たるふしがないので、
医師に「きっかけといえるものがあるでしょうか」と尋ねたら、

医師が言うには、一番の要因は”年齢”だという。
確かに86歳は高齢に属し、わが親族では最長老だ。
母の母(私の祖母)は今の母より20歳若くして脳卒中で斃れた。
努力があったからこそ、この程度で済んだといえるかもしれない。
でも、日本女性の平均寿命だ。
まだまだいける。いってほしい。


伊豆長岡で温泉・バイキング

2016年02月27日 | 温泉

最近、温泉地などの古い旅館・ホテルを買い取って安い料金(8−9000円程度)で提供するチェーンホテルが拡大している。
中部・近畿圏では「湯快リゾート」だが、
関東圏では「大江戸温泉物語」そして伊豆を中心とした「伊東園」が頑張っている。
これらはコストを抑えるために夕食はバイキングである点で、
カロリーオーバーの豪華夕食はいらない私にとっては糖質抜きで満腹になれるのがありがたい(質的には満足しないが)。
その中で伊東園は夕食バイキングに”アルコール飲み放題”もついているのが酒好きにはうれしい限り。

さてその伊東園の、富士の眺めがよさそうな伊豆大仁の宿を狙ったが、
部屋がとれなかったので、そこに近い伊豆長岡温泉の金城館にした。

伊豆長岡温泉は毎春、別の宿に通っていたが、この地は泉質が薄く(単純泉)、
訪問地としてもたいして魅力がない(史跡は数々あるが、それらは一度訪れればもういい)ので、
足が遠のき気味だった(昨年は近くの畑毛温泉。こちらは富士が真正面だった)。
ただ温泉街は熱海や伊東に比べれば素朴で、骨休みにはよい。

ここ金城館は、本館と新館とがあり、大浴場は両方にある。
私は1泊につき4回入るので問題ない。

もちろん計測を怠らない。
そもそも源泉が単純泉なので濃さや効能には期待できない。
測定の結果、溶存物質量(温泉成分の濃さ)は、本館内湯>新館露天>新館内湯の順で値が半分になった
(つまり新館内湯は本館内湯の1/4)。
源泉段階で成分が薄いのだから、温泉として入る意味があるのは本館内湯ということ。
客の評判は新館の方が高いが、それは浴室の造作の評価にすぎず、温泉”気分”になっているだけ。
温泉としての湯の評価は、温泉ソムリエでもある私”計測マン”におまかせを。 

ついでに、伊豆長岡温泉は歴史ある温泉だが、薄い単純泉なので特別な効能のある療養泉ではない。
ではなぜ温泉として歴史があるのか。
それは泉温が高く(59℃)、熱い湯がこんこんと湧き出ているためである。
熱い湯が自然に湧き出ているだけで、昔の人は神秘的パワーを感じた。
泉温こそが温泉の第一の指標であったのだ。

さて、夕食だ。
今日は客が少ない方なので、一部制で2時間(混んでいる時は90分の2部制)。
私にとって楽しみなのは、幾度もいうが「飲み放題」。
内容はビール、焼酎(各種割り)、日本酒、ウイスキー(ハイボール)。
それぞれサーバーから自分で注ぐ。
食べ放題よりこちらが主となり、ビール3杯にハイボール2杯いただいた。

食べる方は、”カニ”が今回のウリなのだが、カニ食べ放題は”グリーンプラザ浜名湖”以上の豪気さを越える宿は見当たらず、そこで堪能している私はそもそも期待していない。
むしろ、草食男子としては、野菜が生(サラダ)、炒めもの、天ぷら、鍋と多種の料理で提供されているのがよかった。
あとは煮物があれば文句ない(朝に筑前煮が出た)。
逆に肉や魚が好きな人にとっては、インパクトに欠けているようだが、宿代を思いだせば我慢できるだろう(安ホテルチェーンのバイキングはどこもワクワク感は得られず、ただ満腹感を得るのみ)。

もちろん糖質類(ご飯、麺、果物、スイーツ)には手を出さない。
もっぱら野菜と肉だけで満腹になる。
ホント、バイキングこそ糖質制限が自然にできる。

実際、2時間後の尿糖は、あれだけ飲み食いしても「−」(検出限界以下)だった。


糖尿病を避けたい

2016年02月26日 | 健康

私が一番恐れている病いは、ガンではなく、むしろ糖尿病だ。
なにしろ、2人の伯父、高校の同級生、幼なじみの母親を糖尿病で亡くしている。

自分自身、もともと高血圧でコレステロールが高いのですでに「メタボ」に診断されている(腹囲も該当)。
この二つは薬で値を抑えるしかないが、これ以上ずっと飲む薬を増やしたくない。

そこに”血糖値”がじわじわ境界線まで上昇してきた。 

うかうかしてられない。対策が必要だ。

1.まずは歩く。
歩数だけでなく、運動強度の強い歩行も測れるテルモの歩数計を買った。
歩数計を着けると、それだけで歩く意欲が高まるのがいい。

2.つぎに糖質制限への道。
日常ではサラダを先にたくさん食べ、ご飯を軽く済ませる。
夜の酒のつまみにしていたスナック菓子(ポテトチップス)をやめ、蛋白質の珍味系にする。 
もともと砂糖は摂らないが、麺類が好きなのでこればかりは困る。 

3.そして、尿糖検査キットを購入。
計測マンとしては、やはり自分の血糖値を測りたい。
クリニックで検査する血糖値は食前だが、糖尿病の予備軍の発見には食後血糖値が重要だという。
そこで自宅で食後に測りたい。
普通の血糖値測定は、採血をしなくてならないので、体を傷つけるが(作業の手間がかかる)、
尿糖検査なら自然に排泄される尿ですむ。 

一番お値打ちなのは、やはりテルモで出している「新ウリエースGa」。
これはスティックの先の検査薬部分に尿をかけ、その場で検査役の色を判定するもの(スティックはトイレに流せる)。

判定は5段階しかないが、正常範囲か否かは判断できる。
コストも手間もこちらの方が上(より正確な値が必要になるまではこれでいい)。

ためしに夕食後2時間後に測ってみたら、尿中糖濃度は「−」(検出限界以下,50mg/dL未満) だった。
食後すぐなら血糖値は誰でも上昇する。
その一番血糖値が高いときに作られた尿でこの結果ということは、
わがインスリンの(血糖値コントロール)機能はたぶんOKということ(あくまでも間接的な検査)。
まずは安心したが、値はその日の運動量や食事によって変化するという。
しばらく続けてみたい。 


民主党に期待するもの

2016年02月25日 | 時事

私は民主党支持者ではないが、自民党に代わる政権担当能力のある政党の成熟を切望している1人だ。

前々回の衆院選では、民主党に投票しなかったこともあり(マニフェストを見たら×だらけだった)、
「裏切られた、信用できない」という絶望感はないので、いまだ民主党に期待している少数派を堅持している。

ところが、今の民主党は、旧社会党のような野党のリーダーの地位に満足しているようで、それがむしろ絶望感を与える。
「確かな野党」は共産党だけでいい。

現実的に政権奪取可能な道があるとすれば、前々回そうであったように、自民支持者の乗換えが絶対に必要なのだ。
つまり反自民を標榜するのではなく、超自民を目ざさなくてはならない。
そもそも民主党の中枢の人ってほとんど自民党出身でしょ。価値観的に反自民ではないはず。

いたずらに自民との対立を煽るマスコミは、民主党を旧社会党の位置に固定させたい実は隠れた自民支持なのだ。
真に国を憂う大半の保守層にも「自民党よりもいい!」と思わせる政党になることが求められている。

もっと率直に言うと、私が民主党に期待しているのは、政策の違いよりも体質の違いだ。
ここでいう体質とは、政党レベルでの利益の供給先、意思決定の仕組み、そして個々の議員の行動様式などを総称したもの。

自民的な体質こそ、日本が脱皮しなければならないものだと思っている。
それは自民の体質に浸かっている中からは出てこない。
政策の共通点のない野党では実現できない。
自民を脱した人の中から出てくると期待している。 

表面的な政策(建前)は、体質(本音)によって容易に曲げられてしまう。
体質が違えば、同じ政策であっても実現するものが異なる。
だから民主党が自民党と同じ政策を掲げても、それは超自民であればなんら問題はない。
 民主党に超自民を期待するのは、党の構成員から見て、不自然・不可能ではないはず。


確定申告の勧め

2016年02月24日 | 生活

確定申告は年に一度の私的な大行事。

給与以外に一定以上の副収入があれば、「個人事業主」となることによって、支出の中から必要経費などを落せる(つまり課税対象となる収入額を下げることができる)。

高額な機械など減価償却に該当するものがなければ、”税理士”の手を借りることなく、自分で確定申告書類を作れて、結果によっては還付金を得ることができる。
なのでサラリーマンでも該当するなら確定申告した方がいい。 

私は、ずっと前から申告書の作成を独力でやってきているが、数年前から、国税庁のサイトでデータを入力すれば自動的に申告書類が作成できるようになったのだ、とても楽になった。
作業が楽だけでなく、誤りの可能性がなくなったので気分的にも楽だ。
ただし国税庁が勧めているe-Tax(電子申告)は、不要な機材を購入する必要があるので、それをやらず、紙に印刷して区役所経由で提出することにしている(提出だけなら受け付けてくれる区役所の方が税務署より家から近いから)。 

最近は副収入の変動が激しいので、納税したり、還付されたり。
ちなみに納税すべき副収入(源泉徴収されていない)があるのに、申告しないと脱税扱いとなる。 
源泉徴収されていれば、すでに納税したことになる。

納税は国民の義務なのだから、きちんとすべき。
そうして始めて、国政に文句が言える。

 もちろん、法律が定めた以上に納税する必要はないのだから、その基準で課税所得を調整できる。
源泉徴収は必要経費を無視して一定比率で税が先払いされているものだ。
<だから状態によっては、税の払いすぎということで「還付」を受ける権利がある。
その権利を行使するのが、確定申告だ。 

ではどうやって調整できるか。
まずは、医療費控除。
扶養家族の分も含めて10万円に達しないと控除にならないのだが、つまり定期的に医者に通って、しかも大きな検査や手術など受けないと実質的にはダメなのだが、ドラッグストアで買った薬品などの領収書をかき集めてみるとよい。
私は夏にやった皮膚科の手術の領収書が見当たらなかったので医療費控除はあきらめた。 

あと、寄付金控除。
 何に使われるかわからない税金を持っていかれるくらいなら、自分でその使い道を作りたい。
私は、「国境なき医師団」(NPO法人)に定期送金をし、あと東日本大震災の被災地(自治体)や、一時的な災害被害地にも寄付をしている。
これらの全額ではないが、一定比率で控除される。 

生命保険も一定範囲内の控除対象。

さて、一番やっかいな”必要経費”については、事業(副収入)のための支出なら認められる。
事業所が住宅を兼ねている場合は、空間を配分し、その比率を家賃や光熱費、通信費に当てはめる。
実際にその配分で仕事場にしてないと、突発的な査察が入ったときまずい(国税庁の査察というと、昔「マルサの女」っていう映画があったな)。

私は、区役所がやっている税務相談に行って、そこで税理士から直々にアドバイスを受け、それを実行している。


ロカボなら可能か

2016年02月23日 | 健康

周囲の人々を死に追いやっている”糖尿病”を何より怖れる私にとって、糖質制限食が最適解であることは頭では判っている。
米飯やパンは無くても平気だが、元来、麺・ジャガイモ(ポテトチップス)・トウモロコシが好きな私としては、
これらとおさらばする踏ん切りがつかない。

なので糖質制限には二の足を踏んでいたが、よりゆるい制限として北里大の山田悟医師が提唱する”ロカボ”ならなんとかなりそう。
ロカボだとご飯は今の半分となり、それはなんとかできそうだ。
実際、勤務先で休日出勤日に出る弁当のご飯は半分しか食べない。
が、麺やパスタが1人前すら食べれない人生はつらく悲しい(特にあんかけスパは願わくは1.5人分食べたい)。
そこのところは、食事回数が1.5~2回/日なので、一日当りの糖質量で計算しようか。

そして酒のつまみも今まではスナック菓子や柿の種が多かったのだが、珍味系の動物性蛋白質中心としよう。
酒自体は、ワインと焼酎なので、これらはOKのようだ。
ビールも糖質オフの発泡酒に切り替えている。

野菜と大豆はもともと好きなのであとはなんとかなるかな。


善福寺川を遡る:前半

2016年02月21日 | 川歩き

気楽なウォーキングでお勧めなのは、川沿いの道だ。
郊外に遠出することもなく、街中なのだが、川沿いなのでそれなりに自然があり、景観も楽しめる。
第一、平坦なので、距離だけを指標にでき、しかも任意の地点で切り上げることもできる。

つまり思い立ったらすぐに実行でき、準備も装備もいらず、計画も適当でいい。
とにかく川沿いに歩けばいいだけだから。

都内を流れる川でこれを実行している。

前回、妙正寺川を水源から歩いてみて(→記事)、その逆ルートの方が終わりが盛り上がると思ったので、今後は下流から遡ることにする。

さて、今回は満を持しての「善福寺川」。

なぜ、「満を持して」かというと、そもそも都内に面白そうな川があることを知ったのが善福寺川だからだ。
善福寺川は、杉並区の北西端にある善福寺池を水源として、区の南東端で神田川に合流するまで、杉並区のど真ん中を北西から南東へ斜めに横断(=斜めに縦断)している(すなわち神田川の支流なので海には出ない)。
だから杉並区民にとっては全面的に”おらが川”だが、それゆえ、他区民にはまったく馴染みがない。

さて、昨日は甥っ子の中学合格祝いでたらふく糖質を摂取したこともあり、今日は川歩きでそれを解消したい。

下流から遡るということなので、神田川との合流点が出発点になる。
そこに一番近いのは、地下鉄丸ノ内線の「中野富士見町」。
駅は中野区だが、駅前の神田川の左岸(北側)はもう杉並区。 
まずコンビニでおにぎりとお茶を買って神田川の左岸沿いの道を進む。

ほどなく善福寺川との合流点(遡行の視点でいえば分岐点)に達する(写真:手前が善福寺川)。
写真では神田川より善福寺川の方が川幅が広く見えるが、これはアングルのせいで、川幅(水量)はほぼ等しい。
神田川は、水源が武蔵野市の”井の頭公園”で善福寺池よりも遠いので、本流になっている。 

さて、ここが本当の出発点。

道沿いに案内板があり、水源(善福寺池)まで11.3kmという 。
今回は、その半分くらいが目標。 

道沿いには、立正佼成会の巨大な施設が居並ぶ。
このあたりは立正佼成会の本拠地なのだ 。

環七を横断すると、佼成会の勢力圏を脱し、今度は大きな取水施設が川に平行している。
これは環七の道路の下を神田川・善福寺川・そして妙正寺川の増水時の地下調整池にする施設だ(実際、妙正寺川沿いにも同様な取水施設があった)。

このあたりから、善福寺川は川幅を拡げ、コンクリートの平坦な川底から丸石状が浮き出た 川底となり、アオサギやカルガモなどの野鳥が石の上で体を休めている(写真はアオサギのズーム)。
こういう野鳥とすぐに出会えるのも川歩きならでは。 

周囲に木立が増え、「済美公園」 の一画となる。
ここから川がおおきく180℃蛇行する所で、「和田堀公園」という長い公園に続く。

善福寺川は両岸がずっとのどかな公園状になっていて、川沿いの歩道は格好のジョギングコースになっている。
今は枯れ枝状態の桜並木になっており、満開の季節だったら壮観だろう。

川道が南行している地帯に、杉並区立郷土博物館がある。
訪れている地域の情報源として郷土博物館にまさるものはない。
さっそく100円払って入館。
善福寺川沿いには縄文時代から人が住んでいたことがわかった。
敷地には古民家もあり、私が小学生の時芋掘りで訪れた農家を思いだした。
また備付けのパンフで周囲の名所の情報も得られた。

和田堀公園の一画で、おにぎりを食べ、川道が西向きになったところで、一旦川から離れ、大宮八幡神社を詣でる。
区内最大の神社で、源義家ゆかりの地でもある。 
ここも以前から訪れたかった。
境内の施設をすべて巡って(小笠原の弓道場もあった)、再び川に出ると、そこは長い和田堀公園の中心部で、池がある。
付近には食堂もあり、昼食をとるならこのあたりがいい。
近くに、松ノ木遺跡の古墳時代の復元住居があるのを博物館で知ったので立寄った。
善福寺川は周囲に立寄りスポットがあるのも楽しい。
その代わり、遡行がはかどらないので、一度で水源までは行けない。 

その後も、地元の開発者野口成宗にちなむ成宗鎮守白山神社、地元諸社の別当寺・宝昌寺(区内最古の石仏がある)に立寄り、時計も14時をまわり、疲れてきたので、川が北にヘアピン状に蛇行する天王橋で切り上げることにした。
水源までまだ6.4kmあるが、中間地点あたりの切り上げ地点として駅に近いのはここしかない。
善福寺川にかかる橋上に、阿佐谷~浜田山の駅を結ぶバス停があるのも、次回の再開地点として好都合。

今回は、JRの阿佐谷駅までさらに歩くことにした(最寄駅は丸ノ内線の南阿佐ケ谷)。

残った水源までの後半部は、もっと緑の多い季節に歩きたい。→その後半に移動

 今回のウォーキング、家から家までで2万歩を越えた。
昨晩の糖質の分は解消できたことだろう。 


糖質制限向け外食を熱望

2016年02月20日 | 健康

日本人の食事は伝統的にご飯中心主義であり、おかずはご飯を食べるための添え物という位置づけであった。

この慣習は今でも根強く残っており、外食のランチなど、どんぶり飯だったりする(しかもお替わりサービスを謳っていたり)。

私は、バイキングを通して、ご飯を摂らない食になれてきた。 
今では夕食でもご飯は160gを上限とし,お替わりという行為は選択肢にない。

糖質を”減らす”というレベルのゆるい糖質制限は、自分だけでなく、日本全体で進めるべきだと思っている。

なのに外食がこの流れに追いついていない。

ご飯やパンの量が多すぎる(麺については、麺好きなので多すぎない)。

そんななか、昨日名古屋駅で買った弁当は、8割おかずでご飯2割というよいバランスだった。
その弁当、実は肉をいっさい使わないベジタリアン向けなのだが、ご飯の量も相対的に少ないので気に入って買った。

もともと消極的ベジタリアンである私にとって、鳥の唐揚げがほとんどデフォで入っている弁当ばかりで選択肢が乏しかった。

観光地ではイスラム教徒用の食が提供されはじめているのが話題になっているが、
日本人においても食が多様化しているのだから、そしてのその中で糖質制限の方向性は堅持されるべきなのだから、
糖質を極力抑えたメニュー・弁当の需要は相当に高まっているはず。
お願いだからどんどん出してほしい。


あえて小牧に泊まる理由

2016年02月15日 | 

名古屋に居る私にとって、よく行く泊まり旅で一番近いのは小牧である。
小牧は、名古屋市から豊山町(県営名古屋空港がある)をはさんだ北にある。
なので名古屋への通勤・通学圏で、わが名古屋東端の宅から車の経路でたった20km(直線距離ならもっと短い)。
信長(名古屋生まれで小牧城主だった)の頃でさえ日帰り距離だし、しかも小牧に用事があるわけではない。

ここの温泉付きビジホに泊まることそれ自体が目的になっているのだ。

まず私は、とにかく”温泉”に泊まりたい(=温泉に4度は入れる)のだから、遠方である必要はない。
ここは本物の温泉※で(ホントは温泉とはいえないそこらの「アルカリ単純泉」ではなく)、れっきとした”ナトリウム・カルシウム−塩化物泉で、しかも等張性(ただし、源泉は等張性=高濃度であっても、湧出量が少なく加水しているので、わが計測によると、浴槽の湯の溶存濃度は524ppmといたって低い)。 
※残念ながら、2016年6月で温泉でなく沸かし湯になったという。 

もちろんチェックインからチェックアウトまで(深夜を除いて)いつでも、何回でも入れる。
まずこれがお気に入り。 

それにビジホだと安いので、大きな旅をした後でもふところが痛くない。
観光地でもビジネス街でもないので、予約がとりやすいのもありがたい。

欠点はビジホならではの部屋の狭さと食事の不便さであるが、連泊するわけではないので、居住性には目をつぶれる(ホテルのシングルとしては余裕がある)。
そのかわり、ビジホだから無線LANが使えるし、作業用の机も広め。
洗濯機と電子レンジも2階にある。

そして食事であるが、このホテルは、2階に大衆居酒屋を併設しているのがミソ。

そう、私の「一人で行けない所」リストに”大衆居酒屋”があるのだが、泊まり客はここを夕食場として使えるのだ。しかも生中の無料券付き!
つまり、大衆居酒屋に宿の部屋着のまま躊躇なく入って、酒と肴と飯を注文できる(カウンタ席があるのもありがたい)。
今回は、無料の生中1杯に、シーザーズサラダのハーフ、厚揚げ焼き、それに海鮮丼のハーフで1600円だった(夕食後も部屋で仕事をするため飲み食い量はセーブ、というより、やはり大衆居酒屋では一人でジョッキ幾杯も重ねる気にはなれない)。

さらに朝食はここでビュッフェバイキングにありつける。

それに近場なので、翌朝、朝湯にバイキングを堪能してゆっくり発っても、昼の会議に余裕で間に合う。

かくゆえ、私にとってはここが貴重な宿なのだ。


怖さを楽しむ心理

2016年02月14日 | 心理学

個別感情についての定型化された理解を見直す作業を数年前にやっていて(今は中断)、その中でマスコミからの問合せが一番多いのは「恐怖」について。

恐怖=危険を避けるための不快感情という進化心理学的理解にとどまっていては、ホラー映画やお化け屋敷にわざわざお金を払って怖がりにいく現代人の行動を説明できない。

ここからは宣伝になってしまうが、

昨年は『談』という雑誌に「怖いもの見たさ」の心理のインタビュー記事が載った。

そして今日、日本経済新聞サイトの女性向けページ「WOMAN SMART」で恐怖映画を楽しむ女性=「ホラ女」 についての記事で、私のインタビュー記事が掲載された☞そのページへ

 ”日傘男”や”計測マン”ではなく、本業である心理学者としての自分がマスコミ経由で紹介されるのはありがたい。

せっかくなら、このブログでそれら記事についてさらなる解説をつけ加えたいのだが、
今日は、大学院の入試で面接試験をやってきて、頭が疲れていて無理。
後日にまわさしてもらう。 


佐倉の山城巡り:臼井城、本佐倉城

2016年02月11日 | 城巡り

歴史の町としての観光に成功しているのは,埼玉では川越。
対する千葉では佐倉が充実している。

いや、佐倉はすごい。
まず佐倉の町には日本最大の歴史博物館である国立歴史民俗博物館があり、ここだけでも半日すごせる。
他に佐倉城に武家屋敷、それに義民・佐倉宗五郎(惣五郎)、幕末の順天堂、昭和の長嶋茂雄まで事欠かない。
これらを巡るだけで一日はつぶれる。いやきちんと観るなら一日では回りきれない。

さらに、京成佐倉の1駅前には、戦国時代の臼井城、一駅先には千葉県の主・千葉氏の本佐倉城が控えている。
こうなると3日は必要かもしれない(川越は1日で充分)。 

佐倉の町の史跡巡り(ただし宗五郎関連以外)は2009年に訪れたので、今回は臼井城と本佐倉城の山城をはしごする。

佐倉の1駅前の臼井で降り、北口に出る。
訪問先で昼食をと思ったが、こちらの口には店がない。
仕方ないのでコンビニでおにぎりを買って、城跡で食べることにする。

城の大手口への道が今でも住宅街の細道として残っているのでそれを辿る。
途中、右に寄り道して、江戸時代最強の力士・雷電為右衛門の墓を詣でる。
雷電の墓と称するものは全国に幾つかあるが、ここのは夫妻と一女の組合せ。
元の道に戻り左に寄り道すると、和太鼓の激しいリズムが聞こえてきた。
そこは雷電の等身大(195cm)の碑がある妙覚寺という日蓮宗の寺で、なんと今日は「雷電祭」。
佐倉市民による奉納太鼓だったのだ。

思いがけず雷電を堪能して、いよいよ臼井城に向う。
その手前に太田図書助の墓がある。太田道灌の弟で、道潅による臼井城攻めの際、戦死したのだ。
臼井城の本郭に達すると、目の前に印旛沼が広がる(写真はズーム)。
今は干拓されてしまっているが、戦国の頃は霞ヶ浦ともつながって海の入り江状態だったらしい。

この臼井城、戦国前期の雄・全戦全勝の太田道灌に攻め落される。
そして約1世紀後、今度は戦国後期の雄・戦国最強と謳われる上杉謙信に攻められる。
長駆遠征を厭わない謙信にとっては、ここ臼井城は関東進出の最東端ともいえる。
しかし本郭を目前に、謙信ともあろうことか敗退してしまう。
謙信にとって関東支配の目論見が挫折するターニングポイントとなった(道潅は謙信より強かったかも)。

印旛沼方向に下ると円応寺という城主臼井氏の菩提寺がある。
荒れ気味の累代の墓を巡って、印旛沼干拓地に沿って進むと、「阿多津の墓」がある。
おたつという城主子息の乳母が、子息の命を守るためにこの地で落命した跡だ。 
ここから長源寺を経て駅に戻る(駅から一周したことになる )。

ここで再び京成に乗って2駅目の「大佐倉」という(名に反した)小さな駅に降りる。
ここから東に進み、村社・麻賀多神社を裏階段から往復し、勝胤寺にちょこっと寄り道して、本佐倉城の広い城跡を目ざして田園地帯を進む(写真)。
千葉氏の居城のここは、臼井城のような華々しい歴史をもっていないが、国史跡ということもあってきちんと発掘が進められ、門や建物、庭園跡などがかなりわかってきている。
ただ、それらは復元されておらず、草の生い茂った平面に立って頭の中でそれらを想像するだけ。
そう、山城巡りは、城内を頭の中で復元し、守り手か攻め手のつもりになって当時の縄張りを歩きまわるのだ。 

駅に戻るのに往路をとらず(また一周するつもり)、城跡の南西側に出る。
この付近の地名はなんと「将門」(マサカド)
そう、ここは坂東武者の心の拠り所・平将門の出生地とも云われているのだ。

将門の地に本佐倉城主千葉氏が建てた将門口ノ宮神社に詣でる。
さらにその奥の平原に、将門の愛妾(あるいは間者)という桔梗の塚が大木の傍らある(写真:ここを訪れるなら新緑~紅葉の時期の方がよさそうだ)。 

かように佐倉(本佐倉は行政的には佐倉市ではなく酒酒井町)は、千葉・臼井氏だけでなく、将門と雷電のゆかりの地でもあった。
私は前回と今回の2日を要したが、まだ佐倉をわまりきれていない。
次回は佐倉宗五郎関連だ。 


締め出され

2016年02月08日 | 失敗・災難

3泊の慰労旅も今日で終わり。
私にとっては”3泊”は最長の部類なのだが、ここ定宿での滞在としては物足りなさを感じている。
毎年数回の連泊をずっと継続しても一向に飽きないからだが、逆に飽きてしまうともう行く気がしなくなるので、「もうちょっと居たい」と感じながら帰るのが丁度いいと、自分に言い聞かせている。

気持ちを残して去る。これを「残心」という。

さて、今日は何も用事がないので、のんびり帰り、14時すぎに到着。
荷物を部屋に戻して、車の小さなキズが気になったので近くのディーラーに車で出かけた。
わが部屋の鍵を閉める時、いつもとは違うへんなひっかかりを感じたが、そのまま出かけた。
戻ってきて、部屋の鍵を差し込んだが、鍵が回転しない。 
すなわちドアがあかず、部屋に入れない。
閉め出された。

前回は赤チンクに閉めだされたが、それは自分のミス。
今回は私のせいでない(と思う)。

幸い、外出装備なので、携帯があり、管理会社に電話する。
今冬一番の冷え込みだった今日だが、車での外出だったので防寒着がない。
なので、管理会社の人が来るまで、表で待つわけにはいかない。
さらに幸い、車のキーもあるので、車の中で待つ。

だいぶ待って管理会社の人が来て、鍵穴に鍵専用の潤滑剤を注入する。
すると、鍵が回転し、開けられた。

お礼を言って、部屋に入り、今度は夕食の材料を買いに出かける。 
今度は革のジャケットを羽織り、代わりに車のキーを置いて、外から施錠する。
さっきと同じ違和感があったので、鍵を回してみたが、回らない。
また、閉めだされた。
さっきの成功はつかぬ間で、状態が戻ってしまったのだ。

また管理会社に電話した。
今度は車に入れないので、まずはスーパーに行って買い物を済ませる。
それを済ませてもいっこうに連絡が来ない。
催促の電話をする。
いつ来るかわからないので、喫茶店で休むわけにもいかず、ずっと家の周囲を歩きまわる。
日没となり、どんどん気温が下がってくる。
そとにいると寒いので、近くのコンビニに入るが、買うものもないので、長いするわけにはいかない。
なので、近所のコンビニをはしごする。
長居できるのはスーパーしかない。
スーパーに戻って、また催促の電話をする。
どうやら、外回りの人は一度成功したので、2度めの依頼であると思っていない気がしたので、2度目の依頼であることを詳しく説明しなおす。

そうしてやっと管理会社の人が到着。
一度目と同じ作業をしたが、今回は鍵が回転しない。
管理会社の手に負えない事態になったので、専門の業者に依頼してもらう。

業者が到着するのは19時半だという。
それまで45分、寒空の下で待つわけにはいかず、空腹になったので、自炊用に買った食材を持ちながら、駅前に戻って食堂に入った。
そこで夕食を食べていると、予定の15分前に到着したと業者から電話が来た。

いそいで夕食をたいらげ、戻る。
専用の工具を携えた業者の人が待っていた。

彼、いやその”鍵師”は、ドアの鍵周りの部分を分解し、夜の外に面した廊下で懐中電灯を灯して部品一個一個を精査する。
そして、それらを付け直し、鍵が軽快に回るのを幾度も確認した。
部品に損傷はなく、つまり正常なので、原因は不明だという。
私も幾度も鍵を閉めてみたが、今回はきちんと回転する。
さすが鍵師だ。
賃貸なので請求は管理会社に行く。
私はお茶を一杯差し出しただけだが、心から感謝を示した。 

原因不明というのが気になるが、
可能性としては、鍵についたゴミが鍵穴の一部を塞いだかもしれないという。
確かに、以前から使っていた鍵を覆うキーケースをやめ、最近は鍵を束ねるだけのキーケースに乗り換えたばかり。

 


日曜の中津川

2016年02月07日 | 

中津川温泉での慰労滞在を利用して、日曜の中津川市を味わった。

昨日も行った市図書館の駐車場が満車だったので、隣の市民会館の駐車場に車を停め、市街を横断する旧中山道の通りに向う。
そこでは毎月第1日曜に「六斎市」というかつての定期市が再開され、地元商店の出店が並ぶ。
道脇にある桂小五郎の隠れ家址や地元の豪商・間(ハザマ)家の大正時代の蔵なども見学。

さらに六斎市の出店が尽きる所にある”中山道歴史資料館”は、小さいながらもちゃんとした博物館で常設展のほかに企画展をやるので、中津川に来た2回に1回は訪れる。
今回の企画展は「幕末維新 中津川に夜明けは来たか」。
うれしいことに六斎市の今日は入館無料。

中山道の江戸と京の中間にある中津川は、長州藩が公武合体から尊王攘夷へ政策を転換した「中津川会議」の地。
それだけでなく、平田国学が盛んで薩長側を陰で支えた草莽の士が輩出した所。
なので常設展の資料はもとより、企画展もこのようなテーマになる。

馬籠や中津川を愛する者にとって、幕末維新のこの地を描いた島崎藤村の大作『夜明け前』は必読書。
ちなみに、表題の「夜明け前」とは、明治維新の思想的原動力となった平田国学に心酔していた主人公青山半蔵(藤村の実父がモデル)にとっての失望した明治維新のこと(つまり、この作品の主題は明治維新への痛烈な批判である)。

さらに図書館と同じ建物でその上部階にあたる市民会館に入る。
実は今日は、「南地区世代交代さわやか芸能フェスティバル」という、中津川南部地域の地元の人たちによる芸能発表会が催されている。

もちろん素人の発表会だが、地元の人が継承する「八幡神社奉納笹踊り」や恵那文楽ジュニア保存会の「寿式三番叟」(写真)が披露された。

これらは本番の祭礼で披露されるものだが、それに接する機会がない私にとっては、貴重な体験だった。
かくして、図らずも日常の奥にある一段深い中津川を堪能できた。


馬籠宿の氷灯

2016年02月06日 | 

東濃の中津川温泉を気に入って定宿にしているのは、もちろん宿そのものが気に入っているからであるが、中津川という所も気に入っていて、この宿だけでなくこの地を訪れるのも楽しみにしている。
私が都市だったら、姉妹都市の提携を結びたいほどだ。 

なので、毎回3泊する定宿の旅での日中は、(観光地はすべて訪れたので)市民のような顔をして、市の図書館に行って本を読んだりして、中津川の日常を楽しんでいる。
もちろん、連泊に要する酒やつまみも、市民御用達の地元スーパーで買い込む。 

このように中津川の日常は堪能するのだが、逆に市の祭やイベントにはなかなかタイミングが合わない。

そんな折り、偶然なのだが、中津川市に編入された木曽の馬籠宿(ここが近いこともお気に入りの理由になっている)で「氷雪の灯祭り」が滞在中に開かれることを知った。

宿場の中央をつっきる道(中山道)沿いに、氷で作ったぼんぼりを並べるものらしく、18時から開催という。
つまり、日帰り観光バスで訪れる団体客には無縁の、泊まり客だけが堪能できる貴重なイベントだ。
なので夕食時間を遅くして、開催1時間前に馬籠宿の駐車場に車を停めた(駐車場が満車になる前をねらった)。

暮色に覆われていくうちに、道沿いに並べられた氷灯に火がともる。
道沿いの土産物店はすべて閉じているので、邪魔な明りはない。
夜になれば、宿の看板のぼんぼりと道に並んだ氷灯だけとなる(写真)。

馬籠宿の中ほどにある藤村記念館前では、甘酒とトン汁が振る舞われる。

訪れる客はカメラ撮影を目的とする人が中心で、時間が時間だけに一般観光客の姿は少ない。
これが見物客でごった返したら、道に並べられた氷灯はまったく見えなくなる。

宿場の人たちは灯が洩れないように店を閉ざしてるので、可哀相だがこの氷灯を楽しめない。
ということで、この時間にやってこれる奇特な人間だけが、この美しい風景を堪能できる。

こういう経験ができる中津川ってやっぱりいい。  


FIAT500Sで初高速

2016年02月05日 | 

今日の昼に入試監督業務を終えると、後は入試判定教授会まで用事がない。
というより、成績つけを早めに仕上げて用事をすませた。

そのすっきりした気分になって、定宿の中津川温泉に向う。
慰労の温泉滞在のため。

もちろんわが新車・赤いFIAT500Sで。

新車にまずは初めての高速道(東海環状道~中央道)を経験してもらう。
排気量は870ccながら、ツインエア(2気筒)によって1400cc並みの馬力だという、その実力を堪能したい。
合流線での加速を終えれば、あとはずっと5速のまま。
追い越し車線を時速120kmで走っても、車内はいたって平穏。
これが前のRover MINI(今の BMW MINIとは別物)だったら、エンジンがうなりをあげ、
しかも車高が低く、サスペンションも堅いので、ゴーカートに近いスピード感を感じて緊張し疲れてしまう。

ところが排気量では負けている FIAT500だが、追い越し車線をずっと走っても、後ろから追いつかれることもなく、むしろ前の車がどいてくれる。
この速度でもこの車にとっては、一般道を走っているような余裕で軽快そのもの。
長い上り坂も5速のままでいける(速度は落ちるが周囲の車と同じレベル)。 

Old MINIでは追い越し車線をこうはマイペースで走れなかった。
MINIの時は追い越し車線に出るのに(後ろに速い車が来ていないことを確認し)決心がいったものだ。
だからMINIでの高速は気疲れした。
馬力は軽自動車レベルだったのだ。

それに対してこの車は、まっとうな普通車として走れるのが私にとっては新鮮。
これなら高速道で長距離もいけそう。

あとは林道を試したい。