今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

イタリア滞在記8:大晦日

2005年12月31日 | 
31日
もう明日は帰る日。朝から雨。日本生まれの者だけで近くのアウトレットモールに買い物に行く。
皮専門の店で、定価650ユーロの皮のハーフコートがディスカウントで190ユーロ、しかも免税として更に25ユーロ値引きされるという。
要するに10万円のコートが2万円ほどで手に入るわけ。
迷わず買った(今回の密かな目的達成)。

夜(日本時間ではすでに新年)は、本来なら大晦日のカウントダウンのパーティ。
この日は本当は男女とも赤い下着をつけるのだそうだ(スーパーや服の店では赤い下着が店頭に並ぶ)。
それを知っていれば巣鴨地蔵通りで赤フンを買ってくるんだった。

一家だけでのパーティに出てきたのは辞書のように分厚いラザニア(写真。こんな厚いの日本で見たことない)。この時とばかりにお代わり。
ここにいるといろんなパスタを毎日味わえるんだからうれしい。

さて、新年を向えたので、まずシャンパンで乾杯。
年越しに食べるというレンズ豆(お金がたまる願いがこめてある)というのを食べた。
その後、屋上に上って、家庭用の花火をつける(柊ちゃん用に音のでないものを買ったが、柊ちゃんはすでに就寝)。
周囲では規模の大きい打ち上げ花火が四方八方から上っている。
これがこちらの新年の風景だ。

イタリア滞在記7:30日

2005年12月30日 | 
30日
めずらしく朝から晴れ。
姉夫婦がブルーノの母親カップル(このへんの事情は複雑)を迎えに行っている間、家に残って、ダニエレに居合の型を教え、洗濯をして、敷地内の果樹園でオレンジを摘んだ。

夜はイタリア語だけの3人(ブルーノ、その母カップル)と、日本語だけの4人、両方話せる2人(両方堪能な姉ととりあえずダニエレ)と、まだどちらも数語の1人(柊ちゃん、「チャオ」と「グラーチェ」が言える)による会食。
あちらの母さんからプレゼントをもらった。
柊ちゃんは外国の男性には(ブルーノにも)恐怖を示すので、母親の相手の男性(大柄で大声)は絶対恐がると予想してたのだが、
この人(社会的地位が高いだけあって)、手拍子を打って柊ちゃんをのせるのがうまく(柊ちゃんがノリやすい)、あっさりなじんでしまった(といってもスキンシップはダメだったが)。

イタリア滞在記6:28,29日

2005年12月29日 | 
28日
ローマ南の港町ネットウノ(イタリア語でのネプチューン)に車で行った。
狭いが古く情緒のある市街を散策(写真。先頭は柊ちゃんと義妹)後、地元のレストランでシーフード中心のランチ(ディナー並み豪勢さ)、ワイン2本強空けて堪能した。柊ちゃんはウエイトレスの女性(だけ)にやたら愛想を振りまき、母親をあきれさせる。

29日
弟一家は市内のホテルに一泊。ランチは家でブルーノ(義兄)お手製のポテトサラダを堪能。
家でとれた卵やオリーブを入れて、ポテトをざく切りしたままで(決して潰さない)、これがおいしい。
メークインの一種のようだがとにかくこのジャガイモ(の味付け)がおいしかった。
この栄養豊富なサラダだけでお腹一杯。
私はジャガイモを主食がわりにするので、このような食で満足。いずれジャガイモも栽培するという。
この日は、終日雨だったが、時たま強いあられが降った(上空に暖気があるわけ)。
夜は、ブルーノの友人夫婦が来て、イタリア語が飛び交う

イタリア滞在記5:26,27日

2005年12月27日 | 
着いた翌日の26日は、1日遅れの柊聖2歳の誕生会。
ケーキ代わりのパネットーネに花火がついて、柊ちゃんも感嘆(写真。後ろは柊ちゃんの母親)。
柊ちゃんだけでなく、われわれ日本の大人にもプレゼント(イタリアの服)をくれた!

27日は、ローマ市内の広場に行って軽いランチ。
切り売りのピザを食べながらウインドウショッピングの予定が雨になったので、その店の前で傘を差しながら、立ち食い。
以降、天気には恵まれなかった(後で聞いたらなんと100年ぶりの天候不順だったという)。
夕方、近くのショッピングモールに買い物に行く。
行くたびに圧倒されるワイン売り場の壮大な光景!
この時期、食品売り場にはいろんな種類のパネットーネが山積みになっている。

イタリア滞在記4:食生活

2005年12月27日 | 
朝は、日の出が遅いせいで、休日には9時ころに起きてくる(日本も同じか)。
朝食はエスプレッソコーヒーとパンを1切れ軽く口に入れるだけ。
この時期のパンは最近日本でも出回りだした「パネットーネ」。
「朝食をしっかりとろう」という発想でないのは、以前は抵抗があったが、今の私の食生活にぴったり。
通常の休日をすごすことは、ランチ(午餐)をじっくり食べること。
家族で出かけるにしても、それは昼食を食べる場所を選ぶことを意味するという。
食事は一応コース形態で、オリーブなどの前菜、パスタ、メインの肉、最後はデザート、エスプレッソコーヒー。
パスタは、メインの食事ではなく、コースの一部なので、具はチーズ程度で軽い味付け。一人前の量もパスタだけを食事とする日本よりはやや少なめ。
正午をまわってだいぶしてから、昼食が始まる。
起きてからだいぶ時間がたったので、充分腹が減っている。
しかも昼から堂々とワインを飲む。
もちろん赤。しかも軽くグラス一杯ではなく、ちゃんと皆でボトルを空ける。
ワインは日常飲料なので、近くのワイン農家で5リットルくらいの大瓶で買ってくる。
それを戸外においておくと適度に冷えておいしい。
体の関係でワインがきつすぎる人はワインを水で薄める。
この家は井戸水を使っているが、汚染が心配なので飲料にはミネラルウォーターを使っている。
ローマは自然の炭酸水が有名で、現地の人は常飲しないようだが、私はイタリアにいる時は自分用にそれを飲む。

ランチが終わるのが午後三時すぎるので、日本人としては夕食はほとんど不要になるし、ワインが効いて眠くなってくる
。昼食を軽くとった場合は、夕食は夜9時くらいから寝るまで。
夕食にもワインがつくが、食後はグラッパという40度の蒸留酒(焼酎に相当)を専用の小さなグラスで飲む。

結局、ふんだんに食べたようでいて、食事回数が少ないので、一日の総摂取カロリーは少なく、滞在中体重が減った者はいても、増えた者はいなかった。

それから、こちらはデザートやパンに甘味を使い、コーヒーにも砂糖を入れる。
日本人(特に男)からすれば糖分摂取がやや多い気がする(苦い茶を常飲する日本ではコーヒーに砂糖を入れなくても平気)。
といってもアメリカのように異常に太った人はみかけないので、正常の範囲内といえる(ドーナツやハンバーガーなど食べないせいか)。
一方、ビネガーなどの酸味を使うが、味噌汁や漬物がなく、また醤油を使わない分、塩分摂取は日本食にくらべてはるかに少ない感じ。
これは見習いたい。

イタリア滞在記3:家の中

2005年12月26日 | 
住居は、天井が高く、天井灯は日本のような無粋な蛍光灯ではなく、きれいな装飾の白熱灯(写真)。これは欧米の家一般に当てはまる(欧米人は目の構造上まぶしいのが苦手という理由もある)。
写真の奥の部屋は家族で食事するダイニング。
ここには暖炉が欠かせない。暖炉で肉を焼く。
薪は家の農園の樹木からふんだんに取れる。
ダイニングの右にはキッチンがあり、そこからも外へ出入りできる。
二階へ上る階段はきれいな大理石で日本の民家のように急ではなく、ゆったりと面積をとっている。バスルームは両階にある。
さらに屋根裏部屋もあり、屋上にも上れる。
暖房は各所にスチームがあり、廊下もバスルームもすべて暖められる(燃費はかかりそう)。

イタリア滞在記2:敷地内

2005年12月26日 | 
敷地に入る門から家の前の門まで(寺院伽藍の総門から山門までに相当か)の間(100mほど)は若い「ローマの松」(キノコ型の樹冠が特徴)の並木となっている(写真)。
もちろんここも敷地内。

この並木の左側が家の農園。オリーブやオレンジ、レモン、それに5羽のニワトリが毎日生む卵を自給できる。
もぎたてのオレンジはとてもおいしい。ニワトリのほかに鵞鳥や鴨も飼っている(犬と猫も2匹ずつ)。

空いている土地でブドウを栽培して、いずれはワイン造りにも挑戦したいらしい(それってすっごい楽しみ)。

敷地の周囲も農園なのであたりはいたってのどか。
ローマ市内に劣らずこの「イタリアの田舎」も映画的な風景だ。

イタリア滞在記1:到着

2005年12月26日 | 
成田から12時間かけて、ローマの空港に着いた。
おとな4人(母、弟夫婦、私)に2歳児1人でスーツケース5個計110kgと手荷物もパンパンの状態。
なぜなら、滞在する姉一家3人への日本からの土産ができるかぎりつまっているから、といっても納豆、味噌、醤油、ごま油、それに忘れていけない明太子(イタリア人は明太パスタが大好物)。
あとイタリアの甥っ子に日本刀の模擬刀大小セット。

出迎えた姉一家(姉とイタリア人の夫ブルーノ、12歳の男の子ダニエレ)と車で家に向かった。
今回の訪問の目的の一つは、姉たちが引っ越した新居を見る事。
ローマ郊外のポメッツイアという所にある田園地帯の一軒家を二世帯で分割して住んでいる。
二階のベランダからは海が見える。
写真の左側の庭ではクリスマスの電飾が木にかかっている。
右は駐車スペースで、その奥に別棟のガレージがある。

イタリア滞在記の始まり

2005年12月25日 | 
2005年の末、母や弟一家とともにイタリアに住む姉の家に行くことにした。
目的は姉が新しく買った家を見に行くことと、こちらの2歳になる柊ちゃんを見せにいくこと。ついでにイタリアでのクリスマスや大晦日を体験できる。

我が姉は、イタリア在住25年を越え、かの地から「ローマから吹く風」というメルマガを出している(ちなみにそのメルマガ、今回まぐまぐの書籍化エントリーで1000エントリー中22位を獲得。書籍化が待たれる。
だから真のイタリアの情報はそちらから得てほしい)。

そのような姉がいる我々がイタリアへ行けば、観光や買い物で時間をつぶさない。
彼らと一緒にイタリア人の生活をすることを楽しむ。
だからここでの記事も、観光紀行ではなく、地味な滞在記となる。

出国前夜

2005年12月24日 | 生活
今日は出国前日なので、旅行準備の一日。これを機に実家は室内カメラ付きのホームセキュリティを設置したので留守も安心。
スーツケースは昼前に成田に送ってもらい、あとはただ時間がすぎるのを待つだけ。
年内にすべきことを終えたので、気分は大晦日。
年末恒例にしているDVD「キングコング対ゴジラ」鑑賞を、今回は藤木悠さんの音声解説版で観た。

性悪説の社会

2005年12月18日 | 作法

通学路を子ども一人で歩かせることもできず、塾の講師も安心できず、分譲マンションも信用できない。
他者を基本的に信頼するという前提が崩壊しつつある。
逆にいってなぜ日本はいままで性善説が通用できていたのか。

その社会は江戸時代の支配体制(外には鎖国、内には五人組による相互監視体制)に由来すると思うが、そのような特異だった社会の名残がほぼ一掃されてきたというわけだ。

実は江戸時代的な日本の常識は世界の非常識であり、たとえば、欧米では(欧米でさえも)、子どもを一人で通学させたり、道路に自動販売機を置くことなど考えられない。

幕末に来た外国人は、日本では若い女性が一人旅をするのを見てその治安の良さに驚いた(さらに混浴の銭湯で男女がきちんとしているのにも驚嘆。実は混浴のマナーも崩れつつあるらしい)。

個人的には喪失しつつある美徳(武家礼法)を回復させる努力をしたいが、電車内で化粧をする(公共空間での他者を人と思わない)女の増殖を前にしては、自信をなくす。

現実にはこれからは性悪説に立つしかないだろうな。


新規開業

2005年12月16日 | お仕事
パソコンを使ってのマルチメディア編集を業務とする個人事業所「デジタルスタジオ天」を廃業した。制作の仕事が何にもないから。
結局は名古屋能楽堂の映像編集の手伝いだけだったな。
そのかわり最近は礼法関係の副収入ばかりとなったので、「菱高(りょうこう)礼法研究所」(急いでつけた名前)を開業した。作法関係の講習、著作に手を拡げていく。

私も下流

2005年12月02日 | 作品・作家評

「下流社会」なる本が注目されている。それなりに面白かったので学生にも薦めた。
コミュニケーション能力がなく、”自分らしさ”にこだわっているのは下流意識のある人に多いというのが心に留まった。
つまり社会に適応する努力を怠り、未熟で未決定な現状を自己正当化する意識のことと解釈できる。
”自分らしさ”に社会的価値がついてこそ、それにこだわる意味があるのだ…。
かくいう私も、生活的には下流に属するようだ。
基本的な日用品は100円ショップ御用達だし。
服もどうしてもユニクロファッションから抜け出せない。
外食はせず、しかも一日二食だから、食費もかからない。車も週一しか使わないので、ガソリン代もかからない(しかも最近は信号待ちで停車中はエンジンを切るようになった)。
なんといっても住んでいる所が、学生向きのワンルーム(ただし床面積は学生向きのワンルームにしては広め)。
自覚している贅沢といえば月一回の温泉旅行のみ。
勤務先のおかげで収入的には決して貧しくはないのだが、コミュニケーション能力もたいしてないし、自分らしさにとことんこだわっているし、下層(経済的貧乏)じゃないけど下流(生活的貧乏)だな。
こんな自分もバブルの頃は、今よりずっっと貧乏だったくせに、 DCブランド(!)に身を包み、フランス料理のレストランでランチをとっていたんだよ。
要するに時代の雰囲気に流されているのかな。