今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

緑内障に向っている

2023年06月26日 | 健康

定期的に通っている眼科で、久しぶりに視野検査を受けたら、左目(利き目)の視野が中心部付近でかなり狭くなっていて、また網膜の視神経の分布もかなり減少しているという結果が出た。
実際、今年に入って眼鏡を作りかえた時、眼鏡店での検査でも左目がかなり不安定だ(レンズを合わせることが難しい)と言われた。

緑内障への道を進んでいるということだ。

緑内障は高い眼圧が原因。

なので眼圧コントロールを強化するため、点眼薬が増やされた。

明らかに視野がぼやける白内障と違い、緑内障なかなり進行するまでは自覚症状がない。
そして自覚した頃は失明の一歩手前。

なので、こうして検査を受けてはじめてその発症がわかる。
ガン検診と同じく、見つかったらラッキーと思えということだ。


霊の音声探知機を購入

2023年06月23日 | パワー・スピリチュアル

「ばけたん」という信頼性のある霊の探知機を長年(初代ばけたん以来全てのバージョンを)愛用しているが、客観的に探知するには、1機種だけに頼らず多重性が必要。

そこで、海外で定評のある外国製の Sprit Box(P-Sb7T)なる霊の音声探知機を購入した。
かように、私こと”計測マン”はスピリチュアルの領域にも進出している。

この装置はラジオ波(AM,FM)を走査するもので、原理はラジオそのものだが、ラジオ視聴より周波数走査を優先しているのが特徴。
走査帯域と速度(精度)を変更することで、探索的に霊の声を拾おうというもの。

この装置の仮説は、霊はラジオ周波数帯域(AM:520-1710kHz,FM:87.5-108MHz)で音声を発するということ。
ちなみに生身の人間の声は、大まかに100-3000 Hz程度だ。
霊の声がなんでラジオ周波数帯域なのか私は知らないが、霊の姿を可視領域よりも高周波帯域を測定する電磁波計で捕捉しようとしているのと対応しているのか。

ネットなどでは、この装置を夜の墓場などで使用したりしているが、”夜の墓場”に霊がいると思うのは、霊が見えない人の恐怖心を根拠とした主観的思い込み(墓場にいるのは魂ではなく肉体の残骸の魄)。

そもそも霊は怖くはい。
実際の霊視覚者(霊が視覚像として明確に見える人)によると、地上に残っている霊は、人恋しいのだから、昼間、人が大勢集まる所にこそいるという(霊はドラキュラではないので、太陽光下でも平気)。


夏至の水辺旅3:帰途・松平郷

2023年06月20日 | 

夏至間近の水辺旅も、最終3日目の浜名湖からの帰途につく。
宿のすぐそばを走っている東名高速を使えば、東名名古屋インター近くの名古屋宅へは1時間少しで着くが、急ぐ用事がないので、ここは三河高原を横断してゆっくり帰りたい。

浜名湖から西北に上がって、東名高速と峠を越えて愛知県に入り、新城市から本宮山麓の坂を登って標高500mの三河高原に達する。
旧・作手(つくで)村の道の駅で休憩して、ビールの空缶で作った風車(400円)を買い、向い側の慈昌院(臨済宗)に行く。
ここも臨済宗ながら弘法大師を祀っている。
由緒を見ると、寺域は奥平氏の石橋城趾で、謀反の戦さによって城を守る衆は全滅したらしい。
土塁が残っていて、土塁の遺体を埋めた跡地に石祠がある。
梵鐘があり、念を入れて撞いていいというので、一回撞いて鐘の音を響かせた。

ここから高原上の国道を快走し、豊田市に入って峠を下ると「松平郷」に出る。
徳川家の元である松平氏の発祥の地だ。
ここは再訪だが、その時は資料館だけ訪れたのだが、国指定の史跡になった今回は丁寧に家康産湯の井戸(写真)のある産八幡宮や、松平氏累代の墓所・高月院にも足を伸ばした。
松平氏の始祖である親氏(ちかうじ)は、上州(群馬)の出の遊行僧なので、群馬にも徳川家発祥地がある。
親氏の妻側がこの地の豪族(在原氏)で、親氏がこの松平の地を名字の地として名乗った。
そして松平から徳川と改姓した家康も、ここの産湯が使われ、また若い時に高月院に植えた木が現存している。
高台にある高月院に親氏の墓があり、本堂に上がれて本尊の阿弥陀如来を間近で拝め、ここでも梵鐘を撞いて、音を松平郷に響かせた。

遊歩道沿いにある立派な造りの親氏の銅像が、遊行僧から武士になる過程の姿を表している(写真)。

郷内には小川が流れて、途中に氷を掻き出した池がある。
この地で小川と池を歩いたので、海・湖に続く”水辺の旅”の続きといえる。

そして、今回最後に立ち寄ったこの地は、渡辺崋山豊田佐吉以上の、日本の歴史上で最高の偉人(と私が認める)徳川家康公にゆかりの地。
ということで、今回の旅は水辺の旅とともに地元愛知に関係する偉人を巡る旅ともなった。


夏至の水辺旅2:伊良湖岬から浜名湖

2023年06月19日 | 

夏至の水辺旅の二日目。

休暇村を10時にチェックアウトして、まずは渥美半島の突端である伊良湖岬の”恋路が浜”海岸に行く。
半島の突端は、海に囲まれた陸という独特の風景。

太平洋に面して、椰子の実が流れ着いたというその浜からは、伊良湖水道を行き来する大型貨物船が途切れる事がない
日本の工業貿易の中心地・名古屋港に向かう船だ。
伊良湖水道の奥には、三重県の神島が聳え(写真)、その奥には古代日本の中心部であった紀伊半島がある。
目の前に島があれば人は渡りたくなる。
そうやって古代日本人は紀伊半島と渥美半島を往来した。

そもそも旧石器時代に当時陸続きであった大陸から日本に人がやってきた。
当時の人口密度からいえば、その地を離れて渡来する必要はなかったはず。
人は仕方なしに移動するのではなく、あえて移動したがるのだ。
川の向こう、山の向こう、海の向こうに行こうとするのは、人どころか移動を旨とする動物の本質的志向性とさえいえる。
なるほど、私が何かと理由をつけてこうして旅をするのもむべなるかな。

ここから太平洋側の海岸沿いに渥美半島の付け根まで進む。

途中、港がある赤羽根の道の駅で、地元産の大型にんにくや青さ粉を買う。

道は内陸に入り、愛知を出て静岡に入ると、白須賀宿という旧東海道の宿場を抜け、本日メインの立ち寄り地・豊田佐吉記念館に着く。

ここは今を時めく世界のトヨタの元である豊田自動織機の発明者・豊田佐吉の生家などがある。
そう、トヨタ発祥の地は、愛知県豊田市ではなく、県境を越えた静岡県湖西市なのだ。
まずは佐吉が発明した自動織機の数々が並ぶ。
佐吉の業績はビデオで説明される。
来館者の芳名録を見ると、トヨタのあちこちの関連会社から団体で来ているのがわかる。
トヨタ全社が創業の精神・原点、そして誇りを忘れない姿勢を示している。

敷地の最奥の山に進み、佐吉も立ったという生家奥の展望台に立って浜名湖を望む。
生家には、発明した織機を触る母と佐吉の木像が当時の一場面を再現している(写真)。

ここから浜名湖の西側を北上し、浜名湖に突き出た半島部にある宇津山城址に向かう。
こういう(駅から離れた)立ち寄り先は、電車旅では行けない。

城跡直下の正太寺(曹洞宗)の駐車場に車を止め、境内の百観音の石仏を拝み、案内板通りに山上の城跡への散策路を進む。
その道は、弘法大師像などが番号に沿って並んで、四国八十八箇所霊場巡りにもなっている。
頂上には大きな大師像と、城跡の説明板がある。
この平らな頂上も城の曲輪の一部だとわかる。
ここから振り返ると、目下の浜名湖が海のように広い(写真)。
さらに踏み跡を進むと、石垣がでてきた。
この城跡は、今川→徳川と持ち主が代わり、武田勝頼の勢力の増減に合せて価値も変わった。

往路を下り、寺に戻ると、丁度本堂を掃除していた住職がいたので、挨拶がてら、曹洞宗なのに弘法大師を祀っている理由を尋ねた。
住職が言うには、八十八箇所の霊場としたのは先代の住職で、弘法大師は宗派を越えて崇敬されているので問題ないという。
確かに、私自身も旦那寺の宗派にこだわらず弘法大師を崇敬している。

ここから湖畔の道路を走って、浜名湖北辺にある本日の宿・グリーンプラザに着く。


夏至の水辺旅1:渥美半島

2023年06月18日 | 

一年でもっとも日が長い夏至(6月22日)と、その直前に訪れる日射最大の日(6月15日)は、日本では幸か不幸か毎年梅雨のさ中なので、それら"陽気"の極日を実感できないが、
※:陰陽循環理論では、夏至は陽気が極まる日であるから、冬至の”一陽来復”に対応して、陰気が復活しはじめる日でもある。

できたら夕日を日の長さを最大限に味わえる水平線で見たいという思いがあって、この時期の旅は海辺にしている。
愛知でそれにふさわしいのは、渥美半島の先端・伊良湖岬

もっとも伊良湖岬だと日の入りは伊勢湾を挟んだ紀伊半島の山の陰となるが、伊勢湾・三河湾・太平洋に囲まれたこの岬は、県内で海を味わうには最高の所。

実は先週夏のボーナスが支給されたので、それを祝した2泊旅も兼ねている。
なので、今晩は伊良湖に泊まって、明日は浜名湖に泊まる。
そう、先月は茶臼山・前回は東濃という山側の旅が続いたので、今回は海と湖を巡る水辺の旅とする。

伊良湖も浜名湖もどちらか一方に行く時は、公共交通機関(船、ローカル線)を使って旅情を楽しむのだが、両方を結ぶ今回は、車を使って、両者の間にある立ち寄り先いきも廻ることにする。

まず、本日の伊良湖行きには、渥美半島の付け根の田原市にある笠山に立ち寄る(写真)。
笠山は、隣接する蔵王山のような観光地ではないが、蒲郡付近を走る新幹線の車窓からも確認できる神奈備型の小山で、渥美半島で行きそびれいた。
麓に駐車場があり、そこから山頂まで一直線の石段。
神奈備型の小山だけに山頂には笠山神社の祠があり、雷神を祀っている。
79mの山頂からは、渥美半島の付け根である蒲郡湾が一望。

ここから、田原市街の田原城趾にある市博物館に行く。
ここは以前も訪れたが、今回も田原藩出身の渡辺崋山が展示の中心。
儒学者から洋学者に転じ、当代一流の画家でもあった(作品が国宝になっている)多彩な崋山は49歳の若さでこの地で自刃した。
さらに、渥美半島中央部にある渥美郷土資料館にも立ち寄る。

これらでわかるのは、渥美半島は旧石器時代から人が住み、平安・鎌倉期には渥美産の焼物が盛んだった(渥美半島は伊勢・奈良と東国とを結ぶ最短路でもある)。
また江戸時代の有名人では、今までは崋山一色だったが、新たな地元の推しとして糟谷磯丸という庶民俳人が挙げられている。
そして明治になって豊川用水が引かれてからは農業が盛んとなり、メロンなどが名産となる豊かな地になった。
それに渥美半島自体が天然の防波堤となって、南海トラフ地震の津波から愛知を守ってくれる。

泊まった宿は休暇村伊良湖で、温泉ではないが炭酸風呂が気に入っている。
ビュッフェバイキングで地元産の食材を堪能した(数年前までは三河湾名物・大アサリが食べ放題だったが、今ではふつうのアサリのみ)。
夕食後(日没前)に屋上に上がって、夕靄にかすむ伊勢湾と、あいにくの雲間から夏至近い夕日を眺めた。


手相は統計学ではない

2023年06月14日 | パワー・スピリチュアル

「手相は統計学である」という嘘を、いまだに言う人がいて呆れる。

その人は「統計学」がなんたるかを知らない。
知らない概念を使って断定しているのであるから、その命題は意味不明な妄言でしかない。

統計学とは、データを集計する応用数学である。

データを集計する基本は、データ数とのその合計である。
この計算結果に準拠しないものは統計学ではない。

特定の手相の人が、どういう状態(知性・寿命など)だったかという、2つの変数間の相関性を判断するには、データをとった人たちから、ある状態だった人は幾人、そうでない人は幾人という集計結果を明らかにする必要がある。
そして、それらのデータによって、2変数間の関連性の強さの指標である「相関係数」が算出される(上の場合、正確にはクロス表分析による連関係数の算出だが、ここでは2変数間の相関性を説明したいので、より一般的な相関係数に置き換える)
それによって特定の手相たとえば生命線の長さと寿命の長さとの相関関係が強いか弱いか、0(無相関)とみなして良いかまで判断できる。
これが統計学。

こういうことを一切しないどころか、幾人のデータを元にしているか、それに該当すのは幾人かの%すら示さないのは、小中学生レベルの集計ですらない。

なので手相は統計学ではないと断言する。
それでも統計学と強弁するなら、統計学の数学的根拠は確率論であるから、手相は確率現象ということになり、決して”断定”できない(手相が真にデータに基づいているなら、あなたが○○である確率は65%というように確率表現ができる)

いやしくも「〜学」というなら、その学の要件を満たさなくてはならない。
それが知性ある人間が構成する世界の常識というものだ。

それに対し、易(えき)占いは、データに基づいて帰納的に構成されたものではなく、陰陽理論に基づく演繹的論定であるから、原理的に統計学ではない。

一方手相は、陰陽理論に基づくものでもない
なら手相の論拠はいったいどこ(那辺)にあるのか。
※:易は運気の絶え間ない変動を重視する運命論、手相は誕生時にすでに決まっているという宿命論という違いもある。


6回目のワクチン接種

2023年06月11日 | 新型コロナウイルス

私は人口学的条件によって”重症化リスクが高い者”に分類されるため、6回目のワクチン接種を受けることになり、居住区役所から指定された本日、接種を受けてきた。

区役所から送られてきた予診票を事前に記入し、最後の署名欄は、医師の診断済みという条件のようなことが書いてあったので、接種直前の問診を受けて記入するものと解釈して空欄にしておいたら、最初の受付の場所で記入漏れとして指摘された。
かように、説明のわかりにくさが改善されていない。
それと本人を証明するものの持参も忘れずに。

会場の誘導は丁寧だが、接種時に接種ワクチン名(ファイザー社2価ワクチンBA.4-5)をその場で言わせるのも、受付で教えられるが暗記している訳でないので、なんだかな。

接種後会場で15分待機して、異状ないので接種証明書にシールを貼ってもらっておしまい(この証明書は今月末までの全国旅行支援に必要)。

現在コロナ感染者は増加傾向で、勤務先でも感染による学生の公欠制度が復活した。
ただ感染者の症状は軽いらしい(今流行っているインフルエンザと比較して)。
ワクチンをかようにたくさん打っている私は、自分がうつすことはないので、マスクを外して生活している。

いいかげん”新型”コロナも、弱毒化し、集団免疫もできて、普通のコロナ(=風邪ウイルス)になってほしい。

この記事をもって、カテゴリー「新型コロナウイルス」最後の記事になってくれることを願う。


日本酒をチェイサーで飲む

2023年06月05日 | 健康

私にとって酒は人生の”友”だが、度を越すととんでもない悪友になるのでそれなりに距離をおいてつきあいたい。

つきあう頻度は”毎日”なので、総量を抑える必要がある。
飲料の総量ではなくアルコールの総量。

これについて2つの方法を実践することにした。

ひとつは、前の記事でも書いたように、昼間のビールをできるだけノンアルコールタイプにする。
最近のノンアルコールタイプは、本当にビールの味に近づいたのでそれが可能になった。
すなわち、山などの運動の後や日帰り温泉での湯上がりの一杯をビールでなく、ノンアルコールにすれば、ドライブ中でもビールを飲んだ爽快感を味わえる。

もうひとつは、10度超えの日本酒・ワインをチェイサーで飲む。
チェイサーは、高濃度のウイスキーと交互に飲むための水だが、もともと25度の焼酎ですらストレートで飲まず、数倍に薄める私は、強い酒をそのまま飲む選択肢はない。
※:強いアルコールは食道と胃の表面を痛め、特に食道がんの原因になる。

ビールなどの5度程度の酒はそのまま飲むが、問題は中間の10度代の日本酒やワイン。
これらの酒は氷を入れてロックにして飲んでいたが、味が薄まる割りに度数は薄まらない感じ。
ちなみに、古代ギリシャからワインを水で薄めて飲むのは普通に行なわれ、姉のイタリア側の姻族もワインをアクア(硬水)で薄めて飲んでいた。

酒としてきちんと味わいたいが、アルコール摂取量を抑えるには、このレベルの酒でもチェイサー併用がいいという結論になった。
とりわけ日本酒は、そもそも”旨い水”の極致といえるだけに、水と交互に飲んでも全然違和感なく、本日の温泉宿で晩酌を1合飲む間に水はグラス3杯飲んだ。
今までだったら酒を追加注文していたところだが、それをせずに済んだ。
日本酒を水で4倍に薄めるより、よい飲み方だと思う。


定宿復帰の中津川温泉

2023年06月04日 | 

祝日もなく天候もすぐれない6月は、世間的には旅シーズンの端境期(はざかいき)だが、そういう時こそ私にとっては静かな旅ができる格好の時期(緑に白い四枚の花が映えるヤマボウシの見頃)。

といっても仕事の合間の2泊旅なので、近場の行き慣れた温泉宿でリラックス・リフレッシュに勤(いそ)しむ。
※:足先から頭までハンモック的快適さを味わえる折りたたみ式のリラックス・チェアを持参して、室内でこれに身を包む。この快適な製品は(複数社扱っていたのに)なぜか販売されなくなった。

先月は茶臼山高原だったので、今月は”旧”定宿だった東濃・中津川温泉のホテル花更紗にした。
この宿、今年になって1月、3月、4月、6月と4回目となる。
これは客観的に、”定宿”に復帰したことにならないか。

そもそもここは温泉(泉質と浴室)が気に入ってずっと定宿にしていたのだが、昨年、コロナ禍の中久しぶりに行ったら、経営が替わり、夕食が作法的に容認できない状態になっていたので定宿を解除した。→定宿だったのに
それを受けて、ここのブログにあったこの宿の記事も一斉に削除した。

それでも温泉への想いは捨て難かったので、全国旅行支援を利用するため、併設のクワ施設のレストランで食事をとって、宿は素泊まりにした。
さらに、ここの宿のビジネスプランの定食付きを併用すれば、クワ施設のレストランが休みの月曜の晩も問題ないことがわかった。

もともと、温泉が目的の旅でしかも少食になった私には、宿の豪勢な食事(夕も朝も)は不必要(基本、連泊なので、太ってしまう)。

ということで、2泊のうち1泊は素泊まり(併設レストランで軽く食べ,しかも今回も全国旅行支援のクーポンで賄える)、残りの1泊はビジネスプランにすれば、共に軽い食事で、安上がりで済む(コロナ明けは各地の宿が値上げ)。
もちろん温泉にはそれまで通り堪能できるので、問題ない。
ということで、この宿は事実上だけでなく、今後も含めて、定宿に復帰した。

ついでに、チェックイン直後の温泉の湯上りのために、途中でノンアルコール・ビールを買っていくべきだと痛感した(宿の自販機にないので)。
通常の甘い炭酸飲料では、ビール固有のあの爽快感が味わえない。
チェックインしたら、まずは買ってきたそれを冷蔵庫に入れ、その後温泉に行く。


警戒レベル5になったら避難しない

2023年06月03日 | 防災・安全

今回の大雨※で、やっぱり死者が出てしまった。
※:本州上の停滞前線に台風の東側から暖湿空気が流入してできた線状降水帯による。移動が速い台風だけだとこれほどの雨量にならない。

大雨にまつわる情報(雨量、風速、河川水位)は、予測も実況もできるので、リアルタイムに状況を判断できる(気象庁サイトの「キキクル」、国交省サイトの「川の防災情報」)。

今回の死者は、家に居てではなく、避難行動中の被災。

気象災害の場合、壊滅的な津波と違って、家から避難することがベストとは限らない(雨さらしの屋外より屋根のある家が基本的に安全)。

「警戒レベル4」の間なら避難した方がいい場合があるが、「警戒レベル5」に達したら、家の外の方が危険な状態になっている。
なのでその該当地域には、テレビも避難を呼びかけず、家の中で安全を確保しろと繰り返すはず。

警戒レベル5になって、(手遅れながら)避難行動をする人は、増水した川に流される/車が水没する、などの致死的危険が待ち構えていることを覚悟してほしい。

車は水没すると、エンジンが止まり、タイヤが浮いてハンドルも効かず、水が車内に侵入してくるが、ドアが水圧で開かず、脱出できないたね、溺死を待つのみとなる。

車で避難するなら、脱出用の(窓ガラスを割る)ハンマーは必携。
また低地・水辺には絶対乗り入れないこと。
そして、その前に避難のタイミングを誤らないこと。
そのために必要なのは、自宅の災害危険度の事前確認だ。
自宅の災害危険度の事前確認:気象災害編


台風接近”前”に悪化する気象病

2023年06月02日 | 健康

気象病、すなわち天気の変化によって発生する体の不調は、天気の変化、とりわけ気圧の変化度に対応すると思われていた。

ところが実際には、台風接近時などの気圧が大きく降下する半日前に症状が重くなる人が多いようだ。

なので、気象病の人は、天気の変化を”前もって”感じることができ、天気予報より正確だ、と言われたりする。

論理的には、環境の変化度が身体ストレスとなり、身体症状の重さに比例すると考えて不思議はない。

ところが、現実(データ的)には、急激な変化前のある種の安定期に症状が出て、しかも変化時よりも重い。

「天気痛」(気象病の下位概念)の研究者・佐藤純氏によると、患者は、大きな気圧変動ではなく、0.5hPa程度の「微気圧変動」で症状が出るという。
すなわち、変動の大きさよりも変動のスピードが問題らしい。

気象病は内耳の気圧センサーである前庭神経が発生元と言われていて、症状は乗り物酔い的で、また乗物酔い止めの薬が有効だという。
確かに、乗り物酔いも、大きいカーブより、細かいカーブの連続の方がなりやすい気がする。

「環境の変化がストレッサーとなる」という命題だと、変化量がストレスの度合いに比例すると考えがちだが、変化量よりも変化速度に適応するほうが辛いのかもしれない。

ただ微気圧変動は、天候悪化でなくても日常的にあっておかしくない。

気象病で苦しむ同僚は、自分のいる場所の天気よりもっと広範囲の天気変動に反応するという。
すなわち、ピンポイントでの変化というより、その地を囲む大気場の変化に反応するということ。
これは地上天気図よりも、その変化の原因を示す上空5000m付近(500hPa)の高層天気図に対応しているようなものだ(たとえば台風などの進路は、この場の気圧配置で予想される)。

微気圧変動の影響を緩和するには、ヘッドホンを着用し、ときたま口で息を吸うとどうだろう。
すなわち、外耳からの気圧変動を緩和し、耳管の圧を調整するのだ。


ジブリパークに行ってきた

2023年06月01日 | 名古屋周辺

 ディズニー映画やユニバーサル・スタジオ映画よりもジブリアニメを愛する私としては、 TDLやUSJよりもジブリパークに行きたい。
そのジブリパークが、なんと名古屋宅のすぐソバにあるのだから、こんなうれしいことはない。
ただ、完全予約制で、ふらりとは行けないため、世間が平日で、わが勤務先だけが(創立記念日で)休日となる6月1日に予約を入れ(2000円)、その当日である本日、満を持して、ジブリパークに行ってきた。


わが名古屋宅の最寄り駅からリニモに10分乗って「愛地球博記念公園駅」で降りる。
車内アナウンスもホームでも「ジブリパーク」は影も形もないが、改札を出るとやっと案内を目にする。

もっとも記念公園内にあるのだから、まずは記念公園に入ればよい(写真:公園の3分されたゲートの右端(人がいる)だけ「ジブリパーク」とある。
右奥の平らな屋根の奥側の建物が「ジブリの大倉庫」。右手前の円形建物はローソン)


以前の愛知万博の中心部だった建物が今回予約した「ジブリの大倉庫」となっているようで、外観ではまったくそれらしさがなく、案内係がいて初めてそれとわかる。

11時の入場予約の30分前に着いたが、同時刻の予約客で長い行列ができている。
平日の昼なのに、行列は若い人たちや学齢期の子どもが多い。
いよいよ入場となり、ネット予約した私は、スマホで該当画面をかざして、画面内で「入場」をクリックすると、その画面に使用済みの印が出る。


エレベータで階下に降りると、正面にカルチェラタン(「コクリコ坂から」)内にある哲学研究会部室。
私が高校生だったら入部したかった。

左に進むと案内所があるので、あえて申し出て案内図を求める(案内図は自由に取れる状態でなく、グループに1つ)。

まずは中央階段に行く。
空中に「ラピュタ」の大きな飛行船(写真)。
ジブリ作品には、さまざまな航空機(プロペラ機)が登場するが、この飛行船は風車(かざぐるま)好きな私が一番好きなタイプ。

所々、撮影不可な場所(子供の街、企画展示室)がある。
映画館然としたミニシアターがあって、そこで15分の小作品を見る。


メイン会場といえるのは、中央展示室で、そこは行列が絶えない。
中に入ると、それぞれの作品の1シーンに参加できるという仕組み。
連れがいるとポーズをとって写真に納めれるが、一人客だとそれができないのが残念(赤の他人にカメラを渡して、ポーズをとる勇気はない)。

とりわけ、ボルコ(「紅の豚」)の殴り合いシーンでは(写真)、私はあえてボルコのパイロット服を摸したジャケットを着てきただけに、彼の相手ができなかったのは残念至極。
奥にいくと、アリエッティの親族になったように巨大化した床下の空間を巡る。

幼稚園児の団体も来ているが、彼らはジブリ映画を見ているのだろうか(せいぜい「ポニョ」か「トトロ」)。
あと外国人もそれなりにいて、説明はすべて日本語ながら(映画も日本語のみ)、展示は絵や造形なので、なんとか楽しめるか。


企画展示室は、ジブリ映画に出てくる料理特集で、千と千尋の豪勢な屋台や、さつきとメイ家族の昭和っぽい食卓と弁当、コクリコ荘のこれまた昭和臭に満ちた調理場(鍋の蓋を開けてみよう)、ドーラの飛行船内の調理場などが再現されている。
料理はすべて模造だが、これらのいくつかを実際に賞味できるレストランがいつか開業されたらうれしい(目玉焼きを乗せたトーストでもいい)。

唯一館内で実際に食べれるのは、シベリア(「風立ちぬ」)。
その売店周辺では飲食できるが、館内は基本的に飲食禁止。
向いに大きめのカフェがある。

順路の最後はミュージアムショップ。
いろいろあって迷い、結局、キャラのポーズをとった人形のガチャ(中身がわからない)を1つ買っただけ。
私には「どんぐり共和国」(名駅にもある)で充分かな。

以上、大倉庫だけで2時間かかった。


他に「青春の丘」(「耳をすませば」)、「どんどこ森」(「となりのトトロ」)があるが、これらは密度が低いので予約しなかった。
あと現在、「魔女の谷」と「もののけの里」が工事中で、今年度中に開園予定である。

これらを一挙に巡れればたいしたものだが、今回の経験では、大倉庫だけでお腹いっぱいという感じ。
たとえていうなら「天空の城ラピュタ」と「千と千尋の神隠し」と「もののけ姫」の3本を連続で見るようなもの。
私なら、小分けでいい。
次回は、「魔女の谷」と「もののけの里」だ。

なお、駅近くの公園の無料域内にもローソン(最上の写真)とおにぎり屋・売店(最上の写真の左側の円形建物)があり、それらでも食べ物やジブリパークの土産が買える。