今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

奥軽井沢で気分転換

2019年08月29日 | 

毎年、この時期に老母を連れて”奥軽井沢”(長野の真正な軽井沢から浅間山の肩を越えた先の群馬の北軽井沢の西側の浅間山北麓)にあるグリーンプラザ軽井沢に泊る(写真)。

ここは大浴場が温泉で、しかも料理のバイキングの素材と料理のレベルが高いので(安宿チェーンのそれとは大違い)、気に入っているから。 →昨年の記事

交通手段も毎年同じで、往きは新幹線でささっと軽井沢まで行き、そこでゆっくり信州蕎麦を食べて、ホテルの送迎バスに乗る。
帰りは、ホテルの朝一の送迎バスで軽井沢まで来て、そこでJRバスの横川行きに乗り継ぎ、標高差500mを下った先の横川駅から、中途半端な信越線で高崎に行き、 高崎からは高崎線でグリーン車に乗ってのんびり帰京する。
帰りをあえてこうするのは、新幹線だと1時間ほどで東京についてしまうので、旅情が削がれるから。

そしてこれまた定番なのが、宿の夜にパソコンで観る映画が「ジャージの二人」。→作品について
この地がロケ地で、季節も同じ夏だから。
くしくも、この映画でのシーンと同じく、昨日の宿での気温は23℃で、今日東京に帰ったら35℃だった。 
そう、(広義の)軽井沢って日本で最初の避暑地(標高1000m)なだけに、本当に避暑に向いている。
実際、昨晩は久しぶりに「肌寒い」と感じた。 

その涼しい軽井沢から、30℃の高崎を経て、東京に帰ると、駅のホームにいるだけで汗が出てくる。
あの快適な一日はなんだったのかと、むなしくなるほど。
そう、われらが庶民の1泊旅は避暑ではなく、気分転換にすぎない。
避暑(滞在)で滞在する先がない身としてはいたしかたない。


「天気の子」の現場は九州北部かも

2019年08月28日 | 防災・安全

先日映画館で観た「天気の子」は東京が舞台で、東京東部が水没する映画だが(荒川決壊によってそれはありうる)、
あのような光景を最も高頻度に経験しているのは九州北部だろう。

諌早豪雨(1957年)、長崎大水害(1982年)、九州北部豪雨(2012年,2017年,そして今日)。
1時間に50ミリを超えれば、もう道路が冠水する豪雨なのだが、本日の1時間に100ミリを超える雨って想像すらしにくい」(長崎大水害の時は1時間に187ミリの日本記録)。
1時間に80ミリで「滝のような雨」と言われる。
なので100ミリだと「天気の子」にあったような、水の塊がいっきょに天から落ちてくるような状態なのかもしれない
(空気中で水の塊が成長することは物理学的にはありえず、そうなる前に水滴としてバラバラに落下する)。
 
このような大雨をもたらす線状降水帯は、風の収束によって積乱雲の塊が次々と作れることによるのだが、それは停滞前線と地形によって形成される。

停滞前線も地形もともに動かない。 
これが通り過ぎていく台風とは違う点。 

だからこそ、避難判断のタイミングが生死を分ける。
待っているほど危険が増すのだ。

低地、川の近く、崖の近くの家は早めの避難を実行してほしい。


「天気の子」=”100%晴れ女”は実現可能?

2019年08月24日 | お天気

昨日観た「天気の子」(新海誠作)のヒロイン天野陽菜は、映画の中で”100%晴れ女”として活動した。
すなわち周囲が雨でも、自分の居る狭い範囲だけ短時間ながら雲を散らせるパワーをもっていたのだ。
この件(くだ)りを見ていて、これってありえるという話を思い出した。

高藤聡一郎という仙道の大家が著した『現代中国の仙人』(大陸書房)に、気象制御(雲散らし)ができる仙道の達人が紹介されていたのだ。
それによれば、ある台湾の仙道家は、大悲咒(大悲心陀羅尼)を唱えることで、頭上の雲を散らすという。
これを読んで、私もさっそく毎朝あげているお経を「般若心経」から「大悲心陀羅尼」に変更した(もちろん仙道のトレーニングも欠かさない)。
また、フロイトの弟子だったライヒは、オルゴン・エネルギーなるものが雲を作ると主張して、雲の生成を制御する装置を開発したという。
私はすでにオルゴン・エネルギーが出入りする装置をとある筋から購入している。

かように準備が整った私こそ、気象制御ができる気象予報士、「100%晴れ男」になれるかもしれない(なれたら、1回5000円で商売しようか)。

もう少し真面目に話すと、厚さが10000mもある積乱雲は無理だが、高度300mほどの低層にかかる薄い層雲程度なら人間によって制御できるかもしれない。
たとえばスキー場のゲレンデの真上だけ雲がないことがよくある。
あれは雪原のアルベド(反射光)の効果だろう。
逆に、環状八号線の真上にだけ雲が連なることが知られている(「環八雲」)。
これは南と東から風が収束する位置にある環八に、そこを走る車から出る排気ガスが雲の核となる粒子を供給しているからだ。
雲を作る(雨乞)よりは、在る雲を散らす事の方が容易だと思う。
風(空気圧)で吹き飛ばすか、熱で空気を暖めて相対湿度を下げれば雲が蒸発するから。

さて私は自分が「天気の子」になる(というには年齢がミスマッチだが)道があるだろうか。
「天気の子」天野陽菜と同じ田端の近くに住んでいるし(区は異なるが)。
いずれにせよ、毎朝 大悲心陀羅尼は唱えることにする。


「天気の子」に感謝(ネタバレあり)

2019年08月23日 | 作品・作家評

私が映画館で映画を観るのは年に一度くらいになってしまった(もっぱらレンタルビデオで鑑賞)。
今年は、平日の昼に「天気の子」を観に行った。
やはり映画館で観るとその世界に入り込め、非日常の貴重な時間を過せる。
改めて、映画は映画館で観るべきだと痛感(若い頃は映画館に入り浸っていたのに)。
そして映画を見終った後の日常のつまらないこと。 

そもそも映画に”災害もの”というジャンルがあるアメリカでは、気象災害が主題の映画はたくさんあるのだが(ほとんどが竜巻。お勧めは「デイ・アフター・トゥモロー」)、
実際の災害数では世界に冠たる日本では、 残念ながらこのジャンルの映画にお目にかかれない。
あったとしても地震に限られ、気象がテーマになることはなかった。

そういう不満の中、 雲を見るのが好きだったという新海誠が「天気の子」を製作すると聞いて、彼だったらやってくれると思っていた。

まずは気象予報士として、天気が主題の映画を作ってくれて「ありがとう」と言いたい。

そしてもうひとつこの映画を身近に感じられるのは、IR田端駅南口の坂(右写真)※が重要なシーンとして複数回登場するのだが、この駅は自宅の最寄り駅で、幼少期によく父とこの坂で電車を眺めていた(幼少期の家の方がここに近かった)。
ウチの近所というとても見慣れた風景が映画に登場すれば、誰だってうれしくなる。

※映画を観た帰り、さっそく立ち寄った。もう”聖地”になっているのか、主人公ほどの年齢の男子が数人カメラを携えてたむろしていた(鉄道ファンかもしれないが)。

私自身は年齢的に高校生の主人公(森嶋帆高)に同一化できないが、テーマと場所でこれほど身近に感じる映画(しかもアニメ)はなかった。

まず、雨の描写ではすでに前々作「言の葉の庭」で定評があっただけに、そして雲の表現が前作「君の名は。」で評判だっただけに、それらの表現の進化形を楽しめた。
それにしても、真っ青な快晴のシーンを悲しい気持ちで見たのは初めて。 

巷の評では、個人的恋愛を東京の災害よりも優先する主人公の姿勢に批判があるようだ。
だが、今後の気候変動によって、東京の下町一帯が実際に冠水する可能性があることは忘れてならない(数年前に鬼怒川氾濫があったでしょ)。

江戸川区の洪水ハザードマップに「区から逃げて」と記してあることが話題になったが、それが厳然たる災害予想なのだ。 

つかぬまの晴れを喜んでいる中、思いもよらない大水害がやってくることをリアルに描いてくれたことは、防災上価値がある(防災の話ってリアリティがないと他人事に思われてしまう)。

東京の下町は、海抜が0mを下回り、そのど真ん中に荒川という大河川が家の屋根よりも高い所を流れている。
この荒川が、赤羽の水門から南で決壊したら、下町一帯(銀座まで)が数m

の高さで冠水する(民家は水没)。
0mを下回っているので海に排水するのも困難だ。

この冠水地帯はJR京浜東北線の東側に相当する。
だから田端駅の高台から冠水域を見渡すことになる(写真)。
映画のあの風景はありえることなんだ。
少なくとも、巨大隕石が落ちて町が陥没するよりは…。 

ついでにいえば、下町(墨東)は首都直下型地震の震源域とされている(津波もやってくるかもしれない)。

そういう災害危険性をきちんと描く映画が災害大国・日本では皆無だったのだ。
ということで、今度は防災士として、「ありがとう」と言いたい。 

ちなみにアメリカの”災害もの”でも、必ずラブストーリーを絡めてくる(そうしないと客が入らないから)。
この映画の客もラブストーリー部分ばかりに反応しているようだ。 

100%晴れ女は実現可能?に続く


「パワー・気」のカテゴリーを創設

2019年08月22日 | ブログ編集

本ブログに「パワー・気」のカテゴリーを追加した。

スピリチュアルに目覚めて以降、パワースポット計測や気の交流、気功・瞑想などに着手してきたが、それらを従来の科学的「計測」や訪問先の「旅」や「東京」、理論的な話は「心理学」に分類していた。

しかし、科学的計測(磁気、静電位、生理反応など)と霊気的な計測(ばけたん、ダウジングなど)とは分けたいし、まっとうな心理学と気の理論も分けるべきなので、こうして別カテゴリーにした。

パワースポットについては、科学的計測の視点なら「計測」に、霊気的な話ならこちらに入れた。
易の占筮も気の理論にもとづいているのでこちらにいれるが、漢方や鍼灸(経絡)は「健康」のままにしておく。 

もっとも茶臼山のカエル館のように、科学的計測を併用しているような所や、旅先での気まぐれなパワー計測や気の交流については、記事のウエイトによって振り分ける。 

心理学においても、自分の「多重過程モデル」における、システム3(マインドフルネス)は今では「心理学」に入れてよいとしても、瞑想についてはこちらにいれる。
実証性のないシステム4(トランスパーソナル心理学)もアカデミック心理学からは非公認なので、こちらにいれておく。

以上の私の「パワー・気」におけるスタンスは、
既存の言説を無批判に紹介するのではなく、自分なりに科学的・論理的批判の目を通しているということ。
それと実証のフィルターにかけることも忘れない。
それらを通して、心理学の理論に組み込もうとしているのが特徴。

「パワー・気」の記事だけを通してご覧になるなら、左窓を下にスクロールして、「カテゴリー」の欄から「パワー・気」を選ぶと、このカテゴリーの記事だけが降順に抽出されます。


本日の外出目的

2019年08月19日 | 雑感

明日からわが勤務先が業務再開ということなので、東京にいる私も今日が休業最終日のつもり。
その今日の予定は、秋葉のパナソニック修理工房に行ってカメラ(Lumix)の故障(シャッターがおりない)を診てもらうこと。
あと、帰りに近所で時計の電池交換も頼みたい。

まずは、修理工房でのカメラ修理の見積が思ったより高かったので(購入価格の半値近く)、カメラは研究の備品ということもあり、自腹は痛いので、研究費で賄うことにして修理はペンディングにした。
ついでに大黒屋で来週使う新幹線のチケットを買おうと思ったが、先客に時間がかかっており、また店内を覗くと私がほしいチケットは空のようなので、御徒町のチケットショップで買おうと1駅分歩くことにした。

御徒町でチケットを買い、ついでに二木の菓子で、チータラを買おうとしたら、売り切れ。
なら近くの多慶屋で買おうと思って、御徒町のガードをくぐって、多慶屋に向った。
すると、私を呼ぶ声がする。

立ち止まって振返ると、なんと愛知の職場の元同僚(♀)!
彼女は首都圏の大学の職を得て沿線の足立区に住んでいる。
人口の少ない町村なら、道ばたで出くわすことも珍しくないだろうが、
ここは大東京の繁華街。
お互いに家の近所ではない、買い物先の歩道で邂逅したわけ。
しかも私は、本来予定になかった行き先に向っていた。
この偶然感はすごい!
驚いた後は、互いに近況を伝え合って別れた。 

こういう”偶然”てごくたまにある。
高校時代、北アルプスの涸沢で高校の同輩と遇ったり、大学時代、甲府の街でサークルの同輩と遇ったり。
べつに「シンクロニシティ」(意味ある偶然) と解釈するほどのことでもないが、相手に象徴される何かが今の私にとって必要なのかもしれない。

ちなみに、チータラは多慶屋でも売り切れだった(結果的には彼女と出くわす道を行く必要はなかった)。
そして、帰りがけに電池交換をたのもうと思っていた店も今日は休みだった。

こうして振返ると、新幹線のチケットは買ったものの、 本日目的とした2つの用事はいずれも達成されなかった。
むしろ結果的には、元同僚に遇うために外出したといってもよいことになる
(ついでに、チータラは近所の店で同額で買えた)。 


水の怖さ

2019年08月16日 | 防災・安全

陸生動物になった宿命として、水は生命を奪う危険なものであることを肝に銘じたい。

今、海・川・プールで水難事故が毎日のように起きている。

東日本大震災の死者の9割は津波であったし、昨年の西日本豪雨の川の氾濫も記憶に新しい。

人間は水を恐怖対象として遺伝子にインプットされていない(もちろん、生命の糧だから)。

だから、あえて水の恐怖を安全な状態で学習しなければならない。

私は、幸か不幸か、小さい時に、銭湯ですべって浴槽に頭からつっこみ溺れかけたことで、水の恐怖学習ができた(なので小中学校でプールに入れなかった)。

長じて、登山の「沢登り」が好きになり、側壁から滑落したことはあったが、水に対して無謀はしなかった。

まず、子どもは学習ができていない(水の怖さを知らない)から、大人は絶対子どもから目を離してならない。

ただでさえ、川も海も強い水平流で子どもを引きさらい、そして鉛直の循環流で水中に呑み込んでしまう。

それと、海の波は、1000回に1回は2倍の高さでやってくるということ。
その1000回目は次に来るかもしれないのだ。
土用波の海辺を歩かせないこと。 


 

 


中央西・東線経由で帰京

2019年08月12日 | 

昨日のオープンキャンパスで模擬授業を担当し(初めてのテーマにしたので、緊張した)、夜は定年退職した元先輩同僚と飲んだ。
そして今日は、いよいよ私も夏季休業に入るため、18きっぷで帰京の途につく。

前回は、東海道線の静岡県内の無冷房車に辟易したので、今回は、魔の静岡を避けようと、中央西・東線を通って長野・山梨経由で帰る事にした。

まずはIR千種駅のホームで”きしめん”(400円)を食べて、しばし離れる名古屋を惜しむ(名古屋の駅そばは”きしめん”がデフォ)。

中津川行きの快速に乗ると車内はスースケースやリュックを持った旅行・帰省客で満席。
なんとか座れて、私が好きな東濃の車窓を味わう。

終点の中津川(東濃・名古屋通勤圏のどん詰まり)で、すでに待っている松本行きに乗り換える。
木曽路の鈍行は、たった2両だがボックスシートで、幸い進行方向のシートに座れた(満席)。
ここからは「すべて山の中」という木曽路の車窓。
といっても真夏の曇り空でもあり、中央アルプスや御嶽は拝めなかった。
こちらもJR東海なので、冷房の効きは悪いが、木曽路は標高1000m弱に達する高地を走るので(最高地点はGPSマップによると、薮原の先の鳥居トンネル入口で968m)、もとより暑くない。

平地を走る東海道線だとずっと読書三昧になるが、山の中を走る中央線だと、どうしても山や周囲の風景が気になって、本を読む気になれない。
それだけ車窓の旅としては充実している。 

山の中の木曽路がおわり、盆地の塩尻に着いた(雲のため北アルプスは拝めず)。
ここでJR東日本の中央東線に乗り換える。
以前は乗り継ぎに1時間以上待ったが、今回は40分ほどに短縮。
せっかくの信州なので、ここの駅そばで”きのこそば”(450円)を食べる(さすが、蕎麦が違う!)。 

塩山行きの鈍行(ロングシート)に乗る。
ふつうだったら終点の塩山まで乗り、そこから立川行きに乗り換えるのだが、
夏休み中の休日は、小淵沢始発新宿行きの快速があり、それに乗ればより早く新宿に着ける。
今日は振替休日でそれに乗れるので、こちらのルートを選んだというわけ。

長野を抜けて山梨最奥の小淵沢(886m)で降りて、目の前の八ヶ岳を見ながら(南アルプス側は雲の中)、『ビューやまなし号」を待つ列に加わる。

この快速は全車両2階建てで、指定席とグリーン指定席もあるため、18キッパーが乗れる車両(自由席)は限定されるので注意。

各車両の行列は長いが、2階建てなので、客は全員座れた(満席)。
並んでいる時は、東海道線経由での東京〜熱海間はいつもグリーン車の2階席に乗っているから、今回はあえて2階でなくてもいいやと思っていたが、いざ乗り込むと、せっかくの2階建てだから2階に行かないと損と思ってしまって、半ば競争状態で2階席を陣取る。

ここから先も、甲斐路の風景を味わうため(茅ヶ岳、富士)、読書はできなかった。

ここからは一路新宿を目指すだけなのだが、JR東日本の車両は冷房ががんがん効いて、寒くなってきた。
それを見越して、シャツは長袖、ズボンは短パンを長ズボンにできるタイプなので、長袖と長ズボンにした。
かように中央線においても、JR東海とJR東日本の冷房に差があった(ただしこのルートにおいてはJR東海の無冷房車でよい)。

かくして、朝10時すぎに藤が丘の地下鉄に乗ってから、延々電車を乗り継いで、19時前に新宿に着いた(ここから山手線の最寄り駅にはさらに15分〕。

中央線の旅は、車窓の風景がよく、旅気分が満喫できるし、信州の高原地帯を通るので暑くもない。
ただ、東海道より遠回りで待ち時間も多いため、9時間もかかるのはさすがにきつい(臨時快速で短縮してこの時間。東海道線なら6時間で読書も進む)。 
なので、このルートは、5回の18きっぷのうち1回やるかやらないかの頻度にしている。 


JR東日本、JR東海と乗り継いで

2019年08月09日 | 

例年のように、東京から名古屋まで、18きっぷで、東海道線の鈍行を乗り継いだ。

あの静岡県内の駅(熱海〜新所原)をすべて停まるJR東海の鈍行も、最近は浜松ではなく豊橋までの長距離便があって、これに乗れば乗換え回数が少なくできる。

夏休み中なので、私のような”18きっぱー”だけでなく、普通の旅行客も多く、特に東京—熱海間の快速アクティーはグリーン車も混雑する。
その熱海から豊橋までの長距離便はアクティーに接続する1本前の便なので、早めに上野に行き、駅弁を買って、余裕をもって熱海発の便につながる1本前の便に乗ろうとしたら、グリーン車が満席どころか立っている客までいる。

なのでこれに乗らず、次のぎりぎり1分前に着く便を待った。
すると、なんということか、その便は、栃木県内で踏み切りトラブルのため9分遅れているという。
熱海では乗換えに1分しか余裕がないから、これでは豊橋行きに間に合わない( JR東海は JR東日本の鈍行を待ってくれない)!
さっきの便に無理して乗っておけばよかったと後悔。

9分遅れで来た列車も、グリーン車は満席。
グリーン車がこんなに混むようになったのは最近だ。
以前は、二階席の海側の窓際に座って、のんびり駅弁を食べながら、相模湾を眺めていたのに。

幸いなことにグリーン車の客は、東京駅で結構降りたので、二階席の海側の窓際に座れた。
これでおちついて駅弁を食べれる。

そして9分遅れで東京駅を出発した列車は、なんと小田原までの間に、その遅れを見事に取り戻した。
すっかり諦めていたのに、JR東日本を見直した。

ダイヤ通りに熱海に着いたので、急いで向いのホームに待っている豊橋行き(3両編成)に駆け乗った。
車内はおおきな荷物をもった客でぎっしり。
1分前に駆け乗った私は、当然立ったまま。
いつもなら、三島・沼津でどっと空くのだが、今回は逆に混んでくる。
せっかく豊橋までの直行便に乗れたのだが、むしろ豊橋までの3時間立ちっぱなしになりそう。
しかも!、 JR東海の鈍行は冷房がない(送風のみ)便があり、この便もそれに当ってしまった。
車内の気温は31℃。
さらに長距離走るのにトイレもない。
 JR東海は、東海道新幹線で黒字のくせに在来線を冷遇していて有名だが、真夏に冷房なしとは、むしろ文字通り”冷遇”してほしかった。

JR東日本管内では、9分遅れのため、豊橋行きの次の便に乗るしかないと思っていた。
 JR東日本の頑張りのおかげで、予定していた豊橋行きに乗れたものの、この苦痛を3時間我慢する気になれず、興津で下りて、次の便に乗ることにした。

30分待って、興津始発豊橋行きのがらがらで涼しい便(6両編成)に乗った。
これで安心と思いきや、豊橋まで行くのは前の3両だけで、私が乗っている後ろの3両は浜松止まりだと。
前の車両に行くと、古い車両で冷房の効き悪い。
熱海発ほどの暑さではないが、もっとサービス頑張ってほしい。

JR東海も現金なもので、豊橋から先は、私鉄の名古屋鉄道と競合するため、クロスシートの快速が走る(もちろん冷房・トイレ付き)。 

どうもJR東海と静岡県て、相性が悪いようだ。


吸水ポリマー首巻きの進化:追加訂正版

2019年08月07日 | 生活

夏の必須アイテムの1つ、吸水ポリマーの首巻き(商品名「ネッククーラー」)が進化した。

吸水ポリマーのネッククーラーは、冷凍したものを入れる商品とは違って、感覚的冷たさでは劣るものの、はるかに長時間にわたり(外出中ずっと)体温上昇を防ぐので、熱中症防止には一番効果的(鉢巻きにも使える)。

しかもあちこちの100円ショップで売っているので、値段的にも入手的にも気軽に買える。

唯一の欠点は、最初に10〜60分は水につけておいて、吸水しておなかくてはならないこと。
これが意外にネック(w)で、いざ出かけようとする時に、用意し忘れて、出かけるのを数十分延長しなくてはならないことがしばしあった。

ところが、今季になって、100円ショップの「セリア」でからすばらしい改良品が発売された。
なんと、最初の吸水時間がたった30秒!ですむのだ。
すなわち、30秒水につけるだけで、吸水ポリマーがぱんぱんに膨らむ。

吸水率だけでなく、保水率もいいので、数日使わないでいても、膨らみが維持される。
だから次に使う時は、水にざっと通すだけですみ、30秒すらかかららない。 

効率が20倍以上になったので、もう以前の製品は使う必要がなくなり、名古屋用・東京用すべて買替えた。
それだけこの新品はインパクトがある。 

ちなみに、この製品は、大人用と子供用の二種類(長さが違う)があるので要確認。
しかもセリアでは、10分以上を要する旧製品も売っているので(見た目はこちらの方が目を引く)、間違えないように。 

みなさん、これを着けて(睡眠中も可)気づかずにやってくる熱中症を防止しよう

以下追加

この製品には、重大な欠点があった。
体積が小さいため、全体がすぐに皮膚温に達し、冷却効果がなくなるのだ。
それに対し、旧製品は体積が大きいため、装着面が皮膚温に達しても、皮膚に接していない反対側は冷えているため、裏返しして巻直せば、冷たさを感じることができる(これを繰り返せばよい)。
というわけで、準備には時間がかかるものの、冷却効果・快適性では大きめの旧製品が勝ることがわかった。 


風水理論にがっかり

2019年08月05日 | パワー・スピリチュアル

内気(ないき)よりは外気(がいき)を感じたい私としては、気功経絡よりも、風水の方が関心領域に近い。
風水は、外気の1つである地の気(エネルギー)が顕現する地形を龍に見立て、地形を読むことによって、たとえば特定地点の地エネルギーの状態を読む、というもの。
これぞ”パワースポット”を探る理論装置といえそうではないか。

そこで風水、といっても香港や台湾で盛んな宅地の風水ではなく、地形を読む”地理風水”の理論的な本を幾つか読んでみた(三浦國雄『風水談義』、盧恆立『風水大全』、御堂龍児『地理風水』、山道帰一『地理風水大全』など)。

それでわかったことには、そもそもの風水は、家の裏山あたりの墓地選定のための理論で、
よい墓を建てるための周囲の微地形の解釈図式にすぎなかった
(もちろん、墓を拡大解釈して都市にあてはめることは可能)。
しかも肝腎の地のエネルギーが空想的な”龍”とされていて実体性が無く、すなわちその理論には実在エネルギーによる根拠が全く無い(空想の産物)。

あえてリアルに解釈すれば、墓にとって風の当らない三方に囲まれた微地形をよしとしている。

というわけで、私が期待した正しい意味での”地のエネルギー”という、地形をエネルギー論的に説明してくれる地球科学的視野をまったく有していないことがわかって本当にがっかりした。

たとえば、地のエネルギーの顕現ならば、地震(断層)や火山、あるいは隆起(沈降)が考慮されてしかるべきだが、
誰でも地のエネルギーの顕現とわかる”活火山”さえもが理論的視野にないのはいただけない。

同じ気の理論にもとづいている中国医学(鍼灸、漢方)が、信頼に足る代替医学としてWHOに認められているのとは大違い(実際、気功や中医学は唯物論を奉じる中華人民共和国でも盛んだが、風水は迷信として排除されている)。

また、のように、科学的には説明できなくても、心の底を見透かしたかのようなアドバイスを与えてくれる神秘性があるわけでもない。

このような風水を、実際の日本の風景に当てはめる気がおきないのは、
たとえば富士山のような独立峰は、いかに雄大・秀麗であっても「独山」というエネルギーが集まらない山とされるから。
なので日本では神体山とされる神奈備型の独立峰(三輪山など)は、エネルギー無しなのでパワースポットとされない。
独立峰である岩木山、鳥海山、磐梯山、男体山、皆神山、御嶽、大和三山(のうちの2山)、大山(だいせん)らはパワースポット失格。
活火山である那須岳、浅間山、箱根山、阿蘇山、桜島、あるいは火山地帯で温泉が湧いている草津、玉川なども地のエネルギーが認定されない。

壮大な思惟ができる古代中国人の地気理論が、なぜ墓地選定レベルのちまちました発想におさまったのか。
思うに、中国の中原地帯は安定したユーラシアプレートの真上で、伝説の崑崙山は西方はるか彼方、雲南の南にはヒマラヤから続く山脈があり、北東部の朝鮮半島の付け根には火山の長白山があるが、いずれも中原からは遠すぎて視野の外。
要するに地のエネルギー理論を構築するには、地盤が安定(不活発)すぎた。

そう考えると、地気理論の構築にふさわしいのは、2つの大陸プレートと2つの海洋プレートが衝突し、世界的にも地震と火山の巣窟となっている日本こそではないか。
ただ残念がら、古代日本人は、中国人やギリシャ人のような壮大な理論構築の才に恵まれなかった。

風水に代わる、地気の理論構築(地球科学とは異なった発想の地のエネルギー論)は今からでも遅くはないかな。