今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

1月は長く感じる

2019年01月31日 | 歳時

1月はもともと31日あるわけだが、それにしても他の31日ある月よりも長く感じる。
子どもの時からずっとそう感じている。
それは”一年の計”たる正月という濃いイベントが月始めにあり、それが済むと1月は気分的に終了なので、残り25日ほどはただただ残余にすぎないためであろうか。

ところが、続く2月も、たった28日しかないのに、長く感じる。
節分はたいしたイベントではない。
なので、1月で使った理屈は当てはまらない。
つまり、真の理由は1月と2月に共通する部分にあるはず。

冬(寒い、夜が長い)が時間を長く感じさせるのだろうか。
いやむしろ、年度末の作業が始まる、けっこう忙しい時期だからかもしれない。

だが普通は、忙しいと時間が短く感じられるはず。
といってもそれは時を忘れるために”現在”(時・分)が素通りされる感覚であり、
業務が詰っていると、これからやる事(未来)・すでにやり終えた事(過去)が月・日レベルでぎっしり蓄積されている。
生きられた時間(時分)は短くても、展望された時間(月日)が長くなる。 

1月の終わりに「1月は長かった」と感じるのも、月始めの”元日”がはるか彼方にあるように、時間を展望した結果だからかもしれない。


高幡不動で初不動の祈願

2019年01月28日 | 東京周辺

東京にいる本日は、初不動の日。
なので、メジャーなお不動様にお参りしたい。

検索すると、”関東三大不動”として、成田山、高幡不動、大山不動と出た。
ただし大山不動はどうもその座が不安定のよう(他の二ヶ所の不動も候補に挙がっている)。
成田山は一番メジャーだが、昨年母と行ったので、
高幡不動(真言宗智山派別格本山金剛寺)に決定。

高幡不動は、私が好きな歴史人物ベスト3に入る”土方歳三”の菩提寺ということもあり、
”歳さん詣で”として行ったことはあるが、今回は異なる目的なので、新たな気分で参詣する。

高幡不動は新宿から京王線特急で行けるので楽。
その名の駅に降り立つと右手に参道があり、その通りには出店も出ている。
さすが初不動だから道も混んでいる。
貼ってあるポスターによると、今年は土方歳三没後150年だという。
5月の歳三忌に訪れようか。 

まずは腹ごしらえにと、参道沿いの「千寿庵」で天ぷら蕎麦を食べる。 

仁王門(室町時代作の重文)をくぐって正面の不動堂に行くと、
ちょうど護摩行が開始されるので、堂内に入り、大勢の人にまじって坐る。
スピリチュアルに目覚めたからなのか、いいタイミングに巡りあえる。 

2.8mある不動三尊像の前で僧侶による護摩行が始まると、
われわれは内陣に入るよう促される。
内陣の入口で、塗香を手につけられ、それを自分の両手でこすって、
不動像の正面で次々と合掌する。

護摩壇から炎が上がり、僧侶たちが般若心経を合唱する中、内陣を一順し、外陣?に戻って坐る。
般若心経が終ると、われわれも一緒に不動明王の真言
ノウマクサンマンダ バサラダンセンダン、マカロシャダヤ ソハタヤウンタラタカンマン」 を合唱する。

護摩行が終って不動堂を出ると、その奥に奥殿(宝物殿を併設)があり、
ここに本来の本尊・不動明王(平安時代作の重文)が鎮座している。
丈六(2m86cm)の大きさは日本一で、両側の童子(重文)も2mに達する。
この像があるがゆえにここが三大不動に入るのだろう。
拝観料300円払うと殿内に入れ、この大きな不動・両童子を正面間近から拝めるだけでなく、
幾多の寺宝を見て回れる。
その中に土方歳三の達筆な手紙もあった。

奥殿の隣にある小さな堂には、関東管領・上杉憲顕の墳墓が入っている。
この地で自刃したという。 

境内には出店の他に、初不動にちなんでダルマ市が立っている。 
その中を抜けて、境内の裏山(不動ケ丘)を登っていく。
四国八十八ヶ所になぞえられる弘法大師石像を辿って、どんどん登って、
頂きの見晴らし台に達する。
ここは高幡城趾なのだ(ただし上杉氏とは関係なさそう)。
確かに馬場や曲輪の跡がある。

再び、境内に降り、
来週に8時間の大手術をする11歳の姪に健康のお守りを買い、
また不動尊の前で焚かれる護摩木に姪の名で身体安全祈願を記した。
今日の参詣の目的はこれ。
不動尊の前で合掌して祈ったのもこのことだった。 


大坂なおみの日本人度

2019年01月27日 | 時事

大坂なおみの全豪オープンでの優勝は、”日本人として”とても嬉しく思った。
昔「エースをねらえ!」(コミックスの方)でテニスに開眼した大勢(俄)の一人として、
グランドスラム4大大会の2つまで優勝し、世界ランク1位になる日本人が現れるとは夢にも思っていなかった。 

ただ、急に活躍しだしてから日本人認定して応援するのはいかがなものかとか、
母親が日本人であっても、外見・言語・生活期間などで日本人とみなすには無理があるという議論があるのも確か。
実際、”日本人として”は素直に応援しにくいという人もいるだろう
(純粋なテニス選手としてファンがついてもおかしくない)。 

なので私なりに、彼女の日本人度を評価してみたい。

彼女の国籍は(1つは)日本であり、姓名ともに100%日本名だし、日本人としてプレーヤー登録してあるから、少なくとも形式的には『日本人」とみなすことにはまったく問題ない。
一方、生物学的・遺伝的には、外国人しかも民族というより人種レベルで異なる遺伝子が半分入っているのも確か。 
なので人種的には日本人度は50%。

では行動的にはどうか。
まず日本語は片言で、英語がペラペラな点は、日本人度の評価には不利。
次に立ち居振る舞いはどうか。
彼女は、日本式のお辞儀をきちんとするし(母親の躾によるという)、
オープンに自己表現をする一方、大和撫子のようなしとやか(シャイ)さを見せ、
なんと昨日の記念撮影では、正座した! 

大学で彼女と同年齢の女子たちに作法を教えているが、正座が苦手な学生が多い。
正座ができるかできないかは、実は生活習慣よりも股関節の骨格構造によるといわれており、
たとえばコーカソイドはその理由で正座しにくいという。

立ち居振る舞いの点では、彼女は見事な日本女性だ(骨格構造を含めて)。

以上を総合すれば、彼女の日本人度は過半数に達しているといえる。
なので、彼女はこれ以上、無理して日本人度を高める必要はない
(そういう圧力が今後かかってくることを心配する)。 


神仏習合での礼拝の仕方

2019年01月24日 | 作法

高尾山の飯綱権現のように、神仏習合対象への礼拝はどういう所作をしたらいいか。
薬王院という仏教寺院内だから仏式でもいいといえるが、
なら曹洞宗寺院内にある稲荷神社(たとえば豊川稲荷)も仏式でいいのだろうか。
※:豊川稲荷を含む稲荷神は仏教系の吒枳尼天だから、仏式でいい。

ここでいう仏式とは合掌(礼)のこと。
一方、神式は、二拝二拍手一拝ということになるが、
実は、強制的に神仏分離される以前の江戸時代では、神社での参拝も合掌礼だったということが、
島田裕巳氏の『「日本人の神」入門—神道の歴史を読み解く—』 (講談社)に書いてあった。

ほんとかよと思ったが、その根拠となる江戸時代の『伊勢参宮細見大全』が
三重県立図書館のデジタルライブラリーで見れると書いてあったのでこの目て確認した。
 何しろ、神式でも拍手した瞬間は合掌しているように見えるはずだ。

実際、確認してみたら、日本の神社の総本山といえる伊勢神宮の内宮前で、確かに坐って前かがみに合掌している(右図:62コマ目)。
また伊雑宮においても同じ姿勢で(70コマ目)、拍手の瞬間には見えない。
逆に明らかに拍手している姿は1つも見当たらなかった。

明治以降の疑似”伝統”ではなく、江戸以前の自然な伝統を重んじる私としては、ならば”合掌礼”こそ神仏共通の礼拝所作としたい。

実際、明治以降の神式においても、
神への祈念の瞬間は、拍手の後の静止しての合掌姿勢である(十字を切るキリスト教においても同じはず)。 

ただ、拍手は礼拝としてまったく行われなかったかというとそれも疑わしい。
島田氏自身、同書で、宇佐八幡と出雲大社では四拍手が作法だったと述べている。
そもそもあの『魏志倭人伝』に、日本人の風習として「見大人所敬但搏手」
すなわち、人を敬する所作として拍手するとある。
だから拍手は、仏教伝来以前の表敬の所作であった事は確かだ。 

神を敬するが、仏教徒でもある自分としては(私の内側は神仏習合)、
内心から湧き出る祈りの瞬間は合掌するのが自然だ。
江戸時代の人々がそうであったように。 


一年で一番緊張する日

2019年01月19日 | お仕事

昨日、今年度の授業が終わり、これからは”年度末モード”に入る。 
年度末モードは後期試験・卒業などの今年度の幕引きと入試などの来年度の準備に追われる期間。
つまり授業はなくなるが、それに代わる業務が待っている。 

その皮切りに迎えた本日は、大学が一年で一番緊張する日。
当然、従業員である私も、一年で一番早い出勤と一番遅い退勤の間、その緊張を味わい続けた。
申し訳ないが、そこで起こった事を語るのは禁じられている。
何の日であるは、ニュースで伝えられているので察していいただきたい。

インフルエンザの流行と降雪のシーズンの中、幸いにも晴天で、交通機関も支障なく、
教職員総出でこの日を無事に乗り越えることができた(行事としては明日もあるのだが、私はお役御免)。

とにかく、一年で一番の緊張の日を無事終えたので、帰宅後、500mlビールで祝杯(普段は350mlの発泡酒、いや第三のビール)。

明日の日曜は、のんびり家に居て、レポートの採点と、年末できなかった部屋の大掃除に費やす。 
とうことで、今月の温泉旅は無し。 


スマートウォッチで心拍・血圧を常時計測

2019年01月16日 | 健康

中国製の5000円ほどのスマートウォッチを買って、心拍と血圧を常時計測してみた。
こういう計測って健康管理上とても大切で、その情報化はアップルウォッチが先駆けているのだが、日本では認可されていない。
なので日本製はなく、便利な機能でしかもお手ごろ価格の機種は中国製一択となる。
ホント、私がAmazonで買うモノは中国製ばかりになった(既存の業界を守り、
規制だらけの日本はイノベーションの波から置いていかれ、モノづくり小国へ転落中かも)。 

他の機器(日本製)と照合することで、心拍・血圧とも値の信頼性があることを確認(歩数計は信頼性がない)。
この時計を付けて高尾山に行っただけでなく、日常生活でのモニターをする。
ちなみに、測定間隔は心拍は30分、血圧は10分。 

こう思い立ったきっかけは、先週のNHKの番組「ガッテン」での特集「新発見『寿命がわかる数値』」において、
寿命と関連があるのが安静時の心拍数だということから。
すなわち、安静時の心拍数が少ない人ほど寿命が長いという。

高血圧症の私は、心拍変動によれば交感神経興奮型なのだが、心拍数そのものは徐脈気味で少ないので、
副交感神経興奮型ということになる(いったいどっちなんだ)。
ただ、真の安静時である睡眠中の心拍を測っていないので、24時間計測できるスマートウォッチを購入した次第
(計測の時系列データは連動するスマホアプリで確認)。

その結果
日中の活動時は60台、歩行運動時は70台、覚醒での安静時は50台、
そして、睡眠中は心拍数がなんと43にまで下ることがわかった。
これって、長寿の心臓?

一方、血圧(降圧剤服用中)は、心拍のような変動が少なく、逆に言えば睡眠中も起きている時と変わらない(127/79が最も多い)。
面白いことに、講義中は血圧が130/80を超える。
精神的に興奮しているためだ。
だがその最中の心拍は増えない(立位で身体的運動は少ない)。 

私の心臓は、血液をより多く送るのに、拍動の高速化ではなく、大きな力で押し出すタイプのようだ。
これって、心臓のパワーは強いけど、血管には負荷がかかるような気がする(だから高血圧なのか)。
血管の柔軟性を高めるようにしたい。 


高尾山でパワー・霊気と心拍・血圧を測る

2019年01月14日 | パワー・スピリチュアル

今まで、高尾山(東京都八王子市、599m)は、”気軽なハイクの山”という位置づけであった。
前回の高尾散策で草戸山に行った折りに高尾山口駅にある観光案内所で買った『高尾山薬王院の歴史』(外山徹)を読んでいたら、
高尾山は首都圏で有数の”霊山だった”と認識を新たにした。

私にとっての都内の霊山は、御岳(みたけ)山(青梅市、929m)が唯一該当していた。
(同じくケーブルカーが敷設されているものの)御岳山に比べて、
高尾山はあまりに俗化しすぎて、霊山の雰囲気が出るには山が浅すぎると思っていた。

それでも、滝行が行なわれる琵琶滝あたりの雰囲気は厳かなものがある。

はたして高尾山は霊山なのか、 私なりの基準で評価してみたい。
もちろん、なんらかのパワーの計測にもとづく。

ということで、成人の日の本日、振り袖姿の新成人が駅や車内に散見する中、
私は計測登山のため高尾山に向った。
実は今回、別の計測もする。
心拍や血圧を継続して測れるスマートウォッチを購入したので、
登山中の心拍などを計測したいのだ。

さて、京王線の高尾山口駅に降りたって、沢沿いの6号路を進む。
まずは対岸にある岩屋大師の石窟を詣でる。
地磁気を測ると、46.8μTと平常値。
次に胸から下げていた「バケタン霊石」のボタンを押し、 霊気の探知を開始する。
霊石が青緑に光った。
この結果をバケタンの旧バージョンで翻訳すると、
「この場所は現在良い状態にあります、守り神の出現に期待してください」 というメッセージになる。
いい傾向だ。 

次いで、琵琶滝。
今日は、滝行に挑む白装束の人が二人いる。 
ここも地磁気は同じ値(といっても滝には近づけないので、滝の地磁気の値ではない)。 
バケタン霊石の探知だとまたもや青緑。
ここはただでさえ霊気を感じるので納得。 

道は山腹の直登ルートとなり、ひと汗かいてケーブル山上駅の先の霞台園地に出る。
ここからはケーブルで上がってきた観光客たちと合流して雑踏の中を進む。

途中のタコ杉も地磁気は正常値(雑踏の中で停止するので測りにくい)。
女坂を通って、仏舎利塔がある小山を登る。
ここにやってくる人はほとんどいない。
仏舎利塔の前は行場となっていて、不動明王像と神鏡が仏舎利塔に向って建てられている。
仏舎利塔も行として巡回できるようになっており、聖域の雰囲気を出している。
その仏舎利塔に向ってバケタン霊石で探知をすると、ここも青緑。
確かに聖域だ。 

薬王院の境内に入り、本堂に参拝して、本堂に向って探知をすると、緑になった。
青緑より一段劣るこの評価は、「なんでもない」ということ。
実際、有名寺社ではこのような結果になることが多い。
大勢の参拝者が運んでくる俗気に、この地の霊気がまさに気圧(ケオ)された結果と解釈している。 

さらに石段を上がった飯綱権現堂ではまた青緑に戻った。
高尾山の信仰は薬王院本来の本尊たる薬師如来(薬王)と、
修験道(神仏習合)による飯綱権現の二重構造になっている。

本堂より権現堂の方が上に配置されている点にその関係性がみてとれる。 

そして、権現堂からさらに登った一番上の不動堂(写真)。
権現堂とは離れてぽつんとあり、山頂に急ぐ人が多いためか、ここに手を合わせる人は少ない。 
ただ真言宗寺院としては、不動明王は大日如来の化身なので最高位の仏であることから、この不動堂は境内最上位の奥の院としてとても大事な場所といえる。

さらにこの不動堂の背後に富士浅間神社がある(その横に行場もある)。
この不動堂と富士浅間神社のラインを延長すると高尾山頂に達するはず。
そしてさらにずっと延長すると富士山に達するはずだ。
冬至の日の入りを高尾山頂から拝むと、丁度富士山頂から沈むという(私は未体験)。
上の書によると、高尾山は富士の遥拝所でもあった。
なるほど富士浅間神社が不動堂の上にある理由もわかる。 

なので不動堂前に立ち、奥の浅間神社を含めた探知をすると、なんと最高評価の青が光った!
「守り神登場。周囲に守り神の反応を検出しました」というメッセージである。
初期バージョンから利用しているこのバケタン、かように信頼に足る結果を出してくれる。

バケタンによる探知の結果、この不動堂・富士浅間神社が高尾山内の最強スポットということになる。
今、堂内で行がなされいるためかもしれない。 
ちなみに地磁気は正常値。 

この後、山頂に達した。
計測しながら来たので90分かかった。
いつものように山頂は混んでいて、坐るすき間もない。
天気がよく、都心方面はよく見えるが、富士山は雲がかかって見えない。
山頂の地磁気も平常値で、結局山内に地磁気異常はみられなかった
(実際、地磁気異常になるのは、火山か人工物による)。

今日は朝から食事を摂っていなかったので、直下の「やまびこ茶屋」で山菜蕎麦を食べる。
休憩ついでに自分の心拍・血圧記録を見ると、山腹を直登していた頃は心拍が70を超えている(安静時は50台)。
血圧は上も下も安静時と変化がない。 

山頂からの下りは、いつもの「稲荷山コース」。 
腸脛靱帯が気になる。
今日は、ZAMSTでない簡易なサポーターにしてきた。
まずはスタスタ降りる。
中間地点の稲荷山を越える頃になって、左の腸脛靱帯が疼いてきた。
左足だけ外側に向けて降りるなど、なんとか誤魔化して痛みが来ないようにする。

最後の計測ポイントである旭稲荷も青緑。

やっと麓に降り立つ。 
心拍は下りの方が速くて90に達するも、血圧は変化なし。
血圧は帰宅後の方が高いくらい(もともと心拍数と血圧や脈波は逆相関の傾向にある)。 

高尾山内のこれはと思うポイントのほとんどが青緑だったので、
総じて高尾山は霊山だといえようか。

その中で、奥の院の不動堂がすばらしかった。
ただし地磁気(磁力という物理パワー)は平常値なので、
ここの霊気は山の本体に由来するのではなく、山中での人間的営為によるものだろう。  


麻布大観音

2019年01月13日 | 東京周辺

1月の授業が始まってからの週末(3連休)に帰京した。
初雪が舞った土曜は仕事を片づけ、日曜は天気もいいので都内の寺社に参拝したくなり、
候補を探していたら、地下鉄の観光ポスターに麻布大観音(長谷寺)の観音像があったので、そこに行く事にした。

麻布大観音は、昔西麻布を歩いていて偶然出くわして以来で、
地図を見ると、根津美術館の裏手にあり、確かに判りにくい。

地下鉄の「表参道」駅から、ファッションビルがひしめく南青山の通りを抜け、
急に和風になる根津美術館の裏手に廻ると、
永平寺の東京別院である長谷寺、通称麻布大観音に達する。 

まず奥の本堂を参拝してから、手前の観音堂に入る。
ここの観音様は、大観音といわれるだけあって高さ10m、
しかも樟(クスノキ)の一木作り(写真)。
”長谷寺”だから、大きな十一面観音像でないといけないのだ。

通称「大観音」として江戸時代から親しまれてきて、
東京空襲で焼失したのを1977年に復活。
製作したのが大内青圃なる芸術家なので、造形のレベルが高く、上品で美しい面持ち。 
観音像はかように女性美が投影されているので、眼にも優しい。
撮影自由なのもありがたい。
残念なのは、像の横から背面に廻れないこと(十一面観音の背面にある暴悪大笑面が見れない)。
最近の作なので文化財には指定されていないが、作のレベルが高いので、後の時代には文化財になるだろう。

参拝者がほとんどいない中、外国人が次々と訪れていた。 

ただ、ここだけだと訪問先として物足りない。
根津美術館に訪れたついでに立ち寄るのがベストかな。


「人日の節句」を忘れないで

2019年01月07日 | 歳時

今日1月7日は「人日(じんじつ)の節句」。
明治政府が1000年以上行われてきた伝統行事「五節句」※を廃止して以来、
人々の間から、それまで盆と正月の次に重視されていた節句の行事が衰亡の危機に瀕している。
※:人日(1/7)、上巳(3/3)、端午(5/5)、七夕(7/7)、重陽(9/9)の五つ

人日の節句と言えば「七草粥」を食べるのだが、
近所のスーパーを見回ってもその材料たる”七草”が売っておらず、
伝統でもなんでもない「恵方巻」とやらにご執心。 
その中で、松坂屋ストアだけは、きちんとした七草セットが並べられていた。 
これは賞讃に値する。 

春の七草は次の和歌で覚えるとよい。
「セリ・ナズナ、ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ、スズナ・スズシロこれぞ七草」

これらが入った七草セットに、レトルトのお粥を買って、自宅で七草粥を作る。
レトルトのお粥は 85Kcalしかない。 

先日の記事に示したように、私は正月に数キロ肥えてしまった。
そんな私にとって、正月松の内の最後に「七草粥」を迎えることで、
正月太りを解消できる仕組みになっていることは実にありがたい。

ただ七草粥だけだとタンパク質が足りないので、追加が必要。
卵を落として卵粥にするのが一番楽だが、
今回買ったのがカニ風味の粥だったので、カニカマをほぐして混ぜた。

この七草粥を食べる人日の節句は、発祥元の中国では五世紀の東晋時代に書かれた『荊楚歳時記』に載っている。
すなわち1500年以上の歴史があるのだ。 
日本に伝わったからこそ、この伝統が守られたといえるのだが、
それが風前のトモシビであることも否定できない。
かくして、明治維新以前の伝統文化を守りたい私は、
恵方巻やハロウィンは無視して、五節句をアピールしていきたい。


日常空間に戻る

2019年01月05日 | 生活

昨日4日の「仕事始め」は免除してもらえたが、松の内の5日に帰名することとなった(一般企業でも曜日の都合で今年の4日は休みの所が多いという)。
6日は日曜ながら(日曜だから)入試業務のため。
仕事から完全に離れた休暇を終えて、仕事中心の”日常”に戻らなければならない。 
私にとっては、それは東京の実家から名古屋の孤寓への移動を意味する。 

母が作った早めの夕食を済ませ、東京駅発18時40分ののぞみに乗る。
乗客はキャリングケースを転がす若者が多い。
私のように正月を関東の実家ですごして、西日本に仕事・学業に戻る人たち。
私も数年前まではキャリングケースを転がしていたが、今では大きめのトートリュック(こちらの方が歩きがスムース)。

私が一度も正月を迎えたことのない名古屋の孤寓に戻り、まずはエアコンのスイッチを入れて、冷えきった部屋を暖める。
つぎに、テレビのスイッチを入れる。
実家ではほとんど(箱根駅伝以外)見なかったテレビだが、孤寓ではまずスイッチを入れてしまう。

風呂に入り、体重計に乗ると、この帰省中かなり肥えてしまったことを痛感。
名古屋で昼食を摂らない仕事生活が始まれば、 もとの体重に戻っていくはず。

そう、すべてがもとの日常に戻っていく。


箱根駅伝を見てしまう理由

2019年01月04日 | 歳時

2日、3日にかけて開催される正月恒例の箱根駅伝
今年は視聴率30%を超えたらしい。
関東ローカルのイベントなのに全国放送されている。

私自身、格別関心あるわけではないのに、つい見てしまう。
といっても見入るのではなく、テレビのチャンネルを合せる程度。
2日続けて、計10時間も見入ってはいられない。 

出身校が出ていないので、応援する大学があるわけではない。
また、ルートの沿線に住んでいるわけでもないので、わが家がテレビに映るような興奮もない(東京・横浜の街中、湘南の海沿い、そして箱根の山中と景色が変わるのは、他の駅伝より見ていて楽しいのは確かだが)。 

なのになんで毎年見てしまうのか。
まず、より魅力的な番組が他にないためである。
そして、駅伝という競技は、マラソンよりも短い中継点のため、ゴールシーンがより頻繁になって、 その分退屈しない(トップ以外に、予選会クリアの順位、繰り上げスタートに間に合うか!などの要素もある)。
かといって、攻守が突然入れ替わるサッカーと違って、目を離せないわけではない。
”流して”見れる。 
たとえば、復路で東海大が東洋大を追い抜く”決定的瞬間”を放送が捉えられなかったが、前後の流れによって各自が頭の中で再現できる。
そのため、お節の準備、談笑しながらの食事中、後片づけの間も流したまま見れる。

私などは、読書しながら見れる。 

そして何より、暇ですることがない時間に合っている。
その長い時間を救ってくれるのは、今は駅伝しかない(昔は正月用の長大な時代劇ドラマがあった)。 

箱根駅伝がない10時間を考えると、そら恐ろしくなるほどだ。


熊本和水町の地震

2019年01月03日 | 防災・安全

正月3日の18時10分、熊本県の和水(なごみ)町付近を震源とする地震が発生。
最大震度6弱で、マグネチュードは5.1 、 震源の深さは10kmと浅い。

震央(震源地の地上)は九州自動車道に近いが、大きな被害は発生していない模様。
それはともかく、地元の人たちは、正月気分がふっとんだことだろう。 

この震源地付近は、3年前の「熊本地震」とちがって活断層(過去の地震断層痕)がない。
もちろんプレート境界でもないので、残る原因は「ひずみ集中帯」か。
大分—熊本のラインは活断層帯だけでなく、「ひずみ集中帯」でもあるようだ。
そもそも日本列島は”弧状列島”と言われているだけに力学的なひずみが溜る地形を示している。

かように地震の原因は多様で、しかも全国に分布している。 

だから「次の地震はどこか?」という議論ほど無意味なものはない(この話題を検索する事も無意味)。
日本に住んでいるなら、「次の地震は自分の所に来るかも」と誰もが思うべきなのだ。


意地の三が日

2019年01月02日 | 歳時

実は私の定型行動は元日に限るものではなく、三が日を通して持続される。

意地でも、特別な行動パターンを通すことにしている。
すなわち、意地でも①着物を着続け、②昼から酒(日本酒)を飲み、③仕事には手をつけず、④歴史(武士)ものの本を読みふける。

①は、せっかく着物があるのに着ないのはもったいないが、日常的に着るには不便だから、せめて三が日だけは堪能する。
②は、お節料理と一緒に酒を飲むから(屠蘇の儀を含む)。そして③だから。
④は、仕事を忘れて趣味の本を読みふける貴重な三日間をあえて設けたいから(仕事としての読書もしない)。 

逆に言えば、これらの行為は三が日以外ではしない。
とりわけ、②と③を続ければ生活が破綻する。

私は休肝日は年に一日(健康診断前日)しか設けないが、アルコール依存にならないために、無節操には酒を飲まないようにしている。

④については、『関東戦国史』(黒田基樹)と『上杉謙信』(今福匡)を読み終え、今『武士の起源を解きあかす』(桃崎有一郎)を読んでいる。
かように、毎年この三日間は、酒の入った頭で、着物を着ながら、仕事を忘れて武士の時代に思いをはせている。


元日をこう過す

2019年01月01日 | 歳時

謹賀新年
元日からさっそくブログ発信。

毎年、私の元日のすごし方は定型になっている。
武家礼法を取り入れている点が、世間とやや異なろうか。

まず、自然な目覚めで起きたら(前の晩夜更かししていたら、それなりに遅い時刻)、湯舟に新湯を入れ、
水垢離ならぬ湯垢離をして、体を温めて清める(この時ばかりは入浴剤を入れない)。
元日用の絹の下帯を締め(通常は綿)、羽織袴(江戸時代の庶民の礼装)を着て(帯の結びは一文字)、

仏前・神前に礼拝(ネパール製のガンモモの響きがよい)。
腰(腹ではない)に白扇を差し、白足袋に草履を履き、近所の氏神様(二ヶ所)に初詣に出かける。

帰宅して、届いている賀状を整理し、
母がお節料理を盛っている間、手持ちぶさたに酒の準備をする。

そして、武家の礼装である烏帽子・直垂(ヒタタレ)に着替え、腰に白扇を差し、和室の上座に構えて、弟一家(5人)が来るのを待つ。
家族全員が揃って和室に着席したら、おもむろに「越天楽」のBGMを流し、烏帽子・直垂姿の私が、家族全員に対して、屠蘇の儀を式三献に則って執り行う。
すなわち、年少順に盃に屠蘇を注ぎ、それを盃を替えて三度行なう、いわゆる三三九度の儀式だ。
儀式だから、幼児には入れるふり、飲むふりで構わない。
屠蘇は前の晩から屠蘇散を金箔入りの日本酒に浸けておいた。

それを終えたら、一斉に「おめでとう」と挨拶し、子どもたちにお年玉を渡す。
私はもちろん、ポチ袋ではなく”折形”に包んだ。

この後は烏帽子をはずして、お節料理を嗜む(お節って子どもには不評で、大人には酒の肴にぴったり)。
くつろぐために、直垂を脱いでまた小袖(江戸時代の和服)に着替える。
これで、幼子たちと再び近所の寺社に参拝に行ける(さすがに烏帽子・直垂姿では外出しない)。
小袖姿になっても、武家として扇と袴は必ずつける(扇は刀代わりなので左腰に差す)。

日中にお節と雑煮を食べると、腹にたまって夕食もいらない。
夜は歴史物とりわけ(武士が大活躍の)関東戦国ものの本を読むことにしている(これも定型)。

こうして、新年初日の元日は、あえて儀式的にすごす。