今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2008年の気象傾向

2008年12月30日 | お天気
わが私設「ひぐらし気象台」は2005年から10分ごとの観測データが揃っている。
そして毎月、最高気温など極値をExcelにまとめている。
その毎月の極値(月平均値ではない)の年平均値による今年の傾向を、昨年以前とくらべて、概観してみる。

毎月の最高気温も最低気温も昨年より下回った。
特に8月の最低気温が20℃を下回ったのは今年だけ。
一説によると、温暖化は2007年がピークで以降は寒冷化に向う(主に太陽活動が原因)というが、そうなるのかもしれない。
また最低湿度の年平均は昨年同様18%台で、それ以前の20%台とギャップがある。
名古屋(星ケ丘・日進)との比較(これは今年だけ)では、名古屋の方は気温は若干低めで、最低湿度は10%近く名古屋の方が高い。
この東京と名古屋の気温差と湿度差は都市規模の差である。

日射量とUVindexは名古屋の方が高いのは、緯度の差である。
ただ星が丘より日進がUVindexの年平均が1高いのは、日進が郊外にあるためだろう。
UVindexが経年的に増加していないのは、フロンガス規制などが奏効しているためである。
総雨量は東京で1500ミリ、名古屋で1600ミリであり、これは平年値的である。
名古屋の方が多かったのは8月の豪雨の差が効いている。
また最大風速の年平均はひぐらしで11m、名古屋で17mだが、これは観測場所の影響かもしれない。

2008年を振り返る

2008年12月28日 | 歳時

今日は、自室の大掃除と、蒲団干し。
それも午後2時におわったので、今年を振り返ってみる。

まず、私的世界。
今年の前半は、愛車MINIの修理(燃料タンク、アクセル、マフラー、ミッション)が続いた。
いずれも経年劣化によるもの。
しかも、アクセルからミッションまでは走行中におかしくなったから、たいへんだった(それぞれブログの記事)。
これら大修理のおかげで年の後半は車の調子は順調で、昨年のように旅先で動かなくなることはなかった。

また落し物・忘れ物があいついだ。
3月には財布(現金4万とカード類入り)、5月にはステッキ傘、9月には携帯電話。
しかしいずれも無事で、原状のまま戻ってきた。
このようなポカが相次いだので、ブログのジャンルに「失敗トラブル」を追加したほど。

あと冷や汗ものとして、4月に母の鼻血が止らなくなって救急車を呼び、同乗したこと。
これらの危機はすべて大事に至らず、最小の損失で済んだのが幸い。

自分にとって最大の出来事は、8月に「防災士」の資格を得た事か。
もっとも講習を受ければ合格するので、資格取得そのものはたいしたことない。
ただ、資格を取った事で、自分のアイデンティティがこの分だけ拡大した。
それは自分の研究分野のその方面への拡大を意味する。

今年書き上げた論文は、原著2本にその他小論が1本。
これは例年のペース。

毎月恒例にしている2泊旅行も続いた。
一番の遠出は、秋田の乳頭温泉郷。
ただし近場の温泉からビジネスホテルへのシフトが新しい動きとして出てきた。
たぶんこれはシティホテルへの方向を目指している。
なぜならストレス解消の湯治の必要はなくなり、宿泊時の室内の居住性にウエイトが移りつつあるから。

世間の出来事は私にとってどうだったか、
ブログの記事から振り返ってみる。
一番影響をこうむったのは、9月以降の金融危機。
10年は冷凍保存しておく。
一番衝撃を受けた事件は、もちろん秋葉連続殺傷事件(直後には犯人の心の闇を解読する記事を載せたが、別段目新しくもないので削除)。
後日、現場に献花に行った。
気象予報士と防災士の立場から、豪雨災害も気になった(神戸、池袋、足利、岡崎)。
上野動物園のパンダ・リンリン死亡も、直前に見に行っただけに驚いた、
それに、街の「冷し中華」の鳥肉化傾向に強い危惧をもった。
最後に、自分と甥っ子がお世話になった幼稚園の園長先生が享年99歳で亡くなったのもショック。

こうしてみると、いい事がなかったな。
来年は景気も運気も上向いてほしい。


5歳の誕生会

2008年12月27日 | 身内
12月25日誕生の甥っ子の5歳の誕生会をやった。
柊ちゃんが大好きな餃子はママ手作り(写真)。
私は8倍の双眼鏡をプレゼント。

あと幼稚園の園長先生が24日に亡くなったのを知らされた。
私が幼稚園児の時も園長だった。
享年99歳。
合掌

今年最後の温泉

2008年12月26日 | 温泉

クリスマスも過ぎ、いよいよ押し詰まった頃、
この一年の慰労の”大締め”として、恒例にしている北軽の温泉(グリーンプラザ)に一泊してきた。
目当ては源泉かけ流しの温泉にちょっとリッチなグリルバイキング。

新幹線で降りた軽井沢駅から送迎バスで1時間、浅間山の北麓は一面の銀世界。
ホテルはスイスリゾート風の外見(写真)なので、雪景色に合っている。
夕食は予約時はバイキングにしたが(選択肢がない)、同料金ながらワンランクリッチな「グリル」に毎回変更。

大衆的なバイキング(混雑している)と違って、
こちらは前菜とパスタがビュッフェバイキング形式で、メインの一品は選択。
すなわち、バイキングとしての品数は半減するものの、料理のリッチ度はアップ。それにピアノの生演奏もつく。
浴衣はご法度ということもあり、客は少ないので、なおさら、落ち着ける(このホテルは子連れが多いのがだ、ほとんどの子連れはバイキングを選ぶ)。
その証拠に、普通のバイキングなら30-40分で満腹になるのだが、こちらはペースが落ちるせいか1時間もつ。

今日は、撮影隊が入っていて、料理などを映している。

食べ終わって出口で精算していると、撮影隊の一群にひときわ目立つ見慣れた顔が。
元力士で芸能人の龍虎だ。
その身体・顔だけでも目立つのに、なんとスーツがオレンジ。
クルーと打ち合わせをしていて、どうやら、グリルを食する撮影が始まるらしい。
彼が食べる前でよかった。


非正規雇用労働者の悲哀

2008年12月24日 | 時事
非正規雇用労働者の雇用打ち切りが相次ぎ、社会問題となっているが、
ネットでは「自分で選んだ」結果として、彼らに冷たい。
ネット愛好者の一員ではあるが、35歳まで定職が得られなかった私には、しかも唯一頼りだった非常勤先から雇用打ち切りの仕打ちを受けた私には、彼らの境遇は他人事ではない。

確かに、私自身、その道は「自分で選んだ」結果だ。
だから私は、デモもせずに自分でなんとかした。
ただ自力では無理。

それから、非正規雇用時代には、貯金なんてそうできるものではない(これは収入によるだろう)。
私は親と同居していたから、まだましだったものの。
自活していたら、普通は貯金は不可能だった。
私自身、急な出費で借金する時は自分の郵便貯金からした(定額貯金しておけば、それを担保に低利で借金できる)。

自分が雇用打ち切りの目にあった時、どうしかたというと、
学生時代の先輩・恩師、打ち切られた職場の上司など、頼りになる人たちに泣きついた。
それらの人のおかげで(恩師などは自分の非常勤先を私に譲ってくれた)、なんとか糊口をしのぐことができたのだ。

それらが可能だったのは、自分の口から言うのもナンだが、仕事を紹介するに値する人間に自分がなっている必要はある。

いざという時、頼りになるのは日頃の対人関係、そして日頃の自分自身のあり方。

クリスマス会

2008年12月24日 | 歳時
帰省した23日の夜、弟一家の家へクリスマス会に行った。
途中にあるフランス料理店を除いたら、夕食時なのに客の姿が見えない(不況の影響もあるらしい)。
われわれは、4歳の柊ちゃんが出迎えた弟宅でサンタの帽をかぶって乾杯し、義妹のプロ級の手料理を味わう(レストランに行く必要なし)。

ほんとうは今日は天皇誕生日。
なのにクリスマス直前の休日なので、庶民には格好のクリスマス会日よりになっている。
なんか申し訳ない。


慰労の温泉

2008年12月20日 | 温泉

冬至を迎え、いよいよ今年もおしつまってきた。
授業も卒論も終わり、今年の業務はあと教員だけの臨時の集まり2つを残すだけとなった。

今日、その1つ(センター入試の説明会)を終えた後、そのまま車で定宿の中津川温泉に直行。
もちろん慰労の温泉旅。

宿について、すでに馴染みの私は記名だけの簡単なチェックインで終え、
客室のドアに鍵を差し込む時、「ここに帰ってきた」という実感が湧いてきた。
さっそく風呂に入りに、エレベータに乗ると、階数をつげる聞きなれたアナウンスの声が、「今、この宿にいるんだな」という感慨をもたらす(メーカーが設定した声なのに)。

いつもの温泉泊りは、半分は原稿書きや資料読破のためなので、心底リラックスはできない。
それに対し、今回は原稿も仕事も終わった完全に気楽な状態。
室内で原稿を打つことも資料を持参して読むこともない。

この2泊ですることといったら、お気に入りの宿の温泉に入り、料理に舌鼓を打って、おいしい酒を飲んで、寝る前はお気に入りのDVDを観るだけという、自分にとっては至福の時間をすごすこと。

そして3日目は、朝風呂を浴びて、職場に直帰(?)して、最後の集まりをこなす。


卒論提出

2008年12月19日 | お仕事
今日は、学部の卒論提出締め切り日。
昼過ぎに確認したら、まだ40名が未提出だという。
かくいう私のゼミ生も2人がまだ。
パソコン演習室に行くと、ほぼ満席。
そのほとんどが卒論の仕上げ。
まだ指導教員からOKが出ていない学生たち。
かくいう私のゼミ生にも今日においても、まだ書き直しを命じた。

別にいじわるでも冷酷な訳でもない。
締切に間に合いさえすれば、すべては同じなのだから
どうせなら、妥協せずに、完成品を目指すのは当り前でしょ。
それが”仕事”っていうもんだ。

最後の最後まで頑張らせて、私のゼミの2人は結局は締切間際の最後の行列に並ぶはめに。
でも間に合ったんだから、問題なし。

今日の分だけでも、論文の中身は洗練された。
今どき、長い論文(論理的な文章)を書ける能力は貴重なはず。
現代だからこそ、価値ある学生時代最後のハードルだと思う。

締切間際に提出した学生には涙ぐんでいる者もいた。
こんなに頑張ったことはないという。
大学の4年が一番頑張ったわけだ。
それでいい。
こういう学生なら自信をもって社会に送り出せる。
みんな、よくやった。
おめでとう。
そういうわけで、私も祝杯その2!
そして明日から温泉!

大・大掃除

2008年12月14日 | 生活
昨日はこよみの上での「煤払い」。
めずらしく日曜に名古屋宅にいる。
しかも何も用事がないので、半年に一度の大・大掃除(だいおおそうじ)にとりかかる。

掃除ってとりかかるまでがおっくうで、朝食後11時までだらだらしていた。
幸い雨も止み、晴れてきた。
やっと腰を上げて、まずは洗濯した物を干す。
窓とドアを全開にして、部屋に風を通す。
粒子を99.99%通さないマスクをつけて、まずはパタパタとすす払い。
お掃除ロボットRoombaに掃き掃除を手伝わせながら、居間に散らかったままの小物などを整理する。
昼食休憩をとり、これからが本番。

無音の中でやっても気が乗らないので、お好みの沖縄音楽をオーディオで大きく鳴らしながら掃除をする。
ゆったりとした島唄では、ゆっくり丁寧に掃除をし、
テンポの速いカチャーシーになると、てきぱきと動く。

居間が終わると、そのままの勢いで(ここで休むと気力がなくなる)、
台所にとりかかる。
生ゴミ用のゴミ箱自体をきれいに拭いて、ゴミ箱の下や冷蔵庫の隙間のゴミも掃き取る。
一番の難物であるレンジまわりの汚れは、白スポンジでこすって7割ほど落し(専用のタワシでないと無理)、
その白スポンジで風呂場の洗面台をきれいにし、
最後はトイレ掃除(便座は自分でやり、トイレの床はお掃除ロボットにやらせる)。
途中、指先を切って出血し、熱湯で手を火傷し、冷水シャワーを頭に浴びる(コックを間違え)などして、さんざんだったが、夕方5時に終えた。

きれいになった居間で、音楽をジャズに変えてコーヒーを飲む。
風呂場の浴槽などは、今週末に残しておく。

ネット切り替え

2008年12月12日 | 生活
名古屋宅のネット環境を、 ADSLから光通信(中部電力のコミファ光)に切り替えた。
その理由は、スピードアップのためではなく、ほとんど使わない固定電話の基本料金がぐっと安くなるから(毎月1700円が実にばからしい)。
ただし光にすると、停電時には通話不能になるが。

プロバイダーはそのままにして、変更は最小限を心がけた。
集合住宅なので、光配線は他の居住者の時に終わったというから、わが宅の工事は簡単になった。
予定を定めて、工事と称する簡単な接続作業をする人がやってくる。
モデムを取り替えただけのような簡単な工事が終わって、
モデム段階の接続を確認して、帰っていった。

あとはユーザー自身がパソコンの設定を変える必要がある。
そのままネットにつなげようとしたが、つながらない。
コミファに電話しようとしたら、なんとその光電話がつながらない。
仕方なしに携帯電話で呼び出す。

案内係の丁寧な指導のもと、配線接続を最初からチェックし直す。
ケーブルをすべて抜いて、差し込みなおしてみる。
するとまず、電話はつながった。
要するに、モデムへのケーブルの差し込みが不充分だったのだ。
業者なのでそのへんは信頼してたのに…。

次いで、Macパソコンでの設定を、Mac用のこれまた丁寧な説明で指示され、
試行錯誤のうち、やっと繋がった。

でもLANケーブルからの直なので、常用している無線ではまだつながっていない。
でももう出勤時間なので、これで中断。

帰宅して、自分で無線LANの接続しなおしに苦闘する。
それも試行錯誤のはて、やっと繋がった。

結果的に繋がったからいいものの、なんで毎回悪戦苦闘するのだろう。
その経験だけで、今後の契約切り替えがおっくうになる。

姉の離日

2008年12月02日 | 身内
日本に半月余り滞在した姉がローマに帰って行った。
あちらのマンガ学校の生徒たちの”短期留学”のつきそいなので、交通費はかからない分、仕事はかかえる。
それにインタビューしたり、されたりで、のんびりする暇がなかった。
忙しい合間をみつけて、甥姪を含めた拡大家族で、夜に寿司パーティとか鍋パーティとかやったくらい。
その時に開けたイタリアの農家で買ってきた新酒ワインがおいしかった。

日本土産は、あちらで大評判の明太子はもちろん、あちらの家族には、私のお薦めで、ユニクロのヒートテックの下着(もうじき欧州進出するらしい)。
それに姉自身のために、納豆・煎餅・即席ラーメン・干し椎茸・乾燥ワカメなど。
私からは、Macの最新OSのDVDに、いらなくなった外付けHDD。

つかぬまの滞在の間、昔の家族が再現された(父は遺影で)。
あちらの現在の家族の元へ帰って行った実家の一室には、しばらく空虚が残るが、
また来年の今ごろ再現される。