今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

18きっぷで静岡の無冷房車に乗る

2022年07月30日 | 

恒例の「青春18きっぷ」のシーズン(7/20-9/10)。
クマゼミが鳴く夏空の名古屋宅を後に、18きっぷに1回目の印を押されて、アブラゼミの鳴く東京への旅(新幹線にくらべて1/4以下の費用。ただし時間は3倍以上)。
いつものようにハンディ気象計(Kestrel)を持参。
東海道線は時刻表を見る必要もないほど接続がいい(小型時刻表は昨年で発売停止なので、一応ネットの「ジョルダン」で便を確認)。

名古屋から豊橋、さらに浜松までは、名古屋圏を走る列車の2人掛けボックスシート(1人で座れるので買ってきたおにぎりを食べる)。

ところが、浜松からの興津行き(12:27)は、短い3輌編成のロングシートでトイレ無し。
乗客が少ないわけではなく、立っている人もいるほど。

さらに、信じられないことに無冷房車
車内天上の空気孔から出るのはただの風。
名古屋圏でも首都圏でもありえない待遇。
車内温度は最初から30℃を越え、最高地点である牧ノ原台地上の金谷では33℃を越えた。
もう我慢の限界!というところで、大井川を渡って乗換え駅の島田に着く(13:12)。
つらい45分間だった(よく調べない18きっぱーは興津まで乗り続けるのか)。
地元の乗客はよく我慢できるな。

島田発の熱海行き(13:24)は同じ3輌編成ながら、トイレ付きのまともな冷房車で、室温は24℃。
いままでのあの不快な環境は何だったのか。
この室温で熱海まで約2時間過ごすので、ここからは長袖・長ズボンが必要(もちろん熱海から先の JR東日本管内も)。

かように、JR東海と静岡駿遠地方との確執を身をもって経験するのも、18きっぷの旅ならではかな。


名古屋宅にカブトムシ

2022年07月27日 | 歳時

名古屋の孤寓は集合住宅の一室なのだが、そこに戻る途中階の扉の前にオスのカブトムシがひっくり返っていた(脚を仰向けの状態)。
通路は屋根だけがある半屋外なので、虫の出入りは自由。

残念だと思いながら、足先で触ると、なんとカブトムシの脚が動く。
生きているわけだ。
カブトムシの形態は、平らな地面に対して不利で、一度ひっくり返ったら自分で体勢を戻す事ができずに死を待つのみ(子どもの頃カブトムシを飼っていてそういう姿を幾度も見た)。

頭の後ろにある小角をつまんで持ち上げ、間近で見ると結構立派なオス。

東京生まれの私には、カブトムシは最初から店で売っているものだった。
曲がりなりにも200万都市名古屋市内、しかも自宅直近で野生のカブトムシにお目にかかれるとは…。

カブトムシをつかんだまま、来た道を戻り、公園の樹木に止らせると、幹をしっかりつかんでいて弱ってはいない。
あとは自分の力で生きていけよ、と念じて引き返した。
考えてみれば、同じ昆虫でもゴキブリに対する対応とかくも異なるのも不思議だ。

追記:8月5日に名古屋宅に戻ったら、建物の前の電柱の下の路面に、♂のカブトムシが上半身バラバラになった死骸があった。
大きさと稀さから、あのときの奴だろう。
またこの建物に戻ろうとしたのか。
そしてたぶん野良猫にいたぶれられたんだろう。
これも運命だ。


4回目のワクチン接種受けてきた

2022年07月26日 | 新型コロナウイルス

新型コロナの第七波に襲われているさ中、4回目のワクチン接種をしてきた(年齢的に該当)。
区から指定された日時が不都合だったため、変更を申し込んだ結果、幸い火曜ながら大学の用事がない今日の午前中になった。

接種会場の区民センターに行くと、入口入った所から係の人が順次誘導してくれ(エレベータのボタンまで押してくれる)、いつもどおりの問診表に記入し、本人確認のための運転免許証(マイナンバーカードは持っていない)を呈示した。
その部屋の張り紙に「飲酒している人は接種を受けられません」とあった(午前中で良かった)。

隣室に案内され、医師の最終確認を受け、カーテンで仕切られたその隣に移動して、まず接種されるワクチン種を口頭で言わされ(一瞬あせる)、それが正解(ファイザー)だったので、こちらが指定した右腕に接種を受ける(刺したこともわからないくらい)。

そして奥の広い部屋で15分待機。
こちらも慣れているので、暇な15分間は持参したタブレットで読書。
15分たって異状がないので、最終受付けで「4回目の接種証明書」をもらって帰宅。

今晩は接種側の腕が痛くなる程度だろう。

医学(科学)的には免疫力を高める最善の方法がワクチン。
これを否定するのは科学的論理ではない。


思考に支配されない心

2022年07月25日 | 心理学

現生人類の少なからずが、思考の呪縛(マインドコントロール)を受けやすいことは、宗教原理主義や過激思想に人生を預ける人だけでなく、振込め詐欺に簡単にひっかかる人を見ても明らかだ。

それは現生人類が獲得したシステム2の高度な思考・表象活動に由来する。
本来は、思考は経験事象の解釈・推論活動に使われ、表象は記憶象の再生に使われるものだが、それだけでは終らずに、現実経験の処理から逸脱することが可能となった。
すなわちありもしない事を”空想”すること。
これは人類に固有の創造能力でもある。

人類はこの方向に魅了され、芸術を誕生させた。

人類はこの創造能力を使って、現実の意味を再構成して物語化してきた(個体発生的には、幼児期に自発的にやりだす)。
かくして思考は、その理想型である「数学」のような厳密な論理操作で個人差なく一義的な解に導かずに、なんとでも好きな方向にもっていける。
偶然に作られたインクの染みが特定の意味ある図像に見えるように。
その物語能力は、辻褄が合えば信じてしまう思い込みを生む(論理の誤用だけの問題ではなく、それを支える感情の問題でもある)。

システム2はそれ自体が洗練可能なので、システム2自身による思考癖(バイアス)の改善は可能だが、そもそも思考癖それ自体が自覚されにくい(思考バイアスのリストを作って人々に自覚させるのが心理学というシステム2活動)。

このような思考に支配される根本原因は、思考を可能にするシステム2が心の最上位に位置しているためだ。

確かな解決法は、思考に距離をおき、思考に支配されない心の育成だ。
そのイージーな方法は、システム2(思考)を停止して、より低次のシステム1(習慣)を最上位にすることだが、そういう退歩はかえって弊害を大きくする(思考は必要だ!)。

望ましい方向は、システム2より高次のサブシステム(システム3)を作動させること。
このシステム3は、システム2が作動できる現生人類は作動可能であることが歴史的に保証されている。
ただし日常的に経験されていないため、たいていの人は作動したことがなく、その方法も知らない。
システム3は生存に必須のものでなく、また作動の負荷もすこぶる高いためだ(ということは、現生人類のほとんどは思考に支配されてしまう)。
※:しかも他者から吹入された思考

システム3のもっとも効率的な作動方法は瞑想である。
明晰な覚醒状態を維持したまま、システム2の通常の活動(思考・表象=想念)を停止してみるのである。
といっても一気に無念無想になることは、慣れ親しんだシステム2の活性からして困難である。
まずは無制御の雑念状態から一念状態に想念を制御的に絞る。
すなわち、呼吸に集中してその数を数える「数息観」(すそくかん)という入門的な瞑想法だ。

初心者は呼吸に集中しようとしても、それ以外の雑念が湧いてくるだろう。
その雑念を無理に抑圧しなくてよい。
自我の意図なく勝手に沸いてくる想念に集中せずに、呼吸に集中しながらそれと距離を置き、眺めるだけにすること。
すると相手にされなかったその想念は去っていく。
次の別の想念がやってくるだろうが、同じように対処する。
思考は自我とは別の存在であることを経験するこの距離化が、自我が思考に支配されない重要な第一歩となる(思考の映像化である夢(NECA)も自我を支配するが、自我が目覚めることによってその支配から脱している。だから夢は忘れてよい)。

マインドフルネス瞑想が、認知行動療法に使われるのも、これが理由だ。
瞑想法のより詳しい記事→瞑想のすゝめ


自我非制御の意識活動

2022年07月24日 | 心理学

私の「心の多重過程モデル」でシステム2(自我・思考機能)を考えたい。
心を構成するサブシステムのうち、システム0は恒常性維持、システム1はより能動的な環境適応(行動)を担い、そして現生人類で発達したシステム2は、内的処理過程が外界刺激処理から自律できるようになった。

システム2はこの自律主体としての自我も誕生させたが、自我は自らが居るそのシステム2の完全な主人ではない。
すなわち、自我は”心”の主人でないことはもちろん、”意識”(システム2)の主人でもない。

脳には覚醒時の何もしていない時に作動する、デフォルトモードネットワーク(DMN)があることが発見された。
覚醒下で意識活動が休止している時に作動するネットワークであるため、この名がついている。
※:覚醒は”意識がある”状態、意識活動は意識が何ものかに向かっている状態。
これはシステム1が作動する外界の処理や身体活動時ではないため、システム1に対応する反応ではない。
認知症患者はこの活動が低下し、逆に幻覚などの症状を示す統合失調症患者はこの活動が亢進するという。

ここでは自我活動(明晰な意識活動)が休止状態でも作動する意識活動を問題にする(これがDMNに対応するかは不明)。
この現象をきちんと概念化して、ここでは「システム2の非自我活動」、より一般的に「自我非制御の意識活動」(Non Ego-controled Conscious Activity:NECA)と命名する。

このNECAの典型は夢見(睡眠中の非病理的幻覚)であるが、多くの人は(フロイトなどの影響で)夢見は意識(システム2)ではなく無意識(システム1?)の作用と思っていて賛同を得がたいので、ここでは、入眠時幻覚に近い、覚醒と睡眠の境界状態での意識経験(開眼夢、半睡、夢うつつ)を挙げる(→夢:表象と自我の分離現象)。
すなわち、覚醒時の自我活動が低下している状態で短時間に経験する、自我の制御外の意識現象(情報精細度の高い視聴覚表象経験)である。
これは居眠り時に時々発生する現象で、能動的なイメージ表象活動ではない、自我にとっては受動(非制御)的で、また知覚に近い高精細なイメージ(視聴覚)経験である。
私はこれらを幾度も経験しているので、自我非制御の思考・表象活動を確信しているのだが、未経験者には納得しがたいだろう。

でもこれほど強い非自我性でないが、瞑想にトライしたことある人なら、思考やイメージ表象が自我の制御下に収まらない状態(マインドワンダリング、モンキーマインド)は経験したはず。
すなわち瞑想に入ろうとして、思考やイメージ表象を自我が抑えようとしても、思考やイメージ表象がその制御に逆らって湧き出してくるのだ。
システム2の本体ともいえる思考・表象機能は、自我の活動から独立できるというより、本来は独立しており、むしろその制御を試みる自我機能が後から誕生したといえる(後からやってきて主人づらしている)。
こう考えると、「意識(自我)は3000年前に発生した」という説とも整合できる(→紹介記事、ただし、記事ではシステム2における意識と自我とを区別していない)。

たいていの人は自我が思考を制御していると思い込んでいるが、実は思考が自我を支配している、というのが仏教や認知療法の見解である。


ビートたけしの『教祖誕生』

2022年07月16日 | 作品・作家評

安倍元総理殺害事件以来、統一教会というカルト宗教の問題が再注目されている折り、信者からの集金システムとしての”教団”を戯画的に描いたビートたけし(原作・出演)の映画『教祖誕生』(1993年)を観直した。
※:原作も北野武ではなくビートたけし

内容は、旅行中の青年(萩原聖人)がそこで偶然出逢った新興宗教の新教祖になっていくもので、宗教好きな私にとっては、たけし作品の中では一番のお気に入り。

今回観直して気づいたのは、旧教祖(下條正巳)が、”手かざし治療”のパフォーマンス時に示した手印(ムドラー)。
この印を調べたら(↓参考文献)、摩醯首羅天(まけいしゅらてん)のものだった。

映画での教団は「真羅崇神朱雀教」という神道系(少し仏教要素も混入)の教団の形だが、上記の摩醯首羅天から”摩”と”羅”を選ぶと教団名の最初の2字と音がかぶる。
教団名の「真羅」は「しんら」と発音するが、ともに「マラ」と発音できるから、ここに作者のイロニー・遊び心が表現されているようだ。

その摩醯首羅天とは、元の音をマヘーシュバラと言い、元はヒンドゥー教の宇宙を統べる最高神を構成するシヴァ神に相当し、漢訳で大自在天ともいう。
※最高神だが、仏教内では天部(守護神)なので、仏道の本道を行く如来や菩薩より格下。その証拠に如来の化身である(降三世)明王にシヴァ神が踏みつけられている。
シヴァは破壊神としても有名で、インドではシヴァはリンガ(男根=マラ)によって祀られる。

そして映画では、「真羅崇神朱雀教」の影の支配者で、金儲けのために教団組織を利用するだけのビートたけし扮する男の名はなんと「司馬」(しば)
この司馬は、教団内で破壊者となる(司馬がシヴァに重なる象徴的シーン)。

宗教教団といえども、人間が構成する集団ゆえに避けられないドロドロした通俗性。
その通俗性を宗教教団は、独自の宗教的論理(地上天国、世界平和など牽強付会的辻褄合せ)で誤魔化す。
もっとも信者自身が、自身に内蔵する通俗的欲望をその高尚な論理に託して満たそうとする。

この作品が示したのは、宗教教団こそ、もっとも人間臭い場所だということだ。

内村鑑三が無教会派を通したのもうなずける。

参考文献:藤巻一保 『密教仏神印明象徴大全』 太玄社


戻り梅雨

2022年07月14日 | お天気

どうやら「戻り梅雨」の様相になっている。

本物の梅雨のような明瞭な停滞前線こそ存在しないものの、日本の南岸は前線的な収束帯となっていて、そこに南西からの暖かく湿った空気(湿舌)が流れ込んでいる。
※:7月15日の気象庁天気図で停滞前線が描かれた。

太平洋高気圧が弱くなっていて、日本に張り出していないのが原因。
さらにその原因は、本来太平洋高気圧のあるべき上空に、強い寒冷渦(寒気核)があるため(右図:7/14,09時の300hPa(上空約9600m)の高層天気図→寒冷渦の原因は偏西風の蛇行)。

そのため、上空に寒気が入ってきて、大気がいっそう不安定(下層が暖、上層が寒)になっている。
寒冷渦は停滞性のため、今後一週間はその状態が続きそうなので、猛暑はしばらくやってこない。

その隙を突いて地上では西から低気圧が日本海・北日本にどんどんやってくる。
それらの低気圧が、南西からの湿舌を関東以西に呼び込むため、結果的に日本中が大雨の危険地帯となる。
梅雨末期の様相に近いが、北日本も大雨になる点で、現在の方が情勢は良くない。

先日のような35℃以上の猛暑もつらいが、大雨も災害をもたらすので油断できない。
今の日本は、大雨か猛暑かの二択になっている。

そんな中コロナ感染も広まっているし。


大雨で電車の足止めをくらう

2022年07月12日 | 防災・安全

本日は午後から定例会議があるので、浜名湖の宿を10時に出て、電車を乗り継いで帰ると、ギリギリになる。
なので、ローカルな天竜浜名湖鉄道の一本前の1時間以上前の便に乗り、余裕で会議に間に合うはずだった。

浜名湖付近は小雨で、豊橋も傘がいらない程度。
てっきり順調に名古屋に行けると思っていた。

ところが、豊橋に着くと、東海道線はこの先、大雨のため運転見合わせとのこと。
それならと名鉄線(東海道線と同じく豊橋〜名古屋を結ぶ)にむかうが、こちらもたった今運転見合わせ。

スマホで雨雲レーダーを見ると、名古屋の手前、安城付近に強いエコーが二つ、それぞれ東海道線と名鉄線にかかっている。
ただ東海道線側の蒲郡〜幸田町の方がそれより北東寄りの名鉄線側よりエコーが濃い。
なので、名鉄線を選ぶが、電車はいっこうに来ない。
一方、東海道線の方は岐阜行きがときたま客を乗せて出発する(さらに新幹線はまったく通常運転)。
 東海道線にすればよかったかと思うが、こちらは特急だし、あちらは蒲郡から先には行けそうもないはず。

結局、1時間以上遅れて豊橋を出発。
それでも雨が一番強い所でしばらく停車。
特急列車なので、途中駅で先に行けずに止っていた鈍行からの乗換え客が詰め込んでくる。

やっと名古屋に着いたが、1時間早く宿を出た効果はまったくなく(1時間遅く出ても乗った電車は同じ)、会議に遅れるのは確実なので、事務室に会議に遅れる旨電話した。
実は、私担当の報告事項があるのだ。

会議室に入ったのは開始後40分だったが、私が担当する報告事項には間に合った。

夜、ニュース映像を見ると、あの時間、名鉄線の線路が冠水していた。
強いエコーの下というより、冠水しやすい低地の走行がネックなわけだ。


安倍元首相の致命的な”甘さ”

2022年07月11日 | 時事

死者に鞭打つことはしたくないが、悲劇の再発を防ぐことの方が重要。

政治家として高く評価する安倍元首相だが、在職中からの欠点として、脇(身辺コントロール)の甘さがあった。

モリカケ・桜、いずれも脇の甘さ・スキによるもの(剣道で脇が甘いと、簡単に”胴”を入れられる。日本刀なら一刀で斃れる)。

統一教会というカルト宗教(すでに社会問題化していた)とのかかわり※も、甘さの現れといえる。
※国際勝共連合という政治的反共産主義組織と一心同体なので、保守政治家がかなりかかわっていた。その結果、被害者続出のカルト宗教なのに野放しにされた。

身辺の甘さは、最後は"警護の甘さ"となり、文字通り命取りになった。

来るものは拒まずという懐の深さが氏の人間的魅力であったが、それは自己防衛の甘さにも繋がる。
災害と同じく、政争も犯罪も防備の弱い所が突かれる。

もしかしたら身の危険を覚悟していたのかしれないが、歴史的使命を自覚しているなら、その使命のために、自身を危険に曝してほしくなかった。
安倍氏のもとで憲法改正、拉致被害者の帰還を実現してほしかった。
返す返すも残念でならない。


浜名湖畔の準定宿

2022年07月11日 | 

2週続けて日曜出勤だったこともあり、その慰労(気分転換)にと、出勤しなくてよい月曜に浜名湖畔の準定宿(グリーンプラザ)に泊まる。

これまではこの時期は東濃中津川の”定宿”に泊まっていたが、そこが選択肢から陥落し、また多くの宿が宿代を値上げしている中、ここは宿代もサービスも共に据え置きなのがよい。

客室はすべて和洋室で、窓から目の前に浜名湖が広がり、運び湯ながら温泉(露天)で、ビュッフェバイキングにワクワク感が持てる(安っぽくない)。
7月の今回は鰻の蒲焼きをいただこう。


安倍元首相銃撃事件を知って

2022年07月08日 | 時事

午前中の授業が終って研究室に戻り、ネットを開いたら、安倍元首相が銃撃され心肺停止とのニュース。
気が気でない中、午後の仕事を終え、夕方帰宅してテレビをつけたら、医師の記者会見の映像に「安倍元首相死亡」のテロップ。
部屋の仏壇に線香を点して合掌し、冥福を祈った。

安倍元首相は、私にとっては歴代首相の中でベスト1で(在任期間の長さがそれを示している。ただし消費税10%増税は賛成できなかった)、後続する首相は器がひと回り小さく見える。
その意味でも喪失感が大きい。

犯人は、アンチ側ではなく、政治信条的には支持側であったという。
(宗教団体※への接近という)”裏切られた感”が憎悪に結びついたのか。
※:統一教会:正式名は「世界基督教統一神霊協会」と名乗る霊感商法などで世間を騒がせたカルト宗教。宗教の勧誘を拒否しなかった私もいろいろ記憶があるが、印象はすこぶる悪かった。

ストーカー殺人と同じく、愛(存在肯定)の裏返しの憎悪(存在否定)である。
憎悪は逆説的に存在にかかわる感情で、殺意に結びつく。

それにしても京アニ事件から、一方的憎悪による殺人事件の続発が気になる。
殺される側には心当たりがないだけに、防ぐのも難しい(安倍元首相の場合は警護にかなり問題があったようだ)。

他罰傾向が肥大して行動化する前に、第3者が介入するすべはないものか。
こういう人は社会的に孤立していることが多いから、他者が気づくことが難しい。

平気で他者を憎むというメンタリティ(風潮)をなんとかしたいが、そもそも政治を取り巻く世界(マスコミを含む)が憎悪をベースに動いているような気がする。

ついでに真に愛を実践する教団(≠宗教)も稀有。
教団(人間の集合体)は、我欲(権力欲、財欲、依存欲…)の集合体になっているから。


”ゲリラ豪雨”と呼ばれる夕立

2022年07月06日 | お天気

夏の夕方、勤務を終えると空一面が暗くなり、やがて大粒の雨が落ちてきて、周囲はしぶきが上がるほどの強雨となった。
だが、1時間もすると青空が出てきた。

この現象を気象学では「短時間強雨」といい、これを昔から日本人は「夕立」と名づけていた。

ところがテレビをつけると「愛知でゲリラ豪雨」とのタイトル。

風情ある「夕立」が、品のない「ゲリラ豪雨」に取って代わられた。
「ゲリラ豪雨」はマスコミ(民放)の命名で、彼らはそれが(品性に合っているらしく)気に入っているようで、やたら使いたがる。

強いながらも一時的な雨、すなわち線状降水帯による長時間強雨でない、単独の積乱雲による雨は、昔から「にわか雨」「通り雨」とも名づけられていた。

そららが一律に「ゲリラ豪雨」

私は最後まで使わない。


熱指数が41℃を越えたら注意

2022年07月02日 | お天気

我が私設本駒気象台日進気象台などで、気温の他に体感温度としての「熱指数(heat index)」を10分おきに測定し、15分おきにネット配信している。

これは気温に湿度を加えたもので、いわば”蒸し暑さ”の指標として夏は気温よりも高くなる。
この熱指数が41℃を越えると熱中症の危険域とされる。

一昨日の東京(本駒)では熱指数が49℃に達し、本日でも46.7℃に達し、16時現在でも41.6℃である。
 熱中症の危険が続いている状態だ。

一方愛知(日進)での本日の熱指数は38.3℃と東京よりだいぶ低い(16時現在で37.5℃)。
両地の本日の最高気温差は3℃だが、それに加えて湿度が東京の方が高かった。
むしろ愛知の湿度(大気の水蒸気量として「露点温度」で確認)が午後になって減少したのが大きい。

最高気温も本日は両地とも6月30日より下っているので、暑さのピーク(第1弾)は越えたようだ。

来週は台風が接近しそうなので、その意味でも酷暑は一時和らぎそう。