映画「巴里のアメリカ人」のHD用にレストアされた映像の素晴らしさを満喫したついでに、あそこで大々的に使われたいた、ガーシュウィンのオーケストラ用の音楽を久しぶりに聴いてみたくなった。私はガーシュウィンの作ったスタンダード・ナンバーや「ラプソディー・イン・ブルー」ならいざしらず、彼が作ったこの手の曲には日頃ほとんど縁がない身なので、自宅のコレクションにこれがあるかどうか怪しかったが、一枚や二枚ならきっと…とばかりに、分散したCDのあちこち探してみたら、ようやくこの演奏(ついでにプレヴィンとLSOも)が見つかった。さして聴くあてがなくとも、買っておけばこういう時に役にたつのである(笑)。
さて、「巴里のアメリカ人」を観て驚いたのは、映画の終盤ではこれをほぼ全曲を流した上で、約18分に渡る長大なダンス・シーンを形成していた点で(当然セリフや切れ目は一切なし)、さながら交響的バレエの如き様相を呈していたことだ。まぁ、ディズニーの「ファンタジア」を実写でやってしまったようなものといえないこともないが、曲自体はほとんどカオスのように、次々に様々な楽想が繰り出され、時に現実音(車のクラクションとかざわめきとか)を模写したようなサウンドまで登場するだけに、これに物語の終盤に相応しいストーリーをはめ込んで、一連のダンス・シーンとして再構築するのはさぞや試行錯誤しただろう…と感心してしまった。ついでにいえば、この曲随所にラヴェルやストラヴィンスキーの影響を感じさせるオーケストレーションが施され、モダンな響きが充満しているせいで、当時のダンス・ミュージックとしては、おそらくかなり前衛的なものだったろうとも、改めて思ったりもした。
演奏はさすがに往年のゴールデン・コンビな面目躍如たる快調なものである。フィードラーとボストン・ポップスは50年代のアメリカのライト・クラシックの分野では一斉を風靡した名コンビだが(ちなみにこれの後を継いだのがジョン・ウィリアムス)、この底抜けに楽天的で開放的なアメリカ音楽を、まさにそれに相応しい賑々しさて演奏しているという感じである。クラシックとして聴くにはややけたたましいところはあるものの、この曲はやはりこうやって聴くもの…と素直に納得してしまう。ルンバのリズムを使った「キューバ序曲」なども、ラテンのリズムの熱狂やエキゾチックな雰囲気など、ライトクラシック的な気軽さをよく表現していた思う。
さて、「巴里のアメリカ人」を観て驚いたのは、映画の終盤ではこれをほぼ全曲を流した上で、約18分に渡る長大なダンス・シーンを形成していた点で(当然セリフや切れ目は一切なし)、さながら交響的バレエの如き様相を呈していたことだ。まぁ、ディズニーの「ファンタジア」を実写でやってしまったようなものといえないこともないが、曲自体はほとんどカオスのように、次々に様々な楽想が繰り出され、時に現実音(車のクラクションとかざわめきとか)を模写したようなサウンドまで登場するだけに、これに物語の終盤に相応しいストーリーをはめ込んで、一連のダンス・シーンとして再構築するのはさぞや試行錯誤しただろう…と感心してしまった。ついでにいえば、この曲随所にラヴェルやストラヴィンスキーの影響を感じさせるオーケストレーションが施され、モダンな響きが充満しているせいで、当時のダンス・ミュージックとしては、おそらくかなり前衛的なものだったろうとも、改めて思ったりもした。
演奏はさすがに往年のゴールデン・コンビな面目躍如たる快調なものである。フィードラーとボストン・ポップスは50年代のアメリカのライト・クラシックの分野では一斉を風靡した名コンビだが(ちなみにこれの後を継いだのがジョン・ウィリアムス)、この底抜けに楽天的で開放的なアメリカ音楽を、まさにそれに相応しい賑々しさて演奏しているという感じである。クラシックとして聴くにはややけたたましいところはあるものの、この曲はやはりこうやって聴くもの…と素直に納得してしまう。ルンバのリズムを使った「キューバ序曲」なども、ラテンのリズムの熱狂やエキゾチックな雰囲気など、ライトクラシック的な気軽さをよく表現していた思う。