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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

AU Sony Ericsson / W32S [2]

2006年02月28日 23時31分44秒 | PC+AUDIO
 昨日ようやくモバイルSuicaの登録が終わりました。当方のマヌケなミスが続いたおかげて、手続きに3週間もかかってしまいましたが、なにしろモバイルSuicaを使いたくて2月3日に機種変更した訳ですから、ずいぶん長いこと感じたものです。職場では、密かに「オレが一番早い!」とか思っていたのですから、さすがにネット関連の強者が揃っている職場だけあって、あっという間に何人かに先を越されてしまいました。まぁ、どうでもいいことですが....。

 しかし、使ってみると余りに当たり前といえば当たり前なんでしょうが、改札のセンサーにかざすのがカードかケータイって違うだけで、改札の液晶ディスプレイに表示される内容も別段普通の定期と変わらないし、何の感激もないです。「オレはこの三週間、いったい何を楽しみにしていたんだ」という感じ(笑)。むしろ、昨夜、定期を新規で購入したり、電子マネーもチャージした時の方が、いかにも新メディアに触れているワクワク感ありました。まぁ、これからグリーン席なんかでその利便性を発揮してくれることを期待してます。

 ところで、前回も書いた通り、この機種処理速度が格段にアップしたせいで、画面の切り替えやアプリの起動がけっこう早くなったので、モチベーションが上がったのか、これまでケータイではほとんどやる気もおこらなかった、ちょっとしたスケジュール管理だとか、アドレス帳の整備などけっこうマメにやってます。私のこういう煩瑣な作業というのは長続きしない訳ですけど、先日、オンラインで購入した「MySync Suite」というソフトがけっこう使い勝手が良いこともあって、やらなくちゃと思っていたアドレス帳再編成を数年ぶりにやって、気分的にもすっきりしましたし、劣悪な入力環境を補完すべく定型句を充実させたりして、使い勝手をちょくちょくアップしています。前回も書きましたけど、私としてはこの機種でよーやく、携帯端末として使い物にやってきたかなという印象です。
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伊福部昭 女中っ子 (Soundtrack)

2006年02月27日 23時39分09秒 | サウンドトラック
忙しい一日だった。母親の四十九日に法要もようやく昨日終わり、今日は一日、行政書士や市役所、あと銀行とか、とにかくいろいろな事務的な手続きにあけくれていたという訳。私はこういう手続きが大の苦手というか、おっくうなこと極まりないという人間なもので、あれこれ回れるのはけっこうなストレスです。結局、午前から午後にかけて半日かけた訳だけど、半分も終わらなかった。家に帰ってからも、あちこち片づけたたり、整理している間にすっかり夜になってしまったという感じ。

 そんな中、移動中の車で聴いていたのが、先日作った先生の映画音楽「ビルマの竪琴」「女中っ子」「二人の兄弟」を集めたサントラ。「ビルマの竪琴」をメインに作ったものだけど、今回、印象深かったのは「女中っ子」の方。先生の作品という土俗的パワーだとか、押し寄せる律動とかといういう面でばかり語りがちですが、この作品は先生のリリカルな面が出ていて、後半に出てくる途中に半音階で上昇するピアノのアルペシオにのって展開する楽曲など、もう涙が出てくるくらい叙情的な美しさが泣けました。また、続けて聴いて分かったのですが、この作品「二人の兄弟」とほとんど同じテーマが出てくるんですね。「二人の兄弟」のテーマはちょっと悲愴感のあって、それを慈しんでいるような印象深い旋律ですが、それが「女中っ子」に出てきたのは意外でした。意外といえば運動会のシーンの音楽とおぼしき楽曲に「宇宙大戦争」で有名なアレが出てくるのも驚きましたが。

 ところでこれらの音楽聴きながら思ったのですが、うちの場合、母親の残したものなど大したことはないですが、それでもこれだけとあれやこれやとやらなきゃいけないとすると。資産だの、人脈だのをたくさん残した(であろう)、先生の遺族はこういった諸々の後始末はさぞや大変なことになっているんだろうなぁ....と不遜にもぼんやりと考えてしまいした。
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STEELY DAN / Everything Must Go

2006年02月26日 23時54分30秒 | ROCK-POP
 そういえばコレ未だ聴いてなかったな....と取り出してきた作品。スティーリン・ダンといえば、ご多分にもれず僕も「幻想の摩天楼 」からフェイゲン名義の「ナイトフライ」までの作品に魅了されたクチですが、以来、あまりといえばあまりに待たせた「カマキリアド(`93)」や、スティーリン・ダンとして復活した「トゥ・アゲインスト・ネイチャー(`00)」の出来がどうもいまふたつくらいだったもんで、このアルバムも多分がっかりしたくなかったんでしょう(笑)。もう3年近く放置されていたという訳。

 さて、ほとんど期待していなかったこの作品ですが、意外にもとても良かったです。いや、「ガウチョ」と同等などいうちもりは毛頭ありませんが、少なくとも前作、前々作より数段良いですね。私の考える「スティーリー・ダンらしさ」がかなり復活しているんですね。一体、前2作の何が悪かったかといえば、サウンド面であまり打ち込み臭が強すぎたことに尽きるんじゃないでしょうか。この手のマニアックなミュージシャンが陥りやすい道筋とはいえ、自分の思うがままに音楽をてっとり早くやりたくて、打ち込みでなにもかも作ってしまい。それをデモはおろかベーシック・トラックにほとんど流用するおかげて、出来上がったサウンドはグルーブ感が希薄でコクがないものになるという陥穽に、スティーリー・ダンは見事に落ち込んでいたと思うんですね。曲がどうの、ヴォーカルがどうのこうのという前に、私にはサウンドが死んでいた....としか思えなかったです。

 今回の作品はライブ・パフォーマンスを新旧の楽曲を精力的にこなした成果なのか、比較的固定したメンツを起用して、一発録りによるという方式で収録されたようです(ただし、メンツ的には地味です。僕の大好きなビル・チャーラップが2曲ほど参加しているのはうれしかったですが)。おそらくそのあたりが効を呈しているんでしょう。グルーブ感やサウンド面でも確実に従来のスティーリー・ダンの「ちよっとアーシーで屈折した都会的AOR」が復活していると感じました....というか、調度「ガウチョ」や「ナイトフライ」のデモ・テープって感じです。これを元に超豪華になメンツの音を偏執狂的なこだわりで差し替えていくと、あのサウンドになるといったところでしょうか。
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R.シュトラウス 家庭交響曲/メータ&ロスアンジェルスPO

2006年02月25日 19時13分36秒 | クラシック(一般)
R.シュトラウス一例の名作の中で、私が一番馴染みがない作品といったらやっぱこれですかね。20代の前半頃、この曲を私はジョージ・セルの演奏で初めて接した訳ですが、何度聴いてみても音楽が見えてこなかったです。例えばこの曲をテーマを家庭生活みたいなものに置いた標題音楽という点から聴いてみても、解説に書いているような情景らしいものがあまり伝わってこなかったし、プログラムに余りこだわらず交響曲として聴いたところで、なんだかだらだらとして、地味な楽想をやたらこねくり回したあげく、突如賛歌のように盛り上がったりするメリハリがない曲といった印象で、要するに「よくわからない曲」だったんですね。最近、「ドンファン」を聴き比べしたりして、R.シュトラウスの曲が耳に馴染んでいるところだし、久しぶり聴いてみたらイメージが変わっているかもと思い、おそらく10年振りくらいに聴いてみました。

 で、久しぶりに聴いた感想ですが、大昔のように「なんだかさっぱりわかんない」とまでは思いませんでしたけど、やっぱ「捕らえどころがない作品」だなという感じです。今回はじっくりと聴いたせいで、プログラムが音楽でどうか語られているか、大筋のところは分かりました。概略としては、まず家族の紹介があり(第1部)、子供がいたずらして部屋をかけまわり、やがて疲れて眠り(第2部)、夫婦の愛の賛歌みたいな夜の場面があり(第3部)、夜が明けて朝になると子供を巡って夫婦喧嘩になるが、仲直りしてハッピーエンド(第4部)....みたいなところでしょう。確かに物凄いオーケストレーションであり、第3部の盛り上がりなども音楽的にもドラマチックではあるのだけど、自らの手練手管のありったけを駆使して描いたのが、こんなありきたりなマイホームの風景な訳?みたいな空虚な思いがどうしてもつきまってしまうんですね。

 私は「音楽は何を語るかではなく、どう語るかが問題だ」というのが、音楽を聴く上での基本ポリシーでして、テーマが家庭だろうが、なにがしかの哲学であろうと、それが説得力ある語り口で演奏されたものであるのなら、たいていこだわりなく聴ける自信はあるんですが、どうしてこの曲だといいようがないくらい空虚な気持ちを抱いてしまうのかとても不思議です。結局、R.シュトラウスの音楽そのものが、基本的に私とソリが合わないということになるのだとは思うんですが、これだけ定評ある名曲の良さを感得できないというのは、ちょっと悔しいものがありますね。とりあえず、即断せずもう少し腰を据えて聴き込んでみようと思いますが....。
 ちなみにこの演奏はメータが69年にロスフィルを振ったもので、同じくメータ振った「惑星」や「春の祭典」あたりと共通するデッカらしい弾力あるメリハリ感が心地よい優秀録音です。
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The BILL EVANS Trio / Moon Beams

2006年02月24日 23時10分56秒 | JAZZ-Piano Trio
夭折したスコット・ラファロの後任としてチャック・イスラエルが参加したビル・エヴァンス・トリオによる確か最初の録音。同時期の録音としては「ハウ・マイ・ハート・シングス」があって、あれが比較的明るいスウィンギーな曲を集めていたに対して、こちらは全編ほぼバラードで構成されているのが特徴です。また、物憂げな女性が逆さまに写っている、ちょっと退廃的なジャケットも印象深くて、個人的には最もよく聴くビル・エヴァンスのアルバムになっています。

 音楽的には前述のとおり、ほぼミディアム~スローのバラード系の作品ばかり集められていて、ともすれば瞑想的な音楽になる寸前のところで、かろうじてトリオ・ミュージック的なインタープレイを成立させているところが印象的で、よくも悪しくも抑制された美しさを感じさせるのが特徴となっています。このあたりはレコーディング・セッションからバラード集めたからそうなったのか、新加入のチャック・イスラエルのせいなのか、それともラファロを失ったエヴァンスの虚脱感なのか、はたまたジャケの暗示効果なのか、私自身よくわからないところもあるのですが、とにかく数あるビル・エヴァンスのアルバムでも、一種独特の感触を感じさせるアルバムになっていることだけは確かでしょう。

 ビル・エヴァンスの音楽を称して、よく「耽美的」とか「詩的リリシズム」とかいう形容詞が使われますけど、このアルバムの場合、まさに「耽美的」という言葉がもっとも相応しい仕上がりではないでしょうか。このアルバムの場合、渋目とはいえ比較的有名なスタンダード・ナンバーが並んではいますが、聴いていて不思議と「へぇ、こう解釈しますかぁ」とか「誰々の演奏に比べて、エヴァンスの場合....」などという思いがほとんどよぎらないんですね。いってしまえば、スタンダード・ナンバーはたんなるきっかけに過ぎなくて、ひたすら自己の世界に沈み込んでいるという感じといったらいいか。

 ちなみにドラムスのモティアンは全編に渡ってブラッシュ・ワークに徹していますし、イスラエルもエヴァンスに楚々と寄り添っているかの如きサポート振りで、そうしたところもこのアルバムの耽美な印象を倍加しているといえるかもしれません。BGMとして軽く流していたつもりが、ふと気がつくと作業を止めて、陶然と聴き惚れている....そんなアルバムです。
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キース・ジャレット・トリオ/星影のステラ

2006年02月23日 23時47分02秒 | JAZZ-Piano Trio
 キース・ジャレットがゲイリー・ピーコックとジャック・ディ・ジョネットと組んだトリオ、通称スタンダーズは最初(1985年)のライブ盤です。ご存じの通り、彼は現在でもピアノ・トリオの最高峰としてジャズ界の頂点に君臨していて、出すアルバムはことごとく高い評価を得ている訳ですが、個人的にはこのアルバムがスタンダーズとしては一番か二番くらいに好きという感じです。

 理由は「星影のステラ」が入っていること。そもそも「星影のステラ」という曲自体私は大好きなのですが、おそらく数あるこの曲の演奏でも、これは間違いなくそのトップに来る名演中の名演だと思うからです。まず冒頭のソロがいい、思索的なムードの中、メインの旋律を最初は薄っすらと、そして次第にはっきりと暗示しつつ3分間ほどラプソディックにソロを展開していく訳ですが、キース流の叙情と「星影のステラ」の旋律が微妙に交錯して、静かな緊張感を感じさせるのです。そしてその後、いよいよテーマが今度はトリオで演奏される訳ですが、最初にベースが流れるように入ってきて、次にブラシが楚々と続く阿吽の呼吸感は最高です。こんな「星影のステラ」やられた日には、ほとんどのジャズ・ミュージシャンが敗北感を抱くんではないかと思うほどですが、少なくともこの前半部分はスタンダーズが見せた「最高の瞬間」のひとつであることは間違いないところだと思います。もちろんそれ以降、次第にテンションが高まり、ホットな展開に発展してく流れも見事だし、キースの音楽にエレガントな品格を与えるゲイリー・ピーコックのベース、キースの音楽のユニークさを独特の句読点で、リズムの点から拡大していくデジョネットのドラム(とくにシンバル)と、三者の絡みはほとんどエクセレントです。

 それにしても、このトリオ、何回か中断も挟んだりしながらも、結局は20年以上やってきたことになるんですねぇ。なんかもう最近になると、「ケルン・コンサート」などで有名なソロ・パフォーマンスより、「スタンダーズのキース」のイメージの方が強くなってしまったような感はあるし、ピアノ・トリオにしても、もうこれ以外メンツでやることを想像する方が難しくなっているような気がしますが、個人的にはやはりこの作品あたりが、一番鮮やかな印象が残ってますね。
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伊福部昭 ビルマの竪琴 (Soundtrack)

2006年02月23日 00時31分40秒 | サウンドトラック
 先生の映画音楽は多数のサントラが出ていますが、特撮関係の作品は1作品=1アルバム単位で出ているものも多いものの、一般映画となるとシリーズ物の一貫としてダイジェスト収録、企画が複数のレコード会社から出されていることが影響なのか、同じ作品が分散していることが多いのは、いかにも惜しまれます。贅沢な望みかもしれませんが、どこかのレコード会社で先生追悼企画として、もう少しきっちりと筋の通った伊福部昭映画音楽選集でもやってもらえんでしょうか。

 例えば「ビルマの竪琴」ですが、私のもっているCDだと収録曲が見事に2枚に分散しています。とっかえひっかえ聴けばいいでしょうが、それぞれ抜粋された曲が入り組んでいるために、仮にこっちを聴いたから、次はこっち....という形で聴いたとしても、映画に登場した順番とは全く違う形になってしまうから、どうも居心地が悪い。そういう訳なので、先ほど2枚のCDに分散している「ビルマの竪琴」と「女中っ子」の音楽をリッピングして、ひとつのトラックにまとまったものは、波形編集ソフトで元の形で切り分けて、改めて映画の順番にそった形で再構成し、それをCDに焼くという作業をしてみました。けっこう面倒でしたが、これでようやく両作品の音楽が心安らかに聴けるようになったという感じです(もっとも、どちらも全曲の半分にも満たないマテリアルでの話ではあるんですけど)。

 この2作品には、有名なレクイエムの旋律が使われています。特撮映画ファンには第一作のゴジラで、芹沢がゴジラととも海底に没する場面その他で使われた、荘重で身を切られるような悲しみに満ちた音楽ですが、これが「ビルマの竪琴」にはメインタイトルで使用され、「女中っ子」ではラストで使われています。個人的にはレイクエム的であると同時に「自己犠牲のテーマ」と呼びたいような気もするこの旋律は、やはり先生の傑作だと常々思っていたものの、先の理由であまりきちんと聴けた試しがなかったので、手間はかかりましたが、これからは安心してこの旋律を楽しめます。
 でも本当にどこかのレコード会社さん、企画してくれないかなぁ>決定版「伊福部昭映画音楽全集」。
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ショパン ピアノ作品集/フランソワ

2006年02月22日 23時19分32秒 | クラシック(一般)
 昨年後半に購入してきたものですが、なんだか久しぶりにショパンのピアノ・ソナタを聴いてみたくなったので封を切ってみました。ショパンの音楽についていうと、私はあまりつっこんで聴いたことはありませんが、確か一番最初にショパン入門として購入してきたのは、このサンソン・フランソワによるショパンの有名曲ばかりを集めたLP2枚組のベスト盤だったような気がします。その後、アルゲリッチやポリーニのなどもアルバムも購入することになる訳ですが、あまりのめり込んで聴くところまでいかなかったのは、当時、その後に聴くべき作曲家がありすぎて、焦っていたせいかもしれません。いかにも私の好きそうな音楽ではあるんですかねぃ。

 このボックス・セットを購入してきたのもは、前記のベスト盤を思い出したからで、もう一度フランソワの弾いたポロネーズや幻想曲を聴きたいと思ったという単純な理由です。もっとも今聴いているのは前述の通りソナタなのですが.....。ショパンの残した2曲のソナタはどちらも傑作というべきでしょう。どちらかといえば散文的な曲に多数の傑作を残したショパンが、珍しく構築的な曲に挑戦したということで、ピアノ協奏曲あたりと並んで「柄にもない作品」なのかもしれませんが、古典的な鋳型とそこに収まりきらないロマン派的な感性のせめぎ合いみたいなものが、ちょっとブラームスの煩悩を思わせるところもあって、個人的には好きなんです。

とくに第3番は第1楽章のソナタ形式とラプソディックな奔放さがかろうじてバランスしているところが良くて、7分あたりからふいに我を忘れて夢想してしまっているかのような場面など最高に素敵だし、緩徐楽章として用意された第3楽章はドミニク・サンダとジョン・モルダー・ブラウンが主演した「初恋」に確か使用された(ちがったっけ?)、甘美でロマンティック極まりない曲で(特にアルペジオで演奏される第2主題とか)、もちろんコレ単体で聴いても良いのですが、ちょいとアブストラクトでシュールな感じもする第2楽章のスケルツォと精力的な第4楽章の間におかれることによって、その美しさがより引き立つと思うので、やはりソナタのパーツとして聴く方が好き。

 それにしても、私は一番最初これらの曲を誰の演奏で聴いたんでしょう?。フランソワの2枚組にソナタは入っていなかったような気がするし、ポリーニはまだ録音していなかったハズだし、やっぱアルゲリッチだったのかなぁ??。なにしろその時のことを覚えてないので、このフランソワの演奏はなんともいえませんが、非常に甘美で詩的な気分が強い演奏という印象を受けたのは、当方の先入観というものでしょうか(笑)。 
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R.シュトラウス管弦楽作品集/クレンペラー&PO

2006年02月22日 00時45分21秒 | クラシック(一般)
 これもオークションで購入したもので、やはり600円くらいの格安価格で購入したものです。クレンペラーという指揮者は昔から気にはなっていたのですが、ほとんど聴いたことがなかったもので、このところR.シュトラウスを聴きつけているのを幸いに、彼の演奏がどんなものか確かめておくのも悪くない....と思って落札してみました。このくらい価格だと割と気軽に落札できるのはいいんですが、この調子で増えていくと際限なくなるおそれもあって、ほどほどにしなくちゃいけないと自戒しているですが、なかなかストップが効かない(笑)。ともあれ、今さっそく「ドン・ファン」を聴いているところです。

 一聴した印象としては、派手さを押さえ、かなり遅目の雄大なテンポで貫いたドイツ流に無骨な「ドン・ファン」という感じなのですが、何故かエキセントリックなところも感じます。どこがどうと指摘するのは、私の乏しい語彙ではなかなか難しいのですが、思い当たるのはどうも対位法的な面をけっこう強調していて、主な旋律線の裏で鳴っているフレーズだの、モチーフだのがことさらよく聴こえてくるもんだから、そう感じるような気がしないでもないです(まぁ、EMIの分析的な録音というのも無視できませんが)。このせいでドイツ流の巨大スケール感のようなものと、解剖学的に音楽を分析していく神経質なところが同居して、「どっしりしているんだけど、なんか落ちつかない」みたいな印象を受けてしまうのかな?と思ったりしています。

 そういう演奏なので「ティル」についても、主にこの曲のグロテスクなスケルツォという面を中心に据えて、重厚かつ克明に演奏したという印象で、この曲のユーモラスな面や絵画的なところは希薄です。あまりにまじめくさって演奏しているせいで、本来笑うべきところが笑えないというか....。「死と変容」は「ティル」以上に遅い、やたらと克明な演奏で、中間部のアレグロの部分も炸裂するような感じはほとんどなく、なにやら押し寄せる重圧感ばかりが印象的な、やや燃焼不足なR.シュトラウスという感もあります。ただ、静かな部分は逆に非常に幻想的で、なんだからマーラーの9番とか10番あたりの深刻さを思わせるムードはあってこのあたりいい感じ。
 という訳で、一聴した印象を書いてみましたけど、これは何回か聴かないとたぶんよく分かんない、ある意味難解な演奏という気がしました。ふーん、クレンペラーってこういう感じなんですねぃ。
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チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス

2006年02月21日 23時15分48秒 | JAZZ
 私はオーケストラ・サウンドが大好きなもんで、ジャズでも「ウィズ・ストリングス」とか「ウィズ・オーケストラ」なんかには目がないクチです。曲を自由にインプロヴァイズするのがジャズ的な本質的な部分だとすると、スコアがあって初めて成立ストリングスなりオーケストラなりサウンドとは本来相容れないはずですし、あえてやったとすると、ジャズ的な部分がかなり制約を受け、窮屈な音楽になってしまうであろうことは誰でも想像できるところなので、どちからといえばポピュラー・ミュージック寄りなところで受けることはあっても、ジャズという点からするとあまりまっとうに評価されなかったようです。

 このアルバムはおそらく「ウィズ・ストリングス物」の走りといえる作品です。とても有名な作品ですからご存じ方も多いでしょう。チャーリー・パーカーといえば、モダン・ジャズの開祖みたいな人で、ダイアル盤を筆頭にした全盛期のめくるめくフレーズの洪水の如く吹きまくる演奏は確かに凄いものがありますが、そうした盛りが過ぎて、結果的に晩年となった1950年にどういう風の吹き回しかストリングスとともに録音したアルバムがこれなんですね。当時はパーカーもヴァーブに映って商業主義に堕したという批評もあったようですが、その出来映えは素晴らしかった。ストリングスの優雅な響きとパーカーの良く歌うサックスが時に寄り添ってみたり、対照的な感情表現してみせたりと、まさにつかず離れずといった感じで、甘くてちょいと苦い、いかにも夜と酒が似合いそうな音楽は、求道的なジャズを理想とする方には、ちょいと軟弱だったでしょうが、これはこれでひとつのジャズの王道だったような気もします。

 それが証拠に、このアルバムをきっかけにした後続のジャズ・ミュージシャンは大物になると、そのステータスを証明するように大抵ウィズ・ストリングス物を作るようになったんですね。キャノンボール、ベン・ウェブスター、スタン・ゲッツ、クリフォード・ブラウンなどなど枚挙にいともがありません。でも、結局、このアルバムに匹敵するくらいのウィズ・ストリングス・アルバムってほとんどなかったような気がします。そのくらいここで聴けるエレガントなストリングスとパーカーの歌いまくる組み合わせの妙のようなものは、ある種のマジックのようなものすら感じるくらいですから。「ローラ」のような元々ちょいと退廃的な響きがする曲での、パーカーのフレーズにはほんと陶酔的です。

 そんな訳で個人的には大大大好きなアルバムなんですが、ただ、惜しむらくは1950年録音ということで、音が悪いのはちょいと致命的かもしれません、これがせめて10年後に録音されていたら....と思いつつ、音の悪さは酒と想像力で補って聴いております。今ももちろんそう(笑)。
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サンタナ/フェスティバル

2006年02月21日 00時08分48秒 | ROCK-POP
 サンタナの久々のメジャー・ヒットとなった「アミーゴ」の勢いを借りて作られた1977年発表の第8作。音楽的には全く前作と同一路線といってもよく、メジャーなポップ・シーンに目配せをしつつ、フュージョン的な心地路良さを従来のラテン風なリズムにミックスした70年代後半のサンタナ・モードといえます。とにかく前作同様何か吹っ切れたように、ひたすらポップで快適なサウンドを繰り出していく訳ですが、そのあたりに「サンタナってもっと不器用なロック野郎じゃなかったけ?」などと、若干の疑問をどこかで感じつつも、この心地よさには思わず脱帽してしまうというアルバムでもあります。

 収録曲では、冒頭のメドレー「カーニバル~子供達の戯れ~喝采」が圧巻。ホイッスルからいきなりラテンパーカッションの乱れ打ち、サルサ風のリズムを伴ってコーラスでひとしきり軽快に歌った後シンセ・ソロを挟んで、曲がミドルテンポになるとサンタナがギターが登場、ウェスト・コースト風なコーラスと絡みつつ、グレッグ・ローリーを思わせる懐かしいオルガン・ソロなども交えて、徐々にテンションを上げていくあたりはスリリングだし、そのピークでサンタナ的なリフが炸裂するラストの曲に雪崩れ込んでいく構成も見事です。前回も書いたとおりこの時期のサンタナはおそらくキーボードのトム・コスターが音楽を全面的に仕切っていたと思うのですが、この曲は「トム・コスターが翻訳したサンタナ・サウンド」の最良のものといえると思います。いや、こんな回りくどいことを書かずとも、既にサンタナの名曲なんだろうとは思いますが。

 他の曲では「ギブ・ミー・ラブ」「リーチ・アップ」はもろにAORサウンド、「レット・ザ・ミュージック・セット・ユー・フリー」「大河のように」はディスコ風とこの4曲あたりが一番ポップな曲となりそう。「真夏の夢」はジプシー風なアコスティック・インストでひょっとすると当時流行のサンタエスメラルダあたりを意識したのかも、「哀愁のボレロ」は「哀愁のヨーロッパ」の続編にあたる当時のサンタナのもう一方のメルクマールである哀愁の欧州ムードただようあの路線で、今回はボレロのリズムから始まるのがミソですかね。ラストとの「情熱のマリア」は冒頭のメドレーと呼応するサルサ風のリズムをフィーチャーしたホットなナンバーです。

 という訳で、これも「アミーゴ」に負けず劣らず充実した作品ということになりましょう。あっ、そうそう、全く個人的な好みなんですが、前作の「アミーゴ」と本作は随所でトム・コスターの弾くストリング・シンセが聴こえるんですが、この冷たい音色がなんともサンタナのサウンドにやたらと心地よいです。ストリング・シンセってイギリスのバンドの専売特許じゃなかったのねぇ。
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ハイドン 交響曲第13番「チェロ」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年02月20日 23時19分04秒 | ハイドン
 両端楽章が短く(約3分半)、中間楽章が長い(約5分半)という比較的珍しいバランスの作品です。全体から受ける印象ととしては、ささっとはじまり、充分こねくり回し、一陣の風の如く終わるという感じ。躍動的な部分が短く、ゆったりとした部分が長いというのは、重厚感を出しやすい反面、ダレ気味になるというところもあるとは思いますが、そこはさすがに職人ハイドンなので、いろいろ趣向をこらしている訳で....それでは、各楽章を軽くさらってみたいと思います。

 第1楽章は第1番の同楽章に似た感じの伸びやかな推進力とちょっとモーツァルト的な明るさを感じさせます。また、いつもどおりに短調もまじえた展開部を経て、主題が回帰する時にカノン風に現れるホルンは新鮮な印象がありますね。第2楽章はチェロを独奏に据えたアリア風の緩徐楽章で、子守歌のような心地よさとほのかな格調の高さを伴いつつ優雅な歌をチェロが奏でてなかなか魅力的。後半ちょっと感情がたかぶるようになる部分もよいアクセントになってます。
 第3楽章は型どおりのメヌエットで、主部はごくごく普通のメヌエットという感じではありますが、突然現れるティンパニに後年の「驚愕」を感じさせたりするのがおもしろいところですかね。トリオでフルートがバロック風な陰影を感じさせるソロをとるあたりがこの楽章の聴きどころでしょう。最終楽章は「ジュピター」を思わせる4つ音が導入に現れるのにちょっと驚きますが、これはこれ以前の曲でもありましたから、当時としてはありがちな音型だったのかもしれません、ただ、これがフーガのように幾層にも重なりつつ出てくると、やはり「ジュピター」を思わせずにはいられません。上昇していくよう感じもそういえばモーツァルト的ですね。

 さて、お約束の標題ですが、第2楽章のアリア風な旋律をチェロが歌うのが、個人的にこの曲のもっとも好きな部分であり、また聴きどころだとも思いますので、ここでは第1楽章後半のホルン、第3楽章のティンパニやフルート、第4楽章の「ジュピター」風な音型にはこの際目をつぶり(笑)、単刀直入に「チェロ」としました。うーん、やっぱちょっと芸がなさすぎるかな。
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伊福部昭の芸術6 交響的エグログ/大友&日本PSO

2006年02月19日 14時26分26秒 | クラシック(20世紀~)
 伊福部昭の芸術第6巻は、バレエ音楽「日本の太鼓」、二十絃箏とオーケストラのための「交響的エグログ」、フィリピンに贈る祝典序曲という、いずれも私にとっては馴染みが薄い曲が3曲ほど収録されています。もちろん初めて聴く訳ではありませんが(最後の曲は除く)、先生追悼記念ということで、今回はじっくりと聴いてみました。

 「日本の太鼓」は全4部に分かれ、総演奏時間に30分を要する大作です。初演は1951年とのことですが、第4巻に収められた「サロメ」は1948年ですから、時期的にはけっこう近接している訳ですが、扱う題材が全く違うことの反映でしょうが音楽的傾向もかなり違います。「サロメ」の方はどちらかといえばストラヴィンスキーの各種パレエ音楽と共通するような舞踏付随音楽というという感じでしたが、「日本の太鼓」は、音楽そのものの自立性が非常に高いというか、ほとんどストーリーやシチュエーションを考慮せず伸び伸び作った音楽という感じで、ちょっと大げさにいえば、まずは音楽があって、そこに舞踏がくっついてくるみたいな支配関係の逆転を感じたりする訳です(本当のところは違うんでしょうけど)。

 第1章と第4章は和太鼓の圧倒的な野太い打撃音とどこか北方的な響きやのどかで田園的な音楽が交互にフィーチャーされつつ音楽が進行していきますが、いかにも先生らしい日本的としかいいようがない音楽ではあるものの、ここでは特にそれが濃厚であり、ある意味、先生の管弦楽作品でも最も非西洋的というか、ドメスティックな響きが強いような気がします。第2章は「日本狂詩曲」の「夜曲」を思わせるような静謐で郷愁を誘う音楽を両端においた3部形式で、中間部は各種特撮映画でお馴染みの伊福部マーチ的な勇壮な音楽と和太鼓の共演という感じの音楽になります。第3章は鄙びたムードで演奏される間奏曲的な楽曲。ちなみに第4章は雄大に盛り上がった後のフィナーレは映画音楽のエンディングでお馴染みの全てが浄化されるようなあのムードです。

 二十絃箏とオーケストラのための「交響的エグログ」は、いってしまえば先生が作った1楽章制の箏協奏曲です。音楽的にはその他の協奏曲とほぼ同じような世界観をもってつくられているようで、北方の厳しい自然風景を想起させるような冒頭から、箏とオーケストラの絡みでドラマチックに進行していくというものです。中間部にはかなり長い緩徐楽章的なパートがあって箏が存分にフィーチャーされています。箏という楽器は一般には琴と書かれているようですが、箏と書くのが正解のようで、これを20弦まで拡張した二十絃箏という楽器がソリストとして登場する訳ですが、和楽器であるにもかかわらず、今時の日本人には馴染みが薄いせいか、ピアノとギターとハープを併せたような楽器に聴こえてしまうのか哀しいところでありますが、割と「雅やかな」みたいなイメージがあるこの楽器から、意外なヴェルトゥオーゾ風なフレーズを演奏させたりすることも影響しているんでしょう。
 なお前述の中間部では、何度か箏とハープが被さるところがあって、「東洋ミーツ西洋」などといったら先生に怒られるかもしれませんが、その音響はなかなか斬新なものがあります。

 フィリピンに贈る祝典序曲は近年発掘された作品で、「兵士の序楽」同様、戦時下に作られた一種の国策音楽です。2台のピアノが入っていることから協奏曲的なところもあり、全般に打楽器的なダイナミズムをメカニックに展開していくことなどと併せて、第5巻に収録された「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」にちょっと近いムードもあります。後、2台のピアノで冒頭から鳴り続けるガムラン風のフレーズがあるせいか、ミニマム・ミュージック的なモダンさが期せずして感じられるのはおもしろいところでしょう。
 あと、こういう機会音楽故の類似なのかもしれませんが、はるか後年、坂本龍一がバルセロナ・オリンピックのためにつくった「地中海のテーマ」と、その構造といい、コンセプトといい、極めて類似していると感じるのは私だけでしょうか。
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R.シュトラウス管弦楽作品集/アバド&LSO

2006年02月19日 11時34分02秒 | クラシック(一般)
 これも先日、オークションにて格安で落札したもので、価格は約600円でした。内容はアバドが中堅のスター指揮者だった80年代前半頃、LSOとのコンビで収録したR.シュトラウス集です。彼がRシュトラウスを交響詩を振ったアルバムというのは、あまりないと思いますし、エバーグリーン的な名盤として、これが再発され続けているという話も聞きませんから(とはいえ発売当初はかなり評判良かったような記憶ありますが)、現在ではけっこうレアなアルバムなのかもしれません。それが600円というのは良い買い物だったかも....。

 収録曲は「ドン・ファン」、「ティル」、「死と変容」という、アナログ時代特有の組み合わせです。前2曲が旧A面、3曲目が旧B面になる訳ですけれど、無理にこじつければ、この組み合わせは「三楽章の交響曲」みたいな感じで聴けるのが良かった。「ドン・ファン」がソナタ形式のアレグロで、「ティル」がスケルツォ、「死と変容」は統合化された緩徐楽章と最終楽章みたいな感じで、メリハリといい、60分にという演奏時間といい、実に塩梅が良かったと思ってます。現在はCDの収録時間を考慮しているか、「死と変容」のかわり「ツァラトゥストラ」が入ったり、「ドン・ファン」「ティル」はもっと長い曲のフィル・アップに回ることも多いので、そのあたりすっかりくずれてしまいましたけど....。
 なので、分散してしまったこの3曲を、CDRに再構成することもけっこうある訳ですけど、これはちとこだわり過ぎか(笑)。

 さて、アバドとLSOのコンビによる演奏ですが、速いテンポでリズムの切れが良いとてもすっきりとした演奏を聴かせてくれます。このところカラヤンの70,80年代のこってりして重厚な演奏を聴いてきたので、余計そう感じるのかもしれませんが、これらの曲の標題楽的な側面にはあまり拘らず、音楽のフォルムというか流れのようなもの重視した演奏という感じです。例えば、「ドン・ファン」では、第1主題と第2主題をあまり極端に対照せず、あくまでも「全体を構成するためのパーツ」として、ひとつの流れの保持しつつ演奏しているようで、あえていえば古典的なプロポーションを感じさせる仕上がりになっているんですね。まぁ、このあたりはアバドの美点でもあり、同時のこの指揮者のもの足りないところでもあるんですが、とにかくRシュトラウスに対して、ひとつの見識を見せた演奏ということになると思います。

 一方、「ティル」では、この曲のモダンなオーケスレーションを際だたせているのが印象に残ります。奇怪な音響を多用したグロテスクなくらいダイナミックなスケルツォという側面をこの演奏では強く感じさせるというか、この曲がドビュッシーやストランヴィンスキーと同じ時代の音楽だったことを思い起こさせるというべきか、ともかくこの曲に潜むモダンなセンスを引き出した演奏とえるでしょう。また「死と変容」では、両端に置かれた緩徐楽章的な部分とワーグナー風に荒れ狂う中間部が「ドン・ファン」と同じ要領であまり極端に対照されず、すっきりとバランスさせたモヤモヤしないクリアな「死と変容」という感じです。
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サラ・ヴォーン/イン・ザ・ランド・オブ・ハイ・ファイ

2006年02月19日 00時38分23秒 | JAZZ
 エラ・フィッツジェラルドと並ぶジャズ・ヴォーカルの女王サラ・ヴォーンには傑作が沢山ありますが、これもその50年代中盤のモノラル期にマーキュリーに残した傑作で、個人的にも特に好きな作品です。知名度の高い作品ばかりを取り上げ、ビッグ・バンドが伴奏に回っている点などからすると、比較的ポピュラー寄りなボーカル・アルバムかと思われがちですが、ここでのサラ・ヴォーンはほとんどライブと思わせるようなスウィング感を縦横に発揮していますし、スキャットをはじめてジャズ的なインプロバイズという点でも傑出しています。おまけにキャノンボールのアルトという豪華なオマケまで付いて訳で、個人的には「もうたまらん」的なジャズ・ヴォーカル・アルバムなんですね。

 そんなこのアルバムのいいところが、1曲につまっているのが6曲目の「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」ということになるんでしょうか。実はこの曲2分半しかないのですが、豪快にスウィングするビッグ・バンド・サウンドをバックに、サラがワン・コーラス歌うと、すぐさまキャノンボールのアルトが登場、チャーリー・パーカーを思い起こさずにはいられない歌いまくるフレーズを披露して、今度はそのままサラのスキャットとキャノンボールのソロの掛け合いでホットに展開するあたりは、私の考えるジャズ的な音楽的感興のひとつの理想像という感じで、ジャズのおいしいところがつまっているのです。いや、今聴いているところなのですが、やっば最高、この4倍は聴かせて欲しいという気がするほどです。ちなみに「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」といえば、エラの十八番な訳ですが、このスキャットを聴くとエラに全く負けていません。さすがです。

 他の曲も押しなべて出来が良く、この時期のサラがもっていた天衣無縫としかいいようがないヴォーカルと、ダイナミックにスウィングするアニー・ウィルキンズのビッグ・バンドがぴったりと合って、しばし幸福な時間を過ごさせてくれます。「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」と同傾向なアップテンポな作品というと、3曲目の「チェロキー」あたりが楽しめます。ここでもキャノンボールがこれ以上ないというくらいに曲のムードにあった都会的なソロを披露していて聴き物。一方、ビッグ・バンド・サウンドとサラが絶妙に絡むのが、5曲目「ドント・ビー・オン・ジ・アウトサイド」や11曲目の「ホワイ・キャント・アイ」あたり。あと2曲目「スーン」もちょっとアーシーなスウィング感もなかなか....という訳で、やっぱこのアルバム大好きです。
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