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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

諸井誠/ピアノ名曲名盤100選

2010年04月03日 23時02分26秒 | Books
 本棚をあちこち探していたら懐かしい本が出てきた。マコトニオ・モンロイこと諸井誠が書いた「ピアノ名曲名盤100本」である。発行年月日をみると昭和55年6月20日とあるから、調度私がクラシックに耽溺していた真っ最中だった21歳の時である。これを出した音楽之友社は、当時オン・ブックスという名の新書による音楽入門シリーズを多数出していて、これもその一冊だったと思う。
 諸井誠は諸井三郎のご子息で当時気鋭の作曲家だったのだが、なぜだかこの手の文筆業も盛んで、オン・ブックスでは「これがクラシックだ」とか「名曲名盤100選」の交響曲編なんかもあったし、他社でも多数の新書による入門書の類を書いていて、私もその大半は購入して愛読していたような記憶がある。そもそも私が諸井誠の文章を読んだのは、中学の時に購入した「これがバッハだ」というCBSソニーから出た2枚組のバッハ入門アルバムのライナーだったと思うのだけれど、「群盲像をなでる」をキーワードにバッハを指南した解説はとてもわかりやすく、バッハが身近に感じられたものだった。

 さて、この本を探してみようと思ったきっかけは、このところ聴きまくっているリストのピアノ・ソナタである。確かあの本にはアルゲリッチの弾くリストのピアノ・ソナタを、なんだか膝をうつような文章があったような記憶があり、それがなんだったか、無性に確かめたくて、探してみたという訳だ。で、読んでみると、くだんのフレーズはこうであった。曰わく『アルゲリッチのような情念的、発散的な演奏は、七面倒くさい複雑な構造を感情の推移に還元して、理屈抜きに、この曲をショパンの幻想曲とか、バラードのように楽しませてくれることだろう』。先日、私がアルゲリッチのところで、くどくどと素人臭く書いた趣旨というのは、まさしくこういうことだったのだ。しかも短くて簡潔、さすがである。ひょっとして、私がアルゲリッチの演奏を聴いた感じた印象は、実はこの文章を私が無意識に覚えていて、それが影響しているかもしれないと思うくらいだ(笑)。
 ともあれ、この部分をきっかけにブラームスだのチャイコだの項目をあれこれ読んでいくうちに、当ブログで書いているいくつかの駄文は、ずいぶん諸井誠氏の文章を、無意識に頂いしまっているところが、実に多いなとも感じた次第だ。恥じ入るしかないのだが、それだけ20代前半に読んだこの本の影響が大きかったということでもあるのだろう。
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仲正昌樹/ネット時代の反論術

2010年03月05日 23時42分24秒 | Books
 確かこれは一度読んだことがあるような気がするのだが、ヒマ潰しに駅で購入したものをこの2,3日読んでいる。「ネット時代の反論術」というタイトルからして、ブログだの掲示板だので、論争になった時にどう相手に反論するかみたいな内容を期待して購入してくる人も多いと思うのだが、実際に読むと確かにそういう部分もあったりはするのだが、意外とその前段に当たる部分に多くの筆を費やしている。いわく、ブログでやっているのは議論ではなくて単なる罵り合い、ネットでやっている論争など反論するに足るようなものはほとんどない、匿名で口汚く何か書き込んで来るやつに反論するなんて労力の無駄、そもそも議論をして何かひとつの真理へと導かれることなどほとんどない....といった具合である。つまり、「あなたが一生懸命になって、ネット内の誰かに勝とうとしていることは、本当に価値のあることですか」みたいなことが延々と書かれている。

 書かれていることはまったくその通りで、ふんふんうなずくことばかりである。私など最近はすっかり大人しくなってしまい、パソコン通信時代のように口泡飛ばして掲示板で議論することなど、今では全くなくなってしまったが、思い出してみるに、この手の議論というか、半ば罵り合いみたいなものは、なんであんなことで熱くなっていたのかと思い出すことばかりであった。某巨大掲示板群などでは、毎日のようにそうした罵り合いが展開しているが、その大半はおそらくどうでもいいような性質のものだろう。
 ネットの掲示板とかブログでは、例えそこにたまたま10人しか閲覧者がいなかったとしても、なんだか世界中の人に注目されている見たいに思えてしまう特殊環境なので、ああいう場所で否定的な意見が書かれたりすると、いきなり自分を全否定されたような気がしてしまい、ついこのまま引き下がれるか!みたいになってしまうのだろう。で、「オマエはオレの文章を良く読んでいない、オレは前にこれこれこう書いている、まずそれを良く読め」「いや、かつてアンタはあそこでこう書いている。これとそれでは云っていることが矛盾してるじゃないか」みたいな応酬に陥ると、もう泥沼は目前(笑)、あとは体のいい罵り合いになるだけである。この本ではこういう状況に対し、-繰り返しになるが-「あなたが一生懸命になって、ネット内の誰かに勝とうとしていることは、本当に価値のあることですか」といっている訳だ。

 もっとも、それだけではタイトル倒れになってしまうと思ったのか、具体的な反論術も最後の方にはいくつかは出てくる。例えばトラウマの移譲(スライド)なんて、おもしろい。「論の立て方が弱い」とか行ってくるような連中は、自分がかつてそういわれてトラウマになっているというからそこ突けという訳で、これはネットというより実際の対人関係に役立ちそうで大いに参考になった。あと「理性的なフリをして相手を苛立たせる」、「相手の行為の深刻な帰結を指摘する(こんなこと書くと××団体が黙ってないよ)」とかはネットに限らずこういう議論が上手い人はみんながやっている常套手段であるが、実際にこういう形で読むとけっこう目から鱗なところはあった。
 そんな訳で、この反論術の部分自体もなかなかおもしろいのだが、結局はそこまでパワーを費やして、相手に勝ったとしても、それが一体はどの程度のものか、「バカに対して反論するなんて、基本的にレベルの同じバカのやることだから、やめといた方がいいですよ」という結論を導いてくることになる。うーむ、確かにその通りではあるのだが、まぁ、「そう割り切れれば人間苦労しねーよ」みたいに思わないでもないが(笑)。
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平成22年 明けましておめでとうございます

2010年01月01日 00時28分51秒 | Books


※ 作った後に「トラ」ではなく「豹」だということに気がついた(笑)、
 悪趣味で間抜けな没ヴァージョンデス。
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桂三木助/芝濱

2009年12月31日 22時27分38秒 | Books
 年末....というか、大晦日の個人的な定番は落語「芝浜」である。「芝浜」が年末の風物詩などというのは、世代によってはもはや説明無用なことだろうが、この噺の概略を一応wikiからの引用しておくと、『酒ばかり飲んでいる男が芝浜で大金の入っている財布を拾う。しかし拾ったはずの財布がなくなる。妻の言葉によって「財布を拾ったこと」は夢であったと諦める。男は改心して、懸命に働き、立ち直り、独立して自分の店を構えるまでに出世する。後に妻から実は妻が財布を隠していたという事の真相を知らされる』というもので、この「事の真相」を妻から知らされるが大晦日....という設定になっているからである。この「芝浜」は、現代の落語家はけっこう取り上げているようだが(立川談志など)、その昔は桂三木助の十八番だったようで、私が愛好しているこの三木助の高座を収録したCDである。

 さて、この三木助の芝浜だが、有名な前半、絵画にも例えられる芝浜の描写も見事なものだが、魚屋の主人としてひとかどの親方になった主人公と妻のやりとりで進む大晦日の情景が実に雰囲気があっていい。「銭湯」、「飯台」、「勘定は春永にゆっくり」、「高張り」、「畳の張り替え」、「門松の音」、「明日はいい元日だ」、「年越しそばのどんぶり」と様々な道具立てで、大晦日の情景が描写されていくのだが、この江戸前としかいいようがない、気っ風がよく、リズミカルな三木助の話術でもってこれを聞かされると、「かつての日本のそこかしこにあった大晦日」を、実にリアルに感じ取ることができ、しばし、なんともいえなく懐かしくて幸福な気分になれるのである。ちなみに、私が良く聞いているのこのCDは、なんでもラジオ用の短縮されたヴァージョンらしい。全長版というのはきっと、より濃い江戸情緒があったに違いない、あったらいつか聞いてみたいものだ。
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入江曜子/溥儀 ~清朝最後の皇帝~

2009年11月18日 22時34分33秒 | Books
 先日、12月25日に「ラストエンペラー」はNHKのBShiで放映される。この作品は公開時に劇場でみたし、今回オンエアされるらしいディレクターズ・カット版もビデオで観ているのだが、イタリア最後の巨匠ベルトリッチが作り上げた畢竟の大作を20年振りくらいにじっくりと観てみようと目論んでいるのだが(まぁ、DVD購入するか、レンタルしてきてもいいんだけどね-笑)、その前に本編の復習(予習?)もかねて、こんな本を購入してみた。一昨日、一通りざっと最後まで読んで、現在再読中ところだが、歴史に翻弄され数奇な運命を辿った愛新覚羅溥儀の生涯を、新書というコンパクトであれ正面からまとめた伝記である(岩波新書)。

 私は溥儀に関する著作はほとんど読んだことがないので、他と著作と比べどうこういう立場にないが、本書は最初にふたりの溥儀が写ったトリック撮影の写真から話しが始まるところからも明らかなとおり、「彼の生涯は、清朝最後の皇帝として、祖業を復活する『復辟』を担わされた一人と、その宿命から逃れて此処ではないどこかへ、自分ではない誰かになりたいというもう一人が見え隠れする(略)おそらく少年の日に、二つの人格をそのまま内に抱えこんでしまうことで楽に生きることを知った永遠の少年である溥儀の溥儀たるゆえん(後書きから引用)」という視点でもって彼が生涯に語っている。彼が行った数々の不可解な行動は、自分の置かれた状況を敏感に察知し、周囲が期待していることに応えてしまうという行動パターン故らしいが、その根源にこういう本質があるという訳だろう。なかなかおもしろい。

 本書が膨大な資料を元に書かれていることは歴然としておりに、特に溥儀をとりまくの女性については、興味深いエピソードなども沢山書かれているのだが、時に木を見て森を見ずみたいになってしまいがちなのは多少気になった(これはこれで著者の個性というべきなのかもしれないが)。ただ、まぁ、200ページ余りで清朝末期から満州、そして終戦後はシベリアから帰国して文革までの激動の歴史を語るには、やはり全体に駆け足になってしまうのはいたしかたないところかもしれない。特に前半の清朝の末期、あるいは中盤の満州での、入り乱れる人間関係や社会情勢を語るには、この倍くらいの分量があっても良かったかなと思う。
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アンソニー・バークリー/毒入りチョコレート事件

2009年09月15日 23時51分52秒 | Books
 ちょいと前に「幻の女」の後に読んだもの。これを最初に読んだのは確か中3か高1の初読以来、カーの諸作品やなどと同様、もう何度読んだかしれない、私にとってのエバーグリーン的作品である。この作品の眼目は登場する6人の探偵たちが、様々な方法に立脚した推理合戦を行うところにあり、私はこのプロセスに異常に興奮した。ひとりの探偵から一見合理的で非の打ち所がない推理が披露されると、たちどころに他の探偵から難点や矛盾が指摘され、あっという間にその理論が瓦解したり、前の探偵が全く無視した手がかりから、意外な推理を導きだしてみたりと、大げさにいえば価値観の転換が連打するその展開は緩急自在、興奮しながら読みながら、「自分のこういう探偵小説が好きなのか」と妙に納得してしまったところすらあるくらいである。

 以来、私はこの種の推理合戦が火花を散らす作品が大好きになり、その後、「虚無への供物」や「匣の中の失楽」といった作品に遭遇、再び大興奮したりする訳だけど(順番違ったかな)、わたし的にはこの作品がそうした走りだったような気がする。ちなみにこの手の作品はその性格上、いわゆる本格物のパロディにならざるを得ないところがあり、この作品も多分にそういうところがある。「理論的に犯人の条件を満たすのは自分しかいない、しかし自分は犯人ではない」みたいなものである。そのあたり「虚無」だと文学性、「匣の中」はポストモダン的なペダントリーみたいなものが、本格推理が逸脱する領域に浸食したりするのだけれど、この作品は理論づくで推理していくプロセスをシニカルに眺めていて、まっとうな本格物にもかかわらず結果的にパロディになっているみたいなところが、今読むとよく分かっておもしろい。

 ちなみに、バークリーは第二次大戦前の本格が黄金時代だった頃の英国の推理小説作家だが、「ピカデリーの殺人」とかアイルズ名義の「試行錯誤」、「レディに捧げる殺人物語」、「殺意」といった、通常の本格物をひねりまくったような設定の作品が多く、個人的には大好きな作家だ。「試行錯誤」などパロディ的な側面からすれば本作を上回る作品だし、チタウィックがひょんなことから事件に巻き込まれる「ピカデリーの殺人」の冒頭部分の、英国的としかいいようがない雰囲気などもずいぶん楽しんで読んだ記憶がある。ふと気がついたので、検索してみたら、以前は翻訳されておらずタイトルだけ知られてた「最上階の殺人」とか「レイトンコートの謎」も、現在ではしっかり翻訳されているようだ。気がむいたら読んでみたい。
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アイリッシュ/幻の女

2009年08月21日 21時03分07秒 | Books
 以前にも書いたけれど、私は中学時代からひとかどのミステリー・ファン....いや、探偵小説ファンを気取っていた。高校時代ともなれば、探偵小説を読み漁るだけでなく、雑誌「幻影城」を定期購読したり、様々な評論を読んで読んでみたりと、今から思えばけっこう本格的なファンだったように思うが、やはり興味の中心は密室だの、アリバイ崩し、読者への挑戦....といった本格物にあって、サスペンス・ミステリ的なものにはほとんど感心がなかったし、あえて読んだとしても、自分的にはほとんど記憶に残らない作品ばかりだった。
 アイリッシュの「幻の女」はほとんど唯一、その例外といえる作品である。サスペンス・ミステリの古典ともいえる作品で、終戦直後にこれを読んだ乱歩が感激して「世界10傑に値する」とか激賞して、一躍知れ渡った作品だが、自分が読んだのはそういう理由によって、けっこう後、多分二十歳くらいの時だったように思う。当時の記憶はほとんどないが、トリックだのなんだのというより、独特の雰囲気と、死刑まであと何日というカウントダウンというせっぱ詰まったストーリー、そしてラストの大どんでん返しと....と、一気に読了し、「さすがにこれは名作だ」と膝を打ったことだけは覚えているのだが、それから約30年後の今日、ほとんど気まぐれこの本を読んでみた(よく自宅に残っていたよな)。

 さて、再読して感じたのは、冒頭の有名な書き出しに象徴されるように、この作品、ニューヨークの雰囲気がもうムンムンするように漂っていて、これがなんとも独特の雰囲気を醸し出している。作品のストーリーなどもさることながら、まずはこの雰囲気の中、かぼちゃ色の帽子をかぶった謎めいた女(この後「幻の女」ににる)に主人公が出会い、彼女とともにバー、食事、劇場、そして元のバーに戻るというエピソードが、様々な雑踏の描写ととも実にいい感じで描きだされている。私はニューヨークなど行ったこともないが、こういうストーリーはニューヨークであるが故のリアリティともいえそうで、実をいうと今回再読してこの部分にもっとも魅力を感じてしまった。
 ストーリー的には全く忘れていて、ほとんど初めて読むのとほとんど変わらないくらいだったが、主人公に変わって探偵役を務める親友、恋人が、やはりニューヨークを彷徨うように「幻の女」を探していくプロセスも、スリルとともにある種の詩情すら感じさせて読んでいて楽しかった。もっともラストは広げすぎた謎をちとまとめあぐねたようなところがないでもないし、「幻の女」の正体はそのままにしておいた方がよかったような気がしないでもないが....。いずれにしても、やはりこの小説、冒頭のエピソードがとにかく強烈に魅力的だ。
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中川右介/世界の10大オーケストラ:

2009年08月05日 22時33分02秒 | Books
 「カラヤンとフルトヴェングラー」、「カラヤン帝国興亡史」、「巨匠たちのラストコンサート」、「松田聖子と中森明菜」など執筆した中川右介の最新刊である。今回はタイトルからも分かるとおり、世界の有名オーケストラを十ほど選び、その権力闘争の歴史を辿りながら、ヨーロッパ近現代史を敷衍していくというものだが、前書きにあるとおり、この本にはまるで循環主題のようにカラヤンが登場し、直接、間接にそれらのオーケストラとどのように関わったかも記述されているのが特徴である。ベルリンやウィーン、フィルハーモニアにパリ管以外のオケまで、けっこうカラヤンと因縁づけているあたり、この本がカラヤン・シリーズと密接な関係にあり、著者にとってカラヤンは並々ならぬ興味の対照であり、大きなテーマになっていることをにおわせている。

 さて、内容だが十もオーケストラを扱っているせいで、分量的には膨れあがってしまったのだろう。同じ幻冬舎の新書だが、これまでの倍の厚さはあろうかというボリュームである。ただ、一冊の本に十もののオーケストラの歴史を近現代史を絡ませつつ、権力闘争の歴史として描くということは、「巨匠たちのラストコンサート」のようにアーティストの終末点にスポットをあてるのならともかく、今回はさすがに著者にとってその縛りが足かせになってしまったのかもしれない、結果的に権力闘争や歴史的な人物の意外な交錯といった著者らしい切り口が薄手になってしまい、時に歴史を素描しているだけみたいなところが散見する(ドレスデンのように歴史が長いオケだとそういう傾向が強い)。できるうることならば、この更に倍くらいの分量にして、著者らしい遊びを入れるか、思い切って省略を取り入れた方が、テンポ感の良い本になってのではないとも思う。

 とはいえ、私のような浅学な者には、有名オーケストラの成り立ちだの、歴史だのは初めて知ることばかりなので、いつも通り一気に読んでしまったというところだ。特におもしろかったのは、ニューヨーク・フィルの章で、愛好家クラブから同じエリア内の覇権争い、そしてマーラーやメンゲルベルクが関わり、やがてバーンスタインの登場するあたり、このオーケストラの持つ、意外にも「濃い歴史」がかいま見れて、実に興味津々であった。できれば、これだけて一冊の本にしてもらいたかったくらいである。また、レニングラード・フィルとムラヴィスキーのコンビをベルリン・フィルとカラヤンのライバルに位置づけているあたりの視点もなかなかのもの。イスラエルがカラヤンを拒否しつづけたエピソードなども、歴史の一断面を見る思いで興味深いものあった。
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春日武彦&平山夢明/「狂い」の構造

2009年06月18日 23時49分06秒 | Books
 精神科医、春日武彦と小説家、平山夢明との対談集、私は寡聞にして両氏に関してはまったく知らないのだが、それぞれのそういう分野でのエキスパートではあるらしい。このご両人がアカデミックという言葉とはほとんど無縁な、いっしまえば非常に下世話な雰囲気かつ乾いたユーモアが横溢する口調でもって「人が狂うこと」あるいはその前段階になるであろう諸相について、あれこれ蘊蓄を傾けるという趣向だ。

 この本のおもしろいところは、おそらく読んだ方が誰でも指摘するであろう。日々の生活に潜む「面倒くさい」が、もろもろの「狂い」への揺籃器となっていることを指摘している点だと思う。企業の不祥事だとか、端からみていて「どう考えても変な事件、おかしい出来事」など、そもそも「面倒くさい」がトリガーになって引き起こされるのではないか、といっている訳だ。
 確かにそうだろうと思う、自分も振り返ってみると、たいてい自分の部屋が荒れ果てているような状況というのは、なにもかも全てが面倒くさくなって、おおよそ知的だとか生産的というようなものとは逆の、ただただ怠惰な日常生活に埋没していることが多い。こういうところから人は狂い始めるのだといわれれば、確かにそういう気がしてくる。

 あと、おもしろかったのは「バルンガ病」という言葉。バルンガというのはウルトラQに出てくる、なんでも吸い込んで際限なく肥大していく雲のお化けみたいなモンスターだけれど、あれになぞられえて、己のプライドが異様にふくれあがってしまっている人たちの症状をいっているらしいのだが、そもそもこのネーミングがヤケに笑えることに加えて、「いるいる、こういう身勝手な理論で、けっこう世の中泳いじゃってる人って~」と妙に納得してしまうのだ。
 本にも出てくるのだが、金はないわけでもないのに、「義務教育なんだから給食は払わなくていいハズですぅ」とか「そもそも義務教育って、無料であるべきじゃないのぉ」とか、まぁ、主張するのは勝手なんだけど、その理屈でもって本当に払わないことを実践しちゃってるバカ親とか、ああいう人たちのプライドというか、いわゆる王様理論などその典型だと思う。

 そもそういう日常生活に潜む「おかしい人、変な人」から、「狂い」というものを引き出してくる切り口はおかしい....じゃなく、とてもおもしろい。ついでに書けば、そういう日常に潜む精神の裂け目のようなものに、自分も日常的に隣り合わせになっていることをふと感じさせ、思わずひやりさせられるあたりにけっこうな「深さ」も感じさせる。おふざけみたいな会話もあるが、その情報量、深度はなかなかのものがある。
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中川淳一郎/ウェブはバカと暇人のもの

2009年06月10日 09時37分12秒 | Books
 非常に痛快でかつ読後にはなんだかけっこうな無力感に襲われる本だ。ネットにはWeb2.0に代表される、新しい技術に対するほとんど楽観的ともいえる、「これが人類の未来を築く」的な礼賛がある一方、あまたの犯罪を筆頭に、渦巻く誹謗中傷、そこまでいかずともやけにドロドロに人間関係だのに「ネットっていつからこんなしょーもないカオスになっちゃったのよ」みたいな現状も厳然とある。

 私のようなネットのあれこれで飯食う人間にとって、この両者がなんか渾然一体となった今のネットという訳のわからない世界は、妙に居心地の良さそうでいて悪く、常に釈然としないものを感じ続けている訳だけど、この本ではそのあたりを「集合知だの、ロングテールだのいってるのは頭の良い人だけで、ネットユーザーの大半はバカと暇人」と過激に定義している。最初は「おいおいこんなこといっちゃったら炎上しちゃうぜ」とか思いながら読んでいたのだけれど、なにしろ出てくる話などを読むにつけ、「ウェブはバカと暇人のもの」がいちいち納得できる事例ばかりなのだ。

 いちいち例はひかないけれど、この本に出てくるネットに生息するオバカな例の数々は本当に身につまされるものばかりである。実際にこういう現場にいるといたいほど良くわかる。ネットというのはお互い顔が見えず、匿名性もけっこう高いため、普通なら我慢するようなことも思わず発散してしまう人が多いからだろうけれど、まったく自らの価値観が全世界に通用するものとスタンダードと思いこみ、ネット内で「我こそ正義」とばかりに、攻撃的意見だの糾弾だのをまくしたてる「仮称:正論クン」とかは、その最たるものである(かくいう、私などさしずめ「暇でおバカな仮称:知ったかクン」だろうな)。

 結局、ネットというのはそういう人達の集まりであり、ある種の理想主義だの、思いやりだの、知性至上主義だのを前提にして、ネットで地図を描いてみたところで、絵に描いた餅になってしまうというところだろう。本書はそうした意味で筆者がネットで物の見事に敗北した記録にもなっている。本書の最後にある敗北宣言とはそういう意味であり、私が暗澹たる気持ちになったのもまさにその点であった。なので、この本、おもしろいけど、最後には妙に気分が滅入るのである
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京極夏彦の「百鬼夜行」シリーズと新ウィーン楽派の音楽

2009年04月10日 23時52分55秒 | Books
 先の日曜くらいからのことだったが、ある方の日記上であれこれコメントしていくうちに、ひょんなことから再読したくなって。ここ2,3日久しぶりに夢中になって読んでしまったのが京極夏彦の「絡新婦の理」という作品。もともとその方の日記では北朝鮮のテポドン(?)が日本の上空に飛来する話題がメインだったのだが、ネットでの会話ではありがちなこととはいえ、こういう話題の飛び方はなかなかおもしろい。時に話を意図的に横道にそらした本人ですら、意図せざる方向に話があれよあれよという間に進んでいったりするのである。今回は、北朝鮮のミサイル発射に何故か理解を示す、某政党の女性党首の話から、フェミニズムの話になり、それが憑き物の話に発展して、そのあたりを包含した新たな話題として、「絡新婦の理」という作品の話が登場したというところかもしれない。こう書いていくとなにやら必然な流れを感じさせるが、実際はそうでもない。適当な偶然である。

 さて、そんなきっかけで再読した「絡新婦の理」だが、めっぽうおもしろかった。舞台となる場所は、馴染みある千葉県の勝浦市、季節は今と同じ桜舞う春ということで、TPOもぴったりだ。三読目だから荒筋だの真犯人だのは覚えているが、ディテールは忘れている部分も多く、通勤時や出張の移動時間、自宅で就寝前などを利用して読んでいたのだが、木場、榎木津、京極堂にせよ、事件の全体のからくりがおぼろげに見えていながら、いやおうなくその事件にの駒として取り込まれていってしまうあたりのプロセスがおもしろいし、三つくらいのストーリー(目潰し魔、勝浦、ミッションスクール)が前半はほとんど交錯することなく進行し、中盤当たりから畳みかけるように収束していく様は、京極らしいストーリー・テーリングに翻弄される楽しさがあった。またサブストーリーとして出てくるフェミズムの問題も女性拡張論者という名で登場人物達に様々な正論を語らせつつ、結局最後でその理論の浅薄さを論破してしまう構造も中々のものだ。

 ちなみにタイトルのことだが、移動中はそういう音楽を聴くこともあまりないのものの、自宅でゆっくりと京極作品を読むときは、そのBGMに新ウィーン楽派の音楽をかけることが多い。特にシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンあたりの無調時代の音楽は、その世紀末的に退廃的なムードと、、ある種の官能や情動と明晰な合理性が奇妙に混濁して共存、つまり無意識な流れを音楽化したような混沌さがあるけれど、京極作品の陰湿で暗く、ドロドロしてはいるが、基本はあくまでも謎解きである作品の特徴にけっこう共通するのではないか?と個人的には思ったりしているので、こんなタイトルになった。深い意味はない。
 ちなみに先ほど、「絡新婦の理」の勢いを借りて、早々と「姑獲鳥の夏 」も再読してみたが(こちらは四読目くらい?)、BGMはもっぱらポリーニが弾く「新ウィーン楽派のピアノ音楽集」であった。
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あけましておめでとうございます

2009年01月01日 15時39分25秒 | Books
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金聖響 玉木正之/ベートーヴェン交響曲

2008年01月22日 09時00分04秒 | Books
ここ1,2週間くらい暇をみて拾い読みしている本だ。金聖響と玉木正之によるものだが、内容としては頭と最後にふたりによる対談、そしてこの本の大半を占める中間部分を金聖響という指揮者による全9曲の解説という構成になっている。曲目の解説とはいっても、権威主義的で四角四面なものでは全然なく、今時のボーダレスなリスナーを意識したようなカジュアルな口調で-例えば「ロックしている」「ノリノリで」といったフレーズが頻出する-ベートーベンを語っているのがおもしろい。また、指揮者としてベートーベンがどう見えるのか、オーケストラと対峙した時にどうか、歴史的な解釈の問題などなど、さらりとした口調ながら、音楽的な情報量もけっこう豊富であり、文章でもって楽しくベートーベンの音楽を追体験できるという感じだ。第1番第1楽章冒頭の奇妙な響きなど、これまで「おや」と思っていたところを、何故「おやっ」「あれっ」と感じるのか、実にわかりやすく解説してくれているが、ここなど本書の白眉だと思う。

 という訳でけっこう楽しく読ませてもらっているのだけれど、困ったことは今現在私があまりベートーベンを聴く気分ではないということだろうか(笑)。ベートーベンの音楽が持つ、押しの強さ、説教臭さ、重厚長大感などは、私にとっては気分が乗らないとあまり音楽として説得力がないのが正直なところなのである。ベートーベンについては3年近く前に、序曲集をあれこれ買って聴き比べをしたことがあったし、丁度2年前の今頃は「ディアベリ変奏曲」を聴いていたりもして、それらについては当ブログでも書いた記憶があるけれど、ともあれ最近とんとご無沙汰だったもので、この本がきっかけとなって交響曲の方もどうかな....と思ったのだけれど、残念ながらあれこれひっぱりだして、じっくりと聴いてみようとというところまでいかなかった。まぁ、とりあえず、Walkmanにはヨッフムの旧全集を入れて、折りにふれて聴いてはいるのだけれど....。しかし、この全集、全編にわたっていかにも重厚長大なベートーベンという感じで、1番や2番、あと8番といった、比較的軽い作品でも実に希有壮大に仕上げているのは、戦前のスタイルを色濃く感じさせておもしろい。
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岡嶋裕史/iPhone -衝撃のビジネスモデル-

2008年01月10日 23時06分43秒 | Books
 私は技術者ではないけれど、ネットでのあれこれを生業にしている人間なので、しばらく前にWeb2.0とかロングテールだとかそういうものは、けっこう以前から興味があったのだけれど、しばらく前にちょっとしたベストセラーになった(?)「ウェブ進化論(梅田望夫)」という本をけっこう早く読んだクチである。この本は前述のWeb2.0とかロングテール、あとGoogleが何故革新的なのか....といって、今時のネットのトレンドにについて、とても分かりやすく交通整理してくれた趣もあった本で、その点について筆を費やした-特に前半-部分は楽しく読めただけれど、読み続けるにつれ、あまりに楽観的なネット礼賛調が続くのでいささか辟易した覚えがある。この手のイノベーションというか、そのきっかけみたいなものが出てくると、必ずそのあれこれを太鼓を叩いたり、笛を吹いたりするヤツが出てくるだけれど、必ずしもその人達の云うとおりにはならないことは、Gui、ML、web、Java、P2P、などなど、もうこれまでに私たちはけっこうな学習してきたからだ。

 さて、この本であるがおもしろいのは、この本の前半では明らかに「ウェブ進化論」のアンチテーゼ的な趣旨で話しが進んでいく。いわく「Web2.0は本当のビジネスモデルになっていない」、「新しいネットサービスは本当に使いやすいのか」「ネットは無料サービスでなくてはいけないのか」などなどである。この本はそのあたりをまず述べて、問題点となるのは要するに「面倒くささ」であると結論ずける。新しいインターフェイスを覚えるのが面倒くさい、金の決済がいちいち面倒くさいというのが障壁となっている訳である。
そこで、登場するのがiPhoneである。なにしろ、このキカイのインターフェイスは革新的であり、雑多なインターフェイスを一元的に管理しうる多様性があって、しかも金の決済は電話料金の徴収という形でクリアできるから凄いということになるらしい。どうも私自身がへそ曲がりなせいか、「そんなに凄くても、今の日本の現状じゃ、人間がもう今のケータイのインターフェイスに慣れてしまっているのでは?」とか、ついつい思いながら読んでしまうのだが、いずれにせよ後半は「iPhone万歳」的なスタンスとなる。

 さて、私は元々マカーなので、Appleの商品は大好きだ。このiPhoneというキカイは未だ実物をお目にかかったことはないのだが、iPodTouchなどから見るかぎり、とにかく物欲をそそるデザインだし、インターフェイスももう近未来的といいたいようなスマートさがあった。この流儀でいけばおそらくiPhoneというキカイは、この本で述べられていることがかなり期待できそうな、そんなワクワク感は涌いてくる。ぜひとも日本にも発売してもらいたいものだが、なにしろ未だに護送船方式の団日本では、このキカイの発売会社すら決まっていないんだな。
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明けましておめでとうございます

2008年01月01日 01時12分38秒 | Books
 明けましておめでとうございます。昨年、私がはがきスタジオで作った年賀状は10パターンを超えました。例によって素材集(帆風社の年賀状デザインブック風賀悠々、インプレス社、年賀状CD-ROMイラスト及び和の年賀状の3冊)からまんま引用という感じですが、親戚、友人、職場の同僚とあれこれ考えていくと結局、あれもこれも使いたくなってしまい、結局いろいろ作ってしまったというところです。年末の空き時間にこうした年賀状のあれこれ考えるのって、せわしないような、楽しいような不思議な時間ですね。という訳で、その中から差し障りのなさそうなものを、当ブログのご挨拶代わりにアップしときます。
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