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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

わからない9大理由

2009年05月29日 23時02分30秒 | others
 某巨大匿名掲示板によく出てくるテンプレのひとつに <わからない9大理由> というのがある。ハードウェア系の板などに、その場所の空気も読まずいきなり質問してくる輩などに当てつけのように現れるものだが、ヴァージョンアップを重ねてこうなったのか、いきなりこういうものが出来たのか、私には良く分からないが、何度読んでもありがちな「教えてクン(ちゃん)」のイタいところをついた、厳しいコメントの連打で思わず笑ってしまう。ひょっとすると、有名なものかもしれないので、引用する必要もないかもしれないが、以下の通りである。

1.読まない …説明書などを読まない。読む気などさらさらない。
2.調べない …過去スレ、ググるなど最低限の内容も自分で調べようとしない。
3.試さない …めんどくさいなどの理由で実行しない。する気もない。
4.覚えない …人から聞いて、楽して得た答えは身に付かないから、すぐに忘れる。
5.説明できない …何に困っているのか、第三者に正確に伝わる文章が書けない。
6.理解力が足りない …理解力以前の問題で理解しようとしない。
7.人を利用することしか頭にない …甘え根性でその場を乗り切ろうとする。
8.感謝しない …教えてもらって当たり前。事がすんだらさようなら。
9.逆切れする …自分の思うようにならないと逆切れする。

 私は人にものを教えたり、アドバイスしたりすることを生業としているので、こういう輩には慣れっ子になっているつもりだが、やはり自分自身の器の狭さなのだろう(笑)、たまにどうにもあきれ果ててしまうほどに上記項目にぴたりと一致する人にも出くわしたりする。そういう時、私は上記テンプレを読んで、しばし心を落ち着かせることにしているのだ(笑)。
 これは個人的な考えだが、人は何を誰かに何かを尋ねる時、たいてい人としての素性が明らかしてしまうものだと思う。例えば、質問や相談に応える人間を、たんに便利な道具としてかみていない人や回答してくれるのが当たり前だと思っている人は、表向き慇懃な口調であってもすぐにバレしてまうものだし、単に無邪気にあれこれ尋ねてくるだけで、そもそも覚える気も実行する気もない....という人は回答する方でもたいていそれが分かってしまい虚しいものなのだ。

 ともあれ、そういう人だと薄々分かっているのに、あれこれ説明するのはけっこう消耗するものだ。回りからは「そういうヤツにはもー適当でいいじゃん」とかいわれたりもするのだが、ついあれこれと余計なことまで説明してしまい、逆にストレスを増大させたりしてしまうのは私の悪いクセかもしれない(笑)。などと、自分だって、人にものを尋ねる時は案外上記項目にいくつも該当していたりするのだろうから、まぁ、偉そうなことなどいえる立場でもないのだが....。なんだか、このところ立て続けにそういう人への対応を余儀なくされたせいか、少々愚痴ってみた。
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ヒラリー・ハーン・プレイズ・バッハ

2009年05月20日 23時52分16秒 | クラシック(一般)
コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を視聴して大ファンになってしまったヒラリー・ハーンの17歳のデビュー・アルバムがコレ。「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」からパルティータは2番と3番、ソナタが3番という3曲をピックアップして1枚のアルバムとして構成しているが、これはなかなかうまい構成だ。この全6曲に渡る無伴奏は最後の2曲....つまり3番のソナタとパルティータは長調で、残りが短調で構成されているのだが、そこから一番華やかで明るいパルティータの3番をアルバム・トップにもってきて、シャコンヌをフィーチャーした短調で重厚なパルティータ第2番を真ん中、そして最後は再び長調で軽快なソナタ第3番で締めくくると流れなのである。短調の曲が真ん中に来ることによって、アルバム全体がひとつの大きな3部構成の曲のようになっているのだ。

 「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」は何度か聴いていくと思うのだが、この全6曲は全体を俯瞰しつつ聴くと、重厚でシリアスな最初の4曲(特に「シャコンヌ」をピークに)から、徐々に明るく、そして最後には晴れ晴れと終わるような、例えばマーラーの5番みたいな、つくり私が慣れ親しんだあまたのロマン派の音楽のような流れに勘ぐって聴けないこともないと思うのだが、ここではハーンは17歳のデビュー作ということで、華やいだムードを重視、かつ難曲の「シャコンヌ」をフィーチャーしつつ、選曲盤ということで、過去の大巨匠たちとの直接対決は避ける....みたいな細心の注意を払った感じがするのである。
 「曲順なんか替えたところで、なんだというのだ」「勘ぐり過ぎ」みたいに云う人もいらっしゃるだろうが、それでも多分このアルバムはそこまで考えて作られたのだろうと思う。ハーンが作ったこれまでのアルバムは、協奏曲などが特にそうだがカップリングなど知的センスが感じられるユニークなものが多いし、このアルバムでもそんなセンスが出たのだろうと思う(もっとも、彼女自身の選曲なのかどうかはわからないが....)。

 さて、演奏だが17歳で既に完璧な「ヒラリー・ハーンの世界」である。精密機械のような精度でディーテルまで克明に演奏しつつも、全体としては流れるようなフォルムを持った例の演奏ぶりである。例えば「シャコンヌ」などなんと17分もかけて演奏しているが、特に遅いとも、弛緩した印象を感じさせず、ある種アポロ的な美しさを感じさせるのは実に彼女らしいく、あまたの「シャコンヌ」に伍しても立派に自己主張した演奏だと思う。もっとも、そういう演奏なので、ロマン派的な情念だとか、重厚でシリアスな佇まいなどをこの曲に期待する向きには、ちとあっけらかんとして軽すぎる印象を受けるだろうなぁとは思う。ちなみに両端におかれた長調のソナタとパルティータはハーンらしさが全てが良い方向に作用した演奏でこれは文句なしだと思う。「ソナタ」の中に配置されたシャコンヌのように破格なほど長い訳ではないが、それでも十分に長大な「フーガ」など、完璧に弾ききっていて痛快、さすがだハーン!。
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LEADTEK WF PX8400GS TDH 256MB(グラフィックボード)

2009年05月15日 17時24分28秒 | PC+AUDIO
 先のゴールデンウィーク中、けっこうオンゲー(むろんFFXIのこと)をやる機会が多かったのだが、4日の午後だったか、プレイ中に画面がフリーズする現象が発生し、以降日を追う毎に頻発するようになっていったのだ。7日になるともうほとんどゲームを立ち上げると数分でフリーズという状況になってしまい、久方ぶりに盛り上がってきたFFXI熱に水を差す格好になった。仕方なく重い腰を上げ、別のパソコンに装着してあったグラフィックボードを抜いて、そちらに交換して様子を見ることにした。

 もっともこの画面がフリーズする原因が、グラフィックボードにあるかどうかはっきりしないのは当然である。パソコンの不具合、特にフリーズみたいな状況だと、その原因がソフトウェアによるものなのか、ハードウェアに起因するものなのか、特定していくのはけっこうむずかしいものがあるのは周知のとおりだ。
 今回の場合、問題のPCが一昨年、購入したLIVING SILENT NSK2480という横型の静音PCで、使っているグラフィックボードは当然ファンレスだったことから、常々「ファンレスのグラボでオンゲーもねーだろう」的に思いがあり、直感的に「原因はグラボかな?」と思っていた程度だったのだが、取り替えてみたら、もう一週間以上、何事もなかったかのように動いるから、やはり原因はグラフィックボードだったようだ。

 そんな訳で、新しいグラボを購入した。LEADTEK社のPX8400GS TDH 256MB HS 3という製品だが、これまで積んでいたものとほぼ同製品だと思う。価格は4,000円、積んでいるGPUがGF8400GSだからまさに安物だが、私の場合、HDTV対応で、FFXIが動けばいいのでこれで十分である(HDMI対応については、AVアンプのHDMI端子にもう空きがないので選択肢からはずれた)。
 ちなみに現在問題のパソコンに装着してあるものはGT8600だから、多少こちらの方が高性能ではあるし、そのままこれを使い、新しいものは別室のPCに装着してもいいのだが、このGT8600からテレビに表示するとなぜだか表示面積の微調整が効かず、画面に黒枠ができてしまうのがちと気持ち悪い。なのでGT8600は元に戻して、こちらを新たに差し替えたいところなのだが、なにしろ、こうした作業は面倒くさい。この週末中にできればいいのだが、これから出張だったりするんだよな。
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イョラン・セルシェル ギター・リサイタル

2009年05月14日 23時39分29秒 | クラシック(一般)
 5月12日に放送され、録画済みだった「イョラン・セルシェル・ギター・リサイタル」を今夜観た。曲目は「無伴奏チェロ組曲の1番と2番 ホ短調 BWV1008」と、私が目下もっとも頻繁に聴く曲「シャコンヌ」、そしてアンコール2曲という構成である。番組もとは、NHKのBS Hiで朝の6時からやっているクラシック倶楽部という番組だが、 N響を中心とした交響楽団の演奏会をメインとした「BSシンフォニー・アワー」に対して、こちらは室内楽だの声楽だのを中心とした小ホールの演奏会がメインのようだ。最近はこんなところまで録画する範囲を広げしまうと、なんだか「観るために録る」というより「録るために録る」みたいに録画が本当に目的化してきているようで少々可笑しい。

 さて、このイョラン・セルシェルというギタリストだが、もちろん初めて観る(聴く)人である。なんでもスウェーデン出身の54歳、11弦ギターを弾くのが特徴で、調べてみると天下のグラモフォンから何枚か出しているようので、リュートを模した11弦ギターだからルネッサンス&バロック期の音楽専門という訳でもなく、シューベルトだのビートルズ集なども出しているので、たぶんその世界では有名な人なのだろう。取り上げた曲は「無伴奏チェロ組曲」のギター版については、原曲そのものを知らないのでなんともいいかねるが、「シャコンヌ」は最近聴きまくっているせいもあって、これだけはじっくりと視聴してみたが、「シャコンヌ」のギター版は先日も書いた山下和仁にとは180度違うベクトルの編曲、演奏で、その対照振りはかなり興味深いものであった。

 セルシェルのギターは11弦ということもあると思うが、その音色が素朴で落ちついており、それに合わせるかのようにセルシェルも一音一音丹念に音を紡いでいくという印象である。前半のハイライト部分も夜叉の如きテンションで盛り上がるというよりは実に落ちいた表情に終始していて、作品を通じて自分の世界を開陳するというよりは、学究肌のミュージシャンによくあるように作品の姿をありのままに伝えるというか、作品に奉仕するタイプのミュージシャンのようであった。弾いている姿もけれん味のない自然体で、実に誠実そうな風情であり、観ていてすがすがしい気持ちになった。アンコールには母国の民謡だの、ビートルズの「ヒア・ゼア・アンド....」だったりしたが、これまた浮き足だったところのないしっとりしたもので、この音楽家の誠実さがよく伝わったものだったように思う。
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FFXI からくり士Lv15>>>Lv37

2009年05月06日 00時37分17秒 | GAME
 前に書いたとおり、昨年、青魔道士と黒魔道士をカンストした後は、なんだか憑き物が落ちたみたいに、このゲームへの熱意も一段落して、やることといったら週一度のエインヘリヤルとその準備を兼ねてカンパニエくらいのものでしたが、ゴールデン・ウィークでけっこう時間がとれたこともあり、Lv15で止まっていたからくり士を再開してみました。なにしろ、今年、このゲームでもし例年通りジョブをカンストさせるとしたら、かりくり士か獣使いにしようと思っていたのです。これまで6つのジョブはパーティー主体のレベル上げで、Lv75までやってきた訳ですが、今度はそういうものとは違う、いわゆるソロ・ジョブでカンストしてやろうという目論みです。まぁ、マイペースで上げらりそうな反面、カンストの道のりは遠そうですが....。

 ただ、今はいいコンテンツがあります。フィールド・オブ・ヴァラー(通称:本もしくはFoV)という比較的最近実装されたコンテンツですが、当初はほとんど関心がなかったものの、青魔道士でもってフェロー育成も兼ねて、テリガン岬でやってみたところ、なかなか手軽に楽しめたので、からくり士はこれでやろうと思い立ちました。やり方はとても簡単、各地の要所にぷかぷか浮いているポイントから自主訓練を選んで、適当なコースを選んで、指定されたモンスターを指定された数だけ倒すと、ボーナスポイントがもらえるというもので、Lv75だとテリガンで1200~1400くらいですから、まぁ、雀の涙みたいなもんですが、低レベルなら話は違います(ついでに支援といってリフレだの食事効果などももらえたりしますし、終わったら同じく支援でHPに戻れたりするのはとても便利、OPとこれを併せると、このゲームの移動が革命的に楽になったと思います)。
 という訳で、このゴールデンウィーク、FoVを使ってからくり士を数日前から再開しました。この一週間、暇をみつけては北グスタ~コンシュ~バルクルム&フブリム~ジャグナー~クフィム~ソロムグ~ロランベリーと各地を転々としてちまちまやった結果。本日早くもLv37に到達。いやー、早い、早い、Fov様々です(笑)。

 さて、からくり士ですが、実はよくわからないままやってます。各種マニューバという属性ごとになんらかのアクションをオートマトンに誘発させるアビも、ほとんど内容理解してませんし、Lv30になると3つのヘッド&フレームが使えるようになる訳ですが、からくりオートマトンにもスキルがあって、これを全部上げるのはけっこう大変だったりするんですね。前衛タイプ、魔道士タイプ、狩人タイプとここまでやってきましたが、どれもキャップにはほど遠い数値で、狩人タイプなどスキルが上がっていくと、ほとんどタゲをとってしまうくらいの威力ありますから、ぜひスキルは維持したいところなのですが....難しいと思います。なにしろ、ゴールデンウィークも今日で終わりですから、そうそう頻繁にできなくなっちゃいますから、まぁ、地道にやっていこうかと思います。FoVはそんなやり方にぴったりですね。
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カラス・アッソルータ

2009年05月03日 22時33分16秒 | MOVIE
 BSで録りためてあったマリア・カラスの生涯をドキュメントした90分の番組(フランス製)。マリア・カラスといえば、以前にもナットキングコールのところにも書いたけれど子供の頃、兄が聴いていたビートルズのLP盤の袋にカタログみたい印刷してあったジャケットだ。確か片面はたいていクラシックで、そこには常連の如くマリア・カラスの横顔が鎮座していた(アップした写真)。なのでマリア・カラスといえば、超然として、なにやら思索的な雰囲気を漂わせたこの顔のイメージなのである。もっとも、私は元々オペラが苦手だったし、私がクラシックに入れ込んでいた80年代といえば、マリア・カラスはスキャンダルの末に、かつての栄光を取り戻させないまま没落していった人みたいな、どちらかといえばネガティブなイメージもあったから、マリア・カラスといってもほとんど聴いたこともないままなのである。

 さて、プログラムの中身だが、イタリアを制覇しつつ、巨匠とともに世界を制覇するサクセス・ストーリー前半にちりばめられた、例えば若い頃のカラスは体重が100Kgオーバーで、40kgもダイエットしてあの容姿になったとか、母親と金をしつこく無心されて絶縁したとか、いかにも波瀾万丈な人生だったことがよく伝わってくるが、やはり見所は後半、豪勢なオナシスとクルージングに始まる恋愛あたりから、まるで奈落の底に落ちるように全てを失ってしまう後半部分だろうと思う。カラスの晩年はしばらく前に読んだ「巨匠たちのラストコンサート」(中川右介著)でも述べられていたが、ジタバタともがきつつも、結局は「人も音楽も全てを失ってしまう」この人の晩年は絵に描いたように悲惨で、この番組ではそのあたりを割と容赦なくドキュメントしている。なんというか観ていて、「あぁ、いかにも大昔の芸人らしい生き様だよな」と思わせた。
 それにしても、このドキュメントの随所から聴こえてくるカラスの声のなんと美しいことか。彼女が歌ったオペラはイタリア物ばかりなのだが、「ノルマ」とか聴いてみたくたった。最近やけにお洒落なジャケに彩られ、いかにも一過性な雰囲気を漂わせた、ベスト・アルバムの類にはどうでもいいが(笑)、なにかのオペラのワンセットくらい購入してみようか。

 ちなみに、私にはよく分からないが、おそらく非常に珍しい映像が沢山使われていたのだろうと思う。ヴィスコンティがカラスの提灯持ちをしているインタビューとか、オードリー・ヘップバーンと同じフレームにおさまったパーティーの風景だとか、音だけだが「ノルマ」の音源を時代別につないでみせるところ、ジュリアード音楽院で生徒の前で実際に歌ってみせる授業のところなども、なかなかおもしろかった。もうすこし歌っている姿が観れたらもっと良かったが、なにしろ50年代に全盛期を迎えた人だけに、そうそう映像もないのだろうな。
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バッハ シャコンヌ/エドナ・スターン

2009年05月01日 23時16分45秒 | クラシック(一般)
 おもしろい趣向のアルバムである。バッハのシャコンヌを3つのピアノ編曲版で楽しめるもので(オマケでヴァイオリンによる原曲も最後に入っている)、エドナ・スターンという若手の女流ピアニストが弾いているのだが、個人的に一番興味をそそられたのはブラームスによる左手による編曲だ。恐らく有名な作品だったのだろうが、大のブラームス党である私もバッハ作品の編曲となると、興味の範疇の外だったのか、これまで全く知ることがなかった。ブラームスという人は作品番号がついていないピアノ練習曲とかにも、けっこう看過できない作品があったりするのだが、この作品もそういう部類なのだろう。

 で、このブラームス編版だが、左手一本にしてはかなりよく出来ている....というか、そもそもヴァイオリン・ソロの曲なのだから、物理的な条件としては片手くらいでも、曲を再現するには十分といったところなんだろう。聴こえない音はないし、これはこれで紛れもない「バッハのシャコンヌ」になっていると思う(これがどう弾いてバッハになってしまう....バッハのバッハたる所以か)。ついでに原曲を律儀にトランスクリプションしていくのはいかにもブラームスらしい生真面目さが感じられるし、ブゾーニ版のでは大きく盛り上がった前半のクライマックスでも、片手だから出来なかったのか、そうしなかったのは、よくわからないけれどそこにブラームス的な節度が感じてしまうのは、私の贔屓目が過ぎるだろうか?。

 一方、エドナ・スターンのためにルドルフ・ルッツという人が編曲したヴァージョンだが、さすがに新しい編曲だけあってモダンな響きに満ち満ちている。冒頭からしてまるで印象派のような柔らかい響きの和音から始まる。さすがにシャコンヌの構造そのものまでは変えていないようだけれど、ブゾーニのようなはハイな熱狂はなく、終始、低カロリーでクリーンなムードで進んでいく。女性が聴いたら喜びそうな柔らかいタッチ、お洒落な雰囲気が特徴の編曲といえようか。
 ちなみにエドナ・スターンという女流ピアニストだが、ブゾーニ版であんまり肩を怒らせることなく、落ち着き払った演奏をしているあたり、この人の特徴かもしれない。ちなみにこういうアルバム作るくらいだから、テクニック的にも素人耳にも十分な上、全体に極めて安定していているから安心して聴いていられる。
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