Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

JOHN LENNON / Walls And Bridges

2007年07月31日 23時23分44秒 | Beatles
 ブログというメディアもf早2年半ほどやっていることから、1年前、2年前の今頃は何を聴いていたっけ....などと思って読み返してみるのは、個人的にはけっこうおもしろい。で、去年はと思って、今さっき読み返してみたら、どうもFFXI(オン・ラインゲーム)で、バラ忍カンストに入れ込んでいたらしく、音楽の方はすっかりご無沙汰気味だったようだ。毎日のスペースを埋めるのに台湾の写真でごまかしているあたり、見事にそれを物語っている(笑)。ただ、この時期、ほとんど唯一、聴いてというか連続して登場するのがジョン・レノンで、どうやら「ジョン・レノンを聴け」という本を読んだのをきっかけにして、レノン・ボックスをディスク1から順次聴いたりしていたらしい。ディスク3のレビュウの最後のところには「今、ジョンのフルアルバムを買い直すとしたら、一番最初に購入したのはこれだね。」などと書いてあるのをみつけて、「そういえば、あの直後このアルバムを購入したんだよな」などと思いだし、探してみたら案の定、ラックスの片隅に未開封のまま放置されたCDを発見した。さっそく今聴いているところである。

 うん、やっぱいい。今、ジョンを聴くとしたこれだな....という気持ちは1年後の今でもほとんど変わっていない。あの時も書いたけれど、このアルバムの良さというのはAOR的なアレンジに還元されたジョン・レノンの良さだと思う。私はこのアルバムの1,2曲目は現在でもジョンの曲ではあまり好きな部類ではないが、この2曲以降はとてもいい。「枯れた道」「愛の不毛」「鋼のように,ガラスの如く」といった曲は、当時のジョージの音楽なども共通する、調度ロックとAORの中間くらいの感じの音楽で、エキセントリックさ、攻撃性といった、青臭い?ロックらしさを、そろそろジョン・レノンが卒業しかかっていたことを感じさせるのだ。もちろんそれは当時のロック・シーンの新陳代謝とも無縁ではないと思うが、やはり当時34歳というジョンの年齢だったんだろうと思う。
 ともあれ、そうした口当たりの良さがけっこう表に出た音楽であるとはいえ、そこはそれジョン・レノンのボーカルである。このワン・アンド・オンリーな声を聴いているだけで、ロック的なパッションを感じさせるのはさすがだ。ジョンのボーカルって、なんだか歳をとればとるほどにその凄さを実感させるのだが、このアルバムもその例外ではない。
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シューマン 交響曲第4番/セル&クリーブランド管弦楽団

2007年07月30日 23時35分58秒 | クラシック(一般)
 数ヶ月前に出た「ジョージ・セル・エディション」の一枚。このシリーズは40年代後半から50年代中盤あたりまでのセルとクリーブランドのモノラル音源群を復刻したものだが、United Archivesというレーベルから出ている(日本ではキング)。本コンビの音源というとCBSというイメージが非常に強いが、この時期はどのレーベルに所属していたのだろう?。それともCBSからOEMした音源でも使っているのだろうか?。このディスクに収められたのはシューマンの2番と4番だが、現在47年に収録された4番から聴いているところである。実はこの4番はステレオの方もまだ第聴いていないのだが、こちらはモノラルを先に聴いて、あとでステレオの方と聴き比べしてみようという趣向だ。

 さて、この4番だが47年録音ということで、当然モノラルであり音質は当然かなり貧弱なものになっている。一応最近のリマスタリング技術で音圧を上げて、しかもかなりきつめにノイズ・シェービングをかけているから、表向きSN比は高いし、それなりに音にも迫力はあるが、やはり残響か突然きれる不自然な音の減衰ぶりや、レンジの狭さはいかんともしがたいものがあるのだが、それでも聴こえてくるのは、紛れもなくセルとクリーブランド以外の何者でもないサウンドになっているのはさすがというべきだろう。47年というと有名な独裁者セルによるクリーブランド管の大量解雇があった直後らしいのだが、既に各パートがクリアに浮き上がるきりっとしたタイトなアンサンブルになっているし、清潔そのものなフレージングもセルらしいものになっているのである(ついでにいえば、このオンマイクで細身な音はCBSらしいものともいえるような気がする)。

 したがって、この暗い叙情とうっそうとした雰囲気が印象的なこの交響曲も、このコンビにかかると、やけに均整のとれたスタンダードな交響曲に聴こえてくるのはやはり「演奏の妙」という感じがする。ほとんどマーラー的な破天荒な振幅にスポットを当てたバーンスタンとウィーンのそれとは、あらん限り対照的な演奏という感じで、すっきりとして曖昧さがなく、かつ決然としたムードで第1楽章は進み、第2,3楽章は古典的な中間楽章のフォルムにすっきりと収めつつ、第4楽章に一気に進んでいくという感じだ。しかも、これらには全く違和感というものがなく、説得力抜群なのは、さすがにこのコンビだとしかいいようがない。
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The Wonderful World of Antonio Carlos Jobim

2007年07月29日 23時11分49秒 | Jobim+Bossa
ジョビンはワーナーに3枚のアルバムを残している。「The Wonderful World of Antonio Carlos Jobim(`65)」、「Love, Strings and Jobim(`66)」、「A Certain Mr Jobim(`67)」がそれだが、掲載した写真は「Composer」というアルバムは、前者からの抜粋と後二者の全曲が収録されたこの時期のワーナー時代の総集編といえるアルバムだ。この3つのアルバムはそれぞれ特徴があるが、昨年レビュウした「Love, Strings -」がインスト・アルバムだったのに対し、とりあえず今回レビュウする「The Wonderful World of -」はほぼヴォーカル・アルバムといえる。アレンジはネルソン・リドル、ワーナーでネルソン・リドルというと、当然フランク・シナトラということになり、ひょっとするとこのアルバム、その線で受けを狙って企画されたのかもしれない。

 収録曲は12曲で、ほぼどれもスタンダード化した名曲ばかりだ。前述のとおりアレンジはネルソン・リドルだから、シナトラやキング・コールばりのハリウッド・スタイルかと思うと、案外そうでもなく、ボサノバのリズムとオーケストレーションを洗練された形でブレンドするクラウス・オガーマンやドン・セベスキーのやり口をそつなく再現、例えば細身のストリングスのひんやり流れるしなやかな流れの中で木管がエレガントに絡むとか、あたりなど、典型的な「アメリカで開発されたボサノバ・アレンジ」になっているあたり、さすが巨匠というべきか。2曲ほどインストはあるが、おおむねジョビンはこうしたゴージャスなバック・サウンドにのって、実に気持ち良そうにうたっている、そういう仕上がりである(そういえば、シナトラとの共演盤もこういう仕上がりなのだろうか・)。

 ただ、問題なのは、個人的にだがどうもジョビンの歌をあまり好きになれない点か。ジョアン・ジルベルトのような極限まで洗練されたストイックな軽妙洒脱がある訳でもないし、声質自体もダミ声気味だし、歌のテクニックはおそらくアストラッド・ジルベルト以下、なので、どうも稚拙な印象を受けてしまうのだ。最近はさすがに慣れてきたというか、詩人が自分の作品をたどたどしく朗読する良さみたいなものの感じないでもなくなってきたが、やはり「これがジョアン・ジルベルトの声だったらなぁ」などと思ってしまう....などといったら怒られるか(笑)。
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シューマン 交響曲第4番/インバル&フランクフルト放送響

2007年07月28日 22時32分05秒 | クラシック(一般)
 シューマンの第4番は、彼の交響曲の中では昔からけっこう好きだった曲である。全編に渡って暗い叙情に横溢していて、なにやら「悲劇的」と名付けたいようなムードは私の好みだったという点もさることながら、全4楽章連続して演奏され、各楽章(相当するパート?)間の主題的な関連も密接であることから、その後、リストを筆頭に様々な形で展開されることになる、多楽章の要素を一楽章に間に統合化する試みの、いわば草分けということで、歴史的な興味もあったのである。もっとも、その統合化ぶりは、例えばリストのピアノ協奏曲のような明快さ、統一感はなくて、ここでは単に交響曲の4つの楽章をメドレーして繋げてみました....みたいなところがなくもなく、せいぜいベートーベンの「運命」の後半くらいのレベルではあるから、「けっこう好きだった」とはいっても、ブラームスのように慣れ親しんだという感じではないのだが....。

 さて、この第4番も現在いろいろな演奏を聴いている最中だが、今夜はインバルとフランクフルトのディスクの封を切ってみた。これまで聴いた演奏だと、マリナーが整然とした均整美、ムーティーがストレートな推進力、バーンスタインのエキセントリックなほどに巨大な振幅といったところに特徴があったとすると、インバルは前述の3種の中では一番バーンスタインに近いような気がした。やや粘着質なリズムと表情、主情的にテンポを揺らしてハイライトを力業で演出するあたりは、-前回も書いたが-さすがにバーンスタインの弟子筋という気がする。もっとも、インバルとフランクフルトの演奏は、バーンスタインとウィーンのそれに比べると、「今時なクリーンでなめらかな演奏を追求」している側面もあり(デンオンの絹ごし調の音質というのもあるのかもしれないが....)、そのあたりのバランスがどうもこのコンビの演奏に、いまひとつ煮えくらないような印象を与えてる所以かもしれない。なりふりかまわずいくのか、それとも小綺麗にいくのか、どっちつかずとでもいったらいいか。まぁ、こういう行き方は同時に収録された、新ウィーン楽派の演奏なんかだと、その粘着質なところが、けっこうマッチしているように思えたりもしたのだが。
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MS Office 2007

2007年07月27日 18時00分11秒 | PC+AUDIO
 Vistaと歩調を合わせてリリースされたマイクロソフト・オフィスのニュー・ヴァージョンである。この新しいヴァージョンの売りというか、特徴はリボン・インターフェイスという新しいUIが導入されたことだろう。これまでのメニューだと、左から「ファイル」「編集」「表示」といったテキストで表示されたメニュー・バーがあって、その下に使用頻度の高い機能をアイコン化して並べたツールバーが並んでいるという画面だったのが、このヴァージョンからはそれが激変して、各メニューをクリックすると、それに応じた専用のツールバーを切り替わるようになっているのだ。先月職場に導入され、私にあてがわれたVista搭載パソコンにこれがインストールされているので、好むと好まざると関わらず、私は使わざるを得ない状況にあるのだが、正直いってOfficeXPなどの方が遙かに使いやすかったというのが、偽らざる印象である。

 いろいろ理屈はこねられると思うし、わかりやすくなったという人もいるだろうが、以前はツールバーからワン・クリック到達できた罫線だの、セルの書式だのといった機能が、1ステップか2ステップ余計に手間にかかるようになってしまったことだけは間違いない。こういうインターフェイスの変更は、要するに「慣れ」みたいなところはあるし、そういうものを覚えるのを私は嫌いな方でもないとは思うのだけれど、それにしてもよくもまぁこんなにもドラスティックに変えたものだと思う。ただ、それが使いやすい方向に変化しているかといえば、アイコン群も雑然と並んだけみたいなところはあるし、全体にいかにも厚化粧な感じがして、妙に不自然な感じがどうしてもしてしまうのだ。
 そんな訳で、この新ヴァージョンどうも使いにくい。この新しいオフィス使いながら、思わずOfficeXPを別途インストールしちゃおうかなぁ、まじめに思っている今日この頃である。
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宝覚寺 @台中

2007年07月26日 08時53分59秒 | 台湾のあれこれ
 1999年に台湾に訪れた際に、いつもの台北だけでなく、自強号とかいう特急にのって、台中に行った....という話は前にも書いたようんな気がするが、台中というところはそれほど賑やかなところではないし、有名な観光スポットがある訳でもないが(もっとも住むには気候的にも快適らしい)、唯一、有名というか、観光スポットらしきものがあるとすれば、たぶん宝覚寺である。ここには金色に光る高さ30mもある大仏があり、博物館のようなものあるから、一応観光スポットの体裁はととのっている。

 私達が訪れたのは、ちょうど台湾の震災があった翌年だったせいなのか、それとも他の理由だかはよその者知る由もないが、とにかく敷地内を大改装していて、観光地というには妙に荒涼とした工事現場のどまんなか大仏が鎮座しているという感じだったし、訪れたのも午前中だったので、我々以外の他の観光客など人もほとんどみかけず、妙に閑散した記憶ばかりが残っている。
 ちなみにこの大仏様はなんとも弥勒菩薩である。56億7千万年後に現世に降りたって、人々を救うとかいうアレである(SFファンならこの話を「百億の昼と千億の夜」で知ったはず-笑)。日本で弥勒菩薩というと、東大寺にあるちょいと頭傾けて、なにやら高邁なことを思案しているかのような、あの静的でストイックなイメージが強いが、これも同じ弥勒なのだそうだ。しかも金ぴかで、満面の笑顔....すごすぎである。

 もっとも、この台中の大仏、他のところにある写真は文字通り黄金色なのだが、私がいった時はもう少しくすんだ色だった記憶があり、そのくすんだ色とこの笑顔が妙に合っていなかったような気もする....。
 あと、もののついでに書いておくと、プロ野球のジャイアンツが冬場にハワイでキャンプするよるまでは、この台中でキャンプしていたことを覚えている人はもうあまりいないだろう。二軍のテスト生として巨人軍に入団した星飛雄馬が、速球投手として限界を感じつつ参加して、最終的に「オレは速球投手としていける」と勘違いしてしまう、あのキャンプが台中だったはず。その野球場って台中のどこにあったのだろう?。
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女神転生IMAGINE

2007年07月25日 23時41分27秒 | GAME
 先月の「デジタル・デビル」ところでも書いたけれど(そういえばコレ、。ダウンロードしたはいいが全然やってないな)、私はこれまでやったゲームで一番夢中になったのは、「ウィザードリー」と「真・女神転生III-NOCTURNE マニアクス」である。しかし、考えようによっては今やっている「FFXI」などかれこれ2年以上やっている訳で、客観的にみればこちらの方がよほど「夢中になってやっている」のかもしれない。あんまりそういう感じがしないのは、きっと私の生活の一部を確実に侵犯してしまったおかげで、自分の感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。また、ゲーム内には私の倍以上やっているような人が当たり前のよう沢山いるというのもあるだろう(笑)。

 さて、「真・女神転生オンライン IMAGINE」である。これは私が何かオンライン・ゲームをはじめてみようか....と考えた時に、「ウルティマ」や「信長オンライン」などと並んで候補のひとつになっていたものなのだ。なにしろあれほど夢中になった「真・女神転生」なのだから、オンラインでやるとしたらこれしかないと思ったほどなのだが、この時点で、通称「メガテン・オンライン」は発売前のベータ・テストの段階だったので涙をのみ、私は「メガテン・オンライン」が正式に運用されるまでの繋ぎとして「FXII」を始めたようなところすらあったのであった。ところが、開発元であるアトラスはどうやらこれの正式運用にこぎつけられず、開発元が他の会社に移管するなどのゴタゴタが続き、一向に完成という声をきかず、最近では「頓挫したメガテン・オンライン」みたいなイメージが強くなっていたのだった。

 ところが、数週間前だったか、ふとネット調べてみたところ、この「真・女神転生オンライン IMAGINE」なんと完成していたことを知った。なんでもそのほとんどを作り直したらしくベータ版の時の画面などみると、ちょっと疑問符だったゲーム内のキャラのデザインも「真・女神転生III-NOCTURNE マニアクス」に近い線でリニューアルされているし、なかなかおもしろそうなのである。最近はレベル上げ、メリポ症候群は一息ついて、ある意味、そろそろ辞めどきを探している(?)という感じの「FFXI」だから、このタイミングは絶好かもしれない。しかしなぁ、ミッションやアサルト、デュナミスなど水平方向に手を広げているとこもであり、これでけっこうおもしろくなってきたりしたので、今更他のゲームかぁ....という気も正直なところある。うーむ、どうしようか思案中だ。
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BlogOut @大原

2007年07月24日 22時24分07秒 | others
 今日はいすみ市大原というところに行った。以前は夷隅郡大原町といったのだが、市町村合併でかわったのだ。この市町村合併というもののおかげで、町名だの、役所名だのは「いすみ」がついたものにずいぶんかわったが、既にお役所とは別のロジックで動いているJRはこのあたりは一切変更する気がないらしい。ちょっと前に総武本線の八日市場駅を利用したことがったのだが、近くにある警察署は「八日市場警察」ではなく「香取警察」にかわっていたし、今回降りた大原でも、目的地へ向かう途中で、タクシーの運転手の人に聞いてみたら「大原警察」ではなく、案の定「いすみ警察」になっているとのこと。「千葉県に住んでいて、そんなこと今頃、気がつくなよ」といわそうだが、あらためて現地でそういう変化を目の当たりにすると、妙な感慨とらわれたりする。

 さて、この大原駅だが、外房線の途中駅であると同時に、いすみ鉄道というローカル線の始発駅でもある。このいすみ鉄道というのは大原から房総半島のど真ん中の大多喜駅というところが終点なのだが、そこからは小湊鐵道というこれまた絵に描いたようなローカル線ににつながっていて、それは内房線の五井というところにたどり着くから、調度房総半島を横に縦断するような格好になっている。
 ついでに書くと、このいすみ鉄道、その昔、国鉄時代は木原線という路線名だった。本来、内房線の木更津と大原をつなぐことを意図してつくられた路線だから、そういう名前になったらしいが、なんかの理由で木更津から出ている久留里線(こちらは未だJRだが)の終点である上総亀山とつなげることなく、前述の小湊鐵道とつながってしまったという経緯があったらしい。

 大昔、上総亀山駅にいった時、この木原線と久留里線がつながらかったことを絡めた、横溝正史ばりミステリをつくれないかな....などとぼんやりと夢想したことがあって、そのクライマックスには、ある庄屋にある「開かずの蔵」のようなところに、幻の上総亀山と大多喜をつなぐ線路の残骸がみつかるみたいな設定はどうだろう?などと考えたものだが、本日、大原駅をおりた時にふとそのことを思い出したりした。そういうことを思い出すような風景だったのか、それともまだ梅雨は明けていないものの、うだるのような暑さだったもので、しばらくぼんやりしていたかもしれない(笑)。列車の音に、気がついてみると、到着したいすみ鉄道の単車からは、まごうことなき今時の露出過剰な原色系の女のコたちが何人か降りて来て、「それ。ちげーよ」とか、あれやこれやと大声で話している。私はふと我にかえったのだった。
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シューマン 交響曲全集/セル&クリーブランド管弦楽団

2007年07月23日 23時04分11秒 | クラシック(一般)
 これもマリナーの全集と同時に購入したもので(他にサヴァリッシュ)、セルとクリーブランドによるシューマン交響曲全集である。このコンビによるシューマンは昔から定番のひとつとして有名だが、1,2,3番と聴いてきて、今、3番を聴いているところだが、その圧倒的な素晴らしさに感服した。とにかくなにかと晦渋で、時に聴きどころが一体何処にあるのかわからなくなるようなところがないでもない、これらの作品群をまるで疑問の余地のない名曲として演奏しているというか、聴かせてしまうのだ。

 テンポは総体的には「もの凄く早い」と思う。全編が一陣の風のように過ぎていくが、この種のテンポの早い演奏にありがちな不自然さが全くなく、感触はナチュラルそのもので、何の違和感ない....どころか「これだ」と膝を打ちたくなるようなものなのである。セルの演奏は常にフレージングが清潔そのもの、アンサンブルはタイトで精緻、かつサウンドは軽合金のような質感があって、一種独特な特徴があるのはいつもことだけれど、この演奏ではこれらの特質が全てプラスの方向に作用した希有な演奏といえるのではないだろうか。
 それにしても、あのモヤモヤとしたシューマンのオーケストレーションがセルにかかると、どうしてこんなにクリアで見通しがよく、聴くべき音を迷わずくっきりと浮かび上がらせ、しかも背後に回った音の意味をリスナーにごく自然に感知させるようなバランスで演奏できるのだろう?。

 これまでの例えでいうと、セルのシューマンはさしずめメンデルゾーン的な軽やかな幻想性親和性をもった解釈といえるかもしれないが、それよりシューマンのピアノ曲を聴いているような雰囲気があるといった方が的確か。音質は収録が60年代初頭、更にかなりノイズをシェーピングしたリマスタリングらしく、音のシャープさ、クリアさは微温的なのが気にならないでもないが、この素晴らしい演奏にはそれも忘れようものだ。これは絶対にSACDを買おう....って既に注文済だが(笑)。 
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Break n' Bossa -Chapter 5 / various artists

2007年07月22日 19時43分10秒 | ROCK-POP
イタリア発のブレイク・ビート系のボサノバのコンピレーション・アルバム。チャプター5となっているので、おそらくこれで5枚目ということになるのだろうが、私はこれしか持っていないので、これ以前がどんなものだったのか、また、この後にシリーズとして続いているのか、よくわからない。イタリアのマイナー・レーベルのクラブ系の音楽は日本では受けが良いらしく、このアルバムより大分前になるが、アルマ・レーベルなんてのもけっこう流行ったし、これを出しているスキーマ・レーベルなんかも、おそらくはタワー・レコードあたりで独占輸入して、小さなカードにちょっとした解説をつけて、クラブ系の音楽のコーナーにでも、ずらりと並べてあった違いなく、私もそれがきっかけで購入してきたんだろうと思う。

 ディスクは1枚目がコンピレーションで計13曲、2枚目が24曲をノンストップでつなげたDJミックス風な仕上がりになっている。集められたアーティストは盛りだくさんだが、私はどれも全く知らない人ばかりである。おそらくイタリアで活動している、それもあまりメジャーでないアーティストばかりなのだろう。だいたいにおいて、選曲した人のセンスで勝負しているアルバムだろうから、音楽的には匿名性が極めて高く、まさにクラブ系の音楽という機能性に徹しているような感じである。内容的にはブレイク・ビートと一口にいってしまうと身も蓋もない感じだが、おしなべてハウス系のテクノ・ビート、ラテン・リズムを絡ませ、60年代後半~70年代初頭にかけてのファンク・ジャズあるいはジャズ・ロック的なサウンドを合体させ、黒人的なアクをごっそりと脱色したような音楽という感じで、時にアンビエント・テクノにかなり接近したりもする。5曲目「Existentialism (Milano Bossa Mix)」などなかなか心地良いし、2枚目のノンストップ・ミックスはジャズ的センスでまとめられていて、そのスムースな流れはなかなかのものだ。

 イタリア系のこの手の音楽は、下世話な通俗性とほどよく垢抜けたセンスがいり混じって、シャープなサウンド共々ぱっと聴くとすごくいいのだが、しばらく聴くとすぐに飽きてしまうのが欠点で、前述のアルマ・レーベルの作品などずいぶん買い込んだものだが、飽きるのも早くて、あっという間に色あせ、時代に置き去りにされてしまった。この作品は2002年の作品だが、その後あれこれ買い込まなかったところをみると、ワタシ的にはそれほど魅力的とは思わなかったらしい。この薄味さ、匿名性の強さからして、もう少し「立った個性」が欲しいといったところだろうか。
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ハイドン 交響曲第23番「和音強打」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年07月22日 11時04分56秒 | ハイドン
 21番あたりから突如内容が充実し始める(ように私には聴こえる)ハイドンの交響曲ですが、この23番もエステルハージ家で副楽長をしていた時期の作品らしく、なかなか充実した仕上がりとなっていってます。どこかどうだと説明するのは難しいのですが、音楽の響きが重厚になり、各楽章の個性をくっきりと対照させつつ、ひとつ交響曲として大きな構えを見せるようになったという感じがして、個人的にはこの時期、ハイドンに「エロイカ的跳躍」でもあったのかな?、と密かに思ったり、しているんですがどうでしょう。さて、
21番や22番は緩徐楽章が先行して現れる多少変則的な構成でしたが、こちらはオーソドックスな4楽章制のパターンで、特に変わったところのない、ごくこくまっとうな古典交響曲という印象です。

 第1楽章はこの曲の充実ぶりを良く伝える5分半といえます。ちょっとモーツァルトを思わせる青空のような明るさと幸福感、また、さえぎるものは何もない....といった感じの天衣無縫な伸びやかさなどがあり、聴いていて楽しくなると請け合いといった感じです。もちろんハイドン特有な職人的な精緻さのようものも随所にあり、再現部前で短調に転ずるあたりの巧みさはいかにもハイドンらしいものとえそうです。第2楽章は前楽章とは対照的に落ち着いた緩徐楽章に仕上げられていますが、全体としては厳かな宗教的なムードを漂わせつつも、リズミカルでユーモラスな音型なども鏤められていて、これもまたハバ・ハイドンらしいところといえるところかもしれません。ちなみにこの第2楽章は弦楽合奏のみで演奏されています。

 第3楽章と第4楽章はふたつ併せても4分ちょいで、先行するふたつの楽章がそれぞれ5分半、6分半もかけて構成されていたのに比べると、聴感的にもあっという間に終わってしまいます。前者はホルンの響きとカノン的なトリオが印象的。後者は4回連打する和音とそれに応答する動きの細かいテーマだけで構成されたような一風変わった楽章で、ある意味音響的な効果のみで作り上げたようなところもあり、あっけなく終わってしまうあたり、ちょっとシュールだったりもしますが、ヨハン・シュトラウスの「常道曲」みたいなジョークだったのかもしれませんね。という訳でニックネームはこの第4楽章にちなんで、「和音強打」でどうでしょ?。
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シューマン 交響曲全集/バーンスタイン&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2007年07月21日 09時19分55秒 | クラシック(一般)
 このところ振ってわいたようにシューマンの交響曲全集を買いあさっている毎日だが、これは昨日、千葉市内のショップで購入してきたものである。バースタインのシューマンといえば、昔から評価は高かったが、個人的には彼の屈託のない(なさすぎる-笑)音楽作りがシューマンとどう折り合うか、ウィーンはバーンスタインの許でどんな演奏を繰り広げているのか、けっこう興味があったのである。ちなみに晩年のバーンスタインはカラヤンと並ぶDGの看板スターとして、ウィーンと組んだライブ盤を次々にリリースしてたものだけれど、80年代中盤に収録されたこれもそうしたもののひとつであった。デジタル録音が出現して以降、ライブで収録されたパフォーマンスから拍手などを取り除いて、あたかもスタジオ録音のような仕上げで発表されることが急速に多くなったけど、これなどその走りだったように思う。発表当時、「ライブ録音とは思えないバランス、解像度」などという側面でも、それなりに話題になっていたような作品もある。

 さて、実際に聴いてみた感想だが、思ったほど破天荒なものではなく、割とウィーンの自発性にまかせて、ライブだから当然かもしれないが、最後まで一気に演奏したような感じがある。なんかバーンスタインは最初にスウィッチを入れるだけで、後はウィーンが自在に走り始めた....みたいな趣があるのである。こういうの感触どっかで既に味わった記憶あるなぁと思っていたら、この時期のこのコンビが残したハイドンの演奏もまさにそういう感じだったことを思い出した。要するに、このコンビはだいたいにおいて、あまり作り込まずに、即興性のようなものを重視した音楽をやっていたということなのだろう。それでここまで行ってしまうのは、さすがにバーンスタインとウィーンというコンビだから達成できたような境地なのかもしれないが、個人的にはディールの甘さが多少目立ち気味で、いささかゴツゴツした感じのアンサンブル、角張った表情といったあたりに、大味なものを感じでしまったのもまた事実。私はライブ的感興というのも大好きなのだが、やはりこうした完成品をうたった全集のようなものだと、もう少し作り込んだ、入念な仕上がりを期待してしまうのだ。

 という訳で、やはり私の場合、バーンスタインというとCBSに居た60年代の颯爽として、もうこれ以上ないくらいに溌剌とした、例のイメージの方が強く、これを含め、晩年の一連のパフォーマンスの方は、何か半端に枯れてしまったような感じがしないでもない。もちろん、ここで聴ける「着流しのウィーン・フィル」とでもいいたいようなサウンドはとても魅力的なのだが....。 
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シューマン 交響曲第3番「ライン」/インバル&フランクフルト放送響

2007年07月21日 00時01分03秒 | クラシック(一般)
 全般的に渋く、その良さが解りずらいシューマンの交響曲でもこの曲は一番親しみやすい曲といえるのではないか。シューマン最後の交響曲ということで、その腕も練達になってきているのか、明るく開放的で伸びやかに進む第1楽章、トラディショナルな旋律がキャッチーな第2楽章、歌曲のようなナイーブなメロディックさがある第3楽章、荘厳な巡礼のようなムードが印象深い第4楽章、終盤の追い込みドラマチックさがキモとなった最終楽章と、それぞれの楽章の個性がはっきりしており、またそれぞれの役割というかポジションも明確であるため、全曲を通じてメリハリがあるし、交響曲らしい威容とプロポーションをすっきりと確立していると思う。

 もっともこの作品、交響曲といっても、その系列はどちらといえばベートーベンの第6番に端を発し、マーラーの第3番あたりに至る、多楽章(4楽章以上のという意味)の音画的交響曲、もしくは交響詩的交響曲の系列になるんだとは思う。早い話が、それぞれの楽章がなんらかの風景なり、情景なりを容易に喚起させるような絵画的音楽になっているのである。少なくとも第2番のような、音楽でもって何をいいたいのか、良く聴かないとわからないということはない。だから分かりやすいのだし、イメージも掴みやすいということになるのだろう。もっとも、20代の頃のこの曲を聴いていた時は、そんなことも分からず、ただ明るい曲で、第2楽章の親しみやすい旋律が印象に残った程度だったから、実はあんまり聞いた風なことを偉そうに書けるような筋合いでもないのだが....。

 さて、演奏だがとりあえずマリナー、ムーティと聴いて、現在、インバルとフランクフルトの演奏を聴いているところだが、とりあえず前2者の演奏はというと、1番や2番ではその推進力がかなり魅力的に感じたムーティの演奏が、こういう曲だと、何故か一本調子に聴こえなくもない。一方、あまりにプレーンで、クリーンな演奏でやや食い足りなかったマリナーの演奏は、この曲の田園っぽさ、牧歌的なムードと妙に合致しているのか、心やすらに聴くことができたといったところだが、インバルの演奏はやや腰の重く、けっこう重厚で後期ロマン派的な演奏になっている。また師匠バーンスタイン譲り?のテンポを変動もこの曲をぐっと交響詩的なドラマチックさに近づけているようにも感じた。 
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フリートウッド・マック/噂

2007年07月20日 22時23分29秒 | ROCK-POP
そういえば今日で学生さんたち1学期も終了だ。先ほど赴いた八街でも終業式を終えたとおぼしき男女が開放感に溢れた表情?で、通りを闊歩していたけれど、千葉にとんぼがえりして、お昼近くパルコの前あたりを歩いていた時、ふと自分が高校3年生の時の1学期末のことをふと思い出した。私が高校生だった頃は、終業式は7月24日と決まっていたから、厳密にいえばもう2,3日後になるのかもしれない。それはたまたま終業式が土曜日で(今調べてみたら7月23日だった)、私と友達数人で、終業式が終わった後、わざわざ電車にのって千葉のパルコまできたのだった。なぜかというと、パルコに渋谷陽一氏が来るからなのである、当時、NHK-FMのロック系の番組で絶大な人気があった音楽評論だったから、その渋谷陽一氏の生DJを見に来たという訳だったのだ。

 今となっては、彼がどんな何を話して、またなんの曲をかけたのか、もはやほとんどが忘却の彼方ではあるけれど、確かフリートウッド・マックの当時出たばかりの新作「噂」から「ドリームス」をかけたような気がする。その頃の私はイギリスの暗くて重厚なロックばかりをマニアックに聴いている暗い学生だった訳だけれど、とういう風の吹き回しか、その頃フリートウッド・マックに突如入れ込み始めた時期に当たっていて、会場で聴けた「ドリームス」はなんだかとてもさわやかで新鮮に聴こえたような記憶だけが残っているのだ。当時、どうして私の好みが突如フリートウッド・マックに急旋回したのか、よくわからないのだけれど、理屈っぽく考えると、パンクとかニュー・ウェイブあたりが勃興して、私が好きだって往年の大グループたちの音楽が急速に色褪せ始めた時期だったからということもあるだろうし、当時はソフト&メロウとか呼ばれてブームになっていたこの種の口当たりが良い音楽に敏感に反応したということなのかもしれない。あっ、あと単純にスティービー・ニックスが素敵だったということあるな(笑)。

 ともあれ、その夏は「噂」、そして後追いで購入した「ファンタスティック・マック」を私は聴きまくったのだった。当時のフリードウッド・マックはご存じの通り3人のフロントを擁した最強のメンツだったし、音楽的にもまさに最盛期といえる時期で、この「噂」など確か3000万枚とか売れたような気がする。前述のとおり音楽は非エレクトリック系ともいえるシンプルなサウンドをベースしているサウンドw@、こんな当たり前な音がどうして新鮮なのか?と不思議に思えるとほど新鮮で、私は一夏通して「目から鱗」の状態が続いたのであった(「ユー・メイク・ミー・ラヴィング・ファン」のカッコ良さ、「ソング・バード」のメロディックさ、なんて好きだったな)。いや、おそらく当時は世界中にそういう人がいたのではないたろうか?。30年前の夏のことである。
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BlogOut @八街市

2007年07月20日 12時54分15秒 | others
 今年の梅雨は幸いにして、先日書いたような、「雨にぬれた傘を持ちながら電車に乗り込んだら、席が空いてないどころが満員で、両手塞がったま、電車に揺られて、したたり落ちる汗も満足に拭けない....」などという状況には幸いにして遭遇していない。なにしろ今年は汗をかかないような気がする。よくわからないけれど、今年は気温が例年より低いような気がするし、こちらが性懲りもないくダイエットを敢行し、7kgほど減量に成功したのも影響しているのかもしれない(もっとも最近はタクシーもよく使うから、そもそも歩いてもいないが-笑)。

 ともあれ、例年だと今日あたりが梅雨明けどきらしいのだが、今年は遅れていて数日ずれこむらしい。しかし、昨日や一昨日と違いは今日はけっこうな夏日で、私は午前中、朝一番でに八街というところに赴いて、そこで一仕事終えたら、そのままとんぼ帰りして千葉に戻ったのだが、ごらんのとおり夏空で(写真は八街ではなく、千葉市です)、千葉市街をちんたら歩いていると、もう梅雨も終わったんじゃないかと思うような暑さだった。まぁ、千葉県中をかけめぐるような仕事も今日あたりで一段だからぁ、あとは勝手にしろというところもあるのだが、いずれにしても、本番の夏ともなれば、今日みたいにじんわりと汗かく程度じゃなくて、汗が吹き出るという感じになるんだろうなぁ。
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