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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

萬芳(ワン・ファン)/断線

2005年09月30日 14時38分41秒 | 台湾のあれこれ
 10年程前に最初に訪台した時にカセットで購入し、気に入ったのでその後CDを購入したもの。カセットといえば、最初に台北に行った時、屋台やショップではほぼCDと同等くらいカセット・テープが並んでいて、その品揃えの豊富さと価格の安さに驚いたものだが、その後かの地に訪れる度にカセットは少なくって行き、5年前は往事の3分1くらいになっていて、その分DVDが幅をきかせるようになっていったが、きっとこの数年間にカセットはほぼ完全に陶太されてるんじゃないだろうか、どうなんだろう?。

 閑話休題、ともあれ、この作品は萬芳という台湾の女性ボーカリストの1994年の作品である。この人、派手さはないし、特に強烈な個性があるワケでもないが、陰影に富んだ声とオーソドックスな音楽嗜好で、おそらく当時からロック・レーベルの手堅い中堅どころだったのだろう。一年に一度台北に行くと必ず新譜が出ていた。

 ところでエイジアン・ポップを聴いたことがない人に、台湾でも韓国でも香港でもなんでもいいが、この手の音楽を初めて聴かせると、皆あまりにJ-Popっぽいので驚くものだ。「なぁ~んだ、もっとエキゾチックな音楽と思ったら、歌ってる言葉違うだけで、音楽はJ-Popそのものじゃん」ってな具合である。もちろん、よくよく聴けばそうでもないのだが、表層的なアレンジとかはそのままというのが多いのも事実なのだ。

 私はそんなエイジアン・ポップ未体験な人にはまずこのアルバム1曲目を聴かすことにしている。数人に試してみたが、「あぁ、コレが台湾のポップスなのね~」とみんなしばし魅了される(笑)。坂本龍一の「ラストエンペラー」風なエキゾチックなイントロ、冷やし中華風な悠久な旋律とあちらの楽器の音色が満載、しかも土台はあくまでもJ-Popというかニュー・ミュージック風なのが、分かりやすいのだろう。しかし、これはあくまでも例外。宇多田のアルバムの一曲目に平安調の古楽みたいなのをもってきたら、外人は喜ぶかもしれないが、日本人にとっては「えっ、なんで」となるに決まっている、それと同じなのだ。

 さて、このアルバムを続けて聴かすとどうなるかというと、たいていは「一曲目は良かったけど、あとは当たり前って感じよね~」みたいになる。実はこのアルバムの真骨頂はここにあるのだ。一見、ニュー・ミュージックまがいの音楽の背後に、郷愁をさそうような旋律、音楽をこねくり回さず情感を穏健に表現する素朴な良さが隠れているのである。こうした台湾ポップス独特の持ち味に魅了された私は、いまだにかの地の音楽を追いかけ続けているのだ....最近、いささか失速してますが(笑)。
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B.HERRMANN, A.NEWMAN / The Egyptian(Score)

2005年09月29日 23時02分12秒 | サウンドトラック
 6月にレビュウしたバーナード・ハーマンとアルフレッド・ニューマンの共作という珍作「エジプト人」の最新スコア盤。とはいっても、どうやらスコアを散逸してしまっているらしく、ジョン・モーガンという人が再現したスコアをストロンパーグ指揮モスクワ交響楽団の演奏で収録しています。Naxos系のサントラといえば以前はマルコポーロという傍系レーベルから出ていたワケですが、最近はすっかりNaxosの1シリーズとして定着したようで、こうしたレアな作品を数百円で購入できるのはうれしい限りです。

 さて、この作品、前記のとおり音楽そのものというより、どちらかといえば珍作という価値でサントラはCD化されたされたのだと思いますが、ほぼ時を同じくしてこうしたスコア盤まで出るということは、この作品、音楽的な価値もかなり認められたということなんでしょうか。まぁ、ハーマンの主要作品については、あらかた再録終わってきたという事情も無視できませんが、ともあれ元ソースの収録が55年だっただけに、こうした最新デジタル録音で本作品がもう一度楽しめるというのは、もうそれだけで私のようなサントラ・マニアにはたまらないことではあります。

 もっとも音質的には、NaxosですからあんまりHiFi感のようなものはありません。非常に穏健で中庸なこのレーベルらしい音で、ニューマンのパートはともかくとして、ハーマンのパートについては、もう少し金管がブリリアントに炸裂して欲しい、フォルテではガツンと音圧を感じさせてもらいたいなどと感じないでもないですが、高SN、今時なホール・トーンと相まって、当時は演奏会でとりあげるには異形過ぎたに違いないこの音楽がなんとも格調高い演奏会用音楽の如く聴こえてくるのは、録音以上に時の流れによるリスナーと演奏者の音楽的なキャパシティが圧倒的に拡大という現象もあるんでしょうが。

 あと、このスコア盤で改めて「エジプト人」の音楽を聴いて感じたことは、「いずれにせよニューマンの曲はハーマンの強烈なアクを前にいささか損をしている格好だ」と前回書かざるを得なかったニューマンのパートが思いの外、味わい深いものがあったこと。ニューマンは自分のパートでこの作品の「愛の主題」らしきモチーフを様々な形で循環させていますが、エピックらしいエキゾチックさをたたえつつ、時に意外なほどモダンなオーケストレーションでヴァリエーションを形成しているあたり、その巧緻さに舌を巻くといった感じでした。 
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ブライアン・フェリー/As Time Goes By~時の過ぎゆくままに

2005年09月28日 23時39分15秒 | ROCK-POP
 フェリーさんの新作はまたまたカバー集。「またやんの?」とか思っていると、内容は「おっとー!」ってな感じの大スタンダード大会で(笑)、アレンジはギター、ベース、ピアノ、ドラムスのシンプルでスウィンギーな4ピース・バンドに、時折ノスタルジックな管だの弦が絡むというバッキングにのっかって、フェリーさんが気持ち良さそうに歌っている。こういう本格的にジャジーなスタイルというのは、確かに今までなかったパターンではあるんだけど、意外性に驚くというよりは「遂にやってしまいましたかぁ?」ととかいうそういう感じ。

 あっ、ジャジーなバックといっても、今どきの「おしゃれなジャジーさ」というより、全体にもう少し古くさいというか、もはやアルカイックといってもいいくらいに、古色蒼然とした風情で、具体的には40年代後半~50年代前半くらいのナット・キング・コールあたりのスタイルで、きっとフェリーさんが少年の頃にこういう音楽を聴いて育ったんだろうな....と思わすに十分。ともあれ、こうした「自らの音楽的ルーツを執拗に遡る」みたいな試みは、最近流行になんでしょうね、きっと。
 個人的には、アルバムに数曲こういうスタイルの曲があるのはけっこうだし、いいと思うだけど、全編こう攻められてもなぁ....ってのが正直なところかな。まぁ、一曲だけアシッドな密林風のサウンドがいかにもフェリーさんってな曲もあるんだけど、あとはおしなべて前述のジャジー・サウンドで、「コレ聴くならキング・コールとかエラ・フィッツジェラルドの方が....」とかついつい思っちゃう。

 やはりフェリーさんは「アヴァロン」のスタイルでぶっちぎって欲しい(そういえば「ホロスコープ」はどんなったんじゃい?)。もしくは、それ以降のネタを繰り出してもらいたい、初期のスタイルに先祖返りするとか、大胆にテクノビート取り入れるとか、いろいろあると思うんだけどな。どうも恋愛の現役引退しちまって、特有の「切なさ」が追憶の中にしかない好々爺になってしまってるのが、まずいのかしれんなぁ....。とかいいつつ、けっこう愛聴しとるんですが、コレ、なはは。(1999年12月19日)
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FRANK SINATRA / Song for Lovers + Swing Eaxy

2005年09月27日 23時50分19秒 | JAZZ
 こちらは一昨日のレビュウの時、「ネルソン・リドルのオケで軽妙洒脱にスウィング」と形容した50年代初期のキャピトル時代の作品「Song for Lovers」と「Swing Eaxy」を2in1したアルバムです。当然の如く初めて聴く作品なワケですが、まさに前述の形容通り、ネルソン・リドル編曲によるゴージャスで都会的なビッグ・バンド・サウンドにのって、シナトラが軽妙かつ小粋にスウィングしていて、「あ~、これ、これ」って感じ。50年代のハリウッド・ミュージカル映画的なのムードというか、とにかくアメリカの黄金時代を風俗をそのまま音楽にしたような、オプティミズムとクールさが絶妙に入り交じった世界であります。

 それにしても、フランク・シナトラの歌は聞きしにまさる巧さですね。前回レビュウしたトミー・ドーシーとの共演ではいささか、優等生的にかしこまっているところありますが、こちらはとにかくスウィングしまくってます。大昔「シナトラの歌はジャズかポピュラー・ミュージックか」みたいなネタをどこがで読んだことありましたけど、このヴォーカルの崩しか方、スウィング感みたいなものは、ジャズ以外の何もでもない....っていう感じですね。なにしろこれをポピュラー・ミュージックと分類すると、エラやキング・コールが作ったネルソン・リドル編曲作品はすべからくジャズからはずれてしまいますし、ネルソン・リドルの編曲そのものもビッグ・バンド・ジャズ以外の何者でもないという感じですから(後半に収められた「Swing Eaxy」の方は、ストリングスも加わって一層豪華な仕上がり)。

PS:そうそう、一ヶ月ほど前にネルソン・リドル編曲作品について、ある方から当ブログにご質問がありましたが、とりあえず、ネルソン・リドルの編曲というば、シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、そしてナット・キングコールにとどめをさすのではないでしょうか。このアルバム、実はその質問に触発されて先日買い込んできたものでして、聴いた感想は前記のとおりですが、ナット・キング・コールがお好きなら、まずはこれも極上であります。ついでにエラでネルソン・リドルといえばガーシュウィン集ですかね。
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FFXI <ナL40,戦L32,暗L31, 白L25,黒L25, シL20, 狩L9, モL9 >

2005年09月26日 23時19分32秒 | GAME
私の前衛三役は揃ってレベル31になったところで、勢いにまかせて戦士でアルテパ・デビュー。32まで上げたところでいったんバストゥークに帰還。取得済みの狩人に取りかかる。シーフの時に覚えた遠隔攻撃のおもしろさは、狩人では格別だ。遠方にいるモンスター、主にミミズを弓や射撃で撃っているだけなのだが、これが何故か異様に楽しい。始めたばかりの頃、黒でやったバインドで相手の動きをとめた時に快感にちょっと似ているが、こちらの方が攻撃力は高いし、一種発散するようなおもしろさあって楽しい。なにしろ、狩人の遠隔攻撃はシーフや戦士に比べ、とにかく当たるのだ。投擲以外の遠隔攻撃については、いくらか他のジョブで上げてあったので、レベルひとけた台だとスキルがキャップになっているのも大きいかと思うが、弓で遠くにいるミミズやハチが一撃で撃沈するのはみていてとても痛快だ。また、このレベルではクリスタルがやたらと出るので、小金を稼ぎにもなるという訳で、狩人の育成は週末の楽しみとして、ひとまずレベル8まであげて、デジョンでジュノに引っ返す。

 次、ナイト。これまでゲーム内の知り合いからは度々「メインは何ですが?」と聞かれ、私はその度に「未だ、決めてません」と答え続けてきたのだが、いい加減、自分でもそろそろジョブを何かに絞った方が良さそうだと考えていたところだったので、とりあえず、本当にとりあえずナイトをメインにして40くらいまで上げてみようか思って、月曜以降はナイトに専念、狩り場は「ノーグ前」で32、「ガルレージュ要塞」で34、「クローラーの巣」で38、「グスタフの洞門」で40と快調にレベルアップを達成。シーフさんとの不意だま連携プレーに失敗したり、ふたつくらいレベルの高い人達とパーティー組んで、真っ赤になりっぱなしの瀕死状態の盾をやっていて、途中から前衛のひとりが忍者とチェンジしたらいきなり楽勝になって、ナイトの盾性能に疑問を感じたりと、相変わらず凹んだりもしたが、2~3週間を目論んでいたところ1週間で達成してしまったからまずまずのところだろう。しかし、あまりに早く上がってしまい、なんかそれなりにスキルが上がった気もしない。そういえば、その前もそんな理由で暗黒とかやったんだよなぁ(笑)。はて、この後はどうしようかと現在思案中である。
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F.SINATRA & T.DORSEY / Greatest Hits

2005年09月25日 23時55分29秒 | JAZZ
 6月にビッグバンド系のアルバムを数枚買い込んだ時、一緒に購入したもののしばらく放置してあったもの。かのフランク・シナトラがトミー・ドーシー楽団出身だったというのは有名な話ですが、このアルバムはその時期の彼をフィーチャーしたものです。録音は40年代初頭頃のようですが、この時期に限らず、聴き流した類は別として、こうした形できちんとフランク・シナトラの作品を初めてになります。

 いや、前々から聴きたかったんですよ。そのきっかけになったのは映画「ダイ・ハード」のエンディング・テーマで使われていた「レット・イット・スノウ」という曲。映画そのもの出来も秀逸でしたが、ドラマの締めくくりにこの曲がなんとも余韻深く、かつノスタルジックに使われていたもんで、「あぁ、フランク・シナトラっていいなぁ、もう少し歳取ったら聴いてやろう」とか思っていたんですね(ちなみにかの曲をフランク・シナトラだと思いこんでいたのは私の間違いで、実際はボーン・モンローという人が歌っているようです、どうしてサントラには入っていないのだろう?)。

 さて、実際聴いてみると、これが実に良かったです。彼の全盛期のスタイルであるらしい「ネルソン・リドルのオケで軽妙洒脱にスウィング」みたいなイメージより、もっともっとシックでムーディーだったのは意外でしたが、当時の彼はトミー・ドーシーの楽団員だったワケで、ドーシーのお膳立てした音楽の中で、ある意味生真面目かつ優等生的に歌っていたというところもあったんでしょう。つまり、大枠としてあくまでもトミー・ドーシーのロジックによる音楽なんですね、当たり前か(笑)。
 ただ、トミー・ドーシーにとっても、フランク・シナトラという素材はおそらく極上のものではあったんでしょう。「センチメンタル・ジェントルマン・オブ・スウィング」と呼ばれた彼の音楽を、6月に聴いたベスト盤より、むしろこちらの方が最良の形で表現していると思わないでもないですから...。

 ちなみに曲は「夜も昼も」「スターダスト」といったお馴染みのものから、初めて聴く曲までいろいろですが、とにかく全曲ムーディーで、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章の旋律をヴォーカル仕立てにした「I Think of You」なんて曲もおもろかった。この時代のジャズ作品には割とこういうが多くて、ひとつの色物だったんでしょうね。ともあれ、オッサンの私に現在最高のリラクゼーションをもたらしております(笑)。 
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エディ・ヒギンズ・トリオ/魅せられし心

2005年09月24日 14時16分36秒 | JAZZ-Piano Trio
 エディ・ヒギンスはヴィーナス・レーベルの看板アーティストだ。アルバムもピアノ・トリオをメインにして沢山出ている。だからといって、これがアメリカでもそうなのかというと、どうもそうでないなさそうなのである。同じくヴィーナスでニュー・ヨーク・トリオをやっているビル・チャーラッブなんかは、アメリカではブルー・ノートで別のトリオでやったりしているし、テビッド・ヘイゼルタインもシャープ・ナインとかかいろいろ出しているが、彼の場合、リリースしているのはほぼヴィーナス・レーベルだけ、つまり人気が高いのは、主に日本だけということになるんじゃないだろうか。

 こういう現象は昔もあった。例えば70年代中盤以降、グレイト・ジャズ・トリオで復活したハンク・ジョーンズなどは、典型的な先例になると思うが、ある意味両者はとても似ていると思う。大向こう受けするスタンダードをあまりくずさず割とストレートに演奏する、カクテル・ピアノ風な軽さと上品さがある、ビル・エヴァンスほど理知的ではないが、オスカー・ピータソンほどアグレッシブでもないという中庸の美みたいなバランスが絶妙、長いインプロをやらない....といったところだろうか、まっ、これは制作会社の意向とミュージシャン自体の資質の兼ね合いという問題もあるので、一概に断定できないけれど、ともあれ、日本人のジャズ観みたいなものがよく出ていると思う。つまりこのふたりは「日本人が考える典型的なジャズ」みたいなものを体現しているんじゃないかと思う。

 さて、このアルバムはヒギンスがヴィーナス・レーベルで出したは97年の作品で比較的初期のものとなると思う。「マイ・ファニー・バレンタイン」、「ハウ・マイ・ハート・シングス」、「イスラエル」、「アイ・シュッド・ケア」といったビル・エヴァンスの愛奏曲が並び、特にトリビュート云々のクレジットはないが、おそらくエヴァンス絡みで選曲されたことは間違いないと思われるアルバムになっている。演奏はビル・エヴァンス的なモードっぽいところや、音楽の温度感が低目なところを、よりオーソドックスなジャズ・スタイルに少々シフトして演奏しているという感じで、美しいピアノ・タッチと良く歌うフレージングが選ばれた素材ととてもあっている。
 というワケで、このアルバム「日本人の考える最大公約数的ジャズの良質な見本」ともいえるのではないだろうか、個人的には大好きなアルバムだ。
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DEODATO / Deodato 2

2005年09月23日 23時23分17秒 | Jobim+Bossa
 「ツァラトゥストラはかく語りき」の大ヒットを受けて、間髪なくリリースされたデオダートの第2弾。なにしろ、あれに匹敵するアイデア賞モノなクラシックな素材などそうそうあるワケないのだが、この第2作ではムーディー・ブルースの「サテンの夜」やラベルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」といった素材を扱いつつ序盤~中盤は割と地味目に進行、オーラスでガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」で一気にハイライトに上りつめるという感じである。よくも悪しくも、この曲が登場するまで、リスナーは発散するのを待たされているというアルバムだったと思う。

 その分、「ラプソディー・イン・ブルー」の爽快感は格別だ。基本的にはかの曲の後半のモチーフを引用し、ファンキーなリズムにのって各種ソロを鏤めたデオダート節というか、CTI調なんだけど、やはり「ラプソディー・イン・ブルー」という素材のメインのところでなく、後半の印象的なモチーフをあえてメインにもってきた意外性はさすがであった。まぁ、今聴くとデオダートのエレピのソロは、手癖でだけで引き延ばしているようなところもあるし、繰り返しがちとしつこいような気もするが、今聴いた場合、けっこうそのあたりの「濃い」部分が新鮮かもしれない。思うにこの種のCTIサウンドってのは、80年代前半からの10年くらいが一番、古びて聴こえた時期だったように思う。90年代序盤くらいからは、フレーズ・サンプリング等を使用したヒップ・ホップ系音楽の素材源として注目されたのをきっかけに、不思議なくらい音楽的鮮度を甦らせてしまったのは、時代の妙と呼ぶべきか。

 あと、このアルバムで特筆すべきは「亡き王女のためのパヴァーヌ」だ。薄く流れるストリングスとエレピの絡みだけで全編が構成された正攻法でラベルの名曲の料理したものだけど、この曲の退廃感のようなものをブルース的な情感に翻訳した部分など秀逸、ロマンティックなムードと共に素晴らしい仕上がりだ。
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DEODATO / Prelude

2005年09月22日 11時22分04秒 | Jobim+Bossa
 これがヒットしたのは確か73年頃だったと思う。この手のフュージョンとしてはまさに「走り」の音楽だったハズだけど、とにかく「ツァラトゥストラはかく語りきという曲のおかげで本作は大ヒットしのだ。なにしろ、ジャズとしては異例なシングル盤が発売、そのヴァージョンは、パチンコ店のBGMやその他有線などでもオンエアされまくっていたらしいから、そのメガトン・ヒットぶりがわかろうというものだ。

 この曲が大ヒットした理由は、まず「ツァラトゥストラはかく語りき」という素材の良さがあったと思う。もちろん、あの長大の交響詩の有名な冒頭部分のみをデオダートはアレンジしているワケだけど、その前段階としてこの部分が1970年公開のスタンリー・キューブリック作品「2001年宇宙の旅」の冒頭で、あまりに印象的に引用されていたため一躍有名にやなり、多分、それの影響を受けて70年代前半のエルヴィス・プレスリーのライブ・ステージのオープニングにいつもこれを使用したことも、ポピュラー・ミュージック界でこれをとみに有名した。。

 とにかく、本作はその後塵を拝する形でこの曲は発売されたのだった。このアイデアはデオダートというより、クリード・テイラーのものであろう。ブラジル出身のアレンジャーで60年代中盤からブラジルの大物のボサ・ノヴァ系の作品を非常に器用にこなしていたという印象ではあったが、この手のことはほとんどやっていなかったと思う。要するに腕を買われたのだと思う。「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭はマイルスの「ビッチズ・ブリュウ」風な仮想アフリカ的世界に始まり、もやもやが晴れるように例のテーマが8ビートにのって現れるカッコ良さは今聴いてもアイデア賞ものであった。さすが商売人、クリード・テイラーの目に狂いはなかったのだ。もちろん、この作品でデオダートは一躍大スターとなったのであった。
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ハイドン交響曲第8番『夜』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2005年09月21日 12時12分57秒 | ハイドン
 これも標題がどうして「晩」なのかは不明。第1楽章は先行した(創作上先行していたかどうかはわかりませんが)ふたつの作品と異なり序奏なしにスタート。私のように「交響曲の第一楽章は序奏があるのが当たり前」みたいに思っている人だと、なにやら最終楽章から始まったみたいで、かなりスピード感も手伝ってちと違和感あります。とにかく、さりげなく始まって一気に駆け抜けるという感じ。

 第2楽章は子守歌風というか安穏な眠りに誘いそうな旋律が印象的。この旋律を様々な楽器群で音色をかえて繰り返し演奏していくワケですが、静謐感あふれる曲調といい、このあたりがイメージが標題の「晩」の所以なのかもしれませんね。演奏時間も全楽章中もっとも長く、ハイドンとしてかなり力入れて作っているような感じがします。私としてもここではこの楽章が一番気に入りました。メヌエットである第3楽章は、前2作と同様さながらコントラパス協奏曲のようになったりもしますが、全体に、あまり明るく抜けるような感じではなくどことなくノクターンっぽい感じがするのは私が「晩」という標題にとらわれているからかもしれませんね(笑)。

 最終楽章は非常にダイナミックに進行します。随所に現れるトレモロみたいな音型がとても印象的で、ネットで調べてみたらこれは「雨」を表していて、全体としては「嵐」を描写してるんだとか....納得。ただし、ロマン派の曲のリストだとか、リヒャルト・シュトラウスあたりのこの手の描写を先行して聴いてしまうと、なにやら本人は家の暖炉の脇かなんかにいて、「外は嵐のようですなぁ」といっているみたいなのどかさがあるというか、のんびりとした風情を感じたりもしますが(笑)。

 というワケで、やっぱり標題の「晩」の由来ははっきりわかりません。ともあれ、標題付きなのは楽曲の内容と標題との関連から印象に残っていいです。次の9番からからはしばらく標題なし、また自分で考えるのが楽しみというか、なんというか....。
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私の愛機 [7] ACUSTIC REVIVE RTP-6(Tap)

2005年09月20日 23時33分30秒 | PC+AUDIO
 電源タップでも音はかわります。うちでは今年の初め頃、それまで使っていたYTP-6をRTP-6にリプレースしましたが、以下はその時の印象を某掲示板で書いたものを多少改変したものです。

 これまで数年間愛用していた電源タップYTP-6をRTP-6にリプレース。さっそく聴いてみたが、そもそも同じメーカーだから出方としてはけっこう似ている感じ。一応、オヤイデだのサエクだのの自宅の残っているタップをこの際だからと持ち出してきて比較したんだけど、アコリバはどちらも共通して、聴感上のSN比か上がり、同時にシャープで高解像度な音になるような特徴があると思う。
 ただ、RTP-6の方は3kgという物量を投じたアルミのシールドと重量が効いているせいなのかどうか、YTP-6と比べても、一聴してシンバル類の抜けが良くなり、全くといっていいほど歪み感がなくなるのが印象的。後、もう少しハイスピードでソリッドな質感かとも予想していたのだけど、そのあたりは意外にも美音系というかエレガントな音を出して来たのは、うれしい誤算。ヴォーカルなど極めてナチュラルだし、低い方もけっこう量感が出て安定感も増す....という感じですかね。(2005/1/15)

 購入したRTPは2台、新版のRTP-6evolutionとオリジナル版のRTP-6です。2台とも新しいevolutionでないのは、買ったのがオークションだったから、人気の高いRTPはオークションでかなり高値がつくので、どっちで出たら入札に参加はしたんだけど、ゲットできない状況が続いたので、とりあえずRTPであればどっちでも良かったという感じ。
 これをデジ・アナ分離で6evolutionをアナログ、オリジナル版をデジタルにして使ってますけど、デジ・アナ分離の効果というのは、まぁ精神安定剤ていどでしょうか。そんなに劇的な効果はないです。パワー・アンプは壁コンから直付けした方が良いというセオリーがありますが、うちの場合タップにつなげかえる方が、すっきりとした整った音に感じるので、このところパワー・アンプもタップか給電してます。
 ちなみに、これまで使っていたYTPは細長く軽いんで、MITのような堅いケーブルをあれこれ刺すと転倒して精神衛生上あまりいい気がしなかったんですが、RTPは四角い箱で重量も安定性それだけでもいいです。ついでに書くとRTPのオリジナルの方はevolutionのようにスパイクないので、なんか寂しくなってインシュレータのかわりに、フラットタイプのバーベルの錘を2個、ブチルでダンプした上での底面にくっつけて強化版にしました(外見的にもなかなかカッコ良いぞ)。トータル5kg!。安定度抜群です。Magunum6本さしても微動だにしません。ざまぁみろって感じ(笑)。(2005/1/18)
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私のジャズ遍歴

2005年09月19日 23時20分41秒 | JAZZ
 唐突だけれど、私のジャズ遍歴をちょっと紹介しようと思う。一番最初に聴いたジャズのレコードはマイルスの「フォア&モア」。中学2年の時、愚兄の紹介で聴いたものだった。あのテンポの早い煽るようなテンポで押し切ったあのアルバムは良かれ悪しかれ私のジャズ観のようなものを形成したと思う。で、20代まではマイルスをいろいろ聴いたけど、「ライブ・エビル」、「マイルス/モンク」など購入した記憶があるが全くピンとこなかった。

 20代の後半になって、マイルスのマラソン・セッション4部作あたりがおもしろくなってきた頃から、ビル・エヴァンスやチック・コリアあたりを楽しくけるようになってきたが、本格的にジャズに開眼するのは、バブル期の頃だったと思う。スタンダード・ナンバーが好きになって、それこそセオリー通りにエラ・フィッツジェラルドのソング・ブック・シリーズを手当たり次第に聴いて、どれもが良かったものだから、私の場合、ジャズはスタンダード・ナンバーを切り口にして風穴をあけたという感じでだったと思う。年も30代前後で、スタンダード・オヤジになりかけていたワケである(笑)。

 以降、キース・ジャレットのスタンダーズあたりはいいほうで、スタンダードをやっていて、4ビートで、なおかつ夜酒を飲みながらBGMになりうる物であれば、澤野工房でもヴィーナスでも、マイナー・レーベルでもとりあえず注目するって感じ。だから、もうここ十年ばかりは、ピアノ・トリオかギター・トリオ、あと瀟洒なヴォーカル物が専門。だから、ジャズでもブルー・ノートとかプレッステッジとかの王道路線より、ヴァーブとかCTIなんかの方が、肌に合うん軟弱者なのである。
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FFXI <戦L31,ナL31,暗L31, 白L25, 黒L25, シL20, モL8 >

2005年09月18日 16時09分56秒 | GAME
 先週のシーフ育成をそのまま継続、19になったところでクフィムに乗り込んで、ミミズとカニを買って深夜になんとか20に到達。これで戦士でレベル40までサポとして使えるので、とりあえずこれで終了して、水曜日からはレベル25だった暗黒にとりかかかり、一日ひとつかふたつづつレベルがあがり土曜日にはレベル31に到達。金曜と土曜には戦士18だった頃、バルクルムとてとてのゴブリンに突っ込んだ当時赤、現在戦士さんと久々にチームを、わきあいあいとユタンガやヨアトルで進められて楽しかった。なんでも、早いとこ戦士を30に上げてexJOBをとりたいとか、健闘を祈りたい。

 さて、ナイトと暗黒がレベル31になったところで、一ヶ月半ぶりにレベル30で凍結していた戦士を復活させることにした。思えば、この一ヶ月半はソロで上げた戦士の装備をナイトと暗黒に着せようとしていたような、短いようで長いような40日余りだったのだ。ついでにパーティーで後衛の気分も味わいたいと白と黒までバルクルムでやってみたり、シーフをちょいとかじってみたりと、まるでソロ期間の遅れを取り返すようなパーティー三昧の日々でもあった。あっ、シーフといえばその間に覚えた弓&射撃がすっかりおもしろくなってしまい、本日exJOBの狩人もとってしまった(写真はその時のもの)。

 ともあれ、戦士復活!。しかし、その緒戦はかなり無惨なものであった。キャンプはノーグ入り口だったのだが、そこに行く途中で道に迷い、30分近くあれこれ迷ったあげくチョコボ時間切れ、とぼとぼと歩いてやっと着きそうになったら、魚にリンクされ、助けにきた他のメンバーも巻き込んであえなく死亡、時間を30分以上無駄にしての戦闘開始とあいなった。まぁ、戦闘が始まった後はけっこう順調だったのだが、ともかく序盤ですっかり動揺してしまったせいか、小ミスも多くて個人的には凹もっぱなしてあった。が、とりあえずこのパーティーでレベル31になって、私の前衛三役は揃ってレベル31になったのであった。
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MAHAVISHNU ORCHESTRA / Birds of Fire

2005年09月17日 15時58分29秒 | JAZZ-Fusion
 私がロックを聴き始めた1972年頃、この「火の鳥」というアルバムは、ほとんど完全にロックのアルバムとして売られていた、ジャズの方ではどう見られていたのかは知らないが、当時、このアルバムはディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを聴くようなロック・リスナーにも売れていたことは確かだと思う。これは当時、これを発売していたCBSソニーの割と戦略的なプロモーションもあったと思うが、マクラフリンというマイルスによって発見されたギタリストが、英国出身で割とロック絡みの人脈とも通じていた点や本家マイルス以上にロック的音楽をマハビシュヌ・オーケストラでやっていたこともその理由だと思う。

 実際、マハビシュヌ関係のアルバムは当時良く売れたんではないだろうか、このアルバムの後、当時人気絶頂のサンタナと共演した「魂の兄弟達」なんかは、ほとんどベストセラーだったような気がする。私もそれに煽られ当時いくつかのアルバムを購入したクチだが、正直に告白すると、これらのアルバムは当時の私にはまったく理解不能な作品だった。錯綜するリズム、複雑なキメ、狂おしいようなテンションで舞い上がるソロ群に彩られたその音楽は、当時、私が聴いていたロックの枠からは完全にはみだしていたのである。これはまったくの想像だけど、ベストセラーを記録したとはいえ、当時いた多くのはロック・リスナーにとってもそうだったのではないだろうか。何故かといえば、これだけ売れたというのに、もっと親しみやすく、ある意味ロック的といえた中期リターン・トゥ・フォーエバーなんかは、ほとんどのロック・リスナーからは無視されていたからだ。

 客観的にみて、このアルバムの音楽の凄さをロック・ファンは本当に実感するのは、AORやフュージョンが一般的な人気を得、このアルバムで使われているフュージョン的な音楽ボキャブラリが多少水増しされて定着した70年代終盤の頃だったと思う。つまり早すぎたアルバムだったのだ。一般的にこの手のフュージョンはマイルスの「ビッチズ・ブリュウ」が始祖と呼ばれているが、このアルバムの音楽は、リターン・トゥ・フォーエバーやウェザー・リポートと並ぶ、あの作品から生まれた第一世代の音楽ともいえる。ただし、実際のところロックとは、あまり縁があったとはいえない....と私は思う。
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ハイドン交響曲第7番『昼』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2005年09月16日 20時22分56秒 | ハイドン
 第7番です。「昼」というニックネームがついてますが、これがどこから由来するのかよくわかりません。このニックネームによるものだそうですが、なんでもこれに続く8番と併せ、ビバルディの「四季」を意識した3部作とのことなんで、まぁ、ネーミングが先にあって、それらしい気分の曲をつくったたげかもしれませんが、ニックネームという暗示効果は大きくて、全編からそれとなしに午後らしい雰囲気が感じられるから不思議です。とはいえ、その論法でいくとハイドンの場合、「昼」に該当する交響曲はそれこそ何十曲にもなっちゃうでしょうけど(笑)。

 さて、この7番の内容ですが、6番と同じく全4楽章、演奏時間も約25分と堂々たる規模のものとなっています。前回のレビュウにコメントいただいたくれるぼさんによれば、この曲、実際には20曲目くらいになるようですから、規模やスケールという点でも5番あたりからかなり進歩していたんでしょうね。そのあたりを端的に表しているのが第1楽章の荘厳な序奏部で、ファンファーレ風な金管も鳴って、大曲のオープニングらしい風情がただよっています。6番の序奏は短かったですが、こちらは長さも十分。いかにも大交響曲って感じがします。ただし、続く本編はこれまた6番同様各種ソロ楽器が活躍する合奏協奏曲のような仕上がりで、各種ソロ楽器が華やいだ雰囲気の中ちょこまかと活躍するあたり、バロック音楽的な愉悦感のが強いのは、スポンサーの意向をくんでのことなのかもしれませんね。

 ちなみにこの曲で、私が一番印象に残ったのは第2楽章です。この楽章、短調のレチターティーヴォと長調のアダージョからなる変則的な緩徐楽章ですが、前者のレチターティーヴォがこの時期の音楽としては意外な程ロマン派的なムードを見せていて聴いていて、けっこうおやとか思いました。まぁ、レチターティーヴォなワケですから、ソロ・ヴァイオリンをオペラの独唱に見立て音楽ということで、まぁ、こういうのもありなんでしょうが。ちなみに後半は雰囲気が明るくなり、割と教会風なムードも交えて進行しますが、併せて約10分聴き応えのある楽章です。第3楽章は>コントラバスを大幅にフィーチャーしたユーモラスな協奏曲風。フィナーレの第4楽章は第1楽章の華やかなムードに戻って、木管楽器を表に出しつつ、全合奏との対比によってダイナミックに進むという感じですかね。後半、金管楽器が出てくるあたりの高揚感もひとつのハイライトとして、こりまた聴き応え充分であります。
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