Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ボルマゲン(消炎・鎮痛・解熱剤)

2007年05月31日 18時00分18秒 | others
 2月下旬頃、FFXIのところでゲームやり過ぎで(?)、左手首が痛くなってしまったみたいなことを何度か書いたけれど、冬も終わり、春も過ぎて、もう梅雨だというのに相変わらず痛い。あの直後に職場近く医者にいったが、「腱鞘炎です」のひとこと。で、腱鞘炎などいう病気をなんにも知らない私は、「こんなもの1ヶ月もすれば直ってしまうだろう」とたかをくくっていたのだが、もう3ヶ月も付き合っている訳だ。特に強烈な痛みがある訳でもないので、困ることといったら左手で背中がかけないということくらいなのだが、たまに夜中に眼がさめたりすると、親指の付け根がポキポキいったりして、いかにも「使い過ぎによる腱と腱鞘の間の機械的な摩擦による炎症」がおきているという感じがする。

 さて、私が医師がもらっている薬が、ボルマゲンというヤツで、消炎・鎮痛・解熱に効果があるらしい。ネットで調べても腱鞘炎とセットでよくでていたりするが、基本的には痛みを緩和するだけで、病気の原因を解消するようなものではないらしい。ただし、この薬、飲むとほどなく痛みがとれて、すっかり直ってしまったような効果があるもんで、とりあえずこれを飲んでいれば大丈夫みたいに思いがちなのである。そんな訳で、この薬をもらうため週に一度はあしげく医者に通っているのだけれど、最近、どうもこれを飲んでも前ほど効果を感じなくなってきたような感じがする。こんな薬とは早いところを手をきってしまいたいのだが、しばらく飲み続けるのか、医師に相談して他の薬をもらうのか、目下、思案中だ。あ~あ、この腱鞘炎、持病になっちゃうのかねえ。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

マーラー 交響曲第10番 他/セル&クリーブランドO <SACD>

2007年05月30日 21時06分31秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラーの交響曲第10番は、未完成であるが故に興味深い曲だ。通常、演奏されるのはマーラー自身がまがりなりにも総譜を手がけた第1楽章だけだが、毀誉褒貶はあるものの、イギリスのデリック・クックが補筆完成させたヴァージョンがあるせいで、比較的新しい指揮者はこの全曲を「マーラーの曲」として全曲演奏することも多くなってきたという経緯がまずおもしろいし、この補筆完成版というのも実はクックの他にも、マゼッティ、フィーラーなど様々な人が挑戦していて、それもかなりの数CD化されているである。

 私のような楽譜音痴の場合、クラシックの版違いというのはロクに違いもわからないことが多いのだが、版違い、ヴァージョン違いの類はジャンルを超えて好きなので、けっこう買い込んでいたりもする訳だ。このジョージ・セルとクリーブランドの演奏は、広い意味でその一種である。広い意味で....と書いたのは、実はこの演奏、デリック・クックが補筆完成させる前のもので、クルシェネック版といわれているものを用いたものだからである。詳しい事情は省くが、クック版がでるまでは、マーラーの交響曲第10番といえば、とにもかくにもここで聴かれる第1楽章と第3楽章しか存在していなかったからだ。

 さて、この補筆クルシェネク版だけれど、彼はアルマはの娘婿にあたる作曲家らしく、また一部シャルクやツェムリンスキーなども強力しているらしい。いわば濃い血筋での補筆ということになり、当時としてはそれなりに正統性を主張しうるものだったのだろう。だからこうしてジョージ・セルのような大指揮者がレコード演奏を残した訳だ。ところがこのクルシェネクによる補筆も、クックの見識ではかなり誤りがあったらしく、補正をほどこしているとのいうことで、そういった経緯もあって、クルシェネク版は現在ではまったく演奏されなくなった。逆にいえばその意味でもこの演奏には歴史的な価値があるともいえる。

 では、両者では何が違うのだろうか。そこであれこれ分析できればよいのだが、実は私にはよくわからない。じっくりと聴き比べれば、細部の違いはわかるかもしれないが、一聴した感じでは全く同じように聴こえるのが哀しい。むしろ、セルらしい、直線的でベタベタしない、すっきりとクリアな演奏が、この曲に潜む情念のようなものをあまりに希薄にしてしまっているという、演奏に係る印象の違いの方が強かったりするのだ。また、晩年のマーラーの心境を色濃く伝える第1楽章にくらべ、第3楽章「プルガトリオ(煉獄)」はなぜだか初期型マーラーに先祖返りしているような音楽で、続けて聴くと妙に座りが悪かったりするのも気にかかるところで、どうも版違いということをポイントに聴くとこの演奏あまり印象に残らないというのが正直なところだ。

 
 ちなみにこれは58年の録音だから、音質はけっこうナロウだし、いささかもやもやしたところがないでもない。メディアはSACDだから、マスターのクウォリティをそのまま伝えるクリアさや柔らかな透明感といった器そのものの品位の良さは感じるものの、逆に元ソースのクウォリティ的な限界も感じさもしてしまう。
 という訳で、なんか気紛れで取り出してきたアルバムだけれども、こうなるとクックの全曲版の方も聴きたくなってきたな(笑)。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

許茹芸(ヴァレン・スー)/眞愛無敵

2007年05月29日 20時53分40秒 | 台湾のあれこれ
 このアルバムは1999年に訪台した時に、台北の西門街(日本でいったら原宿か新宿に相当する)にあるタワーレコードで、確か台湾の王道ポップスの大型新人みたいノリで、かなり大々的にディスプレイされていたのをみて購入してきたものだ。実は新人ではなくて、1999年の時点で既に中堅になりかけていたくらいのポジションだったらしい人なのだが、台湾にいくと私は台湾ポップスのCDを山のように買ってきてしまうので、とにかく目立っていたことだけは間違いない。実際に聴いてみると、ちょっと舌足らずだが、とてもナチュラルな声質を持った人で、しかもバラード路線を全面に出した正統派の台湾ポップスだったから、これはけっこういけるかも....と思ったものだったが、あの時期、この手の台湾ポップスでは、むしろ周の方が気に入ってしまったし、良さそうだとは思いつつ、あれこれと沢山買い込んだせいでちと興味が拡散したせいもあって、もうずいぶん長いこと放置していた。

 で、久しぶり聴いてみたのだけれど、やはりいい。今となっては「ひとむかし前の台湾ポップス」ではあるけれど、人なつこくて、素直に上昇していくような旋律、ピアノをベースにしたウェストコーストAOR風のバックサウンドなど、まさに台湾ポップスらしさ満載である。許茹芸は前述のとおりとてもナチュラルでチャーミングな声をしていて、ある意味ファンタジックと形容したくなるようなところもあってこれもまたいい。4曲目など聴いていても涙が出てくるくらいに、心のきん線にふれまくりな歌と旋律で、こういう曲を聴くにつけ、私と台湾ポップスとは相性が抜群に合っているのだなぁと思ってしまう。
 そんな訳で久しぶりに聴いた許茹芸とても良かった。このアルバムが出たのが1999年だからもう8年もたっていている訳だけど、その間に台湾ポップスは大きく変容した訳で、現在も人気シンガーとして活躍中の彼女は、今いったいどんな音楽をやっているのだろうか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ZARD /永遠

2007年05月28日 20時47分45秒 | JAPANESE POP
 本日、出先で昼飯を注文し、待っている間、PDAでネットでニュースにアクセスしたところ、ZARDの坂井泉水が亡くなったことを知った。このニュースで初めて知ったのだが、彼女は昨年から子宮けいがんで治療を受けていたらしく。いったん良くなったものの、がん細胞が転移したことで入院していて、26日の朝、散歩の帰りに高さ3メートルの階段から滑り落ち、脳挫傷のため亡くなったという。 なんでも、雨で階段が濡れていたことで滑り落ちたとのことだが、最近はそれほどでもなかったとはいえ、私は坂井泉水の大ファンだったので、病魔に冒され、その闘病の最中にあっけなく事故で亡くなってしまうとは、なんともはや痛ましいというかやりきれない思いになった。

 そんな訳で、今夜は彼女の追悼という意味を兼ねて、1999年に発表された「永遠」を聴いているところである。この作品はたぶん私が購入した最後のZARDのアルバムであり、実は買ったのはいいがそのまま放置してあったアルバムでもあったからだ。ZARDのきちんとしたスタジオ・アルバムとしては、このアルバム以降長いこと出ず、かろうじてシングルでつないでるようなところはあったし、これといった曲も聴こえてこず、セールス的にもぱっとしない日々が続いたせいもあって、私はZARDに対する興味を少しずつフェイドアウトさせてしまい、このアルバムもそのうちに聴こうと思いながら、そうこうしているうちに、むしろ私のZARDの作品に対する好みがほぼ固まってしまい、私にとって『ZARDのといえば、「TODAY IS ANOTHER DAY」まで』というイメージになっていたのだった。ともあれ、8年も経ってしまっていた訳だ。

 さて、初めて聴くこのアルバムだが、1曲目の「永遠」がいい。このアルバムで全盛期の名曲群に伍する作品といったら、やはりこれになるだろう、なんだか壮大な恋愛の落日をスナップ・ショットしたような曲で、高揚感と虚脱感が交錯するところが印象的だ。青春時代の恋愛賛歌というか、その応援歌みたいなちょいと大人が聴くには気恥ずかしい歌詞を、「ひょっとして、自分にこんなことあったかも?」と、妙に説得力ある世界に替えてしまっていたかつてのZARDワールドに比べると、その世界自体が少しづつ落日を向かえていたことを匂わせる曲でもあり、その意味でも少し哀しくなる曲である。
 ともあれ、最初がそうだから、全体にそう感じてしまうのかもしれないし、彼女の訃報を知っているから余計そう感じるのもかもしれないが、やはり以前のはつらつとしたところがいささか後退しているのがちと寂しく響くアルバムでもある。そんな訳で、最後に彼女の冥福を祈りつつ、この歌詞を引用しておこう。


 君と僕の間に 永遠はみえるかな
 この門をくぐり抜けると
 安らかなその腕にたどりつける また夢をみる日まで(「永遠」)
コメント (3)   トラックバック (2)
この記事をはてなブックマークに追加

私が昔使っていたオーディオ機器 [3] Onkyo MB-S1( HDD Recorder)

2007年05月27日 19時18分07秒 | PC+AUDIO
 先月取り上げたヤマハのCDR-HD1300の前に使っていた機種。もっともこちらはCDRを焼き付ける機能はなく、CDドライブは再生専用で文字通りディスクを再生するか、ハードディスクにリッピングするため使うかだけに使うというものだった。つまり音楽のワークステーション的な使い方ではなく、沢山の音楽をアーカイブしてジュークボックスのように楽しむというコンセプトだったようだ。この機種はおそらくハードディスクを搭載したスタンダローンのオーディオ機器としては、日本で一番最初のものだったのではないだろうか。新しモノ好きの私はけっして安くない10万からの大枚をはたいて購入したが、実際に使った印象は残念ながら芳しいものではなかった。

 なにしろハードディスクのノイズが予想以上に大きく、ブーンという音がヤケに耳についてしまったのがなにしろがっくりときた。ひょっとすると個体差で悪いものがあたった可能性もないでもないが、「おいおい、静音設計とかいってなかったのかい?」と何度も首をひねったものだ。次に曲間が一瞬とぎれてしまうのにも閉口した、MP3なら仕様と思って諦めるが、なんとCDでもそうなのであった。私はクラシックの長い作品をのまとめてアーカイブして楽しもうなどという目論見もあったのだが、細かいトラックに切られたアルバムなど、いちいちプツプツきれるのを聴くにつれ、とても日本の製品とは思えない詰めの甘さを感じたりもした。ついでにいえば、PCから転送するメーカーが用意したソフトもとりあえずできる....というレベルでとても満足できるものではなかったし、とにかく良い印象がないまま、この機種には見切りをつけてオークションで売り払ったという訳である。

 ちなみに音質そのものは決して悪いものではなく、スタンダローンなCDプレイヤーとしても5万円クラスくらい音はしたような気がするし、スリムなフルサイズ・コンポとしてデザインも悪くなかったのだが、前述の難点はいかんともしがたく、そうこうしているうちにiPodが圧倒的に普及したせいもあって、こうした機種の存在感はシリコンディスク・プレイヤーとパソコンという組み合わせに、ほとんど吸収されてしまうことになったのだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

Wes Montgomery / Smokin' At The Half Note

2007年05月26日 23時52分15秒 | JAZZ
 ウェス・モンゴメリーはヴァーブに移籍後、2作ほど比較的聴きやすいイージー・リスニング的な作品を作りましたが、それに続く作品がこの「スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノート」というアルバムです。おそらく、ポップな作品が続いたので、たまには目先を替えて久しぶりにウィントンロケリー・トリオを従えてフリー・ブローイング的な作品を作ってスクウェアなジャズ・ファンのご機嫌を伺っておこうか....みたいな制作動機があったと思われますが(なにしろプロデュースがクリード・テイラーですからね-笑)、それでもライブだけでアルバムをまとめるには、パフォーマンスが長すぎたのか、タイイトルの由来となったライブ・パフォーマンスが収録されたのは前半(旧A面)の2曲のみ、後半3曲は同じメンツとはいえ、れっきとしたスタジオ録音でコンパクトな仕上がりになっています。

 ともあれ、問題の2曲は「ノーブルース」が12分、「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」が8分と長尺演奏となっています。前者はこのアルバムをジャズの名盤たらしめた非常に有名なパフォーマンスで、モンゴメリーの圧倒的に豊穣なギター・ワークがこれでもかというほどにフィーチャーされた、まさに汲めども尽きぬフレーズの宝庫のような名演。後者はスロウ・テンポでムーディーな演奏で、テーマ部分ではウィントン・ケリー・トリオが主導、ソロの場面になるとがぜんモンゴメリーががんばりだすという仕掛けになってますが、いかにもジャズ・クラブの演奏といったリラクゼーションと会場ノイズが実にいいムードを醸し出しています。

 一方、スタジオ録音の3曲も非常に充実したパフォーマンスです。個人的にはライブの2曲より、こちらのきっちりかっちりとしたコンパクトな完成度の方が好ましく感じます。「ユニット7」はベスト盤には必ず収録される名曲ですが、アップ・テンポの中、よどみなく進行していくテンションはさすがだし、ラテンのリズムを隠し味につかったちょいと入り組んだテーマもかっこいいです。「フォー・オン・シックス」はアフター・アワーズ的な夜のムードが実にいい感じで、バンド全体が徐々にテンションの上がっていま様もなかなかです。「ホワッツ・ニュー」は、ライブの「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」と同様なムードで演奏されるスローなバラードですが、やはり6分に刈り込んでいるせいか、ソロが長すぎて原曲がどっかにいってしまうようなこともなく、全体に聴きやすさがありますね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

スティーブ・カーン/ザ・ブルー・マン

2007年05月25日 23時29分42秒 | JAZZ-Fusion
 スティーヴ・カーンというギタリストにはどうも縁がない。いやもちろん、いろいろところで名前を見かけるし、彼がセッションで参加したアルバムは沢山もっていたりもするんだろうけれど(例えば黄金時代のボブ・ジェームスの作品には常連だったし、先日取り上げたマイニエリの作品にも入っていたし、スティーリー・ダンなんかにも関わったはず)、いまひとつ「スティーヴ・カーンってこういう人」ってイメージが持てないのである。ギタリストというよりは、よくわからないけど、プロデューサーとかアレンジャーみたいなイメージが強いせいかもしれない。

 このアルバムは1978年のソロ第2作で、ちょっと硬派だが典型的なフュージョン・ギター・アルバムといった仕上がりだ。カーンのギターはよく伸びるちょっと官能的なトーンが特徴で、こうして彼を全面的にフィーチャーしたアルバムを聴くと、ああホブ・ジェームスの「白鳥」とかスティーリー・ダンの「グラマー・プロフェッション」で聴えてくるあのギターね.....という感じになる。曲としては1曲目の「デイリー・ブルス」がもう70年代後半のギター・フュージョンの美点を7分に集約したような曲で、聴いていて懐かしくなるやら、その豊富な情報量に感心するやらで、あっという間に聴き終わってしまう。ストリング・シンセの懐かしい響き、いかにもAORなシンコペが効いたリフ、都会的なクールさとホットなスピード感の混在などなど、実に聴きどころ満載なのである。ちなみに渡辺香津美の「トチカ」あたりは、このアルバムの音にかなり近いものがあるけれど、そう考えると「典型」ではなく、「典型をつくったパイオニア」なのかもしれないなどと考えたりもした。

 参加メンバーはブレッカー、サンボーン、ガッド、グロルニック、リーとステップス周辺のニューヨーク勢力が大挙して参加している。一種頂上セッションの様相を呈しているが、カーンはソロの垂れ流しで体裁を整えた安易なアルバムにせず、かなりきっちりと作り込んだ仕上がりにしているのはさすがだ。ブレッカー・プラザーズをフィーチャーした曲やアコスティック・サウンド、マイニエリをフィーチーした幻想的な作品などヴァリエーションが豊富なのも凄い。まさに70年代の名作という他はない仕上がりである。
 
コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

FFXI <白魔道士Lv75 カンスト達成! >

2007年05月24日 02時43分16秒 | GAME
 という訳で、Lv50でとまっていた白魔道士ですが、4月26日に再開以来、本日カンストを達成しました。いゃぁ、早い、早い(笑)。ペースとしては赤魔道士より1,2日くらい早く駆け上がったことになりますか。実はプレイしない日も何日かありましたから、実質的にはもっと早いかもといった感じです。こりゃ、リーマン廃人といわれても仕方ないペースかも....(もっとも私はそんな凄みあるプレイヤーではないですけど)。一番最初にカンストした戦士や次のナイトあたりではカンストというのは、ずいぶん苦労して到達したという記憶ありましたけど、前回の赤といい、今回の白という、あれよあれよという間にカンストしてしまうので、逆に有難味もあまり感じないのは、とりもなおさずこのゲームにスレてきたということなんでしょうか?。

 さて、Lv70以降は、つい最近赤魔道士で通った道ですから、大方安心してプレイできました。ただ、聖地ジタの奥から入るロメーブでウェッポンを狩るというのは初めてだったですかね。私はミッションとか全然進めてない人なので、このゲームには行ったことがないところが沢山あるのですが、これもそんなひとつで、なんか白亜の石室みたいなところであんまり印象的な場所でもなかったですが、ここでのんびりウェッポンを狩るというのはとにもかくにもはじめての体験だったので、新鮮でした(ロメーブって空だとばかり思ってましたが、違うんですね)。
 あと、苦手な状態異常の回復ですが、これはもう対インプのサイレナ、これに尽きます。もう毎回サイレナ、サイレナで、いい加減うんざりました。他の後衛さんが分担してくれればそうでもないですが、前衛4人でそのうち3人担当するみたいなシチュエーションになると、ケアルするよりサイレナでMPが枯渇してしまったりしたことも一度や二度ではなかったです。
 ともあれ、LV75に到達したので、ここからは当然白魔道士でメリポで参加して、プロテア5だのなんだのという強化になだれ込んでいくことなるのかなぁ。やはり(笑)。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

シェーンベルク 弦楽四重奏曲第1番/新ウィーン弦楽四重奏団

2007年05月23日 23時32分06秒 | マーラー+新ウィーン
これもしばらく前に購入して放置してあったもの。今回聴くために改めてクレジットをみてみると録音は60年代後半で意外と古いのには驚きました。シェーンベルクの弦楽四重奏曲全集といえば、この時期ではラサールの演奏が唯一なんじゃないかと思ってましたけど、こういう団体もしっかり演奏していたんですね。ところで、これを演奏している新ウィーン弦楽四重奏団なんですが、いったたいどんな団体なのか、ネットで調べたものの、他にCD化されている演奏もないようですし、彼らを扱った記事も出てこなくてよくわかりませんでした。この団体名やレーベルからして、たぶんウィーン・フィルのメンバーにより編成されたものだろうとは思うんですが、本家ウィーン弦楽四重奏団とはどんな関係になっているんでしょうね。

 さて、演奏ですが、これはもう見事なくらいにウィーン訛りが出た演奏という他はありません。この曲は私にとって非常に難解な曲であることは、もう何度も書いたとおりですが、そうした頭によく入っていない楽曲でも、この演奏の独特なウィーンクセというかサウンド、つまり長目のシンコペーションとくすんだような響きはとてもよくわかります。この曲の精緻な構造を解析したというに相応しいシャープなラサールの演奏や今時な軽さと流麗さをもったシェーンベルクの演奏に比べると、そのとつとつとした感じはいささか古くさい趣すらありますが、ある意味この曲にはこういう辛気くささみたいなものが元々あるんだろうという気もしますし、この曲はかなりブラームス的なところすらある作品ですから、緩急を割と大きくとって主題を明確に対照させたり、ちまちましたところはあまりこだわらず、一気に押し切ったような趣があるのは、ひとつの見識だろうとも思いました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

AU Sony Ericsson / W53S

2007年05月22日 23時53分18秒 | PC+AUDIO
この写真、私が先日購入したW51Sではない。来週に発売されるとかいうW53Sである。おいおい、そりゃねぇだろう....といいたい気分だが、縦長ディプレイの非ワンセグ機種というスタイルからして、明らかにW51Sの後継機種である。実はW51S自体W43ASの後継機種だった訳だが、どうもW43Sの本当の後継機種は型番からいって、このW53Sじゃねぇかと思ったりもする訳で、やっぱ、おいおいそりゃねぇだろうという気分なのである。なにしろ、この機種は近年のソニエリで惜しまれつつ消えてしまったジョグダイアルが復活するというが、なんともはやソニエリ・ファンとしては悔しいところではあるし、おそらく私が気にする処理速度などという点も改善されているに違いない。やはり、W51Sの購入は早まったか....という気分がしはじめた今日この頃だ。

 ちなみに、購入後1ヶ月が経過したW51Sだが、特に大きな問題は感じさせず、あっという間に馴染んでしまったとう感じだ。全体にいささか地味ではあるが、客観的にみてもチャラチャラしたところのないそこそこ良い機種だなぁと思う。不満があるとすれば十字ボタンのへこみが浅くてボタンを押し間違えることが多々あること、トップ画面でいきなりこのボタンを押すとニュース画面にいってしまうこと、あと「もどる」がページによってなくなってしまったことくらいだが、だからこそ新しいジョグダイアルが搭載された新機種はそのあたりが改善されているハズで、やっぱり、おいおいそりゃねぇだろう....と、私は悔しがってしまうのであった(笑)。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ダイハード4.0

2007年05月21日 23時11分36秒 | MOVIE
 もうすぐ「ダイハード4.0」が日本でも公開される。一番最初の「ダイハード」は80年代の終わり頃に公開されたハズだったから、かれこれ20年近く前のことになるし、最後の「ダイハード3」からでも既に10年以上たっているから、いずれにしても、ずいぶん久しぶりのシリーズ復活である。当然、ブルース・ウィルスももう50代になっていて、ポスターの写真をみるとスキンヘッドといかつい体型になっていて、いかにも精悍で強そうなイメージになっている。もともと「ダイハード」はニューヨーク市警の平凡な刑事がとんでもない大事件に巻き込まれて、右往左往するところもおもしろかった訳だが、こうした傾向は2,3とどんどん後退していったので、この姿からすると今回はいよいよそういうところはなくなっているだろうなぁと思う。

 今度の舞台設定はサイバー・テロだそうだ。サイバー・テロ自体はヴァーチャル空間の出来事だが、そのコンピュータは巨大なインフラだのにつながっているのだろうから、ビルを破壊したり、飛行機落としたりとスペクタクルな展開には容易に発展できそうだし、話としてはいかも今的なものなりそうだ。あと「ダイハード」シリーズにはストーリー上のサープライズが大抵仕掛けてあるのだが、そのあたり今回も当然あるのだろう。なにしろ今回の制作は、ブルース・ウィルスとジョン・マクティアナンだから、「ダイハード」の「ダイ・ハード」たるべきところは、けっこう押さえてというくれるのではないだろうか....と淡い期待をもったりしているだが、どんなもんだろう。
 ちなみにレン・ワイズマンというPV出身らしい人だが、予告編などみるとかなりスピード感ある映像で、どちらかといえば、「マトリックス」以降のタッチをもった作品になっていそうな気もするのだが....。
コメント   トラックバック (3)
この記事をはてなブックマークに追加

半藤一利 /昭和史〈戦後篇〉

2007年05月20日 23時17分32秒 | Books
 半藤一利といえば、私は20代の頃、映画絡みで「日本の一番長い日」で知り、その後しばらく経って「ノモンハンの夏」や「ソ連が満洲に侵攻した夏 」といった力作を愛読した覚えがあるし、「文藝春秋」での座談会などは常連でもあるので、この「昭和史」という本を知った時は、あの語り口で昭和史を俯瞰してくれたらさぞや読み応えがあるだろうと、ずいぶんと期待したものだけれど、実際に手にとってみると、これが執筆したものではなく、数人の関係者の前で講義のような形で語った内容を、文章として起こしたものであることがわかって少々落胆した。語り下ろしなどといえば聞こえはいいけれど、口述筆記じゃねぇかなどと思った訳だ。

 ところが、これの前巻にあたる「戦前編」を読んでみると、「日本の一番長い日」のような緻密さや豊富な情報量が書き込まれたようなものとは、もちろんタイプが全然違う読み物ではあるのだが、これはこれで非常におもしろく、わかりやすかったのである。なにしろ、私のような世代だと戦前の歴史というのは非常に解りにくく、何がどうやって2.26事件や軍部の暴走はどうして起こったのか、更には第二次大戦に至った経緯などなど、いろいろな本を読んではみるものの、いまひとつ実感として理解できないところがあったから、こういうわかりやすい形、まさによくできた先生の授業を聴いているような感じで読めたのが良かったのである。

 ちなみに、私が前巻を読んだのは、確か去年10月くらいで長期出張のさなかで、電車の中や出張先の宿舎で一気に読んでしまったが、そんな本であるのに、続きを読むのが半年もたってからだったのは、こちらの相対的な戦後の歴史への関心度の薄さがあるのかもしれない。ともあれ、こちらは終戦直後から高度成長期の終焉あたりまでを語っていて、戦後処理に冠して異様に詳細に語っているのが特徴だ。まぁ、今の日本の基礎となっている部分だし、著者の青春時代ということもあったのだろう。終戦直後から数ヶ月間の日本の変化を非常にリアルに語っているあたり読み物だ。また昭和30年代中盤あたりになってくると、自分が生まれた時期になるので、自分とオーバーラップして読めたのもまたおもしろい部分であった。という訳で、ここ数日ぼちぼち読んでいたのだが、本日出張先の電車の中でやはりあっという間に読了してしまった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

エラ・フィッツジェラルド/ザ・ロシャース&ハート・ソング・ブック vol.1

2007年05月19日 23時21分14秒 | JAZZ
 エラ・フィッツジェラルドは50年代後半から60年代にかけて、いわゆる「ソング・ブック」シリーズとして、アメリカン・スタンダードの作家をアルバム単位で取り上げ、名実ともジャズ・シンガーとしての絶大な評価と人気を得た訳だけれども、このアルバムはそのシリーズでも初期のもので、確かコール・ポーターのの次に発表され、まさにポーターと並び称されるロジャース&ハートを取り上げた作品集である。私がこれをCDで購入したのは80年代後半の頃で、CDで2枚に分割されて発売されていた。取り上げている曲は35曲だから、LP2枚に収まるはすはないので、オリジナルはいったいどんな配分でアルバムを切り分けていたのか興味あるところである(オリジナルがSPだとしたら何枚組になていたのだろう?)。

 ロジャース&ハートの作品はメロディックなものが多く、また、都会的でチャーミングな雰囲気に満ちたものが多いので、曲といえばまずは旋律に注目する日本人にはとても親しみやすい作家だと思う。アンケートをとった訳じゃないから、断言できる訳ではないけれど、ガーシュウィンを別格とすすれば、例えば、都会的といってもやや硬質でシニカルなコール・ポーターなんかに比べると、日本人にとっては一聴して気に入るような楽曲が多いのではないだろうか、まぁ、少なくとも私にとってはそうだ。
 このアルバムでのエラ・フィッツジェラルドはあまたのライブ盤とは違って、スキャットのアドリブは全くないし、ジャズ特有の歌のインプロヴァイズ、あるいはデフォルメと呼ぶべきような「崩し」はほとんどなく、まさに企画に沿って、曲の良さ、素性を伝えるべく、瀟洒なオーケストラ・サウンドをバックにポピュラー・ミュージック寄りといってもいいくらいにストレートに歌っている。なにしろそれがいい。

 1曲目の「ジョーンズ嬢に会ったかい」では、ファンタスティックなオーケストラのイントロから、まるで夢見るような雰囲気で進んでいくのだけれど、サラ・ヴォーンなどに比べるとバタ臭さがなく、明るい歌いっぷりがいかにもロジャース&ハートに合っていると思うし、5曲目「レディ・イズ・ア・トランプ」の都会的なムードと天衣無縫なスウィング感はさすがだ。10曲目の超有名曲「イット・ネバー....」や12曲目「リトル・ガール・ブルー」は、さしずめこのアルバムの白眉といいたいようなしっとりした歌い振りに思わず聴き惚れる。この2曲などこの録音から四半世紀を経て、リンダ・ロンシュダットとネルソン・リドルによって、私のような後発のリスナーに知らしめることになるのだけれど、彼女の歌のモデルになったのは間違いなくエラ・フィッツジェラルドだったことは、この録音を聴けばあきらかだろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ボプ・ウェルチ/フレンチ・キッス

2007年05月18日 23時51分53秒 | ROCK-POP
ボブ・ウェルチは有能なギタリストの相次ぐ脱退による解散の憂き目にあいかけていたフリードウッド・マックを救った人である。ただし、解散はしなかったものの、その時期のマックは売れていたとはお世辞にもいえない。どちらかといえば、ウェルチ在籍時のマックは通向きB級バンドといった感じで、そうそう売れる訳でもないが、そこそこ手堅いセールスを記録するバンドだったように思う、ただ、ウェルチ在籍時の最後の頃にはその後モンスター・グループになる彼らのひな形のようなものはしっかり出来上がっているのは興味深い。付け加えるとそうした傾向はクリスティン・マクビーの曲はもちろんだが、ウェルチの「シー・ビーロングス・トゥ・ミー」が一番それ的だったりすることからして、ある程度ウェルチはいわゆる「ソフト&メロウ路線」を敷いた上でマックを脱退したという気もするのだ。

 さて、その後のウェルチはなにをトチ狂ったかハード・ロック系なバンド、パリスを結成するが(マック同様英米混合というところがウェルチらしい)、音楽的にはともかくセールス的には大失敗。起死回生の一作が、この作品、つまり77年の「フレンチ・キッス」だったという訳だ。
 当時、マックはスティーピー・ニックスとリンジー・バッキンガムをフロントに擁して、まさに「世界一のピック・バンド」になっていたが、1曲目の「センチメンタル・レディ」はバッキンガムのプロデュース、ドラムにミック・フリートウッド、キーボードとバッキング・ボーカルにクリスティン・マクビーが参加するなど、ほとんどマックの全面的バックアップによる作品に仕上がっていて、これをシングル・カットして大ヒットさせたのである。ボブ・ウェルチが一気に大スターになった一瞬であった。

 ところで、しばらく前に私はYouTubeをいろいろ検索しながら、ひょっとしてあるかしら?と見事探しだしたのは、カリフォルニア・ジャム2でのウェルチのステージだった。歌うは「センチメンタル・レディ」ではなく、「エボニー・アイズ」だったが、スティービー・ニックスをバッキング・ボーカルに従えて、意外にも70年代的なエキサイティングな演奏を繰り広げていて、ウェルチ・ファンの私は少しばかり感無量となった。なにしろウェルチはその後、セールス的には急速にフェイドアウトしてしまうのだから、このステージはまさにホブ・ウェルチがメジャー・シーンで一番輝いていた時の姿だったからである。
コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

ローランド・ハナ・トリオ/ミラノ、パリ、ニューヨーク

2007年05月17日 23時46分58秒 | JAZZ-Piano Trio
 ローランド・ハナ晩年(2003年)の作品。ヴィーナスより発売されたアルバムで、ジョン・ルイスに捧ぐというサブタイが示すとおり、ジョン・ルイスやミルト・ジャクソンの作品をメインに据えた作品集となっています。ローランド・ハナは50年代の正統派パップの流れを汲み、美しいタッチとメロディックなフレージングに特徴があるピアニストで、人によっては私の大好きなトミー・フラナガンやハンク・ジョーンズと並び称する人もいるくらいなのですが、個人的にはこの人のピアノ、以前にも書いたとおりやや生真面目というかある種の律儀さみたいなものがあり、ついでにクラシック的な整合感がやや鼻につくところもあって、個人的には今一歩印象が薄い人になっています。

 ただし、このアルバムは、ドラムはルイス・ナッシュで、ベースがジョージ・ムラーツというこれまたオーソドックスな布陣が効を呈したのか、ヴィーナスというレーベル・カラーが強力に作用したのか、はたまたジョン・ルイスというテーマが彼に合致したのか、少なくとも次のクラシックのアダプテイションばかりでアルバムよりは楽しめる作品です。メンツからして、雰囲気は大体想像がつくと思いますが、全体にジョン・ルイス的な陰影はあんまりなく、オーソドックスな4ビートを土台にハナの明るくクリアなピアノがフィーチャーされた「しごくまっとうなピアノ・トリオ」という印象。以前の記憶だと、もう少し硬質でおもしろみないアルバムという感じでしたけれど、改めて聴いてみたら「スケーティング・イン・セントラルパーク」のメロディックさ、「アフタヌーン・イン・パリ」のスウィング感、あと「ミラノ」のトリオになってからのlリラックスしつつも次第にブルージーになっていくあたりの味わいといったところが、なかなか良かったので思わず取り上げちゃいました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加