Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

マーラー 交響曲第10番/シャイー&ベルリン放送交響楽団

2007年06月30日 19時01分32秒 | マーラー+新ウィーン
 シャイーは80年代後半から約15年かけて、アムスとマーラーの交響曲全集を完成しているが、確かこれをそれに先だったものだった(86年収録)。マーラーのまとめて録音するにあたって、露払い的に10番を録音するというパターンはラトルもそうだったけれど、「マーラーの作品」と胸を張って主張するにはいくつかに留保つく作品であるが故に、テスト的に演奏してみるということもあるだろうし、先人の手垢のついていない作品を自分なりの解釈ほ施してみたいという意図もあったのだろうと思う。ともあれ、この時期、こういったマーラーの10番を先発に起用するというのは、明らかに新しい世代の指揮者の柔軟な思考を感じさせたものだった。

 さて、演奏はこの時点でその後のマーラー演奏と共通するものがしっかり出来上がっていると思う。遅めのテンポで瑞々しく旋律を歌い、あまり情念的なところに深入りすることなく、全体に透明度の高いマーラーである。したがって、非常に情念的な第1楽章はやや食い足りないし、時に熱狂的な中間の3つの楽章はメリハリという点であっさりしているかな....とも思う。ただし、浄化されるような最終楽章の清澄な雰囲気と音楽の拡がりは素晴らしく、シャイーの面目躍如といったところだろう。この曲は大方第1楽章に力点を置いた演奏が多いけれど、この演奏は明らかに最終楽章をクライマックスにしていると思う。
 ちなみに録音もその後のパターンとほぼ同様な、ホール・トーンを巧みに取り入れ、ほんの少し角のとれた音調でまとめた90年代以降のデッカ・パターンである。一見、淡々と進んでいくが、第4楽章~第5楽章の大太鼓の音はもテラーク顔負けの凄い迫力である。
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マーラー 交響曲第10番/ザンテルリンク&ベルリン交響楽団

2007年06月29日 21時55分14秒 | マーラー+新ウィーン
 ザンテルリンクがベルリン響を振った79年の演奏で、確かクック全曲盤としては、オーマンディ、モリスに次ぐ比較的早い時期のものだと思われる(私がクック全曲盤を最初にCDで購入したのがこれだった....というか当初これしかなかったような気がする)。の私はモリス盤は聴いたことがないのだけれど、良くも悪しくも「ワールドプレミア的な演奏」だったオーマンディと比べると、おそらく作品に対する解釈に確固としたものがあったのだろう、マーラー的な雰囲気はよく出てるし、演奏自体も非常に入念で、さすがに年季の入った東欧の指揮者違うという感じが強くするパフォーマンスになっている。とにかく重厚で辛口なマーラーであり、昨日とりあげたシャイーとはあらゆる意味で対照的といっていいかもしれない。

 例えば、第1楽章の中盤で突如大音響で現れる不協和音の部分など、あの場面の青天の霹靂的なショッキングさは、数あるクック全曲盤の中でも随一のドラマチックさといえる。ちょっとタメた感じでジャーンとあの不協和音が登場する様は怖くなるほどだ(これに比べるとオーマンディはさらりと流しているのがよくわかる)。また、中間の3つの楽章も鋭角的なリズム、シニカルな雰囲気などを、意図的に増幅しているようでもあり、ある意味で非常にわかりやすい演奏にもなっている。また、第4楽章の結末から何度か登場する、これまた衝撃的な大太鼓のショットのえぐるような感じは前述の不協和音の部分と同様、数ある全曲盤の中でも非常にドラマチックな効果を上げている。
 ともあれ、全体にリズムが立ち、鋭いアクセントが印象的な演奏で、オーマンディのそれにあったプレーンであるが故の物足りなさをそのまま解消したような趣があり、個人的には気に入っている演奏のひとつとなっている。
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BlogOut @銚子電鉄

2007年06月28日 22時05分44秒 | others
相変わらず、毎日仕事で千葉県をかけずり回っている。実はつい先日だが、館山というところへ赴く途中で思わぬトラブルに遭遇し、更にそれが妙に悪い具合に発展してしまい、このところ気分も落ち込み気味なので、あちこち赴いては、人前で元気一杯に講演といったパフォーマンスをする気分には、実は到底なれなかったりもするのだが、だからといって入れた予定はキャンセルする訳にはいかない(飯のタネですからね....仕事はツライ)。粛々として進めているといったところである....など愚痴をいっても仕方がない。本日、赴いたのは銚子、しかも、銚子といっても、JR銚子駅から更に銚子電鉄というローカル線にのって、その終着駅である外川というところに行ってきた(千葉駅からだと2時間半くらいかかったかな)。

 で、この銚子電鉄、昔から名前は聞いていたし、これまた大分以前だが、NHKの朝ドラの「澪つくし」(デビュウ直後の沢口靖子が主演したヤツね)なんかでも出てきたから、けっこう有名なローカル線らしい。私は子供の頃「鉄道少年」だったので(笑)、実はけっこうワクワクしながら乗車したのだっだ。で、その実体はといえば、写真でご覧の通り、一両で走るまさに絵に描いたようなローカル線であった。銚子から犬吠埼の突端まで約20分かけてコトコト走っていくのだが、車内は私の他に2名ほどで実に閑散としたもの、冷房がないこの電車は窓を開け放し、窓から流れ込んでくる夏の生ぬるい風と、のどかなムードは、まさに少年時代にタイムスリップしたような趣があって、しばし懐かしい気分に浸ったのであった。

....なんて、妙に都会人ぶって書いてますけど、実は私が住んでいるところ、今でもこれと大差のないローカル線が走っていたりするんですよね(笑)。
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シェーンベルク 室内交響曲第1番 聴き比べ

2007年06月27日 22時46分41秒 | マーラー+新ウィーン
・メータ&ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
 メータとロスフィル最初期(67年)の録音のひとつだと思う。60年代中盤にこの曲を持ち出してくるあたり、次世代を担う新世代指揮者としての意気込みを感じさせる。演奏もシェルヘンの重厚さ比べると、とにかく若く溌剌としていて、4度のテーマの見え隠れ具合なども実に巧緻だし、なによりリズムがシャープでさっそうとしているのには驚いてしまう。他の演奏陣によるもっと新しい演奏を聴くと、実はこの演奏ですら腰が重いところすら感じでしまったりもするのだが、67年という時代を考えれば、この演奏は相当に斬新でフレッシュなものであったことは想像に難くないところだ。

・アサートン指揮ロンドン・シンフォニエッタ
 73年の収録で、基本的にはこの曲以降のシェーンベルクの音楽の展開を予見させるようなところをすくい上げたというか、早い話、現代音楽的なところを全面に出した「先を見越した演奏」である。ただし、感触としては純イギリス・コンビらしく中庸で質実な演奏という感じで、シェルヘンのようなウィーン世紀末的な香りや、メータのモダンなスウィング感といいたいようなノリがある訳でもなく、ある意味、没個性、地味な演奏と形容できなくもない。ただし、この曲の「シニカルな情感をベースにした実験的な室内楽」みたいな風情は、逆にこうした無愛想な演奏だからこそ、よく出ているようにも思える。私は本演奏でこの曲を親しんだせいもあるが、リズムやテンポ、表情など実はこの演奏が一番違和感がない。個人的にはこの曲のひとつの基準となっている演奏だ。

・ブーレーズ指揮BBC交響楽団
 久々に聴いた演奏、なにしろ全曲19分で終わるから、早いテンポで壮絶に進んでいくような演奏だと予想していたが、予想に反して早いは早いが角張ったところがない流麗といいたいようなシンフォニックな演奏だった(メータとは違った意味のスウィング感がある)。まぁ、ブーレーズといっても79年の収録だから、クリーブランドと「春の祭典」を録音していた時期に比べれば、戦闘的要素も大分丸くなっていたのかもしれない。ただ、さすがはブーレーズ、いや、やはりブーレーズだったというべきなのか、音楽的には感覚的な音色美みたいなところはさすがだが、この曲の木で鼻をくくるような気むずかしさ、過剰な情報量、世紀末的なムードはあまりない。
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KORNGOLD / The Waner Bros. Years

2007年06月26日 23時21分46秒 | サウンドトラック
 コルンゴルトといえば、2年ほど前に彼の映画音楽第一作である「真夏の夜の夢」のスコア盤を取り上げたことがありましたけれど、やはりコルンゴールドの映画音楽といえば、30年代中盤以降、ワーナーブラザーズ時代の作品が有名でしょう。ワーナー・ブラザーズにおける彼の作品は自身の映画音楽のキャラクターを確立したのと同時に、いわゆる黄金時代のハリウッド映画音楽のひとつのスタイルの始祖としても有名で、音楽的にはもちろんですが、歴史的にもその価値は非常に高いといえます。このアルバムはそんなワーナー・ブラザーズ時代の作品を、オリジナル・スコアによる再演ではなく、なんとオリジナル・サウンド・トラックで網羅した2枚組のアルバムです。「海賊ブラッド」を筆頭に、「風雲児アドヴァース」「砂漠の朝」「放浪の王子」「ロビンフッドの冒険」「シー・ホーク」「海の狼」「嵐の青春」といった、今では問答無用の有名作品がずらりと並んでいます。

 前に書きましたが、コルンゴルトは20世紀初頭のウィーンでマーラーやツェムリンスキー、リヒャルト・シュトラウスといった当時の大家が瞠目し、10代で神童と呼ばれ、20代には既に大作曲家と目されていたほどの存在だった訳ですが、ナチスの勃興による一連の出来事によりアメリカへの亡命を余儀なくされ、本人は不承不承ながら、次第に映画音楽がメインとなっていくという経緯をたどっています。したがって、彼の音楽はある意味で革新的なシェーンベルクなどより、遙かにドイツロマン派の正統的な後継者という側面もあり、新ウィーン楽派がマーラーの後継だったとすると、彼は明にリヒャルト・シュトラウスの後を継ぐ者という感じで、あっけらかんとしたオプティミズムといささか通俗的なロマン派趣味をこの上なく豪華なオーケストレーションで鳴らす....みたいなところに特徴がありました。コルンゴールドのそうした特徴が実にハリウッド向けだったことはいうまでもないことで、それがいかに素晴らしかったはここに収められた諸曲が証明しています。

 ちなみにこのアルバムは30年代の録音ということで、音質的にはかなり不安を感じましたが、リマスタリングに際して、ノイズの消去や音圧のアップ等をほどこしたのか、ナロウなモノラル録音であることは隠せないとしも、意外なほどクリアですっきりした音質になっているのは驚きです。驚きといえば、1930年代の映画の「サウンド・トラック」がハリウッドのどこかに保存されていた自体、けっこうな驚きではあります(コルンゴルトの破格な扱い故に丁寧に保存されていたということなんでしょうか?)。実のところ私はここに収録された作品のほとんどは、映画自体観たことがないのですが、このレトロな音質で一連の音楽を聴くと、まるでその映画を観ているような感じにとらわれ、最近のデジタルで再録されたクリーンな瀟洒さに溢れた演奏とは、違った独特な趣を感じさせるから不思議です。
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田草川弘/黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて

2007年06月25日 21時33分20秒 | Books
 映画「トラ・トラ・トラ!」を巡る黒沢の降板劇、その後話題となった本編の公開、黒沢自身の自殺未遂などの出来事は、当時、小学生だった私もなんとなく覚えている。これは私の記憶力が良いという訳ではなく、当時、それほどスキャンダラスな話題だったということなのだと思う。なにしろ、当時の黒沢明はまさしく「世界のクロサワ」だった訳で、その黒沢の人生でももっとスキャンダラスな出来事が「トラ・トラ・トラ!」の降板と自殺未遂が短期間に起きた訳だから、やはりマスコミも大きく取り上げたのだと思う。

 さて、この本だが、本年の大宅賞を受賞した田草川弘の力作である。どうやら、この交番劇は従来まで謎に包まれていたらしく、どうして降板したのか、現場はどうなっていたのか、また作品そのもののプリプロダクションはどうなっていたのかなど、ほとんど明らかでなかったようだ。私は熱心な黒沢ファンという訳ではないが、黒沢ヒストリーでは必ず歯切れの悪い調子で出てくる「トラ・トラ・トラ!」を巡る黒沢の降板劇の真相がいったどんなものだったのか、ずっと興味があったことは確かだ。ついでにいえば、詳しい内容はすっかり忘れてしまったものの、確か数年前に文芸春秋で、東映撮影所の暴君ぶりをルポしたような記事が出た時もけっこう興味深く読んだりもしたので、大宅賞受賞のアナウンスを知って以降、ずっと気になっていたのである。

 一読した印象としては、まさに黒沢対ハリウッドだな....というもの。家内手工業的な映画作りで暴君として振る舞っていた黒沢が、ハリウッドという合理主義の極致みたいなシステムと軋轢を起こしつつ、思いこみやスタッフの曖昧な説明などで、プロデューサー兼任みたいなポジションにいると勘違いして、従来の暴君のまま現場で一気に突っ走り、東映という不慣れな環境での撮影、素人俳優の起用など様々な悪条件も作用して、撮影開始後約一ヶ月で降板という辞退に追いくまれていくプロセスが(その様はまさに自滅としかいいようがない)、主としてハリウッド側で発掘した資料を基に入念に描かれている。

 私は前述の文藝春秋の記事を読んでいたせいもあって、撮影以降のトラブルについては、特に衝撃的な事実というがあったという訳ではないし、本文中に出てくる黒沢の病気とかもけっこう曖昧に処理されていていたりするところも散見するので、おおよそ予想とおりというか、やっぱこういう感じだったんだろうな....というところだったが、前半の脚本段階でのハリウッド側との葛藤は、「暴走機関車」の分も含めて、とても興味深く読めた、私がまさに「黒沢対ハリウッドだな」と思ったのはそうした部分である。ともあれ、謎に包まれていたこのスキャンダルこういう形で全貌をまとめたのは素晴らしく、黒沢に興味がない人が読んでどのくらいおもしろいかは分からないが、私は一気に読み終えてしまったというところである。
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ティエリー・ラング・トリオ/リフレクションズ1

2007年06月24日 16時44分49秒 | JAZZ-Piano Trio
 久々のティエリー・ラングです(前回もこんなイントロだったな-笑)。関東では6月14日に梅雨入りした訳ですが、当日こそけっこうな雨を降らせたものの、その後は梅雨とは名ばかりの雨のあの字もない、それこそ「もうすっかり夏ですなぁ」的な日が続いていた訳ですけど、日曜でお休みの今日は朝から曇り空で、今にも雨が降りそうな按配で、これを聴き始めたあたりから、そろそろ雨音が聴こえててまいりました。ラングの音楽を聴くには、まさにぴったりのタイミングです(笑)。ヨーロッパ系のジャズ・ピアノはおおまかな特徴として、だいたいにおいて低め温度感に支えられた妙に気持ち良い湿度感、憂いを帯びたムードにクラシカルな美的感覚みたいなものを全面に出してくる人が多い訳ですけれど、この手の音楽を私の場合、雨の日とか深夜とか聴きたくなるので、これといって雨とか梅雨とか考えないで取り出してきた訳ですけど、無意識に呼んでいたのかもしれませんね。

 さて、このアルバムですがリフレクション・シリーズの第1作ということになります。このシリーズがいったいどんなコンセプトなのか私にはよくわからないのですが、とにかくアルバム単位ラングが様々なジャズ的フォーマットを展開しているもののようです。私は第3作までもっているのですが、この第1作は彼の出発的で音楽的基盤ともいえるピアノ・トリオで演奏しています(その後の作品は管を入れたり、ハーモニカ、ヴァイオリンとの共演当編成をどんどんフレキシブルに拡大している模様)。2003年の作品ですから、比較的新しい作品となりますが、制作はヨーロッパのマイナーらしく、前2作を発売したブルーノートとはどうやら縁が切れてしまったようで(単発契約だったかもしれませんが)、ワールドワイドな存在には今一歩届かず....といったところですかね、残念です。

 音楽的には「ラングらしさ」が全編に漂う、例によってアンニュイなな美しさに満ちた作品ですが、ブルーノート・レーベルの経験が生きたのか、彼自身の円熟なのか、初期の頃にあったような、耽美的なピアノの美感のみで音楽を作っているようなところがなくなり、全体にトリオ・ミュージック的な一体感、ジャズ的なスウィング感のようなものも強くなっているように感じました。従来から作品としては、「スリー・ラインズ」「ウーンズ」「ウァイティング・フォー....」「ムーン・プリンス」あたりが、まさに雨の午後にぴったりのしっとりした作品。一方、再演となる「ユア・ノーツ」はシンコペを多用したちょいファンキーなムード、「プライベート・ガーデン」のフリージャズ的なインプロを展開して、けっこう新基軸を狙っているような感じです。 
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ハイドン 交響曲第22番『哲学者』/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年06月23日 15時39分17秒 | ハイドン
 「朝」「昼」「晩」以来、久々のニックネーム付きの交響曲です。この曲も21番と同様、どういう訳か、アダージョによる緩徐楽章が急速なプレストの楽章に先行する構成になっていますが、作曲の年代もかの曲と近接しているようですし、ひょっとすると、この時期にハイドンはこのパターンに何かを感じいたのかもしれません、あるいはこの時代の音楽らしく「ちょっと試してみたら、おもしろかったからちょっと続けただけ」かもしれませんが....。さて、この曲のニックネームがどうして「哲学者」なのか、実はよくわからないのですが、どうも特徴的な第1楽章にあるような気がします。21番の第1楽章は壮麗で、しっとりと流れていくような雰囲気ありましたが、こちらはもう少しリズミックでユーモラスな表情があり、また、宮廷的な雅やかさみたいなものも感じられますから、どうやらこの楽章のムードから、このニックネームは付けられたのかもしれません。私の場合、この楽章は一聴して宮廷の夜会かなにかの入場曲みたいに感じましたが、そういえば最高学府にいる太った哲学者みたいなイメージがなくもないです(どっちかという、威厳のあるタイプではなく、カーのフェル博士みたいなイメージですね)。

 続く第2楽章は、やはり21番と同様急速なプレスト楽章です。「英雄」を先取りしたような雰囲気はこの楽章にもありますが、こちらの方がもう少しのどかで(イングリッシュ・ホルンの響き!)、いわゆる古典的な感じが強いですかね。第2主題の転調具合などいかにもハイドンらしくてまさに絶好調といったところでしょうか。第3楽章は例によってメヌエットですが、イングリッシュ・ホルンの響きが彩りを添えつつ、これまた宮廷的な雰囲気が強い仕上がりになっています。第4楽章はプレストに戻って、弦のトレモロのような急速な動きとイングリッシュ・ホルンのからみで進んでいきます。わずか3分くらいで終わってしまいますが、もう少し長くてもよかったと思ったりしました。
 という訳でこの曲の場合、やはり第1楽章のユニークさが際だっています。演奏時間は6分半にも及び、他の楽章がせいぜい3,4分であることを考えると、この楽章のそ頭でっかちぶりが分かろうかというものです。それにしても、このハイドン・シリーズですが、なんだか21番から俄然音楽が魅力的になってきたような気がします。ひょっとするとこの時期、ハイドンはエロイカ的跳躍でも起きたんですかね。
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ハイドン 交響曲第21番「滑空」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年06月22日 20時38分58秒 | ハイドン
このハイドン交響曲シリーズですが、だいたいのパターンとしては一ヶ月に1,2曲をWalkmanに入れて、それを随時聴いて印象が固まったところで、ここにレビュウを書くという感じなのが多いのですが、この21番もご多分に漏れず最近通勤や出先へ赴く移動中に聴いています。で、この曲ですが、緩徐(アダージョ)楽章が第1楽章に配置された4楽章の交響曲という点もなかなかユニークなのですが、20番の後に聴くと、全体の構えといい、ダイナミックさといい、ある種の深みといい、かなり進化したよう印象があります。この時期のハイドンの交響曲の番号はクロノジカルにみるとかなりランダムなようですから、ひょっとして20番とは作曲年度にかなりの隔たりがあるのではないと調べてみたら、やはり数年空いているようです。もちろん、こちらの方が後年の作品で、20番がモルツィン伯爵家に居た時の作品であるに対し、21番の方はその後に就任したエステルハージ家の副学長時代の作品ということになるようです。

 さて、この21番ですが、前述のとおりアダージョによる緩徐楽章に始まります。まぁ、こういう例は15番とか18番なども、まぁ、この範疇でしょうし、なにしろこの時期は交響曲といったところでセレナードとかディベルティメントなどと未分化な状態でもあったでしょうから、これもまぁハイドンとしては、ひとつのヴァリエーションくらいにしか考えていなかったんでしょうね。楽章そのものは透明感に支えられたゆったりとした流れが印象です。続く第2楽章はかなり急速にかつ一瀉千里に進む楽章で、第1楽章とかなり鋭い対比をなしています、ハイドンの狙いとしはこのあたりかもしれませんね。とにかくここまでドライブしつつ、モダンなスポーティー感あふれる音楽をでかしてしまった以上、それをさらに強調すべく配置もこうなったというところなのかかも....邪推かな(笑)。ともあれここで聴ける音楽は、もうベートーベンの「英雄」が見えてきそうなくらい、晴れがましい雰囲気と、スケール感、推進力があって聴き物です。

 第3楽章は2分半であっという間に終わってしまいますが、セレナードに使えような夜型メヌエット。第4楽章は再び第2楽章の豪快さに回帰して、これまた「英雄」の第4楽章を予見させるような雰囲気を感じさせつつ、一気呵成にすすみます。
 という訳でニックネームは「小英雄」なんて付けたいくらいなのですが、それではふざけすぎなので、第1楽章と第4楽章、特に前者の天衣無縫な音楽の拡がりと、遮るものは何もない的な推進力あたりから、なにかそれをイメージさせる言葉はないかとあれこれ考えあぐねていたところ、なんとかなく鳥が羽を広げたまま飛ぶ様が思い浮かんので、これだとばかりに「滑空」とさせていただきました。
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農夫の妻(A.ヒッチコック監督作品)

2007年06月22日 00時37分42秒 | MOVIE
 妻に先立たれた農夫が周囲の未亡人に次々に求婚するが、ことごとく拒絶されてしまう。傷心の農夫だったが、その時、これまで献身的に自分に使えてくれたリリアン・ホール・デイビス扮する家政婦アラミンタが実に自分の相応しい女性であることに気がつく....という、実に素朴なストーリーの田園喜劇である。主人公は農夫といっても、庄屋の主人みたいな感じなので、田舎では地位も財産もあるのだが、4人の未亡人にする求婚はがことごとく失敗するのが、おもしろおかしく描かれている。ハイライトは「不思議の国のアリス」のなんとかお茶会みたいなファース風味たっぷりに、ちょいと太めの若作りの未亡人への求婚が失敗するところだろうか。今の感覚だと、正直淡々と見てしまうのだが、きっと当時は抱腹絶倒で笑い転げるような場面だったのだろう。

 ともあれ、この作品ではリリアン・ホール・デイビスがとにかくチャーミングだ。彼女は「リング」でちょいと腰の軽いボクサーの妻を演じた人でもあるんだけど、こちらはそれとはかなり対照的な田舎の家政婦という役で、やや家政婦にしては都会的で目鼻立ちがくっきりとしすぎなところもあるのだが、それ故、なんでこの田舎のダンナはこんな近くにいる素晴らしい女性に気がつかないのだ....とやきもきするところがおもしろかったりもした。『リリアン・ホール・デイビスが素晴らしい、主人公以外の男性なら誰でも妻が死ぬよりも前から彼女に目をつけていただろう』とはヒッチコック批評でも有名なスポットのこの作品に対する評だが、まさにいいえて妙だ。
 ついでに書くと冒頭の2匹の犬とラスト近く群れのように現れるビーグル犬の可愛らしさとか、英国の田園風景など、印象的な画面も多数。非スリラー作品だが、けっこう楽しめた。
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チック・コリア/シークレット・エージェント

2007年06月21日 23時30分01秒 | JAZZ-Fusion
 76年に続く、「乱発の年」であった78年に出したアルバムのひとつ(ソロ名義だけでも他に「フレンズ」「マッド・ハッター」を出している)。比較的ポップでリラックスした表情を見せ、当時のフュージョン・ブームに目配せをしたような「フレンズ」、コンセプト・アルバム指向の強い大作指向の「マッド・ハッター」に対し、このアルバムはどちらというと、「フレンズ」のナイト・ミュージック版のような仕上がりだ。具体的にいえば、音楽主義的な面、テクニック史上主義なところは割と抑制されて、その分都会的なファンキー色やAOR風味が強いといったところだろうか。また、リズム・セクションが常連のスティーブ・ガッドやスタンリー・クラークが消え、当時コリアが発掘したドラムスのトム・ブレックライン、ベースのバーニー・ブルネルが登場しているあたり、サウンド的にはこれまでとは微妙に色合い変えてきている。

 1曲目「ゴールデン・ドーン」はシンセ・オーケストレーションをフィーチャーした序曲風なファンファーレだが(このパターンも「またかい」と感がかなくもない)、シンセだけでオレが、オレが....となるのではなく、しっかりとバンド・ミュージックになっているし、ピアノがいかにもポップなフュージョンしているのも楽しい。2曲目「スリンキー」はファレルのフルートとエレピをフィーチャーした基本的にRTF風な作品なのだが、リズムがファンキーでキレが良いのでアップ・トゥ・デートな感触も不足はない。3曲目「ミラージュ」はトロンボーンとシンセのデュオによるリゾード風な空間サウンドだが、バルトーク的な表情も見せる。4曲目「ドリフティング」はモランをフィーチャーしたボーカル作品、彼女が登場する時にありがちな意味不明な無国籍的情緒でもって仕上げられた作品だが、正直いうと彼女のボーカルをフィーチャーした作品を私はあまりおもしろい思ったことがない、この作品もご多分にもれずそうだ。一方、5曲目「グレープ・ストリート・ブルース」はモランのボーカルをフィーチャーしつつも、タイトル通りブルージーなAOR的としてまとめてあるのがおもしろい。

 6曲目「フィックル・ファンク」は、タイトルとおりファンキーな作品だが、いかにもチック・コリアらしいシャープなリズムのキメが連打される、スポーツ的な快感が充満したテクニカルな作品だ。リズム・セクションはさすがにやや大人しいものの、ガッドとクラークと比較してもそれほど遜色がないはさすがだ。コリアはこういう新人を発掘してくるのが本当にうまい。7曲目「バガテル第4番」はバルトークの作品。コリアの音楽的指向の中にバルトークというのが確実にあって、彼が比較的なシリアスな音楽をつくろうとするときまってバルトーク臭くなったりするのだが、こちらはピアノとシンセでシンプルに仕上げている。8曲目「ホット・ニュース・ブルース」はなんとアル・ジャロウをフィーチャーした作品だがAOR風な訳でもなくややテクニカルさ不発に終わった感じ。9曲目の「セントラル・パーク」は、この時期のアルバム同様ラストを飾るストリングスなども導入大作指向の強い作品で、例によって最後に相応しくスリリングな場面も用意されているのだが、ラテンのリズムとトラッドなストリングスがいくぶんリラックスした雰囲気を醸し出しているのがむしろ特徴か?。
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デジタル・デビル物語 女神転生II

2007年06月20日 21時03分32秒 | GAME
 前に書いたかもしれないが、私はこれまでやったゲームで一番夢中になったのは、多分、「ウィザードリー」と「真・女神転生III-NOCTURNE マニアクス」だと思う。前者はコンピュータ・ゲームの走りの頃にRPGのおもしろさを初めて体験したということで印象深い。あのそっけないダンジョンと宿屋の往復の中に何故か中毒的なおもしろさを感じさせた。一方、後者はこれまでの和製ロールプレイングにはない、アシッドな感覚と得も言われぬスピード感のある戦闘と、仲魔づくり、合体のおもしろさで、まさに「こんなにハマったことない」と思うほど、夢中になったものだったのだった。なかなか発売されないが、あれがそのくらいおもしろかったので、「真・女神転生・オンライン」など出た日には、FFXIはあっちに置いて(笑)、すぐにでも浮気しようと思っているくらいだ。

 「真・女神転生III-NOCTURNE マニアクス」、3というからには、その前があったはずで、当時調べてみると、実は1,2,3という本流の他にも様々なヴァリエーションがあるらしいことを知った。私は今更ファミコンだの、プレステなどでゲームをやるつもりもなかったので、興味を持ちつつも、手を染めることがなかったのだけれど、しばらく前から一連のシリーズがケータイのアプリとして流通しばしめたので、先日、これをダウンロードしてみた。いや、まだ全然やっていないのだけれど、新興宗教、悪魔との共存、最終戦争によって荒廃した東京が舞台と道具立ては揃っているようで、なかなか楽しそうである。ちなみにケータイのロールプレイングとしては「ウィザードリー」もいち早く移植されていたのだが、あれはオートマッピングがないのがつらくて放置してしまったのだが、こちらはマップ機能もしっかりついているので、その点も心配いらない。これから7月中旬までほとんど出張も多いことだし、通勤電車の中ででもやってみようかと思っている。
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シェーンベルク 室内交響曲第1番/シェルヘン 他

2007年06月20日 00時02分44秒 | マーラー+新ウィーン
 難解を極めた弦楽四重奏曲第1番(作品7)、「グレの歌」の番外編のような「6つの管弦楽伴奏付き歌曲(作品8)」に続く作品がこれ、この3つの作品の中では最も有名な作品であり、それまで浸っていたこってりとした後期ロマン派の世界から跳躍しかけていることを如実に感じさせる作品でもある。とにかく、いろいろな意味で「過渡期」を感じさせる作品であり、従来からのロマン派的な作風を維持している一方、斬新なところも随所にみせ、その混在ぶりがなんともおもしろい。形式的には従来の4楽章制の交響曲を一楽章にまとめた複合的なものだが、変奏時間は全体で22,3分と大幅に短くなり、編成も15の独奏楽器からなる小編成に縮小している。しかも聴こえてくる音楽が、非常にユニークなのである。音楽理論的な面はよくわからないが、冒頭でいきなり聴こえる和音、音の跳躍が、従来の三度を基礎とした響きとは明らかに違っていて(完全4度らしい)、「調子がはずれている」ように聴こえてくる点がとにかく大きい。これによって、従来のロマン派の音楽とは明らかに異質な音楽に聴こえてくるのである。

 曲はこの和音、跳躍によって構成された主題が全編に渡って循環する訳だけれど、これに加えてオーケストラの響きが従来の弦楽器主体ではなく、管楽器主体で進んでいく点もこの曲をユニークに聴こえさせる原因のひとつになっていると思う。時代はまだ先だが、早くも新古典主義的な乾いた響き、シニカルな表情といったものが感じられるのだ。また、提示部-スケルツォ-展開部-緩徐楽章-再現部という豊富な情報量を、コンパクトにまとめた点も、弦楽四重奏曲第1番のようなしつこさがなくていい。前述の主題部に続いてすぐさまスケルツォが登場これも実にスピーディーに進み、ほとんどボーダレスに展開部に以降してめまぐるしく進行し、緩徐楽章では「浄夜」の雰囲気にしばし戻って、ロマン派的な音楽に回帰すると、やがてこれまで登場した要素が複雑に錯綜しつつ、まるで沸騰するようにコーダまでなだれ込んでいく再現部のスピード感も素晴らしく。全体としては緩急自在、だれ場が一切ない、精緻でかつスリリングな逸品というところだと思う。シェーンベルクの作品は難解なものが多く、私には理解不能な作品も少なくないのだが、私にとって、この曲は一度聴き始めると思わず最後まで聴かずにはいられない、そんな名曲になっている。

 今回聴いた演奏はシェルヘンがウィーンのメンバーを集めて64年に録音した演奏を聴いてみた。私の持っている同曲の演奏では一番古いものだと思う。シェルヘンといえば、新ウィーンの名曲の初演を担当している人だから、さぞや表現主義的な激しい、キリキリした演奏なのかと思ったら、意外にもとても落ち着いた、いってしまえばロマン派的なところを全面に出し、しかもウィーン風な格調さを感じさせる高い演奏であった。ただ、まぁ、曲が曲なだけに、後年の演奏になればなるほど強調されるリズムのキレの良さだとか、スポーツ的なスピード感。複合的なおもしろさといった点ではどうしてももっさりとした印象を受けてしまうところもあるのだが....。
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台北@ Google Earth

2007年06月19日 12時46分45秒 | 台湾のあれこれ
 Google Earthという、いかにもGoogleが考えそうな情報メディアって、正直いうといったい何に使うのかよくわからないところもあるのだが、たまにヒマな時にぼんやりと世界各地を見たりできるのは楽しく、今日は台北の街をのぞいてみた。私はこのブログに「台湾」というエントリーを作っているくらいの台湾好きで、以前はあまりに頻繁に赴くものだから、かの地に娘でもいるんだろ....などと冗談をいわれていたくらいなのだが、なんだかんだでもう7年も行ってないので、懐かしくのぞいてみたというところだ。

 さて、Google Earthだが、台北あたりだと解像度はかなり高く、台北駅や三越などけっこう見覚えのあるところが散見できる。私が台湾によくいっていた頃は、台北駅の地下鉄を開通させるためなのか、周囲をさかんに工事していて、高度成長期のニッポンよろしく、やたらと猥雑な活気があったものだが(しかもちょいと歩くと日本統治していたころの赤煉瓦の建物なんてもあったりするんだな)、さすがに7年もたつとそのあたりはすっかり完成して、掘り起こしていたところも、いまでは小綺麗なステーションみたい風情になっているだろう....と思って、さっき何気なく探してみたら、けっこうまだ工事してところが写っていた。

 写真の右中央あたりに見える四角い屋根が台北駅だが、その下に碁盤の目のようになってなっているエリアが少しあるけれど、これなどたぶん工事中で地下を作っているところだと思う。しかし、まだ工事やってるとは到底思えないので、このGoogle Earthで使っている写真はけっこう古い(ものもある)ということになるんだろうか?。ちなみに台北駅の左下に長い影を作っている建物あるが、これは台北三越のはずだ。この三越の裏にあるCDショップなども良く行ったものだったが....。ともあれ写真など見ていても、埒があかないのはわかりきったことだ。今年の夏はこそはぜひぜひ台湾いきたいものだ。
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私が昔使っていたオーディオ機器 [4] Marantz DR-17 (CD Recorder)

2007年06月19日 00時17分31秒 | PC+AUDIO
 PC用に開発された記録媒体に、音楽を録音できるスタンダローンなピュアオーディオの機器として最初に購入したのがこれである。この時期はパソコンでアナログ信号をとりこむというというのはまだまだ現在のような段階ではなかったから、マランツのような専業メーカーが積んだA/Dコンバータで変換して、いわばカセット・テープやMDの上位メディアとしてCDRに良い音で音楽を録音したいという目論んで購入したような気がする(価格は確か12万くらいだった、いい買い物である)。もちろん、デジタル信号を受けるということもできた訳だが、当時既にパソコンの方に圧倒的に分があったので、私はこれについてはほとんど想定していなかった。

 ところがこれが予想以上に使い勝手が悪かったのだ。そんなこと買う前に気が付けよ....といわれてしまうかもしれないが、なにしろ録音が、全てにおいてやり直しがきかない、一発ダイレクト録音だったからだ。一度初めてしまったら、途中の一時停止は効かないは、トラック番号はリアルタイムで手動で打ちだは、一度か二度やってみて、「こんなもんやってられるかい」となった訳である。なにが悲しくて、今更カセットやDAT、MDにも劣る、こんな原始的な録音作業をレコーダーのディプレイと60分もにらめっこしつつやらなきゃいけないんだ....ということを考えると、その後これで録音するということは、ほぼなくなってしまった。

 ただ、こちらはその後、普通のCDプレイヤーとしてはけっこう活躍した。約9kgという重く剛性の強い筐体が効いていたのか、単体のCDプレイヤーとしても10万クラスの音はしたと思う。こちらはメインで使っていたCDプレイヤーと違って、キャノン出力がなかったため、音圧や鮮度感という点でどうしても多少見劣りはしたものの、マランツらしいややゴリゴリした虚飾を排した男性的な音は、実はメインのCDプレイヤーにもけっこう張りあえた音だったんではないか?と今では思ったりする。まぁ、このキカイも我が家にラックスのD10が復活したあたりに前後してオークションで売り飛ばしてしまったのだが....。
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