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石舞台古墳  奈良県明日香

2004-12-31 | 街角の話し
前から一度行きたかったが念願叶って行ってきた。
小高い丘の上にあり、地表に出ている部分が写真で(写真の人の高さと比較してください)、右側から石の下に入れる。
石室全体は高さ約4.7m、長さ約7.6m、幅約3.5m。推定築造年代は7世紀はじめ。蘇我馬子の墓とされているが不明。名前の由来は、狐が化けてこの上で踊ったからという説もある。要は何も分かってない。
近年発掘されたのではなく、いつの頃から、このようにむき出しである。
江戸時代の本に、「石太屋(isi_buto_ya)」と呼ばれていたことが記されている。"いしぶとや"の古称が、いつの頃か"いしぶたい"に転化したのではとも言われている。
この石舞台が全国の人々に知られるようになったのは、1848年に出た「西国三十三所図絵」などによってであるらしい。
蘇我馬子は飛鳥時代最大の実力者であり、功労者。彼の歌。

やすみしし 我が大君の 隠ります 天の八十光(やそかげ) 
出で立たす 御空を見れば 万代に かくしもがも
千代にも かくしもがも 畏みて 仕へまつらむ 拝みて 仕へまつらむ。

天皇の外戚ながら、この天皇賛歌。スゴイ人であったのは確か。
通説では、墓を覆っていた土を恨みに思った誰かが取り除いたということだが、怨霊の日本において、それほどの墓あらしは居ないと思う。
最初から、こんな姿だと思うのだけれど、では、これは何?。それは分からない。
この場所から、ぐるりと周りを見渡すと、本当に何もない。古代飛鳥を偲べる場所だ。
-16.2.28-
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