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妙国寺  堺市

2014-05-25 | 街角の話し
妙国寺(みょうこくじ)は、大阪府堺市堺区にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。
山号は広普山(こうふさん)。幕末に起こった堺事件ゆかりの寺として知られる。開基は三好之康(三好義賢・実休)。開山は日。

「朝霧や蘇鉄見に行く妙国寺」正岡子規

境内に石碑があるが、正岡子規も夏目漱石も見たという蘇鉄を見に行きました。古くは徳川家康も見た蘇鉄です

「昼前に 蘇鉄見に行く妙国寺」kazu_san (笑)

蘇鉄を見るために館内に入ると400円要ります。蘇鉄等撮影禁止です。これは絵葉書の写真です。案内の方の説明は完璧です。

妙國寺の蘇鉄は、織田信長によって安土城へと移植されたのですが、毎夜「堺へ帰ろう、妙國寺へ帰ろう」とすすり泣き、激怒した信長が、蘇鉄を切ったところ切り口から鮮血が流れ、さすがの信長も気味が悪くなり、寺に返されたといわれています。
周囲2丈5尺(約7.6m)、高さ2丈余(約6m)。江戸時代・堺観光の名物でした。大坂夏の陣や第二次大戦の堺空襲で、妙國寺の本堂は焼けましたが、蘇鉄は、当時のまま現代に残っています。国の天然記念物(大正13年)に指定されています。



蘇鉄の枯山水です。館内からガラス1枚の戸を通して見ることが出来ます。織田信長が気に入ったという庭、小堀遠州が古田織部を訪ねた時、徳川家康が大阪に来た時に見てもらいたいということで手を加えました。
富士山、大井川と駿府の国を再現したと伝わる・・・どれが富士山かも説明してくれます。

本能寺の変
天正10年(1582年)の本能寺の変の際、堺を訪れていた徳川家康は妙国寺に宿泊していたが、変を聞き、妙国寺僧、油屋親子の助けを得て難を逃れたと伝わる。

館内には与謝野晶子の詩が掲示されていました。


故郷

堺の街の妙国寺、
その門前の庖丁屋(はうちよや)の
浅葱(あさぎ)納簾(のれん)の間(あひだ)から
光る刄物(はもの)のかなしさか。
御寺(おてら)の庭の塀の内(うち)、
鳥の尾のよにやはらかな
青い芽をふく蘇鉄(そてつ)をば
立つて見上げたかなしさか。
御堂(おだう)の前の十(とを)の墓、
仏蘭西船(フランスぶね)に斬(き)り入(い)つた
重い科(とが)ゆゑ死んだ人、
その思出(おもひで)のかなしさか。
いいえ、それではありませぬ。
生れ故郷に来(き)は来(き)たが、
親の無い身は巡礼の
さびしい気持になりました。


案内の人に堺事件で切腹した人は11人と、さっき説明聞いたけれど・・と突っ込むと。
そこはそれ、詩の都合もありますよと軽く流されてしまいました(笑)


土佐11烈士の墓碑










焼け残った蔵にあったという 本能寺の変の時に助けて貰った、家康がその礼としての歌や天目茶碗が収められている。

他にもいろんな物を見せてくれました。まだまだたくさんのロマンが残っているお寺です。


この後、近くの本願寺堺別院に参拝しました。




本願寺堺別院



本堂
左が蓮如上人、右が親鸞聖人




本堂 横から
周りを圧倒する大きな建物である


栴檀の花が咲いていた。そういえば妙国寺にもありました。銀杏も、ここにもありました
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