毎週日曜日にいつも見てるNHK 大河ドラマ 「八重の桜」
同志社創設者である新島襄の邸宅。「新島旧邸」に行ってきました
明治8年(1875年)、日本初の本格的キリスト教学校創設をめざし、留学先のアメリカから帰国した新島襄は、この邸宅を完成させ、同年、この邸宅で同志社英学校を創始。同志社発祥の地とされています。翌明治9年、同志社英学校は旧薩摩藩邸(現在の同志社大学今出川キャンパス内)に移ります。この年、襄は山本八重と結婚。以降、この邸は新島襄と八重夫妻の自宅として使われた。
明治23年、新島襄が没します。その後は夫人の八重が一人で住んでいましたが、明治40年、八重は自宅を同志社に寄付。その後も八重はこの邸に住み、昭和7年(1932年)、86歳でこの邸で没しました。
昭和60年(1985年)、京都市無形文化財指定、平成2年(1990年)全面改修の後、平成4年より一般公開。現在、同志社大学の所有。
従来、新島旧邸は特定日のみ公開だったが、2013年大河ドラマ「八重の桜」放映に合わせて、2012年9月から2013年12月までは火曜日だけが定休、但し事前申し込みが必要。ネットで簡単に申し込めます。
外観は洋風、内部は和洋折衷
応接間
外周は和風です
家の横
少し行ったところに京都府立鴨沂(おうき)高等学校の正門がある
八重が教師を勤めた新英学級及女紅場 後の 京都府立京都第一高等学校です
少し行ったところには御所の今出川御門があります
近くの丸太町橋からの鴨川
鴨川に秋がやってきました。マガモが何匹も泳いでいました。
そしてこの後は、 金戒光明寺へ行ってきました。
幕末の京都守護職を務めた会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地。
秋の特別公開に合わせ大河ドラマ主人公・新島八重と会津藩ゆかりの寺宝を公開中。
金戒光明寺 山門
同志社創設者である新島襄の邸宅。「新島旧邸」に行ってきました
明治8年(1875年)、日本初の本格的キリスト教学校創設をめざし、留学先のアメリカから帰国した新島襄は、この邸宅を完成させ、同年、この邸宅で同志社英学校を創始。同志社発祥の地とされています。翌明治9年、同志社英学校は旧薩摩藩邸(現在の同志社大学今出川キャンパス内)に移ります。この年、襄は山本八重と結婚。以降、この邸は新島襄と八重夫妻の自宅として使われた。
明治23年、新島襄が没します。その後は夫人の八重が一人で住んでいましたが、明治40年、八重は自宅を同志社に寄付。その後も八重はこの邸に住み、昭和7年(1932年)、86歳でこの邸で没しました。
昭和60年(1985年)、京都市無形文化財指定、平成2年(1990年)全面改修の後、平成4年より一般公開。現在、同志社大学の所有。
従来、新島旧邸は特定日のみ公開だったが、2013年大河ドラマ「八重の桜」放映に合わせて、2012年9月から2013年12月までは火曜日だけが定休、但し事前申し込みが必要。ネットで簡単に申し込めます。
外観は洋風、内部は和洋折衷
応接間
外周は和風です
家の横
少し行ったところに京都府立鴨沂(おうき)高等学校の正門がある
八重が教師を勤めた新英学級及女紅場 後の 京都府立京都第一高等学校です
少し行ったところには御所の今出川御門があります
近くの丸太町橋からの鴨川
鴨川に秋がやってきました。マガモが何匹も泳いでいました。
そしてこの後は、 金戒光明寺へ行ってきました。
幕末の京都守護職を務めた会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地。
秋の特別公開に合わせ大河ドラマ主人公・新島八重と会津藩ゆかりの寺宝を公開中。
金戒光明寺 山門
近代的な生活をされていたのだと感心しました。
2007年の頃は分かりませんが、今は予約しないと入場出来ないようです。