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信達宿の野田藤(愛称:梶本家の藤) 大阪ミュージアム

2010-04-24 | 街角の話し
今年も藤の季節になった。
以前は「梶本さんちの野田藤」が、みんなの愛称だったが

大阪府の主催する「大阪ミュージアム」に選定され、タイトルの名称が正式名になった。

2003年、2004年、2007年と、今年で4回目の往訪だ。2008年に藤の手入れをしていた梶本さんが他界し、現在は保存会が、その意志を引き継いでいる。

今年も立派に咲いた。

過去の記事は、ここ

一本の木で約3万房が成る。

写真は、特設の観賞台から。今年初かな?
大人は100円の寄付金が要ります。
ここの藤は、上から見ないとですね。まるで紫の雲海です。

4/24~4/25が藤まつりですが4/29まで一般公開されます。


詳細は、保存会のHPをご覧ください。




これは下から撮影。


信達宿は、古くから熊野詣での為の熊野街道が通り、街道沿いには熊野九十九王子社の信達王子社と一之瀬王子社があった。

中世には紀州根来寺の荘園として栄え、この時期に本格的な宿場町が整備されます。しかし、戦国期になると織田信長と根来寺の熾烈な戦いの末に、泉南地方は焼け野原となり寺社もほとんど失われてしまう。

やがて江戸時代になると、熊野街道は紀州徳川家の参勤交代の紀州街道となり、紀州藩の支援のもと中世からの信達宿が再建され、本陣や旅籠などが置かれた。

紀州街道を歩く 泉南地区
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