わたしの住む街の、それはそれは美しい清流で全国選抜花火大会が開かれる。子どもの頃は、さすがわが町、全国から花火やさんが大集結なんだと思っていた。どうも、どこの花火大会もこの名を冠するというのを知ったのは、本当に大人になってからだ。
この街では、7月の終わりと、8月のはじめの土曜との2回花火大会が催される。
初めて行ったのは、高校1年のとき。中学の同級生の女の子に誘われて2人で行った。
何着てこうか、いつどうやって行こうか、どうやって帰ろうかって、何度も何度も打ち合わせて、ちょっと大人になったような気分がした。
花火大会は、高校生にとって、恋人お披露目dayだった。花火の後に同級生に会うと、あの子とあの子は付き合ってるらしいという新情報が飛び交ったものだ。花火に誘われることはそれだけで、告白されたようなものだった。
だからこそ、花火が2回あるというのは悩ましいことだ。
1回はあの子のためにとっておく、さてもう1回は誰と行く、と考える子。
とりあえず、あの子とあの子と行くんだけど、友達に本命を聞かれたらどっちと答えようかと、迷ってる子。公認の仲になるためにひそかに作戦を練る子もいた。
高校3年と大学1年とは、間違いなく、先輩と一緒に花火を見た。中央線と東海道線を乗り継いで先輩が帰ってくる夏休みは、心の中で明るく光る遠い街のようだった。いつもの待ち合わせ場所だったあの駅の待合室で、何回も新興宗教の人に勧誘されたし、何冊も文庫本を読んだ。
先輩と行かないほうの花火は中学の同級生の男の子から誘われて、一緒に行ったりした。同級生と一緒に花火を見てるわたしを先輩が見つけてくれるといいのに、他の子と一緒にいるのをいやだなって思ってくれればいいのになって思っていた。
橋の上を市電が走っていた。照り疲れた夕暮れの陽を映して川面がさわさわ光っていた。堤防の草が風になびいていた。
あの頃を思い出すと、なにもかもをぎっしりと詰めた、きらきらと輝いている小箱をいだいているような気持ちになる。
追記 BLOG STATION:ブログ句会・5 に寄せて
花火咲く下で いま 手を つないでる
はぐるれば 二度と会えぬか 夏祭り
この街では、7月の終わりと、8月のはじめの土曜との2回花火大会が催される。
初めて行ったのは、高校1年のとき。中学の同級生の女の子に誘われて2人で行った。
何着てこうか、いつどうやって行こうか、どうやって帰ろうかって、何度も何度も打ち合わせて、ちょっと大人になったような気分がした。
花火大会は、高校生にとって、恋人お披露目dayだった。花火の後に同級生に会うと、あの子とあの子は付き合ってるらしいという新情報が飛び交ったものだ。花火に誘われることはそれだけで、告白されたようなものだった。
だからこそ、花火が2回あるというのは悩ましいことだ。
1回はあの子のためにとっておく、さてもう1回は誰と行く、と考える子。
とりあえず、あの子とあの子と行くんだけど、友達に本命を聞かれたらどっちと答えようかと、迷ってる子。公認の仲になるためにひそかに作戦を練る子もいた。
高校3年と大学1年とは、間違いなく、先輩と一緒に花火を見た。中央線と東海道線を乗り継いで先輩が帰ってくる夏休みは、心の中で明るく光る遠い街のようだった。いつもの待ち合わせ場所だったあの駅の待合室で、何回も新興宗教の人に勧誘されたし、何冊も文庫本を読んだ。
先輩と行かないほうの花火は中学の同級生の男の子から誘われて、一緒に行ったりした。同級生と一緒に花火を見てるわたしを先輩が見つけてくれるといいのに、他の子と一緒にいるのをいやだなって思ってくれればいいのになって思っていた。
橋の上を市電が走っていた。照り疲れた夕暮れの陽を映して川面がさわさわ光っていた。堤防の草が風になびいていた。
あの頃を思い出すと、なにもかもをぎっしりと詰めた、きらきらと輝いている小箱をいだいているような気持ちになる。
追記 BLOG STATION:ブログ句会・5 に寄せて
花火咲く下で いま 手を つないでる
はぐるれば 二度と会えぬか 夏祭り
「同級生と一緒に花火を見てるわたしを先輩が見つけてくれるといいのに、他の子と一緒にいるのをいやだなって思ってくれればいいのになって思っていた。」
分かる分かる。でも高校から実質男子クラスだった私は全く機会が無かった。空想の世界でしかなかった。花火の真下に住む私にとって、喧しいだけだから、人間模様を観察することでしか、花火を楽しめなかった。羨ましい。
先輩とオトメのうさとさんがメオトになったのですか?(あ、野暮な質問しちゃった☆)
すみません、「みやそう」と「そうみや」とごっちゃに使っていましたが、今この瞬間から「そうみや」に決めました。
>けんちゃん
残念やね、その時期だけしか味わえない、カルピスの味、初恋の味ってあったのにね。男子クラスは、恐ろしくがさつでした。顔を覗かせようものなら、「女や~」と怒号が飛んでました。どうぞ、羨ましがってください。
>今から、そうみやさん。
でしょ、乙女でしょ、メオトにはなってないです。だから、きらきらの小箱にリボンをかけて、とってあります。
>なにもかもをぎっしりと詰めた、きらきらと輝いている小箱
人によって違うんでしょうね。場所だったり、行事だったり、キーワードだったり。私は横浜に行くとしみじみとした気分になりますね。
青春の恥じらい・・・^^
クラスメイトの冷やかし・・・
嫉妬を買いたいというもどかしさ。
小さな大人へのステップ。
夏は特別な季節ですね。
もちろん、真冬も捨てがたいけれど^^
胸がキュンとなる瞬間・・・
久々に計画してみようなどと思ってしまいました。^^:
もちろん、大人の手法で。
わたしのセイシュンは、贅沢なものだったのかもと、今になって思いました。あきちゃんにとっては横浜が小箱なんですね。
他の花火とあまり比べたことがないのでわかりませんでしたが、岐阜の花火は高レベルなんですね。なんだかうれしいです。長良橋金華橋忠節橋、これらを心に描くだけで、幸せな気持ちになれます。今だってここに住んでいるのに。
>happyさん
くすうんと、切ないですよね、夏の思い出って。でも、大人にも花火はうれしいものです。happyさんの今年の思い出は、ポシェットにいっぱいになりそうですね。
親戚友人、お客様を迎えての接待に最高のロケーションだ。屋上でボンボンベッドで横たわっていると真上に地響きと共にスターマインが迫ってくる。
大勢呼ぶときは、ビール・枝豆・スイカ・茹でトウモロコシの他に弁当を手配する。長良川に因んだ鮎の塩焼き弁当だ。
小さなランタンを頼りに、蚊取り線香を焚いた真っ暗な屋上では、花火の残光で食べ物の見分けが付きにくい。今日の塩焼きは焼きすぎだ。煤けて美味しくないぞ!と思いながら歓談は進む。耳元で話さないと歓談は簡単でない。
21:00終了の後も歓談は続く。23:00頃までは帰りの道がごった返すからだ。酔っているのを覚ます時間である。けれど酔ってるから後片付けが出来ない。翌朝にすることになる。
朝起きて弁当の中を見る。何だこれは!?花火の玉がどんな形だかよく判る。球の一部の真っ黒な破片である。かじった痕がある。
もうお分かりですね。焼き過ぎに注意!!
今までに見た花火で最高が、PL学園、次が新潟長岡です。規模が岐阜とは全然違う。桁違いでした。色んな形の花火や、海上の半球花火の連続が圧巻です。
屋上の花火見物、王様でもままならぬ贅沢ですね。花火まで食べるとは、フルコースじゃん。
こちらこそ素敵な企画ありがとうございました。
記事を書いた後、思い立って、投句しました。こういうのも楽しいですね。
踊り行き 遠き人にも 触るるごと