そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月30日(日)23:50@Seattle

2010年05月31日 | Seattle日記
 帰国までのカウントダウンが始まったという感じだ。日曜、祝日と部屋で論文を書こうと思ったが、最後の観光スポット落穂拾いに出かける。

 まず近くのバス停からフリーモントへ。サンデーマーケットをのぞいた。手工芸品やアート、アンティーク(アメリカのアンティークというのは、明治以降のガラクタ)の店が並ぶ。当地のその手の類のものは、うううう…というのが私の正直な感想。ちょっと心惹かれたのはインスタント肖像写真10$也。いかにもアーティストっぽいアンちゃんが、モノクロで撮影してくれる。自分でカメラを使っていると、結局自分が写らないからね。でもまあ、変な格好しているし、よしておいた。

 フリーモントからシアトルセンターへ移動。まずクイーン・アンAve.の急坂を登り、ケリー・パークの展望スポット(画像)で国見をする。ここが、ここがクイン坂、記念の写真をとりましょ~ね♪(しまくらかいた千代子さん!?)

 シアトルセンターでは「Northwest Folklife Festival」をやっていたので、ものすごい人手だった。天気も悪いし躊躇したが、スペースニードルに登る。東京タワーみたいなものだろうと思っていたが、要するに東京タワーの展望台みたいなものだった。これで17.85$は高いなあ。エレベータの前で記念写真を撮られ、退場口で希望者に結構な値段で売りつけていたのは、いづこも同じ商売方法だ。

 モノレールに乗ってウエストレイクへ移動。これも数分で2$。話の種である。5歳の男の子の隣に座った。5歳、5歳と右手を一杯にひろげてかわいい声を出している。お母さんもニコニコ。思わずうち笑まれた(自発の助動詞「る」)。

 子供は小学校にあがる前が一番かわいいですなあ。我が娘もそうだった。ヘルニアの手術のため入院し、見舞いは19:00に閉め出されるので、ぢゃあねとお別れを言ったらガバッと頭から毛布を被り、どうしたの?と聞くと、姿を見てるとさびしいからと答えた時のことは、いまでもありありと思い出す。夏の、花火大会の日だったな。まさに、「お子はありや」(徒然草)で、「もののあはれ」を知りたまふ・・・だな。「まなかひに もとなかかりて」安眠できぬは山上憶良の長歌だった。しかし、かわいいお子である。

 バスでUディスクリクトに帰り、少し土産などを買う。近江のHさんへのお礼の土産に、やはりまめやかなものよりはと、お嬢ちゃんの喜んでくれそうなものを選びなおした。これで必要なものは揃ったかな。あとはスモークド・サーモンを買えるだけ買うだけだな。

5月30日(日)2:30@Seattle

2010年05月30日 | Seattle日記
土曜日は、洗井大学で仏教学を講じていらっしゃるT先生に、ドライブと夕食を誘われた。13:00に車で迎えにきてくださる。あいにくの雨。さて、どこへ行きましょうかと鳩首相談のはて、"FLYING HERITAGE COLLECTION"へと向かった。宿舎にパンフレットが置かれていて、ゆかしゆかしと思いつつも、遠そうだし、航空博物館へも行ったからまあいいかと、諦めていたところである。

 巨大な格納庫風の建物に入ってびっくり、いきなりフィゼラー・シュトルヒで、その反対にはキ43のⅠ乙(画像)、零戦二二型が鎮座ましましている! スピットファイアにハリケーン、Bf109E-3、イ16、米軍機ではサンダーボルト、ムスタング、ヘルキャット。きゃー、Fi 103Rなどという稀種まで展示してあるではあ~りませんか。も~うれしくて涙が出る。

 しかも完全にレストアされ、飛行可能なものもあるという。塗装も完璧。これこそ本物の本物!というコレクションだ。

 ヒンジの構造を確かめるべく近づいて、フラップの材質にも目を凝らせば、解説ボランティアのオジサン(退役軍人の方らしい)に、「おぬし、やるな」という顔をされた。

 ショップでフライングタイガーのTシャツを購入。ついでに二翅プロペラ型のペーパーナイフも衝動買いに及んだ。こういうものを買いそびれると、後で後悔するからね。

 T先生に抱きついてハグしたくなったが、ご婦人なのでやめておく。スタバでちょっとコーヒーを飲み、「ガス・ワークス・パーク」へお連れいただいた。旧ガス工場跡の廃墟だが、そのまま近代のオブジェとなっている。ここも、もし行けたなれば行ってみたいけれど、わざわざ行かなくてもいいかなと思っていた所だ。丘の上に登り、そこで写真を取っていたオッサンに頼んで、T先生と記念撮影。

 それからグリーン湖を一周し、方向を間違えて右往左往の挙句(ナビゲーターーをさせられた)、アフガニスタン料理店「Kabul」へ入る。へえ、こういう料理店があるのですね。
 
 "Combination Kebab for Two"というのにした。私だけ赤ワインをいただく。ヌードル入りスープは淡白な味。大茄子を焼いたものに、超長粒米の飯、胡瓜のサラダ、メインは牛と未のケバブにナンのようなパンが添えてあった。至極あっさりした味で、香りづけは初めてのものだが口に合う。サーブをしてくれた女性が、いま日本で卒論指導を担当している4年の男子学生(彼はモデルをしていたという)にそっくりだったので、可笑しくてたまらなかった。

 T先生とは長時間にわたり、人生観、教育観、そして学問観について語り合った。アメリカの大学教育の問題点も理解できたように思う。また、日本の将来についても意見を交換をしたが、あまり無理をしなければ何とかなるかというところに落ち着いたか。T先生のお考えには、大いに共感するものがあった。

 残った長粒米の飯をドギーバッグに詰めてもらい、宿舎まで送っていただいたのが21:30。まことに申し訳ない次第であった。部屋にもどると、ドアノブに差し入れが。近くに住む院生さんが、味噌汁が切れたと話したのを記憶していて、フリーズドライを届けてくれたのだった。切れたというより計画的に食い切っているのだが、有り難く頂戴して御礼のメールを送信。インスタント味噌汁にオートミールを入れると、味噌仕立ての和風となってなかなかオツである。

5月29日(土)10:30@Seattle

2010年05月30日 | Seattle日記
これが「シアトル金比羅石段」こと、NE 52nd St.であ~る。234段あるから「金比羅さんでは大袈裟かな? しかし、「愛宕神社の石段」くらい急ではある。

 腰痛を庇い庇い、石段を登って、Uディストリクトのファーマーズ・マーケットへ行く。来週買っても、翌早朝出発で、肉類は持って帰れないから、今日が買いおさめとなる。だから、気になるものを片っ端からもとめてみた。ソーセージ、山羊のチーズ、水菜と梅干(いすれもNW産)、バケット、不揃い苺、ベリーワイン。これで1週間分のおかずは大丈夫だろう。

 苺はすぐ食ってみたが…、ちと yummy! とは言ひ難かりき。

5月29日(土)5:30@Seattle

2010年05月29日 | Seattle日記
 画像はMarry Gatesの肖像画。その名を冠するホールの中に掛けられている。文語文法の授業は、このホール内の教室で行なった。ビル・ゲイツのお母さんですな。へえ、こんなカアちゃんだったのか! お父さんのWilliam H.Gatesの名を付けたホールもある(この人は洗井大学の卒業生)。ビル・ゲイツ自身も小さいころは、洗井大学のPCをいぢりまくって、今日の礎を築いたのだそうである。巨額な寄付をしているのだろうね。当然ならむ。

 腰痛が受忍限度を超えた。少し筋トレを始める。手製の杖を使って素振りを100本ずつ、日に何回か行なう。剣道をやったのは遥か昔々のことだったが、なんとかの杵柄だ。とにかく調子が悪い。このまま死んじゃうかもしれない。TVは殺伐としたドラマや映画ばっかりやっているし…。気も滅入ってきた。

 ここのところ天気が悪い。雨模様だが、ずーっと激しく降るようなことはない。ちょっと日本の梅雨のようだけれども、最高気温が17~18℃くらいなので、汗腺はかたく閉じたままだ。帰国したら体調が滅茶苦茶になるんじゃないかな。

5月29日(土)0:00@Seattle

2010年05月29日 | Seattle日記
 百人一首の歌全部の講読が終了! 教員も受講学生も万歳を唱えた。こんなことが可能になるのも、クォーター制ならではであろう。日本で通年分の授業を、10週でやってしまうのだから。ともあれ、ひとつのテクストを読み通してしまうのは、たいへんな達成感が得られるものだ。次回はメモリアルディのお休みで、復習セッションと最後の試験はA先生が単独でおやりになる。この科目に関する私の御用は無事に相済んだという次第。最後にカルタ取りを行なう。なぜか男女の2組に分かれた。それぞれ一番成績のよかった学生に、九谷焼の携帯ストラップを進呈する。

 16:00からUniversity of California, IrvineのJames Fujii先生による、徳永直に関するご講演を拝聴する。今アカデミックイヤーの最後を飾る講演とのことだったが、なんという学術講演の頻度だろう。目白文化村の説明があったが、新宿区の地図が映写されたのでなつかしかった。

 あとは大学院のゼミに2度出ればよい。来週火曜は、終了後コンパというか、実質私の送別会をしてくださるらしい。A先生ご一家は、メモリアルディの休日はオレゴンへおでかけとか。私は虚しく宿舎で仕事に専心すべい。しかし、TVもパットン将軍伝とか、それらしい番組をやっているぞ。洗井大学の「赤の広場」でも、先日軍服姿の隊列がブラスバンドンに合わせて行進していた。米軍軍人が「赤の広場」を行進するとは!と、啞然と眺めたが、A先生にお聞きすると、あれもメモリアルディ関係の練習か何かだったらしい。軍人は大学生で、予備将校みたいな身分なのだそうだ。日本の大学で、構内を軍服姿が闊歩していたら、騒動になろう。そういえば、昔、吉林省のEN師範大学へ集中講義に行った時、9月の入学式の翌朝、宿舎の前の広場で真新しい制服の人民解放軍の大集団が体操をしているのに仰天したことがあったな。中国では、大学生に軍事教練が義務付けられている。

 洗井大学は州立だが、大学警察というのもある。これまた日本では考えられない。日本の大学教授は基本的には皆左翼でしたからねと、A先生とひとしきり世間話?をする。ところで私は、左翼なのか、右翼なのか? きっと両翼なのだろうね。翼は2つないと、空は飛べない。銀翼連ねて南の前線~♪ やっぱりRですかなあ? よく言うよ…チャン。

 話は変わるが、土産の類は既にほとんど買い終えている。あとはパイク・スペイス・マーケットでスモークド・サーモンをドバッと買うだけだ。それでもちょこちょこ、目についたものは欲しくなる。今日も娘に、シアトルらしいTシャツを1枚買った。Sでよかったかな。あやつはどこかサドっぽいから…。

 なんでもナメクジの缶詰というものがあるそうで、そういう話を聞くと畏兄教務主任殿への土産にもとめたくなるが、だんだん時間も無くなってきた。ナメクジは雨がちなシアトルのシンボルだという。我等の世代にはウルトラQのナメゴンだがな。 

5月28日(金)11:00@Seattle

2010年05月29日 | Seattle日記
 カフェで粋がってラテなんぞを注文すると、できたら呼ぶから名前を言えといわれる。カップにその名前をメモするわけだ。長ッたらしい日本人の名を言うのもなんだから、名乗りの上の漢字の読みを告げたら、あははと笑われたとってつけた名のように思われたか!?

 今朝がたは6:30ころに、ドアを激しくノックされて仰天した。覗き穴を見ると、あられもない閨着姿のアジア系の女性が立っている。さてはバス停から出張しておいでになったかと息を呑んだが、要するに部屋をお間違えになったのであった。宿舎は平日には6:00から朝食が摂れる。フロントのある建物まで通り一つ渡らなければならないが、パンや果物、飲み物などを貰ってきて自室で食べてもよい。それで間違えたに相違ない。一つ下の階の宿泊客ならむ。

 ああ、驚いた。あっちのほうは、もう「たたるやいづこ」で、「みよしのよしののやま」(よしなさい!)であるわいな。けふはまだまだ要りません~♪

5月28日(金)4:30@Seattle

2010年05月28日 | Seattle日記
 27日は失敗の連続だった。まずアイロン掛けに失敗し、ズボンの折目を二重につけてしまった。まあ、アメリカの大学で折目のかっちり付いたズボンをはいている人間なんぞはほとんどいない。だいたい皆さんジーンズだが、私はジーンズというやつが大大大大嫌いなのだ。勤務先ではジーンズ姿で授業をしている教授もいるが、そいつらのことは心の底から軽蔑している(さすがにウチのコースにそういう教員は一人もおらぬ)。

 それから、うっかり財布とカードキーを部屋に置いたまま、自動ロックのドアを閉めてしまった。情けなや。フロントに申し出ると、いつものオバちゃんが、よくあることよと再発行してくれた。後でA先生にも、1ヶ月に1度はあることですと慰められたが、私は1987年に平壌のホテルでしくじって以来の失敗だ(あの時は英語が通じず、朝鮮語は全然わからんので往生した)。

 きっともう1回失敗するぞと、気が重くなった。大学院のゼミもなんとなくノリが悪く。Zev Handel先生の講演(お聴きするのは4回目)の後、少し買い物をして部屋に戻った。今夜は豪勢に、かねて購入しておいたダンジネスクラブを食することにする。面倒なので、洗ってそのまま電子レンジにかけた。小ぶりのを選んだがとても美味しく、殻は鍋に入れてスープをとった。その鍋を掛けっぱなしでうつらうつら、すんでのところで気がついて事無きを得た。バイオリズムが下降の一途だな。

 帰国をひかえて、持ってきた重い本は全部処分する方針。A先生が既にお持ちのものは院生諸君に適宜譲渡することで話がつき、物語関係の新書一両冊は、専門の近いTAのSさんにこのあいだ差し上げた。『三省堂名歌名句辞典』はどうするかなと思案していたら、A先生から、図書館に寄贈してもいいのではとアドバイスをいただき、ライブラリアンの方々に打診すると歓迎のよしで、早速持って行った。その際に、データベースについて意見を交換。JapanKnowledgeに対する不満がものすごく高い。パッケージの仕方に自由度が無く、余計なものがゴテゴテ付いていて高いということらしい。HISのカスタマイズを見習うべきだというのが、こちらのご意見であった。

 そのライブラリアンの方々とも、帰るまでにお食事でもという話が出ている。それでスケジュールを整理してみたら、食事のお約束が下掲のような仕儀に…。

5月29日(土)夕食
5月31日(祝)夕食(メキシコ料理)
6月1日(火)大学院ゼミのコンパ
6月2日(水)昼食(マディソン街でランチ?)
      夕食(イタリア料理)
6月3日(木)夕食(NW料理)

 コンパ以外は、相手はすべて別々の女性なのだ(といってもコンパも、A先生以外は全部女性)! あたり前田のクラッカーか?(藤田まことも鬼籍に入ったなあ)。せっかくダイエットの実が上がってきたかと思いきや、気をつけないとリバウンドもいいところだ。

5月27日(木)2:00@Seattle

2010年05月27日 | Seattle日記
 26日のできごと。洗井大学へ向かうべくトレイルを辿っていると、道脇の水溜りにカモのつがいが餌をあさっていた。きれいな羽だな。ほんの10㎝くらいまで顔を近づけても、平然として逃げる様子も無い。当地では、日本では目にしないさまざまな鳥が、目を楽しませてくれる。カナディアン・グースなんぞがのっしのっしと歩いている日には、ちょいとギョッといたしまするがね。(笑

 百人一首の授業は慈円まで進んだ。金曜の回に最後まで終わらせないといけない(31日はメモリアルディのため休講)が、めどが立った。受講生もどことなくホッとしている。金曜の授業の後は飲みに行きましょうと、学生の1人「小鉢君」が言い出した。カラオケとか、というので、当地にもカラオケがあると知る。A先生は博士論文審査会の予定が入っていて付き合えないとのことで、さてどうなるかな。

 食事をしたいというオファーが多く、調整に難儀している。冷蔵庫の食料品も上手に食いきるようにしなければならん。だんだん面倒くさくなって、キャベツを刻むかホウレンソウをどばっとルクエのスチームケースに投げ込み、ベーコン1枚をのせ、生姜も加えて電子レンジにかけること2分、スチームケースごと大皿にのせ、味はマヨネーズかふりかけで誤魔化すという手抜きを重ねている。久しぶりに米の飯をたっぷり食った。ワインは水で薄める自称「ホイリゲ飲み」で、飲みすぎに注意を払っておりまするぞ。

5月25日(火)19:30@Seattle

2010年05月26日 | Seattle日記
 腰が痛い。腰痛の震源?が横にどんどん広がって、辛いことこの上もない。筋肉を鍛えるしかないと動かすが、逆効果だ。この歳で腰振り運動をするのもみっともないぞなもし(柔肌の厚き脂肪に触れもみで虚しいからずや腰を振る君 よさんか晶子!?)。TVをつけるとダイエットの宣伝ばかりだ。だったら初めからあんなに砂糖とバターを摂取しなければよいのである。料理番組を見ていると、目をむくような光景が繰り広げられる。アメリカ人の太り方は、日本人とは違うようだ。こちらの人は一様に算盤玉みたいな形になるのはなぜだろう?

 腰が痛いのでステッキを作った。機内持ち込み可だろうか? ここはひとつ、重症のフリをしてみるか。

 TAのSさんたちとお昼をご一緒するお約束。早めに宿舎を出てスザロ図書館で本を読み、11:10に待ち合わせてアブの「Thanh Vi」というヴェトナム料理のお店に連れて行っていただいた。フォーを食う予定が、Sさんのお薦めで生春巻を注文したところ、半端な量ではない。ただ、野菜ばっかりなのでヘルシーこの上もないが、いくらなんでも腹がはちきれそうになった。4人で28$ほど(チップは別)は私のおごりとする。

 お茶のお稽古に呼ばれたので、Mさんにお付き合いいただいて白ソックスを探しにスポーツ用品店へ。狙い違わずぴったりのが2.99$で売られていた。Lを1枚購入(画像)。しかし、「松乃葉」はいかほど包めばよいのだろうか?

 大学院のゼミは、クローズ・リーディング。ハーバードでPh.D.を取られたM先生が参観されるというので緊張する。今までは不得要領だったが、今回はきっちり、事前にフォーカスを当ててもらう部分をそれぞれの院生に課しておいたから、やや日本式に授業を進めた。テクストをきちんと理解していない点や、あらぬ方向に逸脱して行った場合は、結構きつく指摘したが、ちょっと意地悪だったかも。しかし、終わってからA先生に、今日は面白かったと言われたので、悪くなかったと知る。

 早めに宿舎に戻ったが、酒が無い。そろそろ、帰国の際、A先生に記念に差し上げるつもりの室町時代の写本断簡(台所の包丁を使って、残欠本からこの間切断した)を収めるフレームも買っておきたいので、Uヴィレッジへ行く。フレームは卒業式用?のリーズナブルなものにした。その後、QFCで買い物をしたら、わあ、アメリカン・ダーク・チェリーが!(画像) 初物はのがすまじと1袋購入(6$ほどだが、いっぱい入っている!)。歯ごたえがあって美味いですわ。

 帰国間近になったせいか、いろいろな方からお誘いを受ける。それがよりによって女性方ばかりなのだ。ありがたいと言おうか…。助手をやっていた時分、1年間だけ妙にモテた年があったが、それ以来の椿事だな。

5月24日(月)19:30@Seattle

2010年05月25日 | Seattle日記
 百人一首の授業は式子内親王まで進む。あと2回、今週中に順徳院御製まで終わらせなければならない。まあ、ちょうどぴったりだろう。先が完全に見えてきた。

 そろそろ撤収モードに入った。荷物は既に、あらから寝室に集めてしまってある。日本の院生諸君全員にも、何かしら土産を買わんといかんかなあ。まあ、不在で迷惑をかけているのは間違いない。しかし、万事メールで対応しているから、日本にいるより私の反応は早いかも(なんとよい研究指導教授であろう!)。K君の論文を添削しているが、なかなか追わない。この人は、方法論が私とまったく一緒なので、細かく手が入れたくなる。

 来週、お茶のお稽古にお客として呼んでいただくことになった。白ソックスをどこかで調達しなくては! 「University Bookstore」をのぞいたが、どこかにスクールカラーの紫紺色があしらわれている。それに、アメリカの靴下のサイズはよ~わからん。困ったなあ。

 古扇子を1本持ってきたから、それはいいとして、懐紙は朝食の紙ナプキンを畳みなおせば何とかなるかな。まあ、こういうことは臨機であろう。しかし、白ソックスはどこ?

 学長選挙の公報が届く。よく存じ上げているお2人が候補者となっていた。しかし、きょうび博士号を持っていない御仁が学長ということは恥ずかしくて考え難い。学部長レベルだにすらさへそうなのだから、もう勝負はついたようなものかな? いやいや、紅旗征戎は吾事に非ず…だったわい。

 いったい何キロダイエットしたろうか。3㎏くらいは確実かも。というわけで牛肉を少し食う。ワインはCMSをボトル半分空けた。

5月24日(月)6:00@Seattle

2010年05月24日 | Seattle日記
 日曜はA先生が、独り暮らしの無聊を慮ってくださり、ご自宅のバーベキューに呼んでくださった。教会の帰り、10:30に太郎君と車で迎えに来ていただく。A先生のお宅は、海を見晴るかすShoreline(Seattleの北)の高台にある。潜水艦基地もあるそうで、ちょうど潜望鏡が波を分けて進んでいくのが望見された(そういえばNちゃんの彼氏はネイビーの潜水艦乗りだったな)。

 さっそくアルコールをいただく。お昼近くに日本中世史のS准教授もお見えになった。火を熾して野菜や肉を焼き、ダイニングで豪快なお食事をいただいた。A先生は15世紀の関東がご専門だそうだが、城郭にもご関心があるらしい。

 食事の後、皆でほど近いRICHMOND BEACH SALTWATER PARKまで歩いた。ここはシアトルの建築用砂利の採取場だったところなのだそうである。バンクーバーへの線路を超え、波打ち際で遊んだ。水を掬って舐めてみると、塩からい(あたりまえぢゃ!)。太郎君、次郎君と石投げに興じる。ステッキにちょうど手ごろな、素敵な(ステッキな)流木が落ちていたので、拾ってきた。どうもここのところ腰が痛くて堪らない。日本に持って帰れるものかどうか分からんが、これを当面のステッキ代わりにしよう。おいらもいよいよ老人だわい。

 A先生宅に戻り、S先生お手製、ご持参のティラミスをいただいた。S先生はアメリカ人だが。ローマで生まれ育たれたとのこと。それから、ひたすらプレイステーションのゲームをさせられる。老人は悲しいかな、ついていけない。実は初めてやったのだが、しかしこいつは悪くない。ボケ防止には大いに役に立とう。日本に帰ったら買おうかな。

 結局宿舎に送っていただいたのが22:00過ぎで、ずいぶん長居をさせていただいた。シアトル滞在もあと2週間。K君の論文が送られてきたから、これから添削をする。

5月22日(土)20:00@Seattle

2010年05月23日 | Seattle日記
 Uディストリクトのファーマーズ・マーケットへ行く。Ravenna Av.からNE 52nd St.の石段をひたすら20th Av.NEまで昇っていくのだが、私は密かに、これを「シアトル金比羅石段」と称している。いったい何段あるのかと数えてみたら、234段だった(路肩に段差がある1段を含む)。

 いつものパンを買い、こんな美味いパンは食ったことがないですわ(もちろん英語)と店のアンちゃんに世辞を言っておく。ソーセージが買いたいがすごい行列。Taki農園というのは、杉山さんのところでうかがった、先週からマーケットに出店しているという日本人の方なのであろう。なんと梅干まであった。ほかにツナの缶詰を買ってみる。

 それから床屋へ行った。Av.のあたりは、だいたいカット15~17$が相場らしい。A先生はご自宅近くで10$にて散髪するとおっしゃっていたが、日本で言えば駅にある10分1000円の床屋だな。ああ、さっぱりしたわい。

 パイオニアスクエアへ行く。洗井大学のライブラリアンKさんは、週末は古本屋を開いておいでなのだ。先だってご案内いただいたものの閉まっていた日本美術店「KAGEDO」に連れていっていただく。店の前でオーナー氏と丸眼鏡氏がなにやら古物をいじっている。丸眼鏡氏は洗井大学の美術史を出た方で、4月18日の会食に来てくださったIさんと一緒に仕事をしていらっしゃったそうだ。店内に一歩足を踏み入れると、うわ~、これはもう凡慮の及ぶところに非ずだ。目の前に鎌倉後期の五輪塔がどんと据えられている。日本画の優品や、みごとな漆器などなど。りっぱなカタログも出しておられる。「目の幸せです」と「眼福」をやさしく表現して感謝申し上げた。

 このあたりにはギャラリーが多い。毎月第一木曜には一斉にギャラリーが開くという。そういえばSAMなども、第一木曜は入場料が無料となる。Kさんが、よかったら今度ご案内しましょうか?と言ってくださったので、授業の後お願いしようかと思う。私はこのKさんとは、何となく波長が合うような気がする。日本人女性なのだが、ネイティブ・アメリカン然とした風貌で、着物を仕立て直した上着を羽織っておいでなのが堪らなくカッコいい。ドイツ風の美味しいアイスクリーム屋もあるらしいが、ダイエット中なのでどうするかな。

 そのKさんが第一にお勧めのお店が、邪苦損街と1st Av.の交差点のSEに位置する「NW FINE WOODWORKING」で、入ってみたら素敵、素敵、素敵!!! どこか日本風なテイストの木工品が、そんなに高くない値段で売られている。思わずメイプル材の箸や、ワインナイフは2本も買ってしまいましたわ(ワインナイフはたった25$)。箱物がまたすばらしい。また来ようかな。出雲の「おかや木芸」の製品が私は好きなのだが、ああいうテイストなのである。Kさんも日本へのお土産はここでよく調達されるよし。銀雲居士の(今のところ)お薦め店№1としておこう。

 邪苦損街を東へ行き、「STONINGTON GALLERY,INC.」に心惹かれて入ってみる。ネイティブアートの専門ギャラリーで、気軽には手が出せそうもない高価な作品が展示してあった。

 このあたりはもうスタジアムが近いが、サッカーの試合か何かあったらしく、皆が黄緑色を身に付けた応援団?が屯している。そこへパトカーが何台もサイレンを鳴らして殺到してきたので仰天した。映画のシーンみたいだった。

 「宇和島屋」で大豆もやしとキューピーマヨネーズの小さいのを買った。ダンジネスクラブの小さめのやつも思い切って買っちゃった。一人で食うから2回分かな。店を出て、甘栗屋の前で突然声を掛けられた。ライブラリアンのYさんであった。真っ白いトレーナー姿だったので見違えましたわ。今日はライブラリアンに縁が深いな。そういえば勤務先大学図書館の資料管理課長殿に、さるお願い事を申し上げたのだが、こいつはうまく事が運ぶ予兆かも?

 地下のチャイナタウン駅からバスに乗って、Uディストリクトへ帰る。どうも日本人留学生らしいのが3人乗っていた。Kさんの話だとバカ田大学から集団で留学生だが語学研修生だか来ているらしいから、こやつらがそうか。先日、下駄を履いてタップダンスの練習をしていたのがそうらしい。バカどもに関わりになっては困るから黙っている。何も喋らなければ、私は華僑系の中国人以外には見えないのだそうだ。Kさんも、図書館に来るバカ田の留学生は覇気がなく、何のためにシアトルくんだりまで来たのか目的意識が無いと非難しておられた。バカ田の留学センター長殿は、大いに反省すべきであろう(学生が白木の箱に入って帰国でもしたら大変だぞ)。

 部屋に戻ったら、A先生から伝言メッセージが届いていた。日曜にお宅でバーベキューをするからとのご招待だ。うわ~、持っていくものがないがな。ファーマーズ・マーケットで買ったパンと、酒は李白があったな。それから、大豆もやしサラダでも作ればいいか。 

5月22日(土)6:30@Seattle

2010年05月22日 | Seattle日記
 バンクーバーにあるBC大学のLさんからメールがきた。彼女がおいでなら遊びにいったところだが、東京でサバティカル中なので、行っても仕方がない。今、訪問学者として受け入れている韓国の国立大学教授Pさんも、BCにいらしたことがある。韓国人に言わせると、バンクーバーは「この世の楽園」であるとか。シアトルに暮らしてみて、NWは夏は本当によさそうだなと思う。海産物とワインは素敵だ。Lさんは6月はじめ、いったんカナダ・アメリカへ戻るとのことだが、中旬に再び日本に来るそうで、東京で会いましょうと約束する。

 さて21日の授業は、教室変更があった。どうも勝手が違ってまごつくも、A先生から特段批判はされなかったので、胸を撫で下ろす。なんでも学生会館を建て直しのため取り壊すことになり、そのお別れイベントとやらでドラムをガンガン叩くのが聞こえる。

 夕食は鰻丼を作った(画像)。Uヴィレッジのスーパーで買ってきた鰻の蒲焼は2$だった。それをいったん洗って、スチームケースで加熱してから切り、小丼の御飯の上に載せる。たれは、つゆの素に赤ワインを加え、砂糖も入れて煮詰めた。鰻の処理は関西式で、蒸してないのでちと泥臭いか。小骨も残っていたがご愛嬌だ。「旬」で食べた鰻重にさほど遜色はない。

 NYに滞在していた時には、鰻重が食いたいがどこにも無く、日系の食料品店で真空パックを1度目にしたくらいだった。アメリカでは鰻重など食えんものと覚悟して来たが、シアトルではそうでもない。逆にNYに蕎麦屋があったが、シアトルでは見かけない(宇和島屋へ行けば乾麺は売っている)。といってもユニバーシティ・ディストリクトからほとんど出ない生活だから、どこかにあるのかもしれない。ラーメン屋は多い。あとは、ベトナム系の方が比較的多いせいか、フォーのお店はたくさんある。

 天井の電球が切れているのを、自分で取り換えた。シンクのライトを直しに来てくれた時、なぜか予備の電球をたくさん置いて行ってくれたから、今後は自分でせいという意味だったのだろう。人を呼んでチップを渡すのも面倒くさい。1$札は節約せねばバスに乗れない。今日はいくらなんでも床屋へ行くつもり。