そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月31日(土)コンプレックス?と校長のぼやき

2013年08月31日 | 校長は日々是口実

 午後から校長の業務で高校へ行く。仕事が始まる前に先生方と話をしていて、校長、あんまり田舎の学校、田舎の学校言わんでください…と苦言を呈された(そう言えば校長着任直後に教頭先生からもそう言われた)。生徒とくに女子の中には、都会の学校に合格できなくて入学したため、コンプレックスを感じ傷つくのがいるそうである。保護者の中にも、私が過日「・・・で育った山猿が~♪」と替え歌を唄ったのを、聴き咎めておいでの方がいらっしゃったとのこと。

 しかしかかし、周囲を見渡せば田圃が広がっており、その手前は里山で、ここはどう逆立ちしてみてもcountryである。されば居治直って、urbanには絶対に真似のできない学校作りを行い、誇りを持つしかあるまいに。結局、負け組みたいな意識は、払拭できんのかしらん? いっぽうで、やけにプライドも高い、複雑な学校である。どうも最初から、釦の掛け違いがあるような気がする。

 そんなこと言い出したら、島根県出身者なぞ、立つ瀬が無いわいな。しかし、おいらだにすらさへ郷里には誇りを持っているし、松江で生まれ育って、高校まで過ごして、悪かったとは思っておらん。しかし、何でもかんでも偏差値、序列、ランキングで物事を測るのが、都会ということなのであろうか。ああ、あほらし。地方だったら、私立のステイタスは目も当てられず、私なんぞ私立大学へ進学したものだから、同窓生の間では、アホ扱いである(地方では国公立大学へ進学した者だけが偉いのである)。

 けれども、そのことをきちんと?屈託し、韜晦し、最後はそれをバネにして、生きてきたような気がする。コンプレックスがあってもよいが、傷つかないようにそっとしてみたところで、仕方があるまいて。傷口には塩を塗り、消毒したらいいぞなもし。人間、強く生きていくしかない。マムシのように、毒を持つ必要も時にはある。

 仕事が始まったが、また私に対する当てつけがましいもの言いをする御仁がいた(当人はもしかしたら全く意識していないのかもしれんが)。生徒との距離感云々かんぬんとは、遠回しの校長批判であろうか。校長は授業を担当する権限も、資格もないのだから(教員免許は持っているけど)、授業や部活を担当する教諭・講師と生徒との距離感とは、自ずと異なるだろう。まあ、口を出すなと言いたいのか?

 私みたいな高校教師経験者を校長にしたのは、大失敗であったとつくづく思う。理事会も、こんな中途半端なやり方をせずに、もっと直接、強圧的に支配をすればいいのに。私は高校側の味方にも、理事会側の味方にもならないからねと、いっとう最初に理事殿には、申し上げたはずである。

 腹積もりより時間がかかった。それでも、ある先生が駅まで車で送ってくだすったから、19:00前の新幹線に乗れた。乗ってから、教員証を校長室の机の上に忘れてきたことに気付く。ああ、もうかなりモウロクしておるわい。

 今朝方から体中が浮腫んでいる。円形脱毛症も、ひとしきり大きくなったと、同居人に嗤われた。さて、高校の始業式まで、しばし岡山の女子大へと集中講義に出掛けます。


8月31日(土)倍返し…でなく、半返しだァ?

2013年08月31日 | 公開

 「半沢直樹」が人気だが、倍返しだの十倍返しだの、物騒な台詞が大ウケしていますな。娘が「半返しだ!」と言うので、おやおや、気のきいたことをのたまふぢゃないか!と感心した。よく聞けば、香典は半返しだ!ということらしい。 半沢だから半返し…ではないよし。

 本日はこれから高校へご出勤。明日からは岡山である。… gathers no moss、身を浮草の根を絶えて…。というわけで朝まだき、We Love You を聴く。我石ころならめ。高校の担任は石橋先生だったがな。


8月30日(金)学部コース合宿2日目

2013年08月30日 | 校長は日々是口実

 案の定、2日目の朝飯は高校ESS部の諸君と一緒になった。合宿へは40人ほどでやってきているそうで、こんな人数の生徒にまとまって大学教授を営業している姿を見られるのは珍しいことだ。ちなみに、校長を営業している時は金日成風眼鏡、教授を営業している時は丸眼鏡をかけているので、外見で容易に見分けがつくはず。

 生徒に記念撮影を頼まれる。すみませ~んと彼女たちが、気安くシャッターを押す役を頼んだのは、今や学部コース最年長のN教授だぞよ! 

 学生の発表を2本聴く。源氏物語と、現代小説の分析だったが、いずれも学部3年生としては、よろしきレベルに達していた。源氏物語の分析では、「中将」というものが持つ一種の表象性に着目した点が面白かった。なるほど、「大佐中佐少佐は老いぼれで といって大尉にゃ妻があり 若い少尉さんにや金がない 女泣かせの中尉どの~♪」と唱う「軍隊小唄」の歌詞と通底するところがあるのかもしれん。現代小説の方は、nous や je や tu が出てくる作品だったが、発表者はフランス語履修者ではないらしく、nous をノウスなどと読むものだから、可笑しかった。je をジェと発音したら、じぇじぇじぇのじぇ…である。(笑 

 昼食はセミナーハウスで摂る。ビュフェスタイルでソースカツ丼とは、ついついフライを取りすぎてしまった(これを評してフライングと言ふ?)。

 ESSはバーベキューの由で、ご招待を受けたが、なにしろカツ丼で満腹。とっとと帰ることにする。T教授とタクシーを呼んでにたところ、時間がかかるそうで、よしゑやし、駅まで歩くことにする。30分も歩けば着きますよと、若いT教授は元気である。セミナーハウスの管理人さんは、いや、、20分ほどで着きますわいとおっしゃった。

 木漏れ陽が気持ちのよい道を下って行った。ところが、駅に着いたらものすごく暑かった。ほどなくやってきた電車に女子中学生の集団とともに乗り込んで、新幹線乗り換え駅へ。先に出発なさったN教授とばったりお会いしたりしたが、結局指定を取っておいた列車に乗ることにして、少し土産を買う。ルバーブのジャムや、燻製、蜂の子の瓶詰にもついつい手が出た。乗り換え駅でワインとシードルも買う。近所の八百屋で西瓜も買った。

 明日は東北へ職場の慰安旅行へ出かけるという娘が帰ってきたので、久しぶりに一家揃っての食事となった。パンチェッタ(これは通販していないはず)が実に美味だったが、痛風によいわけはないか・・・。

 眼精疲労?でのたうちまわる。京都合宿で根を詰めたせいに違いない。円形脱毛症もひとしきりひどくなり、同居人に嗤われた。


8月29日(木)学部コースの合宿

2013年08月29日 | 校長は日々是口実

 お上の査察は予定より1時間ほど早く終わって、言われるんじゃないかなァと予測していた点が指摘された。一緒に査察を受けた別箇所長殿に校長室でコーヒーなど差し上げ(ミルクが無かった!)、ご一行を教頭先生に新幹線駅まで車でお送りいただいた。

 さて、私はといえば、学部コースの合宿へ合流すべく、査察がさっさと済んだので、早いのに変更できないかと駅で尋ねたが、結局は指定をとったあった列車に乗るしかないと言われる。なにしろ1時間に1本しか列車の停まらん駅だからな。時間潰しに、駅前に新しくできた巨大ショッピング・モールを覗く。申し訳ないけれども、洗練されているとは到底言い難かった。

 新幹線に乗ってしまえば、次の駅で乗り換えて、2つ先の駅で降りればよかった。こんなにも近いか。駅のコンビニで夕食を買い、タクシーでセミナーハウスへ。遅参したので、確認しようと管理室へ行くと、ありゃりゃ、ウチの高校の英語科のM教諭が・・・。ESSの合宿なのだそうである。じぇじぇじぇ!

 サマースーツ脱ぐと、全身汗まみれ。シャワーを浴び、着替えれば、もう20:00の懇親会タイム。23:30まで学生と飲みに飲む。幹事長は尊父のご実家が造り酒屋という学生さんで、その結構な吟醸酒もいただけた。女子学生諸君とは、大学周辺のグルメ話となる。トランプの手品のセミプロみたいな学生さんもいた。

 いい加減酔っぱらって部屋を出ると、そこにESSの高校生たちが・・・。あっ、校長!と叫ぶ。この丸メガネをかけている時は大学教授で、高校の校長ではないからなと申し渡す。う~ん、さきほど高校でK教務主任に、生徒が校長にタメ口をきくのは問題ですから注意してくださいと、苦言を呈されたばかりだったがな。

 ところせき世界である。(汗


8月29日(木)1ヶ月ぶりの校長業

2013年08月29日 | 公開

 本日はお上の査察をお受けする日であるからして、ほぼ1ヶ月ぶりの校長先生だ。仕方ないからサマースーツを着用し、ネクタイも締める。

 午後は校内をご案内申し上げた。部活動などで、結構生徒は登校している。保健室は必ず見ると言われていたが、ちょうど暑さのせいで気分が悪くなった女子生徒がおり、よかったのか、悪かったのか・・・これぞリアリズムである!

 新学期に向けての、サプライズの仕込みができていた。簡単に言えば、高校オリジナル・グッズの開発なのだが、ずいぶん大変だったし、長い時間がかかったぞなもし。既に製品は売店に運び込まれていて、始業式の直後から販売するようお願い申し上げた。見本に1個買わせてもらったが、思った以上にインパクトがある。乞う、ご期待。いやいや、モノが売れないことには、校長の面目まる潰れだ。

 さてさて、教務主任のK君相手に、クラスの旗か馬印を作らせて、一等には校長から賞品を出そうぢゃないのと語れば、なんだかんだ問題があるようなお返事で、とくに教員連は冷淡ならむとおっしゃる。そんなことは分かっておるし、どうせおいらの任期もあと1年なんだから、どかんと思い切ったことをやって、悪評は皆おいらに押し付けたらいいぢゃないかとほざいておく。施設関係の仕込みも、大丈夫かなあ?と思わんでもない。そのせいで、円形脱毛症になったんだがなあ。箇所長だから、気を揉まないでおこう…というわけにもいきませんがな。


8月28日(水)京都合宿2日目

2013年08月28日 | 公開

 輪読研究会2日目は、やはり10:00スタートで、1時間の昼食を挟み延々6時間! それでも埒は明かなかった。

 昼食は会場斜め前の、町屋改装の中華料理店に入る。前から気になっていたんだよね。今日は横浜禅宗大学のKさんが加わったので、男4人で細長~いお店の一番奥の部屋へ。古い座敷を板敷きにして、掘り炬燵式の席が設けてある。すてきなお店だ。

 トマト担々麺を頼んだら、アントレ?にニラ饅頭と肉饅頭が供された。

 で、これがメイン・パスタ? 冷製のトマトが丸ごと載っており、ぶっ潰して食うのである。

 デザートは杏仁豆腐。午後の研究会開始10分前に勘定を済ませたが、なにしろ輪読の会場までは30秒とかからないから、安心である。

 17:00に部屋を出て解散。そのまま京都駅へ向かい、Kさんとはお別れして少し買い物をする。「富翁」のワンカップももとめた。新幹線の改札を入ると、K研のKさんに声を掛けられる。昨年も京都駅辺でばったりお会いしたのだった! Kさんに「先生(=私)とは何かある!」と言われた。調査だったのだそうだ。YKさんもおいでになった。

 新幹線の中で、鯖寿司を肴に「富翁」を飲むと、いい気持ちになり、気がつけば熱海通過。ほどなく東京へ到着す。駅地下で日本酒で作った梅酒を買って帰り、炭酸で割って飲んだ。同居人は日曜から、娘と一緒に松江へ行っていたので、久しぶりに会った気がした。

 このたびの京都1泊合宿は、とにかく美味いものが食えたことが頂好!であったよ。


8月27日(火)京都で研究会

2013年08月27日 | 公開

 京都での研究会合宿が10:00輪読スタートというので、東京駅7:00発の新幹線に乗った。朝食はサンドイッチと牛乳で済ませる。

 生協の宿舎が会場だが、いったん入ってしまうとずっと缶詰で、ほぼどこへも行けない。錦の市場で実山椒などを買ってから、神速で「ぎぼし」に駆け込んで、「吹よせ」を送ってもらう手続きをした。老母や家族の者の好物であるからな。

 輪読会は昼食1時間を挟んで延々9時間! 思ったほど捗らず、頭の中がぐずぐずになった。

 昼食はりんだもぢらんと、「鴨音」へ。Yさん、K元助手もついておいでになったが、神楽坂辺の値段の5割高ないし倍額で、申し訳なかった。しかし、お蕎麦は最高。私はお薦めの鴨せいろを頂戴する。小豆と枝豆を練り込んだよしで、最初に塩で召し上がってくださいと花番さんに言われた通りにすると、ふわ~と小豆の香りが立ち上がってくる。こんな体験は初めてだ。つゆに浸けると、もう香りは感じられない。実に微妙というか、繊細なものだなあ。午後も輪読が続くので、お酒が飲めず、残念なことでありました。>娘よ、蕎麦部は「鴨音」へ遠征しては如何かな?

 東山三条、古川町商店街にあった「虚無蕎望なかじん」へは、一度だけ訪れたことがある。今日はもちろん、中村一臣氏御自らカウンターに立っておられて、感激した。「鴨音」はカウンター9席のみのお店だが、まずはお箸がすごい。私は蕎麦たぐり用のマイ箸を携帯しているが、それを小ぶりにしたようなお箸。持参の箸をちらっと出したところ、中村氏に、よく似ていますねと言われた。ただしお店のは八角で、私のは五角なのだが。

 さて、20:00過ぎまで輪読を続けてから、晩飯へ。Yさんの提案で、以前入った宿舎直近、京町屋改造の寿司屋へ行く。3000円のコースにしたが、なかなか美味しかった。昼食の顔ぶれに、S大のNさんの4名。お酒は「富翁」の無濾過生原酒。伏見のお酒らしい、しかし、どしっとした美酒だった。

 

 


8月22日(木)アジト?訪問

2013年08月22日 | 公開

 8マン先生のアジト?を、A師匠、O社長とお訪ねする。路次、メイドさんが客引きをしておいでのお店があったが、職業がら女子高生には山ほど接しておるので、何らの感興も湧かず。メイドの飛脚で、通り過ぎた。8マン先生によれば、「高いですぞ~」ですと。私の校長手当は、安いですぞ~(時給500円也!)。

 アジトの周囲は飲み屋だらけで、す、素晴らしいロケーションである。大きな居酒屋へ、はいる人等! そこへ、来月にA師匠が披露宴の司会をおつとめになるというお二人が合流して、どんちゃん騒ぎ。キャンドル・サービスには打出の小槌を使うご趣向なのだそうで、それならばお色直しに、新郎は大国さま、新婦はバニーガールの格好をすべきだろうという話になる。そこで、大きなふぐりをまたにさげ、大国さまが来かかると、ここに因幡の白兔、皮をむかれてまる裸~♪と唄ったら、殴られた。もう、セクハラもいいとこだな。いや、新婦さん別にいやがっておられなかったから、ハラスメントにはなりますまいて。

  どなたかが面妖なスウィーツをお頼みになった。国会議員の顔をアレンジしてある。食えないものであったわいな。

 ちなみにこのお店、メニューにモッコリなる飲み物があって試しに注文してみたが、ビールにマッコリを入れたカクテル?であった。 

 


8月21日(水)東京大空襲の体験者

2013年08月21日 | 公開

 雨があがった夕刻からお稽古事。11月の準備が本格的に始まったが、いろいろ変更点も生じていく。しかし、懐紙はどうするんだろう?と、いささか心配になる。

 終了後、「AMA」へ行くこと常のごとし。ご同行の中に東京大空襲の体験者がいらっしゃって、当時の模様をお伺いした。さまざまな幸運が重なり、生き延びられたということだな。いやはや、感銘深し。

 帰路大雷雨に遭う。ところが、19分電車に乗って自宅最寄駅に着いたら、地面はもう半ば乾いていた。

  さて、こうして大空襲のお話を伺えば、いま喧しい「はだしのゲン」問題も気になってくる。我が故郷・松江市で生起した問題だしな。しかし、たまたま観たTVニュースで有識者なる御仁のコメントも聞いたが、ご当人実際に作品を読み込んでいるのか、はなはだ疑問に思った。要はリテラシーということであろうよ。


8月21日(水)大学構内でずぶ濡れに…

2013年08月21日 | 公開

 昨夜、ローストビーフの切れっ端を4つ、5つ食ったせいか、頬のあたりのお肉がだぶついたような気がしてきた。TVをつけると、恐ろしや痛風!みたいな番組をやっていたので、慌ててスイッチを切る。今さらプリン体だの、尿酸値だのと聞かされてもなあ・・・。

 大学へ行って「なかつよ文学会」の雑務をこなす。事務局員は3人だけで、バイト料掛からないのはおいらだけだからな。やれやれ、仕事が終わったわいとひと息つき、ついでにメール・ボックスを確認すると、大会講演者のお一人M先生からお葉書が届いておって、所属に修正点ありとのご連絡じゃ。うわ~、もう印刷しちゃったがな! お詫びのお手紙を出して、許してもらうしかないわいな。

 構内工事中で、右往左往していたら、突然の大雨でずぶ濡れになる。濡れにぞ濡れし、色も変わったわい。日ごろの行いが悪かったのか。昨日まではツイていたが、今日から運勢急降下か? 来週からは殺人的スケジュールと相成る次第。

 27~28日は輪読究会の合宿。29日は終日高校のお仕事(県の査察だとか)で、そのまま軽井沢へ移動し学部の合宿(おそらく宴会)に参加。翌日の研究発表に付き合ってからいったん家に帰り、31日はまたぞろ高校へ。そして、9月1日からはN女子大へ集中講義に出かけ、4日に帰宅予定。6日は高校の始業式である。またまた有り難い校長訓話を垂れにゃならんぞ。(汗

 学校法人の秘書課というところからメールも来た。重要な懇談をするから、出席せよという。その日は、国立能楽堂で狂言の会のチケットを取っているんだが、仕方があるまい。こうなったら最後の番の萬斎は観ずに、法人本部へ行くしかない。ああ、校長なんか早く罷めたい、よいことなんぞ、何にも無いわいな。(涙


8月20日(火)大学院の合宿

2013年08月20日 | 公開

 19~20日の1泊2日で大学院研究室の合宿を催行する。神奈川県在住のA君に幹事をお願いしたので、箱根とあいなった。箱根湯本駅集合で、A君運転の大きな自動車に乗せてもらってホテルへ。修士課程の全員と、博士課程の3名が参加し、まずは研究発表を5本こなす。11月の「なかつよの会」の研究発表者を決める必要があったが、これはすんなり目途が立つ。K法師を想定していた学内学会の大会発表の内容も、ネタとしては悪く無いものであった。やれやれ、ひと安心というところ。持ち寄りの日本酒がすべて空いて、そちらのほうもめやすかったといふべし。

 2日目は、まあ少し遊びましょうという仕儀とあいなる。A君の車があったので実に楽ちんであった。箱根は初めてという御仁が3人居たから、さしあたっては大涌谷へ。皆に黒玉子を食わせる。1つ食うと7年、2つで14年の延命とあるが、3つ食うとどうなるかは、どこにも書いて無かった。3つ食ったら、死んじゃうのかもしれない。

 箱根神社、早雲寺を見て、昼飯は鈴廣かまぼこの里まで一気に下り、千世倭館の蕎麦屋へ入る。昔、ビール工場の食堂みたいなのがあったはずだが、いつの間にかこういう建物ができておった。私は季節の冷やかけ蕎麦を註文するも、まあ「よろし」という水準であった。運転するA君の手前、ビールが飲めず、欲求不満が蓄積する。

 小田原駅前で解散。ロマンスカーで新宿へ。車中、斜め後ろの席で老年3人組が大声で、青森出身の、天井桟敷の、あれ誰だっけ?とボケた話をなさっている。「寺山修司」とお教えしたかったが、いらんことだと黙っておった。新宿に着くと、夕食は無性にローストビーフが食いたくなり、京王百貨店の地下食料品売場で切り落としを買う。赤ワインも買ったが、これは大失敗であった。かまぼこの里でUちゃんに薦められて買った瓢箪の漬物は、ピクルスみたいで美味しかった。


8月16日(金)帰京して式三番叟!

2013年08月16日 | 公開

 エアコンが無いのは、本当につらい。午後の飛行機で帰京予定で、ぶらぶらしていたら、老母に、茶室で割り稽古をせよと命ぜられる(実家には茶室がある!)。しぶしぶ帛紗をつけ、点前を見てもらう。

 いやはや、厳しいのなんのって・・・。まあ、これだけは教本見ても分からんからな。お稽古も月1度では、手も上がらない。手をきれいに!とは、師匠にいつも言われることと同じであったよ。

 昼は蕎麦をたぐりに行こうかと思ったが、あまりの暑さに気力が出ず、家で素麺を食う。JRの駅まで車で送ってもらい、15:10発の空港連絡バスに乗る。

 奢ってJクラスの窓側の座席だが、隣はおみあしご不自由のご婦人だった。富士山がきれいに見えたので、その旨ご案内して礼を言われる。帰路は、外国人には間違われなかった。

 羽田に到着し、そのまま銀座のワイン・バーへ直行。同居人の師匠の受賞祝いの会に顔を出す。太棹三味線で式三番叟をおやりになるという。サンバ…ではない。「柳は緑、花は紅」というところを、「燕は緑…」と大夫連?がおっしゃったので、???と思っておったら、師匠のお名前をもじったのであった。みどりは奥さまのお名前のよし。

 バーのオーナーの奥様は、境港のご出身のよし。結局は、郷党こそありがたや。三番叟はよかったのか悪かったのか、よく分からなかったが、引出物の手拭をいただいた。柄はもちろん、燕がさんば(三羽)飛んでおりましたよ。

 三味線を背負った同居人と帰宅したら、娘が帰って来ていた。NY市警のTシャツを、NY土産にもらった。グラウンド・ゼロで売っていたらしい。

 

 

 


8月15日(木)お盆の親孝行?

2013年08月15日 | 公開

 暑くてたまらないが、老母はエアコンを使わないので、坪庭や玄関先に散水を繰り返して、涼をもとめる。生暖かい風が吹き抜けていく。小さいころはこうだったよなと思う。上京した当時も、山手線の真ん中の車両が冷房車だっただけで、宝籤に当たったような気がしたものだ。大学も、図書館の参考室だけエアコンが入っていたっけ。

 同居人に頼まれ、N名誉教授にお酒を送りに行く。「李白」の斗瓶囲いなんてあなた、蔵元へ行かなければ買えませんがな。無事に配送していただけるようお願いできた。

 午後、松江 I 書店のT社長をお訪ねして、小1時間お話しした。稲村榮一先生の注釈の電子出版に関する話。推薦文はもう書きましたと申し上げた。「殿町一色庵」へ回ると、人の列。もとの場所、一色印判店があったところへ店を戻したと聞いていたが、観光客にはこちらは一等地だ。私のこの並びで幼少期を過ごしたので、入ってみたかったが、到底無理と断念。物産館に寄ったら、長岡空郷さんの新しい作品が入っていた。三島の俵茶碗など。ちょっと欲しい気もしたけれど…。

 茶碗といえば、彫三島の銘「美川波倶舞」を持って帰って、老母にいくらだったと思う?と値踏みをさせたら、20万円という返事だったので、ふふふふふ。おいらも目が高くなったものだ。ピンとこない道具は買うなと言われたが、以前、空味の茶碗の偽物をネット・オークションで落として笑われた。箱はよかったんだが…。

 さて、夕方、老母を車に乗せて墓の花を替えに行き、そのまま伯母夫婦の家で待たせてもらう。20:00に盆送りの読経が始まる。菩提寺のご住職にご挨拶する。まあ、これも親孝行といふべしよ。

 やっと帰宅して夕食。奥出雲のどぶろくを飲んだら、美味かった。少し炭酸で割ってみると、もっと美味かったぞんなもし。島根和牛とサザエを山のように食った。極楽、極楽。尿酸値に悪いことは、もとより合点承知のうえ。

 娘はNYから無事帰国のよし。


8月14日(水)お盆の帰省

2013年08月14日 | 公開

 お盆の帰省は私一人ということになった。実妹は嫁ぎ先の新盆で、お供えを送っておいた。

 羽田空港はそんなに混んではいなかった。お昼過ぎまでに着くようにとの老母の命令でとった便。満席とのことだが、隣は空席であった。

 実家に着いて昼飯を食うと、菩提寺の坊さんが棚行に見えた。最後に回ってくださるようお願いしてあるよしで、車でお寺までお送りする。お寺のすぐ下が伯母夫婦の家で、挨拶に行く。伯父は彗星艦爆に乗っていたという元海軍航空兵。亡父と同年齢だから、親を見るごとし。

 時間があるので、橋南方面の挨拶まわりをした。予告なしに稲村榮一先生をお訪ねしたが、お元気だった。『明月記』に関する新しい原稿を執筆しておいでのよし。奥様に冷水点ての薄茶を二服いただく。やはり松江はお抹茶が出てくるのだ。

 それから雑賀町にある亡父の実家である神社の横屋(社家)を訪ね、従兄に挨拶した。岸清一没後八十年のイベントを計画中であるとか。東京出雲学生会は岸によって作られた会だから、大いに関心があると言っておいた。雑賀町は松江の足軽町だが、郷土愛?が強い地域だし、多くの偉人を生んでいる。