そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

1月31日(日)

2010年01月31日 | 昔日記
 けふの気分は落下傘部隊。「空の神兵」は高木東六ですな。ふう、やっと女子大の集中講義のシラバスを入力したわい。締切日ギリギリとなってしもうた。







♪~国家公務員も 天降~る…


1月30日(土)

2010年01月30日 | 昔日記
 トイレの中で、有元葉子著『だれも教えなかった料理のコツ』(筑摩書房)を読みながら、歌を唱っていたら、パートナーにひどく叱られた。あなた、いったいいくつなの? それに、大学教授なんでしょ! ったくもう…

 ♪~せっちんはね トイレっていうんだ ほんとはね
    だけどバッチイから 自分のこと せっちんって 呼ぶんだよ…

 自宅の中はいわば簾中なれば、何をしてもいいと思うが…

 ♪~せっちんはね ××ポが大好き…

 も~いい加減によしなさい! はあい。

…と、朝からくだらぬ言動でリラックスし、大学へ。いやもう、今日の予定は大変なんだ。

 修士論文の口頭試問である。10:00開始で、まず副査が1本、続いて主査が3本。30分刻みにスケジュールが作ってあったが、そう予定通り進むものかは。思わぬ待ち時間が入ったりして(隣のK教授が開始時間を間違えたせい!)、結局終わったのは13:00近く。昼食を摂る間もなく、今度はコースの博士論文構想発表会に参加して、6名の発表を聴いた。

 修論のほうでは、ウチの研究室の3人は、アプローチの仕方が皆全然異なり、副査の先生も入れ替わり立ち替わりとなったが、2年ほどでまとめ上げた内容としては、よし、よろし、わろし、あしの、水準以上を達成したと指導教授は思いまするな。大漁でした。このブログで評点の詳細を明らかにするわけにはいかないけれど、非常に高く評価してくださった先生が、それぞれにあったと言っておこう。来週、博士課程の試験を受ける諸君は、ひとつ頑張って欲しい。

 博論の構想発表会は、コースの大学院研究指導を担当する教員ならば全員、原則すべての発表を聴かなければならないことになっている。自分の専門以外の時代・領域の構想を聴くのも勉強になる。終わったのが17:45。

 18:00ちょうどに、キャンパス正門のところでスウェーデンの大学教授T先生と待ち合わせ、日本橋へご案内する。我が大学に訪問学者として滞在されており、私は受け入れ教員となったのだ。明後日スウェーデンへ発たれるとのことで、お食事の約束をした次第。

 「COREDO日本橋」の4階にある、松江料理の「皆美」へお連れする。パートナーも合流。「鯛めし」をメインにしたコースを注文。T先生はヨーテボリ大学の教授でいらっしゃるが、パートナーが同大学で研究発表をした際には、たいへんお世話になった。今年の研究集会はヘルシンキのよしで、久しぶりに行ってみたい気になった。

 京都から帰られたばかりとのことで、「聖護院八ツ橋」と焼酎をいただく。お土産に、和柄っぽいウールストールを進呈。遠路お帰りなので、軽いものにした次第。
 
 地下鉄改札でお別れし、パートナーと東京駅まで歩いて、電車に乗って帰宅した。ああ、疲れた。でもまあ、充実した一日だったな。娘はまたぞろ海外旅行に行くと言い出し、荷作りに余念がない。バイトで稼いだ金で行く以上、文句のつけようがありませんな。

1月29日(金)

2010年01月29日 | 昔日記
 大阪の女子高から和歌披講会へのご招待を受けた。A師匠をお誘いしたら、お出ましになるとおっしゃる。校長先生にメールでお願いすると、折り返し歓迎する旨お返事をいただく。ちょうどエアポケットのように予定の入っていない日であった。日帰りで大阪へ行ってこよう。

 15:00から中央図書館の会議。委員長がすっと下を向いて議事を進行するものだから、挙手をしたのに無視された。ムカッときたが、喧嘩するのも大人気ないので、黙っている。低調な会議で、各学部からは委員長を含め4人ほどしか出席していない(でもまあ、こういうのに精勤しておくと、いざという時に顔が効くのだ!)。案の定、30分ほどで終了。来週も中央図書館の会議があるが、欠席の返事をしていたけれど出られることになったと事務局に申し出た。

 16:30からの演習は、本日が最終回である。まとめをして、全員一言ずつ感想を述べてもらった。最後にもっともらしいことを言っておく。我ながら歯が浮くような仕儀。

 パートナーも研究会が終わったというので、一緒に帰宅した。ワインを1本空ける。推薦状をPDF化しなければならないが、こういうのがどうも苦手で、パートナーにお願いする。アメリカ行きのチケットを注文。3月31日と4月1日とでは、倍半分値段が違うという。4月1日成田発、サンフランシスコ経由…ということにした。アメリカは2度目だ。今年はヨーロッパに行く機会もあるかもしれないが、それは明日の話の次第による。

1月28日(木)その2

2010年01月28日 | 昔日記
 博士課程の研究指導に2人の発表希望があったが、1コマでは到底無理。3限は、Nさんのシンポジウム報告の下発表を聴くも、全然ダメ。聴衆をまったく意識・計算していないではないか! 前後をひっくり返して、内容紹介を主とすれば、皆よく知らんテクストだからインパクトがあるに相違ない。複雑な論立ては、討議のほうでうまく展開すればよいだろう。学会発表じゃないんだから、パフォーマンスをよく考えられたし。来週の研究指導は、卒論口述試験の後、通常の時間に開始することとした。

 修士の演習は今日で最後。K君に修士論文の概要紹介をしてもらったが、かっちりした内容。ただ、どこまでが従来の研究で、どこが新しいのかを、もう少し分かりやすく示す必要がある。

 急いで研究室に戻り、今度はK助手の発表を聴く。まあ、ネガフィルムみたいな作業で、それ自体の意味は小さくないし、問題の所在が浮き彫りにはなったけれども、単独で発表できるような内容ではない。面白そうなネタは目につくので、そこを展開されたし。なおK教授から差し入れていただいたお菓子は、あっという間に消えて無くなってしまいましたわ。

 17:30となった。18:15から研究室の打ち上げだ。地下鉄で移動し、18:00に集合場所へ(元甘栗屋の前といっても、分からん人も多かろうに。楳図かずおの「まことちゃん」には、時々描かれていたがね)。T駅前の居酒屋が会場。参会者は博論を提出した2名、修士論文を提出した3名、来年度修士課程に進学してくる学部生(含他学部・他大学)4名、それに博士課程の研究指導に参加している4名、修士の演習を受講している他研究室の2名という、実ににぎやかな顔ぶれであった(あと、訳あって現在関西在住の1人が揃えば、オールメンバーとなったのだが…)。博論審査会を終えた2人には、後輩から記念品が贈られたが、なんと、お花に「大風呂敷」! シャレがきついですわなあ。さすが、おいらの研究室の院生どもである。

 4月頭から2ヵ月ほどアメリカへ行くので、進学予定者諸君をあらかじめ研究室に馴染ませておく企図があったのだが、それはまことにうまくいった。3時間ほどんちゃん騒ぎをして、私は例によって1次会で消えることにする。研究室の「埋蔵金」があちらこちらから出て来たので、会費はものすごく安く済んだようだ。学部生はタダだったかも。 

1月28日(木)

2010年01月28日 | 昔日記
 倉敷のN君のところは第三子がご誕生のよしにて、めでたし。栃木のN君からはイチゴを頂戴して、ありがたし。

 ここのところ、頭がフリーズした感じで、机の上には未開封の手紙が山をなしている。これこそ不調の徴証だ。集中講義の日程を調整しなければならず、問い合わせたら、まだ返事をもらっていないと言われた。慌てて調べると、あわわ、まだ開封してなかったよ。締め切りがいつだったか、考えるのもいやなことが多い。後回しにすると失念しかねないが、もういっぱいいっぱいなんだよね。小刻な仕事が脈絡もなく累積していく。私がコーディネータをしている科目で、担当者のお1人から、もうレポートの採点が終了した旨ご報告をいただく。焦るなあ…。

 まだ来週まで授業がある。昨日、学担のI教授(助手仲間)に会ったら、補講が終わるともう授業が終わったと勘違いしている人が多いねと言っておったな。25日、26日が補講で、27日から2月2日までは通常授業日なのだ。成績処理する気分にはならん。

 K助手の博論審査報告要旨を書き上げた。少し短いかな。まあいいや。先に事務所の担当者宛添付ファイルにして送信した。論文自体はお昼に返しに行くつもり。ついでに、気が早いのだが、NさんとK助手の論文についての教授会報告用文書も作成して送った。本当は学位委員会の後に提出すべきだが、せっかく要旨が出来たんだから、もうこうなれば一気呵成だ。順調に行けば2月15日が学位委員会、それから2月24日の教授会で承認されれば、めでたく学位授与となる手筈。

 博論の審査にはもうずいぶん携わったが、主査を務めた回数はそんなに多くない。修士課程からずっと面倒をみたケースは、K助手がいっとう最初。そういう意味では、感慨深いものが無くはないかな。

1月27日(水)

2010年01月27日 | 昔日記
 やれやれの会議日。13:00から基幹委員会が1つだけあった。これが3時間。パートナーは先輩であるU教授の博論公開審査会に来ていたはずだが、委員会が終わった時には審査会も終わっていた。U教授の研究室を覗くと、A名誉教授はじめ皆さんがおいでだった。ちょっとご挨拶する。

 パートナーはその打ち上げとやら。娘も就職先の新規採用予定者懇談会だとか。夕食は姑と2人きりだな。神楽坂でワインとコーヒーを買って(もちろん「ラ・カーブ・イデアル」で1杯飲んだ。この「逸平」君という店員さんは、なぜか高校の教え子なのだ)、帰宅。

 家に着いたのが18:00過ぎで、それから2人分の夕食を作る。アボガドと小海老のカクテル、蛸の薄造り、豚肉をさっと茹でて味を付けたもの、ドライカレーに薄い卵焼きをふわっと載せたの…これを30分で作っちゃうのだから、私も手早いなあ。姑の作ったキンピラゴボウと煮物を加えて、結構な夕食である。買ってきたロゼワインをボトル3分の2ほど飲む。

 あ~、今夜中にK助手の博論審査報告要旨を仕上げないと…

1月26日(火)

2010年01月26日 | 昔日記
 出雲地方では定番の赤貝飯を炊いた。パートナーが魚屋から赤貝(サルボウ)を2袋買ってきたので、まず煮付けにする。よく洗った貝を鍋に入れ、ダシ汁と醤油(私はつゆの素を使う)、みりん、酒でひたひたにし、生姜をかなり入れて煮る。口が開いたら、しばらくアクを取り、火を止めて味を染み込ませる。煮付け自体は、たったこれだけで仕上がる。私は身の入っていないほうの貝殻を除去するので、この作業がひと手間。

 米をとぎ、上記の煮汁を適宜薄めて水加減する。湯通しした薄揚げを小さく切り、生姜の千切りと加えてご飯を炊く。赤貝の煮付けは、身だけを取り出しておく。

 炊きあがったら、貝の身を加えて混ぜ込む。初めから身を入れて炊いてもよいが、それだと身が固くなる(それも悪くはないけれど…)。今日は香り付けと色どりに、春菊をミジンに刻んで加えてみた。赤貝には少しくどい?風味があるから、青みがあるとさわやかだ。春菊は香りが高いしね。

 もしかしたら調理の才能があるのかもと思わんでもないが、私の作るものは所詮家庭料理にとどまる。文科省のTさんなど、プロ級の腕をもつ方には及ぶべくもない。ただし、パッと見計らう才はあるかな。昨夜の飯が1椀残っていたので、マッシュルームを加えたドライカレーにして皿に盛り、薄く焼いた卵をふわっとかけたら、に横取りされた。昔、大学の近くにあった「ジャワ」というお店の「スパニッシュオムレツ」の変形である。「ジャワ」のあった場所はもう跡形もなくなったが(某神社の参道工事の結果、完全に消滅した)、18歳の春東京に出てきて、大学の入学式当日食べたのが、「ジャワ」のカレーだった。あまりに腹が空いていたので、2杯目を頼んだら、はじめから大盛りを注文すればいいのにと笑われたっけ。ご主人とオバちゃんは、どうしておいでだろう? 

1月25日(月)

2010年01月25日 | 昔日記
 補講日なので通常授業はない。で、来週まで授業がある。来週を休講にして、今日補講を行えばよかった。KOは来年度、半期13回の授業数だそうである(K教授のブログによる)。ウチは15回+試験。集中講義について問い合わせが来るが、いずれも15回厳守となっている。どうして13回の運用ができないのだろう? いや、どうしてKOは13回でよいのか? 不思議ぢゃ。

 14:00からK助手の学位請求論文公開審査会。その前に、土曜に実施したNさんの審査報告要旨を事務所に提出した。1日措いて主査を務める審査会の開催とは、正直きつい。今日は副査2名で、質疑は細かなところが中心だった。さすがK助手だけあって、論証の過程に間然としたところもなく、高く評価されたこと、指導教授冥利につきる。。完成度が高い論文だから、そのまま出版しちゃったらどうかな。1時間半ほどで無事終了。引き続き審査委員会を開く。

 やれやれ、ほっとしたぜ。今度は修士論文口述試験の準備にかからなければ。夕方の編集会議まで間ができたので、『明月記研究』の発送を行う。これも始末がついた。

 18:30から編集会議に出る。煮詰まっていた企画も、少しずつ光明が見えてきた感じだ。新機軸がいくつか打ち出された。大阪からお見えになる委員は、確かな見識をお持ちだなあといつも感心する。帰路は途中まで東大のM先生とご一緒した。やはり2月はずいぶんお忙しいらしい。東大でも、漱石に関する素晴らしい博論が審査されたそうだ。

 娘は今日、卒業式に着用する袴の試着に行ったらしい。着物はいくらか持っているも、袴は無い(剣道をやっていたが、稽古袴を使うわけにもいくまい)。写真が送られてきた。スズメみたいな顔で写っている。この娘が、保育園に通っていた頃、自宅の湯船で飛び込みの練習をしていたとは、全く信じられん話である。いったいどれほど小さかったのだろう?

1月23日(土)その2

2010年01月23日 | 昔日記
 13:00から古記録の研究会。幹事は交代したが、会場提供のお世話をしなければならない。ところが、予約したはずの教室に混乱が生じてどっきり。空いている教室に変更してもらって事無きを得た。

 まず、昨日納品された雑誌の買い取りおよび配布について相談する。研究会にはもうお金がないので、極力切り詰めることとなった。この雑誌の売れ行きがはかばかしくないことには、今後の活動にもさし障る。どうか広くお買い上げいただきたい。M研究というのは、『明月記研究』12号のことで、八木書店の発行、212頁にて税込4,200円である。私も資料紹介と長い論文を書かせてもらった。論文は昨年4月に大阪大学で口頭発表し好評を博した自信作である。どうか、よろしく。

 研究会は18:00頃まで続くのだが、14:00からNさんの博士学位申請論文の公開審査会がある。私は主査なので、30分前に研究会を辞して会場の準備にかかった。副査は3名。皇族大学のKさんは、もともとNさんの学部・修士課程の指導教員であり、もちろん審査に加わっていただいた…な、なんとKさんは、文学部長に選出されたよし…。時間通りに開始、私の司会で進行する。聴衆も8名と、まあまあだった。

 まずNさん当人に論文概要を説明してもらったが、これが思いのほか長くかかった。それから審査委員による質疑、フロアからの質疑があって、ちょうど2時間で終了する。なかなか鋭い指摘が出たが、扱ったテクストの読みとしてはユニークなものなので、その点は高く評価されたと思う。引き続き私の研究室で審査委員会を開く。

 古記録の研究会に戻ったのが16:30で、1時間半ほど細かな報告を検討する。懇親会は、18:30に「かわうち」を予約しておいたのがぴったりだった。ただし私自身は失礼する。研究室に戻るとNさんが居たので、食事に誘い、「五郎八」で軽く飲んであがり蕎麦をたぐった。月曜は、K助手の学位請求論文公開審査会である。

 パートナーに電話したら帰路とのこと。乗り換え駅のホームで落ち合い、手を繋いで一緒に帰宅した。

1月23日(土)

2010年01月23日 | 昔日記
 赤貝を煮付ける。先日は火を通し過ぎて固くなったから、今回はそのあたりを注意する。味は薄めにして、生姜を効かせ、味を染み込ませるのに十分時間を置いた。

 セリをさっと茹でる。根のところは炒めてキンピラにする。白胡麻を和えれば、りっぱな一品だ。松江ならば、セリの産地は黒田町だなあと想いながら、調理をした。あのあたりも宅地化したから、セリ田は今でも残っているだろうか?

 娘がバイトに出かけると言うので、駅まで車で送る。帰ってきてから朝食。最近は玄米ご飯にしているが、あまり旨いとは思わない。

1月22日(金)その2

2010年01月22日 | 昔日記
 夕方の演習は、学生発表の最終回で、予定通り全員に発表してもらうことができた。次回は総まとめとなるが、レポートは既に提出してもらったので、後は成績処理をするばかりだ。私は人気が乏しい教授で、概して履修者数が少なく、成績を付ける段には楽ちんなのだけれども、その分大学教育への貢献度は低く、将来「仕分け」の対象となる恐れが大きいかもしれない。(汗

 パートナーと待ち合わせて一緒に帰宅。閉店間際の魚屋を覗いたら、岡山産の赤貝が残っていたので、購入する。関東の人は、この赤貝の食べ方をご存知ないのであろうか。明朝調理することにしよう。夕食には甲州ワイン、メルローを飲む。

1月22日(金)

2010年01月22日 | 昔日記
 編集を担当した雑誌M研究(「マゾ」研究ではない)が出版社へ納品されるというので、14:00に、神田にあるY書店の編集部へ、献本分の一部を貰い受けに出向いた。ちょうど社長さんがおいでになり、最敬礼、ご挨拶を申し上げることができた。もとより1人で運べる数量には限度があるが、バッグパックに10冊、手提げに10冊つめて、計20冊ばかりを大学へ運んだ。明日は研究会が開かれるので、早速会員に配布できる。

 14:45からS教授の最終講義を聴講しようと思ったが、間に合わなかった。途中から教室に入るのも失礼なので、次の時限の演習の発表資料を印刷する。S先生は、学部生の時に講義をお受けした。学生時代に習った先生で、在職していらっしゃる最後の方なのだ。送別会は別途開かれる予定なので、その時にちゃんとご挨拶をしよう。

 小刻みにいろいろなことがらが押し寄せてくる。正直、呆然としている。明後日は輪読会の担当が当たっているが、報告書を何通も書き上げなければならないから、とても対応出来そうもない。次回に延期してもらえるよう泣きついた。1月、2月の大学教授は、正しく殺人的なスケジュールといってよい。しかも仕事の内容はバラバラで、まったくもって体系性はなく、頭がおかしくなりそうだ。昨日でレポートを課したすべての科目のレポートが提出されたから、それも採点にかからなければ…。

1月21日(木)

2010年01月21日 | 昔日記
 通勤途次、地下鉄で、教組の前書記長殿と一緒になった。E学部の社会学教授である。E学部の教授会では、教員の健康を損ねる教授会議事運営を禁止する旨、先般、決議を行ったそうである(笑)。E学部はウチより教授会が長く、紛糾するので有名だ。聞けば、それでもって前書記長殿の所属学科の教員が、最近2人も死んだそうだ。ウチの学部・領域でも、ここ2年間に、定年間近の教授が2人亡くなりましたぜと申し上げておく(そのお2人とも、実に律儀に教授会には出席しておいでだった!)。我が学部でも同様の決議を行うべきか。教授教授会に殺さるべし。いやいや、2度に1度は、ICUみたいに英語で教授会を行えば、早く終わるんじゃないかな。盟兄教務主任殿に、ご検討を乞う。ただしフランス語やドイツ語をも導入するのは、まあやめておいたほうがよいわいな(もっと長くなったら困るべい)。 

 お昼休み時間に同僚の相談に与り、珍しいお菓子をいただく。博士課程の研究指導はNさんの発表を聞く。テクストの翻字が正しいか疑義が生じた。また、句読点の処理もおかしなところがある。やはり写本に遡って確認しないといけませんね。肝心な分析部分も、結論がつまらんぞ。物合イベントとしてどのような形だったのかをもっと想像しないと、論は立ち難いと思うが、我ながら厳しいかな? まあ、発表まで半年あるから、十分に詰めて欲しい。

 修士の演習は、梅ちゃんに修論の概要を話してもらう。この人は着想や問題設定、思考の方向性がユニークで、研究者の資質としてはスケールが大きいと、私は密かに?評価しているのだが、やはり漢字は正確に書けないと、人に笑われるぞよ。しかし、エディターの経験があるKさんが、好意的な反応を示してくださったのは面白かった。梅ちゃんの場合、当面の仮想敵国もはっきりしているから、今後の展開には大いに期待している。

 研究室に戻ったら、輪読をやっていた。覗くと煮詰まっている。これこれという意味じゃないかなと、要らぬことを言い出すと、素晴らしい!とあっさり認められた。あなたたちの読解力が無いだけじゃないかと、心の中で悪態をつくも、顔はニコニコしておく。故伊地知鐡男先生であったならば、幼稚園からやり直せ!とおっしゃったことだろうて(どこから「やり直せ」とおっしゃるかで、程度が示されたのである)。私は甘いのかしらねえ。

 学生の研究会は学期最終回。「寄光恋」の兼題にて六番の歌合を行った。「光」の語か、何か光るものが詠み込まれた恋歌ならばよいことにして、男女で左右に分かれ、判は衆議とする。結果、三勝一持二負で女方の勝利となった。愚詠はおおむね好評を博す。各自の料歌をも披露した後、「かわうち」へ。男方の負態は、「かわうち」の支払いということに。ついつい23:00過ぎまで飲んでしまった。

 愚詠。寄光恋。
  朝の光さし入る部屋に二人ゐてあなたの指でセロリを食べる(出詠歌 勝)
  砂浜の光の中をどこまでも駆けてゆく手と手かたく繋いで(料歌)

 前歌、末句を「セロリを齧る」にしようかと悩んだが、それだとちょっとイヤラし過ぎるといおうか、生々しい連想を呼ぶかなあと考えて、穏当なところに着地させた。ただしこの下句、実は、昔々所属していた文芸サークルの雑誌に発表された、さる女性の詩のパクリなのである。盗作と言ふべきか。当該歌合は、講師読み上げで作品を披露したので、耳で聞いてうまくイメージが紡いでいけるよう意識したつもり。料歌のほうはいささか平懐だが、四句にパフォーマンスの要を置いた次第。さて、「振舞へる姿」(©渡部泰明)になっているかどうか…。