そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月31日(水)時差ぼけ?

2011年08月31日 | 公開

 時差ぼけであろうか。会議の開始時間をすっかり勘違いしていた。別の会合に顔を出して、予定表を再確認した途端、心の中であっと叫ぶ。電話すると、お前に関係する議題があるからすぐ来いとの要請。慌てて移動。駆け付けて、なんとか半分、議事に参加できた。私の提案は、本命のA案が採用される。

 隣の華族女子大のT先生とは、塔林以来の再開である。赫尓辛基経由で、やはり一昨日ご帰国のよし。

 △先生や、TG大のS先生と一緒に電車で帰路に。ねこさんの学会発表時には、△先生もご質問くださったという。


8月30日(火)出張報告書提出

2011年08月30日 | 公開

 結局あちらこちらに土産を配りに回ったような…。抹茶が切れているので、「にほんばし島根館」へ行く。「一の白」を90g購入。A師匠へのお土産を預けてから、神田神保町の古書店へご挨拶に行った後、大学へ回る。事務所の会計ご担当に海外出張報告書を提出した。補助と研究費による出張だったので、搭乗券はすべて提出しなければならないのである。

 先生方のメールボックスに、お土産をお入れする。といっても、私がお土産を差し上げるのは、極めて僅少というか、5人ほどの方々に過ぎない。K教授にはもちろん、礼仁の勲章である。

 図書館へ回って打ち合わせをしようと思ったが、課長はお休みだと言うし、研究室でバタバタしたので、常任嘱託には「Cafe GOTO」までお越しいただいた。塔林で買ってきたお人形をお渡しし、ようやく山茶碗のお立て替えいただいたお代をお支払いする。赤ちゃんが男の子か女の子か失念していたので、人形でよかったかなあと心配したが、さしあたりお気に召していただいたようだ。入れ替わりにIさんがやってきたので、少しお話しする。

 19:00過ぎに帰宅。家族で近所の蕎麦屋へ行く。娘は明日から1週間、中国・九州方面へ出張るそうだ。


8月29日(月)帰国しました

2011年08月29日 | 公開

 というわけで、10時間余のフライトの後、無事帰国。機中、「阪急電車」を観る。芦田愛菜ちゃん、可愛いのう。

 預けたキャリーケースがぺちゃんこになって出て来た。帰宅して、何も土産を買って来なかったことに唖然とした。まあ、学会出張だったわけで、当然と言えば当然か。娘にヴァンター空港で買ったムーミンのスカーフを渡す。さすがにご当地キティちゃんというわけにはいかないからね。


8月28日@フランクフルト

2011年08月29日 | 公開

 JAL便をアップグレードしたので、まるまる1日フランクフルトで時間ができた。といっても日曜なので、お店はほぼすべて閉店である(そういう法律があるのだという)。

 Sバーンでフランクフルト中央駅に到着。

 レーマー広場へ向かい、旧市庁舎や大聖堂を見る。

 美術館や博物館もすべて休館。そのかわり、マイン川に沿ってお祭りのような野外イベントをやっていた(後で調べると「ミュージアム・エンバンクメント・フェスティバル」と言うのだそうだ)。6€でドイツワインを1杯飲む。それから、駅のフードコートで1本2.50€也のフランクフルトソーセージを食う。トイレは0.70€だった。フランクフルトで1日に使った現金は、汽車賃を含め20€に満たなかった。

 空港へ戻るSバーンの中で、フランス人のアヴェックと一緒になる。実に久しぶりにフランス語を喋ったが、存外通じるものであるな。


8月27日@タリン

2011年08月28日 | 公開

 前近代の発表をすべて聴く。私の専門に直接関係があったのはR先生のものだけだったが。ランチをいただき(Conferenceはランチとコーヒーブレイク付きなのだ)、閉会式は失礼して、もう一度旧市街へ行く。


 初めてタリンを訪れたとき、気に入って購入した革のポシェットのようなものが欲しかったのだ。カタリーナ・ギルドのお店に行って尋ねると、そのレザー・アーティストはフィンランドへ帰ったとのこと。Leanika Kornというお名前なのだが、今では超有名、超人気のアーティストらしい。

 別にすてきな革のバッグがあったので、1つ同行者がお選びあそばした。

 さて、Leanika Kornの作品ならば、vene通りに出て右へi行った店に少し置いてあるわよと教えてもらう。そこは、たしか以前にも来たことのあるお店なのだった。たしかにそのバッグがいくつか置かれていたが、げげげ、大きなものが3000€、小さなものでも500€とか、結構な値段がついている! ポシェットはたしか、邦貨1万円ほどだったように記憶する。目が高かったということだな。とても使いやすい大きさで、クールなデザインなのである。お店にはおもしろい手書きネクタイもあったが、姑と老母にとスカーフを2枚買う(土産は特に軽量化を宗とすべし)。

 K教授のリクエストがあり、礼仁の肖像入り勲章を入手すべくアンティーク・ショップを再訪。オリジナルで状態のよいものを選んだ。銃剣欲しいなあ。WWⅡ当時のドイツ軍人のポートレイトも素敵…。

 ふらりふらりとその辺の土産屋を覗くと、Conference参加者にあちこちでお会いした。K准教授やEN大のY氏にもお逢いした。ヘルシンキ経由でご帰国のよし。

 ストックマンでビールを飲み、ホテルに預けて置いた荷物を受け取って、タクシーで空港へ向かう。料金はチップ込みで10€。

 出発が1時間遅れた。フランクフルトはさらに時差1時間。空港近くのホテルに投宿。途中、犬の糞を踏んでしまった。空港内なのに…ド、ドイツは汚いところである。(怒


現地時間8月27日7:00

2011年08月27日 | 公開

 やっとこさ院生の論文を添削して、添付ファイルで送信した。結局、ほぼ徹夜という仕儀とあいなる。注の文献のあげ方が不統一で、いちいち直すのは面倒くさいから、後は自分でやってくれい。決して私の添削そのままで提出してはいかんぞよ。

 今日は夕方の便でフランクフルトへ飛ぶので、早めに荷造りしたら10分で済んだ。何も持ってきていないし、気温が予想外に高く、厚めの着衣は全く使わなかった。土産もこれというものが見つからず、まあ、空港で何とかしようと考えている。


現地時間8月27日1:30

2011年08月27日 | 昔日記

 ホテルの窓から旧ソ連時代っぽい建物が見えるのだが、露文のK教授によれば、「スターリン・ゴシック」という様式かもしれないとのことで…下の画像なのだが、果たしてそうなのでしょうか?

 たしかにゴシックだなあ。

 さて、19:30から、エストニア・コンサート・ホールにてConference dinner。ホテルからは歩いて10分ほどだが、レセプション会場の美術館といい、どうしてこんな公共施設で「宴会」が開けるのかさっぱり理解できない。R先生の政治力ということか?

 コンサート・ホールらしく、ハンドベルやジャズの演奏があった。ジャズは学生のサークルみたいな感じだったけれども…。

 同行者や、隣の隣の研究室のT教授と共に席についたが、反対隣にお座りになった女性研究者は、L大学の宗教学の先生で、修験がご専門だとか。披講のことが話題となり、A師匠のお話を申し上げたら、ウケた。そのお隣は、仙台の女子大の音楽科の教授であった。A師匠、仙台から集中講義のお声が掛かるかもしれませんぞ。

 そのうち、K館副館長のT先生がお越しになって、いろいろお話をうかがう。沢田研二、近藤正臣とともに、往年京都の三大美少年と称された話を書かれたT市の広報誌は、初日に頂戴したのだった。現在のウチの学長とも学生時代は同じ寮に入っておられた上、前後して同じ劇団に所属されたらしい。また、現学長は、かつてSGDの熱心な活動家だったとは、時代とはいえ初耳だ。いやはや、狭い世界である。

 23:00にいたっても宴が果てる兆しもなく、「今は罷からむ」とR先生に申し上げる暇もあらばこそ、会場を後にしたのだった。


現地時間8月26日17:30

2011年08月26日 | 公開

 朝はまた起きがけのお薄一服。赤膚焼の旅茶碗を一つ持ってきた。

 今日は最初から真面目にパネルを聴く。いろいろ勉強になった。「全相平話」というのは全頁挿絵入りの俗語小説のことなのだそうだ。本家の中国では無くなってしまったのに、日本には残存しているよしで、遊仙窟と同じようなケースだろう。感想としては、パネルの進め方については、やはりアメリカのほうがずっと洗練されているという印象を持った。質疑の時間が十分に確保されないのは問題である。もっとも日本の研究発表は、もっとひどいと思うが…。

 最後のセッションの前に、同行者が調子悪いと言うものだから、ホテルに引き上げることにした。メールチェックすると、院生から論文添削の依頼。塔林くんだりまで来て、研究指導を怠らぬ私は、なんとりっぱな教師だろう! でも、これから、エストニア・コンサート・ホールでConfernce dinnerなんだよね。帰ったら徹夜で直しますわ。日本の方が時間が先に進んでいるんだよね。まいったなあ。


現地時間8月25日19:30

2011年08月26日 | 公開

 今日は朝いちのパネルを聴く。K館の事業の紹介みたいな話で、全部日本語による。データベースやeラーニングが扱われたのだけれども…。テクストの扱いに関する館長の発表に、隣に座っていた国語学者がぷりぷり怒り出す。やっぱりK館には、国語学のよく分かる研究者が1人くらい居たほうがよいということか(すぐ近くに国研があるが…)。そういう意味では、自称国語学者のTea大A氏などは、かつて貴重な存在だったのだろう。

 eラーニングも、国立系機関の人が作るとどうしてこんなに造り込んじゃうのかなあ?(よほど予算や研究費が付くんだろうなあ)  欧州の研究者はそれなりに関心を示していたが…。でも、一部をOCWに提供するとか、そういう発想はないようだ。我が大学・学部で、10年以上前に取り組んだ課題のパイロット的な成果を、今頃素朴なかたちで聴かされてもなあ…というのが正直な感想だった。m(_ _)m

 コーヒーブレイクの後、旧市街へ散策に行く。

 ラエコヤ広場近くのアンティーク・ショップは、あいかわらずドイツ軍とソ連軍の勲章や軍装品であふれていた。拳銃とか銃剣とか欲しかったけれども(銃剣なんぞ100€ぽっち!)、日本には持ち帰れまい。トームペアに登り、展望台へ向かうと、日語研のK先生夫妻とばったり。あたりは観光客だらけで、さすが世界遺産。

 とはいえ、倫敦にも巴里にも羅馬にも行ったことがない私めが、この塔林は3度目の訪問である。驚きには乏しかったかな。初めて訪れた時は、実に古色蒼然として感動したのだったが…。旧市街全体もきれいに整備されたためか、タイルを貼り替えた我が大学のO講堂みたいな感じ。目当ての革製品も、よいものは見当たらず。

 学会に戻ろうと思ったが、同行者が体調が悪いというものだから、ホテルへ帰る。午後のパネルは全部パス(Y先生、J先生、申し訳ありません)。食事は、ホテルの隣のストックマンにあるスーパーと酒屋で購入。寿司を売っていたので、もとめてみたが今いちだった(なお、ホテル近くには、な、なんと、回転寿司屋まであった!)。


現地時間8月25日2:30

2011年08月25日 | 公開

 全体のkeynote speechの最中にようやく会場前に辿り着くと、雷電大のS氏がおいでで、久闊を叙す。S氏と椅子に座って話していると、前方においでの方はどこかでお会いしたことがあったかなあ?…と思っていたら、NYにてW氏の食事会でご一緒したA女王殿下であらせられた。welcome receptionの後でご挨拶申し上げることができたが、覚えていてくださった。

  その後、前近代文学のセクションのkeynote speechを聴く。超満員で立ち見も出た。J大のMさん。助手をなさっていた時に、副手としてお仕えした方なのである。E学部の近世文学のN教授などと並んで座った。

 お話の内容は天皇制の問題。古筆の扱いについては、KOのSさんやT大のK氏が聴いたら、必ず何か言い出しそうな点があったかなあ。K館の館長殿は、斜め前の席で居眠りなさっていた。「でんしょう」があるというと、「伝承」に聞こえてしまう。「伝称」と「伝承」は違うので、要注意だろう。女王殿下をお見かけして、天皇制の問題を聴く…か。話は現代の天皇制と古典の関係にも及んだから、いと興あり申すべし。

 さて、welcome receptionは、カドリオルク公園内のクム美術館で催された。塔林大学からはかなり歩く。たしかホスト役のR先生のご自宅は、この公園の近く(大統領官邸の隣?)だったと記憶するが…。

 レセプションは実に盛大だった。なにしろ700名からの大会参加者なのだそうである。なぜか海外の学会に行かないと、会えない方も多い。でも、K館の先生方は館長以下大挙してご来臨だ。さてさて、ウチの研究棟の同フロアからも、隣の隣の研究室のT教授が演劇セクションの講演者(Mさんの講演を聴いたのでパス)としてお越しのほか、発表者としてJ教授やK准教授も見えている。K准教授は北京経由でおいでになったとか。流石だなあ。J教授も語学がご達者だし、これからの国文学者は、2~3カ国語は喋れないと使い物にならないのかも。いやな時代になったわいな。

 洗井大学のライブラリアンY女史もお見えで、頼まれて片っ端から欧州・日本の研究者をご紹介申し上げた。

 今回の会場校責任者R先生は、十余年前に赫尓辛基大学教授としてこの大会のホスト役をお務めだった。私もその時初めて欧州へ来た。R先生はこの5月まで、塔林大学の学長をなさっていた(画像左側の髭の人物)。神楽坂で選んできたお土産をお渡しできた。

 ワインをガバガバ飲み過ぎた。ホテルまで歩いて帰る。21:00を過ぎても夕方みたいだ。


現地時間8月24日0:30

2011年08月24日 | 公開

 時差は、サマータイムのせいもあろうかと思うが、6時間である。港の屋内市場で買ってきた安ワインを飲む(そうそう、市場の寿司屋は健在であった)。つまみは。ホテルのあるビルの地階にあるスーパーで買ってきた。赫尓辛基に来ると、だいたいそういうパターンになる。10€くらいの散財?だ。最後は、ワインにシードルをぶち込み、氷とベリーを加えて即席「赫尓辛基カクテル」?にして飲んだ。


現地時間8月23日18:35

2011年08月24日 | 公開

 搭乗した飛行機には、K大のY先生、同居人の先輩U先生、K館のU氏などが乗っておいでになった。赫尓辛基には10時間ほどで着く。皆さんそのまま塔林へ乗り継がれるそうだが、私たちは1泊する。やはり1泊されるという岡山の女子大のK教授と一緒に荷物をピックプアップ。バスに30分揺られて中央駅へ。途中大雨だったが、駅前に着いたら止んだ。

 この街はまあ、目をつぶっていても歩けるのだ。駅のすぐそばの定宿?(いつも日本においでになると上野池之端のホテルに投宿されるR先生のお気持ちがよく分かる)。大聖堂まで歩いてみる。北欧なのでちっとも暗くならん。昔、独軍の鉄十字章とナチの党員バッヂを購入した、Aleksanterinkatuに面したアンティーク店には、入るのはよした。画像はホテルの部屋の窓からの眺め。