そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

7月31日(水)更新緩慢なり

2019年07月31日 | 公開
  7月も、もう終わりである。ブログの更新が緩慢ですねと言われた。いろいろ差し支えることもあるし、既に老齢となったので、万般面倒くさくなったというのが実情だ。

  科目の採点や、重要秘密業務などなど、ちっともはかどらない。昨日で講義みたいなことはすべて終わったのだが、今日はまだ会議が2つある。明日できることは、今日やるまい…という気分である。

  初孫がちっとも可愛くないと荊妻に言ったら、叱られた。娘には絶対、そういうことを言ってはいけないと、釘をさされた。なんとかアプリで四六時中、画像やら動画を見せられるのでは、余情というものが無い。可愛い、嬰児らしいというよりも、妙に大人びた表情をしている。身体も頑健そうで、それはそれ、ありがたいことと思う。

    茶を点てて みづから啜り 菓子を食ひ その身のはては やまひ糖尿(右往左翁)

  どうやら本格的に、糖尿病らしい。痛風の主治医から同じ病院内の糖尿病センターに回され、予診に出てきた女医さんは、甥っ子が研修医をしている病院と連携の病院にいらっしゃたという話を聞いた。目にも相当きているらしく、8月はそちらの検診やら検査で、2度来院しなければならなくなった。面倒だが、老母より先にぶっ倒れるわけに行かないので、仕方がない。

  腎臓が完全にいかれているようだ。もう直りませんと言われた。そのうち透析になる見込み。そうなったら、選択定年で退職しよう。

    砂時計の 砂落ちてゆく さらさらと 遅くもならず 早まりもせず(旧作)

  

7月17日(水)教授会は4時間半!

2019年07月17日 | 公開
  三連休なんか、今日びの大学は関係ない。月曜は朝から2科目、その後、大学院生の面談研究指導を実施し、昼飯も食わずに東京美術倶楽部のアンティークフェア最終日に駆け込む。Oさんのブースを覗くと、UちゃんにI君、あとからT君がやってきて、出物を漁っている。ふと見ると、井上宗雄先生旧蔵の着到和歌の写本が。図書館に電話すると特別資料のK課長がつかまったので、かくかくとお話し、購入してもらうことにする。なんと2割も値引きしてくださった。それで、送るのは面倒なので、先生持って行ってよと押し付けられた。

  面白そうな幅物が掛けてあったから、何だ?と聞くと、後土御門院御詠草とのこと。幅のほかに、おそらく屏風剥がしのツレが2葉付いていて、いくら?と聞けば、合わせて15万だという。じゃあ貰って行くわとお願いすれば、これまた2割引いてくださった。おいおい、いいのですか?と心配すれば、あと1時間半で閉店で、持って帰るのが面倒だとのこと。デパートの地下食料品売り場の、閉店間際のような仕儀であった。しかし、世の憂さを忘れるような、名品?である。



  三条西実隆筆、後土御門院御詠草の断簡である。

  火曜は痛風の病院へ。数値はよかったのだが、いよいよ本格糖尿病らしい。社会人講座へ回り、帰宅して、ケアマネさんと9月の介護予定を打ち合わせる。

  今日は会議日。その前に図書館に写本を持って行く。課長に渡すと、いい本ですねと言われた。教室会議も議題がいろいろあった。教授会は14:00開始だが、30分講習が入り、終わったのが18:30。もちろん守秘義務があるから、内容は書けないが、とある「指針」をめぐって紛糾、9月に決めればいいじゃないかと、助け舟?を出した。議事運営が下手くそなんだよ、まったく。しかし、大声で言い募る御仁は、まことにみっともないと、心の中で思った(心の外では、思えないが:笑)。来年度はサバティカルがとれそうなのに、とある委員に選出されてしまった。まあ、いいか。どうせ年度替わりで、次点者と交替だあ。

  18:00に目白駅前で落ち合う約束に、1時間遅れた。山手線が止まっており、ひと駅歩くはめに。アメリカで大学の先生をなさっているHさんと会食。荊妻がお相手をしていてくれた。

7月5日(金)怒涛の七月

2019年07月05日 | 公開
  七月に突入。夏休みまであとひと息と思うものの、いろいろある。まあ、講義は先が見えてきたがな。

  六月末は、「東京出雲学生会」や「松江どげだ会」と、郷党の集い?がたて続けだったが、いささか疲れもした。明日は大阪日帰り出張。あちらで某雑誌の編集について、KS大学のK教授と打ち合わせである。出版社のKさんも来てくださるようで、可能ならば学会で本人を捕まえて、執筆依頼できる人には依頼しちゃおうかと…。

  大学書道サークルのOGである荊妻は、作品展に出陳を要請され、短冊でお茶を濁すことにしたという。それで、私が初孫を詠んだ歌の中から、揮毫するというので、次の一首を選んだ。

    脛ながき 吾はつまごは まつろはぬ ものとして世に うまれいづるか


  
  記紀を読んだことのない人には、何だか分かるまい。いいのかなあ?