そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月31日(金)京都を後に

2018年08月31日 | 公開
  一週間を超える京都滞在を終えて、帰京する。京都から帰京というのも、なんだか奇矯な話だが…。

  京都大学の学生さんたちは、優秀であることいふもさらなり、ただし、いろいろ思うところはあった。まあ、京大に比べたらぐぐっと偏差値の低い勤務先大学の教育には、それに見合ったやり方があるわいな(私もその出身者だけれども)。

  感心したことのひとつに、京大には「先輩相談室」というのがあるらしい。よい仕組みかもしれない。


  老母がショートステイから戻って来る前にと、早めの新幹線に乗る。後半、白川橋のたもとに泊っていたので、ほど近い「一澤帆布」のお店に行き、手ごろなバッグを一つ購入した。


  京都駅で、娘がリクエストしてきた八つ橋、ハードなのとソフトなのを買い、阿闍梨餅や蕎麦板といった、定番品も購入して、一澤帆布に詰めた。どっと疲れた。来週は岡山だ。

8月30日(木)集中講義終わる

2018年08月30日 | 公開
  集中講義の最終日。午前中に講義をまとめて、最終コマは教場レポートのような形にさせてもらった。昼食は、小中高の先輩H教授が、一昨日に続きご馳走してくださり、お土産にと「かぎや」の「学び餅」まで拝領した。

  14:30に最後のコマを終え、研究室とK教授にご挨拶、喉が渇いたので、正門脇の「カンフォーラ」ハートランドビールを飲んだ。大学の正門辺で、昼間から酒を飲めるのは、ありがたい。

  勤務先の総長選挙で当選したT教授に、シャレで差し上げようと、「総長カレー」のレトルトを1つ購入した。結構高い。ううむ、同じ大学生協の取り扱い商品でも、私が開発?した「まむしに注意」クリアファイルとは、えらい違いだ。このファイル、今も生協で売ってはおりますがな。

  さて、白川橋西南詰の宿舎へ帰り、シャワーをあびる。ほどなく大阪へ行っていた荊妻が帰って来たので、晩飯を食いに出た。3日間中華料理だったので、あっさりしたものが食べたくて、寿司屋へ行った。集中講義はへとへとになるので、遠出する気が起こらない。

  燗酒を各1合と、上寿司をお願いし、焼きカズノコと、づけ鱧の炭火焼きというのを注文してみた。それぞれユニークで、美味しかった。

8月30日(木)即事詠

2018年08月30日 | 公開
    京都大学集中講義即事

かにかくに みやこはこひし しらかはや きよきせおとの かよふまくらべ

しきしまの うたまなびにと つどひくる わかきひとらは かしこかりけり

時計台の かねのひびきに うながされて 総長カレーと いふをたのみぬ

なすべきを なしをへつれば くたびれて マルシン餃子 くひはむとぞおもふ

むぎのさけ ひと瓶あけて 餃子くひ かたやきそばに はらをみたせり

8月29日(水)総長カレー

2018年08月29日 | 公開
  京都大学での集中講義は、さくさく進み、ほぼシラバス通りに行けている。K先生からは、自由になさっていいですよと言われたが、まあ、シラバスからあんまり逸脱するのも、問題であろう。しかしかかし、さすが京大の学生さんはレベルが高く、反応はおとなしいけれども、話の内容はよく理解していただけているようである。

  さはいえど、午前中に2コマ、午後に2コマのペースは、日に90分×4講、強行すれば1日5コマも可能だけれども、この歳になると限界、受講する側もしんどかろう。昨日は前研究科長、小中高の先輩H教授にお昼をご馳走になったが、今日は自腹で、正門受付裏で「早朝カレー」なるメニューを選んだ。カレーの中に、ビフテキ?が鎮座している。これにアイスコーヒーを頼んで、1000円札でおつりが来た。


  レジで「総長カレー」のレトルトを売っていたから、これを先般、勤務先の総長選挙で当選したT教授にプレゼントしようかなと、ふと思いついた。本命と目されていた候補者を破り当選したT教授だが、選挙期間中、1回だけ支援の集会?に参加、ユンケルを差し上げただけで、ご当選のお祝いは申し上げていなかった。明日、レトルトを1つ、購入して帰るかな。本命候補には何度か煮え湯を飲まされ、いやだったいっぽう、T教授には箇所長に任命していただいたこともあって、何となく恩義?を感じ票を投じたのだったが、おいらは基本、紅旗征戎非吾事。まあ、シャレにはなるわいの。

  16:00過ぎに講義を終え、ちょっと寺町通りを物色したくて、タクシーを飛ばした。千五百番歌合の両面書写の断簡が売れていたので、連続する部分をより分けて、2丁4面分だけ頂戴した。ご老体が値引きをしてくださったので、1面宛875円。京都では決して値切らない主義なのだが、先方が勝手に値引いてくださる。ありがたいことである。京都市役所前までぶらぶら歩き、途中、小皿を1枚買う。

  荊妻が、大阪の大学図書館での調査から、18:00に戻ってきた。またぞろ昼飯を食いそびれたというので、近くの「マルシン飯店」へ行く。これで京都の晩飯は、中華3連荘である。


  1日4コマしゃべり続けると、ちょっと遠出をする気にならない。さて、明日はどこで飯を食うか?

8月27日(月)京都大学にて集中講義

2018年08月27日 | 公開
  本日より4日間、京都大学にて集中講義である。1時限の開始が8:45で、早めに着いて吉田神社に参拝する。K教授の研究室をお訪ねし、助教のKさんに紹介される。

  4・4・4・3コマの、4日の日程で、午前午後の2コマずつは、久しぶりの講義とあって、正直疲れたが、エンジンはだんだんかかってきた。お昼休みには、小学校・中学校・高等学校の先輩であるH教授の研究室へご挨拶に行った。弟のA君(同級生)が松江で家業を継いでおられるが、妹さんとも今月初旬にお会いしているので、なかなか御縁が深い。明日、お昼をご一緒していただくことになった。

  17:30から東華菜館にて一席設けていただいたとのことで、いったん宿舎へ戻ってシャワーを浴びてから、時間通りに四条大橋西詰へと赴く。O教授もお越しになり、楽しいひと時を過ごした。
  
  帰りがけに、ちょうど「みよしや」が開店したところだったので、10本包んでもらう。「みよしや」のおばさんはコワいと言われるが、私には優しかった。きなこかけてええな?と尋ねられ、頷く。餡ときなこがからまって、絶妙のお味である。



8月25日(土)菅公資源

2018年08月25日 | 公開
  大学院の合宿を京都で敢行中。御所西の結構な施設を格安でお貸しいただき、研究発表を続ける。宿舎は今出川を1本上がったところにあるゲストハウスを1軒貸しいただいた。なかなかリーズナブルだ。

  中国人留学生のYさんが、宇治に行きたいというので、今出川の駅まで南行。途中、菅原院天満宮にお参りしたが、これがほんとの「菅公(観光)資源」だなと思った。


  宇治では宇治上神社や平等院を見学、源三位頼政の墓所に参って(まだ原稿書けていない!)、JRで京都へ。伊勢丹で荊妻と落ち合う。

  この間M君は、冷泉家の乞巧奠に歌人としてご参仕。なんと朝日新聞DIGITALに画像が載った。正面には佐佐木頼綱さんの股間も写っている。M君、ちょっとお公家さんみたいなので、絵になるわい。ただし、狩衣の下が直接白衣なのは、ちょいと気にはなりますがな。


8月22日(水)雑誌連載企画

2018年08月22日 | 公開
  勤務先にアメリカ出張の報告書を出しに行かなければならぬが、ほど近い出版社に来年の雑誌連載企画について打ち合わせに赴く用もあったので、まずは出版社へ。担当と1時間半ほどお話したが、ちょっとまだアバウトな感じだ。最初の原稿の締め切りが9月半ば。こんな内容なら、3時間もあればどこでも書けますと申し上げて、もう少し詰めてもらうことにした。
 
  やれやれ、今日は暑いや。「高七」まで歩く。あいにくハートランドが冷えていないとのことで、エビスにした。こんな日は、ハートランドのほうが、軽くて旨いや。

  坂を下って、勤務先に報告書を出し、誰もいないので、そのまま帰った。あまりの暑さに、へとへととなる。

  老母がデイサービスから帰ってきた。夕食は荊妻が棒棒鶏を作り置いてくれたので、赤羽で買ってきたセキネのシューマイに、ひじきとトウモロコシの炊き合わせ、めかぶと胡瓜の酢の物、煮カボチャ、皮剝きトマト、卵焼きを作り、果物は西瓜にした。おつけは、ナメコ汁とす。



水準といふべし。五色はちゃんと、揃っている。

8月21日(火)時差ボケか

2018年08月21日 | 公開
  18日はシカゴで宿泊した。晩飯は宿屋の1階で、Lさん、Uさんと摂った。むしょうに肉が食いたくて、骨付きの豚肉にする。


  19日に飛行機に乗り、20日の午後成田着。存外疲れなかった。

  今日は老母の世話で明け暮れる。訪問看護に来ていただき、夕方にはクリニックに連れていった。あまり変わりは無い。

  手続きやら何やら、溜まっている雑務を処理する。明日は大学へ行って、出張報告を出さねば。新しい連載の依頼もあり、出版社へ出向いて打ち合わせをすることになった。

8月17日(金)プレゼンテーション終わる

2018年08月18日 | 公開

  昨日は8:30からのセッションの、2番目にプレゼンテーションを行った。pptに誤変換?などが生じて、汗をかいたが、まあまあ、何とかなったんじゃないかな? ワークショップは、かなり充実した内容だ。

  昼飯はランチボックス?が用意され、私はビーフのバーガーの入ったのを選んだ。画像は、食い物を出しておけば、差し障りがあるまい。ヴィーガン用のボックスもあって、ちょっと食べてみたい気もした。

  生リンゴのスライス、袋入りというのが入っていた。うかがえば、添付のピーナツバターを付けて食うんだそうである。そのほか、砂糖の使用量が半端じゃない気がした。

  午後のセッションもそれぞれ興味深く、勉強になった。最後に、即興で和歌を詠んで短冊に書き、披講するパフォーマンスを行う。散らし書きで一首したためるデモも行ない、好評を博した。

    残暑「ひさかたの アメリカも秋に イリノイに 暑さを残す 蝉の諸声」雲州甲乙人

  18:30からディナー。乾杯の音頭をとらされたが、もしや参加者中、私が最年長だったのかな? 飲んで、食べて、歓談して、まだまだ明日のお昼までワークショップは続くので、早めに部屋へ引き上げた。それにしても大学構内とはいえ、実にりっぱなホテルである。娘が、イリノイ州立大学のTシャツが欲しいというから、1階の売店で明朝購入することにしよう。なにしろ朝の7:00から、店が開いているのである。

 


8月16日(木)とうもろこし畑ばかり

2018年08月17日 | 公開

  米国16日の朝、Lさんの車に乗ってオヘア空港へ。日本から到着のUさん、Sさん、Kさんをピックアップ。途中ブラントを摂ったり、スタバでコーヒーを飲んだりしながら、とうもろこし畑の中の高速道路を只管ぶっ飛ばして、アーバナ・シャンペーンの大学に到着した。

  大学のホテルにチェックインし、17:00からワークショップの開会に臨む。今回は日本から6名のほか、UKからお1人、あとは北米カナダとUSAの研究者が集った。ウェルカムスピーチの後、今回のワークショップの趣旨と、出版プロジェクトについて、コーディネータのPさん、Lさんから説明を受けた。

  その後はアルコールをあおって歓談、ディナー・レセプションに突入? デザートまで、しっかりいただいてしまった。

  明日は8:30開始。最初のセッションの2人目の発表だ。pptを確認したら、タイプミスが2箇所、冷汗一斗である。(-_-;)


8月15日(水)シカゴに来た

2018年08月16日 | 公開

  アメリカへは何度か行った。ニューヨーク、シアトル、ボストン、ワシントンDC、空港だけならサンフランシスコ。まあ、たいして行ってはいない。このたび、イリノイ州の大学で教員をしているPさんから、ワークショップへの参加を慫慂されたので、思い切って行くことにした。イリノイ州といえば、シカゴである。シカゴといえば、アル・カポネとは、いつの時代の話だ?

  15日の17:00過ぎのANA便に乗ったら、着いたのが同日15:00過ぎであった。映画も観ず、ずっと寝ていたので、やれやれ、存外早いものだと思いきや、オヘア空港のイミグレーションは、たいへん時間がかかり、CTAに乗って空港とダウンタウンの中ほどにあるLogan Squareという駅で下車、通りを渡ったところのLONGMAN&EAGLEというお店に辿り着いたのが、18:00。このお店の2階が、宿屋になっているのだ。

  部屋はひどく近代的というか、昔、エストニアのタリンで、中世の職人の部屋を改装したという部屋に泊まったことがあるが、どこかそんな感じだ。しかし、ベッドの横には、全裸の男が大きな雄犬を抱き上げていて、その犬の性器が丸見えの写真パネルが掛けてある。いやはや。

  晩飯は階下の店で食うんだろう。雨が降ってきたので、選択肢は無い。ビールを頼み、お勧めの鰻料理を頼んだら、出てきたプレートには、甘く味付けした西瓜の上に鰻の蒲焼が載せてあり、プチプチのとびっ子みたいなものを加えたワサビが添えてあった。まあ、そんなに不味いものではなかったが、日本人には考えつかないような一品である。

  ビーフを頼んだら、粗いコーンビーフみたいなのにカイワレ大根を載せてきた。タラの料理も頼んだが、これは塩気が効いて、かなり美味しかった。なんとなく、日本料理っぽい。ドリンクのメニューをみると、日本のウィスキーのラインナップが半端ではなく、ずいぶん高価だ。噂には聞いていたが、こんなに海外で売れているとは。自宅でイチローズモルトをがぶがぶ飲んでいたけれども、もっと有り難く飲むのだったな。


8月12日(日)蕎麦打ち

2018年08月12日 | 公開

  お盆休みになったのか、娘夫婦が来るという。結婚祝いにいただいた蕎麦打ちセットを、実家に運んで、使ってみたいよし。首都高を飛ばして迎えに行く。

  我が家は、我々夫婦と、それぞれの母親の4人だが、6人ともなれば賑やかだ。蕎麦は主に婿殿が捏ね上げて、そこそこの格好に出来上がった。

  


8月11日(土)爪哇更紗の襯衣

2018年08月11日 | 公開

  あしひきの山の日である。実感は無い。実家の衣装箪笥に残っている亡父の古着は、あらかた処分したが、四半世紀前、爪哇島へ行った折の土産として父に贈った更紗の襯衣が、袖も通さずに仕舞ってあった。捨て難くして、拙宅へ持ち帰る。

    今を去る 四半世紀の そのむかし 父にもとめし バティックのシャツ
           爪哇島の 染め工房を おとづれて もとめたりける 更紗の襯衣
    父逝きて とをとて六とせ たちにけり 袖も通さず さながらにあり
    松江なる 衣装箪笥に 畳まれて 仕舞はれたれば 折り目正しく
    断捨離と 思ひ切られず 持ち帰る X-largeは 着る得べければ 
    ふるさとの 生ひ育ちたる 家なれば 何を捨つるも 心いたしも
    やつめさす いつも思へり 故郷は 水のほとりの 雲わくところ

(長歌に仕立て直してみた)

今を去る 四半世紀の そのむかし 父にもとめし バティックの シャツ見出でたり 爪哇島の 染め工房を おとづれて もとめし襯衣 父逝きて 永く経てども 袖だにも 通すことなく 松江なる 衣装箪笥に 仕舞はれて 折り目も正し 断捨離と 思ひ切られず X-large 着る得べければ とりがなく あづまの空へ 持ち帰りたり  

ふるさとの 生ひ育ちたる 家なれば 何を捨つるも 心いたしも


8月9日(木)断捨離の日々

2018年08月09日 | 公開

  松江の実家を、いつまでも、さてしもあるべきことならねば、片付けに帰った。5日の夜、松江入りし、6日に家を借りたいとおっしゃるHさん、管理を依頼している従兄にあたるTさんにお越しいただき、11月初旬を目途に片付ける方向で話をまとめた。

  それで、可燃物を中心に整理を開始。6日、7日と整理し、8日も菩提寺の施餓鬼と塔婆供養に行ってから午後は片付けを続け、まあまあ見通しが立つところまでにこぎつける。9日は午前の飛行機を予約していたのを、台風を懸念し最終便に変更。早朝、近所に断って可燃ゴミを大量に出した。

  断捨離の日々で、へとへとに。そうだ鰻を食いに行こう(今年は二度あった土用丑の日は、高くて鰻、食べなかった!)と、東本町の「やくも」へ。値段は、要するに鰻の量による。2000円台の丼でいいよねと、注文したところが・・・

  いや~大満足。子どもの頃から、食べつけた味である。

  早めに空港へ行き、飲み食いするうちに東京行き最終便の出発時刻となった。

  実家の片付けで、両親に宛てた昔の手紙が大量に出て来た。こんなに手紙を書いていたんだと、改めて驚く。中学1年の夏休みの日記帳も出て来た。アポロ11号の、月面着陸のことが書いてあった。