そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月26日(水)区民カレッジ

2019年06月26日 | 公開
  新任教員のご披露レクチャーが予定されていて、コース同僚となったSさんの講義を聴きに行くべきが、某区の区民カレッジのオムニバス講師を頼まれている日にあたり、断念。開始30分前に会場に到着すれば、Sさんにばったり。今年もまた「空也」の最中をいただく。

  講座は14:00から2時間で、途中5分ほど休憩を入れてくださいと言われたので、ちょうど真ん中にブレイクを置いた。聴衆は60名ほどで、だいたい私と同世代か。それウケ狙いの駄洒落への反応がよかった。

  内容は、昨年は「百人一首」だったが、今年は「藤原定家」。マクラに「令和」の出典の話をする。中西進氏と喧嘩した話や、有識者会議でケチ?をつけたのは鎌田薫氏に相違ないといった裏話でウケをとった。また、会場で定家自筆『明月記』断簡を回覧に供したから、驚かれたことであろう。学者の講座なんてあなた、本モノに触れてなんぼだ。後半は私の最新の研究成果を、分かりやすくお話したが、もともと難しい研究内容ではないしろものなので、これまたご理解いただけたものと思う。

  講座料は後に銀行口座振り込みとのことで、「現金でこの場でくれると有難いんですがね」と嫌味を言って、会場を後にした。

  17:30開場、16:00開始で「東京出雲学生会」の例会が日本記者クラブであり、DVDを映写したいというので、プロジェクターを借りて持っていく。築地の区民カレッジ会場から日比谷まで歩いた。記者クラブの大会議室に17:00に到着すると、既に先輩会員と岸清一令孫の健二様がお見えで、さっそく映写機器をセットして試してみると、うまくいった。代々木の岸記念体育館が取り壊され、新国立競技場近くに新たな施設がつくられたが、岸胸像は移設され、メモリアルルームも作られたというDVDご披露という趣向なのだ。

  定刻に始まったが、学生新会員が一人だけという寂しさ。島根から東京へ進学する学生が減っているので、仕方がない。講演はシンガーソングライターの伊藤誠氏。歌のご披露もあった。

  新年号について簡単にレクチャーせよと命じられたので、区民カレッジのつかみと同じことを喋った。後で上手い!と褒められたが、そこはそれ、私立大学の教授なんて、噺家みたいなものである。

  そんなこんなで、披講の勉強会は欠席したが、兼題の詠進歌は、なんとか面目をほどこしたようだ。

6月23日(日)述懐縷々

2019年06月23日 | 公開
  論文を1本書き上げる。東大の雑誌に頼まれて、既に校了にした内容の落穂ひろい?、「状況証拠」シリーズである。自分が編集委員を務める小雑誌に、お手盛りで載せてもらおうと思う。なにしろ私が査読者なのだから、掲載確実だ。

  思い返せば、先週の定例教授会はひどかった。教授会の内容は、守秘義務があるから、書かないが、奉職以来こんなひどい教授会は、体験したことが無い。時代が変わったというべきか。良識、信頼といった気風が、消滅したことが身に染みた。

  若い人々が大声で正義を言う。A教授やM教授が出席されていたら、適切な発言をなさったことだろう。

  この大学はもうダメである。あとは黙って、老兵は去り行くのみ。私も逃げ切りを願う日和見主義者になったものだ。ああ、自己嫌悪。しかし、身過ぎ世過ぎは、重くのしかかる。

  論文を書くことのほか、楽しいことは何もない。まあ、生まれたばかりの初孫を抱くのも、幸福であるとは思うものから、孫の将来、日本の未来は真っ暗だ。早く死ぬに、しくはない。

6月17日(月)忙しい1日

2019年06月17日 | 公開
  久しぶりに、1日の行動記録を。

  朝いち演習のため、ラッシュ前に出校。印刷室で教材をプリントする。1時限は存外欠席者が多かったが、出席者全員の課題を確認した。和歌をきちんと注解するレッスン中。2時限のふるほん講義は、書誌学の話が終わったので、文献学の基礎に入る。高度な内容は秋学期の、うめちゃん担当講義に譲ることとし、ごくごく基礎的なことだけは、話しておくことにした。

  昼飯は「汐見」へ行く。鱧天を頼んだが、揚げ方のTさんがサービスですと言って、雲丹の大葉包み揚げを供してくださったのは、もしかして鱧がネタ切れになったせいかしらん。次のお客には、鱧終りましたとおっしゃっていたから…(笑

  その足で図書館へ回るので、蕎麦粉のドーナツを包んでもらった。特別資料室へ行き、7月の書誌学実習の申し込みを行った。レクチャールームを借り、出していただく資料を申請した。振興古書展の先着順で1点、八文字屋本を購入したというので、見せてもらった。従来、某氏蔵とされていたそのものである。図書館には同じものの疲本があるが、それは京保八年の刊記で、新規購入本は享保七年刊。比べてみると、版を修正し、新たな文言を加えていること一目瞭然。ライブラリアンのMさんに、『汲古』に書きませんか?と慫慂しておく。金文京先生とご一緒に編集委員を務めているが、ここのところ国書関係の投稿が低調なのだ。

  研究室に戻り、6月15日が投稿締め切りだった学内学会誌の、論文を整理し、編集委員へ送る下準備をした。そうこうしているうちに16:00をまわる。本日の老母夕餉は、Sofiaの大学院へ出講している荊妻が早く帰宅できるというのでお願いし、「Cafe GOTO」でコーヒーを1杯飲んで、編集会議へ向かう。

  本日の夕食は、人形町今半だった(鱧吸い付き)!



  会議もいつもより30分ばかり早く終わったが、なんだかんだで、いつもと変わらぬような時間の帰宅とあいなりましたわ。6月の大学教授も、忙しい。(汗

6月8日(土)念願の美術館へ

2019年06月08日 | 公開
  9日に出雲市で講演を頼まれ、郷里へ戻っている。国宝松江城至近の実家がゲストハウスに衣替えとなったので、試しに泊めていただくことになった。かなりの部分が前のままで、小学生の頃から東京の大学へ進学するまで使っていた三畳間など、ほんとうになつかしくて、涙が出る。老母が五十年、眺めながらやすんだであろう天井板を、見上げながら眠った。

  今日は少し遠出して、前々から一度訪ねてみたかった植田正治写真美術館へ行った。建物が素敵で、もちろん、写真作品も面白かった。



  帰路、安来の道の駅で食べた泥鰌が、なんだかとても美味しかった。少し寒かったので、蕎麦は釜揚げにした。