そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月29日(金)~31日(日)松山へ

2019年03月31日 | 公開
  甥の結婚式に参席するため、松山へ。実は私の本家筋は、松江から松山へ移り、昨年、お墓も移されたので、従兄に当たるご当主に連絡し、お墓参りと、お宅訪問をさせてもらった。

  古い写真が保存してあり、私の血縁上の祖父、曽祖父の肖像というものを、初めて見た。老母がおそらく、小学生くらいの頃の、つまり従兄の父親(母の兄)が出征する折の記念写真もあった。

  昼食、夕食と、すっかりご馳走になったが、昼食は近くの料理店「磯之河」へと案内される。当地は後で鯛めし発祥の地と聞いたが、たいへんに美味しかった。地元の方御用達のお店で、混んでいたが、観光客なぞ皆無なのが、実に好もしかった。


  甥の結婚式は伊佐爾波神社で挙げ、ホテルで披露宴とあいなる。道後は、ささっと温泉に入りにきたことがあったが、何でもかんでも蜜柑、蜜柑という印象。ゆっくり温泉につかることもできました。


  

3月24日(月)年度の暮れ?

2019年03月24日 | 公開
    平成の みよのをはりは わがみにも うつりかはりぞ おほくいでくる(右往左翁)

  愚娘もそろそろ、臨月突入だそうで、男児というのはこんなに腹が突き出るものかと、驚くばかり。胎内で蹴っているのが、腹が動く。娘の時は、そんな記憶、印象はなかったがなあ。

  明日は大学の卒業式で、さて、何を着ていくかな。寒いのか、暖かいのか、わけがわからない。

  大学院の研究指導をずっと担当し、博士学位を取得させた御仁がを出した。いと、めでたし。祝いを送ろう。これをステップに、ポストが得られたらよいが…。

  松江の実家小宅、そろそろゲストハウスとして営業開始かしらん。6月に講演を頼まれており、松江に滞在するので、宿泊予約をお願いした。お代は結構と借主さんに言われたが、そういうわけにはいきません。

3月18日(月)人麻呂忌

2019年03月18日 | 公開
  
  柿本人麻呂の命日である。合掌。

  昨日は伊勢の珍しい銘酒を頂戴し、さっそく空にした。「御裳注川」は内宮の御手洗だが、俊成の和歌を添えてあるのも、なかなかゆかしい。



  本日は、K書院からみの研究会の集まりに行く。出席者はやや少なく、編集部のご担当とK誌掲載論文の採否についてご相談した。今回は投稿が少なく、正直、難儀しておりますのぢや。(-_-;)



  松江の実家を整理していただいた際に発見された古写真に、昭和30年代の小生が写っておった。公開しても、現状からは想像もつくまい。下駄を履いて、スーパーカブに跨っております。昭和の香り、ぷんぷんだな。



  往事渺茫トシテ、都テ夢ニ似タリ…でありまするなあ。

3月7日(木)2 京都で食う

2019年03月07日 | 公開
  河原町丸太町でバスを降り、ちりめん山椒を買いにいく。それから、丸太町の通りを西行。ふと、蕎麦屋が開いていたので、ふらっと暖簾をくぐる。田舎蕎麦を頼めば、後から後から客がやって来て、店の外に列ができた。



  なかなかの水準で、ござった。

  そのままさらに西へ進み、烏丸通りを超えたところのお店で、コーヒーを飲む。「すはま」と「春日野豆」付きのセットにした。



  京都文化博物館で展観を見てから、ふらふら駅の方へ。ずずっと西に移動して、前からお訪ねしてみたかった「箱藤」さんへ。娘の結婚祝いのお針箱を、購入させていただいたお店である。荊妻と娘、それに再来週お目にかかるA教授へのお土産をもとめた。女将?さんは、近隣R大学のご卒業とのこと。

  荊妻はK女子大学でシンポジウム。土産を買っておくように言われたので、駅で調達し、落ち合って、18:00過ぎの新幹線に乗る。歩きすぎて、疲れ果てた。

3月7日(金)京都で遊ぶ?

2019年03月07日 | 公開
  荊妻が関西で仕事があるからついて来いとのご下命で、京都に来た。九条駅前のホテルに投宿。「志る幸」に連れて行ってもらったり、サーヴィス満点である。

  昨日は午前中に実験で、午後から会議というので、私は京都で遊ぶ。さて、どうしたものかと思案の末、久しぶりに法金剛院を訪れた。拝観料を払って、ひとり青女の滝などを触っていたら、いまBSのTV撮影中で、非公開の待賢門院像を出しているから、よかったらご覧くださいとの仰せ。ありがたや。有名な画像だが、もちろん本物は初めて拝見した。4月に放映されて、京都女子大の小山さんが解説されるらしい。

  待賢門院と上西門院の陵を拝観。画像は花園東陵(上西門院陵)です。
 



  地下鉄東西線で移動、寺町通り辺の古書肆をお物色したが、何も無かった。わずかに源氏物語の古筆切1葉を購入。鎌倉写で裏表あったが、16000円だった。

  松江の実家は、だいぶ整備が進んだらしい。庭の整備もお願いしたのが、完成したと連絡を受けた。



  白砂を撒いたのは、明るくするということなのだろう。前庭と坪庭、とくに後者はその必要はあると理解する。

  
  今日はK女子大でシンポジウムとのこと。さて、博物館めぐりでもいたそうか。

3月5日(火)珊瑚の日だとか

2019年03月05日 | 公開
  ブログを書く気力が低減し、月いちというペースに…。2月は学年末や入試で、あまり身辺状況を語れないという事情もあった。

  松江の実家は、2月中旬から、高校のクラスメイトの妹さんにお貸しする契約を結び、整備して今月半ば以降、ゲストハウスとしてお使いいただけることになった。空き家にしておくより、活用していただくほうが、家屋のためにもよろしかろう。実は実家のほかに、松江の郊外に家作を1軒、所持しているのだが、税金を払うためだけに維持しているような仕儀である。養子にやられた時にいただいたもの。これまた、どうしたものか?

  実家には稽古用の茶室も付いているので、せめてものよすがに、老母の名前にちなみ「喜庵」という庵号を考えたが、それをそのまま、ゲストハウスの名称にすることになった。「妙喜庵」というわけにはいかないからね。同じ名前の蕎麦屋があるようだが、文句を言われないかな?



 ロケーションは抜群である。国宝松江城の、大手前から、徒歩で2分ほどかしらん。もっとも島根原発までも、8㎞ほどである。
  (-_-;) 
 家の前の道は、柳多脇通りといい、旧藩の家老柳多家の屋敷の北辺に当たっている。すると実家は、乙部家老屋敷の南端に当たっていたのだろう。古地図を見ると、そのあたり、はっきり分かる。

 松江を訪れる方は、ぜひご利用くだされ。