そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月26日(金)出前授業からボスとの会食

2019年04月26日 | 公開
  年に一度、昔勤めていた高等学校へ、出前授業に行く。授業開始20分ほど前に到着し、E先生にご挨拶。父上は国語科教育法を習った恩師なのだが、先般逝去された。



  50分授業を2コマ。その間に、併設の中学校の教員室を訪ねて、本年度、研究指導担当の院生A君を非常勤講師に採用していただいた御礼を言上した。なにしろ人がらの悪い院生ですので、問題があったら連絡してください、すぐ駆け付けますからと申し上げた。


  さてさて、昼飯は高校から私鉄駅までの間にある蕎麦屋で、りんだもぢる。高校教師時代はよく通った店で、花番の奥さんもかなりお歳を召された感じ。25年前の常連ですとご挨拶すれば、あ、国語の先生…と覚えていてくださった。蕎麦の味は、まったく変わっていなかった。



  池袋へ出て、デパートで「五家宝」を購入し、大学の図書館へ。Nさんへの利用カード更新発給を利用者支援課でお願いし、特別資料室に回って来年1月の学会時の資料展観のお願いをした。ちょうど課長がおいでになったので、話が早い。やっとこさ研究室にたどりついて、16:30から私が委員長を務める某委員会の打ち合わせ。17:45に待ち合わせをしていたから、話が1時間を超えるあたりで焦り出したが、時間までには終了した。

  研究室に中国K大学のS先生がお見えになり、18:00過ぎにT教授と待ち合わせてタクシーで「高七」へ。S先生は儒家思想がご専門で、T教授を紹介して欲しいと頼まれたので、一席を設けた次第。「高七」の大将には先日、初孫誕生の祝いをいただいたので、「五家宝」を手土産にした。お嬢さんの好物なのだそうだ

  久しぶりにT教授とお話ができて、嬉しかった。大学の副総長まで務められ、専門的には斯界の権威者なのだが、私は学部行政的にずっとT教授の「女房役」を務めた。いわば、「ボス」である。はっきり言って、学内で尊敬に値する教授は、T先生以外には無いと思っている。先日はNHKの番組で、曽祖父役で俳優?デビューされたのも、可笑しかったが…。

4月21日(日)亀戸に藤を…

2019年04月21日 | 公開
  亡父の誕生日だった。

  婿殿が泊まりにおいでになったので、愚娘と新生児の世話は任せて、荊妻と出掛けることにする。

  新指定の国宝・重文の展観へ行くのが目的だが、亀戸天神の藤も見に行った。いつの頃からか、夫婦の年中行事になっている。

  亀戸に着いて、亀戸餃子の前を通ると長蛇の列。昔はすっと入れたものだが…。そのままスルーして、早い昼食を「升本」にて「あさり鍋」をいただく。亀戸大根の名店である。

  亀戸天神は、まだ三分咲きだった。人もさほど多くはなかった。これもまたよし。



  都バスに乗って上野公園へ移動する。入谷、谷中をぐるっと回っていく路線。不忍池の端を通った際に、隣の座席のご婦人が、「ボートは危険なのよねえ」と呟かれたので、「そうですね。石を投げますからなあ、暴徒は」と申し上げたら、鼻白まれた。噺家みたいな職業なもので…嘘じゃないよ、こうざに出ているもの。(^^;)

  新指定を見て、上野駅から自宅近くのデパートへ。靴に穴があいたので、新しいのを買ってもらった。今夜は婿殿がおいでだからと、水炊きにする骨付き鶏もも肉を1㎏ほど、ぶつ切りにしていただいた。

  新指定を見に行くのが年中行事化しているのは、荊妻を連れ出してプロポーズしたのが、これを名目に東博だったからである。昔の入り口を入って右手に並んでいたベンチの2番目がその「現場」だったが、建物が新しく建って、今ではトイレになっている。

4月17日(水)教授会

2019年04月17日 | 公開
  コースの教室会議は、着任された専任教員の歓迎会を兼ねて、豪華昼食、「たかはし」の三重弁当だった! 三年ぶりくらいか。

  教授会は14:00開始、18:00までかかる。冒頭、新任教員のご挨拶があったが、芥川賞作家のO先生は、なぜか愚娘夫婦と親しくさせていただいており、男児が生まれましたとご報告したところ、たいへんお慶びくださった。教授会の席上から、婿殿にメッセージを送られたよし。なお婿殿のことを、星飛雄馬に似ているとおっしゃるのは、まあ、濃い顔をしているせいかと思う。(汗

  また教授会の最中に、美術史のT教授が私の席までおいでになり、これをあげると、なんとなんと、閉店した「三朝庵」で使われていた蒸籠をくださったのである。



  咄嗟に返礼として拙論文のコピーを拝呈したら、なんだお礼が論文かよ…と言われた。(汗

4月16日(火)花山椒鍋

2019年04月16日 | 公開
  社会人講座が始まる。メトロで築地まで行き、昼飯は「文化人」で蛤せいろをたぐる。それから新富町方向へ歩き、「宮川食鳥鶏卵」で水炊き用の鶏もも骨付きを目の前で切っていただく。講座事務所で肉を冷蔵庫に預かっていただいた。

  初孫を出産して、愚娘は拙宅に滞在している。直帰して、夕食の支度を始める。

  今夜は花山椒鍋である。我が家にとって、年に一度の贅沢といってよい。






  調理は簡単で、要するに鶏の水炊きを作って、そこへ花山椒をどばっと投入し、絡めて食するのみ。

  いや~、たまらんです。

  白洲正子の好物として有名だが、花山椒を、清水の舞台から飛び降りたつもりで求めさえすれば、我が家でも楽しむことができる。かかる食生活をしておれば、今月のエンゲル係数は鰻登りとなるもことわり…。

  そうそう、松江の実家がゲストハウスとして衣替えし、いよいよ営業開始となったらしい。画像が公開され、お城までの動画もアップされている。小学生の頃から高校卒業まで育った家屋なので、なつかしさもひとしお。「ゲストハウス喜庵KIAN」というお宿なので、松江へご旅行の節は、ご利用のほどを。

4月15日(月)三朝庵の卓と椅子

2019年04月15日 | 公開
  昨年 惜しまれながら閉店した「三朝庵」が、いよいよ取り片づけられることになり、店内の卓や椅子を、欲しい人に差し上げるというので、勤務先キャンパス図書館の課長が、まず1卓4椅子をもらってきたのだけれども、もう1セットいただくことにしたという。



  中央図書館や、博物館などでもいただけばよいのにと思うが、他に引き取り手は無いそうである。事務長に、どうですか?と水を向けに行くと、図書館で実物を見てみますとのこと。事務長は、もと中央図書館に勤務していた方で、国文の出身だから、理解があると見た。

  さて授業は2週目で、調子よく、てきとうに進めている。昼は「高七」に行った。大女将が厨房に入っておいでだったので、久しぶりにお話をする。初孫の話をしたら、お祝いの四合瓶を頂戴してしまった。

4月14日(日)初孫の名前

2019年04月14日 | 公開
  お七夜に初孫の名前が付いた。ほんとうは婿殿が出生届を出しに行った時に、確定していたわけだが、イニシエーションとしてはお七夜を祝って命名とあいなった次第。

  ほんとうは「三十一」という名にして欲しかったのだが、ネーミングライツを与えてもらえなかった。愚娘は私が31歳の時の子で、昭和31年の生まれであり、和歌(みそひと文字)の研究者なのだから、男児だったら絶対「三十一」にしようと決めていたが、女児だったので、万葉集から名前を付ける仕儀となった。それで初孫は、愚娘31歳の出産、平成31年末の出生だから、絶対よいと思うのだが、取り上げては貰えなかった。

  付いた名前は、それではと考えて、示しておいた候補の中で、唯一、愚娘が考えた候補と一致したものがあり、それになった。鷗外記念館の展示を観に行った際に、森家の系図を見ていて、こりゃいいわいと思ったものである。洋風の名前ではなり(由利亜先生は同僚である)。

  婿殿の名前に配慮した名前だし、まあ、きれいで穏当な名前になったと思う。

4月9日(火)学期の始め

2019年04月09日 | 公開
  4月6日が授業開始日だったが、夕刻に委員会があって、大学へ行く。実は暁頃に愚娘からlineが来て、破水したというので、心配していたら、16:00前に出産したという連絡。母子とも別条ないとのことだったが、臍の緒が方結びになっていて、場合によってはやばかったそうである。胎内でよほど活発に、じたばたしたせいであろうか。

  4月7日に産院へ行って対面したが、愚娘が生まれた時の顔とよく似ているような気がした。婿殿のご両親にも挨拶できて、よかったが、10日に退院だそうで、私が自家用車で迎えに行くことになった。

  4月8日は私の授業開始。春学期は午前中に2コマある。朝いち演習は、20名の受講者で、和歌がテーマだけれど、結構有名な学生歌人さんが混じっていた。院生のM君にあとで聞くと、短歌会の次期幹事長確実の学生さんなのだそうである。ガイダンスで、短歌を作ってもらう…みたいなことを言ったせいかもしれない。

  授業を終えて、本年度、私が受け入れ教員になった中国の大学の先生とお会いし、書類を処理、何人かの同僚に紹介し、昼食をともにした。私の研究室の修士課程に入学した院生も、この先生ご勤務先の大学出身者なので、ご縁がある。

  その後、中央図書館へ走って行き、見計らいで取り寄せられた古活字版を見る。T教授が購入申請され、私も共同申請者に加わった資料である。原装との触れ込みだったが、到底そうは思われず、しかしまあ安いと思う。ちょうどT教授がお越しになったが、ちと値切ってみるんですなと意見を申し上げて、トラムに乗る。
 
  教科書会社の編会議に5分遅刻した。今日はいつもより2時間早く始まり。1時間早く終わる。G大学を退職されたK先生が隣の席にお座りになった。弁当は人形町今半で、これが出れば文句はない。

  老齢になって、身体ががたぴし。爺になったわいと思っていたら、本当に爺になっちゃいましたわ。(-_-;)

4月1日(月)令和ですか

2019年04月01日 | 公開
  新元号の発表を視聴した。勤務先大学の政治経済学部長のお名前と一緒である。有識者懇談会のメンバーには、勤務先の前総長も入っていたから、あららと思ったことであろう。いろいろなコメントが出てきたが、しょせん日本人が国内だけで使うものである。発音がどうの、書き方がどうのは、どうでもよろしい。

  老母がショートステイから戻ってきたので、松山の本家筋でいただいたお土産のお菓子と、写真のコピーを渡す。自身の父親と祖父の写真を、なつかしそうに見て、さっさと自室の荷物の中に仕舞い込んだ。祖父(私の曽祖父)は、旧藩瓦解の折、開城の引き渡し役を務めたという。徒十五石四人扶持で、そんな重役を務めたというのも、俄かには信じ難いが、その功で母衣町に家屋敷を賜ったという口碑があるようだ。長州征伐の折に逆襲され、降伏の使いをしたというのも、同趣旨の話ならむ。系図には、親戚筋に巡洋艦の艦長を務めた人がいると記されているが、私が調べた限りでは、海軍兵学校第七十期波号第二百八号潜水艦長となった人なのだろうと思う。風流な一面を伝える?エピソードもある。

  とにかく、珍しい苗字(全国で約40人という)だから、暇になったら少し調べて書き残しておこうかな。