そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月4日(水)老残の身として

2019年12月04日 | 公開
  亡母の納骨を済ませ、返礼品送付の手配もついたので、あらかた一段落のはずが、気にやむことが多く出来して、鬱々とした日々を送っている。機嫌も悪い。時々、死んでやる!と叫ぶので、荊妻は、愛しているだの、あなたの最近の論文の内容はいいわねえだの、猫撫で声で妙なことを言い出す。もうあまり考えないことよ…とのたまったが、娘にもまったく同じことを言われた。

  

  母の遺骨を想い出しながら、「高七」で穴子の骨を食った。人を食った話だ。

  水曜会議日は午前中、私が委員長の某委員会。30分弱で終了し、事務方に褒められる。午後の委員会は、書記役当番が回って、さあ大変。この委員会は正副委員長がまるで同格で、こりゃチャリオット体制である。予定を20分も超過しやがったぜ。終了後10分にして、議事要旨を担当者に送信する。人生の時間を無駄にしてはいけない。

  会議内容は守秘義務がある。どこの会議の話とは言えないが、教員と学生は結婚してはいけないのか!と、息巻いた御仁がいた。そういう事例がいっぱいあり、そのことを禁ずるのは幸福追求権の侵害になると、お凄みになった。いけないに決まっているではないか。昔々、「おくさまは18歳」というテレビ・ドラマがあった。原作は少女漫画と記憶するが、ドラマは岡崎友紀と石立鉄男の主演、松坂慶子も出演したのではなかったかな? 高校の教師と生徒とが夫婦であるとのあらすじだが、もちろん表面上はタブーだから、バレないようにドタバタが展開した。これと同じことである。


  本人たちはよいとして、周囲に与える影響は甚大、それは完全なハラスメントになるだろう。現に教え、教えられている関係者同士が関係を結ぶのは、論外である。もちろん、教える側が退職したり、教わる側が卒業して、教員‐学生という関係が解消した後は、どうなろうと当人同士の自由だろう。しかし、こうした事態はありがちだから、ブレーキはかけなければいかんということではなのか?

  我々国文学専攻者は、専任教員になる時、師匠から口を酸っぱくして言われた心得が二つある。一つは、教務の仕事に就く要請が来た時には研究を擲ってでも受けなければならないこと。そしてもう一つは、「おたなのものに手を出してはならない」ということだった。隣の研究室のT教授に、あんたはどうだい?と尋ねたら、私もそう言われましたとのお答えだった。だから現に教務は、国文系だらけになっているではないか。

  「同意の有無にかかわらず、教員は学生と性的関係を結ばない」という言い方は、身も蓋もない。「おたなのものに手を出さない」という、江戸商家の心得風の、ゆかしいスローガンに、今からでも書き直していただけないものだろうか?

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1 コメント

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Unknown (五反田猫)
2019-12-09 09:15:06
「いかにせん ふるさとにある たらちねを あなこをいしとも いふ方のなき」

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