そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月16日(水)プレ歌合

2015年12月16日 | 公開

  教授会は無慮4時間だった! 内容は具体的には書かぬが、教務ちと脇が甘い。教務主任も、あんなへらへらした態度では、あきませんぞなもし。まあ、内職、卒業論文を2本読み終えたけどな。

  事務方も事務方で、学期末・学年末にシステムを変えるんじゃない!と言いたい。Y教授が発言された通りである。つかさ人が下情に通じていないこと、お国も大学も同断である。せめて、成績処理が終わってからにすりゃいいのだ。

  18:10に終了して、そのままお稽古事へ。日曜の歌合の前哨戦に、判者を務める。存外面白かった。こういうことも、実際にやってみないと分からぬことが多い。終了後はO前社長と「北京」で飲む。軽減税率の朝令暮改、官僚の質の低下など、世を嘆き合うことしきりだったが、相変わらず「北京」の餃子は美味しかった。客が少なかったので、お運びのねえちゃんやおばさんに、しきりと世辞を申し上げておく。飲食店にとってよい客とは、酒を飲む客、褒める客であろう。…というわけで、よき客目指してがんばったという次第だ。


12月16日(水)駄賃をもらう

2015年12月16日 | 公開

  昨日は早く帰宅して、自家用車を運転して同じ区内ながらすこし遠くの病院へ行く。姑殿が土曜日に時間外診療を受け、預かり金として1万円札を1枚預けてきたというので、清算に行って欲しいと頼まれたのである。駅近くの菓子屋でお礼のお菓子を買う。窓口に申し出ると、しばらくお待ちくださいと言われ、清算は老人医療費だからかなりお釣りが来た。後で菓子代もお釣りから差っ引かせてもらった。

  そうしたら今朝、同居人が1万円札をくれるものだから、これなあに?と言えば、昨日の補填だという。別に補てんしなかったからと返そうとしたら、駄賃だと。珍しいこともあるものだ。要らないの?と恐ろしいから、有り難く頂戴した。

  これで手袋を買っていい?と断ると、ご許可が出た。私の手は一種の畸形で、親指が極端に短い。出来あいの手袋だと、親指だけ先の方が余ってしまい、使いにくくて仕方がないのだ。去年、皮手袋をオーダーメイドしてみたが、結局うまくいかなかった。

  昨日、同居人に頼まれて鉛筆削りを買いに行ったお店に、英国製のよさそうなのがあった。先が切れて露出しているのだが、これなら大丈夫である。

  で、上野駅構内のお店へ行ったところ、昨日と商品のレイアウトが異なっていて、あちゃ~売れちゃったか!と思ったら、分かりにくいところに移動されていた。5000円ほどで購入。

  さて、残りはどうすべいと思案したが、こりゃ天麩羅食うしかない。上野御徒町から地下鉄で「高七」へ。米の汁にあなご定食をいただく。同居人さまさま、である。しかし、お昼の「高七」は、妙に子ども連れのお母さんの姿が目立つ。こんな小さな時分から、「高七」の天麩羅を食いつけたら、口が奢って大変だろうにと、余計なことを思った。

  さてさて、本日は教授会である。


12月16日(水)師走の述懐

2015年12月16日 | 公開

  社会人講座の講師料が、どうもへそくり口座に入って来ないなあと訝しめば、どうやら給与口座の方に振り込まれるようになっているらしい。給与口座のキャッシュカードは、同居人の管理下にある。おそるおそる尋ねると、そうなんじゃない、それがどうしたの?…とのたまふ。我が家の金と電化製品については、すべて同居人が差配しておいでになる。visaカードだって、あなた、私は同居人の家族カードなんだからねえ。(-_-;) 私の確定申告も、全部同居人のお仕事だ。

  だから同居人に先立たれたら、私は生きていけない。幸い今のところ、72歳で死ぬよう鋭意?体調調整中なのだが(祖父も亡父も指導教授も、72歳で亡くなりましたでな)、とんかつや牡蠣フライ食うなと言われると、計画が狂いますがな。しかし、骨密度を測定したら、同居人はものすごく良好な数値だったそうで、叩き殺そうとしても死なないようなあんばいである。まあ、私が先に鬼籍に入るのは間違いない。

   ところで、大岡信『瑞穂の国うた』を読み直していて、ありゃりゃと思ったことがあった。大岡さんは昔々、助手をしていた時、学内学会の講演会の講師としてお越しになり、終わってからキャンパスの門までお送りし、タクシーにお乗せしたことがあった。

  上田秋成の和歌に「根芹生ふ 田ゐの水渋の 色ながら 凍れる上に 雪の積れる」という作があるのだが、「田ゐ」を「田井」と表記したせいか、「根芹が生えている田圃に引くための井戸水に・・・」、「芹、少し淀んで少し色のついた井戸水」とあるから、大岡さんは「田ゐ」は田圃にある井戸だと解していらっしゃるらしい。

  「田ゐ」は、漢字で書けば「田居」、要するに、田圃自体を意味する歌語なのだ。辞書はきちんと引くべし、という教訓でありました。