座間コミニティー

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出エジプト記32章15-20節

2012年01月20日 13時42分07秒 | 聖書

32:19 「宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。」  モーセがヨシュアと一緒に山から下りてきた時、下の方で大きな声がしました。そこで、ヨシュアは戦いがなされているのかと思って、戦いの声が聞こえると告げました。しかしモ-セは、彼等が何をしているのか既に主から聞いているので、分かっておりました。そこでの声は、歌を歌う声、即ち祝いの声だというのです。民は金の子牛の像を作り、それを自分たちを導く神として仰いで、喜び踊っていたのでした。神の御心を、全くないがしろにする行為でした。モーセは宿営に近づいて、民が喜び踊る姿を見た時に、非常な怒りに燃えて、主によって授かってきた十戒の書かれた石の板を投げ捨て、砕いてしまいました。この十戒は、主にあって生きようとする者には、主の御心を知って導かれていく、良き導きでありました。しかし、その戒めに背いてしまっている民にとっては、意味がないのです。主と共に生きようとする者にこそ、十戒は意義があるからです。

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◆平 安 の 秘 訣

2012年01月20日 13時33分25秒 | 聖書

わが子よ。私のおしえを忘れるな。
私の命令を心に留めよ。
そうすれば、あなたに長い日と、
いのちの年と平安が増し加えられる。(箴言三1―2)

ある哲学者は言いました。「現代人は、ただ一つのことを除いて何でもできるようになった。その一つとは、魂の平安を得ることである。」
現代人は四つの不安を持っています。
・ 今にも死ぬのではないか、死んだらどうなるかという死の不安。
・ いつか失敗して生活に困るのではないかという将来の生活の不安。
・ 一番近くて親しくあるべき人とうまくやっていけない人間関係の不安――愛されない・愛せないことの不安。
・ 悪や罪があばかれて、はずかしめや罰を受けたりするのではないかという罪悪の恐れと不安。
心にほんとうの平安があり、しかもそれが増し加わっていくのは、この上なく望ましいことです。それは、神を知り、神を恐れ、神の命令を守り、神と近い生活をする人に与えられます。ダビデの詩篇一〇三篇には、神に従って歩む生活の中にある、こんなにいくつもの平安の姿が描かれています。
・ 咎がゆるされる。
・ 病がいやされる。
・ 神の恵みと愛に満たされる。
・ すべての良いもので満たされる。
・ 若さは鷲のように新しくなる。
ほんとうに心に神を迎えていく時に、四つの不安が取り除かれるばかりでなく、神の平安が増し加わってくるのです。
そのような平安を受ける者になりたいと思います。

 

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◆アベルは羊を飼う者となり……。

2012年01月20日 13時32分00秒 | 聖書

(創世四・二)

アベルは、羊飼いとしての仕事を神の栄光のためにきよめ、祭壇に血のささげものをし、主は、彼とその供え物とを顧みられた。この昔の主イエスの型は非常にはっきりしている。それは、夜明けの光が東の空を赤く染め、万物をはっきりとは現さないが、太陽が出ようとしている事実を明らかに示すようなものである。羊飼いであり、祭司でもあるアベルが、神に良いささげ物をしているのは、私たちの主が、父なる神の喜ばれるささげ物を御前に携えられるのを思わせる。アベルは正当な理由もなく兄弟に憎まれたが、私たちの救い主も同様であられた。生まれつきの肉の人は、神に受け入れられ恵みに満たされた人を憎み、その血が流されるまでは安んじることができなかったのである。アベルは殺され、自分の血を祭壇とささげ物に注いで、主イエスが神の前に祭司として仕えておられる間に人々の憎しみのために殺されることを示した。
「良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」イエスが人々の憎しみによって殺され、その血をもって祭壇を染められたことを思うと、私たちは泣き叫ばずにはいられない。アベルの血は叫んでいる。主はカインに仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。」イエスの血は力強く語っている。そしてその叫びは、復讐ではなく、あわれみである。
私たちの良い羊飼いの祭壇の前に立つことは、何ものにもまさって尊いことである。祭壇の前で私たちは、虐殺された祭司であられるお方が血を流しておられるのを見る。そして、その血が羊の群れに、私たちの良心に、ユダヤ人と異邦人との間に、人類と人類が背を向けた創造者との間に、また永遠の未来に向かって血の洗いを受けた人々に、平和を語っているのを聞く。時の順序から言えば、アベルが最初の羊飼いであるが、私たちの心はイエスを尊厳の順序から第一にあげる。
偉大なる羊飼いよ。あなたの牧場の民である私たちは、あなたが私たちのために死なれたのを見る時、心からあなたに感謝をささげます。

 

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●一般法と特別法●

2012年01月20日 13時29分22秒 | 労働法

あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、実は重要な関係がある区別なのです。例えば私たちの個人的な関係に関しての一般法は「民法」です。家族、友人、近所、会社その他、いわゆる「私人」間の法律関係を規定しています。それに対して、労働基準法などの会社と労働者という限定された関係について規定された法律を「特別法」といいます。一般法である民法と、特別法である労働基準法には、同じ問題について、異なる規定があるものが多数あります。例えば労働契約の解除について、(民法では「雇用契約」ですが)民法では、2週間前の告知を規定していますが、労働基準法では、会社が契約解除をする場合、すなわち解雇の場合には、30日前の告知を義務付けています。この場合、特別法は一般法に優先するのが原則ですから、労働基準法の規定が適用されます。しかし労基法に規定のない労働者からの契約解除、辞職の意思表示は、民法の規定どおり、2週間前で良いことになるのです。

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