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◆このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。

2014年10月25日 08時43分32秒 | 聖書

そして真理はいつまでも私たちとともにあります。(Ⅱヨハネ二節)

ひとたび神の真理が人の心に入り、そのすべてを征服するならば、人の力も悪の力もそれを追い出すことはできない。私たちはそれを客としてではなく、主人として迎える。これはクリスチャンに必然的なことであって、このように信じない者はクリスチャンではない。福音の生きた力を感じ、みことばを聞き、適用し、証印を押される聖霊の力を知る者は、福音から引き離されるよりはむしろ八つ裂きにされることを願う。
真理が永遠に私たちと共にあるとの保証の中には、多くのいつくしみが含まれている。これは私たちの生きる時の支え、死ぬ時の慰め、起きる時の歌、そして私たちの永遠の栄光である。クリスチャンの特権であり、これがなければ私たちの信仰は無価値である。
ある真理は卒業して後ろに残すものである。それは初歩的なもので、初心者に対する教訓なのだから。しかし私たちは、神の真理をこのように扱うことはできない。それは赤ん坊にとっておいしい食物であると同時に、大人にも申し分のない栄養物だからである。私たちが罪人であるという真理は、私たちを謙遜にし、注意深くする。主イエスを信じる者はだれでも救われるとのさらに幸いな真理は、私たちと共にあって希望となり喜びとなる。経験は恵みの教義への把握を弱めるどころか、さらにしっかりと私たちをそれに結びつける。私たちの信仰の基礎と動機はさらに強くなり、さらに数多くなる。臨終の際、主にすがるまでこのようであることを期待するに十分な理由を私たちはもつ。
真理から出るこの永続的な愛が見いだされるところではどこででも、愛の交わりをもたないわけにはいかない。神の恵みによる選びが広いように、私たちの心の交わりも広くならなければならない。受けた真理の中には多くの誤謬が交じっているかもしれない。この誤謬と戦おうではないか。そして神から受けた真理に応じて兄弟を愛そうではないか。ことに、心を傾けて真理を愛し、身をもって真理の伝達に当たりたい。

 


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