座間コミニティー

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◆さらに私は、御座――そこには、四つの生き物がいる。――

2017年04月23日 17時59分40秒 | 聖書
と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。(黙示録五・六)
高くあげられた私たちの主は、なぜ栄光の中に傷ついた様で立っておられるのか。イエスの傷はご自身の栄光であり、宝石であり、神聖なる装飾なのである。信者の目には、イエスはこの上なく美しい。なぜなら、主は「輝いて、赤い」からである。その輝きは純潔のためであり、赤いのは御血のためである。私たちは主を、比べることができない純潔のゆりの花、またご自身の血により深紅になられたばらの花と見る。
オリーブ山、タボル山、また岸辺におられるキリストは愛すべきお方である。しかし、おお、十字架におかかりになったキリストこそは、たぐいなく麗しいお方である。そこにおいて、主の全き美のすべてを見、すべての主の徳が輝くのを見、すべての主の愛が引き出されるのを見、すべての主のご人格の顕現を見る。
愛する友よ。イエスの傷は、私たちの目には王たちのあらゆる華美にまさって美しい。いばらの冠は王冠以上である。主は今は葦の笏を持っておられないが、それには黄金の笏からは決してひらめくことのない栄光があった。ほふられた小羊としての主の御姿は、大礼服をまとわれた姿であった。これを着て主は私たちのたましいに訴え、全き贖罪によって私たちのたましいを買い戻してくださった。これらは単なるキリストの飾りではなく、主の愛と勝利の戦利品である。主は信仰の勇者とともにそれらを分け合ってこられた。数えきれない多くの人々をご自分のものとして贖われた。これらの傷あとは戦いの記念なのである。ああ、もしキリストが、民のために苦しまれた思い出を忘れないでいることを好まれるならば、その傷は私たちにとってなんと尊いものであろう。
み傷のあとの一つ一つが 尊い乳香をしたたらせ
 罪がつくる傷をいやし 悪のすべてをいやす
 み傷は主の恵みを語る 主の愛の旗
 御国に約束されている 限りない喜びのしるし
 
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