座間コミニティー

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◆私の心が衰え果てるとき……

2013年09月22日 16時56分16秒 | 聖書

どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。(詩篇六一・二)

私たちはたいてい、心が衰え果てた経験をもつ。それは、あらしのために転覆して沈んだ舟のようである。もし主が私たちの深い堕落の底をかきまわし、どろや汚物が立ち上がるのを許されるならば、私たちは内なる腐敗を見いだしてこのような姿となる。また失望落胆によって、このような状態となる。大波が次々と頭上を越えていく時、私たちは壊れた貝がらのように波にのまれる。しかしそのような時にも私たちのために十分な慰めが備えられている。私たちの神は、あらしに悩む舟の港であり、よるべない巡礼の宿である。
神は私たちよりも高くあられる。神のあわれみは私たちの罪よりも高く、主の愛は私たちの思いよりも高い。人々が、自分より低いものに信頼を置いているのは、実にあわれである。しかし、私たちの信頼はきわめて高く、栄光の主に堅く据えられている。主は岩であられる。それゆえ主は変わることがない。そして高い岩であられる。私たちを衰え果てさせるあらしは、主の足もとのはるか下で荒れ狂っている。主はあらしに悩まされることなく、ご自身の心のままにこれを支配される。この高い岩の下に隠れるならば、私たちは台風にも動じないで立つ。この高い岩陰には、完全な静けさがある。
私たちの悩める心は、しばしば混乱に陥る。そして、この神の安息所に導かれることを必要としている。そのゆえに冒頭に掲げた祈りがなければならない。
おお、主、私たちの神様。あなたの聖霊によって信仰の道を教え、あなたの安息に導いてください。風が私たちを海上に吹き出し、かよわい私の手ではもはやどうしようもないのです。主よ。あなたのみが、砂州や暗礁の間をぬって完全な港に導かれます。私たちはどんなにあなたに依存していることでしょう。この身をあなたのみもとに引き寄せていただくために、私たちはあなたが必要なのです。安全と平和の中に賢明に導かれるのは、ただあなたの賜物によるのです。今夜、どうかあなたのしもべを導いてください。

 


◆父  を  敬  う

2013年09月22日 07時58分24秒 | 聖書

あなたを生んだ父の言うことを聞け。
あなたの年老いた母をさげすんではならない。(箴言二三22)

聖書は、徹底的に、「父を敬い、母を敬え」と言っています。しかしこの世には、父を敬えない人が実に多くいるのではないでしょうか。私の知っている女性は、母といっしょに、小さい時に父に捨てられました。やっと高校を出て、銀行に就職しましたが、職場で得た男友達からも、肉体をもてあそばれた上で捨てられたのです。彼女は、徹底的に男性不信に落ち入り、自分の生涯の目標を男に、父親に復讐することに決めてしまい、みじめな人生を送るようになりました。
私自身も、争いの絶えない家庭にあって、父を尊敬できなかった者です。父を憎み、父を抹殺したい思いすらありました。この父の子として生を受けたことをのろいました。
しかし、そんな父を徹底的に愛し、そんな私を徹底的に愛してくださる神を知りました。神の愛は、すばらしいから愛するとか、よくやっているから愛するというのではありません。罪深い弱い者も愛し、生かしてくださいます。私の父を通して、私をこの地上に生かしてくださった神とその愛を見いだした時、人間の尊敬とか愛とかの背後にある、運命的ともいうべき崇高なものが分かるような気がしてきました。そして、父のために祈っているうちに、父のよさが分かり、その偉大さが分かり、父の人間性がだんだんと分かってきて、私の心に、父を敬う心がわいてきたのです。人の親となって、自分もけっして尊敬される資格のある父親でないことが分かると、いよいよ父を慕い敬う気持ちが尊く分かるような気がするのです。
老人をさげすみ、自分の親をさげすむ生き方は、その終点が、自分もまたさげすまれ孤独となる確かな道ではないでしょうか。「父を敬う」道は、神を恐れ神を愛し従う道と、もとが一つであるような気がするのです。

 


◆イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。

2013年09月22日 07時57分28秒 | 聖書

(詩篇一四九・二)

信者よ。心から喜べ。そしてその喜びは神からわき出ることを知れ。あなたは喜ぶべき多くの理由を神のうちにもち、詩篇の作者のように「私の最も喜びとする神」と歌うことができる。喜べ。主が支配者であられることを。また主が王であられることを。主が御座に座しておられること、すべてを支配されることを。
神の性質の一つ一つは、私たちの喜びの日光の新たな光線となるべきである。私たちは自分の弱さのために震えおののくので、神が力ある方であることは私たちの喜びとなる。神が永遠にいます方であることは、私たちが草のようなはかない存在であることを知る時、私たちの喜びとなる。神が変わらない方であることは、常に私たちに歌をもたらす。私たちは時々刻々変わるものであるから。神が恵みに満ち、しかもあふれるばかりに満ちておられること、そして契約においてその恵みが私たちに与えられていること、私たちがきよめられ、守られ、聖別され、完全な者とされ、栄光に導かれていること――これらのすべてによって、私たちは神を喜ぶべきである。
この神にある喜びは深い川のようだ。私たちはただその水際に触れたにすぎない。その清らかな甘美な天国の流れを少しは知っている。しかし水際から進むにつれ、川は深くなり、流れはさらに喜びにあふれる。
クリスチャンは神がどのような方であるかを喜ぶだけでなく、神が自分のためにこれまでになしてくださったことを喜ぶ。詩篇は、神の民がその昔、神のみわざを深く考える習慣があったこと、そしてその一つを詩に作ったことを示す。そのゆえに、主の民に、今主のみわざを追憶させよ。彼らの主の力強いみわざを語らせよ。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められた」と彼らが歌うことをやめさせてはならない。新しい恵みは、日ごとに彼らの上に注がれて尽きないため、主の摂理と恵みの愛のみわざを喜んで、不断に感謝をささげなければならないからである。
シオンの子らよ。喜べ。そしてあなたの神、主を楽しめ。

 


ヨシュア記24章1-13節

2013年09月22日 07時55分55秒 | 聖書

24:2 ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムの父で、ナホルの父でもあるテラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。」


ヨシュアは民を皆集めて、イスラエルの民に対する主の導きの歴史を語りました。

その時に語ったことは、「アブラハムの父であるテラは、ユーフラテスの川の向こうで住んでいたときに他の神々に仕えていた人物であった。」ということでした。

つまり彼は、天と地を造られた主なる神を知らず、神でもないものを神として礼拝していた人であったというのです。

ところが、そうした人から生まれたアブラハムが、真の神を知ることができるようになったのは、この主なる神の選びと恵みとに寄ったことでありました。

神様が彼に語りかけて、彼が真の神様を知るようにしてくださったから、知ることができたのです。

全く、神様の一方的な選びと恵みに預かったからです。

これは、今に生きるこの私たちも同じです。

真の神様を知りえたのは、神様の選びと恵みとに寄っているのです。



ネヘミヤ記12章43節46-47節(同11章)

2013年09月22日 07時54分08秒 | 聖書

★  こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。

★  昔から、ダビデとアサフの時代から、神に賛美と感謝をささげる歌うたいたちのかしらがいた。
ゼルバベルの時代とネヘミヤの時代には、イスラエル人はみな、歌うたいと門衛のために定められた日当を支給していた。

■O:今日のコラム

ネヘミヤの4ヶ月の祈りが聞かれ、神様の守りの中で、エルサレムの城壁が修復されました。
次にネヘミヤが取り組んだことは神の民の再建(教育)でした。

この系図からわかるように、そこに集まった民はユダ族とレビ族がメイン、つまり王と祭司の部族ですね。

さてネヘミヤ総督は民の再建の為に何から始めたでしょうか?

冒頭でとりあげた御言葉を見ておわかりのように、ダビデの幕屋の回復です。
(これ以前の章では、学者エズラによる、御言葉の朗読 断食と悔い改めの告白、きよめを経ています。)

ダビデ、ソロモン時代の「ダビデの幕屋」で仕えていたワーシップリーダー、アサフやエドトンの子孫がここでも配備されているところに神様の驚くべき摂理を感じます。

どの時代にあっても主はこよなく愛されたダビデの幕屋の復活を望んでおられ、それをとても喜ばれていることがわかります。

賛美が始まった時、主の喜びが彼らの上に臨まれ、神が彼らを大いに喜ばせてくださったとあるからです。その声はエルサレムを抜け出しはるか遠くまで聞こえたほどって・・・どれだけ凄い喜びだったのでしょうか!

新宿であげられた喜びの声が、八王子で響き渡ることをイメージしてみて下さい。

ウチの教会でもすでに多くの人が主からの喜びの霊に満たされ、自分ではとめることのできないどうしようもない喜びが心の底から満ちあふれ一見気が狂ったように笑い続けている人たちがいますが、もうすぐ中野まで届くかどうかというところでしょうか(笑)

そして新宿シャローム教会に主が回復してくださったダビデの幕屋(24時間365日の祈りと賛美)が北海道から沖縄まで各地の教会において、もの凄い勢いで飛び火しています。もちろん、これは主がなさっていること。

日本中の教会でこの祈りと賛美の幕屋が回復される時、どれだけの喜びが湧き上がることでしょう。
それは、一つ声となって、日本から最果てのエルサレムに届き、イスラエル国家を揺るがすこととなるのです!

■A:考えてみよう

主の民の教育・成長に欠かせないことは何ですか?

御言葉の朗読と継続的な祈りと賛美と礼拝が常に自分の内で、家庭で、教会においてなされているだろうか?

■P:祈り

天のお父様。47都道府県のすべての教会において、主が望んでおられるダビデの幕屋(24時間の祈りと賛美)が建て上げられていきますように。そしてあなたのご自身が私たちを大いに喜ばせて下さい。その声がひとつとなってシオンに届きますように!イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。