鳩山法相が検察長官会同で志布志事件冤罪と呼ぶべきではないと発言したこと(※1)について擁護する意見がある。つまり鳩山法相は、冤罪の定義を厳密に考え、無実の罪で罰を受けた場合(いったん服役した富山人違い事件)に限定しているから、裁判で無罪になった志布志事件については「冤罪」にあたらないと言っただけであり、何ら問題はない…というものだ。しかし、これは、現実から目をそらした見解であり、実際には、鳩山法相は人違いのような犯人でないことがはっきりしている場合については冤罪と呼んでもかまわないが、単に無罪となっただけであれば実際には犯行を行っている可能性も残るため冤罪と呼ぶべきではないという文脈で発言をしているのは、衆議院予算委員会答弁(※2)を見ればはっきりする。
では、なぜ、彼がわざわざ、全国の高検検事長や地検検事正が集まる検察長官会同で、志布志事件は冤罪と呼ぶべきではないと発言したのか、その根拠を調べていたところ、警察庁が作成した「富山事件及び志布志事件における警察捜査の問題点等について」というレポート(※3)に行き当たった。このレポートは、富山・志布志両事件に対する市民の批判に応えて作成したもので、今年1月末、発表された。
このレポートは、富山事件については、冤罪であることを前提として、なぜ、捜査段階で無実であることがわからなかったのか、という方向で書かれている。しかし、志布志事件については、無罪となったのは捜査の不備であり、適切な捜査を行っていたら有罪となったかも知れないことを前提としたものであることが分かった。
つまり、鳩山法相の発言は、上記レポートを支持することを示唆し、警察をコントロールすべき検察に対して、警察の考え方を尊重するように(つまり、検察として厳しく警察にチェックを入れ過ぎないように)迫るものだったのだ。志布志事件などの反省を語る文脈の中で、まったく脈絡のない発言と思われていたが、そうではなく、確信的な発言であったことが明確となった。
本来、過失的に無実の人を有罪とさせた富山事件と故意に「犯罪」をでっち上げようとした志布志事件をと比較すると、志布志事件の方が悪質で、反省をより深めなければならないことは明白だ。ところが、上記レポートは、まったく、違うアプローチをしている。ここで、本当に、上記レポートが、志布志事件について「実行されたが無罪となったにすぎない」ということを前提にしていることを少し具体的に説明したい。上記レポートのPDF(※3)を開きながら、読んでほしい。
志布志事件は、上記レポートの7頁~17頁にかけて掲載してある。警察の捜査の問題点は、そのうち10頁以下にある。
(1)として取り調べにおける問題点、(2)として供述の信用性の吟味における問題点、(3)として供述の裏付けにおける問題点、(4)として捜査の指揮における問題点が取り上げられている。
(1)については、「長期間、長時間にわたる追及的、強圧的な取調べ、あるいは、取調べ官による不適切な言動の存在が窺われることにより、(判決で)自白の信用性に疑問が残ると判断されたことが挙げられる」とされている(11頁)。本件が警察のでっちあげであるとの深い反省があるならば、判決で判断されたという書き方ではなく、無実の人に事実と違う自白をさせたことを問題点だとしなければならないはずだ。この書き方ではいかにも、無罪になったのは、取り調べ方法が悪かっただけで本当は有罪にするべき事案だったとしか読めない。
(2)については、「被疑者の供述内容及び供述の変遷に関する供述の信用性の吟味が十分でなかったことが挙げられる」としたうえで、たとえば次のように分析している。
【本件被疑者の中には、会合出席者の服装や会合での料理や酒の種類、現金在中
の封筒の特徴等についてまで詳細に供述している者がおり、当該供述について、取調べ官も供述調書を作成しているが、判決では、会合で初めて会い名前すら知らなかった者の服装等についてまで供述し、また、会合でのつまみの種類だけでなく皿の形状や数等についてまで詳細に言及されている点は、「詳細すぎてかえって不自然との感が否めない」だけでなく、酒を飲まない被告人が出されたビールの銘柄まで供述している点も、「真に記憶に基づく供述であるのか、疑問である」と指摘されたところである。
買収事案の背景となった会合について迫真性のある具体的かつ詳細な供述を得ることは、この種の捜査上極めて重要であり、供述内容が詳細であること自体を決して問題視すべきものではないが、具体的かつ詳細な供述内容が客観的事実と矛盾しないか、自然性が担保されているかといった幹部による供述の信用性の吟味が十分でなかったと言わざるを得ない。】(13頁)といかにも幹部の指導でもう少し現実的な調書すれば有罪となったのにと言わんばかりの勢いだ。
(3)については、
【供与金の原資が全く解明されていないなど、客観的証拠等による供述の裏付けが結果的に十分でなかったことが挙げられる。具体的には、
○ 当選候補者である被告人が、同窓新年会又は自治会懇親会に出席しており、犯行時間に参加することが物理的に不可能とされた第1回会合及び第4回会合の存在
○ 起訴されているだけでも191万円、それ以外にも、相当に多額の金銭が供与されていることになっているにもかかわらず、当選候補者やその親族等の預金残高の変動等金銭を拠出したことをうかがわせる何らかの客観的徴表はなく、全く解明されていない供与金の原資
といった無罪判決でも指摘された点について、客観的証拠等による供述の裏付けが十分でなかったものと認められる。】(14頁)と述べている。ここでも、客観的証拠を固めておけばよかった、アリバイなどつぶせばよかったといわんばかりだ。
(4)については、【本件の無罪判決において、被告人のアリバイ主張が認められ、自白以外の公訴事実を認めるに足りる証拠の不存在、取調べの在り方等を指摘されるなど、供述の信用性の吟味、客観的証拠等による供述の裏付け、取調べの在り方についての指揮監督に十分でなかった点が見受けられる。】(15頁)といかにも操作が不十分だったから無罪になったという印象だ。
さらに、【裏付け捜査の徹底や、供述の信用性の十分な吟味を行うためには、事件の初期段階から、捜査力を集中的に投入するよう指揮すべきであるが、最大時には約120名の捜査員が本件捜査に従事していたものの、本格的に捜査を開始した平成15年4月14日の段階(捜査員総計32名)から、第1回目の会合買収の事実で被疑者6名を逮捕した同年5月13日の段階(捜査員総計43名)までの間については、関係者が多数にわたり、裏付け捜査にも多大な労力を要する事件としては十分な捜査員を確保していたとは言えず、捜査態勢についての指揮監督も十分でなかったと認められる。】と、最初から大動員していれば、有罪となったといわんばかりだ。
以上の記述に比べ、富山事件(2~6頁)の方では、犯人性を否定する方向でも十分に操作するべきであったという趣旨の反省が随所に見られる。まったく、志布志事件とは反省のレベルが違うのだ。
鳩山発言は、このレポートの見方に立ったものであり、このままだと警察は反省せず、検察はそれを指導できず、でっち上げ事件が繰り返される。それを防ぐためには、取り調べの全過程を可視化(録画)するほかない。
とここまで書いてふと、なぜ、警察が取り調べの録画を嫌がるか、その理由がひらめいた。選挙なんだ!つまり、公選法違反、これを警察が自由に捜査し、ときにはでっち上げてでも有罪にすることができる力を持っておくことで、国会議員に脅しが効き、組織を維持し、天下りを万全とすることができる。この武器を奪われてはたまらない。志布志事件で反省をしないのもそのためでと考えると合点がいく。
いや~、自民党の皆さん、警察に脅されるのがいやだったら、可視化しましょうよ!!
※1:http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/49b881128ae6b0fa9b5483e663069482
※2:保坂展人議員の発言の30分くらいのところ。保坂議員の発言は、http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib2.cfm?u_day=20080214から、予算委員会をクリックしたうえ、保坂議員の欄をクリックしてください。
※3:http://www.npa.go.jp/keiji/keiki/torishirabe/toyama_mondai.pdf
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。
なお、こちらで(←クリック)、350円、1000万人寄付運動を展開していましたが、井原氏落選の結果を受けてペンディング状態です(こちら参照)。バナーは、SOBAさんの提供です。手のひらに何も乗っていない猫の手には、実は、知恵、呼びかける力など賛同するパワーが乗っているということです。まさに、今回の運動にぴったりですね。
1月17日にはNPJ/PEOPLE’S PRESS設立記念集会を開催し、多くの方に来場いただきました。ありがとうございました。近く、生中継していただいたアワープラネットTVでオンデマンド放送される予定です(http://www.ourplanet-tv.org/whats/2008/20080117_17.html)。
では、なぜ、彼がわざわざ、全国の高検検事長や地検検事正が集まる検察長官会同で、志布志事件は冤罪と呼ぶべきではないと発言したのか、その根拠を調べていたところ、警察庁が作成した「富山事件及び志布志事件における警察捜査の問題点等について」というレポート(※3)に行き当たった。このレポートは、富山・志布志両事件に対する市民の批判に応えて作成したもので、今年1月末、発表された。
このレポートは、富山事件については、冤罪であることを前提として、なぜ、捜査段階で無実であることがわからなかったのか、という方向で書かれている。しかし、志布志事件については、無罪となったのは捜査の不備であり、適切な捜査を行っていたら有罪となったかも知れないことを前提としたものであることが分かった。
つまり、鳩山法相の発言は、上記レポートを支持することを示唆し、警察をコントロールすべき検察に対して、警察の考え方を尊重するように(つまり、検察として厳しく警察にチェックを入れ過ぎないように)迫るものだったのだ。志布志事件などの反省を語る文脈の中で、まったく脈絡のない発言と思われていたが、そうではなく、確信的な発言であったことが明確となった。
本来、過失的に無実の人を有罪とさせた富山事件と故意に「犯罪」をでっち上げようとした志布志事件をと比較すると、志布志事件の方が悪質で、反省をより深めなければならないことは明白だ。ところが、上記レポートは、まったく、違うアプローチをしている。ここで、本当に、上記レポートが、志布志事件について「実行されたが無罪となったにすぎない」ということを前提にしていることを少し具体的に説明したい。上記レポートのPDF(※3)を開きながら、読んでほしい。
志布志事件は、上記レポートの7頁~17頁にかけて掲載してある。警察の捜査の問題点は、そのうち10頁以下にある。
(1)として取り調べにおける問題点、(2)として供述の信用性の吟味における問題点、(3)として供述の裏付けにおける問題点、(4)として捜査の指揮における問題点が取り上げられている。
(1)については、「長期間、長時間にわたる追及的、強圧的な取調べ、あるいは、取調べ官による不適切な言動の存在が窺われることにより、(判決で)自白の信用性に疑問が残ると判断されたことが挙げられる」とされている(11頁)。本件が警察のでっちあげであるとの深い反省があるならば、判決で判断されたという書き方ではなく、無実の人に事実と違う自白をさせたことを問題点だとしなければならないはずだ。この書き方ではいかにも、無罪になったのは、取り調べ方法が悪かっただけで本当は有罪にするべき事案だったとしか読めない。
(2)については、「被疑者の供述内容及び供述の変遷に関する供述の信用性の吟味が十分でなかったことが挙げられる」としたうえで、たとえば次のように分析している。
【本件被疑者の中には、会合出席者の服装や会合での料理や酒の種類、現金在中
の封筒の特徴等についてまで詳細に供述している者がおり、当該供述について、取調べ官も供述調書を作成しているが、判決では、会合で初めて会い名前すら知らなかった者の服装等についてまで供述し、また、会合でのつまみの種類だけでなく皿の形状や数等についてまで詳細に言及されている点は、「詳細すぎてかえって不自然との感が否めない」だけでなく、酒を飲まない被告人が出されたビールの銘柄まで供述している点も、「真に記憶に基づく供述であるのか、疑問である」と指摘されたところである。
買収事案の背景となった会合について迫真性のある具体的かつ詳細な供述を得ることは、この種の捜査上極めて重要であり、供述内容が詳細であること自体を決して問題視すべきものではないが、具体的かつ詳細な供述内容が客観的事実と矛盾しないか、自然性が担保されているかといった幹部による供述の信用性の吟味が十分でなかったと言わざるを得ない。】(13頁)といかにも幹部の指導でもう少し現実的な調書すれば有罪となったのにと言わんばかりの勢いだ。
(3)については、
【供与金の原資が全く解明されていないなど、客観的証拠等による供述の裏付けが結果的に十分でなかったことが挙げられる。具体的には、
○ 当選候補者である被告人が、同窓新年会又は自治会懇親会に出席しており、犯行時間に参加することが物理的に不可能とされた第1回会合及び第4回会合の存在
○ 起訴されているだけでも191万円、それ以外にも、相当に多額の金銭が供与されていることになっているにもかかわらず、当選候補者やその親族等の預金残高の変動等金銭を拠出したことをうかがわせる何らかの客観的徴表はなく、全く解明されていない供与金の原資
といった無罪判決でも指摘された点について、客観的証拠等による供述の裏付けが十分でなかったものと認められる。】(14頁)と述べている。ここでも、客観的証拠を固めておけばよかった、アリバイなどつぶせばよかったといわんばかりだ。
(4)については、【本件の無罪判決において、被告人のアリバイ主張が認められ、自白以外の公訴事実を認めるに足りる証拠の不存在、取調べの在り方等を指摘されるなど、供述の信用性の吟味、客観的証拠等による供述の裏付け、取調べの在り方についての指揮監督に十分でなかった点が見受けられる。】(15頁)といかにも操作が不十分だったから無罪になったという印象だ。
さらに、【裏付け捜査の徹底や、供述の信用性の十分な吟味を行うためには、事件の初期段階から、捜査力を集中的に投入するよう指揮すべきであるが、最大時には約120名の捜査員が本件捜査に従事していたものの、本格的に捜査を開始した平成15年4月14日の段階(捜査員総計32名)から、第1回目の会合買収の事実で被疑者6名を逮捕した同年5月13日の段階(捜査員総計43名)までの間については、関係者が多数にわたり、裏付け捜査にも多大な労力を要する事件としては十分な捜査員を確保していたとは言えず、捜査態勢についての指揮監督も十分でなかったと認められる。】と、最初から大動員していれば、有罪となったといわんばかりだ。
以上の記述に比べ、富山事件(2~6頁)の方では、犯人性を否定する方向でも十分に操作するべきであったという趣旨の反省が随所に見られる。まったく、志布志事件とは反省のレベルが違うのだ。
鳩山発言は、このレポートの見方に立ったものであり、このままだと警察は反省せず、検察はそれを指導できず、でっち上げ事件が繰り返される。それを防ぐためには、取り調べの全過程を可視化(録画)するほかない。
とここまで書いてふと、なぜ、警察が取り調べの録画を嫌がるか、その理由がひらめいた。選挙なんだ!つまり、公選法違反、これを警察が自由に捜査し、ときにはでっち上げてでも有罪にすることができる力を持っておくことで、国会議員に脅しが効き、組織を維持し、天下りを万全とすることができる。この武器を奪われてはたまらない。志布志事件で反省をしないのもそのためでと考えると合点がいく。
いや~、自民党の皆さん、警察に脅されるのがいやだったら、可視化しましょうよ!!
※1:http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/49b881128ae6b0fa9b5483e663069482
※2:保坂展人議員の発言の30分くらいのところ。保坂議員の発言は、http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib2.cfm?u_day=20080214から、予算委員会をクリックしたうえ、保坂議員の欄をクリックしてください。
※3:http://www.npa.go.jp/keiji/keiki/torishirabe/toyama_mondai.pdf
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。
なお、こちらで(←クリック)、350円、1000万人寄付運動を展開していましたが、井原氏落選の結果を受けてペンディング状態です(こちら参照)。バナーは、SOBAさんの提供です。手のひらに何も乗っていない猫の手には、実は、知恵、呼びかける力など賛同するパワーが乗っているということです。まさに、今回の運動にぴったりですね。
1月17日にはNPJ/PEOPLE’S PRESS設立記念集会を開催し、多くの方に来場いただきました。ありがとうございました。近く、生中継していただいたアワープラネットTVでオンデマンド放送される予定です(http://www.ourplanet-tv.org/whats/2008/20080117_17.html)。
「黒いヒトラー アミン大統領」を何故か思い出しました。
想像力の欠如とか、そういうレベルの話ではない感じがして来ましたね。
最近は、沖縄の問題に焦点を当てて書きまくっていたので、鳩山弟のことには記事にできませんでした。
しかし、この人物、失言、妄言が後を絶たず、真性の馬鹿でない限り、こんなことはとてもできません。
自分の立場や、発言の影響を想像できない、一種の奇人でしょう。すぐ撤回する軽さも含めて。
鳩山兄は、批判もあるけれど、そのまま自民党にいれば、大臣はもちろん、首相だって狙えたのに、外に出たわけで、それなりの胆力を持っているわけだが、弟の方は、どうも体格の割にひ弱。
法曹の世界からどんどん叩いてやってください。
つまり、誰か実際に殺された人がいて、A容疑者が捕まった、という話とは今回は別で、現実の被害者が最初からいない訳で、事件そのものがデッチ上げ臭い。
というと昔「横浜事件」というものがあって事件そのものが特高さんだかのふれーむあっぷだったそうですが、そういう場合は真犯人が永遠に捕まらないので(いないんだから)、「法務省の基本的考え方」だと、「冤罪」にはならないんだな。
僕はでっち上げ(殺人事実そのものがない)冤罪で去年の11月に、23年ぶりに出所してきました。
その取調べの経験から見ても、検察当局は、ありもしない事件を作り上げると断言します。
事態は、今も全然変わっていませんね。
法務当局の考え方が変わらないんだから、これからも冤罪事件が続発する事は必定。
鳩山発言には、はらわたが煮え返っています。
何か、留まる所を知りませんね…。
(実際に冤罪を体験された方のお話は、私も貴重と思いますし、話されてこそ次の冤罪に抑止力となりましょう…。)
我ながら、指摘が正しかったことが「証明」されたことはよかったが、そんなことを口にするとは…。
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=9455
http://www.47news.jp/CN/200802/CN2008022901000567.html