tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「自家製デフレ」の再来を避けよう

2023年11月10日 16時09分49秒 | 経済
丁度1年ほど前、「自家製デフレ」から何とか脱出したという思いを3回ほどに分けて書きました。

「自家製デフレ」というのはその時作った造語です。
「自家製インフレ」という言葉はあって、これは home-made inflation の日本語訳です。
インフレがあればデフレがあるはずだという事ですが、自家製インフレは、通常「賃金コストプッシュ・インフレーッション」です。

ならば賃金が上がらな過ぎる場合は、需要が不足して「自家製のデフレ」になる可能性があるわけです。しかし現実にはそんなことは通常ないので「自家製デフレ」という言葉がなかったのでしょう。
かつての日本も含めてどこの国も「賃上げ圧力の強い国」ですから、何かきっかけがあれば(たとえば輸入インフレ)賃金が上昇し、自家製インフレになるのです。この所のアメリカ、ヨーロッパの10%前後のインフレもそうです。

ところがアベノミクス以来の日本経済では、明らかに、その反対「自家製デフレ」の現象が起きているのです。
異常な円高が解消して、国際競争力が付き、生産力は回復してくるのに対し、賃金の方はほとんど上がらない状態が10年以上も続いているのです。

国民所得の過半を占める賃金(正確には人件費=雇用者報酬)が上がらなければ消費需要は増えません、当然消費者物価も上がりません。
日本の家庭の生活水準は低迷、企業は国内向け製品の価格は上げられず、増えるのは、物価の安い日本を目指すインバウンドばかりという現実がそれを示しています。

岸田政権はこの事実を知って「成長と分配の好循環」というスローガンを掲げたのでしょうか。知っていたら、多分、順序が反対になって「分配と成長の好循環」になっていたのではないでしょうか。

デフレというのは、モノやサービスがあるのに需要がない時に起きるものです。昔は資本家が富を集め庶民は貧しくて需要がなく、その結果デフレが起きたようです。
貧富の差が大きくなり過ぎても需要不足でデフレが起きるようです。

今回の日本の「自家製デフレは」企業、労働者の両方が、「また円高になったら大変」という強迫観念を持っていたのでしょう、長期の円高不況の経験から、また何時円高になって、円高不況、雇用の不安定再来の懸念から、企業は内部留保を重視し、家庭は上がらない賃金の中からでも出来る限り貯蓄を増やしてそれに備えるという日本人の真面目さからでしょう、日本は「賃上げ圧力の弱い社会」へ変化してしまったようです。

そして、残念ながら、もう円高は多分起きないという為替環境の変化にも関わらず、諦めムードで、賃上げ圧力を強めるという行動変化を起こさなかった事の結果でしょう。

この本来必要だった変化が、昨年あたりから今春闘にかけて起き始めたようです。昨年から平均消費性向に上昇傾向が見られ、今春闘では労使が共に賃上げ容認で一致しました。

しかし日本人は憶病なのでしょうか、その動きは too slow, too little で、現実に効果を生むに至りませんでした。最近の統計指標では、何か再度「自家性デフレ」に戻りそうな雰囲気も感じられます。これだけは避けたいですね。

さらに言えば、これは政府、日銀には出来ない(具体的手段がない)事なのです。直接の行動が出来るのは「労使」なのです。その事の理解のために必要なのは、適切なアカデミアからの理論的解説かもしれません。

来春闘にかけて、連合、財界諸団体の思い切った発想、発言、行動の転換が期待されるところですが、どうでしょうか。
市井の片隅から、政府、日銀のマネをして、「注視」していきたいと思っています。