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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 14.3.1.諸地域の編成と新会員募集

2009年12月04日 | ルフェーブル大司教の伝記
第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅲ. より優れた組織編成


 こうしてルフェーブル大司教は“持ちこたえる”ことになり、極めて良く成功することは、聖霊修道会士たちの活動を新しい状況に適応させるために1962年に開かれた総会の決議に従って同修道会を再編成することであった。その当時、立誓願者が5千名以上になると予想されていた。実際はこの数には到達せず、召命数は減退した。

 それゆえに、地域長たちに任命権を与え、さらにまた宣教地域で活動している司祭たちを再分配し、非宣教地域での新会員募集を充実させながら、権威の地方分散化を図る必要があったのである。修道会の目的に忠実でありつつ、総長は自分自身の、しかし常に聖伝に合致した見解を提案し遂行する事が出来た。

諸地域の編成と新会員募集

 各地域には地域長が担当地域を自由に巡る事ができるようにと常設補佐が各自与えられた。独特かつ効果的な部門が各地域(フランス、アイルランド、ポルトガル、ドイツ、アメリカ合衆国、オランダ、ベルギー、カナダ、ポーランドなどの地域、さらにスイスの準地域)に創設された。それは教育部門(学校や小神学校の教師たちの養成)、情報と新会員募集、財務 (“農業経営や工業収益より、後援者の定期的援助に依存する方がよりよい”)、公文書保管所、会報(これは何度か改定され、あるいは他の修道会の会報と合併されるなどした。このことは不安を示している)、最後に、各地域下にある諸々の地区における情報収集責任を担う地域訪問使節などである。

 さらには、前総会の意向に従ってフランス地域の部門は、修道会本部の部門からより区別された。本部の人材は合理的に力が入れられた。フランス地域本部と聖霊司祭修道会本部は、1966年修道会本部がローマに移転するまで、ロモン通り(Rue Lhomond)とピレネー通り(Rue Pyrenees)間を交互に行き来したのである。

 生徒数が僅かの小神学校を閉校する必要があった。それにもかかわらず、ルフェーブル大司教がこの種の教育機関の維持を望まれた。何故なら、修練士達の大半が依然としてそこから来ていたからである。つまりポルトガルやスイスの召命すべてとフランスにおける召命の3分の2がそうである。昔のように若い世代に召命が見られないからと言って「この種の施設で召命を鼓舞しようという解決策は時代遅れであるという反対意見にもかかわらず」、ルフェーブル大司教は「現時点で、小神学校を閉校する事はこの修道会にとって自殺行為に相当する」と考えた。

 会員募集の指導司祭たちの役割は、聖霊司祭修道会の将来にとっては肝心要であった。総長は彼らの義務を詳しく説明している。

「第一に、彼らは超自然的手段を用いる。それは祈り、犠牲、困難を捧げること。」

「召命-本物の召命-は犠牲と祈りによって勝ち取られなければならない。」
その後で次のような手段を使う。

「最も優れた自然的手段は、印刷、ラジオ、映画、宣教師の展示会、しかし特に、説教、説教、講話、司教や司祭たち、さらに学校付司祭たち、そして家族との交流。これは共同体に生きる真の使徒たちによる強い組織を必要とする。」

第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革

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