彦四郎の中国生活

中国滞在記

京都・初夏の一日―大学図書館などで「日本文化論」の講義案を考えたりして過ごす

2017-07-09 10:41:58 | 滞在記

 京都の初夏、まだ梅雨は開けていないが、昨日の日中は35度を超える暑さがあった。日本帰国後、時々、立命館大学に行き、図書館で調べものをしたりする。一昨日の金曜日、自宅からバスと電車を乗り継いで、京阪電車の終点「出町柳」で下車。鴨川と高野川が合流するところに「鴨川デルタ」と呼ばれる場所がある。ここから北の方の景色を眺めると「山紫水明」という感じがいつもする。鴨川にかかる出町橋の上を2階建て観光バスが走る。

 「鴨川デルタ」では、外国からの観光客たちが、水辺で遊んでいる姿がよく見られる。今年も、外国人観光客が多い京都の初夏。大都市の真ん中に、けっこう大きな清流の川が流れているのは珍しいのかもしれない。

 「鴨川デルタ」近くのバス停から立命館大学に向かう。「未来を信じ 未来に生きる」という末川博(元・立命館大学学長)の言葉の碑が図書館前にある。今、世界的な「未来への不安の広がり」に覆われ始めた今日、この言葉のもつ意味は「不安の中に生きる原点」なのかもしれないとも感じた。

 閩江大学で、来期(9月)から新しい授業(講義)の担当を6月20日過ぎに告げられた。中国での4年間の教員生活(閩江大学・福建師範大学)の中で、担当した教科はけっこう多岐にわたる。日本語教育に関する様々な教科の他に、「日本文学選読」「日本国概論」「日本古典文法」などを担当してきたが、今回は「日本文化概論」という講義を初めて担当することになった。教科書はないので、15回(90分)の授業内容を全て考えて作らなければならない。

 立命館大学の図書館には、約100冊あまりの「日本文化論」に関する蔵書があったが、多少の参考程度になるくらいで、どのように授業を構成するのかは、やはり自分の頭で1時間1時間の構成を考え、準備しなくてはならないことが この間 分かってきた。かなり大変な作業かと思っているがやるしかない。最近の日本の大学は、どこもかしこも構内禁煙なので、何か面白みに欠ける。喫煙所はコミュニケーションの場にもなるのだが。清潔すぎて窮屈なことこのうえないと感じるは私だけだろうか。

 立命館大学の「立命館土曜講座」は歴史が長い。2017年7月の講座テーマは「拡散するテロ、軋む世界―不安の時代の国際政治を読む」(全4回)、2018年8月の講座テーマは「緊張高まる国際社会の行方を探る」(全4回)となっていた。8月5日「戦争と社会正義」はアジアにおける人権問題も取り扱うらしいので、講座に参加し発言もしてみようかと思っている。

 立命館大学からの帰路、京都市市バスに乗って「河原町三条・四条方面」に向かう。この公共バスの時間の正確さや運転手の職業倫理感や車内の清潔さは、まあ「感動」の一言だ。 230円と、中国のバスと比べて料金は10倍以上はするが、運転士の「安全・安心・マナー・丁寧・優しさ」の点では、日本の方が10倍以上は良質だ。

 四条河原町近くの喫茶「築地」。2階建ての老舗喫茶店だが、全席喫煙可という店。ここで、読書や中国語の勉強などをしばらくする。この近くにある「丸善書店」に立ち寄る。読みたい本を探す。『デンジャラス』という本があった。桐野夏生の著書だが、「君臨する男。寵愛される女たち。文豪谷崎潤一郎が築き上げた理想の<家族帝国>とそこで繰り広げられる妖しい四角関係―」の物語のようだ。『会津執権の栄誉』という時代小説も面白そうだ。(会津の名家・芦名氏滅亡までの物語)

 夕刻の四条大橋。川床に人が集う京の風物詩。外国からの観光客が写真を撮っている。夕刻の30分間ほどの突然の滝のような大雨の後の夕焼けが美しい。似顔絵描きに書いてもらう二人の似顔絵。

 夜7時に、銀閣寺近くに住む娘の家に行く。娘・娘婿・孫・妻・私の5人で、久しぶりの夕食を囲みビールを飲む。もうすぐ9カ月になる孫の「栞(しおり)」と遊ぶ。つかまり立ちをして立つまでに成長していた。可愛らしい。孫や子供というのは未来だな。

 娘の家を午後9時頃に後にして、バスで木屋町通りに行く。外国人(アジア・西欧)で、木屋町通りも先斗町もいっぱいだった。学生時代からの行きつけの先斗町の居酒屋「みちのく」に立ち寄る。三橋美智也の「古城」を久しぶりに歌う。深夜、自宅に戻る。中国でのけっこう苦労・心労の多い日々の生活を少し回復できた、日本での京都・初夏の貴重な一日。

 

 

 

 

 

 

 


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