彦四郎の中国生活

中国滞在記

福州日本企業会「閩江クルーズ」―なぜ中国駐在1年以内に「心の危機」が起きるのか—

2016-10-09 16:33:11 | 滞在記

 9月3日(土)の夕方、定例の福州日本企業会例会が開催されるので行ってみた。今回の例会は「閩江クルーズ」。福州市内を流れ、東シナ海に流れ込む大河「閩江(びんこう)」を船(クルーズ船)で2時間あまり航行しながら、船内で「例会・親睦宴席」を行うという企画だった。80社あまりの日本企業の駐在員たちが参加していた。大学関係者は、9月上旬例会という時期の悪さもあり、この日は私一人だけだった。
 午後6開催(※船が出航する)と勘違いしていて、午後5時半に河畔の港にきたら、開催は午後7時だったことに気が付いた。時間がまだ1時間半もあるので、近くの台江街に行くことにした。インドソケイの白い花が咲き、パパイアの実が少し大きくなっていた。

 台江歩行街に久しぶりに行ってみた。店先で料理を作っているおばあさん、歩行街のベンチに寝ている人。のんびりしたものだ。ある店の前で、自分の店の前に少しあるゴミを掃いているおばさん。しばらくその様子を見ていたら、ゴミを塵取りで取るのではなく、少し自分の店から離れた場所にゴミを押しのけただけだった。このような行動は「自分さえよければいい」という人も多く公共的な観念が薄い 中国人の典型的な行動の一つなのかもしれない。
 6時半になったので港の方に向かう。

 港に行ってみると、夕暮れとなり、クルーズ船の中にも川向こうの洋館にも明かりが付いている。他の船への乗船を待つ中国人の人たち。
 時間通り7時に舟が出航した。船内で例会の開会のあいさつと乾杯が始まった。中国人女性の「手品ショー」などもあった。
 船からの景色(夜景)が見たいので 船上のデッキに上がり しばらく移り変わる夜景を見る。中国人は、派手なものを好むので 大きな建物のビル群は、人々が住む高層マンションにもネオンが瞬いている。中国全土の街々で灯される膨大なネオンのため 毎日 凄い量の電力が消費されているのだろうと思われる。

 この福州市には、日系企業は100社ほどしかないので、日本人駐在員は180人程度らしい。世界全体では日系企業(日本国外)は約7万社あるようだ。国別日系企業数(2015年)の資料を見ると、その半数近くが中国にある。(1位中国:33667社 2位アメリカ:7816社 3位インド:3880社 4位インドネシア:1776社 5位ドイツ:1684社 6位タイ:1641社 7位フィリピン:1521社 8位ベトナム1452社 9位マレ-シア:1347社 10位台湾:1121社) 同じアジアの国々では、17位韓国:667社 19位ロシア:446社 21位モンゴル:356社 32位カンボジア:182社 39位ラオス:114社-------となっていた。
 近年では、中国から撤退する日系企業が増えていると報道されることも多いが、逆に進出する中小企業も多いようで、毎年微増だが日系企業数が増え続けているというのが現状のようだ。やはり、14億人を超える人口を抱える中国市場というのは これからの企業経営にとって 欠くべからず国なのだろう。

 2時間あまりのクルーズが9時頃に終わり、港に寄港した。定例会も終わり下船する。港から私のアパートまで歩いて帰ることにした。30分ほどで帰れるだろうか。閩江に沿った道を歩きながら、河畔の景色を眺める。

  —中国で日系企業駐在員などとして生活するということ①―給料や派遣期間など

 福州日本企業会の日本人駐在員の人などに、福州での生活の様子や思いなどを聞く機会も これまでに何回かあった。おしなべて、駐在員の派遣期間は平均的には3~5年間という人が多いようだ。駐在員の給料はとても高額のようだ。海外出張手当など、さまざまな手当が加算される。少ない人で月に3万元(約50万円)。平均的には4万元(約65万円)で、高い人では5万元~10万元(約80万円~160万円)。宿舎は この福州ではホテルの一室を会社が借り上げて住んでいる人が多い。もちろん、宿舎は会社が負担するし、会社までの通勤は会社手配の車で送迎される場合が多いようだ。行きつけの日本料理店などで夕食をとる駐在員も多い。
 この福州には、日本人駐在員が主なお客層である「日式クラブ(スナック・クラブ)」が6~7店くらいはある。ホステスはすべて中国の女性。どの店のホステスも ある程度の日本語能力があるようだ。中には、週に4~5回 日式クラブに行く駐在員も少なくない。クラブの料金は2時間あまりいるとけっこう高額だ。それでも 高額の給料が支払われている駐在員には、そんなに腹が痛まないらしい。
 この福建省には、日本人学校がないので、単身赴任者がほとんどである。上海や北京、大連、深圳・広州には日本人学校があるので、家族同伴の駐在員もけっこう多いのかもしれない。

 —中国で日系企業駐在員などとして生活するということ②―多大なストレスと「心の危機」

 バブル経済ははじけたとはいえ、かなり高い経済成長をいまだ続ける中国。とりわけ14億以上の人口をもつ中国市場。この中国に駐在員を送り出す日本企業の期待の高さと、社会のフォーマットが基本的に大きく異なる中国での現地ビジネスの内情との間には、大きなギャップがある。そのため起きる本社との板挟みに、中国人社員とのコミュニケーション不全が加わる。商売についての観念や習慣(慣行)も大きく異なっている。
 私も日々経験していることだが、「約束」ということが 中国人にとっては 自己中心に考える(自分の都合が第一)思考が強いため、約束がいとも簡単に変更されることは しょっちゅうあって 腹が立つが 「ここで怒ってはだめだ。」と自分をおさえることも多い。また、一方的な 急な 要請・要求も多い。

 変化の激しい中国社会での仕事と生活がもたらす数々のストレスやプレッシャーの中で、日本にある本社との板挟みが加わり、少なくない人が 不眠症などに悩まされたりもしているという。日本にある本社の無理解に対する不満の象徴のような言葉が「OKY」という言葉だ。「本社の幹部さん、お(O)前が来(K)てや(Y)って みろ!」と、ある駐在員が教えてくれた。

 適応傷害や急性ストレス症候群、うつ病、最悪のケースとしては自殺に至る例もあるという。北京の心療内科の医師の話によれば、日本人がメンタルクライシスに陥る一般的なパターンを次のように説明していた。
 「発症は駐在してから4か月から半年後が多い。最初の数カ月は中国社会に新鮮な驚きを覚え、興奮し、緊張しているが、生活に慣れて来るうちに、だんだん中国社会のマイナス面が見えてきて、中国人社員とのコミュニケーションの取り方に悩み始める。最初はあまり気にならなかった食や水、気候、住環境の違いも大きなストレスとなり、気分がイライラし、不眠や下痢が続くといった身体上の変化が起きて来る。たいていは1年を過ぎると安定してくるが、適応障害や急性ストレス症候群などになるケースの8割は駐在1年以内だ。」

 2013年9月に、初めて中国の大学に赴任した私も、初めの2~3か月間はも中国社会に新鮮な驚きがあった。そして、5カ月~6カ月後の2014年2月に、初めて中国で病院に行って受診したら「3箇所の胃潰瘍」だった。ストレスには強い方だと思っていたが、知らず知らずのうちに中国社会のストレスが蓄積していたのだろうと思う。
 確かに、中国での日本人駐在員は高給取りだが、彼らもいろいろと大変なんだろうなと思いながら 最近は「福州日本企業会例会」に参加している。中国社会で日本人が生活するということは、社会生活の規範がかなり違う(※顔はよく似ているが)ので、大変だと改めて思う2016年8月下旬からの4年目に入った中国再赴任でもある。もちろんのことだが、日本社会がかなり失った「良き対人関係や付き合い」(※親しい人に限るが)「家族や友達を大切にする伝統」が、日本以上に濃厚に残っている社会でもある。