慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

大喝(政治家は「人気」ではない)

2021年10月02日 | 政治家
🌸大喝(政治家は「人気」ではない)

 ☆メディアの「世論調査」信用してはいけない


日本の現状では自民党の新総裁が新首相となる
 ☆「誰が新首相にふさわしいか」という「世論調査」が続出
 ☆河野太郎氏が一番人気を続けていた
 ☆筆者は、メディアが調査をしたり発表することに疑問を持つ
 *以前、調査を請け負った会社が数字を操作していたことが発覚した
 ☆今回でも明らかになったのは
 *自民党の議員ら総裁の「人気=票」と思いこんでいることだ
 *漠然たる国民人気に煽られた「空気」は彼らを誤らせるだけ
 *さらに、国の命運をも左右する

太平洋戦争直前、近衛文麿が国民的人気で首相に就任した
 ☆公爵で、貴公子の理由で、政治家の力量や経験は無視されていた
 *結果は単なる優柔不断な御曹司だった

 ☆戦後にも好例がある鳩山由紀夫
 *大勢の政治記者に「21世紀の政治リーダー」と尋ねたとき
 *圧倒的一位が鳩山由紀夫で、民主党政権下で首相になった
 *結果は飛んでもない結果に終わった
 *彼は中国や韓国に招かれては、かの国が作った反日施設の前
 *上下座しては母国を貶めている
 ☆政治記者の判断もこの為体である

⛳国会議員は、選挙で落ちれば″唯の人″
 ☆国会議員、当選するため「国民人気」縋りつくのだが情けない
 ☆国会議員と国民を操り煽っているのが、メディアの「世論調査」
 ☆メディアは自社の主張を補強する目的で
 *「世論調査」では狙った回答を導くために、前提や質問を設けている
 *結果の数字をそのまま信じてはいけない
 ☆メディアに醸成された「人気」や「空気」
 *いかに無責任で空疎なものかは、おわかりだろう
 ☆総選挙には、人気や世評だけでなく、実行する人物を選ぶことである.
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS10月号』





大喝(政治家は「人気」ではない)
『THEMIS10月号』記事、ネットより画像引用)
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「あいつは偉くなるぜ」つぶやいた麻生氏

2021年10月02日 | 政治家
🌸岸田氏 “終わった政治家”から起死回生の一打

 ☆自民党の新総裁に選出された岸田文雄前政調会長
 
昨年の自民党総裁選後に「岸田は終わった」と言われた
 ☆岸田文雄氏は、安倍氏とは当選同期の間柄
 *安倍政権で要職も歴任し禅譲狙いとされた
 *安倍氏が後継に選んだのは菅義偉首相だった
 ☆菅内閣の支持率が低迷する中の総裁選
 *岸田氏、退路も、確かな勝算もなく名乗りを上げた
 *立候補表明で、党役員の任期を限る大胆な党改革
 *百戦錬磨の二階幹事長に退任を迫る乾坤一擲の大勝負
 *二階氏だけでなく、菅首相にまで引導を渡す結果となった
 *起死回生の“ホームラン”に自信を深めた
 *総裁選の出陣式では鬼気迫る表情で訴えた
 ☆決選投票で河野氏を破り、総裁に選出された岸田氏
 *硬い表情で、会場を見回しながら声を張り上げた
 *「岸田の特技は、人の話を聞くということ」と
 ☆岸田氏は開成高野球部に所属していた
 *3度の東大受験に失敗し「俺に価値はあるのか」と悩んだ
 *早稲田大に入学、夏目漱石やドストエフスキーを読みあさる
 *日本長期信用銀行(現新生銀行)に就職
 *その後、自民党衆院議員に転身した父の選挙を支えた
 *1票を懸けて生身の人間が激しく交錯する世界
 *岸田氏、29歳で父の地元秘書になった

「あいつは偉くなるぜ」つぶやいた麻生氏
 ☆自民党総裁選でアピールした「聞く力」の原点
 *苦労した若手時代に養われた
 ☆35歳で地盤を継いで臨んだ衆院選で初当選
 *祖父から続く3代目の国会議員となった
 ☆岸田氏、毎週末、広島市の繁華街でマイクを握った
 *その姿を見て麻生氏が「あいつは偉くなるぜ」とつぶやいた 
 *閣僚になってもできる限り地元に戻った
 *「凡事徹底」で9回連続の当選を重ねた

「敵をつくらない」主義で、堅実に要職歴任
 ☆権力闘争の恐ろしさを肌で知り、永田町きっての“慎重居士”になった
 ☆「加藤の乱」加藤紘一氏が主導したが土壇場で躊躇した
 *「なぜやめるんですか」岸田氏らが血気盛んに迫った
 *その後、加藤氏は総裁の芽を断たれた
 *「絶対に負け戦はしてはいけない」と心に刻んだ岸田氏
 ☆「敵をつくらない」とされる性分で堅実に要職を歴任していく
 ☆第2次安倍政権で外相や政調会長も担い「ポスト安倍」の最右翼に浮上
 ☆「与えられた役割を全力でこなし、首相は目指してこなかった
 ☆安倍晋三氏の顔色をうかがう「禅譲路線」
 *「優柔不断」「戦えない男」の評価がまとわりついた
 *岸田氏、脱皮を模索しているようだった
 ☆雌伏の末にようやくつかんだ総裁の座
 *「政治にとっては決断力が大変重要だ」と述べならが
 *記者会見で自らに言い聞かせるように表情を引き締めた
                      (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『西日本新聞』


「あいつは偉くなるぜ」つぶやいた麻生氏
『西日本新聞』記事より画像引用)
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「承久の乱」をめぐる新説1

2021年10月02日 | 歴史
🌸「承久の乱」をめぐる新説1

後鳥羽上皇の「命令書」「北条義時を討て」の一文
 ☆「承久の乱」鎌倉時代に起きた大きな騒乱である
 *後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒せと呼び掛けたことから始まる
 *後鳥羽上皇の呼び掛けを聞いた鎌倉幕府、朝廷に徹底抗戦を決めた
 ☆鎌倉幕府、京都に大軍を送り込む
 *各地で朝廷軍を打ち破り、京都になだれ込む
 ☆鎌倉幕府、後鳥羽上皇を捕らえ、隠岐島へ流した
 *朝廷は敗北したが承久の乱の「定説」
 ☆最近に承久の乱に関する新たな説が出てきた
 *後鳥羽上皇が倒したかったのは、あくまで北条義時その人
 *鎌倉幕府を否定しようとは思っていなかった説
 ☆古文書の文言には、「北条義時を討て」と書かれていた

「承久の乱」で有名な北条政子の演説の真偽
 ☆承久の乱を扱う際、有名なシーンが北条政子の演説
 ☆後鳥羽上皇が「鎌倉幕府を倒せ」という命令書を出した後
 *幕府の首脳陣が集まって会議をした
 ☆北条政子の名演説の伝えられている内容
 *頼朝様の恩は海よりも深く、山よりも高い
 *お前たちは今、心を一つにして、未曾有の危機に対処しろ
 *名演説で、心をひとつにした鎌倉の御家人たちは
 *決死の思いで朝廷と立ち向かっていく
 ☆天皇が命令して官軍が結成され、天皇側が負けた戦い
 *日本の歴史上では実はこの一回だけ
 *錦の御旗が翻ったにもかかわらず負けてしまった戦だった
 ☆承久の乱での北条政子が演説をした史料は存在しない
 *鎌倉時代の歴史資料『吾妻鏡』と京都で作られた『承久記』
 *政子の演説内容は、全然違う話をしたと書かれている

鎌倉時代には「幕府」という言葉はなかった
 ☆「幕府」という言葉ができたのは、室町時代以降
 ☆江戸時代でも鎌倉時代は、幕府という言葉は使っていない
 *「柳営(りゅうえい)」と呼んでいた
 ☆現代で幕府という名前が使われるようになった理由
 *明治時代に入って、過去の歴史の話を論じる際に
 *「武士による権力体とか政権組織」等と呼ぶのは面倒くさいから
 *「武士による権力体のことを、″幕府”と呼ぼう」と決めた
                      (敬称略)
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⛳出典、『日本史の論点』






「承久の乱」をめぐる新説1(ネットより画像引用)
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天国から地獄ヘー変した世界遺産の地2

2021年10月02日 | 歴史
🌸天国から地獄ヘー変した世界遺産の地2

 ☆ネムルト山の山頂(トルコ)(生首が砂漠を眺めている姿)
 ☆クスコ市街(180人の兵に破壊された美しき町)
 ☆カルタゴ遺跡(チュニジア)(フェニキア人の古代都市国家)

⛳ネムルト山の山頂(トルコ)(生首が砂漠を眺めている姿)
 ☆ネムルト山の山頂に遺跡があるとは誰も思っていなかった
 *ドイツ出身の技師により発掘調査が開始された
 *ネムルト山頂は、自然の山の上に盛り土をした人工の山頂
 *山頂から少し下ったあたりに、踊り場のようなテラスがあった
 *そこにギリシャ・ベルシャ神話の神の像が散在していた
 ☆奇妙なのはだ銃掘された石像に首がないこと
 *5体の首なし座像は、誰の像なのか?
 *誰が破壊したものなのだろうか?
 *首のない像や生首が砂漠を眺めている姿
 ☆数ある世界遺産のなかでも、異様な光景というほかはない

⛳クスコ市街(180人の兵に破壊された美しき町)
 ☆クスコは、1532年に減ぼされるまでインカ帝国の首都
 ☆ピサロは、180人の兵で、インカの国軍相手に勝利した
 ☆ピサロは、奇襲によってクスコを制圧し、皇帝を生け捕りにした
 *皇帝は、ビサロの目的が黄金であることを知っていた
 *皇帝は、「黄金をやるから、われを解放せよ」と要求
 *ビサロはこの取引に応じた
 *ピサロは黄金を手にすると、約束を破り皇帝を殺してしまう
 ☆ピサロ率いるスペイン兵たちは、多くの市民を虐殺し建物を破壊する
 *建物の土台だけを残しその上にスペイン風の建物を建てていった
 *クスコのスペイン風の街並は虐殺の末に建てられたもの


カルタゴ遺跡(チュニジア)(フェニキア人の古代都市国家)
 ☆紀元前9世紀にフェニキア人が建国した古代都市国家
 *航海技術にすぐれていたフェニキア人
 *地中海貿易を独占し、カルタゴは繁栄する
 ☆対岸のローマは、これが面白くない
 *ローマとカルタゴは、戦うべくして戦った
 *ローマが勝利しカルタゴは減亡した
 ☆カルタゴの街は、ローマ軍が跡形もなく破壊した
 *残っているのは、ローマ人たちが築いた新しいカルタゴの遺跡
 ☆カルタゴの遺跡の「トフェの墓地」
 *多くの幼児の墓がある
 *幼児は、カルタゴ時代に生けにえで神に捧げられた
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳出典、『世界遺産に隠された話ゾッとする話』




天国から地獄ヘー変した世界遺産の地2
『世界遺産に隠された話ゾッとする話』記事より画像引用)
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